2026-09-26 33:32

#168 さらに続く個性の話

相変わらず個性にハマっている田中さんが個性の話を展開します。

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一 (Blog)

高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)

中川 浩孝(note)

ご意見・ご感想、3 人に話してほしいトピック、3 人へのご質問などありましたら、以下のフォームからお送りください。https://forms.gle/ZGKtUCBn3m25Nr6J6

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サマリー

田中は、大企業のトップ3人が後継者選びの理由として「個性」を挙げたことをきっかけに、日本では個性が抑えられがちだと語る。南アフリカやイギリスの学校から日本へ戻った自身の経験を振り返り、個性を輝かせることが日本を元気にする鍵ではないかと述べる。また、グロービスのMBA生向け講座や企業の役員研修で、自分流儀のコミュニケーションとリーダーシップに個性を生かす予定を話す。 高木は、体が弱くいじめも経験した小中学生時代、校長室で過ごすことを許し「そのままでいい」と認めてくれた先生たちの存在を語る。否定されず肯定される安心感が、自分と他人の違いを受け入れる土台になったという。中川は、自由な男子校、アメリカ留学、外資系企業で自主性を尊重された経験を振り返る。 田中は、ホンダ時代の個性的な同期や、自身の会社で個性の強い人を採用してきた経験から、個性の衝突と対話がイノベーションを生むと説明する。一方で「変人」という言葉には暗黙の基準が含まれるため、個性の強い人を排除しない環境が必要だと議論する。最後に、個性は他人や自然、出来事、自分との対話から自分が受け取ったメッセージを通じて発見され、年齢とともに成長するものだとまとめる。

後継者選びと日本で抑えられてきた個性
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
はい、みなさんこんにちは。コミュニケーションを極めると自分が見えてくる。世界が見えてくる。コミュニケーションの世界に携わってはや40年以上、コミュニケーションが命。 シン・田中こと田中愼一です。よろしくお願いします。
高木 恵子
SEからPRコミュニケーション業界に転職した約30年、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住中川浩孝です。
田中 愼一
個性っていうのを最近考えてましてですね。
きっかけはもう前もここでこの場で話したと思うんですけど、何年前?1年ぐらい前かな。ある会議というか経営者会議みたいなとこがあって、その時に結構日本を代表する大手企業のトップがですね、3人ぐらいいたかな。銀行関係とか、あと通信関係とか3社ぐらいあって。
その出てきた方々はみんな会長職っていうことで、つい社長から会長になったばっかりだった人たちだったんですね。
で、彼らがパネルディスカッションしてたんですけど、その時に質問がね、一番気になった質問っていうのは、どうやって後継者選んだんですかって話。
で、3人が異口同音でですね、個性って言ったんですよ。
個性。で、え?って思って、今までトップが交代して自分の後継者を選ぶときに、いや彼はこういう実績があってこうでこうでこういうことをやってこうでしょって聞き慣れてたんだけど、
その3人ともがですね、別に示し合わせたわけじゃないと思うんだけど、うーんって考えて、個性かなって。
もう一人の人も、やっぱり個性かって。それで3人ともですね、個性って言葉を使って、個性で選んだって言うんですよ。
それがね、なんとなく心にずっと引っかかって、この場でもちょっと議論したかと思うんですけど、
日本ってどっちかというとね、特に戦後なのかな、わからないけども、戦前の方は、特に明治時代なんていうのは色々個性の強い人が随分出てきたな、日本人がいたなっていうイメージなんですけどもね。
田中 愼一
で、いずれにしても我々なんかどういう教育を受けたかというと、出る杭は打たれるとかね、
あんまり目立っちゃダメよとか、個性をどっちかというと抑制するような方向で、
