2025-05-17 38:34

#97 友達いろいろ

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今回は田中さんお休みです。中川が日本に行くと毎回会う友達がいるという話から、友達ってなんだろう?という話に。昔からの友達、頻繁に会う友達、普段から連絡を頻繁にとっている友達、そんなに頻繁に連絡はとらないけれどたまに会うと盛り上がれる友達、などなど。二人の友達観をおしゃべりしてみました。

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一 (Blog)

高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)

中川 浩孝(note)

ご意見・ご感想、3 人に話してほしいトピック、3 人へのご質問などありましたら、以下のフォームからお送りください。https://forms.gle/ZGKtUCBn3m25Nr6J6

サマリー

友人との関係や変化をテーマに、プライベートや生活スタイルの違いが友情の距離感に与える影響について話し合います。また、長い付き合いの中での相手の変化や自身の変わり方についても考察しています。このエピソードでは、大学時代の友達や幼馴染との関係について語られています。また、人間関係の深さやコミュニケーションの難しさにも触れています。第97回のエピソードでは、現代のSNSによるコミュニケーションの変化や友人関係の複雑さについて語ります。友達とのつながりや距離感、そしてコミュニケーションのスタイルが個々のライフスタイルにどう影響を与えているかに焦点を当てています。友達との意見の違いが表現方法に起因することを探り、仏教と科学的な考え方の共通点についても語られています。

友人との距離感
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、
コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
高木 恵子
今日は田中さんがちょっとスキップをされているので、私からご挨拶させていただきます。SEからPR、コミュニケーション業界に転職して約30年、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきた、アメリカ在住中川浩孝です。
今日は田中さんがいないということで、いつもトピックを田中さんに頼りがちな話題なので、何を話そうかなという話をちょっと事前にしていたんですけど、
私がこの間日本にちょっと行っていたので、その時のというか、それからちょっと発想したことがあるんですけど、
私が日本に住んでいた時よりも頻繁に会っている友達っていうのが結構何人かいるんですよね。
やっぱり帰る時に、日本に帰るたびに帰るよって言って、じゃあ集まろうかみたいな感じで集まる会があったりするので、
日本にいる時はむしろそういう何て言うんだろう、きっかけがないだけで会わないっていうか、そういう人たちが結構いたんですけど、
日本に私が2、3回ですかね、年に帰るおかげで、逆にその時にちょうど会うっていう友達がいて、
日本に住んでいた時よりも頻繁に会っているんじゃないかみたいな人がいたりするのがすごい面白いなと思って、
でもそれできっかけで会ってくれるのは本当にありがたいですし、いつも同じメンバーで会うとお互いに年取ったねとか言いながら。
高木 恵子
でも何かそれ以外でこう、何だろう、メールとかなんかチャットみたいなので、会わない時って何か。
中川 浩孝
人によりますね。
高木 恵子
連絡してるんですか。
中川 浩孝
人によりますね。何かでもいくつかのグループは本当に普段はそんなにやりとりそんなに頻繁にしてないので、
本当僕が帰る時でまた帰るよみたいな感じで、だから年賀状的な何か感じというかイメージとしては帰るから会おうみたいな感じで、
その時に全部アップデートするみたいな人もいたりはするかもしれないですね。面白いですね確かにそういう意味では。
距離感がちょっとずつみんな違うから、そういう人もいるし、本当毎日のようにチャットグループみたいなのがあってそこでやりとりして、
日本に帰った時もちろんそういう人と会うっていうのもあるし、いくつか確かにレベル感があるような気がしますね。
変わらない友情
高木 恵子
なんかやっぱりその当然、若い時というか一緒に働いてた時って全然若い20代の時なわけじゃないですか。
で30代、年代を重ねてって、なんかやっぱ自分も変わったけどその仲間の一人一人も何か変わったなって感じます?
