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グッドバイブス、ミッドナイトラクザ、 by 倉澤圭佐
こんばんは。ただいま12月12日月曜日の午前3時24分ですね。
今日は昼間に、私と佐々木さんと矢部聖子さんでやっているグッドバイブスファクトリーというオンラインコミュニティーがありまして、
そこの月齢のイベントで、オンライングループセッションというね、大体どのぐらいかな、10人前後、メンバーの方が集まってくださって、
そして皆さんが聞いている中でね、ズームでやるんですけども、相談とか悩みをお話しいただくと。そして私と佐々木さんがそれにお答えするというね。
もうこれ、ファクトリーが始まった当初から毎月やっているイベントで、今回で42回かな。
もう本当に42ヶ月やっているわけですね。
で、なんとなくそのイメージだけでね、このオンライングループセッションというのを想像すると、
なんかみんなが聞いている前でね、その深刻な悩みとかね、あんまり言いたくない相談みたいな、
まあ大体困ったことっていうのはね、人に自慢して話せるような話ではないので、
それをよくできるな、みたいな感じでね、ちょっと想像されるかもしれないんですが、
もちろんその入ったばかりの方でね、聞くだけ参加みたいなことができるんですよ。
だから、あの、そうそう、いらっしゃって全く質問とか相談しなくても、ずっとそのラジオのように聞いてていいみたいな、
そういうイベントなんでね、参加していただくと、
その、もうこのグループセッションが始まった当初からね、もう3年とか2年半とか、
だいたい毎月来てくださる方、常連さんみたいなのがいるんですよね。
その方たちが、まあ大体最初は、じゃあ私行きます、僕行きます、みたいな感じでやってくれるんで、
あ、こういう感じなのね、みたいな様子はつかめるんですよね。
それで私と佐々木さんと岩部さんでね、3人でやっぱりこのオンライングループセッションは安全な場所にしたいなっていうのがあってね、
だからもう何を言ってもOKだし、時にはそのまとまってないんですけど、みたいな話もあるわけですね。
まとまってないんですけどっていうのは、どういう問題があって、どこを解決したいか、みたいな、
そういう、いわゆる言葉にできていない悩み相談、もやもやみたいなものも、
なんとなくちょっとここが気に入らなくて、ここがなんかこう苦しくて、みたいな、そういうのも全然ウェルカムから、
まあその長くなってもね、お人方がその2時間のうち30分ぐらいを取ったとしても、もう全然OKということでね。
それから2つ3つあるんですけど、それもOKですよ、みたいな、なんでもありにしてあるので、
それを聞いていただくと、なんか安全な場所だなっていう感じを実感していただけるはずなんですよね。
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そして面白いことに、今日もそうだったんですけども、お人方が終わった後に感想をいただきまして、
この方もそんなに頻繁に来てくださる方ではないんだけども、
年末ということでね、今日は年末の挨拶だけしに来ました、みたいな方も何人かいらっしゃってね、
なんかいい雰囲気だったんですけどね、その方もやっぱり今日出された相談は全て、全てなんですよね、全てやっぱり自分に関係あることでしたと。
一つ一つその悩みに共感もしながら、分かる分かる、そういうのあるよねっていうのがありつつ、
そしてそれにね、まあ私たちがその微力ながらお答えしていくんですけども、それが刺さりました、みたいなね、そういう感想をいただいて。
だからあの面白いことに、やっぱり僕らは本当のことをわかってないというかね、自分について何を悩んでて、どこが大変なのかみたいなことを、
やっぱりはっきりと言葉にできないケースの方が多いんですよね。何なんだろうな、この気持ち悪さ、もやもやは、みたいなね。
そんな時にもうすでにその、そこをね、言葉にできている方が相談とか質問をしてくれるとね、それを聞いてて、ああそういうことだ、僕のもそうだよ、私のもそうだよっていう、そこにまずこう気づけるんですよね。
そして共通の、まさに共通の悩みのような感じでこう聞くことができて、そこの話が進んでいくっていうのはね、だからこれもともとは、
そうだな、2018年の暮れぐらいから佐々木さんと一緒に渋谷でね、これをリアルのイベントでやってたんですよね、グッドバイブスセミナーという名前で、渋谷の宮増坂の上のね、みんなの会議室っていう、これなくなっちゃってね、残念でね、僕は割と好きな会議室だったんだけど、
ここにそれはどのぐらいかな、6、7人かな、集まっていただいて、最初に全員の相談、質問を受けるんですよね、答えはなしで、ただただこういうことが困ってます、こういうことを解決したいです。
それをホワイトボードに書いておいて、ぱっと一瞬眺めて、じゃあ今日のテーマはこれにしましょう、みたいなね、その6、7つの悩み、相談を解くための話っていうのを1つ選んで、1つじゃないか、3つ、4つぐらいあったかな、それを、これも2時間半ぐらいやってたんですけどね、やるっていう、このイベントをオンラインに置き換えて、グッドバイブスファクトリーでやり始めたっていうのが元々のきっかけなんでね、
なんかその渋谷のセミナーもやっぱり同じような効果がありましたね、結局多分僕らはですね、悩みの根源とかね、元はそんなに変わらないんですよね、なぜかっていうと、まあ僕がいつもお話ししている3つの要素、自分と他の人と環境というね、この中で僕らは生きてますからね、その3つ、その3者が調和しないという、ここがやっぱり常にいつも僕らの悩みの元になるわけですね、
だから人の話というのかね、人の相談というのは、実はとても役に立つっていう、そんな感じですかね、夜は同じやっぱり相談会なんだけども、エフタさんとやっている執筆教室ね、書けない人のための相談会みたいな、そんな感じかな、
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まあ書けないだけじゃなくて、創作にまつわる、執筆にまつわる様々な困ったところ、悩み、課題みたいなね、そういうところをその1ヶ月の執筆教室の中で、2回やるのかな、その相談会、そこでお話しくださいみたいな、そんなこれはイベントじゃないな、コーナーなんですよね、