僕なんかはそのなんて欧米の教育っていうのを小学校の時に、南アフリカっていうところで過ごした時っていうのは、
そういう個性の抑制っていうのはほとんどなくて、自分なりに自由に経験してきたと。
そこから小学校5年の時かな、日本に戻ってきて、日本の小学校に入った。
そしたらですね、あちこちでぶつかるわけですよ。
で、これなんでぶつかるのかって言うと、周りはですね、お前なんかね、変わったことやるなってこう来るわけですよ。
だから小学校の時に日本の小学校と向こうのね、イギリスですね、欧米の小学校って言っても、
田中 愼一
イギリスの小学校に教育を受けたわけなんだけど、そこの比較が対比が実はものすごく大きくて。
で、日本に帰ってきてから、結局小学校5年の時からそういう窮屈な環境に入ってきて、
それがやっぱり中学、高校ずっとね、やっぱりどっか一つのなんですかね、トラウマじゃないけども、
やっぱり周りと違うことをやると、ぶつかっちゃうっていう感じ。
抑えちゃう。で、ましてや僕の名前自身が、愼一って言って慎むナンバーワンっていう名前なんですね。
だからますます慎んじゃってですね。で、結構ね、中学、高校あたりっていうのかな、
大学になってから破裂した感じはあるんだけど、中学、高校あたりはですね、あんまり無茶をやらなかったというか、
田中 愼一
周りを気にしてっていうね。だからそんな感じで来たわけです。だから個性っていうのは、
小学校5年から大学に入る前までぐらいっていうのは結構抑制されていた感がね、あって、
田中 愼一
これ皆さんどうだったのか、世代がちょっと違うんで、どうだったのかなと逆に聞きたいんですけども、
だからその個性のあり方っていうのが、今日本にでは問われてるのかなと、例えば今、
田中 愼一
日本を強くしなきゃいけないとか、日本を元気にしなきゃいけないとか、日本をいろいろ、
日本を復活させようっていうような気運、それがいいのか悪いのかわかんないけども、でも、
もっと根本的に、日本人の個性に対する考え方を今一度ですね、
洗い直すっていうか、個性に輝きを持たせるっていうのが、やっぱりこれからの日本に重要なんじゃないかなっていう話なんですね。
個性を生かす研修とリーダーのコミュニケーション
田中 愼一
で、まあ偶然、明日明後日土日で、グロービスっていうところで、特別講座を2日連ちゃん集中で、
コミュニケーション、戦略コミュニケーションの講座をやるんですけども、そこの多分、
今年のですね、今回のメインテーマ、これ6ヶ月に1回やってるんですけども、
田中 愼一
資料は、スライドはね、そんな変わってないんですけども、そのスライドを使って教える内容が、
ほぼ6ヶ月ごとに更新されるんですよ、僕の場合ね。で、今回はやっぱりその個性っていうものをみんなで考えていきたいかなと思ってて、
個性をどうやって生かしていくのか、で、個性を生かした自分流儀のコミュニケーションっていうのをどう覚醒させていくのか、
っていうのをテーマに2日間、35人かな、のMBA生、MBAの学生たちと議論して、
田中 愼一
何らかの、次回のポッドキャスティングで何らかのアウトプットをご紹介できるかもしれないですけど、そんな感じなんですね。
それからもう一つの機会がまた来てたのは、これある会社のですね、役員研修会っていうのがあって、
その役員研修会に実は呼ばれてですね、そこではですね、そこのトップの方がですね、
実は昔、数年、何年前だろうな、7、8年ぐらい前に僕のセッションというかを受けたことがあって、
エグゼクティブプログラムで受けたっていうことで、その方がですね、今トップになられて、
その時のセッションの内容が非常に良かったんで、基本的には今回の次の役員研修で話をしてくれって話があった。
で、その時もそのリクエストの中にやっぱり個性っていうもの、個性ってその多分僕が10年前から、
その人とセッションした時っていうのは多分その時に個性っていうことを言ったんでしょうね。
田中 愼一
つまりまあ多分自分流儀のコミュニケーションを作んなきゃダメですよって、
それには個性っていうのは大事ですねって話を多分したんだと思うんですね。
で、それをしてほしいということで、これもやっぱり個性、役員の方々により個性をそれぞれの個性を認識した上で、
その強みを生かしたコミュニケーションで、それによって人を動かしことをなすっていうですね、
