加藤さつきとありのままおのデッサン教室
GOOD VIBES ミッドナイトラクザ by くらざむけいさん
こんばんは。ただいま4月3日月曜日の午前2時31分です。
今週末は、本当にイベントざんまいでして、昨日が土曜日、土曜日が加藤さつきとありのままおのデッサン教室というのをやってきましてね。
これが、過去最多の参加者に来ていただきまして、前回がね、ちょっと一人も申し込みがなくてね、残念ながら中止になるというね、そういう状態だったんで。
でもこれだけはね、本当にやめたくなくて、続けたいと思っているんでね、さつきと一緒に何とかしようね、みたいな話はしていて。
特に何もできなかったんですけどね、内容を変えるとかね、いつも以上に何かをやるみたいなことは何もしなかったんですけども、
同じ告示文でもね、ちょっと気合が入るというかね、一個ギアが入るというか、エンジンが全開になるというかね、そういう感じはあったんですけども、おかげさまでね、たくさん来ていただきまして。
で、昨日はね、リンゴを描いたんですけどね、リンゴはものすごく難しかったですね。前回、まんまる球体を、石膏の球体はまだ良くて、白と影しかないですからね。
リンゴは本当に色んな柄がついている上に、真っ赤なところに光が当たっている。これは黒く塗るのか、それとも白く残すのか、どうすればいいのよ、みたいなね、本当に難しかったんですが、
これもなんかね、文章と一緒で、描き始めた時はね、全く出来上がる感覚はしないんですよね。
今回は無理かなと思ったんですよ。最初は鉛筆で描いてたんですけどね。輪郭をスーッと取ったあたりで、これ以上何をすればいいの、みたいな。
でもコツコツね、本物を見ながらね、本物があるから描けるんですけどもね、そのモチーフをじっと見ながら、まさにありのままを見るっていうのをやりながら、
少しずつ少しずつ模様とか影とか光みたいなところを表現していくと、次第にこう、輪郭に見えてくるんですよね。
1時間ちょいぐらいの経った頃かな。そのあたりからようやくなんとなく、お、いけるかも、つってこうやっていくと完成するっていうね。
これはもう、文章もそうなんですけど、何でもそうですね。やり始める時にこのゼロから何かを作るっていうのはね、本当に全くその、出来る感じがしない。
だからやっぱここでね、千里の道を眺めてしまうと、とてもとでも僕らはね、そこに向かっていく気力が、まあその常人というかね、普通の人は多分そうなんだと思います。
やり始める時のゼロから何かを作る感覚
だからまあコツコツコツコツできることを一個ずつね、積み上げていくしかないんですけどもね、とてもいい体験をさせていただきました。
そして今日、今日はですね、かきあげ塾の第7期の卒業式というか、第6回最後の講義なんですよね。
まあ7期はね、なんかとても、まあ毎回毎回楽しいんですけども、とてもなんか面白いメンバーというかね、私がこう見るに、今までない、何ていうのかな、もう本当不思議な、何だろう、いろんな才能に恵まれていて、そしていろんな考え方をしていて、
でいて、何ていうのかな、こういい感じの人たちがたくさん集まってくれてね、毎月毎月本当に楽しい時間を過ごさせていただいたんですよね。
そしてまあ、その中でも今日は最後の講義ということで、最近やり始めたリアルタイムライティングというかね、その場でお題を出して1時間ぐらいで1本の文章を仕上げていただくというこの課題を今日もやったんですけども、
前回はあるシチュエーションを作って、えっと、まあフィクションの物語を書くっていうやつだったんですよね。
で、これが初めてやったその試みだったんだけども、書いた作品を自分で読んでいただくと、で、これ確か前この番組でもお話ししたんですが、その中にね、もうプロの声優並みの方が1人いらっしゃってね、
おそらくそのご本人もそんな才能が自分にあるとはね、今日まで気がつかなかったみたいなそんな雰囲気なんだけど、驚くほど美声でね、それからこれイントネーションもあるんですよね、それから発音もあるだろうし、
あとはもう1つはもうやっぱりなんていうのかな、この雰囲気、読む時の雰囲気ね、どんな風に心を持っていくとあんな感じで読めるのかなっていうね、ちょっと心の中を覗いてみたいんですけどね、
まあもうあの、要はオーディブルってあるじゃないですか、私のグッドバイブスご機嫌な仕事もオーディブル版があるんだけど、
あのこの私の本のね、声優さんは男性なんですけどね、その方も素晴らしかったんだけど、なんか次僕本書いてオーディブルやったらその方に読んでほしいなってお本気で思うぐらい、
まあ素晴らしいこの読み方だったんですよ、で今日もあの今日はね、イチゴとブドウを持ってきましたね、結構いいアマオウとかね、マスカットみたいな種なしブドウでかいやつを持ってきて、
これをかじりながら俳句で言う倦怠ですね、それをお題にして、そこからどんな風にイメージを飛ばしてもよくてね、別にイチゴが出てこなくてもブドウが出てこなくてもいいんだけど、
その色だとか味だとかね、香りだとか、あるいはもう果物全般だとかね、そういうところに飛ばしていって、でそれを一つ盛り込みながら小説でもいいし、ハウツーでもいいし、エッセイでもいいしね、まさにこのイチゴシェイクの作り方みたいな文章を書いてもいいし、何を書いてもいいという縛りはゼロ、
一応かき上げ塾の作法というかね、基本の型だけは取り入れるという、そういう中で書いていただいてね、本当に名作ぞろいだったんですけどね、今回はね、なんかこれはですね、要は自分の例えば考えとか気持ちをね、そのまま書こうとすると、やっぱりただの独白というか独り語りになってしまうんだけど、
かきあげ塾の最終講義
