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前話の「理性を失わずにしあわせな選択にコミットする」がうまくいかないとしたら、じつは心の奥底に「しあわせを望んでいない自分」がいる可能性があります。「3時間の執筆レッスン」と「ワントレ2 秋のキャンペーン」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes20230916.peatix.com https://goodvibes.work/onetore2/

サマリー

彼は、幸せを望んでいない自分自身にコミットできない矛盾を抱えていると話しています。彼は、幸せを望まない自分に癒やされることや苦しみから救われることに対する恐怖を感じていることも話しています。また、彼は3つの衝動を手放すことが幸せにコミットするための重要なポイントだと述べています。自身の捨て身の戦略から解放されるためには、自分自身の欲求や衝動を正直に認識し、それに対して本来の自分に打ち明ける習慣を身につけることが大切です。幸せを望まないテーマを通じて、幸せにコミットするための理性を保つトライをしてみてください。

目次

不幸を望んでいる状態になること
グッドバイブス ミッドナイト楽座
by 倉園佳三
こんばんは、ただいま9月13日水曜日の午前2時12分です。
あの、前回お話ししたね、咳とくしゃみの残りというのがまだありまして、ちょっとね、鼻声が残ってるんですよね。
なんかあの、自分ではね、本当によくわかるというか、まあ歌を歌ってましたんでね、この鼻声がある感じというのがね、やっぱこう、これで歌を歌うと本当にね、うまくいかなくて、昔からこうなるときついな、嫌だなというのがありましたんで、
こうやって収録してね、マイクを通してこのヘッドホンの声を聞くとですね、うわぁ、まだ鼻声だなっていう、この感じが残ってるんですけども、
まあ、もしかしたらちょっとね、お聞き苦しいかもしれないんですが、今日もなんとか収録したいと思います。
で、今日はですね、前回の番組で、理性を失わずに自分にとって幸せな選択にコミットするというね、お話をしたんですが、
これの続編というか、続きを今日はね、してみたいんですね。
というのも、どうしてもこれがうまくいかないという、こういうことがおそらくあるはずなんですよ。
いやいや、もう幸せにコミットしたいんだけど、どうしてもそちらを選べないというね。
ここはいろんな原因、要因があるんですが、その一つにね、信じがたいかもしれないんですが、実は僕らがね、この幸せになることを望んでいないというケースがあるわけです。
本当にいやいや、ありえないでしょうと、みんな幸せでありたいと思ってるよねとね、そんなふうに思うんですけども、
でも実はですね、よくこう振り返ってみると、おそらくこの誰もがね、一度はこのようなね、その実は幸せになることを望んでいなかったっていう、こういう状態になったことがあると私は思うんですね。
で、もしこれをね、望んでいないとしたら、どれだけ頑張っても、前回の番組でお話したね、この幸せにコミットするというのができるはずがありませんよね。
望んでいるからその望んでいる方にコミットできるわけで、いやいやいや、幸せになりたくないんだよねって思っているとしたら、どうやったって多分こちらにはコミットできないわけです。
この大きな矛盾をね、僕らは実は抱えているんじゃないかと、これについて今日はね、詳しくお話ししてみようと思います。
で、ここの謎が解けるとですね、ずいぶんと、そうだな、目指す方向というのかな、それが分かってくるというかはっきりしてくるので、
なるほどなるほどと、今この感覚が邪魔してるんだなとかっていうことにね、気づけて、そしてこの取り組みがよりうまくなると思いますんで、
まさに続編というか、セットでね、今日のお話とセットで前回のこの幸せにコミットするというこの課題というかな、
トライをね、組み合わせてやっていただくといいんじゃないかなと思います。
で、まずはこの謎のね、僕らが実は幸せを望んでいないというケースがあるという、これがどんなものかというのをね、分かりやすい例えでちょっとお話ししたいんだけど、
そうですね、これは本当にね、どんな例えでも当てはまるんで、なるべく軽い方というかな、ちょっと笑えるぐらいの感じにしておかないと、朝からね、とても聞いてらんない話になってしまうんで、