もう何度かこの番組でね、この2つのオンライングループセッションとエフタさんの相談会が同じ日に重なるっていうね、この話は何度かしたことがあるんだけど、日の巡り合わせでね、だいたいそうなるんですよね、オンライングループセッションがだいたい10日から15日くらいの間で、
そして執筆教室も中休みというかね、休みじゃないんだけど、途中のちょうど半分より少し前くらいかな、そこで1回書けなかったら相談してねっていうね、そしたらまだ20日くらい残っているので、そこで巻き返せるよねっていう、そんな感じなんで、この2つはだいたい同じ日に、土日の同じ日に開催されることが多くて、そうすると本当に面白いんですけど、その日のテーマっていうかね、共通のテーマが必ず出てくるんですよね、
で、僕はこれをこのポッドキャストの1つの話題にするっていうのをね、ちょっと楽しみにしていて、だから今日も昼始まったところから、今日はどんな話題に落ち着くんだろうなっていうかね、どんな共通の話が出てくるんだろうなっていうのを楽しみにね、過ごしていたんですけども、時間でしたね今日はね、どういう文脈で時間に行くかっていうとね、
基本的には、まずそのグッドワイブスファクトリーのオンラインコミュニティの方は、怒りを手放したいっていう話からまず始まったわけですね。で、これはこの番組でもお話している、いつもお伝えしているように、まずは恐れや不安なんですよ。恐れや不安、そして怒り、その次に罪悪感っていうね、この3ステップっていうかな、僕らの中でその変化していく、恐れや不安がまずあって、その次に怒りに変わる。
つまり、その怒りを持っているのが苦しいなと思ったら、罪悪感に変えるっていう、このメカニズムをまず一つ想定しておくと、今怒ってるなって自分が思った時は、これはまだ罪悪感に行ってないので、何が怖いっていう問いを立てるんですね。
で、そうするとその怒りの元になっている恐れや不安というのが見つかるわけですね。で、何が怖いじゃピンとこないっていう場合に、今私は何を失っていると感じているっていう質問をするわけ、自分にね。何を失おうとしている、何を奪われようとしているっていうね。だから何が怖いかっていうこの答えは、何かが失われている感覚がするんですよ、だいたいね。それから相手がいる場合は、その人に何かを奪われている感じがするんですね。
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でもよく考えてみると、例えば会話とかコミュニケーションの中で、僕から何かを奪える人は本当はいないんですね。例えば、歌舞伎町の路地裏かなんかで刃物を突きつけられて財布出せという、こういうやり取りであれば私はお金を失うっていうことがはっきりと見えるんだけど、これをいわゆる普通の一般の生活の中で、人と人とのやり取りの中で、僕がその人に何かを奪われるっていうのは、
基本的にはないはずなんですよ。で、それを、お、そっかっていうふうに気づくことができれば、この怒りにもっていかずに済むっていうね、簡単に言うとそういうメソッドなんですけど、で、もう一方の、その執筆教室の方はですね、またこれはちょっと別の角度からその怒りというのを扱っていましてね、これは最初の講義でもお話しするんだけど、やっぱりクリエイションにおいて怒りを抱くというのはね、
なんとなくその良さそうな感じはするんだけど、なんかこう芸術と怒りみたいなね、そういうものをなんかこうイメージしがちなんだけど、実際にやってみればわかるんですけどね、怒りを持っている怒りを何かに対して怒りを抱いている状態では、基本的には僕らはその自由にクリエイションすることができないんですね。
そして何よりも文章の場合、例えばその怒りだけをぶつけるような文章を、その僕が見て構成をする必要がないっていうかね、意味がないって思うんですよね。もうそれは自由に書けばいいじゃないかと。そもそもその目的が怒りをぶつけるっていう文章なわけなんで、上手くなる必要もないんですよね。ストレートに出せば書けばいいわけだから、で、しかもそのストレートに自分の怒りを綴った文章にね、人が手を入れるってなんかおかしな話なんで、
これは目的がやっぱ違うなって感じがするんですよ。だからこの執筆教室はやっぱりノートで公開しながら書いていくっていうやり方をするんで、自分の書いた文章が誰かに届くというこの前提があるんですよね。だからこれは一種のコミュニケーションでもあるわけね。
自分の人生の一部をシェアして、それをできればですね、少しだけ、少しでいいからその読んだ人のね、人生をいい方向に変えてくれる。なんか明るくなったなとか、なんか笑えるねとかね、なんか楽しいねみたいな。もっと言えば、例えばすごい役に立ったでもいいんですけどもね。
ほんの少しでいいから、その読んだ人に、まあ良い悪いというその二律の話はあんまりこうそういう表現はしたくないんだけども、わかりやすく言うならば良い影響を与えるっていうね、そういうものを目指している。そこであればいくらでもその手の入れようがあるっていうかね、改善の余地がある。
より伝わるにはどうすればいいかとかね、この自分の伝えたいことを読者により分かってもらえるにはどうすればいいかみたいな課題がそこに出てくるので、やっぱりその怒りというものと、この執筆というのはものすごく相性が悪いと僕は考えているわけですね。
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まあこれもそれぞれ創作者のそれぞれの意図がありますからね、一概にその怒りを書いてはいけないなんてことは言うつもりはないんだけど、少なくとも執筆教室で扱うテーマとしては、怒りをぶつける文章っていうのは向いていないっていうね、そういうことですね。
せっかくここでその執筆力とか文章を書く力を学びたい、向上させたいというふうに考えている方が集まっていらっしゃっているならば、そこを使わないで、もっと別のテーマでその読者に、読み手に何かをまさにギフトですよね、何かを与えられるものを書きましょうっていう、そういう作りになっているので教室自体が、そこでもやっぱり怒りを手放すという話が出てくるわけですね。