中川 浩孝
どうなんだろう、でも性格の根本的なところは変わってないかなという気がしますね。
これ聞いてる人はどんな人の話をしてるかなっていうのがちょっと分かんないかもしれないけど、
そのお話で私がさっきこの事前にちょっとお話を恵子さんとしていたのは、
私が新入社員で大学を卒業した時に入った会社の同期会っていうのがあって、そのメンバー4人くらいなんですけど、
その人たちと会うことが多いよみたいな話をちょっとしてたからこの話してるんですけど。
高木 恵子
そうですね。
中川 浩孝
なので確かに20代前半の頃から知っているメンバーだから、本当に30年間くらい知っている人なんですけれども、
あんまりやっぱりなんか変わんないよねっていうのが、その性格的な部分では全く変わっていないっていう気がします、30年間。
もちろん生活環境はね、みんな全然変わっているからね、お子さんができたりとか結婚したりとか、
それこそ私なんかアメリカに住んでるしとか、そういうのもありますけど変わってますけれど、なんか根本のところは変わってないねっていう感じが私はしますね。
高木 恵子
そうか、なんか私も本当、年に1回とか、それこそ海外にね、ヒロさんみたいに住んでる友達が帰ってくるたんびに逆に本当大人数で会うっていうのもちろん我々もやってたりするんですよ。
だけど、私たちは別に仕事場とか学生時代一緒とかのじゃなくて、なんかなんとなく社会人になって、友達の紹介で知り合ったとか、なんかそれこそ夜遊ぶっていうかよく飲んでたところで知り合った人とか、
なんかもう本当、でもみんな女性、みんな女子、もうガールズグループなんだけど、で当然だからね、みんな結婚したり、お母さんになったりで、で、もちろん海外に住んだりとか、もう本当いろいろみんな全部変わって、だけどその人が日本に必ず年1で帰ってくるときに必ず会う、もちろんグループがあって、
で、今ヒロさん言ったみたいに、でも私はそのグループの人たちはみんななんかこう、時間が経つにつれて変わってると思う。
中川 浩孝
へー、そうなんだ、面白いですね。
高木 恵子
そうなの、すごい、まあそれはもちろんその生活環境が全然変わってきてるから、なんだろうなーって私はずっとこう思ってたけども、ヒロさんのそのね、そのグループの人たちはあんまり変わってない感じなんだよね。
中川 浩孝
そういう気が私はしますね。ただもちろんその、同じところに興味があるから同じところを探している可能性は自分もあるけれど、もちろんね、そのお子さんができた方はやっぱりお子さん優先になってるとかすごいそういうところはあったりしますけれど、
なんかでも、なんて言うんだろう、その一番ベースのところというか、のなんか性格は一緒だなーって思うことがやっぱりなんか多いかなっていう気は私はしますね。
長い付き合いの難しさ
高木 恵子
そうか。
中川 浩孝
どういうところが変わって、なんて言うんですかね、どういう風に変わっちゃってるっていうか、その良い方向に変わってるとか悪い方向に変わって、まあ悪いとか良いとかそういう問題じゃないんですけど、
高木 恵子
そうそうそうそう。
中川 浩孝
なんかどういう感じの変わり方なんですかね、面白いですね。
高木 恵子
だからなんだろう、例えば、前だったらこういうこと言わなかったかなとか、こういうことなんかそのビヘイビアとかアクションみたいなその、そういう感じのこともしなかった、むしろしてたけど今してないとかその逆もある。
中川 浩孝
大人になった。
高木 恵子
そうなのかな、大人になったからなのか、逆にそのほら、大人になると自分の親たちも見ててもそうだけどなんか年を取るとどんどん頑固になるみたいなのもあって、逆にこうちょっとこう、なんか柔軟性がなくなるみたいな感じも年取るとあったりする場合もあるじゃない。
なんかそういうパターンでもあるし、逆に若い時こうだったのに今こうだねっていうそのまあちょっとポジティブな感じの部分もあるし、なんか結構ね変わった感をすごい感じるんですよ。
中川 浩孝
面白い。なんか逆にでもそういう人とは逆、そういう風に変わっちゃうと会わなくなっちゃうのかもしれない、だとしたら。
高木 恵子
そうだね、そうだね、そうなのかもね、ヒロさんね、そうだよね。
中川 浩孝
私たぶん、けっこうさんの集まりがどれくらいの人数なのかわかんないんですけど。
高木 恵子
10人くらいいるの?
