1. ごりの堂々巡り
  2. #99 【障害】自分も当事者なの..
2023-05-11 15:08:00

#99 【障害】自分も当事者なのだから手を出して当たり前の世界になったらいい

自分もいつかは当事者、もしくは当事者家族になる

老いも障害

手伝い、支援、援助、声掛け やって当たり前の世界になったら

明日の自分が楽になる

老いたり、障害を持った人々には

周りを巻き込んでいく能力がある

生きているだけで、それは発揮されている

『つなぐ その4』おわり

ボランティア活動の意義
車椅子を使っているようなね、そういうお子さんもいらっしゃいましたしね。
言語としては聞き取れないんだけども、
一緒にいて不思議ですよね。
一緒にいて笑った瞬間をこっちが発見すると、すごいこちらも笑顔になるんですよね。
なんなんでしょうね、あれはね。
本当にすごいなと思うんですよ。
自分の子供でもなく、知り合いの子供でもなく、
たまたまボランティアでその日一日関わる、そういうお子さんでね。
本当に視線もどこを見てるのかもわからないし、言語も不明瞭ですしね。
ゆだれが垂れてたりとか、いろいろね、状態いろいろありますけれども、
しばらく一緒にいてどういう風な関わりっていうわけでもなく、
とりあえずね、僕は自己紹介します。
どこどこに住んでる、だれだれですよ、
お父さんお母さんと年齢的にこれぐらい違うんだよ、
自分にはこれぐらいの子供がいるんだよっていうことを説明して、
状況説明、実況中継、周りで今日は天気がいいねとかね、
風が気持ちいいねとかね、
すぐ横川が流れてて川の音が聞こえるねとか、
鳥が鳴いてるわね、鳥の声が聞こえたね、あれはカモかなってね、
肌から見れば一人でブツブツ喋ってるみたいな感じかもしれませんけども、
その子が感じたら言葉にするかもしれないようなことをちょっとずつ拾って、
喋って聞こえるようにね、
僕はあんまり大声出さない母ですね、
耳元で小さい声でつぶやくような感じで、
あんまり他の人に聞かれない程度の感じでね、
ささやきオオカミみたいな感じですけども、
それでずっと喋ったりしてましたね、
そうするとふとした瞬間にニコって笑ってる瞬間、
本当にそれがその子の感情として笑ったのかわからないですけども、
僕にはそれが笑ったように見えたんですね。
もうその瞬間嬉しいんですよね。
で、ある程度関わりの時間の間っていうのは
お父さんお母さんが近くにいることもありますし、
ボランティアスタッフと先生方だけだったりすることもあるんですね。
そんな中で終わった後、お父さんお母さんの元にね、
お子さん連れて行って、
今日ね天気良くて本当に良かったですね。
途中お花見たりね、散歩してる中でね、
何回か笑顔がありましたよって言うと、
本当ですか?ありがとうございます。
やっぱりお父さんお母さん毎日関わってて、
もちろん楽しい部分と大変な部分というのはあるわけですよね。
そんな中で共有できる、自分の子供のことで共有できる感覚、
嬉しいこと、
個人的な経験
その中でね、
大変なことを他の人にも共有できるっていう、
そういう機会をね、
与えられてるっていうのは、
そのボランティア活動、すごく意味のあることだなと思いながらね、
ずっと参加してました。
今後もね、チャンスがあれば、
コロナでね、
自分の子供のことをね、
そういうボランティアの募集がね、
止まったりしたこともあったんですけどもね、
またこれからボランティア活動再開されるとは思うんですけどもね、
本当に、
何の才能もない、
何もできない、
できることがあって、
本当に、
何の才能もない、
何もできないっていう、
そういう生涯を持ってる、
人の才能っていうのは、
本当にその、
周りに関わらせてもらった我々に、
何かしようという原動力を与えてくれたりとか、
人と人との繋がりを持たせてくれたりだとか、
気づきを与えてくれたりだとか、
別にそんなことをさせたいと思ってるわけではないのも承知なんですけども、
ただただこちらがね、そういうふうに、
活動をしていってるだけなんですけども、
そこに意味を持ちたいのが人間なんでしょうかね。
でも、そういうふうに感じてるっていうことは、
僕の中ではね、そういうふうに感じてるっていう認識です。
まあ、いろいろね、僕のポッドキャストを聞いてて、
ドギツい部分があって、