リーダーの本分ですね、というものを話してくれという内容になりそうなって、
だからどうもやっぱりここその個性に対する気づきっていうものがあって、
自分も過去その個性っていうものを抑圧を受けたっていう経験もあり、
さらには今日本が元気じゃないっていうのはやっぱりもう一度自分の日本人一人一人が自分の個性に立ち返って、
見直していくっていうのは結構大事、大切なことなのかなっていうのが今の気持ちで、
田中 愼一
皆さんのそこあたりのですね、感じ、個性っていうものについてどうお考えなのかをちょっと聞きたいなと思って。
中川 浩孝
まあでもこの2人がね、その質問に対して適切な相手なのかっていうのは非常に疑問なところがあります。
田中 愼一
個性の抑圧をへとも思わないお二方だと思うんですが、
はっきり言って本当にね、今まで個性の抑圧を感じたことはあるけども、全然気にしなかったでしょ、お二方。
ゴーイングマイウェイだったんじゃないですか。
中川 浩孝
そんなことはないですよね。
高木 恵子
そんなことはない。
田中 愼一
そんなことないって。
高木を支えた教師と肯定する教育
高木 恵子
やっぱり抑えつけられてたから、それは。
田中 愼一
でも抑えつけられちゃってたんですか。
高木 恵子
抑えつけられてたんだけど、私の場合は本当子供の小学校とか中学校、本当抑えられてて、
なんだけど、たまたまって言い方変かもしれないけど、学校の先生がすごくいい先生ばっかりだったんですよ。
田中 愼一
それはいいことですね。素晴らしいご縁だ。
高木 恵子
すごいいいご縁で、社会とか他が抑えつけるようなところを、学校の先生がいいんだよ、みたいな感じで対応してくれてたんですよ、私に。
だから先生が味方だった、唯一の。
田中 愼一
その先生はやっぱりえらいですね、本当にね。
高木 恵子
先生とか、あと小学校の時はもう本当に校長先生とかで、だから結構私、校長室にいたことがあった。
田中 愼一
すごいね。
校長室なんか入ったことないね。
高木 恵子
また不思議ちゃんと思われちゃうんだけど。
田中 愼一
中学、高校、ないよそんなのは。
高木 恵子
だから、もう校長室で勉強してていいよって感じで。
田中 愼一
嘘でしょ、マジで。
高木 恵子
私、あんまり前にも言ったかもしれないけど、結構昔のことってすぐ忘れて、印象に強いことしか残ってないんだけど、
なんで校長室によくいたかという理由まではっきり覚えてないんだけれども、
体が弱かったっていうのもあって、学校を休みがちっていうのもあったし、
教室であんまりいられなかったこともあったっていうのは記憶にあるんだけど、
校長室にわりとよくいた。
で、校長室でなんか勉強してたような。
田中 愼一
なんかちょっと、印象で校長室でやったってわかるけど、なぜ校長室だったかわかんない。
高木 恵子
あんまり覚えてないんですよね。
田中 愼一
覚えてないって、だって小学生の時ですよ。
高木 恵子
そうそう、それは小学生の時。
田中 愼一
低学年?高学年?
高木 恵子
3年生以降かな、3,4,5,6とか。
田中 愼一
3,4,5だったらちゃんと記憶ないですか。
高木 恵子
いや、だから印象にすごい強いことは覚えてるんですけど、それ以外ってどんどん私。
田中 愼一
それが成功の鍵なんだな。
高木 恵子
いやいや、そんなことないんですけど。
田中 愼一
印象で生きようって話ですね。
高木 恵子
だけど、やっぱり校長先生とか、その3年生以降の学級担任の先生がすごくいい先生で、
なんかいつも高木はそれでいいよ、みたいに言われてたのは覚えてるんですよ。
だからきっとなんか、なんかあったんですよね。
でも、やっぱり小学校、あと中学校、小学校、中学校って絶対ぐるぐるみんな、
村八分にされる経験者がぐるぐる回るじゃないですか。
うちらの時代ってそうだったんだけど。
高木 恵子
そういうのも経験したのもあったんだけど、
村八分にされてた他の子たちは、
結構泣いちゃったり、わーって先生のところに行くようなところ。
私はそういうのがなかったから、
余計他の子たちの怒りをもっと助長させたっていうのがあったみたいで、
でも、もしかしたら逆に先生たちが私を隔離しちゃったのかもしれない。
だからそこのあんまり経緯が覚えてないんだけれども、
あと体が弱かったから、
本当に4年生までは出席日数ギリギリぐらいしか投稿ができなかったぐらい、
