レビィ招待型認知症の体験
毎度、ごりです。
えーとですね、また今日もね、介護のお話ですね。
先日お話しした、当事者の意見を尊重しているかっていうね、その件に関してなんですけども、なんで僕がね、こんなこと言うようになったかっていうと、昔からそういうこと言ってたわけではないんですね。
えー、もうこれは本当に自分の経験から来ることもあるんですけども、まず自分の経験から言っちゃいましょうか。
えーと、それはね、結構認知症…認知症っていろいろ種類があるんですけれども、アルツハイマー型だったり、前頭側頭型だったりとか、レビィ招待型とかね、いろいろあるんですけども。
そのうちの僕がまあ、今でもそのぐさっと来てる、心にぐさっと来てるのはレビィ招待型の方の認知症というね。レビィ招待型認知症っていうのはご存じない方も結構いらっしゃると思うんですけれども、
まあ、いわゆる一つの認知症状っていうのと、パーキンソニズムというね、パーキンソン症候群、パーキンソン病っていうのとはまたちょっと違うパーキンソン症候群という、そういう体の動かしにくさっていうものが出る病気ですね。
で、さらには幻覚原子というね、そういう症状が出て非常に厄介な認知症の一つとして、この業界では認知されていると思うんですけれども。
で、このレビィ招待型症候群という風にね、レビィ招待型認知症と言われていた利用者さんなんですけれども、当初ね、その方僕が最初に見た時にはあまり認知症状は強くなくて、どちらかというとパーキンソニズムが強かったんですね。
体の動きが多少、まあ多少ですね、まだね、悪い。擦り足で歩いたり、顔の表情が乏しいとかそういう状況だったんですよね。
で、ところがですね、ある日突然ね、パーキンソニズムが強く出まして、いわゆるオン・オフというね、体が全く動かない時間帯がある、そういう状態ですね。
オン・オフの状態が突然出て、ご家族さんはもうちょっとパニックを起こしてしまって、レビィ招待型認知症というものに対しての理解があまりないとね、びっくりすると思うんですけれども、
パーキンソニズムが進むとそういうオン・オフというのは出てくるんですよね。で、そのオン・オフが出た時にご飯も食べられない、まぶたも開けられない、でもなんとなくこちらの声は聞こえているようだというね、
そういう非常にこう、なんなんだこれはっていうふうに思う場面があるんですけれども、本当にまさにそんな状態で、お家では何もできないのでショートステイの方でお願いできませんかというふうに来られたわけですね。
で、来てもご飯が食べられない、口が満足に開けられないので、そうですね、小指1本分ぐらいしか口が開かない状態でしたから、ご飯もスプーンもなかなか入っていかない、いろいろ試して液状のものにとろみをつけて口の中に上手にすぶらせていくというようなやり方であったりとか、
口の動きが少し良い時はすする、吸い込むような、すするではないですね、吸い込むようなこともできたので、それで少しずつ水分補給、栄養補給をしていたというそういう状況です。
認知症の当事者が望む会話
で、その方なんですけれども、1日の間にずっとではないんですけれども、時々認知症なので、認知障害ですね、いわゆる幻覚原子が強く出ている時というのは、僕たちと会話ができない、パラレルワールドにいらっしゃる状態ですから、僕たちとは会話ができないんですけれども、
たまにこちらの世界と繋がる瞬間があるんですね。その時っていうのは、やはり目が合う、目線が合う状態というのがあって、結構割とそういうタイミングでは会話ができるんですね。
その会話ができているタイミングで、仮にその方をお父さんと呼ぶことにしましょう。お父さん、今日調子悪い?悪い。ご飯食べれそう?食べたい。食べたいよね。お腹空いてるよね。
喉も渇いてるよね。でも、食べれそう?って聞くと、食べたいけど食べられないって言うんですよね。食べられないっていうのはどういうこと?ってね。食べたくないの?食べたいの?って言ったら、やっぱりそれは食べたいって言うんですよ。だけど、食べてるうちに疲れちゃうんだよ。食べるのが大変?って答えたんですね。
食べることが大変な状態。過酷な状態だと思います。ご飯は食べたいけれども、食べるのが大変。
でね、ここでね、僕ね、思わず言ってしまったんですけども、それが良いか悪いか分からないですけども、その後の言葉に繋がる言葉だったのでね、覚えてるんですけども。
僕は、お父さん、ご飯食べてほしいな。ご家族さんもね。やっぱりご飯食べてほしいって言ってるよ。お父さん元気になって帰ってきてほしいって言ってるよ。って言ってしまったんですね。