中川 浩孝
結構大きいじゃないですか。僕そういう大きな集まりあんまり苦手、自分がすごい苦手で、4人とか5人くらいが限界くらいな感じなんですよ。
高木 恵子
そっかそっかそっか。
中川 浩孝
で、だからその変わっちゃう10人だとその変わった人が入っていてもなんか許容できるっていうか、4人の中にそれが1人ポコっているとかなり違和感が出ちゃうっていうか、もしかしたらそういうのがあるのかもしれないですね。
高木 恵子
そうですよね、そうかもしれない。
中川 浩孝
それでも会いたいというかね、会ってくれるというか会いたいというか。
前にけいこさんが誰々来るの?みたいな話をしてたとき、誰々来るのみたいな話をしてたときがあったじゃないですか。
高木 恵子
それよそれ、それなのそれ。
中川 浩孝
人数が増えるとそういうのが出てくるじゃないですか。
僕はピュアに自分が会いたいし、向こうも会いたいと思ってくれる人としか会えないんですよね、もう。
そういう意味でもしかしたら自分の交流範囲がどんどん狭くなってるのかなっていう気はするときはあるんですよね。
自分も会いたい、向こうも会いたいと思ってる人と会ってると、だんだんもちろんね、研ぎ澄まされていくというか若干減っていく人が出てくると思うよね。
もうだから今やっぱり毎回日本に帰ったときに会う人って、かなりその研ぎ澄まされた状態で数年間もずっとほぼほぼ同じ人と会ってるから、
なかなか逆に言うと昔の最近会ってなかった人と会うっていうことが、今度は怖くなっちゃってできなくなっちゃってる部分があるのかもしれない。
高木 恵子
なんかそれは何を話していいかって考えちゃうからな。
中川 浩孝
あまりにも間が離れちゃっていて、でもその人たちはたまに会ってたりするっていう、集まりってあったりするじゃないですか。
自分はそのたまたまグループにね、海外に住んでたりとかするから行けなくて、でもその人たちは毎年会ってるみたいな、
人のところに10年ぶりですとか20年ぶりですみたいな感じで行くと、なんかどっから手をつけていいのやらっていう感じになっちゃうから恥ずかしい部分が。
高木 恵子
なるほどね。
中川 浩孝
そういうのはもしかしたらあるかもしれないです。
だから自分も変わってるつもりはないんだけど、やっぱり間が空けば空くほど向こうからはなんか変わったねってなると思うから、
なんかそれを見透かされるのがちょっと嫌だというか怖いと思ってる部分がもしかしたらあるかもしれないですね。
高木 恵子
そうか。
だから長い友達、付き合いって本当になんか面白いけど難しかったりもしますよね。
中川 浩孝
そうなんですよね。
高木 恵子
やっぱりね。
中川 浩孝
そうそう、それはすごいありますよね。
高木 恵子
でもどうなんだろう、人って必ず1人や2人は長い友達というかいるもんなのかな。どうなんだろうね。
中川 浩孝
どうでしょうね。
なんか私すごい面白いなと思っているのは、例えば今私コネチカットに住んでいて。
高木 恵子
あら言っちゃっていいの?
中川 浩孝
大丈夫、コネチカットは全然いいんですけど。
高木 恵子
そっか。
中川 浩孝
コネチカットってそんなにね、ニューヨークからも2時間くらい離れたところで、ボストンからも2時間くらい離れたところで、
都会の地域、全体としては都会の地域ではあるんですけど、とはいえ私が住んでるとこはとてものどかというか、
日本でいう住宅街みたいな感じなんだと思うんですけど、
なんかね、結構子供の頃から住んでいてずっと住んでますみたいな人が多いんですよね。
子供の頃からのお付き合いみたいな人がすごい多くて、
私にとっては、自分が生まれたところとか子供の頃からずっと本当にずっと会っている人って本当にいなくて、
幼馴染との再会
中川 浩孝
一番遡ってもよく会う人という意味では大学時代の友達なんですよね、やっぱりが一番若い人にできた知り合い。
で、たまーになんかそれこそ小学校幼稚園くらいの友達と、
もう20年ぶりだねとか言って2年前くらいに会ったんですけど、それが本当に久しぶりになった感じくらいで、
そういうなんか若いというか小さい時の友達は、なんかそれこそ年賀状とかでやり取りしているとかそういう人は何人かいますけど、
それ以外で実際に会うっていうことは本当になかったので、その2年前に会ったときはすごい面白かったというか話すこといっぱいありすぎてもうわけわかんないというか、
30年くらいの間空いてたから、そこの間のずっと話をして終わっちゃったみたいな感じでしたけど、
意外と僕がそういう意味では、小さい時の友達は何かしら繋がっている縁はあるけれど、そんなに頻繁に会っている人はないですね。
恵子さんいます?そういう人、本当に幼馴染っていう。
高木 恵子
いる。
中川 浩孝
いるんだ。
高木 恵子