ちょっと体が弱かったっていうのもあって、
いじめられたりっていうのもあって、
先生が学校行くと校長室でいいよ、みたいな。
だったんじゃないのかなっていう、ちょっとそういう薄っすらの記憶しかないんだけど、
でもそうやって先生たちが。
田中 愼一
でもそれは先生のおかげですよね。
高木 恵子
いいよ、そのままでいいよっていう。
田中 愼一
そういう教育がね、多分必要なんですよ。
多分わかんないけど、日本ではもっとそれが必要なのかもしれない。
高木 恵子
否定をしちゃいけない、それでいいよっていう、
まず肯定をしてもらえるってことが、
人って安心感っていう気持ちが生まれますよね。
やっぱ否定されちゃうと、まずえって、
いろんな反応が起きちゃいますよね、人間的と。
だから、やっぱまず否定しちゃいけないんだろうなっていうのは、
私はその頃からずっと持ってた。
人に対して、人が否定をしちゃいけないっていうのがあったから、
違うのが当たり前っていう考えが子供の頃からあったから、
高木 恵子
だからそれが多分、個性の尊重にもしかしたらつながって、
自分も個性っていうのを大事にし、他人の個性っていうのも、
違うことが個性っていうふうに、私の場合は自然に、
子供の頃から多分受け入れてたというか感じてたから、
子供の頃から個性のすごさ、だから違うことが個性とか、
自分と違うことっていうのを受け入れる、
高木 恵子
多分キャパシティが子供の頃からあったんじゃないかなって思う。
田中 愼一
なるほど。
自由な学校・留学・外資系企業での経験
田中 愼一
ヒロさんはどうですか。
中川 浩孝
私はどうでしょうね。
でもなんか、私はだから前にもこれ言いましたけど、
中高が男子高でかなり自由などちらかというと校風だったので、
もちろん締めるところは締める先生もいたし、
いろいろな先生はいたと思うんですけど、
ただ全体的に言うと、かなり自主性というか、
自由にやらせてもらっていたっていう感じがあって、
そこでだから、みんな同じにしなくちゃいけないという雰囲気は、
全然感じなかったんですよね。
多分それはやっぱりその6年間、学んだ6年間で、
そういう歯止めというか、そういうのがなかったっていうのは、
すごく大きいかなっていうのはあります。
私の場合はもちろん大学に行った後に、
アメリカに交換留学をしたっていうところの経験は、
やっぱりまた新しい発見というか、
全然日本と違うなっていうのを改めて感じる機会が、
やっぱり若い時代にあったっていうのも、
いい経験になったのかなというのは思いますし、
その後だから自分の生き方を定義付けた部分もあると思うんですよね。
社会人になった時に、日本の会社じゃなくて、
アメリカの会社に入っているので、
その後はもう何となく皆さんの想像のつく、
外資系の感じというか、
人からこうやれあれやれみたいな感じのことを言われないというか、
かなり自由にやらせてもらっていたので、
その後はさもありなんという感じで、
その後はもう30年以上それでやっているわけですから、
それはこんな感じになるよねっていう感じなんですけど、
あんまり小学校くらいまではやっぱりみんなと一緒というか、
そういう雰囲気を感じはしましたけど、
でもあんまり自分は気にしなかったかなっていう気はしますね。
人からどう見られているかとか、
人が赤いことをやっちゃいけないんだよみたいな、
空気を読むみたいなことに関しては、
あんまり強制されていた感じはないかなと思いますね。
そこはちょっと時代がだいぶ、まだゆとりまでは行ってないんですけど、
ゆとりのちょっと前くらいですよね、
の時のちょっと変わりつつある時代だったのかもしれないですね、
そういう意味では。
田中 愼一
なるほど。
個性的な人材とイノベーション
田中 愼一
個性との接し方っていうことで、
今さっき、
要するに相手の個性を認めるとリスペクトって確かにあるし、
それはすごく第一ステップ。
田中 愼一
何て言うのかな、
1997年に創業というか、
フラッシュマヒラードジャパンという会社をゼロから作ったんだけども、
田中 愼一
その時に人の採用っていうのがありますよね。
人の採用で結局30年近くやってきたんだけど、
いろんな人を採用してきたり、
いろんな人に会ってきたんだけど、
なぜか、
僕が面接するっていうと周りがね、
田中 愼一