高校生にしましょう。で、この高校生がですね、まあ僕のそうですね、高校生の頃にもクラスに必ず3、4人はいましたけどね、もうちょっといたかな、10人ぐらいはいたかな。
要はこの先生に猛烈な不満を抱いている高校生っていうのがね、クラスにいたとしますわね。
で、そうすると、この彼はね、授業中に、例えばこれも今わかんないですけど、僕らの時代であれば、例えば机に足をガンとか乗せてね、少年ジャンプかなんか授業中に読んだりとかね、先生に取り上げられても、また机の中から今度少年サンデーかなんか出して、懲りずに読んだりとかね。
それから当時ね、確かソニーのウォークマンっていうのが出たんですよ、僕が高校の時に。今はね、おそらくスマホで、エアポッドかなんかで、Bluetoothでヘッドホンをしてですね、この授業中に音楽を聞いていると。
で、しかもそれが大音量でね、シャカシャカシャカみたいな音が外に漏れているみたいな、こういう態度をその授業中に取っているとしますわね。
なぜかというと、この子はその先生に猛烈な不満を抱いているからですね。
要はこの不機嫌さというのを、もうとにかくあらわにしているわけです。
で、この彼がね、ひょんなことから、絶対にありえないんですが、前回の番組をね、私のこのポッドキャストですよ、幸せにコミットしましょうっていう番組を聞いたとしますわね。
どういうケースだと聞くかなと考えたんですが、お父さんがこの番組のファンかなんかでね、いつも聞いてくださっていて。
で、どうも息子の素行が悪いと、なんとなくこの自暴自棄に暮らしているんじゃないかと。
この子をね、もうちょっと幸せな高校生活を送らせたいなと思って、おいちょっと来なさいとね、呼んで。
これな、インターネットのラジオで、ミッドナイトラグザって言うんだけど、クラザ乗っている人がね、ちょっといい話しているんで、ちょっとお前聞いてみなさいって言って。
えーとか言いながらね、そのいつも音楽聴いているスマホでこれをかけてくれたとしますわね。
そしたら、この子がね、そうかと、なるほど幸せにコミットすればいいのかみたいに思うかどうかっていうね、こういう問いなんですね。
で、私もこの例え話を思いついた時に、もうすぐに記憶をたどってね、まさに僕もこういう態度をとっていた生徒の一人なので、
その時の自分がこの話を聞いてね、そうか幸せにコミットすればいいのかって思うでしょうかって言ったら、もう絶対にそんなことはしないと断言できるわけですね。
なぜか、もしその時の僕ね、もしくはこの今回の高校生、先生に不満を抱いて、不機嫌さをあらわにしながらね、
いろんなこの良くない態度をとっているこの高校生が、もし幸せにコミットしたらですよ、その瞬間にこれまで続けてきた問題のある素行っていうのかね、これを全てやめたくなってしまいますよね。
そうなると、もうこの強い怒りを感じている先生たちに抗議の気持ちっていうのはアピールできなくなりますよね。
幸せの望まない心の状態とその表現
要はこの高校生が何をしているかっていうと、自分が不幸っていうね、この事実を教師へのリベンジに用いているってことなんですね。
これは要は捨て身の攻撃なんですよ。
要はお前らのせいで俺はこんな不幸なんだよっていうこの感覚をアピールっていうかな、その不幸である自分を見せながらその教師たちにリベンジをしているということね。
本当に捨て身の攻撃ですよね。
だとしたらこの学生にとってこの幸せでない、つまり不幸であるということはものすごく大きなメリットがありますよね。
言い換えるなら彼は全くもって今自分が幸せであることを望んでいないと、そういうことになりますよね。
ここまでストレートに今私は幸せであることを望んでいないみたいなふうに自覚することはそんなにないかもしれないんだけど、
これを少しちょっと曲げた形というのかな、僕らの中でこれをどんなふうに曲げて解釈するかっていうと、
例えば自分に幸せが似合わないんじゃないかっていう感じがする時がありますよね。
なんか俺と幸せってあんまり似合わないよねとかね。
あるいは僕も若い頃そうだったんだけどこの幸せ自体がもうなんかダサいというかね。
暗論としていて全然スリリングじゃないとかね。
あるいは嘘くさいよねみたいな。
幸せなんてあるの?みたいなこんな感じにちょっとご洒落に構えたくなるというか。
どちらにしてもこの幸せという言葉もしくはその状態とかね。
そういうものにまっすぐ向き合いたくない心があるとしたら、
どこかでそうならない方がメリットがあるというふうに感じているんじゃないかなと私は思うわけですね。
こんなふうにお話しするといかにも子供らしいやり方に見えるんだけども、
