利用者さんの入院と身体拘束
毎度、ごりです。 今日は夕方ね、すごい夕立ちで、雷が
ドカドカ鳴って
本当に一瞬のうちに、施設の駐車場が水たまりというか、軽く池みたいになるような、そういう振り方をね、するような夕立ちでしたけれども、
実際ね、その雨自体は1時間ぐらいで、ほぼ処方状態になりましてね、
まあ帰ってくる、僕が仕事を終えて帰ってくる時には全く問題ないような状況になってたんですけれども、
夕立ちですか、久々にね夕立ちっていうのを実感しました。 夕立ちなどは涼しくなって気持ちよかったですね。
今日もまた介護の話をしようと思います。 ごりの堂々巡りよろしくお願いします。
また介護の話ということでね、
先日の機子燃料の強い利用者さんっていう話をしたと思うんですけども、 その方に関しての続報を少し入れておこうかなと思います。
その利用者さんは、かなり強い機子燃料があって、うちの施設から一度自宅に戻って、その後すぐに
社会的入院というね、 そういうことになったんですけれども、
入院先というのは精神科の病院ですね。 そういうところに入院してるんですけれども、
ケアマネさんがその後の情報ということで、 伝えてきてくれました。
こちらもね、かなりギリギリまで頑張って対応をしたので、そのお礼という感じでね、
言ってきてくださいました。 どういう状況かっていうことを伝えてもらった時に、
やっぱりそうなったかなーっていうふうにちょっと思っちゃったのは、 日中はね、ある程度落ち着いてはいる。
これは副薬調整が始まってるんだと思うんですけれども、
まあいろんな感じで、でもこの患者さんじゃないわ、利用者さんは、
日中はね、リーゼで落ち着いちゃうんですね。 リーゼっていうのは、めまいをね、
欲を起こす方に処方されるお薬だと思うんですけれども、
リーゼでかなり落ち着いていらっしゃいました。 ところがですね、夜になると
先日もあったような起死年齢が強く出るっていうことでね、
実際ね、うちの施設から出ていく時っていうのは、もう日中も
首を絞めるという行動があったわけですね。 で、まあ
行った入院先の病院でも、 日中はある程度落ち着くようになってきましたということでね、
でも夜になるとね、やっぱりベッドのシーツで首を絞めてしまうそうですね。
ちょっとね、本当に辛い悲しい感じがしますね。 本当に苦しい。
もう本当に生きてるのが辛いっていうのが、もう滲み出てきている、そういう状況だと思われます。
それで結局ね、その方は
いわゆる身体拘束が始まってしまったよということですね。
まあ
自傷多害という状況が始まってしまうのでね、これは致し方ないのかなぁと思う部分ですね。
この身体拘束というのはね、もうご家族が
同意をしなければ取れないものですので、
まあ病院の方で必要と認められていますと。 ご家族さんの同意はどうですかということでね、まあそこで同意を取って
身体拘束、夜間のね、身体拘束が始まるようですということでね。 現実に始まっているかどうかはわからないです。例えば
その日の夜勤の担当者によっては、
まあこれぐらいなら面倒見られるよ、他の人の対応もそんなに難しくないから、この人
近くに見とくので、まあ拘束必要ないよっていう担当者もいるとは思いますけれどもね、
まあその日、その日の担当者によっても、 対応が違ったりすることもあると思います。
まあ今回はね、こういう
起死年齢の強い利用者さん、 まあ入院になって拘束まで行ってしまったということを聞くとね、
起死念慮の強さと身内の死亡
まあ本当に 大変なんだなぁと。で、俺のきっかけっていうのはやっぱり
元をたどってみれば
身内の方が亡くなったというところですよね。
まあこれに関しては、やっぱり
時間的な距離と物理的な距離っていうのが非常に大事になってくる
部分だと僕は思っております。
まだね、 物理的な距離っていうのはこの
利用者さんというのは目が見えないので、 元から距離的な感覚がもうちょっと
あやふやですよね。 ということは時間的な距離が
離れない限りはなかなか
解決には 進まないのかなというのがありますね。
ということで
まあ 本当はね1年とか1年半とかゆっくりゆっくり
家族が一緒に 涙を流しながらね、お互い辛いよねと
言いながら お過ごしていくことで
まあ徐々に徐々に 緩んでいくね
ものだと思うんですけれども
なかなかそういう時間が取れずに 急性的にね
利用者さんの方の状況が変わっているのでご家族も対応しきれずに
施設に送ってしまったりとかね、入院ということになっているわけでだと思うんですけれども
まあ ちょっとね大変な時期が来てしまったのかなと
いうふうに思っております。 さらにね俗報としてはこの方の旦那さんご主人様ですね
元気だったんですけれども 急に亡くなってしまったよと。
まあこの方もね同じように身内を亡くされた
わけですから この方もかなり認知は強かったですけれども
身内が亡くなって
今までと状況が変わったっていうのを
分からない 分からないというか
分かったというアウトプットが上手にできないままに
インプットだけがどんどん進んでいく状況ですのでね
いろいろ苦しい思いが体を巡ったのかなとは思いますね
まあ病は気からなんていう言い方もありますけれども本当にこういうのは
よくね連れて行ったとかね追いかけて行ったなんていう言い方しますけれどもまさに
そんな感じですよね 身内がなくなって
分かっているか分かってないかというのは僕ら第三者には判断できないけれども
まるで連れて行ってしまったかのようだね
あの速度感でね
なくなってしまう
そういう状況に今なっています
今あと残っているのは
身内の方1人とお母さん1人
ということになりましたね
時間的な距離と物理的な距離