田中さんの面接あんまり役に立たないっていう形で、
自分のことばっかり喋ってそれで終わっちゃうから面接にならないっていう批判は受けつつも、
やっぱりそういうふうにいろんな人に会っていくと、
何が僕のほうの感覚になるかというと、
相手の個性を認めるというよりも、
僕の場合は相手の個性に関心があるっていう感じになる。
なぜかというと自分自身が個性がないっていう思い込みかトラウマみたいのがあって、
個性のある人間が羨ましいっていうね。
そういうなんていうのかな、
田中 愼一
少なくても多分、
英国のローデシアで受けた教育の時はそういうことなかったんだけど、
日本に帰ってきた時に急に抑圧を受けたっていうのが、
結構根深くあるのかなって感じがあって、
田中 愼一
それが中学高校と抑圧されて、
その後大学になってから自由にある程度動き始めてから、
徐々に自分は個性が出てきてるかなって自覚を持ち始めたんだけども、
そのトラウマのおかげでですね、
個性の強い人間に関心を持つ、
惹かれるというよりも関心を持つっていう、
つまり自分にないものを持ってるっていう風にね、
なんでこんなに個性出せんの、このところで、
反発食うじゃんと思うような時でもね、
個性のあるやつってのは羨ましいなっていうのが多分あって、
それが一番初めにそこのきっかけになったってやっぱり大学入ってからだけども、
その後卒業してホンダに入ったら、
ホンダの同期があまりにも変人集団で、
開いた口が塞がらないっていう、
田中 愼一
本当にね、
もう単にAの数が少ないってシングルプレイヤーっていうだけじゃなく、
ありとあらゆる目で変人ばっかりなんです。本当に変人ばっかり。
こんな変人集団で一緒にやっていけるのかなと思うぐらいに変人が揃ってて、
多分そういう変人集団だったんでしょうね、あの頃のホンダという会社は。
田中 愼一
同期全員変人ということで、その変人と付き合わなきゃいけないわけですよ、こっちは。
そういう中で徐々に変人に対する慣れっていうのが出てきて、
で、だんだん初めは対立してたんだけども、
田中 愼一
なんだよお前って変人とねぶつかるんだけども、
でもだんだんだんだんこう親しくなっていくうちに、
変人も面白いんだなっていう風になって、
田中 愼一
それからなんていうのかな、変人好みになっちゃった。
だから1997年から会社を立ち上げて採用して、
1000人台以上かもしれない。
うちに入ってきて辞めて、残ってる人全部含めても、
1000人で収まらないと思うんですけど、
そういう人たちのほとんどがやっぱり変人好みの僕に採用された人たち。
だから変人集団なんですよ、あそこは。
今は今度はまともなトップになってきたんで、
多分だんだん正常化するとは思うんだけど、
田中 愼一
その前まで本当に変人集団で、
ただ変人集団だからこそできないことができたっていうね、
イノベーティブなことができて、
いろんな冒険ができてやったっていうことで、
だから多分そういう経験っていうのが、
僕の中に変人に対する関心度合い、
変人好みっていう性格を作ってしまった。
僕の個性の一部になっちゃった。
だから個性の強いやつほど僕は関心を持っちゃって、
田中 愼一
逆にそこに惑わされて採用しちゃったとかね。
いう失敗だな、はっきり言うと、
多分50-50だと思いますね、僕の成功率が採用の。
だからなんかそんな感じですね。
「変人」という基準を問い直す
中川 浩孝
でも変人っていうのはまさに個性が強いっていうことですよね。
田中 愼一
そうですね、変人はね。
中川 浩孝
そういう意味では変人っていう言葉が、
すでにネガティブな意味を若干持ってるじゃないですか。
だから個性が強いイコール変人っていうこと自体が、
もう日本ではそういうふうに認識されているっていうことの表れですよね。
田中 愼一
変人扱いされるっていうね、
変人っていうのがネガな言葉として使われて、
それが個性と結びついちゃってるからね。
中川 浩孝
そうなんですよ。
だからそれは良くないなって思いますよね、やっぱりね。
高木 恵子
なんかでも田中さんの例で言うと、
会社が立ち上がるとき、何かゼロのものから作り上げるときって、
むしろ日本の場合ですよ、ちょっと他の国は分かんないけど、
やっぱりそういう個性が強い、
何かをやっぱり生み出さなきゃいけないシチュエーションのときって、
やっぱりそういう、もし変人っていう言葉を使うのであれば、
