田中 愼一
2つ目の体験、起点となった体験というのはやっぱり、それと同じ状況が今度ですね、私が27歳ぐらいになった時にアメリカで起こるわけですね。
今度は個人が差別されるっていうんじゃなくて、企業が差別されるっていうことで、ホンダが差別。
てか、日本の自動車メーカーが差別される。もっと言うなら日本の企業が差別される。
こういう本当に同じような状況で、その時に基本的にはいろんなことをやって、ただその時に考えた戦略ってのがあって、戦略ってその当時会長だった杉浦さんという人から言い渡されたんだけど、
突然日本からアメリカのワシントンDCに飛ばされて、そこでわけのわかんないうちに会長さんがワシントンに来た時に、
兄ちゃんお前の役割わかってるかって言われて、いや全然わかりません。何のためにここにいるのかも、もう3ヶ月経ちますけどわかりませんって正直言ったら怒られちゃってさ。
で、お前の役割はだなということで、いわゆる具体的なシーンで言うとですね、太平洋の真ん中に線が引かれると。日本側とアメリカ側と。
いずれこうなると。その時にお前の役目はホンダは必ずアメリカ側に転がるようにしとけと。
トヨタの日産は日本側に転がっても大いに結構。でもホンダだけは絶対にアメリカ側に転がるようにしろと。非常に比喩チックな表現。
あの人はですね、京大の物理学科で、ノーベル学士を取った物理学で、その人の孫弟子なんですよ。
で、そういう人がなんでこんな抽象的なアナロジーを表現するのかっていうことで、びっくりしたんだけど、自分なりに解釈するわけですよ。
そうすると基本的にはアメリカの世論を味方につけろと。ホンダの。
っていうふうに僕は解釈し、で解釈した時に実はローデシアで学んだ一つの発想である役に立つっていうのが基本。
つまりホンダはアメリカにとって役に立つ企業なんですよというのを伝えるためのコミュニケーション戦略を実行したんですよね。
7年かかったけど実行したということで、でその時に学んだ一つの教訓というのは、
さっき言った相手の役に立つっていうのはもうすでにローデシア時代に身につけてたんだけど、やっぱりコミュニケーションっていうのは戦いだっていうね。
仲良くすることじゃない。それまで僕ねコミュニケーションって仲良くすることだとばっかり思ってたんですよ。
違うんだと真逆の戦いだっていう。でそれは何かというと、
アメリカの反日世論をホンダの味方につけるためにはもうねメッセージ戦争が起こるわけですよ。
攻めてくる連中がいるわけです。あの向こうの自動車の組合UAWというそれからあとビッグスリーですね競争相手。
それからそれになびいている政治家、マスコミ、それからいろいろなステークホルダーたち、これが一斉にホンダに攻めてくるわけです。
であらゆるメッセージというミサイルを打ち込んでくるわけですね。
でこっちはそれに対して攻撃用のミサイル、つまりこっちが相手を攻撃するためのミサイル、メッセージだけじゃなく、
相手が打ってきたたくさんのメッセージを迎撃するためのメッセージを打ち込まなきゃいけないわけですよ。
これのねやり取り、ボンボンボン、本当イメージはまさにメッセージ戦争。
でそこには迎撃用と攻撃用があるんですよ。
でそれを7年間やらされたんですよね。
でその中で徐々にアメリカの世論がホンダは役に立つって認定してくれたわけです。
7年経って。で認定してくれたっていうのが3つ目の実は起点となった経験で、
本田宗一郎さんがアメリカの自動車産業の殿堂入りっていうことでデトロイトに来て、
でその時に千何百人という大きな最も反日的な人たちがあるねその表彰式の中で彼が10分ぐらいのスピーチをし、
まあ日本語ですけどね基本、英語はサンキューサンキューしか使わなかったけど、
そこで一斉に終わった瞬間にスタンディングオベーション。
で82歳当時、本田宗一郎さん。
英語はイエスとサンキューとハローしか知らない。イエスも知らなかったかもしれない。
そんな感じでその千何百人の人たちをスタンディングオベーションさせたこのおじいさんの力って何と。
これ俺がやってきたコミュニケーションと違うぜよと。
田中 愼一
で基本的には感謝が基本。
つまりホンダさんが15分間語ったのは感謝感謝しかないんですよアメリカに対する。
