1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 128 すべてのものには意味があ..
2023-06-05 44:06

128 すべてのものには意味がある。でも私はまだそれが何かを知らない!

今日は『グッドバイブス ご機嫌な仕事』に書いた「意味づけ」の話の最新版をお届けしています。この世界のあらゆるものには白紙のタグがついています。そこに「本当の意味」が浮かび上がるまで、自分で説明を書き込まないようにすればいいのです。番組でお知らせした「描写力を磨いて伝わる文章を書く3時間レッスン」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes20230610.peatix.com

無意味の捉え方からのアップデート
グッドバイブス ミッドナイト楽座 倉園佳三
グッドバイブス ミッドナイト楽座 倉園佳三
こんばんは、ただいま6月5日月曜日の午前2時1分ですね。
今日は、グッドバイブスご機嫌な仕事というね、私の緑の本と呼んでいる本があるんですけども、
この中に意味付けというね、話が登場するんだけども、これをですね、ちょっと改めてこのバージョンアップというかね、アップデート版のお話をしたいと思っています。
というのも、先週かな、先週のこのワントレ、私のワンオンのセッションでね、何度かこの話題が登場したっていうのがあって、
それでその緑の本で書いていた文脈とはね、ちょっと違うというか、そういうお話をね、立て続けにして、
そしてもう先週ぐらいから、来週は月曜日はこの話だろうなと思っていたんですね。
そしたら、今日はその日曜日ね、日曜日は書き上げ塾第8期のね、第3回目の講義だったんですね。
これは神保町でリアルにやるんですけども、遠方の方はね、オンラインで参加していただいて、
この中で、なんと受講者の方がね、ある質問をしてくださってね、
私は今日夜この話をするというふうに決めてあったんでね、この同じ話をするのはどうかなと、別にしてもいいんですけども、
なんか違う言い方でその質問に答えたいなと思っていたんですけども、やっぱりこれがどんずばなのでね、
先にもうこの神保町で多分これと同じ話をね、そんなに長くはないんだけど話してきたんですね。
だからまあやっぱりその流れとしてこういうことになるんだなというわけでね、今日は忌み付けについてお話ししたいと思います。
それで何がそのアップデートしているかというとね、緑の本ではとにかくその僕らはね、無意識のうちにこの忌み付けというのをしているのでね、
ここに気づくというのと、それがものすごくもう習慣になっている。もうなんていうのかな、ほとんど空気を吸うかのような習慣になっているんで、
まずこの無意識の忌み付けに気づき、この習慣を修正するためのね、ある種の捉え方のコツのような意味で、
人や出来事に決まった意味はないというふうに書いたんですね。
このように捉えておけばね、元々人とか人が発する言葉、そしてあらゆる出来事、そしてもうそのものですね、
僕らの周りにあるもの、あらゆるものに元々決まった意味などないというふうに捉えておくとですね、
そこに何か自分を苦しめる意味を感じた場合に、あれあれ意味がないのにどうして僕はこれに意味があると思っているのかなということで気づけるわけですね。
何かこれムカつくみたいなね、ムカつくという意味を自分が付けているなぁと、あれあれでも元々決まった意味はなかったということは、
これは自分が付けた意味なんだというような流れで気づくというね、その捉え方のコツのような感じで、
人や出来事に決まった意味はないという前提を持つというね、これをお勧めしたんですね。
でもこれは実はですね、事実とは反しているんですよ。
これはある種のテクニックなんだけども、テクニックだけに事実と反しているんですね。
実際にはどうかというと真逆なんですよ。
この世界に意味のないものは一つもないんですね。
これが実は本当に事実としての前提なんですね。
今日はここから始めるっていう、これがアップデートされているというポイントなんですね。
真実に向き合う
以前は人や出来事に決まった意味はないというある種の事実とは反しているんだけど捉え方のコツのようなところからスタートしたこの話はね。
でも今日はこのテクニックを使うんじゃなくて、ある意味この真理というかね、本当のことに真正面から向き合う。
つまり実際にはこの世界には意味のないものなど一つもないというところからね、この話をスタートしてみたいと思うわけ。
こちらの方がですね、実は最近僕はこちらの方がややさっきの捉え方のコツよりもシンプルではなくなるんだけども、
受け入れやすいというかね、もともと意味がない、この人や出来事に決まった意味がないというのが受け入れるのが大変だったりするし、
ここにやっぱり最初から抵抗を感じてしまう。
もともと僕らは無意識に意味付けをしてますからね、それをバッと否定されるような前提でもある。