そこにあるモチーフを持ってくるとね、例えばそのイチゴを通して自分の心を知るとかね、イチゴを通して世界を見るとか、またこの一味違ったこの視点が持てるんですよね、だから皆さんやっぱりね、面白いことにこの自分の心を描く文章が結構多くてね、ほぼほぼ皆さんそうだったんですけども、
そのちょっと自分の辛い体験みたいなものをね、この果物と混ぜ合わせることによって、ちょっとそのなんつーのかな、辛さ、きつさみたいなものが消化していくっていうね、消化っていうのは漢字で書くと、のぼるに花ですね、中華の花、それが消化していくっていう、このなんつーのかな、なんつーのかな、下毒作用みたいな感じかな、
毒消しなんですよね、臭い消しと言ってもいいかもしれない、別にそのまま出してもいいんですけどもね、でもこれをやるとなんていうのかな、その独り語り、日記みたいな文章がね、人に伝えられるこの作品に消化するっていう、そんな感じが僕はしてましてね、まさに名作ぞろいだったんですよ、ほんと皆さん上手くなったなって感じでしたね、七木はね、
もう佐々木さんもちょっと驚愕でした、驚きましたっていうかね、そんなコメントをしてましたけども、もうほんとプロレベルの、私が見てね、この編集経験の長い私が見て、これほんとみんなプロだなと思うような、しかも1時間ですからね、1時間で1000文字くらいの物語、ストーリー、エッセイ、いろんなものを書いてもらったんだけど、まあ見事な作品が並びましてね、まさにこの卒業作品という感じになったかな、
でまたこの同じ方にね、読んでもらったんですけども、同じようにやっぱり見事でしたね、もう素晴らしいんですよ、もうなんかこれ楽しみでね、ちょっとこの方はね、来期は一回お休みして、この次の第9期にね、もう一回復活されるというお話だったんで、ちょっとあと半年くらいかな、もうこの方のね、美声が聞けないのはちょっと残念なんですけどもね、
でもあのジャジンワークに来てくださるとおっしゃってたんで、そこで読んでもらおうかなみたいなね、でこの方がね、最後、まあ皆さんこの今回の第7期はいかがでしたかっていうこの最後の感想をね、お話しいただくときに、あの前回のその自分の読んだ文章、自分のね文章を読んで、まあ皆さんにこのいい声だと言われて、でそこではたと気づいたことがあると、
で実は私は無意識のうちにね、この朗読をするときにギフトモードをやっていたと、まあ要は私がいつも言っているね、大切な人を一人思い浮かべて、その人に手作りのプレゼントを作るような、そんな感じで文章を書きましょうとかね、何かをやりましょうってこれがギフトモードなんですけどもね、これを自然にやっていましたと、
そしてもう一つそのギフトモードには、えっとそうしながらね、小築売でいうところの末レベルね、まああの手作りのね、誰かに渡すプレゼントなんでね、そのまあできるだけ手を抜かずに、今できる自分のね末レベル、背伸びする必要はないんですよ、できないことを含める必要はないんだけど、
私の今のこの力量、実力、スキル、能力であればここまでやれば末レベルと言えるかなっていうところをその出していくっていう、これもやったって言うんですよね、読みながらね、やってきたことに気づいたと、
で、そこではたっとね、あ、この私が今朗読をしているように文章を書けばいいんだっていうことがわかってからね、ちょっとその書くのが楽しくなったというか書きやすくなったっていうかね、このギフトモードで文章を書くということをまさにこの体感したっていうふうにおっしゃってくれてね、それが今季の一番大きな発見でしたみたいなことをね発表いただいたんですよね。
で、改めて私は今日はやっぱりこのギフトモードのお話をもう一度してみたいなと思ってね、というのもその私が今書こうとしている新刊のね、これ借りタイトルなんですけども、これがザギフト、英語でねザギフト、真逆のやり方で幸せになるっていうのを書いてるんですよ。
で、今お話ししたように書き上げ塾でもね、ジャジンワークでもどのように文章を書くかとか、それから一日をどのように過ごすか、こちらがジャジンワークなんですけどね、その答えとしてギフトモードを強くお勧めしてるんですね。
で、もともとね、これ以前はね、確か佐々木さんとぶっちゃけ相談をyoutubeでやってる頃は、まだ確かねギフトモードという言葉ができたかできてないかぐらいのギリギリのところで、これをねギフトモードと言わずにこの依頼されたら即座に本気で答えるみたいなメソッドとして紹介してたんですね。
他の人の依頼には即座に本気で答えると、同じようなことなんだけど、ちょっとこちらの方がなんつーのかな、ギフトモードより犠牲になる感が強いんですよ。
結論としてはならないんですけどね、ならないから私はお勧めしてるんだけど、やってみないで、しかもこの話だけ聞いて、しかもそれを現在のまさに前回お話したこの文脈、自分で作った文脈の中にこのメソッドを当てはめるととんでもねえなって感じがするんですよ。
なんのためにみたいな。だからよくね、このぶっちゃけ相談にね、この依頼優先みたいな言葉に変わって、これがね、依頼優先とは言ってないんですけどもね、依頼されたら即座に本気で答えるっていうのが、まあ依頼優先になるのかな、まあそういう見方もあるのかもしれない。
依頼優先でやると自分のことができなくなるんではないでしょうかっていうらね、そういう質問も寄せられてたんですよね。だからまあ、もうこういう質問が来るということは多分これね、伝え方に問題があるんだろうなと僕は思いましてね。
だからこのまず依頼という言葉を使うのをやめたいなとかね。それから即座に本気みたいなこの重いなこれもとか思って。で、もうちょっとこう滑らかにね、これを伝える方法はないのかなという。しかもこの最初の第一印象でね、うわ、ウゲみたいに思うようなそのおすすめとか提案はね、なかなか受け入れがたいですからね。