実は僕らはですね大人になってもこの戦略を手放せずにいるんじゃないかなと思うのね。
おそらく多くの人が今でもこの家族とか上司あるいは友人の前でね、
変な言い方ですけども絶対に幸せでいてやるものかっていうこの抗議の活動みたいなのをね、
したことがあるはずなんですね。
これもまさにさっきの学生がやったようなやり方と同じで、
自分が不幸であるという事実をその相手へのリベンジに用いているわけですね。
捨て身の攻撃をしているわけです。
これによって僕らは何を得ているんだってことなんですよ。
まずね、さっきの高校生でもいいかもしれない。
この高校生はね、先生に不満を抱いていて、そして怒りを抱いているんだけども、
そして実際にそれに対して何をしているかというと、
机に足を乗せて漫画を読み、ヘッドホンで音楽を聞いてね、
授業をボイコットしているみたいなこの行動ですね。
これによって彼は何を得ているのか。
僕らも今でもね、よくやる家族、上司、友人の前で、
この人の前で絶対に幸せでいてやるものかというこの抗議活動というのかな。
これによって何を得ているのかってことなんですね。
例えば悔しい気持ちを晴らしたいというのがあるのかな。
あるいは相手にね、許してないからねっていうことを分からせたいっていうのもあるかもしれませんよね。
もしくはその相手をのんきにね、この幸せにしておくわけにはいかないと。
だから少なくともこちらはね、そうではないんだっていうこの姿勢を貫くんだっていうのもあるかもしれない。
のんきに笑われちゃ困るんだよねっていうね。
よくわかるんですけども、僕もよくやりますからねこれね。
やってきましたから。
わかるんだけども、これ今ね言ったこの悔しい気持ちを晴らしたいとかね、
許してないっていうことを分からせたいとか、
それから相手を幸せにしたくないみたいなこと、
これは何を得ているかの答えにはなっていませんよね。
これは一つの手段みたいなものなんだけども、
得られるものと失われるもののバランス
それによって僕らは何を得ているのか、ここをちょっと真摯に考えてみたいんですね。
高校生は何を得ているんだろうっていう。
おそらくぼんやりしてはっきりしないはずなんですね。
いやいやもうその得る得ないじゃなくて、そうするしかないんだよっていう。
これはまさに前回言った、だってそうしたいんだもんっていう衝動ですよね。
これはわかるんですよね。
でもやっぱりこれだけのことをして、つまりあれですよ、捨て身の戦略ですからね。
自分は不幸であるというこの選択をしながら、何かを得てなければ割に合わないですよね。
だってその反対に犠牲にしているのは自分の幸せですからね。
ここで得られているものと失っているものの釣り合いが取れているかっていうことなんですよ。
僕らはね、もしくはこのさっきの高校生も、もしかしたらこれを3年間続けるかもしれない。
僕らも家族とか上司とか職場とか友達の前とかね、これを数日もしくは数ヶ月、場合によっては数年、自分が望んでこの不幸に過ごすということをやるかもしれない。
これはどう考えても終わりに合わないと私は思うわけですね。
もちろんこれはいつもお話しているように、偽りの自分のおかしな戦略ですよね。
こいつのやることはいつもそうなんだけど、戦い方っていうのは確実に指示してくれるんですよ。
これはまずお前がいかに不幸かっていうことをしっかり相手に見せなきゃダメだと。
それを相手に知らしめるということがまさにリベンジになるんだよ、みたいな戦い方は教えてくれるんですよ。
ただしその結果僕がどうなるのかっていうのは全く考えてない、この偽りの自分というのはね。
しかもそこに責任を負うつもりもないわけです。
だからこれたまたまなんですけどもね、先ほどのこの高校生、要は不良っていうのかな。
その意味でこの偽りの自分の戦略は不良仲間の誘いに本当によく似てると思いますね。
要は帰ろうとしたら、帰って勉強なんかしねえでさ、うち来いよ、うちで遊ぼうぜ、みたいなこの誘いが来るわけね。
ビール飲もうよ、みたいな感じで。
いいね、楽しそうだねと。
で、ふと我に帰って、その後俺はどうなるのって聞かないんですけども、聞いたとしたらそれは知らんよっていうふうに不良たちは言うでしょうね。
このなんか誘いとね、そっくりですよね。
こうやればいいんだよ、みたいなことは言ってくれるんだけど。
それで俺どうなるんですかねって言ったら、いやそこまで俺は知らないよって言って、責任も取らずにスッとこうね。