でも結局は同じなんですけどもね、でもあえてちょっと入り口はハードルが高くなるんだけども、
納得の仕方というのかね、腹打ちの仕方がこちらの方がいいかなと思って、
最近僕はこの、実はこの世界に意味のないものなど一つもないんだ、ここから始めるようにしてるんですね。
まず皆さんが生きていることですね、この世界に誕生したこと、
それぞれのこの番組を今聞いてくださっている皆さん、ここには必ず意味がありますよね。
そして私が今このポッドキャストでこの話をしていること、おそらくここにもなんだかの意味があるんでしょう。
こんなようにね、もう僕らが存在していること自体、ここに必ず意味がある。
だから意味のない人などというのはね、この世におそらく一人もいないんですね。
全てには意味がある
もちろん人だけではなく、さっき言ったようにあらゆる出来事、これには多分全て意味があるんですよ。
そしてものですね、今私の目の前にあるパソコン、それから文房具、そして今オレンジジュースがコップに入っています。
それから窓を開けているんでね、ここから今ちょっと涼しい風が吹いている、この今吹いている風ですね。
それから私の部屋の壁、白い壁にはいくつかシミがポツポツと付いていたりする。
これにもおそらく全て意味があるはずなんですよ。なんだかの意味があるはずなんですね。
例えば、私が今家から駅まで通うこの道は遊歩道なんですよ。
ここに時々ペットボトルの殻のやつがポンと落ちているんですね。
歩いているとパッと目に入るんですよ。
要はこの道端に落ちているペットボトル、これに意味があるのか?あるんですよね。
これにも必ず意味がある。
まずそれを捨てた人というのがいますよね。
その人がなんだかの心の動きの中でペットボトルをそこに捨てたんですよね。
ここに必ず意味がありますよね。
それをすることによってその人が何かを感じる。
そして僕はその人のことは知らないんだけども、捨てられたペットボトルを目にしている。
これは実際私は大体拾うんですよ。
なぜ拾うかというと、大好きな遊歩道だからなんですね。
存在の意味について
僕にとってはこれはもう自宅の庭と同じで、ここにペットボトルがあったら拾うということをやっているわけですよ。
別にボランタリーな気持ちとかそういうのなんじゃなくてね。
ここは綺麗にしておきたいなと。
結構早めに見つけてしまうとね。
12分の道のりかな大体そのぐらいなんだけど。
そこをずっと空のペットボトルをね。
しかも誰が飲んだかわからないようなものを手にしていなきゃいけないんで。
あまり心地の良い行為ではないんですよ。
でも捨てるゴミ箱が一つ駅の近くにありましてね。
そこまで持っていくと。
ポンと捨てると割とそれなりに気持ちがいいと。
俺の言うほど今日も綺麗に保ったなみたいなね。
大きな意味がそこにあるんですね。
それからそうですね。
例えば私が1962年8月に北九州の八幡というところで生まれたんですが。
これにも多分意味がある。
この青年月日とかね。
そういう場所とかそういうものにもおそらく意味があるんでしょう。
全部この世界には多分意味のないものはないんですね。
全てに意味があるんですよ。
ただしここからが重要なんですね。
この意味はあるんですが。
これはおそらくですね。
私がよく言うこの宇宙の死んだ場所から生まれたものですからね。
全てね。
人が作ったものも宇宙の死んだ場所から生まれた人が作ってますからね。
おそらくここにもその繋がりがあるはずなので。
広がっているはずなので。
この宇宙の死んだ場所の意図のようなものなんですよ。
その意味というのはね。
だから僕らが簡単に理解できるものではないんですね。
おそらくこの宇宙の規模で見るとね。
宇宙には塵みたいなものがあると思うんだけども。
ここにも多分意味がある。
そして僕らの体をね。
今は深々とこう覗いてね。
もうなんか脳の細胞の一つ一つを研究するようなね。
そういう科学が進歩してるんだけども。
僕らの体の中にもなんでこれがあるのかっていうようなね。
そんな部品もありますよねきっとね。
でも意味があるんですよ。
それがわからないからまさにこの科学は解明しようとしてるんですね。
意味の発見と自己評価
ここが重要なポイントなんですよ。
この世界に意味のないものなど一つもないんだけども。
それはこの宇宙の森羅万象の意図のようなもので。
僕らが簡単に理解できるものではないということね。
これ例えるならば。
これは僕はいつもそういう感じがするなと思うんですが。
つまりこの今ね。
私が道端に落ちてるペットボトルとか。
もしくは私自身ね。
クラゾの形像というこの人間。
それからこの番組を聞いてくださっている皆さん。
胸のところにIKEAの家具とかについてる商品説明のポップってあるじゃないですか。
タグでもいいんですけどもね。
服とか買うと背中の後ろのところにメーカーとかサイズとかね。
あと何でできてるかとかね。
