祝・田中さん復帰。お休みしていた間、実は入院と自宅療養をしていた田中さん。その間に感じたことや、その直前に参加した初釜の話。

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一 (Blog)         
高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)          
中川 浩孝(twitter / Facebook / LinkedIn / note)

ご意見・ご感想、3 人に話してほしいトピック、3 人へのご質問などありましたら、以下のフォームからお送りください。https://forms.gle/ZGKtUCBn3m25Nr6J6

00:01
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
コミュニケーションの世界に携わって40年以上、コミュニケーションを極めると自分が見えてくる、そして世間が見えてくる。コミュニケーション命、田中愼一です。よろしくお願いします。
高木 恵子
田中さん、お帰りなさい。SEからPRコミュニケーション業界に転職して、はや四半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきた、アメリカ在住、中川浩孝です。
田中 愼一
はい、どうもご迷惑おかけしまして、私としても27年、創業以来、こういう経験は初めてでございまして、病院に最低1週間で、実際、治るまでに2週間かかったというのは、ちょっと大きな出来事でありまして。
中川 浩孝
ちょっと心配しました、びっくりしました。
田中 愼一
すいません、いろいろと心配をおかけしましてですね、ポッドキャスティングを2回も抜けてしまってですね、非常に申し訳なく思っておりますので、
もうだいぶ、病気の期間、2週間っていうのは、ある意味、大変な期間でもあったんですが、ある意味、なかなか学びの機会でもあったっていうことで、
そこあたりの話を、ネタとして提供できればいいかなってちょっと思ってますね。
転んでもただでは起きないっていうことですね。
非常に重要なことだと思いますね。ピンチをチャンスってことでね。
高木 恵子
今日は思う存分2回分喋ってください。
田中 愼一
いやいや、もう一つの反省点は、やっぱり俺は喋りすぎじゃないかと。
なぜかというとですね、入院しているとですね、実はいくつかのことが遮断されるんですよ。
一つの大きな遮断ってのはコミュニケーション上の遮断で、相手とコミュニケーションするという相手との対話っていう場面が、はっきり言うとなくなるんですよ。
メールはあるんだけど、メールといってもこっちも体調悪いもんだから、
基本的にはメールも本当に限定されてて、基本的には連絡取らないっていうのが原則なんで、
03:02
田中 愼一
だから基本的にはメールもあんまり使えないし、ましてや人と話すっていう対話の場面が、
看護師さんやお医者さん、担当医の方と話すって言っても、一回の話がだいたい1分ぐらいで終わっちゃうんですよね。
しかもほとんどが一方的、これダメですとかね、これ飲んでくださいとかね、
ずっと点滴やってたんで、基本的には針変えますとかね、採血しますとか、そんな対話しかないわけですよ。
そうすると人間は面白いもんで、やっぱりコミュニケーションってのは人間にとって生きる上で非常に重要なものなんだなって再度実感したんですが、
相手とのコミュニケーションが少ないと限定されると、自分とのコミュニケーションが増えていくんですよね。
つまり自分との対話がめちゃくちゃ多くなるんですよ。
起きてても、テレビ見てても、メール読んでても、本読んでても、とにかく自分と対話してるんです、頭の中で。
入院する前はですね、僕はよく対話っていうのはまず自分の対話から始めて、心を整った上で相手との対話をすると相手をより知ることができる。
つまり相手との対話で基本は相手を知ることなんだけども、相手を知ることを最も邪魔するのが自分の自身だと。
自分のエゴとか自分の偏見とか自分の思い込みとか好き嫌いとかね。
それをまず自分との対話を通じてなくした上で相手と接する。相手とは真っさらで素直に接する。
そうすると相手がより見えてくると相手との対話がうまくいくっていうね。
だから自分との対話をある程度ですね、ファーストプライオリティにし、その次に相手との対話っていう順序を設けてたんですが、
今回ですね、相手との対話が極力少なくなり、自分との対話が極力高まってほぼ99%自分との対話が締めるとですね、やっぱり人間ってよからぬこと思うんですね。
妄想がね、たくましくなっていくんですね。
そうするとですね、心の安定が逆になくなってくる。
人間ってやっぱりね、自分の中で物事を考えてるとろくなことが出てこないっていうのを実体験しましたよ。
妄想がどんどんどんどんできてきてバランスが狂うんでしょうね。
だから多分、対話っていうのは非常に重要なことで、人間が生きていく上では常時対話し続けることが重要なんだけども、