面白いんですよね。そしてその同じような話になるわけ。やっぱり何が怖いっていう問いなんだっていうね。そこで面白いことに、やっぱりこのどちらのケースも時間という話が出てくるんですよ。先ほど僕は何も奪えないはずだっていうふうにお話したんだけども、いや、そこに時間がありますっていう、そういう感じのね、簡単に言えば、
例えば、私が何かやる予定があって仕事をしていたら、同僚が話しかけてきたと。その人が何か質問をしてきたと。私が、ああ、それはこういう感じでこうすればいいんじゃないっていうふうにお伝えするとね、なかなか理解されないっていうね。どういうことですか?みたいなね。いやいや、だからさ、もうさっきから言っているようにこうなんだよ。そこがちょっといまいちわかんなくてみたいなことをやり取りをしていると、ふっと見たらもう45分経っている。
この時に僕らはその来た人に自分の時間を奪われたっていうふうに感じるわけですね。これがあると、さっきのメソッドが役に立たないんですよね。怒りました。何が怖い?何を失っている?何を奪われている?私の大切な時間。おお、じゃあダメじゃん。怒らなきゃってことになるんで。ここで時間の扱いというのが非常に問題になってくるわけですね。
そこで僕はこのグッドバイブスというのはね、時間というのは基本的に今ここしかないんですっていう話になるんだけども、それ以前にですね、僕は今日その時間を失う、時間を人に奪われているって感覚は、僕らはいつぐらいからそれを感じるようになったんでしょうっていうね、そういうちょっと話題を出しましてね。
それをちょっと尋問してみましょうよっていう話をしたんだけども。なんかその、例えばそうですね、子供の頃におもちゃで遊んでるとするじゃないですか。そしたら兄弟がいてね、僕の弟かなんかがそれをパッと横取りすると。この時、キーって怒りますよね。返してくれよっつって。
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これはなんか私の中ではプリミティブな怒りな感じがするんですよね。原初の怒りというのかな。なんかもうそれをやられると僕らはやっぱり怒るっていう。で、じゃあ時間を奪われるって感覚はどうなんだろうって思った時に、どうも最初はそんなことで怒ったりはしていなかったなって感じが僕はするんですね。
だからどこかで時間というものはね、奪われるものなんだ。もしくは失うことがあるもんだっていうことを習った感じがするんですよ。やっぱり教えられたというかね。だからその、今僕らが何かあると時間を失った、こいつのために時間を奪われたって思うのは、いわゆるこう体の反応というかね、この恐れや不安を抱く時の体の反応みたいな自然な反応なのか。
それとも何かによって時間というのはこういうもんで、こういうもんで、こんな感じでこんな感じで失ったり奪われたりするんだよっていうふうに教えられたものなのか、どちらなのかなって感じがするんですよね。やっぱり僕は後者だろうと思う。
おそらくその学年ということですよね。一つはね、1年生2年生って言って小学校が6年あって、その次中学が3年あって、高校が3年、そして大学が4年みたいなね。大学院まで行くんだったらさらに何年とかってプラスされていくんだけど、このなんていうのかな、年を守らないっていうのはなんかさすがにない感じがしますよね。
私も今小学校3年なんだけど、3回目の3年生なんですよみたいなことは、めったにないですよね。よほどの事情がない限り。それがまあ例えばね、成績によっていわゆる落台するみたいなことはおそらくほとんど許されないはずなので、ここにまず一つ僕らはね、1年2年3年というものすごい短い区切りみたいなのを心の中に持ちながら暮らすことになりますわね。
そしてその1年の中に、例えばそのもう忘れましたけどね、木ごとになんかテストとかありますよね。中間期末みたいな。そうするとさらにそれが4ヶ月単位ぐらいで3つに区切られていて、そして4ヶ月でこの結果を出さなければいけないみたいな枠の中で、まあ相当な長い年数暮らすわけですよね。
3年で中学勉強して今度は高校に入るっていうこの受験勉強みたいなね、もう今ではもしかしたらもう小学校から中学受験みたいなのがあるのでね、本当に5年生6年生ぐらいの小学生はね、もう本当にこう踏ん刻みのスケジュールをこなしながら暮らしている可能性もありますよね。
ちなみに私が行った高校はですね、クラスに何人ぐらいかな、3、4人はそのいわゆるダブリっていうかね、留年する人がいて、その人はなんとかさんって呼ぶとなんかこう留年してるっぽいのがあからさまにわかるんでね、私がその留年したとしたらその1個下のクラスではクラゾノ君と呼ばれるっていうね、もう呼び捨てはさすがに難しい。
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クラゾノっていうね、1つ年上の高校ぐらいだとね、1つ年上が大きいですからね、それに対して呼び捨てはできない。
でもクラゾノさんって言うと、あ、この人留年したんだっていうのが見え見えなんで、クラゾノ君っていうね、この君呼びみたいなのがね、普通に僕の高校ではあったので、なんかそんなにこう珍しいことないような感じはしないんだけどね。
まあ本当にそこがきっちりきっちり1年1年1年1年と区切られている感じがしますよね。
で、さっき言ったように、そこにさらにさらに細かくここになんとかテストがある、ここまでになんとか塾のなんていうのかな、模擬テストみたいなのがあるみたいなね、そういうのが区切られているんで、
まあその辺で僕らは、なるほど人生には時間というものがあってね、そしてそれは限られていて、これはもう寿命とか関係ないですからね、1年生は1年しかないわけだから、2年生も1年しかないわけだから、
いやがおうでもね、その時間の縛りというものに、それを感じずに生きることっていうのは不可能ですよね。そこで多分僕らはこの時間というものがあり、で基本的にね、私がよくこのgood vibesで自分と他の人と世界環境とつながりながら、その調和の中でどちらかというと与えることを意識して、その受け手ととの関係をいい感じにしていきながらみたいな話はするんだけど、