だからやっぱりこのまさにギフト、まさにギフトがそうですよね。このプレゼントであるならばやっぱりこの包装であるとかね、ラッピングであるとかがなんとなくその受け取りやすい方がいいですよね。
なんかクシャクシャのこの包装紙にね、コンビニの袋かなんかにザクッと入れてあってどうぞって渡されるよりも、きれいな紙袋とかでラッピングされてる方がなんとなく気持ちよく受け取れるじゃないですか。気持ちよく受け取れるというか受け取るときに嬉しいというかね。
だからこの依頼されたら本気で答えるの、このラッピングがよくないなと思って、これはもう私のね、この至らなさなんだろうなと思って試案してね、そこでギフトモードという言葉を発案したわけですね。これからまあなんとなく横文字にするとだいたいこうライトな感じになるっていうのも安易な発想なんですけどもね。
それでギフトモードというのをこのギフトモードというふうに表現するようになって、内容は同じなんですけどね。もちろん私もこの自分の手がけてる仕事、あらゆる仕事をこれでやってますね。
ギフトモードの意義と実践
どんな小さなものであろうとね、例えばそうだな、なんかTwitterとかFacebookに告知を少し書くとか、それから何だろうな、あとメールとかかな、人とのメール、その仕事のメールのやり取りとか、そういうもう細かいところからね、その本を書くっていう大きなところとかね、まさにこのポッドキャストを作るとか、もうあらゆることですね、あらゆることをこのギフトモードでやっています。
それからさっきのね、この依頼ですね、家族とかその知り合いからの依頼、これも仕事仲間の依頼もあるし、全然仕事は関係ない、例えばワントレの受講者がそのワントレとは別に何かのお願いをしてくるとかね、そういうまさに知人としての依頼ですね、そういうもの。
それから僕にとってはその遊びにあたるようなそのネットフリックス見るとかね、あんまりないんですけどね、僕の中でこの遊びとか趣味にあたるものってのはほとんどないんだけど、だいたい映像を見ることかな、これとか、それからもっとくだらないことね、なんかラーメン食べるとかたこ焼き食べるとか、そういうものもそうだし、それからあと休息ね、休み、休憩みたいなものもあるし、
基本はもうすべてこれなんですね、大切な人を思い浮かべるとまずね、招致配慮いうところの末コースで手作りの贈り物を創造する、作るということね、これを本当にもうほぼほぼ全部やっている感じがしますね、
一応ね、このギフトを渡す相手というのはね、3ついつも想定していて、自分が入っているんですよ、自分か他の人ね、他の人、それか環境なんですね、他の人は分かりますよね、環境というのは掃除みたいなことね、この部屋をバーッと見渡したときに私の環境である、私を生かしてくれている環境であるこの部屋がね、
例えばゴミ箱がもうパンパンだぞ、みたいなメッセージを私に送ってくるわけですよ、そのように見ようと思えばそういうふうに見ることができるのね、この環境は今私にどんな依頼をしてきているんだろうかっていう、主に掃除とかね、片付けとかそういうことが多いんですけどもね、これも一応その環境からの依頼として環境にギフトするわけです。
それから最初の自分、これも抜いてはいけないんですね、これを抜くとものすごく犠牲になっている感、失う感が強くなるんだけど、要はこの自分と他の人とこの世界は一つというね、そういう文脈が私の背後に流れていましてね、背景に流れていまして、ここを同じように見なきゃいけないってこと。
で、そうするとさっきのね、遊びとかくだらないこととか休息、それからまだ仕事にはなってないんだけど、これやってみたいなと思うようなことね、まさに最初はお客さんがいない自分だけにやるようなこと、これも全て私へのギフトとして大切な人を思い浮かべて、私にそれを送るんだけども、一番大切な人だったらどうするかなっていうモードにして、待つコース、一番いいコースを私自身に送り物をするというね。
これをやっているわけです。これを24時間ね、365日多分やっていると思いますね。
なんかもうこれでないとつまんないなっていう、そんな感じになってきたんでね。だからなんでみたいなところを今日お話できたらいいのかなと思うんだけども、要はその新刊の話からね、その書き上げ塾ジャージンワーク、そういう私がやっているイベント、それからそのプライベートな生活に至るまで、このギフトモードで染め上げているこの理由はね。
これが前回この番組でお話した、私は言わないと言いましたけどね、この世界に流れている文脈、私が感じ取っている文脈の一つなんですね。
だからこれはあくまで私がそのように感じているというふうに捉えていただけるといいんだけども、あの時人の話は信じちゃダメだみたいな話をしたんでね。私はちなみにこの世界にはね、与えた瞬間に与えられるという文脈が流れていると思っているんですね。
これに気づくまではどうだったかというと、まさにこれも前回でお話しましたけども、この世界の文脈とは別にね、自作のオリジナルの文脈を作っていまして、その内容はまさにこのゲットモードだったんですね。
ギフトモードに対してその反対側のゲットモードっていうのがありましてね、要は何かを得るためにはね、まずそれがいつどのようにして私のところに届くか、つまり手に入るか、これをねものすごくやっぱり強くね、あと具体的に細かくイメージしてね始めるっていう、まずこれが一つね、いつどのようにしてどのぐらい手に入るんだみたいなことをまずイメージしましょうと。