ホンダを一人前にしてくれた感謝感謝これがメッセージ。
これが84歳のおじいさんが語ることによって、
2歳かあの時。
基本的にうわって。
そこがある意味起点っていうか僕がこのコミュニケーションの中にのめり込んでいく起点でしょうね。
俺はもうコミュニケーションできるんだって決めたのが多分あの時点だと思う。
これがだから3つ目で。
で4つ目最後の起点っていうのはこれはセガに行って、
セガで当時中山さんっていうすごいオーナー家の親父さんがいて、
すごい人だったんだけど。
でスピルバーグが来たんですね。
でスピルバーグが表敬訪問に来て、
でこの中山さんっていうのは表敬訪問で終わらせないのは彼の凄さで、
何かビジネスにしちゃうんですよ。
で結果そこでのミーティングの結果ですね、
実際ビジネスでジョイントのビジネスが生まれるんですけども、
ただその話表敬訪問の段階だったところに僕が呼ばれて、
お前通訳の役割しろって言われて通訳一生懸命やりますって言って、
で中山さんは結構ある程度英語できるんで話し始めるんだけど、
込み入ってくると僕に通訳させるわけですよ。
そうするとあの人ね5分くらい話しちゃうんだよね。
で5分くらい話してですね、おい田中通訳しろってはいって言って、
で僕その5分間もうメモぴっちり書いて、
それで田中訳せって言ったらはいって言って上のメモから徐々に訳していったわけですよ。
そしたら30秒くらい経ったらね、どつかれたんですよ。
でボーンってこう肘で、で僕こっちに座ってたからこうガーンって言って。
でびっくりしたよ、痛くないですよそんなの。
強気でボーンってやってなくて、ちょーんって軽くちょこっとねどつかれたんだけど、
田中 愼一
何が衝撃だったかっていうと、
スピルバーグっていう有名人の前にでどつかれたという屈辱感。
これが地獄だったんです。
これ地獄以外のなんでもない。
なぜかというと初めの30分どうしていいかわかんなくてどつかれた話なんですよ。
何やってるのお前とかさ。
でボンボンボンボンやられて、
でこっちはね生きるか死ぬかっていうぐらいの緊張感の中で、
もうね何とか逃れるとこから絞り出した知恵なんですよね。
もうねメモとんの全部やめて。
中山さんが語る5分間から6分間ずっと語ってるものをじっと聞いて、
まず3つにまとめる。
3つにまとめきれなかったら5つにまとめる。
でその時ね5つでまとめなかったら7つでまとめるっていうのが瞬時に出てきたんですよ。
これは僕のデトロイトの経験ですね。
つまり記者と話す時のポイントで3つあるよとかね。
5つだなとかね。
7つだなっていうところで成功してきた経験値なんですよ。
それでまず3つっていうことで、
で3つで収まんなかったら5つ。
で実際7つまでいきませんでした。
ってことは対話をしてる時はもう3か5だっていうのがわかったですねあの時ね。
で田中訳せって言ったらはいって言って、
1、2、3、30秒以内できるわけですよ。
そしたらえらい気に入られちゃってね、中山さんから。
僕は入社して何ヶ月かあの時1ヶ月か2ヶ月か経ってないんだけど、
まあセガには2年と半年くらいいたんですけど、
毎回大物が来る時は僕が横に座ることになって、
はい3つとかはい5つとか7つってなかったですねさすがに。
で少なくとも1分以内に終わらせないと、
1分ではやばかったかな、やっぱり30秒以内が基準ですね。
5分彼が話そうと10分話そうとポイントはもうこれだけって。
でそれが実は何がすごいあったかっていうと、
僕がデトロイトで実証したことを使ったっていうこと以上に、
その中山さんの頭の中っていうか、
その言葉だけじゃなく心の中の奥底、
今で言うとさっき言った個性みたいなものの奥底に隠れている知見っていうのかな、
知恵というものがですねだんだん見えてくるんですね。
面白い、だから彼の話してることにもう全力投入して、
日本語でメモを取るなんてことを一切しないで、
とにかく彼の言ってることを一生懸命やってると、
でそれを3つにまとめるとか5つにまとめるっていうことになると、
彼の視点が見えてくるんですよ。
どういう視点からスピルバーグに攻め上がってるのかとか、
スピルバーグのどういう発言をどういうふうに返して、
で彼をスピルバーグを自分の土俵に持ってきたのかとか、