0,4なのかメンなのかとかっていうそういう説明が書いてあるじゃないですか。
あれがついてるってことなんですよ。
これが本来の意味というかね。
宇宙の死んだ万象の意図としての意味。
本当の意味というのかな。
それがこのポップというかね。
タグに書かれてるんだけども。
それが僕らには分からないとすれば。
パッと見すれば白紙に見えるんですね。
だからあらゆるものあらゆる人あらゆる出来事には白紙のポップがついているっていう風に見るわけです。
これに最初戸惑うわけね。
なんだこれはって。
全部白紙のポップがついてるんでね。
だからこれをして私は人や出来事に決まった意味はない意味はないという風に緑の本で書いたんですね。
白紙だから意味がないのと同然なんだけど。
でも実際にはこのポップにはある文字が書かれてるんですよ。
ただ僕らはそれをすぐに見ることができない。
でも焦らないで対象と向き合っていれば。
これは時間の問題なんですね。
いつか必ずそこにじわじわじわじわって本当の意味が浮き上がってくるんですよ。
文字がね。
偽りの自分の苦悩
そして僕らはそれを見た時にこれが本当の意味だったのかっていう風に気付けるっていう。
こういう関係になっているってことなんですね。
意味のないものはない。
だけどそれらは僕らにとって簡単に理解できるものではない。
だからまるで商品説明の白紙のタグみたいなもの。
ポップみたいなものね。
これが貼られてるわけですね。
ここに最初からわかるような文字で書いておいてくれればいいんだけども。
なぜかそれが見えないようになってる。
だから焦らずにそれと向き合っていれば必ずその本当の意味っていうのが浮き出る時が来るんですけどもね。
ところがどっこい。
ここでですね。
いつもこの番組で出てくる偽りの自分というのがね。
待てないわけですよ。
嫌だと。
どっこくも早くこの意味を確定したいっていうふうに躍起になるんですね。
なんでだろう。
一つはわからないのが不安っていうのはありますよね。
わからないものと向き合っていることほど不安なことはない。
この偽りの自分はとても恐れや不安を抱えているっていうかね。
恐れや不安を原動力にして生きているような自分なので。
とんでもない人。
この白紙のポップ困るよね。
だからおそらくこれは僕の感覚なんですね。
僕が自分でこの白紙のポップを見たとき。
つまりなんだこれはってね。
その本当の意味がわからないっていうときに何を感じるかっていうと。
なんとなくこう自分が無知っていうかね。
無能になったようなそんな感じがする。
これがなんだか俺はわかってないじゃんっていう。
この俺は無能じゃん無知じゃんっていうね。
多分そのように自分で感じること。
もしくは他の人からね。
いやお前そのポップなんて書いてあるかわかってないんでしょみたいなことをね。
その言われる思われることも恐れているんじゃないかな。
そんな感じがする。
要はこの偽りの自分は一刻も早くね。
意味付けと本来の意味の調和
このタグの意味をね。
見たいと焦ってしまうんですね。
でそこで何をするかというと。
その文字が本来の文字が浮き出てくる前に自分でそれを書いてしまうんですよ。
自分でそれを決めないとまずいよねっていう。
まるでこれはだからなんかこれも私の感覚なんだけど。
この宇宙の森羅万象の意図が本来の意味だとすると。
そことその自分で決めたいというこの意思がね。
競い合ってるような感じね。
なんか先に書かれちゃったらまずいよ。
だってこれも嫌いだもん。
俺はこれを見て今嫌いというポップを書きたいんだと。
だけども本来の意味があなたにとって大切なものですよとか出てきてしまったら困ると。
いやいやだからそれはその文字浮き上がる前に先に嫌いと書いてしまえ。
っていうねそんな感じ。
だから本当は白紙の文字がいつか浮き上がるんだけどもこれを待てなくてね。
自分でこのカードに納得できないとかね。
ムカつくとか失敗だったとかね。
これはとても危ないみたいな説明を勝手に書き込んでしまうってことですね。
これが意味付けなんですよ。
この本来待っていればね。
必ず本当の意味が浮き出てくるこのタグ商品説明のタグポップにね。
それが待てなくて。
もしくはそこに自分以外の何者かに書かれたくなくて。
自分自身で書き込んでしまう。
これが意味付けなんですよね。
でまぁ余談ですけどもここにねこのペンで詳しくね。
一文字ずつこれはこういうもので僕はこれを避けなければならない。
一刻も早くここから逃げ出さなきゃいけないみたいなことを書くっていうパターンもあるんだけども。
これが僕らはね。
無意識のうちに意味付けが習慣になってるんで。
もう手元にね。
なんつうかな。
ハンコみたいなものを持つだりするんですよね。
書くのがめんどくさいから。
はい嫌いパンみたいなね。
こいつダメパンみたいなね。
こいつ使えないやつパンみたいなことで。
ハンコで押す。
使い回してるみたいなね。
そういうイメージもありますよね。
まさになんていうかな。