そして諦めてはいけないっていうね、途中で絶対に諦めるなみたいなことを自分に言って、それから絶え間ないその努力と精進を続けなければならないみたいな文脈を信じていたわけですね。
これだけならまだいいんだけど、私の場合はここにね、もうちょっと厳しいのが入ってきて、要はその獲得ってことですよね、何かを得るっていうのはね、獲得するためにはやっぱり競争に勝って生き残らなきゃいけないよねっていう、まさにその僕が得るものっていうのはね、まさにコンペティションにおけるプライズであるみたいなそんな感じね。
要はその競争競合の中で私が勝ち残って、そしてある賞を獲得するみたいなそんなイメージね。
だからまあ厳しいんだよと、中には負けて得られない人がいるよと自分の周りにはね、俺は得られたかもしれない、でもその僕は勝って得られる、でも勝ってなくて得られない人が周りに見えるかもしれないと、そういうことに気を取られちゃいけないと、気にかけなくていいんだ、そんなものはと。
そんな暇があったら自分のこと考えろっていうね。でも場合によってはこれはまあ実際私はよくやってたんだけども、友人とかパートナーとの関係をね犠牲にしても構わないから、とにかく得るために頑張れみたいなこういうまあ過酷なストーリーまで作り出していたんですね。
ゲットモードから見える光景
40年以上続けてきたんだけども、まさにこの得るための努力、ゲットモードですね。ゲットモードを続けてきたんだけど、僕が目にしたのはね、おおむね4つの光景だったんですよ。4つ、もっとあるんですけどね、まあだいたい4つぐらいかな、これはひどいなみたいな光景になっちゃうんだけど、
まずね一番この常にこのゲットモードね、自分のために何かを得ようとして頑張るという詳細にイメージしてね、人のことなんてどうでもいいからつってこう得ていくっていう、このモードの最初の私がね見た結果っていうのは、もう常にですよ、常に得られなかったらどうしようっていうね、得られなかったらやばいぞっていうこの恐れや不安が付きまとうっていう、これが最初なんですね。
まあこれを持たずにこのゲットモードができる人ってのはなかなかいないだろうなと思いますね。
まあこれがだから原動力になるんでしょうね。得られなかったらどうしよう、嫌だな、だから頑張るっていうふうに持っていくってことですね。
で2番からこれさっきね、いつどのように何が手に入るかをイメージするというのをね最初にやりますから、これが目標とか計画になっていくんだけど、この期待した時期にその望むようなものがね、場合によってはその望むような形で手に入らないこともしばしばあるわけですよ。
さっき言ったようにこれがもしね競争コンペティションだったら私も負けることがありますからね。特に雑誌を作ってた時とかは結構経験しましたね。もうこれは絶対いけるだろうと思ってた企画が大外しして、その月の豪華全然売れないみたいなことをよく経験してた。
音楽やってた時もそうかな、結構ありましたね。ここでオーディションを受かってここからデビューするんだみたいなね、そういうことがその手に入らないこと、もうほんとしばしばありますよね。この時にねやっぱ猛烈な失望に襲われるんですよね。
で、それと同時にやっぱり自信を失ったりとか、なんかやっているもの自体がすごく色あせて見えたりとかね、その音楽やってる時は音楽つまんねえなとかね、なんかもう雑誌作るの嫌になっちゃったなみたいなね、そういう感じに襲われてしまう。これが2番目ね。その手に入らなかった時の失望感がすごいよねっていうこの感じ。
これもやっぱり言動力にするんでしょうね。だから二度とこんな目に会いたくないから次は頑張るんだみたいな、そういう風に繋がってるんだと思うんだけどね。で、3番。ここからがちょっとね、この副反応みたいな感じになっていくんだけど、要はこの得られなかった時のね、失望してる自分ここに罪悪感を持つんですね。
過去を振り返ってね、ここでサボったからだとかね、ここで判断ジャッジミスってるよねとかね、ここでなんでもうちょっといろんな人に相談しなかったんだろうかとかね、あの人がこれはやめろと言ってたのにどうして聞かなかったんだろうみたいなことを後悔しながらもうれずにこう罪悪感を抱くわけです。
で、罪悪感を抱くとどうなるかっていうのはもうこの番組で散々お話ししてきたようにね、まあいろいろあるんだけども、その中でもやっぱり良くないのはね、この自分の罪悪感をまさにこの私と他の人と環境、さっきねギフトモードでそのギフトを渡す相手になっていたこの3要素に対してぶつけてしまうんですね。
この自分の抱えきれなくなった罪悪感を私と、それから例えば仕事一緒にやってる仲間、編集の時だったらスタッフとかね、こいつらがもうちょっと頑張ればもっと良い記事が作れるのにとかね、場合によってはその家族の協力が得られないよなとかって、こいつなんでもっとちゃんと俺に協力してくれないんだろう、だから得られないんだよとかっていうね。
それから環境ですね、これは会社だったりその当時のバンドだったり、もしくはその業界だったりね、そういうものに怒りを抱いて、この3者ね、自分、他の人、環境、これが全部大嫌いになってしまうというね、これが3番目。
成功・失敗と孤独
そして4番目、これもおそらくこの流れの中でね、この3つの流れの中で出来上がっていくんだろうけども、成功しても失敗しても何故か孤独なんですよね。
でもこの文脈自体がね、獲得とは競争であると、コンペティションであると、負けていられない人のことは気にかける必要はないと、友人パートナーの関係とかを犠牲にしてもいいというこういう文脈ですからね、成功しても失敗しても孤独なのはしょうがないですよね。