なかなかこの人何なんだろうっていうふうに思う部分もあると思うんですけどもね。
まあちょっと、
自分の思ってる部分、
少しうまく表現できたかわかりませんけども、
だいぶね、何だったらしい、
一人喋りになってしまいましたけども、
どうにもね、
なんかこう、雨降って気圧も低くて、
テンションもあまり上がってこない、
そういう中で、ちょっとこう、振り返ってみた、
何か才能がなければいけないなっていうふうに思うことは多いですけどもね、
僕の中でね、
僕の中ではね、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
自分の中で、
そこにいることがやはり、
周りの人への影響を必ず表していく、
障害を持つ人々との関わり
及ぼしていく、
そういう感じですよね。
人間誰しも一人では生きていけませんけども。
障害をもっていると、
より多くの人と関わらなければ生きていけない病が、
お互い関わらずいるっていうようなものですよね。
身体の障害、重複の障害、知的な障害、いろんなバリエーションがありますけれども
どれも
健常者と呼ばれている我々ですら、一人では生きていけないわけですよね
それでも
それでもっていうのはおかしいのかな
健常者である我々も一人では生きていけない
障害と呼ばれるものを
持っている
持って生まれた人も中途で取得した人も
より一人で生きられない、もっともっと多くの人と関わりを
持たないと、持ってもらわないと、お互いですね、お互い関わりを多くの人と
持っていかないと生きていけない
わけですから
で、もっと気軽にね
なんかこう困っちゃった
っていう
ところをこう
困ったって言葉にできない人もいるので困ってるなっていう人に対して
声をかけたり手を差し伸べるっていうことがもっと気軽な世の中になったらもっと
いいのになって、これは
前どっかでも言ったような気もするけどな、うん、まあ
もっとね、こう
気軽に
困ったことを
困ったと言える世の中になっていったらいいなと
で、今自分が
いろんな人にこう
解除、介護の手を
出させてもらってる
っていうのはまあ本当にいつか
自分ももしかしたら
今日の夜かもしれない
だから本当に誰もが当事者
なので
当事者がやって欲しいことは
自分がやって欲しいことですからね
自分がやって欲しいことは、自分が先にどんどんやっちゃう
っていう感覚
の世の中になったらいいな
で、困ったって言ってる人がいたら
弱者支援のあり方
その困ったって言ってる人がもっともっと一人の人に頼るんじゃなくて
5人10人
100人
でその人数が増えれば
でその人数が増えれば増えるほど
その手助けする
する側と関わっていく側の
負担ってのは減りますよね
一本の太いロケットで
ロケットを打ち上げるよりも小さなロケットで
小さなロケットを何本も何本も束にして打ち上げるような
そういう
力の
持ってき方
になればいいのかなと
みんなが本当にちょっとずつ
一人の人の力では微々たるものかもしれないけれども
やらないよりはやったほうがいい
気がつけば
集まれば
すごい大きな力になるみたいなね
そういう
風な活動
活動というか世の中全体の
感覚
だから障害っていうのはもう老いも障害ですから
年取って大変
っていう時に
手を取り荷物を持つ
それはもう年齢も関係ないんだろう
なって考えてしまえばもう
子供でが
障害を持った子供が大変そうにしていれば
周りの人が
関わっていく
できる人ができる人のことをやればいいわけですよね
元気な老人が
動けない
自分ではなかなか大変な
子供の
お手伝いをしたりとか
逆に
いろいろできなくなった
年寄りの
高齢者のお手伝いを
若くて元気な人たちがやる
っていう
社会に求められる変化
そういう風な状態
っていうのは
理想
はそこですよね
本当に
そういうことをして
そういうことをしても
今だとね
そういうことをしてると
変みたいな
見られ方をする
場面もありますのでね
うーん
まあ
そういう風に
手を差し伸べても
何やってんだあいつ
っていう風に見られない世の中に
なったらいいなと
思ってますっていうことを
今回は言ってみました
長々と
喋ってしまいましたが
今日はこれで終わり
15:08:00

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