そういう人たちがいた方がゼロから何かを作り上げるときには必要ですよね。
田中 愼一
それはね、実体験、実体験、まさに実体験で、
やっぱり僕は最近だから、その対話がイノベーションの源だってよく言うんですけども、
個性がぶつかり合って初めてイノベーションって生まれると思うんですよね。
だからやっぱり個性あってのイノベーションだから、
やっぱり個性を変人として捉える考え方はやっぱり違うと思いますね。
変人っていうのはニュートラルな言葉にしなきゃいけないんですよ。
変わった人っていう、でも基本的には全員変わってるんですよ、ある程度。
みんな変わっても同じ人なんてやんねえ。
中川 浩孝
そうそう、違うっていうこと。
田中 愼一
みんな違うんですよ。一人一人違うんですよ。
高木 恵子
そうそう、だから変わるっていうのは、変わるって何かの基準があるわけじゃないですか。
基準に対して変わるっていう表現をするから、
変人っていう言い方をするのって、やっぱりこの日本社会がもうこれですよねっていう、
みんながマジョリティーが持ってる日本社会の基準っていうのを作っちゃってるっていうところでの変人っていう言葉が生まれちゃうから、
高木 恵子
それ自体がね、きっと個性を受け入れる、環境がないんですよね、やっぱり日本ってね。
田中 愼一
なるほど、そうか。
高木 恵子
そう、そこだと思うんですよね。
田中 愼一
じゃあ、明日はみんなに、受講生に、お前ら変人好みになれって言えばいいわけですよね。
高木 恵子
だから、そこがどうなんですかね、日本って変わってきてるのかな。
田中 愼一
いや、変わんなきゃいけないと思うんですよ。
高木 恵子
変人っていうことを言うための基準がまだあるのだとすれば、日本のその基準をちょっと取っ払わなきゃいけないですよね、本来は。
そうすると変人っていう表現が出てこないはずな、この人はこういう人だよね、この人こうだねっていう表現になるはず。
中川 浩孝
そうそう。
高木 恵子
変人っていうふうに言うってことは、何かの基準があってそれに対して変わってるっていう。
田中 愼一
基準あっちゃだめなんですよね。
高木 恵子
そうそうそう、いけないことだと思う。
田中 愼一
個性っていうのを基準で測っちゃいけないんですよね。
高木 恵子
そう、だからこの人はね、Aパターンだね、Bパターンだねっていう言い方ならわかるじゃないですか、自分と違うからね。
でも変人っていうのはやっぱ何かの暗黙の基準があってそれに対して違う違う。
中川 浩孝
外れてるってことですよね。
高木 恵子
そういうだから言い方がいけないんだろうなーって。
中川 浩孝
そうですね。
何かそこをまず言い方を変えるっていうか、何か感覚を変えるっていうのは。
田中 愼一
まあそうですよね。何かどっかでドキュメントでやってたけど、
えーとなんだっけな、アウトサイダー、アウトロー、アウトサイダーか、アウトサイダーっていうのが世の中を作っていくっていう。
つまり主流派じゃなくて、世の中のイノベーションや発達っていうのはそのアウトローの連中、
つまり今絶対多数のいわゆる主流派にいるところは今の制度というか今の基準で考えてしまうんで、
持ってる基準で、そこからの躍進はできない。
躍進できるのはそこの主流派に属さないアウトローの連中だっていうね。
そういうことを言ってた学者がいたけども、やっぱりそれは言えてて、
基本的にはもう主流派じゃないんですよね。みんな違うんですよ、個性が。
だからやっぱり個性と個性のぶつかり合いというか、個性と個性の対話というか、
田中 愼一
そこがやっぱり滞っている社会と滞っていない活発に行われている社会ではやっぱり元気度合いが違うでしょうね。
だからやっぱり日本元気にするって言ったときは個性をですね、発揮しろ、輝かせろってこれがポイントでしょうね。
それは思いますね。
対話から自分の個性を発見する
高木 恵子
だからまず、今で言う変わっている人っていうのを排除しないっていう環境を作るのと、
あと今、何て言うんだろうな、
例えば普通その標準であるべきでずっとやってきた人に、
高木 恵子
じゃああなたちょっと自分の他の人との違い、いわゆる個性っていうのを持ってごらんって言われちゃうと、
その人たちがたぶん、いきなり個性を作れって言われても、たぶん難しいはずなんですよ。そう思いません?