意味付けのハンコみたいなね。
そういうものを心の中に持っておいてね。
もう書く書く間もなくはいはいもうこれ押せばいいからパンみたいなね。
そういう感じ。
これがまあ意味付けなんですよね。
本当の意味が浮き出てくる前に自分の意味をそこに書き込んでしまうんですね。
そうすると何が起こるかというと。
この本来の意味というのは多分非常に調和の取れた意味なんですよね。
これはこのようなものとしてここにあるんだよ。
この人はこのようなものとしてあなたの前に現れたんだよっていうそういう意味が書いてあって。
それが浮かび上がるはずだったんだけども。
そこに自分で勝手な意味をつけてしまうことによってその対象はですね。
おそらく無意味なものになってしまうんですね。
それはそうですよね。
本来の意味ではない意味を僕らが勝手に書いてしまったわけだから。
それはもう無意味なものになってしまうわけね。
簡単に言うとパソコンっていうものがね。
道具が僕の前にあります。
これはまあなんとなくもうだいぶ浮かび上がってきていてね。
文章を書く非常に重要なツールである。
それからネットを使って情報を得るツールである。
それから私が情報発信をするためのツールであるみたいな。
その本来の意味まだまだあるんでしょうねきっとね。
そこがこれからどんどんどんどんその後の行に浮かび上がってくるんだけども。
僕はそれは待てずにこれはただの鉄の箱だと書いたとしますよね。
これは本当に何か触るのが覚えるのがめんどくさい。
まさに僕がパソコンを最初に買った時みたいなそんな印象。
こいつは何かこの自由自在に使えないただのあまり役に立たない箱だという風にこのタグに書いた瞬間。
まさにパソコンは無意味なものになってしまうわけね。
そういうことをしているということなんですよ。
これはおそらく人物出来事すべてに当てはまると思います。
本来の意味ではない意味をつけたそこに書き込んだ瞬間におそらくすべてのものは意味があったにもかかわらず僕らにとって無意味なものになってしまうんですね。
これが僕らを怖がらせているってことです。
無意味なものは怖いんですよね。
そもそも白紙なのが嫌だと言って自分で意味を書き込んでしまった。
それは何か無意味なものと一緒に付き合えないからですよね。
だからここに意味を持たせたいと言って自分で書いてしまったんだけどもそれによって僕らは無意味なものを生み出してしまっているということ。
これが僕らを困らせているんですね。悩ませている。
まあ怖がらせていると言ってもいいかもしれない。
無意味なものへの恐怖
ちなみに僕は5歳の時にセキリという方程伝染病だったので当時は変になりまして
これはですね私のばあちゃんがどうも母親が言うには悪くなった傷んだパイナップルの缶詰を僕に食べさせたのが原因だよくわかんないですけどね。
まあ母親はいつもそう言い聞かせてました。
そんなことを言わなきゃいいんだけども私はそれをずっと聞かされて育ったのでね。
もうなんというかね子供の頃からこの傷んだものというのにねすごく敏感になってまして
そうなるとやっぱり人間の体ってのは不思議でね鼻とか舌とかがめちゃくちゃ効くようになるんですよ。
だから普通の人であればこのぐらい大丈夫じゃないっていうぐらいのねちょっとした味の変化が僕にはもうダメなんですね。
牛乳とかあらゆる食品ね。
なんというかなちょっとこうわかりますよね。
なんとかやばこれやばいぞっていうあの雰囲気匂いとかねちょっとした味。
あれをでもあの中にも政府のやつあるはずなんですよ。
であと僕は相当敏感になってるんで全然普通の人は感じないようなちょっとした痛みも僕はね食覚味覚か味覚と嗅覚で感じ取ってしまうんで。
過去のトラウマと感覚の敏感化
食べながらこれはやばいぞっていうねその意味をねその食品にすぐ書いてしまうんですね。
もしかしたら本来のそこのなんつーか意味かなその食品についている拍手のタグ待っていればね普通に何もせずに待っていればまだ大丈夫だよっていう意味がついてたのかもしれない。
これがあなたにとてもいいタンパク質をもたらしますみたいな意味がついてたのかもしれないんだけど。
僕はそれにもう早速今でもですよ書いちゃうんですね。
これ絶対痛んでるわやばいわとかつってね。
でえっと4日前かなとあるスーパーでごまだれシャブシャブパックみたいなのを買ったんですよ。
まあ要はあのね一つのケースに入っていてそれをレンジに入れてチンってするとごまだれのシャブシャブ一人分みたいなのができるっていうねそういうこれがすごくおいしくて。
僕は最近お気に入りでよく買うんだけどこれがですねちょっとあったかい気候だったのかわかんないけど持って帰る間にちょっと痛んだっぽかったんですね。
で特にこのごまだれのところが僕の味覚によるとあこれちょっとやばいよぐらいの感じだったんですよ。
ただ僕はお腹が空いていたのでねこのごまだれがあんまりこうかかってないところをはしょって避けてね。
それであの自分でポン酢を用意して食べたんですよね。