これが僕がその40年余り得るための努力を続けてきて目にした結果の4つなんですよね。他にも色々細かいのはあると思うんだけど、この4つがね、相当厳しいなと私は思ってしまったんですね。だからある意味、僕はこのゲットモードのルーザーでもあるわけですよ。
ゲットモードの勝者だとしたらこんな風には感じなかったと思いますね。だから、グッドバイブスとはこのルーザーのためのメソッドか、みたいな風に思われるとちょっと困るんだけども、時々は成功してましたからね。時々というかそれなりに成功もしてたんだけども、成功しても失敗しても同じようにこの4つが嫌なんですよね。
だからもうある時、心の底からこれ以上は無理だなっていう、このやり方採用するの嫌だなっていう、そんな感じが押し寄せてきたんですよ。その時に、これも心の、私の心の声なのか何なのかよく分からないんだけども、あるメッセージがパーンとひだめきまして、これが質問の形だったんですよね。
これまでにね、お前がもっと充実しててね、無条件に何かをやってる時に幸せを感じられる瞬間っていうのがあったんじゃないのかってね、それはどんな時よっていうこういう問いが聞こえてきたんですね。
いろいろ思い出してみました。最初に浮かんだのが不思議でね、私実は小学校の時、漫画家になろうと思ってたんですよ。当時漫画が流行ったんですよね。漫画を書くのも読むのも流行っていてね。
たしかね、手塚治虫さんとかなんかが書いた漫画のこの書き方の本とかっていうのがね、結構売れてたんですけど、私もあれを買ってね、ペンとかケント紙とかね、そういうものを買ってコツコツコツコツ漫画を書いてたんですよ。
で、これを当時はね、このソーシャルとかインターネットもない時代ですから、1冊の小冊子みたいなのにして、週に1冊かな、だから土日かなんかにこの1冊作って毎週月曜日にみんなに持って行ってたんですよ、小学校の時にクラスにね。
自分で原画を書いて、その書いた紙そのままを本に閉じてね、コピーとかもないからね、そのままその1冊だけオンリーワンの本を作って、ホッチキスかなんかで止めてね、それをみんなに持って行って回し読みするみたいなやつをやっていてね。
その時に本当になんていうか、まあその褒められるとかね、面白いねって言われる嬉しさっていうのは当然あるんだけどね、なんか僕のその土日の感じはまさにその月曜日に楽しみに待ってる読者のために書かねばならぬみたいなそんな感じだったんですよ。
まあ当然ね、小学生なんで他にやりたいこと遊びとかいっぱいあるんだけどもね、なぜかそのそこだけはこの毎週の連載のようにね、しっかりやってどのぐらいかな。確か1学期全部ぐらいはね、3ヶ月ぐらいは書き通した感じがするんだけど。
えっとね、クワナミ兄弟っていうタイトルで、クラゾのクなんですよ。あと和田くんって人がいて、あと名は中村かな、みーは三井っていう4人の仲良しい組がいて、その4人が出てくるクワナミ兄弟というその4人組が、おぞまつくんみたいな感じかな、もしかしたら。
子ども時代のギフトモード
うん、そのいろんな冒険を繰り広げるみたいな、そういう漫画だったんだけどね。まあ要はだからその私も出てくるし、和田くん、中村くん、三井くんというね、クラスのその知ってる人たちが出てくるんで、わりとこの人気だったんですよね。また和田が変なことしやがって、みたいなそんな感じで読まれていた。
これが一つ思い浮かびましたね。この時は本当にその変な話ですけど、小学生なんだけど、読者というね、その大切な人を思い浮かべて待つモード、もうすんげー待つモードでしたね。何度も書き直して綺麗に書いて持って行ってましたね。これが思い浮かんだ。
それからもう一つはね、多分中学2、3年の頃だったと思うんですけど、カセットテープレコーダーというのをね、親父が買いましてね。その流れで僕も時々カセットテープレコーダーで何か録音するというのにハマって。
当時ディスクジョッキーというのがあってね、このラジオの番組で糸井五郎さんかな、すごく有名な音楽番組があって、洋物をね、海外の洋楽を紹介する番組。日曜の朝だったっけな、なんかあったんですよ。
なんかまさに美声でね、さっきのかき焼き塾の方ではないんですが、すごい美声で、かっこいい英語の発音とともに曲を紹介しながら、その途中の合間にちょっとしたエピソードトークがあるみたいな。
このディスクジョッキーにハマりましてね、これを小学校の時の漫画のように自宅で録音するんですね。当時のステレオというのがあって、アナログのレコードなんだけど、そこのスピーカーの前にラジカセを置いておいて。
続きましては、なんとかでほにゃららみたいな感じで、ローリングストーンズのサーティスファクションとか言ってジャンジャンとか書けたりしながら、途中に僕のトークを挟むというね、なんか今思うとこの番組を作っているようなそんな感じだったのかもしれないね。
今はこういういい機材がありますから、こんないい感じで作れるんだけど、当時はもう本当に音質も最低だったと思うんだけど、それも結構学校に持って行ってね、みんなに聞かせたり。
放送部の部室があって、そこの放送部の部室が友達がやってたんで、よく昼休みとか放課後とかに溜まり場になってたんだけども、ここで書けたりオンエアしたり、校内放送には流さないんですよ、部屋の中だけで聞いたりしてた。
この番組作っている時もギフトモードだったなぁみたいなことを思い出して、そんな風に小学、中学、高校からたどりながらね、今日までどんなギフトモードでやった経験があるのかなみたいなね、これを思い浮かべた時に、これがやっぱり最も充実していてね、まさにその無条件に幸せを感じられる瞬間だったなってことを思い出したわけですね。