いなくはならないんだけども、そういうことをやれと言って、無責任に僕にそれをやらせるということですね。
だからこの何が得られるかもわからないね、リベンジの片棒を担ぐのはやめて。
幸せを望まない自分への注意
この片棒ってのは偽りの自分の片棒なんだけども、このリベンジの片棒を担ぐのはやめて、改めて幸せにコミットするという、これが大切なんじゃないかなというふうに思うわけです。
だからまずね、今日のお話として最大のポイントは、このようなことを通して僕らはいつも幸せを望むとは限らないというね、
この悲しい事実なんですが、これを受け入れておくというのがすごく大事な気がします。
油断するとね、なんか自分は幸せを望んでいるんだろうなみたいなことを勘違いしているケースが実は多々あるということ。
でもよーく心の中を覗いてみると、さっき言ったようにね、こいつの場合では絶対幸せでいてやるものかみたいな戦略を僕らは取ってしまうのでね、
だからいつも幸せを望んでいるとは限らないというね、ここに注意を払っておくということですね。
もっと言うと、だから僕は朝一でね、本当に幸せを望むのかということを確認するというね、
だからこの高校生も朝一でもしそれを確認したら、いや望んでねーよって多分答えるしかないんですよ。
で、僕らもね、この大人になった僕らも実はこれをしっかりと自問してみるとね、
うわぁ、ちょっとここのお家では私はそれを望んでないかもしれないとかね、
いや少なくとも職場では望んでないかもしれないとかっていうことに気づけるわけですね。
だからまずはここをしっかり確認するということ、私たちはいつも幸せを望むとは限らない。
だから朝一でね、本当に幸せを望んでいるかということをいつもいつも確認しておくということね。
ここがとても重要なポイントなんだけど、このね、いつも幸せを望むとは限らないというこの不思議な習慣ね、
癒やされることへの怖さ
これによって僕らはですね、実はこの癒されることとか苦しみから救われることに怖さを感じているんですよ。
ここがでかいんですね。もしかして私は今日これを一番お伝えしたかったのかもしれない。
どんな状況であれね、この癒すというのは心と身体だから、
例えば私のようにね、このアレルギー性全族になったら癒されてこれが治る方がいいと望んでいる感じがしますよね。
そしてもし心に苦しみがあれば、これが癒されるもしくは救われることを望んでいるというふうに思いがちなんだけども、
今お話ししたような流れの中で、ここに逆に怖さを感じることがあるということね。
癒されない方がいいんじゃないか、救われない方がいいんじゃないか、もしかして癒されるというのは非常に怖いことなんじゃないかというふうに感じることがあるんですよ。
ここをよくですね、自分の心の中を見張って、そのような怖さがないかっていうのを確認するというのが大事ですね。
これは今ね、お話ししてきた流れをたどればわかりますよね。
僕らはこの傷ついた自分っていうので、リベンジしたい相手の前に立つことにメリットを感じているわけです。
だからここで、傷ついた自分で相手の前に立ちたいと、これを望んでいる時に癒されたり救われたりしたら困りますよね。
場合によっては、先ほどのこいつの前では絶対に幸せでいてやるものか、みたいな願望を抱いているとすれば、絶対に幸せであってはいけないと思うことさえあるわけですね。
そして癒されたり救われたりするというのは、幸せに向かうためのプロセスですからね。
これは非常に怖いなと。
幸せになること自体ももしかしたら怖いなと思っている可能性があるわけですね。
だから幸せであることを望んでいないどころか、これを怖がるという、そういう心をね、僕らは持ってしまうということ。
だから自らこの癒されずにいることを望んでしまうわけですね。
これはグッドバイブスご機嫌な仕事、みどりの本にもね、この話はいくつか書きましたよね。
これもなんかかわいい例えの方がおそらくいいと思いますんでね。
そう、まさにね、今その夏休みが終わったばかりなんだけども、宿題ができてないという子供がいたとしますわね、小学生で。
そうするとたまたまね、その子が修行式の日に熱を出して風邪をひきましたと。
そうしたら風邪が治ってしまうと、宿題やってない状態で学校に行かなければならない。
おそらくこの子はですね、風邪が癒されることを怖がるでしょうね。
このような心を僕らは大人になっても多分持っているわけです。
だから癒されること、苦しみから救われること、そして幸せになることに怖さを感じるという可能性があるんですね。