でもちょっとごまだれが浸食してきてる。
大丈夫かなって舐めてみるとやっぱ僕にはこれはダメだなっていう感じの味がするんですよ。
で恐らくこれは一般の方だったら全然セーフな感じ。
賞味期限ないですしね。
今日の何時までに食べてくださいというまだ全然余裕の時間だったんで。
でも僕はそれを食べながらもうこの白紙の手繰りねもう残念なことにこれは少し傷んでましたと。
で恐らくこれを食べたら私はお腹を壊すんでしょうみたいなもう説明を意味を書いてしまったんですね。
待ちきれないというかねその待つ気もなくねもう口に入れてますからね。
そしたら面白いことにちゃんと翌日ねお腹を壊すんですね。
これがまあなんというのかなこの僕らが白紙のタグにね自分の説明意味を書いてしまう。
そしてそれが自分を怖がらせてね。
そしてそれに従って体も反応してくれるというねとても良い例なんですけどもね。
まあだからこの世界にね意味のないものは一つもないというところから始まる。
そしてただしこれはこの意味というねこの世界に意味のないこの意味は宇宙の神羅万象の意図のようなものなんですね。
まあこの世界の調和を保つような意味がおそらく記されていて僕らにはそれは簡単に理解できるものではない。
だから捉え方としてはね自分と他の人そしてそれを取り囲む環境それからすべての出来事ですね。
これには本来の意味を記した白紙のタグが付いているという風に捉えておくんですね。
そしてこの白紙のタグはいつか必ず本来の意味が見えるので浮き上がってくるのでね。
ブチワーっとね隠し文字のような感じで。
何だろう昔のこの火で炙って文字が出てくるみたいなそういうのでも何でもいいんですけども。
いつか見えてくるんでそれまで自分で勝手な説明を書かないようにするということが大切なんですね。
で書いてしまうとさっき言ったようにねこれは本来の意味を失い上書きされてしまってますからね。
僕らの説明によって無意味なものになってしまう。
それが私のそのブタシャブみたいに僕らを怖がらせるということね。
だからこの重要なのはこの白紙のタグを白紙のまま置いておくってことなんですよ。
本来の意味が浮かび上がるとき
字が浮き上がってくるまでね。
ここで多分偽りの自分はそれじゃ間に合わないだろうっていう風にイチャママをつけてくる。
まさにこれが偽りの自分の焦りですね。
なぜ焦ってるかはさっきお話しした通りです。
ここでねじゃあ間に合えば間違っててもいいのかってね聞いてあげるわけですね。
あるいは間違った意味でも早ければいいことあるのっていう風に聞いてみるんですね。
そうするとないってことが多分わかります。
今僕ちなみに夜のねクーリングダウンタイム、クールクールダウンタイムはキングダムを見直してるんですねアニメの。
このキングダムって昔の話なんで人が歩兵とかでね戦うするんだけどここに伝令が言ったとしますね。
今ちょっと敵味方どちらが優勢か見てこいって言ってね。
そうするとタグが貼ってあるんだけど白紙なんですよ。
敵と味方のねこのまさにこの戦う様相にタグが貼ってあるんだけどまだ死優が消していないので白紙のままなんですね。
でもいやいや早く伝えないと怒られるって言うのでパッと見て劣勢ってときは間違いねえかと。
優勢って言っといて負けてたら大変なことになるんで劣勢と言っといて勝ってたは逆転したってことになるじゃない。
じゃあ劣勢でいいやつってただいま劣勢ですと報告する。
早ければ間違っててもそれでいいみたいなねこういうことですよね。
つまりねこの間に合わないじゃんって言って自分で意味を書き込んでしまうっていうのはね。
だからこれはどう考えてもその間に合わないじゃんとかっていうことの都合に合うものではないんですね。
そして間に合うんですよ。間に合うようにちゃんと本当の意味が浮かび上がるようになってるんですね。
だから調和が取れてる。
でしかもですねここからが重要な話なんですよ。
本来の意味の種類
これは前の意味付けの話にはなかったんだけどもこれは私がですねこの取り組みをもう随分と続けてなんとなく確信を持ってたのでね。
あえて付け加えるんだけどもこのじゃあ本当の意味が浮かび上がった時に何が書かれてるか。
僕らが書く説明意味というのは多分千差万別もう本当にもう人によっても違うし状況によっても違う。
もうそれこそ何十億通りの意味付けがそこにされるんだけども。
この本来の意味というのは僕が今まで経験した中では3つしかなかったんですね。
たった3つしかないんですよ。
その一つは喜びですね。
この物事出来事この人との関係出来事ねあらゆるその僕の周りにあるもののタグの中で一つ現れてくる意味は一つは喜びです。
そして2つ目は平安です。
これは平安という意味が書かれてたんだなっていうね。
それからこの喜びと平安とで最も遠く見える場合。
例えばなんか僕がねとても酷い目に遭っていると現実としてね。
例えばまああまり良い例ではないんだけど交通事故に遭って入院してるとかね。
音楽活動の意味付けの変化