不思議なことに、音楽やり始めてからあんまりこのギフトの経験がないんですよ。だからやっぱりうまくいかなかったんだなと思いますね。やっぱりゲットモードだったんですね、さっきのね。
面白いことに、もう一つ面白いことに、その音楽ダメで編集者に転身したその後はね、もうその反動というかね、めちゃくちゃギフトモードでやってるんですよね。読者を思い浮かべながらね、どんなギチがお楽しみにしてるんだろうなとかっていうことをいつもいつも考えてましたね。
多分もうおそらく僕未経験で入ってるんで、スキル能力とか何にもないんでね、多分僕にできることはギフトモードしかなかったんじゃないかなっていうそんな感じがしますね。
この辺りから僕はその真逆のやり方ね、この得ようとすることに必死になるのとは真逆のやり方のギフトモードに変わっていった感じがします。面白いことにね、この意外とこの自分のためにやることの方が実は諦めやすかったりするんですよ。
なんかさっきのね、私の作った文脈には絶対に諦めてはいけないんだとかっていうことが入ってたんだけど、もう自分が欲しくてこれが欲しいから努力するんだっていうやつは自分しか出てこないんでNG出すのも簡単なんですよ。中止を出すのもね、もういいんじゃねみたいなね。
ここにこの読み手とかね、小学校の時の漫画を読んでくれる人とか中学校の時の僕の拙いディスクジョッキを聞いてくれる友達とかそういうのが登場すると応援力みたいなのが得られるんですよね。この家で一人で孤独に作業するときに待っててくれるんだなっていうね。
これがなんかね、私がよく言うこの自力ではない全て力、総力と書いて全て力と呼ぶね、その力を体験した最初の機会だったのかもしれないですね。小学校中学校のこの漫画DJみたいなやつがね、やっちゃうんですよ。なんか不思議なことにね。
そういうギフトモードなんですけども、これをね、私がお勧めしているということで、どのようにしてね、この自分の生活の中にインストールしていけばいいかって。まあまあそのようにやるでいいんですけどもね。なんか難しいよねということもきっとあるでしょう。
ギフトモードを取り入れるためのステップ
だから今日はね、ちょっと最後にギフトモードったらこんなもんだっていう話の後にね、どうやってこの自分の生活の中にこれを取り入れていくかっていうね、このまあちょっとしたステップみたいなのをね、ちょっと紹介したいんですけども。
まずはですね、この最初のこのね、認識がとても重要だっていうのがあって、僕らの中には他の人のために何かをすると幸せを感じるね、こういうまさにこの素晴らしい性質がある。
これをね、確認しておくということが重要なんですよ。ここはね、いやいやマジそんなことあるかみたいなことはね、思うかもしれない。僕らはそのバラバラ意識の中で普段暮らしてますからね。あるいはそのギフトモードという文脈の中で暮らしてますからすっかり忘れたりね、それから曇っていたりするかもしれない。
この感じがね、でもあるはずなんですよ。他の人のために何かをすると幸せを感じるというこの性質。あるいはそのそうですね、この人間関係のこの嫌な感じの中でね、もう怒りとか悔しさが邪魔をしてそんな話は絶対認めたくないって思うかもしれないんですが、これをもう一度だけね、いや私たちとはそういう生き物なのかもしれないなっていうふうにちょっと信じておくということね。
人の人のために何かをすると幸せを感じるというこの性質があるんだっていうこれをね、もう一回信じ直すということですね。これが多分最初のステップになります。
次に家族とか友人とかものすごく親しい人はもちろん、それから会社の同僚とか上司、部下、それからまちで出会うすれ違う人たち。この親しさの度合いがどうであれ、とにかく他の人から何かをしてもらったときは絶対に罪悪感を持たないってことですね。
下手すると僕らはですね、何かをしてもらうと追い目を感じるとかね、それから人に助けてもらうのは苦手なんだよとかね、だから例えばこの一緒に住んでる人、パートナーとか家族、一緒に住んでいるのになんかその二人の関係でね、こちらがいろいろやってもらいすぎてるっていうのはちょっと避けたいなみたいなこういう感覚を持ちがちなんですね。
まあこれ全部多分罪悪感がそこの裏で悪さをしてると思う。
でもこれをやると、これ確かこの番組でもね、かしかりなしがいいみたいな話をしましたよね。
とにかく助けてもらい下手になってしまうんですね。
人に頼れないっていうかね、そういうのなんか依存みたいな風に言葉で変換してしまって悪いものにしてしまうっていう、これをね、やめるということですね。
まあこれもだからそのゲットモードとかバラバラ意識の中では、やっぱり自分のために自分が何かを得るためにね、努力をするというこの文脈においては、やっぱり人に助けてもらうというのは良くないことなんですよね。
だからこれをやめるということですね。
そこに罪悪感を持たずに、これも誰かから何かをしてもらった時にこれをギフトとみなすわけね。
そしてこの人からのギフトをきれいに受け取るっていう風に決意しておくわけです。
感謝と循環でギフトモードを完成させる
この時ね、そうは言ってもやっぱりなんか追い目を感じるなとかね、苦手だなっていうそんな感じが湧いてきたら、この罪悪感の反対の概念っていうのは感謝だっていうことを思い出してください。
面白いことにこの罪悪感の反対に感謝があるんですね。
これは光と闇のような関係になっている、いつも話してるね。
感謝という光で罪悪感は消せるんですね。
だから何かをしてもらった時に、うわ、やべ、なんかやべ、追い目を感じるとかね、うわ、狩り作っちゃったなとかね、なんか俺だけ人の世話になっててやばいぞとかっていう風にこの罪悪感を持った時には感謝という光でこれを消すわけ。