言いがちだと思うんですよ。この仕事してるとね、ご家族さんも言ってるから食べてほしいなって言っちゃうと思うんですけども、そしたら帰ってきた言葉が、つらいってポツッと言ったんですよね。
つらいって、何?ご飯食べるのがつらいの?って言ったら違う。家族にそうやって食べてほしいって思われるのがつらい。家族に心配されてることがつらい。っておっしゃったんですね。
いや、そんなこと言わないでよってね。そしたら本当にね、ポツッとね、死んじゃいたいなって、そのお父さん言ったんですね。重い一言でした。非常に重い一言ですね。
そんなこと言わないでって言いたくなる場面なんですけども、死んじゃいたいって思っちゃったかって、まぁね、そこの慶長モードで死んじゃいたいって思うぐらいしんどいだよねって言ったら死んじゃいたいって思うよ。しんどいよって。
体がしんどいよりも、家族に心配かけてるのがしんどい。それが本当につらい。家族に迷惑かけてる自分がつらいって言うんですよね。
まぁね、本当にじゃあね、お父さん今度もしね、病院行くタイミングでね、ご家族さんとお話しできそうだったら、それご家族さんにもちゃんと伝えてみて。伝えられそうって言ったら伝えられない。家族には言えない。家族には言えない。
家族に心配かけたくないという、その言葉も家族には言えない。たまたまその時繋がっていた、こっちの世界とその人の世界が繋がっていた時に、割としっかりとした口調で、声の大きさは小さかったですけども、しっかりとした意志を感じる言葉でした。
認知症ケアにおける当事者の声
そこにはこう、幻覚、幻聴や作話というものを感じることはなかったです。当事者の言葉というものを聞いてほしいっていうのはやっぱり、こういう経験を、まぁこの人一人ではないですけども、ね、まぁ本当にそういう言葉というのを聞くとね、
家族の思いだけで長生きしてもらう?していただく?させる?まぁいろんな言い方あると思いますけども、長生きを望む?というのは、当事者であるご本人の思いと反していることもあるんだということをね、何度も僕は実感しています。
うーん、でね、こういう言葉を聞いている介護の職員って、僕一人じゃないと思うんですよ。かなり多くいらっしゃると思うんですね。
ところが、介護の記録用紙にはあまりそういう言葉が書かれていないと思います。なぜなら、介護職員はあまりネガティブなエピソードを介護記録に書かないという、そういう風潮があるように感じています。
できるだけいいエピソードを書きたい。こういうネガティブなエピソードは書きたくない?と考えているスタッフさん、介護の職員さん多くないですか?僕もそうは思ってはいるんですけども、僕はネガティブなエピソードでも、かなりこういう大きなエピソードに関しては書きます。
まあ書いたところでご家族さんがそれを1ページ1ページ全部1行ずつ読んでくれるかどうかというのはわかりませんけれども、それでも書き残しておくようにしています。
本人の気持ちっていうのをやはり聞いた時には書き記しておく必要があるんじゃないかなって思うんですね。
それこそ今ね、こうやって言葉でポッドキャストとして喋っていますけれども、その利用者さん、当事者の方の言葉を録音してね、ご家族に聞かせることができればより強く響くものだと思うんですけれども、
だからといってね、どうこうできる問題でもないかもしれません。ただ、自然なこととして受け入れるっていうね、平穏死という言い方がね最近はあるかもしれませんけれども、
そういうね、あるべくして起きる状態を受け入れるっていう、そういうことがね、もう少し広く考えられるようになったらいいのになぁと思っています。
なかなかね、じゃあどうしたらいいんだっていうのは難しい部分ですけれども、何回も言ってますけれどもね、本当にいろんなことを認知症っていうふうな診断を受けた人も考えているんだよと。
そこらへんはね、もうちょっとケアをする側、ケアをお願いする側もちょっと深掘って聞くことがあってもいいのかなぁと。
まあ、あえて聞きたくないという部分もあるかもしれませんけれども、聞いてもいいんじゃないかなと思います。そこでね、いや、本当に迷惑かけて申し訳ないけど、ご飯食べさせてお風呂に入れてもらって、トイレもね、行けないけどおむつ替えてもらって、それでもいいから私は長生きたいっていうことを言ってくれる人もいるでしょうし、そうじゃない人もいるでしょうし。
まあなんともね、でも本当にそういうふうなご本人の意思を聞きながらやってる人ってどこまでいるのかなぁと。
やってるよっていう人ももちろんそんな当たり前だよっていう方もいらっしゃるとは思うんですけども、なかなかね、そうはできていないという人も多いのではないでしょうか。
ね、僕もそのできていない方の一人です。
というモヤモヤを抱えながら、今日はこれで終わり。