病気で寝込んだとかね。
これはちっとももう見た目全然良くない感じがするんだけど。
こういう喜びと平安と最も遠いように見える場合これが3つ目なんですけど。
これは穏やかな学びなんですよ3つ目はね。
まあいわゆる攻撃を伴わないっていうかな。
僕が何かそれ以上苦しまなくていい穏やかな学び。
そういうことだったのかっていうことを学ぶっていうね。
この3つしかないんですよ不思議なことに。
だからシンプルなんだなと。
まあ大きく分けるとこれ2つしかないってことですよね。
喜びと平安ってのはほぼほぼ同じなんでね。
でもちょっと違うんですね。
喜びと平安っていうのはちょっと違う。
これは嬉しかったなっていうようなことこれが一つ。
そして至って平安でこれに接していいんだなっていうね。
これが2つ目。
そしてもう一つは穏やかな学びです。
これをやったことにこういう学びがあったんだなっていうね。
そんな感じです。
まあ例えばそうですね。
私の例で言うと32歳で音楽を辞めたんですね。
相当命がけでやってた。
だからこれを32歳で辞めた時にはね。
まるでどんなタグがね。
この音楽活動。
僕の音楽人生っていうのはどんなタグが付いてるのか全くわからなかった。
まあ白紙ですよね。
でももう若い頃はここに早々とね。
失敗、挫折、間違った選択みたいな説明を自分で書いていたんですね。
まあそれで相当この頃は落ち込んでいましたね。
夢破れたという感じ。
まあ私の挫折の一つ目なんですけどもね。
ここがね。
その後編集者になって。
編集者を通ってかな。
編集者を辞めてまた音楽活動を再開し。
またよくわからないタグが付き。
喜びと平安と穏やかな学びの意味
それからコンサルとかね。
ブログを書いたり本を書いたりして。
この辺りがまあ第2、第3の人生ぐらいになるのかな。
でまた音楽活動を再開して。
またよくわからないタグを付けて。
タグが付いていて。
まあいろんな意味を掃除も僕も書いていてね。
それから2019年にこのグッドバイブスの活動を始めてもまだわかんない。
ところが昨年あたりね。
このラクザシリーズというのを思いついて。
ボイストレーニングをやってみようって。
これを思いついたあたりから。
ようやく一つね。
全てがここに繋がっているというね。
そういう文字が浮かび上がったように見えたんですね。
まだ残念ながらその全貌は見えてないんですが。
この音楽をね。
諦めた辞めた直後に比べれば。
全然文字量が増えてるんですよ。
当時は真っ白だった。
そこにね。
自分で失敗出せず間違いみたいな説明を書いていたんだけども。
まさにこのグッドバイブスを書いて。
この意味付けをね。
一度スッと白紙に戻して。
あとはここから文字が浮かび上がるのを待っていようと思いながらね。
いろんなことをしていたら。
ボイストレーニングみたいなことにたどり着き。
その前にラクザライブっていってね。
僕が引き語ってトークをするみたいなイベントも何回かやったんだけどね。
そういう中で全てはそこそこに繋がっているんだよというような意味が見えるようになったんですね。
これはさっき言った喜び平安穏やかな学び。
どれだろうなと思ったら。
まあなんとなく僕の中では最後の学びでもありそうな感じがするんだけど。
不安や怒りに向き合う上での重要性
今はちょっと喜びに近い感じですね。
少なくとも平安よりはちょっと喜びに近い。
だからこの僕にとっての音楽活動。
音楽を辞めてそして今に至るというね。
僕と音楽の関係はやっぱり今日この現在ね。
喜びという意味が浮かび上がっているような感じがしますね。
こんなにね失敗挫せず間違いみたいなことをつけやすいようなものでも。
結局はやっぱり本来の答えはね喜びだったりする。
この本当の意味がわかったとき僕らはね。
これは緑の本に書いたように災い転じて福と成すと呼ぶんですね。
でもこれは決して転じたんじゃないんですね。
僕らが先にね災いと書いてしまっただけで本来の意味は福だったということです。
だとしたらですよ。
やっぱりこの災いという説明をつけてね。
ここで思い悩んでた時期っていうのはいらないんじゃねってことになりますよね。
ここを通らなくても福にたどり着ける。
つまり福だとしたら多分平安か喜びですよね。
学びも福なのかもしれない。
この3つしかないんだとすれば待ってりゃここに来るんだとすればね。
そこにその途中にね勝手な失敗挫折間違い災いみたいなことを書かなくていいんじゃないかなということですね。
これがあの一連のね意味付けの話なんですよ。
そしてこれをうまいこと使ってこれもいつものワークみたいなものなんだけど。
不安に思うこととかね怒りを抱くみたいな状況になった時にこれは確実に自分が多分不安だとかね腹が立つと書いてるに決まってますよね。
だってまだその浮かび上がってきてないわけだから。
そして浮かび上がった時は僕が言うには喜び平安穏やかな学びのこの3種類しかないわけだから。
そうじゃない感覚をこの対象に抱いているっていうことはね。