多分それは家族ぐるみで。
中川 浩孝
なるほど。
高木 恵子
だから親同士も仲良かったし、子供は同級生の、私と同級生の男の子がいて、その男の子のお姉ちゃんと弟がいる。向こうは3人兄弟で、私は1人。
中川 浩孝
本当に家族ぐるみですね。
高木 恵子
で、あちらのご両親もうちの母親と年が一緒だから、なんかこう本当に子供の時、子供の時って言っても本当幼稚園とか小学校で、間はやっぱりもうお互い引っ越しちゃったりとかして、全然離れたんだけど、多分親同士が仲良くて、でなんとなくこう繋がってる。
で、今は私とかも両親どちらもいなくなって、幼馴染の子はお母様しか今はもういなくて、だけどこの本当にすごい大人になって、またなんかこうちょこちょこ会い始めて。
っていうのはあるかな。で、必ずでもやっぱり出る話はその高々幼稚園とか、本当小学校の時に近所に、本当の近所だったからに住んでた時のそういうところの話ばっかり。
中川 浩孝
まあね。
高木 恵子
まあ思い出話。でもなんかやっぱりすごい、なんだろう、距離感は近く感じますよね。
中川 浩孝
ああそうですか。
高木 恵子
うん、なんかそれこそ1年に1回とか、もちろん国内に住んでて、家も私の近所なんだけど、でなんとなく、今日会えるとか言ってて近所だからね。で、近所なんだけど今日会えるっていうのを1年に1回ぐらいするみたいな。
中川 浩孝
それはでもすごい良い関係性というか面白いですよね。
高木 恵子
そうなのかもね。
中川 浩孝
確かに。
高木 恵子
かもしれない。
中川 浩孝
確かに、簡単にその気軽に声をかけられるかかけられないかみたいなのって、何でしょうね、なんかどういう基準でそれをなんか判断してるのかっていうのはちょっと考えると確かにありますよね。
人間関係の距離感
中川 浩孝
なんだろうね、確かに。面白いですね。
高木 恵子
だけど、そう、それで私も小学校中学校高校大学でつながってる友達いないもん。
中川 浩孝
ああそうですか。
高木 恵子
いる?なんだろうな、久しぶりになんか本当Facebookとかで、昔とかつながって、久しぶりじゃ会うみたいなので、本当に久しぶりに会ったっていう人はいるけど、じゃあその後久しぶりに会って、この幼馴染みたいに年一でもまた会ってるかっていうと、それはないな。
中川 浩孝
そうなんですよね、不思議ですよね、だからね。
高木 恵子
そうなの、すごく不思議。
中川 浩孝
私もさっき言った2年ぶりに会った友達だって、本当に幼稚園小学校の時は毎日一緒に通学するくらいの友達だったわけですけど。
でも2年ぶりに会って、すごい久しぶりとか言ってすごい盛り上がったけれど、じゃあまた毎年、僕が日本に例えば帰ったたびに会おうっていう話になるかっていうと、そうはならないっていうのがすごいやっぱり面白いですよね。
なのに一方では毎回会ってる人がいるってやっぱりその差が、もちろん距離感近い近くないみたいな話なのか、それともどういう人がそういうふうになれるのかとか。
高木 恵子
そうなんだよね。
中川 浩孝
それってだって意外と大人っていうかそれこそもう物心ついて結構年が経ってから会った人ですごい仲良くなる人ももちろんいるし。
存在とか30年間、若い頃から知ってる人も仲良い人もいるし、なんか不思議ですよね、そういう意味では確かに。
本当に不思議なんですよね。
どこでそれを判断しているのかというか。
高木 恵子
そうなのよ。
中川 浩孝
分かんないですね、なんだろう。
高木 恵子
でもなんかやっぱり人間ってさ、この心地よくないとアクションに起きないよね。
そうそう、そうなんだよね。
だからどこかで心地いいから、例えばその幼馴染の子もなんかこういうふうにつながってんのかな。
別にそれ以外の人が私の場合心地よくないというわけではないんだけど、何かのその深さなのかな。
心地よさ、なんか心地よさ。あんま気を使わない、考えないっていうのかな。
中川 浩孝
それはでもありますよね。
この人はこういうこと言っちゃったらあれかなとかすごい考えさせられる人っているじゃないですか。
高木 恵子
いるいるいるよね。
中川 浩孝
そういうのを考えなくていい人がやっぱり楽だなっていうか、頻繁に会いたいなって思う人かもしれない。
あんまり本当に気を使わなくてもいいっていう人がやっぱり会いたいなって思う人かもしれないですね。
確かにそう言われてみると。
高木 恵子
そうですよね。
中川 浩孝
お互いに多分そうなんだろうけれど、わかんない、そうでもないのかな。
向こうからは結構気楽になんかまた会いたいとかいう人いるけれど、
僕はありがとうございますみたいな感じの人も確かにいるっちゃいるかな、そういう意味でいくと。
高木 恵子
あと時々なんだろう、本当にずっと友達でいる中で、実はあの誰々さんって難しいよねっていう言葉を聞きません?