これをね、よーく自分の心の中で見張っておくというか、そのような心が今自分の中に湧き上がってないかということをね、確認しておく。
これをやらないと、なかなかこの幸せにコミットするというのは難しいでしょうね。
だからこれまさにパラドックスなんですね。
本当はどちらを望んでいるんだろうというのがね、たぶん混乱してわからなくなっている。
だからここで理性というのが必要なんですね。
何が自分にとって幸せなのかを冷静に判断する力というふうに前回お話しましたね。
これは僕の感覚ではですね、本来の自分の欠片みたいなもんだと思うんですよ。
こういう僕らはそのパラドックスに陥っていて、癒されたくない、救われたくない、幸せになりたくないと感じている時には、
間違いなくさっき言ったようなこの偽りの自分の戦略にはまっているわけですね。
戦略にはまっているというよりも誘惑に負けているわけですよ。
そしてその後自分がそれによってどうなるかというね、責任が全く取ってくれないという不良の誘いに乗って遊びまくっているみたいな状態に置かれるわけね。
この時僕らはおそらく理性を失っているわけです。
でもそんな中で本来の自分というのは絶対に消えないんですよ。
これがいなくなることはない。
だから僕らはいつも救われるんだけども、この欠片がどんなにこの理性を失っているように見えても残っているんですね。
この欠片を使って本当に自分にとって幸せな選択は何かというふうに問うことができるということ。
それを思い出すためというのかな。
そのために僕はいつもこの理性を保って衝動ではなく幸せにコミットするというね、前回お伝えしたこのメソッドをいつも使うわけです。
いやーなんかもうなんかなんだかよくわかんないと癒されたくない感じするわみたいな時にね、
小学校小学生のたとえで言うならば風邪ひいたままでいたいよーと思って、
でもそれって不幸じゃねえかっていうことに気づくために理性を保って衝動ではなく幸せにコミットしようということを自分にぶつけてみるわけですね。
これによって僕らはですね、今までお話ししてきた不幸であることにメリットを感じるとかね、幸せを望んでいないとか、
場合によってはこの癒されることとか苦しみから救われることが怖いと感じているというね、まさにこのおかしな状態から抜け出せるこのパラドックスから抜け出せるんじゃないかなと思います。
で、特に先ほどのね、高校生がやっていた自分が不幸であるという事実を見せながらリベンジをするというね、この捨て身の作戦というのかな、戦略。
これをやりたいと思わないためにね、いつもお話ししていることなんだけど、やっぱり僕はこの3つの衝動というのをね、この理性を保って手放していくというのがいいんじゃないかと思います。
3つの衝動の手放し
これがね、いつもの3つですよ。
罪悪感を持ちたい、誰かに罪悪感を持たせたいってやつですね。
自分に罪悪感を持ちたいっていうこの衝動、そして誰かに罪悪感を持たせたいというこの衝動、これが1つ目ね。
それから2つ目、まあこれは1と似てるんですが、自分や他の人を攻撃したいというこの衝動ね。
そして3番目が他の人の言動や目の前の出来事に不満を抱きたいというこの衝動ね。
罪悪感、攻撃不満ですね。
この3つの衝動に変わられたら、できるだけ理性を保ってですね、こちらではなく幸せの方にコミットする、つまりこれらを手放すという方を選ぶというね、これをお勧めします。
なぜかというとね、ここから多分僕らはですね、この3つの衝動からおそらく先ほどのね、捨て身のリベンジというか、絶対に幸せでいてやるものかみたいなところに多分導かれていくからなんですね。
この3つがなければ多分そのような方向にはいかないはずなんですよ。
だからこれに気づき、今この3つの衝動のどれかを抱いたなというふうに感じたらですね、だってそうしたいんだもんっていうこの衝動に変わられたら、いやいやちょっと待てよと、これは多分自分を幸せにしないよねと。
そこに気づきね、ここ堂々巡りになるんですが、先ほどのね、それによって何が得られるっていうふうにここをねじっくり見ていくと、おそらく本当にはっきりとこんだけのメリットがあるっていうものは僕らはあげられないはずなんですよ。
その代わりにこの幸せというのを犠牲にするというね、とても割に合わない選択だと思いますんで、この3つを感じたらそれを手放していくわけですね。
これはですね、自分で手放す必要は僕はないと思っています。
無理だなと思ったらもうすぐに目をつぶるんですね。
そして本来の自分をイメージしてそこに報告していくわけです。