これは基本仕事の話なんですよね。僕らが学生の頃、自分の進路を決めるというのは基本的にはそれとはちょっと異質ですよね。自分のためなんですよね。自分がどのぐらいのいい学校に行けるかとかね、自分がどんな学歴をゲットできるかっていう、基本的には得ることしか多分ないはずなんですよね。それでいい、全然そこはそれでいいと思うんですよ。
だから得る、その学生は何かを勉強して知識を得るとか、能力を身につけるとか、学歴を得るとかっていう、得ることに専念していいよっていうことで多分親の保護の中にいるわけですよね。
その世界というのはおそらくだけど、多分人生で最も時間の縛りがきついフェーズの一つなんだと思いますね。仕事によってはその先もものすごく時間に縛られる。
例えば僕がやってた雑誌の月刊誌の編集なっていうのは1ヶ月縛りっていうのはものすごい厳密にありますからね。
本当に何日か単位で何をやらなきゃいけないっていうのが決まっていくんで、業界によってはもしかしたら学生時代よりもその時間の縛りがきついところはあるんだけども、
多くの人にとっては小中高大という学生の時代が一番時間に縛られている感じが強かったんじゃないかなと思うんですね。
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ここでその時間に縛られて何をするかというと基本的には自分のために何かを得るということをやるので、ここが一致していくんですね。
時間とは何か、自分のために何かをするものだっていうこんな感覚がセットになっていくわけです。
当然だけどもこの感覚を持って人に何かを聞かれ、そこで45分費やしてしまったら私の時間がなくなったってこの感覚はもう免れないんですよね。
これが僕は大人になってもずっと続いているんだろうと思うんですよ。
でもよく考えてみるとそもそも時間という僕らが生活で使っている時間というのはもともとこの世界に多分あったものではないはずなんですね。
物理の世界とかで何かを計算するのに時間という概念をそこに持ってくるというのは濃いのがあるかもしれないんだけどね。
僕らがいわゆる生きて生きながら今何時とかもう3時間経ったとかっていうものはもともとこの世界にあったものじゃなくて多分僕らがある目的を持って作り出した一つの道具ですよね。
特にこの時計とか1日を24時間で割るとか1年を365日とするとかっていうのはこれは確実に多分人が決めた仕組みなはずなんですよ。
もちろんこれはただ単に勝手に決めたんじゃなくて地球の時点が1日でこのぐらいだからとか太陽を一周するのに約1年だからみたいなそういう世界とのつながりの中で作っているものではあるんだけどもそれは何かどちらかというと大きな括りであって僕らが日々使っている時間というのはもっともっと細かくなってますよね。
今月がここにいるからとかってそういうんじゃなくて1日は24時間そして24時間は何分何分は何秒みたいなそんな感じでやってますからね。
これがその道具であるというねこの認識をそろそろ僕らは何かこうもっと強く持ってもいいんじゃないかって感じがするんですね。
これはどういうことかというと道具というのは使い使う主がいるわけですね。
使い手がいるんですよ。
僕と包丁であれば僕が使い手で包丁が道具というね。
時間の場合も私が使い手で時間は道具なんですね。
でもどうも僕らはそこが逆転していて時間の方に支配されているような感覚で生きてるっていうそんな感じがするんだよね。
でもそれはおそらくその学生の時はそうならざるを得ないような環境に置かれていたから。
でもなんか一歩社会に出て世の中に出たらもうその1年縛り2年縛りっていうのはね実際にはそのそこにその自分がそうかどうかを自分で実は本当は決められるんじゃないかなって感じがするのね。
で時間のメリットっていうのはすごく僕はたくさんあると思っていて例えば約束をするっていうのは一つ大きいですよね。
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私と例えば佐々木さんが明日の15時に待ち合わせをする。
でそうすると確実に会えるわけですよどちらかがねドタキャンしない限り。
これは大きいですよね。
もしこの目安この道具がなかったらいつ会えるかわからないんですからね。
あとまあその複数で仕事をするとき複数の人数で仕事をするときにねみんなのペースを揃えたりとか。
あとそのリレー形式で私がこれをやったら文章を書いたら次の人がそれを編集してくれてその次の人がウェブサイトに掲載するみたいな分業になっているときにここに2日かけここに3日かけここに4日かけるみたいなことを決めておかないとやっぱりこうスムーズに進んでいかないんですよね。
そんな風に時間にはものすごいいろんなメリットがあるのでそこを自分で選んでまさに料理をするときにキャベツを切るんだから包丁を使うみたいなそういう使い方を本当はできるんじゃないかっていう。
しかもそろそろそろそろですよねこれね。
なんかこれも時代によってはそんなに悠長なことは言ってられないみたいな時代もあったと思うんですよ。
でもなんか僕らはそろそろこれを自分の手に取り戻していいんじゃないかなっていうかね。
時間という道具を使うマスターの役割っていうかな。
マスターの一致を取り戻していいんじゃないかなって。
これがまず最初に思うことなんですね。
だからそう考えるとね時間っていうのはまあおおよそですよ。
おおよそ点で捉えておけば大丈夫なもんなんじゃないかなって感覚が僕はするんですね。
つまり約束のピンポイントですよ。
23日の15時っていうこのピンポイントだけしっかりと認識していればね。
その23日の15時それが終わった後次の約束がなければそこからは基本的には時間を意識しなくても暮らしていけるはずなんですね。
実際には1日にそういうポイントが下手すると10個20個とかってやってくることもあるんでね。
そんなにそこの点と点の間が自由になるっていう余裕はないのかもしれないんだけどもね。
そこはそんなに長くないのかもしれないんだけど。
でもまあ1時間何かをやってそして次に誰かと約束を交わしそこに行き。
そしてまた次の約束に行きその後は3時間ぐらい約束がないっていう状態がもしあったとしたら
その3時間は時間を全く意識しなくて大丈夫な感じがするんですね。