難しい人に、人の性格なんていうのかな、人のパーソナリティで難しいっていう表現を結構皆さん使うじゃない。
難しいって時々私思うんだけど、難しいって人のパーソナリティで難しいってどういうことなんだろうって時々思うんだ。
中川 浩孝
なんかその反応があったのみたいな人じゃないですか、いつもは大丈夫なのに突然機嫌が悪いみたいな人も確かにいたりはするじゃないですか。
高木 恵子
そういうことなのかな。
中川 浩孝
気分屋さんというかちょっとご機嫌斜めの日は困りますみたいな。
高木 恵子
そっか、気分屋さんを難しいっていう風に言うのかな。
中川 浩孝
難しいとか言うのと一緒なのかな、だからそういう意味なのかな。
高木 恵子
そう難しい。
中川 浩孝
難しいね。
高木 恵子
でもね、さっき言った結構何十人ぐらいいる仲間の中の人の中に難しいっていう表現をしてる人が2人ぐらいいるんだけど、
でもその2人はあんまり性格に似てないんだけどね。なんだけど難しいって言われちゃってるんだよね。
中川 浩孝
面白い。
高木 恵子
だからそう、何が難しいって。
中川 浩孝
どういう人が難しいでしょうね。
高木 恵子
どういう人が難しいのかなって。
中川 浩孝
その人にね難しいって言ってる人に聞かないとわからないですね。私も難しいなって思う人はそんなに、まあだから付き合ってないんだろうな、きっとそういう人と。
高木 恵子
あーそうそう、だからヒロさんはそうなのかもしれないね。
中川 浩孝
そんな気がする。
高木 恵子
まあでも私もあんまり、そこまで広くないかな、交友範囲は。やっぱなんとなく、何となく波長の合う人としか会ってないような気はするけどね。
でもそうやってなんかこう、仲間の一人って思われて声をかけられたら、もう別にね、予定が空いてたらそれは断る理由はないからね。
中川 浩孝
そうですね。
そうそう、僕も別にあの、誘われて何かそんなにお断りする、何か予定がないのにお断りするような人はそんなにいないんですけど、
でももうそういうフェーズはすでに通り越していて、そういう人からは元々呼ばれないっていう。
高木 恵子
呼ばれない。
そうね。
中川 浩孝
呼ばれもしれない。
高木 恵子
そうそう、私も呼ばれないかもしれない。そうだ、呼ばれないんだよね。
中川 浩孝
向こうからは難しいって言われてるのかもしれない。
高木 恵子
そうかもね。
そうなのかもね。そうか、呼ばれてないだけかもね。
中川 浩孝
分かんないですけどね。
高木 恵子
そうだよね、だって分かんないもん。
そうそう、呼ばれてないってそこにいないから分かんないから、確かにそうだよね、そうなのかもね。
中川 浩孝
でもね、それは正しいというかお互い正しいというかいいんだと思うんですよね。
だって向こうからも会わないと思われてるんだったら多分言ってもね、しょうがないし。
高木 恵子
でもほら、人間関係で悩んでる人って実はさ、いっぱいいるわけだからね、だからこういうコミュニケーションスキルとかさ、いうのをみんなさ、こうなんか学びたいとかコミュニケーションスキルを良くしたいとかいう会話になるわけだもんね。
中川 浩孝
まあでも、どういう生き方をするかによって何人の人と会うかっていうのは、たぶん全然人によってすごく差があるとは思うんですけれど、僕なんかたぶんそんなに、田中さんとかとそれこそ比べたら、会ってる人なんかもともとそんなに少ないのに、やっぱりでも友達と言える人たちがちゃんといてくれるっていうのは、
そういう意味では別にそんなに何て言うんだろう、いっぱい人とは、なんかやっぱり若い時って友達100人作りたいみたいな、そういう感じになりがちですけど、やっぱりなんか量じゃなくて結局深さだなというのは本当に年を重ねるごとにそれは思うので、
そこは焦ってもしょうがないし、それこそ空回りするじゃないですか、だってそんなに友達増やしたいなと思うと、友達に嫌われるようなこと言っちゃいけないなとか、もちろん友達にわざわざ嫌われるようなこと言わないですけど、でも本心ならばやっぱり言ったほうがいいし、そこが会う会わないっていうのは結局淘汰されていくと思うので、
なんかあんまり自分を隠したり、なんか自分を押し殺して友達を作るくらいならば、やっぱりそんな友達ならば作らない方がいいと私は思うし、なんか若い頃はもしかしたらもうちょっと頑張ってたかもしれないんですけど、でもやっぱり歳をとってくるにつれてやっぱり気持ちいいと思える人というか心地良いと思える人としか結局会わなくなっているのは間違いないので、
いくら頑張っても年齢いったらそうなるよっていうのは若い頃にもしそれを悩んでるんだとしたら、なんかそれだったら別に一人で良くないって言ってあげたいなって思うことはありますけどね。
SNSとコミュニケーション
高木 恵子
ね、あの最近のっていうか、やっぱり若い人たちのコミュニケーションってもうSNSとかなわけじゃない?私たちはこうリアルだったけど、ね、そうするとほら裏赤があるとかさ、いろんなアカウント3つも4つも持ってるとかさ、まあみんなやってるらしいじゃない?