本当に急にバタバタしてしまってっていうねそういう感覚
でまあ毛山根さんもすごい
まあ後手後手に回ったっていうのは僕らが言ってはいけないと思うんですけれども
まあそれでもねその後後手に回っても今度は後の線ということでね
僕らの方にも情報を教えてくれて
まあ今までありがとうございましたまた戻ってこれるようであればよろしくお願いしますというようなね
メッセージをいただきましたけれども
なかなか
みんな
辛い思いを
しているということをね上手に表現できない
っていうのがねどこまで大変なのかっていうのをねすごく感じている
そういう事例になりました
まあ本当に
いろんなね事例がある中でやはりこの
なくなるということに関してねあの直接
なんて言うんでしょうねー その僕はね
死ぬということに対してそこまでネガティブではないんですよね
人間って生きてる限りずっと苦しいっていう風に
思ってるものですから そこから本当に生きてるだけで苦しい
ところから 逃れるためには一つは
悟るですよね なかなか悟るというのは難しいと思うんですけれどもそうするともう一つは
死という 段階を迎えるという
まあ仏教的な感覚であれば 亡くなった方は仏様になるということで
亡くなるとまあ悟りの 分類に入っていくのかなぁと勝手な判断ですけどね
一つ生きている時の苦しみからは逃れることができる 逃れるっていうのもおかしいですけどもね
そこから 物理的な距離が
希死念慮の強い利用者さんの考え
保てるのかなというふうに思っています なので死ぬことに対してとても
ネガティブな感覚は僕は持てない なぁと常々思ってるんですけれども
だからといってねみんなどんどん死にゃいいじゃんっていうふうには これはやっぱり
人として言えない とは思うんですけれどもね
ただね
やっぱりこう 僕は自然に生きていく
自然に生きていくっていうのは 自分の思うように勝手にやってればいいじゃないぐらいに実は思っているので
酒飲んで
アルチューンになって死んじゃうとか
オーバードーズで死んじゃうとか 食べすぎて
体壊して死んじゃうとか
食べたくない 年取るとね結構いますよね 食べたくないめんどくさいって言って食べなくて死んじゃうとか
脱水症状もそうですよね 認知症によっていろんなことが自分の体のことが管理できなくなって死んじゃうとか
これも全て自然なことなんだと思ってしまうんですよね 大王女とか
なんかこう自分がこう死にたいとかっていうのは非常におこがましいことで もう本当にむしろ
好きなようにやっていって その日を迎える
っていうことがまあそれが一番自然なんだろうと 考えているので
まあ あまりね
こう
そんなに苦しんだったら死んじゃえばっては言わないですけども ただあの
介護の現場での延命治療
いろんな事例 実際にね来る
利用者さんたちの事例を見ていて
例えばこう 親子の縁が全くない
例えばそうですね 何十年も前に離婚した
そしてその 奥様の方はもう亡くなっていて奥様の方がね生きていらっしゃって
そうすると例えば旦那さんの方が生きていて
救急車である時運ばれましたと 自宅で倒れていたというのを隣人が発見して救急車で運びましたと
そこで
病院に 行った時に
結構みんな 延命治療をしてしまってる
っていう事例をよく見るんですよね あの
点滴一つでも延命治療だと思うんですよ僕は
本当に自分で食べられない ような状態の時に点滴を打って
一時的でも栄養を
点滴で入れたりとかまあ警備 とか警官でね
栄養を入れたりとか 点滴ってのは主に水分ですけれどもまあそうやって
全く 本人の意思とは関係ないところで栄養を補給させるという行為これがもうすでに
延命治療 だというふうに僕は理解しているので
例えばその 何十年も親子の縁が切れていて急に電話がかかっていて
あなたのお父さん元お父さんでも血縁でいけば普通にお父さんですよね お父さんが病院に運ばれてきました
今からこういうふうな
処置をしようと思っていますけれどもいかがでしょうかって言われたときに
パッとねいやもう点滴も何もやめといてくださいあのそんなことせんでいいです って言える人がどこまでいるのか
っていうふうなことは感じてしまいますね というかそういうことが来るそういう風な電話が来るっていう想定ってみんなしてない
と思うんですよ
あの 自分の
ね親 とか兄弟とかまあ身内なのでおじさんおばさんとかの場合もありますね
実際にキーパーソンが追い込み1個という方もいらっしゃいますけれどもその時に あの
処置はしないでくださいあの点滴も一本も入れないで構いませんあの そのままもしあれだったらの家の方に連れて帰りますので
って 言える人っていないですよね
多分 まあ相当こう自分がもともとこう頭の中で思い描いていることがあって
そこにこうポンと
体調不良ですよということがくれば まあ少しは
来たかとその日が来たかとわかりましたそのまま家に連れて帰りますって言えるかもしれ ませんけれども
そういう心の準備もできてないところでポンと言われたらやはり あっ
すいませんじゃあちょっと点滴お願いしますね
じゃあそう処置色あのじゃあいろんな処置 よろしくお願いしますって言っちゃうんだと思うんですよね
注射の一本も打たないでください何もしないでくださいって言える人がどこまでいるいるの かなあっていうのは
ただねそれに関しては情報不足なんだと思います もっともっとこう
情報をいっぱい 提供するべきじゃないでしょうか医療の側が
一度延命 のループに入ってしまうとずっと延命に入りますので
そこから先は 長く長く続くトンネルの中に入っていく
そういうふうに 持ってしまいます感じてしまいますね
まあちょっとここら辺で今日は
終わっておきましょうかね それではまたよろしくお願いします
失礼します