今こんなふうに罪悪感持たせたいと思ったんだよねとかね、今この人ものすごい攻撃したいんだよねとかね、めちゃくちゃこれ不満なんだけどみたいなことを本来の自分に報告するわけです。
で、先ほど言いましたが、この本来の自分の欠片というのが僕らの中にはいつでもあります。
しかも自分の意思でこの本来の自分に報告しようというね、これをやった瞬間にその欠片はどんどん大きくなっていってくれるわけです。
本来の自分が私の中にドッと現れてくれるんですね。
なぜか僕はそれを求めたからです。
いつも僕は偽りの自分を求めてしまっているんですよ。
もうおかしな戦略しか言ってこないのにこちらを頼っているのでね、そちらの言い分ばかりを聞いていると。
ここでまさにこの欠片を使って理性を働かせることによって今こんなね、衝動に変わられているんだ。
おそらくこれは幸せな選択ではない。だから手放したい。
それを手伝ってくれないかな、みたいな感じでしょうね。
これを無理にね、自力でこの考えを手放すとかね、こんな風に考えないとかこんな風に感じないみたいなことを
その偽りの自分の側でやってもまずうまくいかないので
何よりもこれを本来の自分に手渡すというかね、報告するという。
ただしこれは正直にやらないとダメなんですよ。
この時のね、コツというのが一つあって、これも変な例えなんだけども
とある企業がまさにこの私がお話しする通りね、100%幸せにコミットしている人だけを取ろうという風なそんなポリシーを立てたとするわけです。
それはね、外からじゃ見えないので、AIか何かわかんないですけど、駆使してこの幸せ判定マシーンみたいなのを開発するわけですよ。
面接に来た人はね、なんかその嘘発見機みたいな感じで
その体のどこかに電極か何かをつけられて話している間中ね、このセンサーがこの僕の幸せ指数を測るわけです。
でも僕の中にはね、なんかさっき言った罪悪感とか攻撃したいとか不満みたいなものがね、あるって自分でわかるわけですよ。
そうすると、やばいこれじゃ100にならないなとかって困っているとですね、もうさすがにそういう時代になると
ご安心くださいと、あなたのその幸せでない考えが、もしくは幸せでない心が
センサーに反応しないように、それをブロックする装置を作りましたみたいなことをね、こう出してくるわけね、そういうものを。
僕は当然それを買ってですね、どうやって入れるのかわかりませんが、それもなんかこう服の下にね、つけてね。
ここにあなたのね、そのまさに罪悪感とかリベンジしたいとか、先ほど本当は幸せを望んでいないんだみたいなこの捨て身の戦略みたいなのがあったら
そこにこのシールを貼ってくださいとかって、そういう製品があったとするじゃないですか。
この自分が隠したいと思うものっていうのを日々正直に見つけるようにするわけですね。
もしこの企業の面接で幸せ指数100%センサーっていうのがあったとしたら、自分は何を隠すだろうなとね、そのサードパーティーが出した
それをブロックする装置みたいなのに、自分のどんな心、どんな考えを収めておくだろうかっていう風に、いつも自分の心なり考えなりを見張っておくわけですね。
これを正直に見つけて本来の自分に打ち明けるということです。
これは絶対に持ってはいけないとかそういうことではないですね。
でも生きていれば多かれ少なかれ、この幸せに反する考えというのを僕らは持ってしまいます。
これは仕方がないんですね。
これを自分自身に隠しておかないということです。
幸せを望まないというテーマへの挑戦
これを隠しておいてしまうと、先ほどお話ししたような、癒されることとか苦しみから救われることを無意識のうちに怖がるという方に心が行ってしまうのでね。
これをいつも自覚しておいて、持ってもいい、全然持ってもいいと。
でもこれを必ず自分で見つけて、正直に見つけて、今自分はこんな風にこういう衝動を持っているなと思ったら、
それをしっかりと正直に見つけて本来の自分に打ち明けるという、こういう習慣をつけておけばいいと思います。
これだけでね、今日のテーマである幸せを望まないというね、実は私は幸せを望んでいないんだというこの捨て身の戦略からもね、おそらく解放されるんじゃないかなと思います。
この辺を合わせてね、前回からお話しし続けている理性を保ってね、衝動ではなく幸せにコミットするというトライをね、ぜひやってみてください。
まさにこの自分を知るということなのかな、そしてまあそれを責めてはいけない、それが私たちです。
まあ捨て身の戦略をやってでもね、気持ちを晴らしたいと思うのが僕ら。