つまりそんなことを考えないでありがとうっていうね。
これも言いましたね前ね、あのすみませんをありがとうに変えるっていうこの話と同じなんですけどもね。
この他の人からのギフトを綺麗に受け取るためには感謝すればいいだけですね。
感謝という何かしてもらったって言ったら、罪の方の意識にぷっと行きそうになっている心をありがとうと言いながら感謝の方に変えていく。
この感謝の気持ちで心を満たせばね、このギフトを他の人のギフトを綺麗に受け取るというのはね、必ずうまくいきますね。
これができるとですね、この感覚がわかると、ギフトモードっていうのは決してこの一人でね、しかも自力で行うんじゃないってことがわかるんですね。
ゲットモードは基本的には一人で自力で行うんだけど、ギフトモードはね、自分だけじゃできない。
つまりこの自分と他の人とこの世界っていうね、この環境、さっき言った三者ですね。
この三者が織りなす調和と循環ですね。
これによって完成するギフトモードはね、これがものすごく大切なポイントだっていうことに気付けるんですね。
まさにこの全て力、総力、これによってギフトモードっていうのはこう完結するってことね。
三者が必要なんだってことですよね。
だから他の人からのギフトは綺麗に受け取るようにするわけです。
そうすると自分が何かをギフトするとかね、自分が何かを得られるっていうこととは別に、
ギフトモードを正しい文脈で実行する
この他の人からのギフトも素晴らしいんだなっていうこの循環をまず味わうってことですね。
だからやっぱりこれを拒んでいてはダメなんですよ。
貰い上手にならないとギフトモードっていうのは上手くいかないってことですね。
だからこれギフトモードって言ってるんだけど、ギフト&ギフティットなんですよね。
これが両方ともあるってこと。
ギブ&テイクではないんですよね。
ちょっとこれは違う。
私が何かをするからそのお返しに何かをしてもらうとかね、
何かをしてもらったからそのお返しに何かをするということではなくて、
この一瞬一瞬まさに今ここで自分が今この人のギフトを受け取ってるんだっていうこれで一つ終わり。
その後その報酬がどうだとかっていうのはない。
でもそれを綺麗に受け取っておくわけですね。
このようにしておくとこの自分と他の人とこの世界の三者が織りなす。
まさに調和と循環っていうのがこのギフトモードなんだっていうことが何となく分かってくる。
そうするとこれめちゃくちゃスケールでかいなって感じがするわけね。
なんか俺の個人の取り組みで何かをゲットしようとかっていうものに比べたら、
まさにこの私が前回お話したこの世界の文脈みたいなものをスケールを感じられるわけね。
ここに自分を置きながらその文脈の中に自分を置きながらギフトモードを実行するっていうこれが結構重要なんですよ。
この反対にそのバラバラ意識とかこのゲットモードみたいなものをかすかに残したそんな文脈の中でこのギフトモードをやろうとすると、
以前のぶっちゃけ相談の時のこの依頼優先でやってると自分のことができなくなるのではみたいなこの疑問が湧いてくるわけですね。
これは要はそのギフトモードを実行する時の背景にある文脈があってなかったってことなんですよ。
だからこれを今お話ししたこの3社、私と他の人と環境まさに世界。
これをイメージしながらここがぐるぐるぐるぐる循環して調和してるんだっていうこういう文脈の中で実行するってことですね。
ここに自分を置きながらやるとうまくいくっていうそんな感じです。
こういうステップになっていくわけね。
一つ問題というか、ゲットモードと大きな違いがあってこのギフトモードはいつどのように何が得られるかっていうのはわからないんですね。
ゲットモードはこれを明確にイメージしてそれを取りに行くんだけども、
ここだけは実際によくわからない。
特にいつ何が得られるかみたいなことはよくわからないんですよ。
ただ一つだけ言えるのはこれはジャジンワークでも言ってるんですが、
リアルタイムにそのギフトを実行している何かを作っているその最中にも相当なものは得られるんですけどもね。
それだけではないんですね。
それだけではなくてこの遅れてやってくるものもいっぱいあるんだけども、
これはいつどのように何が得られるかわからないんですよ。
自己理解の重要性
でもよく考えるとこの番組でも私は本当のことがわからないという話をよくするんだけど、
その中に自分について本当のことがわからないっていうのがやっぱり一番目にくるわけね。
これは自分とはどんな存在なのか、自分が何をすれば幸せなのか、
自分はどんな役割を担ってここにやってきたのか、
それがわからない、本当のことはわからないですよねっていうことなんですよ。
そうすると実際にはこれもよく自分の心を振り返ってみればわかるんですけども、
私が今何を手に入れたいと思っているかっていうことすらね、
本当は答えがわかってないことも多々あるんですね。
もちろん明確にそれがバキッとひらめいたりね、これしかないなって思う時もある。
ここまでは否定しないんだけども、
そう多くはないんですよ。
例えば毎月毎月、今月はこれをゲットする、
今月はこれをゲットするみたいなことが浮かぶほど多くはないなと僕は思っているのね、
そういうものっていうのは。
だからやっぱりこれを作り出してる可能性があるわけですよ、自分で。
この作り出す基準はいくつかあってね、
今売れてますってあるじゃないですか、店に行くと。
やっぱりこの今売れてますってやつは欲しくなりますよね。
これは前にもお話ししたんだけど、
この小学校とかの時にね、他の子たちが持っているおもちゃとかね、
ゲームみたいなものは好き嫌いは別にして、