もう間違いなく何かタグに自分で説明を待ちきれなくて書いたに違いない。
これが発見できるわけね。
ここをそのように捉えておくというシンプルにしておくことが重要なんですよ。
いやいや今回は本当の意味は不安じゃねえか。
いや怒りじゃないかっていう風にしてしまうともうこの本来の意味が浮かび上がっているのか。
それとも自分で書いてしまったのがわからなくなるのでね。
ここの本来の意味は平安喜びそして穏やかな学びこの3つしかないはずだという前提を持っておくことが重要なんですよ。
これは別にポジティブシンキングでもなんでもなくて。
僕は本当にこの取り組みの経験から得たね。
この3つ以外の答えはなかったなっていうここに必ず行き着くんでね。
これをこの取り組みの前提として持っておいていただいて。
白紙のタグで見る世界
そしてそれ以外の意味を自分がつけたんじゃないか。
つまり不安な感じがする。
怒りを抱いている。
ものすごく残念な感じがするっていうこの心を感じたらこれは私が白紙のタグに自分で説明意味を書き込んだんだなっていう風に気づくわけですね。
そのようにすると気づくことができる。
そう気づいたらあれこれ考える前に例えばお金に不安を感じているとしますね。
具体的に出したほうがいいんですよ。
お金に不安を感じるのは私がそのタグに自分の説明を書き込んで無意味なものにしてしまったからだっていう風に頭でつぶやいてみるんですね。
例えばこれは受け入れがたいかもしれないんだけども。
例えばある上司に怒りを感じるとそういう時にこの上司に怒りを感じるのは私が彼のタグに自分の説明を書き込んで無意味なものにしてしまったからだっていう風に頭でつぶやいてみるんですね。
もう具体的なほうがいいんですよ。
明日のプレゼン資料を作るのが辛くて辛くてたまらないと思うのは私がそのプレゼン資料に自分の説明を書き込んで無意味なものにしてしまったからだっていうね。
この人と話すのが嫌だなと思うのはその人のタグに自分の説明を書き込んで無意味なものにしてしまったからだっていう風に頭でつぶやくんですね。
そしてここでもしできるならばまさに自分で書いた文字ですね。
不安とか怒りとかあんまり話したくないなとかっていうことをまさにホワイトボードのクリーナーのような感じでサッと消してもともと白紙だったタグこの状態に戻すんですね。
で白紙のままそれをずっとしばらく眺めてねこれはなんだっていう風に興味を持ってここを見たり聞いたり感じたりしてみるってことですね。
ここはもうシンプルに表すならばある種の情報収集みたいなもんですよね。
そこをしっかり見て聞いていればこの白紙のタグからいろんな答えがふーっと浮かび上がってくるんじゃないか。
もしくは何もせずにほっとくというのもいい手です。
おそらく僕は多分音楽に関してねこんなことはしてないのでね。
いつもいつも振り返って思い出して音楽というのは僕にとって何だったんだろうみたいな振り返りは一切してないんでたぶんほっといたんですよね。
ほっとくだけでもいい。
知りたいなと思うんだったら書かずに興味を持って眺めるっていうね。
これがおそらくその一番さっきの間に合わないじゃんの時間を早めることに貢献する場合もあるって感じね。
でもいくら見ても聞いても感じてもわからないこともあるんですよ。
そうするとねその間不安じゃんって思いますよね。
ここでさっきね間に合わないじゃんって言った時に浴びせた言葉と似たような感じなんだけど。
自分で勝手につけた無意味な説明とね。
このいずれ本当の意味が浮き出る白紙とどっちを見ている方が賢明な選択かっていう風に自問してみるんですね。
自分で勝手につけた無意味な説明といずれ本当の意味が浮き出るこの白紙ね白紙のタグ。
どちらを見ている方が賢明な選択かって自問する。
これはもうどう考えても勝手に無意味な意味をつけてしまうよりもまだ白紙の方が僕はマシだと思いますね。
この間少なくとも意味をつけた自分でつけた意味に対して心を反応させずに済みますからね。
ここを間違ってはいけないんですね。
その対象に僕らは動揺しているのではない。
勝手に説明をつけてしまう心
自分がつけた意味に動揺しているということね。
だからタグをなるべく白紙のままにしておく。
僕らにできることは見たり聞いたり感じたりする情報収集これもできるんだけどもそれが通用しないこともある。
その場合はもう何もせずに勝手に文字が浮かび上がってくれるのを落ち着いて待つということですね。
気長に待つということ。
待てないって書いてしまうと無意味な説明になって動揺してしまうのでそれはあまり賢明な選択ではないということですね。
相言葉は非常にシンプルでまだ浮き出てねえじゃんっていうことこれなんですよ。
自分でつけたくなったらまだ浮き出てねえじゃん。
待とうよみたいなねこんな感じ。
この間そのタグに何かが書かれていないと何もできないとかっていうことは多分ないんですよ。
わからない白紙だなあと思いながら何でもできると思います。