ここでマスターの私としてはもう1個ポイントのこの時間が終わったんで約束の時間が1つ終わったのでここから先は私は約束が3時間ないと。
じゃあここからは時間はいらないって時計を外すようなそんな感覚ね。
ちなみに私はもう今は腕時計もしていないしiPhoneを持っていますがまさにピンポイントでしか見ないんですね。
次の電車に乗るのにあと何分あるかみたいなそういう使い方しかしないんだけども。
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だから何もない状態で何かをしながら途中で時間を見るみたいなことは一切やってないんですね。
これは今言ったようにピンポイントで例えばワントレオ2をやる時に息袋の東京芸術劇場に17時30分に待ち合わせる。
私はだいたい40分前に行くので4時50分ぐらいには着くわけですね。
そこの4時50分というピンポイントだけが僕の頭の中にあってそこに着くまでの何時の電車に乗ればいいっていうそのピンポイントもしっかりと認識しておく。
でもその4時50分に席に着いたら相手が来るまで僕は時計は見ないんですね。
相手が来るまでというかセッションが終わるまで時計は見ないんですよ。
僕がそこで目を閉じて心を整えたり別の仕事をしたりしていれば必ず相手が来てくれますからね。
来られない時はおそらくキャンセルのメールが入るんでね。
それを見れば今日は無しだなって帰ればいい。
その間時計を見る理由は一個もないわけですね。
セッションが始まる。
これはまあ私がもう慣れているというのがあってね。
大体わかるんですよね。
このぐらいで90分かなみたいなのはね。
多分この感覚はその学生時代に身につけたものでしょうね。
90分授業とかありますからね。
45分授業とかね。
そこに参加していれば大体これが30分だろう1時間だろうぐらいな体感っていうのは身につく。
だからやっぱり学生の間時間に縛られているっていうのはそういう意味でも必要なことなのかもしれない。
でもこの90分を僕はなんとなく体感でわかっていて話をする。
そろそろかなっていうところでなんとなくやっぱり話が一段落するんですね。
その時にパッとiPhoneをオンにして画面をパンと触ると大体10分前とか8分前とかそういうあたりに着地するんですよ。
そこからはまた今度はそろそろですねみたいな話をしながら次の予定を決めたりしていればそこも時計を見ずに90分ぴったりで終わるような感じになるんですよ。
だから僕はそんな風に時間を使っているんですね。
ピンポイントの約束の時間ここに行かなければいけない時間電車に乗る時間そこだけを把握しておいてその点から点の間は全く時間を気にせずにやるっていうね。
これをやらないと例えば私のセッションとかでも60分経った時に残りはあと30分だなとかね。
何か逆のパターンもありますね。
30分で何か話が一通り終わったんだけどまだ60分も残っているみたいなことを考えなきゃいけないんでこれをやると何か僕はマスターの位置から降りてる感じがするんですね。
時間の方に僕が何か操られてるみたいな。
ここを自分で自由に調整してもいいんじゃないかっていうのが一つですね。
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次はですねやっぱりこの学生の頃は自分のために自分を使い何かを得るために時間を使うというこのやり方でいいと思うんだけどもやっぱり仕事を始めた時点からここに受け手という存在が現れてくるわけですね。
この受け手というのが学生の頃には完全に不在なんですよね。
全くいない。
だけど僕らは小中高大就職みたいなこの流れで捉えているんでここが連続しているように感じてるんですよね。
でもここ大きく世界が変わってるわけ。
今まではこれでおそらく与えるための何かを得ていたんでしょうね。
知識経験能力みたいなものをね。
それからさっき言ったその時間感覚みたいなものもそこで身につける。
これは何に使うんだって言ったらここから先はそこに受け手がいる仕事をする仕事をするその自分の仕事を渡す先っていうのがある。
ここに初めて今までいなかった存在が登場するわけ。
こうなるともう自分の時間っていう概念を持っても意味がないんですよね。
常に僕らは自分と他の人とこの関係の中で仕事なり何かを行っていくわけ。
当然だけどもその学校を卒業してパートナーを見つければその人と家庭を持つことになりますわね。
今度はこの共同の生活が始まる。
この共同の生活が始まった時点でもうこの人との関係の中で過ごしていくということになるから。
ここにその時間の概念を自分の時間みたいな概念を持ち込んでもその通りには基本的にはならないんですよね。
そしてこの番組でもお話ししましたが、
学生の頃は1時間勉強するっていうこの時間が取れないっていうのは完全に損失だっていうのはなんとなくわかるんですよ。
目的が1個しかないんですからね。
いい点数を取るとか受験勉強に志望校に合格するとか、
このゴールこれしか持っていないのでこのゴールだけならば確かに1時間無駄にしたら1時間勉強した分損をしてます。
これはもうその通りなんですよ。
だけどここに第三者ね他の人が現れてここの関係において私の仕事を手渡すとかね、
それから全く自分とは違う人と別の存在と一緒に生活をするっていう風になった場合にもうこの公式は成り立たないんですよね。
このいろんな繋がりの中で私がハッピーかどうかが決まっていく。
そうするとここにこの番組でもお話したね本当のことはわからないっていうやつを持ってこないとやっぱり辻褄が合わなくなるんですね。
ここで持ってくるのは因果関係ですよ。
ある出来事がどんな結果をもたらすか本当のことはわからない。
学生の頃はこの因果関係がかなり限定されてたんですね。
1時間勉強をすればいい点が1時間分取れるっていうね。
そこが本当はどうかなって思うんですけどねちょっと怪しいかな。
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そこの因果関係も100%じゃないだろうなと思うんだけど。
まあおおよそ自分もね周りの人もそこで納得できるようなその世界に住んでるわけね。
でもさっきのね一つの例私が仕事をしていました。
誰かが聞きに来ました。
ここに40分かけるこの時間が本当に無駄か?