そういうのがですね非常に分かって、
そっから一言で僕が得た教訓っていうのはですね、
無から有を生むっていう、無っていうのは何もないところから有あるね、
有するって有ありますよね、所有の有とかね、
有を生むっていう言葉なんですね。
これは僕の中の、僕の言葉なんだけども、
無から有を生む、まあこれは僕の言葉っていうか、
結構言う人、一般的に使う言葉でもあるかもしれないけど、
とにかく無から有ってそれは、僕は今まで自動車業界にいたんだけども、
自動車業界は無から有は作り出せないんですよ。
やっぱり形のあるものから入っていくわけですよ。
だから無から有なんてお前詐欺師かって言われる。
何もないところから価値を出すなんて馬鹿なこと言うなって否定される世界が自動車の世界だったんだけど、
ゲームの世界はそうじゃないんですよ。
見えないものから価値を作り出すってことができるんですよ、
ゲームを開発するときっていうのは。
物を見えてるものだけでゲーム開発されてないんですよ。
もちろん車だってね、そこの部分はあるけど、やっぱり車はあれだけ3万の部品が集合体みたいになって、
開発するのに当時4年かかるわけですよ。
さらに4年売らなきゃいけないから、8年という枠で思考が全部回ってるんですね。
僕が売ってたゲーム機器なんていうのは、だいたい下手すと2週間の命ですよ。
もう即人気100円、1日1万円いかなかったら即中古市場に売られちゃうんです。
だからこっちはですね、もうエイヤーで言うと自動車が4年開発するのにかかるのに対して、
ゲームはですね、たぶん2ヶ月くらいで作っちゃうんですよ。
だから形に見えてから動くじゃ遅すぎて、
見えないところでもう差別化しなきゃいけないんですね。
この無から言うっていう発想方法っていうのはですね、実は4つ目の起点で、
僕にとってはそのいわゆるガイディングプリンシパルになって、
特にFH、うちの会社を創業するときに一番役に立った発想です。
田中 愼一
コミュニケーションって見えないじゃないですか。
見えないものから何もないって判断するんじゃなくて、
あくまでも見えないものであって、そこに価値がないっていうことじゃなくて、
だから見えないコミュニケーションっていう世界から、
どれだけ見えるコミュニケーションサービスを作っていくかっていう、
トレーニングなんかその一つでしょうね。
だからそういう起点っていう、そういう4つの起点ですかね、
ここあたりがいわゆる僕にとっての一つ、
今日まで僕の人生をシェイプアップしてきた発想で、
それをガイディングプリンシパルって呼んでたんですね。
でも最近やっぱり思うのは、ガイディングプリンシパルだけじゃダメで、
それをより進化させたコードオブビヘイビアって、
つまり全ての行動、ビヘイビアの起点となる発想。
それは意識してなくてもその通りに動くようなコードね。
田中 愼一
僕はコードとプリンシパルっていうのを分けてて、
プリンシパルってまだもう少し意識の世界が入ってるんですね。
意識してガイディングプリンシパルっていうのは意識してるんだけども、
もう意識してるだけじゃダメで、
それが深く自分の中に入りきって無意識の世界まで入ってって、
もうコードになっている。
コードとプリンシパル何がどう違うのかっていうのは、
僕の頭の中では武士道っていう日本語がありますけど、
あれを英語で言うとサムライコードとかね。
The Code of Samuraiとか言うんですよ。
プリンシパルって言わないんですよ。
それは何かというと、
サムライは考えなくたって自分のビヘイビアって決まってるんですよね。
いざとなったら腹を切るとかね。
それ考えないですよ。
プリンシパルだーって切るわけじゃない。
それはもう自動的にビヘイビアにビルトインされてるんですね。
だからこれからはリーダーの人たち、
人を動かすためにはそこまでつまりコード、
コードオブビヘイビアまでしっかりと持っているってことが、
自動的にもう自分の行動っていうもの、
ビヘイビアっていうものがその規範、
それがコードが規範になって生きていくってなると思うんですね。
しかも個性っていうのは今言ったように、
経験に基づいてガイディングプリンシパルがあり、
ガイディングプリンシパルがあり、