中川 浩孝
そうですね、もちろん。
高木 恵子
てかそうやってなんか本当付き合い、そういう付き合いをしてると本当にどこかできっと疲れるよね。
中川 浩孝
そうだと思います。
高木 恵子
まあ疲れない人もいるのかな?疲れない人はずっとやれるのかもしれないよね。
中川 浩孝
そういう人もいるんだと思います。
高木 恵子
そうそうそういう付き合い方が普通に疲れなければできる人っていうのもいっぱいいるんだろうけど、多分割とどっかで年齢重ねていくとどっかでなんかそういうのが疲れるとか、なんかちょっとおかしいと思うこととかに出くわすよね。きっとね。
中川 浩孝
いやそうだと思います。だから人に合わせる、もちろんそういう人ってね、私たちの世代でも多分いると思うし、その人とどんどん新しい人と会ってそういうのが好きっていう人も今でもたくさん私の年だっているので、でも私は多分そうではないなって思うので、
私はなんか新しい、もちろん新しいコネクションがあればそれはそれでもちろん面白いんですけれども、そこもそれよりもやっぱり今までの自分の大切だと思えるお付き合いを大切にしたいっていうふうに思いがちなので、なんかそこは、だったらね、その新しく会いたい人はもうどんどんそれでこう進めてください、推し進めてくださいっていう感じなんですけど、それに自分が合わせる必要はないかなっていうのはより強く思いますよね、やっぱり。
高木 恵子
そうですよね、確かに。
でもそうすると距離の近い人とは割と何でも話せます?ヒロさんも。
中川 浩孝
そうですね。
高木 恵子
だからやっぱりそういうふうにならないといけないんだろうね。
中川 浩孝
多分そうだと思う。
高木 恵子
関係性ってね、きっとね。
中川 浩孝
自分を隠したり、わざわざこの人にはこれは言わないほうがいいなって思うような人だったら、それはやっぱりそれくらいの関係なんですよね。
高木 恵子
そうか。
中川 浩孝
そういう人もいるんですよね、私も多分。そういう表面上のレベルだけでお付き合いがある人っていうのもいるけれど、でもそういう人とは日本に帰った時にじゃあご飯食べましょうって習ったりかな、やっぱり。
高木 恵子
そうか、そうか。
中川 浩孝
全部がさらけ出されている人としかあってない気がしますね、やっぱりそういう意味では。
高木 恵子
なるほどね、そうか。
中川 浩孝
じゃないとね、めんどくさいというかなんかね、やっぱりなんか。
高木 恵子
親とかさ、兄弟とかでも全然気使わないで話すような。
中川 浩孝
そうですね。昔と比べたら、昔のなんか一時期そうではない時期もあった気はしないではないですけれど、今は別に何でも大体言えますね。
高木 恵子
そうか、あんまりもう言い方も気をつけない、言い方っていうか。
中川 浩孝
言い方はもちろんね、いろいろ傷つけはね、家族とかにはやっぱりちょっとね、嫌だなって思うようなことはもちろん言わないですけれど、でもやっぱりなるべく違う形で伝えるようにはしてますね。
高木 恵子
そうか、そうか。
中川 浩孝
なんか嫌われたくないという理由のせいで何かを言わないっていうことは、家族とか別、全然別としても全然他の友達にも、言い方はもちろん気をつけますけれど、何かしらの形で伝えたいことは伝え、伝えたいならば伝えるようにしてます。
たとえば、何だろう、さっきの友達なのか友達じゃないのかわからないですけど、この人にはこれは言いづらいなとかいうようなことがある人は友達とは言わないかなって。
私の中ではね、私のデフィニッションの中ではそういうところがあるので、だから嫌われる人も多分いると思うんですけど。
でもそれが僕の性格だからっていうふうにやっぱり理解してくれるような人じゃないと付き合いが多分できないんでしょうね。
そうだよね。だから、こういうやり方っていうか、でもこういうことができる人はあんまりいないんだよねって最近本当に思うようになってきた。
高木 恵子
もっとだって困ってる人の方が、悩んでる人の方がいっぱいいるんだもんね。
中川 浩孝
そうですよね。そうなんですよね。
高木 恵子
そう、なんか昔ちょっと前、ちょっと前っていうか本当に若い、もっと若い時って、え、なんでなんだろうと思うことはいっぱいあったけど、
そうか、割とは自分のこう、自分ができることって意外と特殊なんだとか、あんまりね、みんな同じようにこういうふうにできるわけじゃないんだって言うのがどっかのタイミングで気がついてからは、
なんかあんまりそこの不思議さとか、なんでできないの?みたいな感じにはもうならなくなったかな。
中川 浩孝
そうね。そっか、でもなんだろう、悩む、まあそうね、悩むんだよな。
悩みと心の持ちよう
高木 恵子
そう、だから私たちはあんま悩まないもんね。
中川 浩孝
そう、そうなんですよね。
高木 恵子
田中さんはよく悩むかもしれないけど。
中川 浩孝
すごい田中さんよく悩んでますよね。
高木 恵子
私たちあんまりだから、ついか悩んでるのかも、他の人の尺度だったらそれが悩みかもしれないけど。
中川 浩孝
もしかしたらそれはあるかもしれない。
高木 恵子
そう、私たちはそれを悩みって。
中川 浩孝
捉えていないというか。
高木 恵子
そうそうそう、そうかもしれないよね。
中川 浩孝
それは心の持ちようですからね、確かにもうそうなってくると。
高木 恵子
そう、だって考えることっていっぱいあるじゃない?