僕に本当に悪い影響しか与えないのか?
悪い影響しか与えないのか?
これは全くわからないですよね。
私も上司をやってた経験があります。
そして部下を呼んでね原稿を見てね。
15分ぐらいでここのところの指摘をしてあげようと思って呼んで話したら
どうもその人が納得しない。
なんでそれがいけないのかがわからないって言って
ある種食ってかかるようなねそういうコミュニケーションが起こることもある。
当然だけどちょっと会議室行こうかとかって下手すると1時間2時間かかりますわね。
場合によって半日潰れるようなこともなくはないです。
でもその時間は無駄なのかってこれはわからないですよね。
僕は多くの場合このコミュニケーションをやって
しっかりとお互いのねコンセンサスがあって
なるほどこの編集長はね私が編集長なんだけども
こういう意図がありこういう狙いがあってね
こういうコンセプトがあるからここにこだわるんだと。
だから今のこの原稿だと問題なんだなってことを部下がしっかりとわかってくれたら
その1時間2時間の時間分を遥かに超えるような多分成果を彼は出してくれた。
これはもう実体験としてここに時間をかけなくてはダメなんだなっていうことは
僕はものすごく身につまされた経験があるんですよね。
だからそこで何やってんだこいつこの俺の貴重な時間を1時間奪い上がってっていうのは
少なくともこの世界の因果関係を理解していなければ本当は言えないんですよね。
これが学生から社会に出た時の大きな変化として僕は捉えておくべきかなっていうふうに思いますね。
そしてこれは3番目になるのかな。
もう一つ僕らの前にこの時間という話で大きく立ちはだかるのは
このように時間を使わなければならないという概圧ですよね。
僕はこれ概圧だと思ってるんだけども
時間の話というのは今言ったように
学生の頃から僕らがここに1年縛り4ヶ月縛りで縛られてきたので
そしてそのマスターの座を奪われて
なんとなく大きなものに支配されている感じがするんで
ここの使い方みたいなのはやっぱ引きがあるわけですよ。
ものすごく引きがある。ニーズがあるんですね。
ここに対するいろんな人のいろんなノウハウ、テクニック、答えみたいな
そしてその人が例えば自分が欲しいと思っている
財力とか地位とか名声とかを手に入れていたとしたら
この人のやり方に沿えばこの人の時間の使い方を学べば
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私も同じような結果が出せるんじゃないかとこれは思いますわね。
自然な成り行きだと思うんですよ、これは。
でもここで忘れてはいけないのは
人はみんな個性がありみんな違いがあるってことなんですよね。
それを1分は60秒、1時間は60分、そして1日は24時間みたいな
この人が作った仕組み、道具に自分が完璧に当てはまるはずがないんですよね。
誰かが私はこういうふうに時間を使ってこれだけのことをやって
そしてここまで来たっていう
これもさっき言った因果関係が無視されてますよね。
その人がそうしたからうまくいったんですよ、おそらく。
それに全くそぐわない人もいる。
これはなんていうのかな、僕は一番いい例は
食事をする速さとか見てるとやっぱり人は全然違うなって感じがするんですよね。
遅い人もいますよね、ゆっくり食べる人もいますよね。
でも例えばね、僕の友達で美容師さんとかいたんだけど
彼らは美容師飯と言っててね、5分ぐらいで食べなきゃいけないんですよ。
本当に休憩がないね、過酷な職場なんでね、裏にちょっと入って
特に若い弟子入りというかね、まだ見らないでやってる頃
とてもじゃないけど1時間なんて昼食時間は与えられないから
ほんと控室にポッと入ってね、5分ぐらいでダダダって駆け込んで食べるみたいな
そういう世界を経験してる人たちはやっぱりご飯食べるのが早いんですよね。
必ずパッて見るともう食べ終わってて、もう終わったんだみたいなそんな感じ。
あとその長風呂の人とかもいますよね。
うちのおじさんに1人ね、1回入ると2時間入るっていうおじさんがいたんだけども
みんながほんと嫌がっててね、あの人が入ったら他の人が入れんみたいな感じで
これもその人なりの時間感覚みたいなものなんじゃないかなと思うんですよね。
みんなそれぞれ自分のペースとか、自分の多分心と体に合ったペースというのがあって
それを本来持って生まれてきてるんですよね。
でもそれをガギヤツと僕が呼ぶ、こうやればいいっていうのに合わせようとする。
肩にはめようとする感じかね。
そもそも僕らというのはこの線形というかね、線というのは直線の線なんだけど
線の形と書いて線形と読むんだけど
要は正方形とかね、僕らが手で描くような図形みたいな
こういうものは自然界には存在しない。
直線すら存在しない。
でも時間というのは基本的には線形にできてますからね。
均等に1秒1秒1秒というのがこう連なっていき
そしてそれで何十分何時間というのが決まるんで
基本的にはこの入れ物というのは線形なんですね。四角四面なんですよ。
これに自分を当てはめようとしてうまくいったとしたら
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多分そのタイム感が出てくるんですよね。
多分そのタイム感がジャストだったんですよ。その人がね。
この1時間1時間を例えば細かく15分に割って4つの枠を作り
そして15分4個のことをやる。これが効率がいいんだみたいなことを
彼はきっとできたんですよ。それがあってたんですよ。
でもこのやり方は僕には全く合わない。