コードのビヘイビアが出てくるわけですから、
経験によってですね、
あるいは僕は知識はあまり信用してないんだけど、
経験によりさらには知識が増えることにより進化していくんですよ、個性って。
なぜかというと新しいガイディングプリンシパル、
新しいコードのビヘイビアっていうのは増えていくわけで、
アキュミレイテッドされていくわけですよね。
さっき言った培うっていうのはまさにその通りで、
田中 愼一
だからコミュニケーションっていうのは受信する、発想する、発信する、
そして培われる。
その培われるものっていうのは今言った外との関係性っていうことで、
田中 愼一
インゲージメントが培われ、
それからうちの中ではさっき言ったウィズデムっていう形で、
僕の言葉で言うとコードオブビヘイビアですね。
みたいな形で蓄積されることによって、
その人のビヘイビアが変わるわけですよね。
進化するって言ったほうが一緒にビヘイビアが。
でもビヘイビアそのものが表現なんですよね。
そんな感じですかね。
中川 浩孝
もうそこがしっかりしていたら失言なんて出るはずないんですよね。
田中 愼一
そうなんですよ。
はっきり言えばね。
頭の上だけでね、あるいは口先だけでね、
中川 浩孝
口先だけでやろうとすると、
田中 愼一
失言が間違いなく出てくる。
中川 浩孝
そうなんですよね。
高木 恵子
なんか今聞いててすごい、私が発想されたことって、
スポーツ選手がよく自分のルーティン、
田中 愼一
ルーティンまさにその通り。
高木 恵子
ですよね。
だからルーティンがやっぱり体に染み付いて、
それがもう自分のビヘイビアになるから、
ああいうイチローさんにしろ大谷君にしろ、
やっぱり一流と言われてる人ほど、
ちゃんと自分のルーティンがあるわけですよね。
田中 愼一
確かにね。
高木 恵子
だからそうしないとやっぱり自分の中に自然なものとして、
田中さんのビヘイビアっていうものに多分ならないのかなと。
田中 愼一
そうね、確かに。
だから多分ガイディングプリンシパルっていうのをまだ意識してるときは、
それを絶えず意識しながら自分のビヘイビアを決めてたんだけど、
だんだんそれはルーティン化していくと、
基本的には一つのビヘイビアになっちゃうんだよね。
高木 恵子
そういうことなんでしょうね。
だからそこまでそういうふうになればいいんでしょうね。
田中 愼一
だから我々自身がそういうことで、
日々自分の中にそういうものを蓄えて培ってるわけで、
それがその人の、人の進化って言うけど、
心の進化って言ってもいいけども、
ある意味で言うと僕の言葉で言うと個性の進化。
やっぱり個性っていうのは自分を表現してるわけですよ。
だから一番今言ったようにビヘイビアが重要だってことは、
ビヘイビアイコール個性なんですよね。
どういうビヘイビアをとってるかで、
人間はこの人はこういう人なんだなとか、
リスペクトもするし、ニグレクトもするし、
だから自分のビヘイビアが自分のすべてを、
やっぱり表現しているというふうに考えると、
そのビヘイビアはどこから出てくるのかって、
ビヘイビアが言うことを聞くようになるのかっていうと、
やっぱりさっき言った経験と知識っていうその両方、
僕は経験を重視派なんですけど、
経験と知識も入れましょう。
知識と経験っていうのを積み重ねていくと、
徐々にいわゆるウィズデムっていうか、
ウィズデムっていうのがいいのかどうかわかんないけども、
ガイディングプリンシパルでもいいんでしょうけども、
それをずっと何回も繰り返していくうちに、
だんだんルーティン化して高度になっていくって、
こういう感じですね。
中川 浩孝
ただ一つだけ私がちょっと今気になったのは、
個性っていうと、
人と違うっていうのをすごい意識しちゃいそうな気がするんですよ。
でも別にそれって人と同じでも別にいいわけじゃないですか。
私はこういう人だっていうことなのであって、
違うっていうことは別に特に強調する必要はないから、
私ってこういう人だっていうことが個性なんだよって、
個性っていう言葉の人と違うっていうか、
私だけみたいなオリジナリティみたいな感じに聞こえちゃうので、
そこはもっといいピタッとはまる言葉があったらいいなと思うんですけど、
私らしさっていうか、