中川 浩孝
あるある。
高木 恵子
たぶん私もいろいろ考えることってあるんだけど、だから考えてるだけであって、もしかしたら誰かからするとその考えてることはある人にとっては悩んでることになってるかもしれないよね。
中川 浩孝
確かにそれはありえますね。
高木 恵子
だからそこのきっとなんか違いというか、そこの本当に境目が何か、そこがどっちにどういったらどうなるかっていうのが。
中川 浩孝
それはね、面白いですね。
高木 恵子
きっとさ、ほんとコミュニケーションのベースになるような気がするよね。
中川 浩孝
そうですね、確かに。
たぶん悩む、悩まない、面白いですね。
私もさっき言ったみたいに考えた上で、悩んでもしょうがないことは悩まないことにしてるっていう。
それだけですね、きっと。
高木 恵子
まあだからそこの、そうなんだよね。たぶんそこの、一言で言うと割り切りね。割り切りができるできない。
私だって自分の親に、あんたはどうしてそんなに割り切れるのってよく言われたことが、親にだよ。
え、私生んだのはあなたたちでしょって思うんだけど、あなたはどうしてそんなに割り切れるのって。
中川 浩孝
そうね。
高木 恵子
よく親からも言われたことが。
中川 浩孝
そうなのかもしれない。割り切れちゃうのかな。
高木 恵子
どうなんだろう。でもさ、やっぱ悩んでる方がつらかったり。
中川 浩孝
そうそうそうそう、ほんとそうですよね。
高木 恵子
するから、もうそこから、まあ変な言い方だけど、逃げたいって思ったら割り切るよね。
中川 浩孝
そう、たぶん私もそれ、どっちかっていうとそれなのかもしれない。
高木 恵子
そっちだよね。
中川 浩孝
悩むくらいなら。
高木 恵子
そうそうそう、もう悩むんだったらもういいよって思い切っちゃった方がすごく楽になるのかな。
中川 浩孝
たぶん私もそこかというとそういうタイプなのかもしれない。
なんかだってそれこそ、なんでもそうですけど、なんか僕別にそういう体質とかではないんですけど、なんでも恋愛とかと比べるとそうだと思うんですけど、
それこそ恋愛が一番それの特徴、一番それが特徴的に出るものだと思うんですけど、
相手が自分のことを好きだと思ってくれないのに、こっちからいくら相手を好きだと思っても何も変えない。
相手を変えるのは難しいなっていうことにはだいぶ若い時にたぶん気づいたんでしょうね、なんかね。
だから、だったら自分を変えるしかないっていう、そういう発想っていうか、
なんか人は変えられないっていう考え方が僕の結構根底にいつそれが芽生えたのか忘れちゃいましたけど。
だからこれは悩んでもしょうがないと。
変えられないものは悩んでもしょうがないっていうのが私の基本的な考え方なので、いろんなところでの。
それを多分だいぶ早い段階で、そういう考え方に自分が落ち着いたんだと思う。
高木 恵子
それはすごいこのリスナーの方たちにとってすごくためになる話じゃないですか。
中川 浩孝
心の持ちようでしかないので、本当にさっきから言ったように。
悩んじゃう人はもちろん、その悩む気持ちももちろん理解はしますし。
なんだけれど、悩んでも仕方ないこと。
自分で悩んだ時に、やっぱり僕は因数分解しちゃうんですよね。
これは自分で変えられる部分、これは相手を変えないといけない部分みたいな感じで。
これは環境が変わらないといけないとか。
そうなってくると、やっぱり自分が変えられるところとかは変えられるし、環境を変えなくちゃいけないところはそう簡単に変わらないけど、
自分がもしかしたら働きかけたら環境は変わる可能性もあるとか。
でも相手の気持ち、相手の性格みたいな人のところに入ってくると、やっぱり途端に全くアンコントローラブルな感じになっちゃうじゃないですか。
なんかそれを考えた時に、そこいじっても、そこに期待しても無駄だなっていう。
高木 恵子
なるほど。とっても私よりもロジカルだ。