まずは持っていたいと思うって、これ相対欲って言ってたやつですね。
こういうものがこの中に含まれている可能性があるわけですよ、
ゲットモードの場合はね。
それに僕らはものすごい努力、精進をしようとするんだけども、
ここがもしわからないんだとすると、
そもそもいつどのように何が得られるかが、
ゲットモードと違ったとしてもあんまり困ったことはないわけね。
だから本当のことについてわからない僕らが決めることよりも、
おそらく遥かに価値のある大切なものがね、
僕の感覚では無理なく最適なタイミングで届けられる感じがする。
ギフトモードの信頼性と得られるもの
だからなんていうのかな、
お願いができないサンタさんのプレゼントみたいな感じですかね。
でもちゃんとわかってるんですよ、サンタは。
クラザノ君ね、君の欲しいのはこれだよみたいな感じで届けられる。
そんなイメージが僕にはしていますね。
だからここの感覚もちょっとね、
ゲットモードとは変えておかないと、
何がいいのみたいなことがわからない可能性がある。
僕がこれが欲しいとかね、絵馬とかに描いたり、
その短冊に書かなくても、
おそらく僕のこのさっき言ったような文脈の中で生きていればね、
私に最適なものが最適なタイミングで届くんだよね、
というこの信頼ですね。
だからやっぱりギフトモードというのは、
この自分と他の人とこの世界、
この3者を相当信頼しておくということが重要なわけです。
でも面白いことにこのギフトモードをやればやるほど、
この信頼というのはね、強まっていくんですよね、不思議なもんでね。
なぜかというと、この3者を大切なものとして扱っているからなんですよ。
この3者が価値マックスだと思わないとギフトモードができないんですね。
そうすると面白いことに、その大切なものにギフトをすればするほど、
この相手はね、渡す相手というのは、
信頼に値する存在にどんどんなっていくわけですね。
そうするとますますそこから、
ギフトモードの実践と執筆講座の情報
僕に最適なものが最適なタイミングで届くという確信も強まっていくわけです。
最後にね、私はね、おそらく誰よりも欲張りだろうなって感じがするんですよ。
なんかね、我慢というのが子供の頃からあまり得意ではなくてね、
何かが欲しいと思うと、ほんと猛烈に欲しくなって、
どうしても、とにかくどんな無理をしてでも手に入れないと気が済まないというところがあって、
めちゃくちゃ欲張りでわがままなんですよ。
これはもうね、嘘でもなく謙遜でもない、
正直なね、私の感覚だと思うんだけども、
その私がですね、もう10年以上もこのギフトモードに夢中になってるんですね。
もうこれしかないぞと思って、さっき言ったように全てをそれでやってるわけ。
なぜか、実はこちらの方がめちゃくちゃ得られるっていう体験をいっぱいしたからなんですね。
これ面白いんですけど、まさにあれなんですよ。
勝つと思うな、思えば負けようなんですよ。
得ようと思うな、思うと思うと得られんぞ、みたいなそんな感じ。
だからもうこのまさにね、さっき私の新刊のタイトルがギフト、真逆のやり方で幸せになるっていうこのサブタイトルね。
ここに全て詰まってるんだけども、間違ってたなって僕は思いましたね。
得ようと思うから得られなかったんだなと。
そうじゃなくて与えるなんだなって。
この世界の文脈においては与えることによって僕は最大限与えられるんだなっていうことに気づき、
そしてそれをやってみたら本当にそういうものなんだなっていうことが実感できたから、
こんなふうにね、いろんなところでお勧めしていると。
そんなふうに受け取っていただければ、それほどおかしな話ではないかなというふうに私は思っています。
よかったらですね、さっきお話ししたようなステップでちょっと試してみてください。
そしてまさにね、今日はこのお話から始まったんですけども、
このギフトモードを実践していただけるその最も私が今最適な場だなと思っているのが、
佐々木さんと一緒にやっているこの執筆講座の書き上げ塾なんですね。
もうすでに8期を迎えてね、もうほとんどの方がこのギフトモードによって文章が良くなっているし、
何よりもこの書くことがより楽しくなる、より楽になる、書きやすくなるという体験を皆さんしていただいています。
だから文章というのはね、そもそもやっていてそれほど音楽とかダンスとかに比べて地味なんですよ。
何かこう書いても書いても字の塊しか増えていきませんからね。
何か絵を書くとさっき言ったそのリンゴができていくみたいな楽しみがあるんだけど、それもない。
書き上げ塾の宣伝
だからやっぱりこの特にね、文章というこの創作に関してはギフトモードというのは非常に重要じゃないかなと思っています。
だからこれを6ヶ月ね、この実践していただくと随分と変わっていくと思いますんで、
以前もお話しましたがあと1世紀、なぜか埋まらないんですね、今期はね。
まだありますんでね、9日から初回講義で8期が始まります。
今月、今週の末かな。
で、9日さすがにもう休だからNGだっていう方には個別の対応をしますのでね、オンラインで。
そこもご心配なく。
そんな感じですんで、よかったら書き上げ塾お申し込みください。
じゃあ今日はですね、どこにしようかな。
あそこの受け取るとこがいいかもしれないですね。
一応ギフトモードなんですけども、今日は特に他の人から何かをしてもらった時ですね、
この時に絶対に罪悪感を持たないで、この人からのギフトを綺麗に受け取るっていうね、感謝の気持ちでそれを受け取って、
見てですね、この壮大ななんていうのかな、ギフトモードを取り巻く文脈みたいなのを感じながらね、いい1日をお過ごしください。
ありがとうございます。