とてもじゃないけど15分で終わるなんていうのはもう我慢ならない。
私はですね、何か一つのことをやり始めたら
じっくりとそれを長く続けていきたいタイプなんですね。
思ってきたぞと思ったらどこまでもやりたいっていう。
だから私の場合はそんな時間の割り方をしたら
全く回らなくなるんですよ。
そういうことをやっぱりこの社会に出た後はね
みんなその一応に1時間1時間目2時間目という風に
過ごしてきたこの枠から出たんだから
じゃあ本当は自分はどんなタイム感覚が自分に合ってたんだろうかっていうことを
これをやっぱり見つけた方がいいと思うんですよね。
でもこれも最初に枠を決めてしまったら見つからない。
ある程度自分をフリーにしてあげないといけない。
ほっといたらどうなる。どんな動きをするんだ。
例えばその時間無税限でいいよって言われたら
自分はどのぐらい風呂に入るんだみたいなことを
測ってみないといけないんですよね。
測るっていうのも変だな。やってみないとわからないんですよ。
そして自分をフリーにして
俺は食事っていうのは実はこのぐらいのペースで食べる人だったんだなとかね
何か一つのことをやり始めたら
1時間半ぐらい続けるのが僕にはぴったりなんだなとかね
もっとなんとなく僕はちょっと長く何かを続けるのが苦手だっていう人は
まさに私の真逆でね
20分刻みぐらいがちょうどいいですねみたいな人もいるわけ。
これはもう千差万別なんですよ。
だからこの時間の使い方みたいなことを
やっぱり自分で見出していかなきゃいけない。
見出していいってことですよね。
それが何か許されないっていう感じがするのは
多分外圧があるからなんですよ。
これが正しいっていう時間の使い方みたいなのが
自分の周りにいくつもあってね。
そして多くの場合はそのやり方が
いわゆる短い時間でたくさんのことをできるっていうやり方でないと
意味がないですよね。ニーズがないですよね。
だからどちらによるかというと
必ず時間の短い時間でたくさんのことができる方法というところに
帰結する。それはもう決まってますよね。
その反対、長い時間かけて一個のことをやりましょうみたいな
これは私が言ってることに結構等しいんだけど
そういうものは受けないに決まってるんですよね。
だから受けがいいものがメジャーになり
そしてそれが定番になり
それがなんとなく正しさになっていくっていうこの仕組みの中でね
なんかその磁石に引っ張られるように
そこに吸い寄せられていくと
さっき言ったね、自分とは全然違う方に自分をはめようとする。
42:01
これはもう例えるならばね
体の大きい人がSサイズのなんかピチピチしたTシャツを着てね
なんか窮屈だなって言ってるのに近いんじゃないかなって感じがするんですね。
だからやっぱりこの自分がどんなペースで生きる
どんなペースで動くのが一番大事だと思うんですね。
どれが一番自分に合っているのかみたいなことは
自分で見出していいんじゃないかなと思います。
だからこうして見るとね
やっぱりもう一つの僕らが作り出した道具にとても似ていますよね。
これはお金ですよね。
お金というものも僕らが今その生きていて
時間との関わりをゼロにはできないっていう
これと全く同じように
お金なんていらないよって言って暮らすことはできないわけですね。
でもどこまでこの道具を自分に適用するかっていう
この範囲は決められますよね。
つまりこれは簡単に言うと
どんだけ稼げばいいのみたいなことなのかもしれない。
どんだけあればいいんだよっていう。
時間もお金も同じですけども
このように考えると
どれだけあろうと多分僕らは満足することはないんですよね。
あればあっただけ
もっと欲しいもっと欲しいと思うだけなので
ここには再現のない欲みたいなものが
必ず発生られるわけ。
だとすると
これもお金が主人で
私がそこのそこに使われているっていう感覚じゃなくてね
これはなきゃダメなんだっていうのはもちろんそうだよね。
今僕らが暮らしているこの世界で
お金というのはこういう役割を持つ道具なんだし
ここに僕らは相当もう信頼を置いて
これでいいよねっていう仕組みを作って
そこで生きているわけだから
ここを手放したり否定したり
悪にしたりすることは全く意味がない。
そうじゃなくて
でもじゃあこれを私の人生で
どのくらい大事なものとして扱うのかっていうのは
決めていいはずなんですね。
ここにも同じように外圧がかかっているはずなんです。
お金の話全く時間と同じで
こうでなくてはいけない
こんな風に貯めていかなくてはいけない
こんな風に増やしていかなくてはいけない
みたいなメソッドノウハウテクニックが
やっぱり山ほどありますよね。
そしてその場合には
たくさん持っている人のメソッドっていうのが
メジャーになり
それは俺もやろうっていう風にいくんだけど
本当にあなたに合ってるんですかっていうね。
ものすごくこの単純な話をするとね
本当にこの仕事がしたいと思っているのに
これはいまいち稼ぎが少ないと
これはどうもこういう仕事をするのは損だと
なんかで読んだことがあると
もっと短い時間でたくさんのお金を稼げる仕事をしないと
ならないっていうような感覚を持つっていう
これが本当にね
自分に幸せをもたらすのかなみたいな
こんな問いですよね。
こういうものをそろそろやっぱり僕らは
立ててもいいんじゃないかなって
そんな感じがするんですね。
これがまさに時間とお金に共通している部分かな
って思います。
45:01
まあこの話はね
まだまだつきないんですけどもね
ちょっと今日のところでまとめておくと
まずはその時間を失う
時間を奪われるって感覚って