私多分そこまで、そういう風なプロセスまでを使って考えてないような気がする。
中川 浩孝
私も別にそんなにロジカルに考えましょうって考えてるわけじゃないんですけど。
自分で分析してみるとそういう風になってるんだろうな。
高木 恵子
でもきっとそれがもう自然と自分のフローなんだよね。
中川 浩孝
自分の考え方の根幹を成しているので、自然にやってるんだろうね。
高木 恵子
そうか。私はどっちかっていうと本当に、また田中さんがいたらすごいいろんな言葉が出てくるかもしれないけど、
もうね、ふっと自分のことじゃないようになるんだよね。
中川 浩孝
面白いですね。
高木 恵子
だから現実逃避っていうのが一番近いのかもしれないけど、ふっともうなんて言うんだろう。
別に忘れるわけじゃないんだけど、ふっと本当だ、現実逃避をね。
自分に起きてることじゃないかのように。
なんて言うんだろう。ふっとこう、ちょっと距離を置いて見れるっていうか。
中川 浩孝
俯瞰できるんですね。自分のことだから俯瞰してるんですかね。
高木 恵子
そうなのかな。
中川 浩孝
客観的に見るってことですよね。
表現方法の違い
高木 恵子
だからあんまり、それもだからヒロさんのフローと同じように私のフローができてるのかもしれないんだけどね。
だからあんまりこう、こうこうこうっていうよりも、なんかやっぱり嫌なことがあるとふっとこう。
別の、別の空間に入るっていうのが、なんかふっとこうやっちゃうところはあるのかもしれない。
中川 浩孝
その言い方はもうね、田中さんが聞いたら大変な表現をさせちゃう気がすると思いますけどね。
でもそれは単純で多分表現方法でやって、なんか私のやってることもケイコさんのやってることも多分すごい実際のところは似てるような気がするんですよね。
高木 恵子
そうなのかもね。伝え方とかね、自分の感じ方で。
中川 浩孝
たぶんそこの問題というか違いなんだ。
高木 恵子
そうだよね。だってたぶんここにもし田中さんがいたら、ケイコさんどうやってその違う空間に入れるのっていう質問がなんか来そうだもんね。
そうするともしかしたらヒロさんと同じようなフローを自分の中でやれてるからこう違う空間にふっといってるのかもしれないよね。
中川 浩孝
たぶんそれはあると思いますよ。表現方法の違いなだけなのではないかという気がしないではないか。
そういう意味ではだからもしかしたらね、そういう宗教的な仏教的な世界と科学的なとか数学的な考え方とかが、もしかしたら単純に表現方法が違うだけでやってることは同じなのかもしれない。
高木 恵子
そうなのね。そうかもしれない。
中川 浩孝
そういう感じのことはもしかしたら田中さん的な言い方をすればあるのかもしれないですね。
高木 恵子
そう、そうですよね。確かに。
中川 浩孝
そこは田中さんはいつも仏教の方向にどうしてももっていきたくなるから、そういう話になりますけどね。
高木 恵子
そうだよね。だから私がやることって仏教の一つの必ず何かに落とされるように落とし込まれちゃうみたいな。
中川 浩孝
だから本当は仏教としてじゃなくて、違う見方として考えると面白いなっていうのは、田中さんもよくそういう言い方をするけれど、
別に本当単純にそれはもう宗教として捉えちゃうからちょっと怪しいなとか目で見ちゃいますけど、
意外とそうでもなくて、なんか普通に科学的に考えてみると、それって当然のことを言ってるよねっていうことがたくさんあるのかもしれないなっていうのはいつも私も思ったりはしますね、確かに。
高木 恵子
そうですね。なんか今日の話がリスナーの方たちに何か参考になれば。
中川 浩孝
そうですね。田中さんのお言葉が聞きたい方にはちょっと軽いお話になってしまったかもしれません。
高木 恵子
これはこれで楽しんでいただけたらとても嬉しいですね。
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