でもそれは先ほどお話ししたように、何を得られてるんだろうな、それでっていうことをね、真摯にこう検討してみると、
実は犠牲にしている幸せに比べるとね、もう本当にあるかないかわからないようなものしか多分思い浮かばないはずですね。
だからそのような衝動に駆られたときはですね、本来の自分の欠片、すなわち理性を使ってですね、
毎回毎回何が自分にとって幸せなんだろうっていうことをね、問うと、そしてその出てきた答えにコミットするということをね、おすすめしたいと思います。
そしてこれがうまくいかないとしたら、まさに今日のテーマであるね、本当に自分は幸せを望んでいるのかなっていうところに立ち返って、
そして捨て身のリベンジみたいなことをやろうとしていないのかっていうところをしっかり確認することですね。
癒されること、救われること、そして幸せになることを怖がっていないだろうかなっていうことを確認するということです。
理性を使って幸せにコミットする
まあよかったらやってみてください。
今週末はですね、例によってまた3連続のイベントがありまして、このうちのボイトレとデッサン教室はですね、ほぼ埋まりましてね、おかげさまで本当にありがとうございます。
ただこの16時土曜日のね、絶対に書きたくなる3時間の執筆レッスンだけがまだちょっとガランとしてましてね、
昼の部が1時半から、そして夜の部が5時45分からという2部制になっていて、両方とも店員5名なんですが、まだ空きがありますんでね、
よかったらこちら、文章を書くのが好きな方、それからこれからちょっといい感じで文章を書いてみたいなと思っていらっしゃる方はですね、ぜひご参加ください。
これは一言で言うとですね、どんなジャンル、例えば料理とか音楽とかスポーツでも共通すると思うんですが、あるところ深掘りしていくとですね、これまで以上にそれが楽しくなるというね、こういう現象がありますよね。
じゃあ文章はどこを深掘っていくと、いやなんか文章を書くのって面白いねっていう風に感じられるかっていうね、そこのポイントをお伝えしたいなと思っていまして、だから絶対に書きたくなる執筆レッスンというようなタイトルをつけてるんですけどもね、
だからなんとなくね、ずいぶんとこのブログとか続けてきたんだけども、書く面倒くささの方が強くなってきているとかね、興味がなかなか見出せないみたいな方は多分これがね、一つの書く楽しさを蘇らせてくれるきっかけにできるんじゃないかなという風に思っています。
なのでよかったらぜひご参加ください。それから私のワントレ2ですね、これが秋のキャンペーンが3枠で始めたんですが、おかげさまで一つ埋まりましてね、あと2枠になりました。
このワントレ2はね、まさに前回と今回お話したこの幸せにコミットするというのがね、一つのゴールであり、それから具体的に実践していく内容にもなりますね。
まあこれもその人によってというかな受講者によってこれをどんな風にこの当てはめていくのかっていうのがいろいろあるんですけどもね、例えばこれをね日々の暮らしの中に置いてみると、1日を通してね、身自宅に手を抜いてないか、風呂には入ったか、好きな服を着たか、粗末な食事で済ましていないか。
美容院に行くのをサボっていないかとかね、部屋の汚れから目を逸らしていないか、休憩は十分にとっているか、みたいな自分の幸せに関連しそうな事柄をチェックしていくんですね。
そうするとこれだけでもですね、生活のありようっていうのがね、がらりと変わって、この辺からまずは幸せにコミットしましょう、みたいなやり方をすることもあります。
もしくはね、放置している仕事、これはどうなのよ、みたいなところでこの幸せにコミットするとどうなるか、まさに前回のJackpot Timeのような使い方もできるし、これをね、通して私はそのコミットするお手伝いをするようなね、そんな役割を担っているんだと思います。
よかったらこちらもですね、ぜひトライしてみてください。
じゃあ今日はですね、とにかく最初にですね、私は本当に幸せを望んでいるかというこの問いですね、これを立てて、うん、怪しいぞと思ったらですね、いやいやいや、もうこの捨て身のリベンジはやめましょうということでね、
ここをしっかりと修正しながらね、改めて理性を失わずに衝動ではなく幸せにコミットするというね、この選択をしながらいい一日をお過ごしください。ありがとうございます。
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