いろんなことができると思います。
むしろ白紙だんだなあと思いながら対応する方がね。
意味を自分で勝手な意味をつけて無意味なものにしてしまうよりは多分安全だろうし。
こちらの心も穏やかだろうしね。
そして問題をより悪くすることもないんでしょうね。
これがまあ今日お話ししたかったね。
この緑の本から一歩踏み込んだというかね。
ちょっとアップデートした。
僕は今のところこのやり方の方がね。
なんか腹落ちするというかね。
自分にしっくりくるなあというふうに思っています。
もう一回簡単にまとめておくとこの世界に意味のないものなどない。
ただしその意味を僕らはすぐには理解できない。
まあこれは宇宙の神羅万象がね。
調和を保つための意図のようなものだからね。
そう簡単には解き明かせない。
だからあらゆる人もの自分自身もですよ。
自分にもタグがついてるんでね。
ここにクラザノトはこういう人物でこういうことをしてみたいことを勝手に書き込まない。
それがそこに白紙のタグがついているんだなっていう捉え方をしておくわけです。
そしてそれが必ずいつかね。
多分最適なタイミングでその文字が浮かび上がることがある。
そしてそれが浮かび上がった本来の意味である場合は3つしか答えがない。
それが喜び、平安、もしくは穏やかな学び。
この3つであればおそらく本来の意味を見たと思って大丈夫です。
これ以外の心がざわついたり苦しくなったり不安になったり怖くなったりする場合は
ほぼ間違いなく自分でその白紙のタグに文字を書き込んでしまった。
もしくはいつも用意しておいたハンコでポンと悲惨みたいなことを押してしまった。
白紙のタグを待つことの大切さ
これを認めてというか気づいてその不安なり怒りを感じている対象をしっかりと記述して
これこれに不安を感じるのは私がそのタグに自分の説明を書き込んで
無意味なものにしてしまったからだっていう風に頭でつぶやいてみるわけですね。
そしてできればそのタグをホワイトボードのようにスッと綺麗に消して
白紙のまましばらくこれは何だろうつって興味を持って眺めておく。
気流ります。
そしていやいやもう書きたいもうダメだもう我慢なら自分で書きたいと思ったら
まだ浮き出てねえじゃんつって落ち着かせるというねこういう流れになるわけですね。
よかったらやってみてください。
これはとても効き目があると思いますね。
でここからはね最後の告知なんですけども
あの最近ね私の知り合いでこの番組を聞いてくださっている方が
クラザノさんいつも聞いてますよ面白くて毎日聞いてます本当ありがとうございますみたいな
いやいやとんでもないですこちらこそって言ったら
僕はですね大体いつも前半の読む山話あの5、6分を飛ばして
それから本編を聞いてでこの最後の告知を飛ばして
それで一番最後のね今日はっていうところを聞いて
いつもねあの満足してるんですよってこの褒めているのが
何なのかちょっとよくわからない感想を聞きましてね
一応あの全部聞いていただけたらいいなと
まあでもここを飛ばしたくなる気持ちはねわからなくないんですけどもね
今週末の6月10日以前からお伝えしている書き上げ塾ライト版
描写力を磨いて伝わる文章を書く3時間レッスンこれを開催します
2部制で5名ずつでね1時半からの部と17時からの部があります
これは本当に一発勝負3時間のレッスンで全て終わるという内容になってます
今日のお話とねどう絡んでいるかこれも無理やりこじつけてるわけじゃなくて
僕はね自分の書いてる文章これも今日書き上げ塾で説明したんですけども
自分の書いてる文章にも実はこの白紙のタグが付いてる感じがするんですね
だからここの白紙のタグに意味を書き込むのはこれは読者なんですよ
この場合は本なのでね本とか文章なので読者の方は自由に書いていいわけです
もちろんねだから読者の心の中で僕は作品は完成するというふうに思ってるんだよね
なのでじゃあこちらがその描写力というかね伝わる文章としてどうすればいいかというと
判断解釈結論これをですね自分で勝手にタグに書き込まないってことなんですよ文章の中にね
そこを読者に投げておくっていうねこういう話を今日したんだけども
このあたりもですねこの3時間の中でみっちりお伝えしたいと思います
それが実際に文章を書く上でどういうふうに具体的にやればいいのか
そんなお話もできたらいいと思ってますんでね
とにかく何か今書いている文章がちょっといまいち自分で納得できないという方は
3時間でかなり大きな変化があると思いますのでよかったらご参加ください
意味の理解
じゃあ今日はですねこの世界に意味のないものなど一つもありません
だけどそれは僕らにはすぐに理解できないからそこには白紙のタグが付いてるんだっていうふうに捉えて
そこをねじっくりと答えが浮かび上がるまで待ちながら
いい一日をお過ごしくださいありがとうございます
44:06

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