だからまず、ちょっと除外視されてた人たちを除外視しないっていう環境づくりをするのとともに、
個性を作れ作れって言わなきゃいけない人たちに対して逆に、
何が個性で、違うことが全然問題ないんだよっていう、
今度そういう教育をしてあげなきゃいけない。だから両方だと思うんですよね。
田中 愼一
あともう一つはね、分かんないけど、個性ってみんな自分の個性知ってんですかね、本当に。
僕なんか自分の個性って何かって言われてるときに答えられないですよ。
高木 恵子
だから他人と違うなって思うところは感じるものってありますよね、きっと。
そこから始まればいいんだと思う。
田中 愼一
そこから始まる。だから結局は相手外との対話を通じて、自分を発見していくっていうプロセスになるわけですよね。
だから基本的に少なくても自分の個性っていうものを理解するためには、
やっぱり他人と対話して、その中から自分の個性っていうのをつかんでいくっていう、こんな発想ですかね。
高木 恵子
そう。あと他人と会話しなくても、例えば何て言うんだろう、会話じゃなくても何か違う、
だから家にずっと閉じこもっていると誰とも接触、外部と接触しないけれども、
例えばちょっと外に行ったときに、誰かと対話しなくても何かを見たときに、自分がえ、これが変って思うことってあると思うんですよ。
田中 愼一
あるでしょうね。
高木 恵子
田中さんも多分ヒロさんも、誰かと会話しなくても何かを見てて、え、これっていいの?とか、え、これって変じゃない?あるじゃないですか。
田中 愼一
多分僕流で言うと、それは人との対話、それから見えないものの対話とか、自称との対話とか、自然との対話とか、あるいは聖なるものとの対話とか、
いろいろな対話のパターンがあるわけで、それをやることによって作っていくっていう形でしょうね。
高木 恵子
だから人と喋らなくても、外、外っていうか自分の空間以外のところに行ったときに何かを見て、自分がえ、これがおかしいって思ったことが、まず自分の個性を探る第一歩だと思うんですよね。
だってこれが変って自分が思ったってことは、例えばこの人たちはこういうことをやってるのに、え、なんかそれおかしいなって思うこと自体がもうそこで違いが生まれてるわけですもんね。
それがきっと自分の違い、個性のちょっとこう考える第一歩だと思うんですよね。
田中 愼一
なるほどね。
高木 恵子
なんで違うって思ったかっていうのって、きっとその自分の何か根本にあるもともとの考えとか経験値で、え、それおかしいと思うわけですよね。
そっからやっぱりちょっとこう紐解いていくのが一番いいと思う。だからそう。
田中 愼一
そうですね。そこあたりから紐解いていくんでしょうね。
高木 恵子
なんかそういうのは私はほんと幼稚園、小学校、中学校で散々と、散々となんかもう、なんかこう、やるよりもやらされ、なんかこう感じちゃってたから。
田中 愼一
そうするとその個性っていうのも成長してるってことでしょ。
高木 恵子
そうそうそう。だからもうそういうのが癖になってるから、どんどん高校生。
田中 愼一
だから多分どんどん感度が変わって、見識が変わってくるから、個性っていうのはやっぱり成長するものなんですよね。
高木 恵子
そう、そこでなんかやっぱりどんどん自分の中で、だから自分も変わってるわけじゃないですか、きっと。
そういう外の空間を見て、で、自分の考えも変わってきてるのも自分も分かってくる、気がついてくる、どんどんこう年代、歳とともにっていう。
だから早くその、なんていうのかな、違いの見つけ方?みたいなのをみんなが。
田中 愼一
それは多分、見つけ方っていうのはやっぱりあらゆるものとの対話をやっていくってことですよね。
で、それは自分との対話も当然あるけども、人との対話だけじゃなく、自然とか事象とかあらゆるものとの、つまりこう、で、対話っていうと何かっていうと、まあ意味付けだと思っていて、僕は。
じゃあもっと言い方変えると、どういうメッセージを受け取ったかっていう。
だいたいそれだと思うんですよ。だからいろんな事象に出会う、いろんなものを見る、いろんな人と話をする、自分との対話をする中で、そこから何を今メッセージとして受け取ったのかっていう。
メッセージの受け取り方が変わるんでしょうね、個性によって。
でも、個性は成長するもんだっていうのは当を得てますね。
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