私らしさも人と違うっていうのが出る感じがちょっとしちゃうんですけど。
田中 愼一
そこは一つ方法論としては、
違うっていうことを肯定的に捉える表現にしておくと。
要するに違うからこそここまで人類が発展してきたわけだよね。
中川 浩孝
でもそれを意識しちゃうと、意識しすぎちゃうと、
あの人がこういうこと言ってるから私は違うことしようとか、
自分じゃないことをしようとしたりとかする人が出てきそうな気がしたので、
ちょっとそれが気になったという感じです。
田中 愼一
違いっていうものをどう定義するかっていうのが重要で、
いい悪い両方ともあるわけで、
違いっていうことを強調すると、
自分だけはとかなんとか凝り固まるけど、
それがちょっとガラッと視点変えると、
違いがあるからこそ我々は自分の違いっていうのが引き立ってくるんだっていう。
違いがあるから、みんな違うからこそ自分が違うんだっていうね。
中川 浩孝
そうですね。難しいですけどね。
田中 愼一
難しいですけど、
多様性、ある意味多様性だから自分があるんですよ。
あの、なんか禅問答になってきたけど、
そうなんですよ。多様性がなかったら自分ないんですよ。
高木 恵子
あれですよね。他人と比べるというよりも、
まずその個性っていうところを見つけるには、
まずはやっぱり自分が誰なのかっていうのが分かることが必要で、
例えば自分が何が好きとか何が嫌いとか、
そこをまずクリアにしていくっていう作業が、
多分個性、最終的な個性につながるんだと思います。
田中 愼一
なると思うし、あと僕はこういろいろ最近の発想は、
結局比べるっていう価値観そのものがまず問題で、
問題っていうか、やっぱりそこに壁をぶつかるんですよ。
で、比べるんじゃなくて、
基本的にはもう比べることを全部忘れましょうっていう形にすると、
本当の自分の姿が見えてくるっていう。
中川 浩孝
そうなんですよね。
田中 愼一
多分ね、そこあたりなんですよね。
だから多分そういうところにいろいろな宗教思想とか、
そういういろいろなものがそこを目指していろいろと考えてるんだけども、
でもいずれにしてもそこの相対論からの脱却っていうのは、
絶対どっかの時点でしないと自分を知ることはできない。
中川 浩孝
比べてるうちはまだ迷いがなんかあるんだと思うんですよね。
田中 愼一
あとね、比べてる自分っていうのは自分じゃないと思いますよ。
だって別のもんと比べて自分を規定してるわけでしょ。
そんなの自分じゃないじゃないですか。
中川 浩孝
そう思います。
田中 愼一
だからそこは結構面白い議論ですね。
中川 浩孝
でもやっぱり日本は全体的にみんなと一緒にすることが良しとされる文化だから、
今までそれで来ちゃってるけれど、
でもやっぱりそうじゃなくて、
私はどう思うのか、私はどうありたいのかっていうのをやっぱりもっと突き詰めていくっていう作業が、
やっぱり経営者になるような人たちには必要な素質ですよね。
田中 愼一
ありますね。
ただ僕なんかこの前、自由っていうのが仏教用語だっていう話したんですけども、
例えば自由、自在も仏教用語なんですけどね。
で、自由っていうのは何々からの自由、フリーダムではないって言いました。
おのずから自由っていう感じ。
相対論で考えると自由ってフリーダムなんですよ、相対的に。
何かから離れる。
ところが仏教的な人で自由と考えると、
おのずから自由っていうことで、別にどことも比較してない。
比較してないからこそ、その比較のサブジェクトという比較じゃないんですよ。
つまり完全にその呪縛は解かれてるわけですよ。
比較するっていうのは逆に呪縛を得てるようなもんで、
自分自身を知るのに何で他と比較しなきゃいけないのかって話になるわけでね。
だからそこをもっと超えないと本当の自分ってわかんないと思うんですね。
だからそこあたりはですね、実はそういう発想っていうのは一般的ではないけど、
でも結構日本人の奥底には、
禅思想、禅というか仏教全体の思想がそうなってるんで、
それがわからないですね、
神教とか他の宗教にはどう影響してるのかわからないけど、
日本には少なくとも根付いてるいろんなね、
仏教を中心とする思想の中には、
そういうのはビルトインされてるかなというのは思いますね。