もともと自分の中にあったんだっけっていうね
こんな問いから始めるといいかなと思うんですよね。
つまりそうじゃないってことは
これは誰かに教えられたなと
で、もちろんそれはね
僕らにとってはとても大切な教育というかね
その一つだったっていう
これはしっかりと認めた上で
でもそこの縛り
まあその学生とかね
そういう縛りから解かれた時に
あれこれなんか自分の手にもう一回取り戻してもいいのか
っていうそういう感じ
この支配をする時間という道具を使う
マスターの地位っていうのかな
これを取り戻すこともできるんじゃないかなみたいなね
ここら辺からちょっと始めると
僕はいいかなと思うんですよね。
なんかこれはもう絶対そうでなくちゃならない
みたいな感じではないってことですね。
よく考えてみたら
この道具を自分がどう使うと自由だったよな
みたいなここを取り戻す感じ
そしてでもこの便利な道具はね
きっちり使った方がいいから
そうだね点と点みたいなものは
この約束のポイントみたいなのは
しっかりと自分の中に盛り込ましてもらおうみたいなね
ここは活用するぞ
もっと言うならば
このせっかくの約束の点という便利な道具があるんであれば
ここはきっちり守った方がいいよね
みたいなそんな使い方をするのが
僕はいいかなと思うんですよね
これがなんか時間となって
仲良くする方法かなって感じがする
そしてもう一つが
というわけで
僕の外に
僕の外側に時計があって
これが秒刻みで秒針が動いていると
だから何って感じですよ
俺はそんな風に
そのペースで生きてないって可能性もあるよねっていう
これをまさにその自由を取り戻すようなもんなんですよね
随分とこの1秒1秒の刻みの中で
ドキドキしながら
焦りながら
急がなければならないと言って
いわゆるいろんな概圧を見ながら
こういうのが正しい時間の使い方なんだ
みたいなことを随分随分
自分の中に叩き込んできたんだけど
そもそもそれは俺に合ってるのかっていう
この問いはとても重要な気がするんですよね
そしてこれがね
最も重要なポイントだと思うんだけど
人は決して一人では生きていけない
これはもう事実ですよね
僕は真理だと思っています
これに関してはね
じゃあ何かっていうと
他の人と自分とこの世界
この3者の調和の中で
僕らの人生というのは成り立っている
その自分以外の他の人と世界に時間を使うことが
本当に無駄なのかっていうこの問いですよね
もしそうだとしたら
やっぱりおそらくそれは
自分だけで生きようとしてるんじゃないかな
って感じがするんだよね
この時間というもの
自分の時間というラベルを付け
そこで自分が何かを得るために
48:00
これを使いたいっていう
それは当然あって当然なんだけども
でも世界の仕組みを見てみるとね
そのようには回らないんだってことが分かりますがね
この人のために私がこの時間を使う
これはもしかしたら
私にものすごい幸せをもたらしてくれるかもしれない
なぜなら
その3者でこの世界が回ってるからですよね
だからこういうことを
いちいち何かをする前に
自分で判断をするっていうのも
そろそろ
なんていうのかな
見直した方がいいというかね
それが本当に正しいのかどうかっていうのは
ちょっと疑いを持ってもいいんじゃないかと思いますね
さっきそのお金との比較を出しましたけどね
お金と時間の唯一大きな違いは
全ての人に共通に
今ここで時間というのは供給されるってことですね
違うとすれば人生の長さが違うんだけども
そこに関してはね
またちょっと別の回で
おそらく僕は全ての人にちょうどいい時間が
与えられてるって感じがするんだけどね
この辺はなかなか説明しにくいとこでもありますが
お金との唯一の違いはね
自分が何もしなくても
今ここに
今ここという現実のリアルな時間が
永遠に持ち続けられている
このリアルな時間が
永遠に生きている間
供給され続けるってこと
ここを稼ぐのに何の努力もしなくていいってことですよね
だからやっぱりこれをお金のように捉えてしまったから
僕らは時間を作ることが必要だって思っちゃったんでしょうね
時間経って作らなくても
今このポッドキャストを喋っているこの瞬間に
私は49分54秒
今こここれを得てるわけです
何の努力もしなくても得ることができるんですよね
そして今日の話はその怒りから始まってるんだけどもね
ここの時間に対する恐れや不安
失う恐れや不安が
なくなればなくなるほど
僕らはその同時に怒りというものからも解放されると
これはもう必然の流れになってますよね
今日のお話は多分そういうところに
決着するんだろうなと思います
そんな感じですかね
今週いよいよ週末ですね
12月の18日に
エフタさんと執筆競争をやった流れでね
もうちょっと広くクリエーションの話しませんか
ということで
年末スペシャル座談会というのをやることになりました
渋谷の青山学院の近くのカフェなんですけどね
私の母校でもあるんで
あの辺りは大好きなんですが
いい感じのファクトリーというね
コミュニティと同じ名前のカフェを見つけまして
ここでやりますんで
よかったら気軽にご参加ください
特に自分のコンテンツを作ってね
それを発信したいと思ってらっしゃる方
それから仕事の中に割とこのものづくりってね
ゼロから企画を考えたりね
そういう要素が多いという方はね
おそらく少しはお役に立てると思いますんで
51:01
よかったらぜひ来てください
そんな感じで
じゃあ今日はですね
どう言えばいいのかな
時間は失ったり奪われたりしないものだ
そんな感じかな
そんな風にちょっと見てみて
いい一日をお過ごしください
ありがとうございます