少なくても相手との対話と自分との対話の比率をしっかりバランス取らないといけないって、この比率は僕わかんないんだけどまだどのぐらいがいいのか。
06:05
田中 愼一
ただ少なくても分かるのはバランスを取らなきゃいけないっていうのはね、やっぱり重要
だから日々健康体で動いてる時っていうのは結構相手との対話もあるし、仕事上ね。
それから自分との対話も交互に同時進行でシンクロしてるから、バランスがある程度保たれるんでしょうね。
バランスが保たれると面白いもんでね、考えることがまともになってくるんですね。
妄想になっていかないんですよ。一人で対話してるとね、どんどん迷路に入ってくるんですね。
一人で考えてると逆に言うとですね、理屈っぽくなるんですよ。
理屈っていうものに頼っていくんですね。論理の連鎖をつないでいっちゃうんですよ、勝手に。
でも日頃の日常生活っていうのは、自分との対話だけで凝縮するってことはありえなくて、人と絶対接しますから。
人と話すし、仕事なんかも人と話すことが商売だから、特に僕の場合は。
そこのバランスというのが自然にできてて、その中からバランスが取っていくと単に理屈だけで物事を判断するんじゃなくて、
より情感とか、いわゆる人の情の部分とか、そういうものを相手との対話を通じてどんどん受信しますからね。
だからバランスが取れてくるから、だからたぶん情とか理屈とかいうのもバランスがあって、
理屈だけにあるいは情だけに偏っちゃうと、またそういうバランスをかけることになるんでしょうね。
だからたぶん会話も、相手との対話と自分との対話のバランスっていうのがやっぱり取ることが、
逆にその理屈一辺等に行かずに、情のことも配慮する。
あるいは感情一辺等に行かずに、そこには合理的な発想とかそういうのとかがうまくバランス取れるような、
そういうのがあるんだなっていうのは本当に実感しました。
中川 浩孝
それはちょっと面白いですね。
逆にでもいつも相手と自分と、もう一人第三者みたいな話をすることあるじゃないですか、田中さんが。
そこではどっちかっていうと第三者はあんまり出てこなくて、神みたいな存在とか宗教論みたいなの出てこなくて、
自分との対話がやっぱり多くなっちゃうんですね。
田中 愼一
煮詰まってきますね。
たぶん第三者との対話、人によってその第三者っていうのは見えないものとか、天とか神とか仏様とか、
いろいろ表現する人いるかもしれないけど、相手と自分以外のとことの対話っていうのは、
田中 愼一
これ間違いなく人間の思考回路の中にはあって、そこが僕はもっと出てくるかなと思ったんですよ。
でもそこも、実は相手と自分との対話がバランスされてないとそこまでいかない。
中川 浩孝
面白いですね。
田中 愼一
というのが体験上ですね。これはよほどやっぱり気をつけなきゃいけないというか、
09:04
田中 愼一
やっぱり日頃の日常生活の中で、相手との対話、自分との対話をバランスさせていく。
そのバランスさせていく中で徐々に第三の相手との対話っていうのが少しずつ見えてくる。
っていうのがですね、実に面白いかなと。
で、入院する前、緊急入院したんですけどね。
夜中に救急病院に行って、救急外来に行ったら、もうCTからあと何から、心電図からですね、
ありとあらゆる検査を受けて、終わったのが何時頃だろう。午前の3時か4時頃だと思うけど。
で、この場ですぐ入院してくださいって言われて、
女医の先生にね、きつい調子で言われたんですけど、
ちょっとすいません、一度だけ帰らせてくださいって言うね。
で、なんとか一度だけ帰って、それでその日のうちに入院したんですけども、
その前に、僕はお茶会に参加してたんですよ、鎌倉にある。
で、初釜って言ってね。数年ぶりだったんですね、初釜の経験が。
そこを経験して、それで戻ってきたら体調がおかしくなって入院しちゃったんだけども、
実はその今、ひろちゃんが言った第三者との対話っていうのが、
実はお茶会に出席したときに、よりこういう第三者との対話っていうのがあるんだっていうのを発見したんですよ。
で、僕は喜んでこれをこのポッドキャスティングで話そうと思って、喜んでから緊急入院になっちゃって、
だからその話もちょっと後でしたいんですけども、
ただそれはちょっと後にとっておきまして、
いずれにしてもやっぱり相手との対話と自分との対話っていうバランスを保つことが、
逆に第三の相手との対話に対する余裕を生むっていうのかな。
それからそのバランスが取れてると元気が湧いてくるっていうんですか。
だから入院中、少し対話をする機会が担当医師の方とかとあったんですけども、
ほんと5分ぐらいですよ。
でも5分が終わった後、元気が湧いてくるんですね。
だから人間ってやっぱり相手との対話をしないと、
あるいは自分との対話も同じなんだけど、バランス取らないとやっぱり元気が湧いてこないんだなっていうのはちょっと実感しましたね。
高木 恵子
なんか1日最低でも3人と話しましょうって昔から言われてませんでした?
田中 愼一
知らないです。
高木 恵子
そうですか、なんか私そういうの昔から聞いてて、
ちょうど本当コロナになって、最初の頃ってすごい全部シャットアウトだったじゃないですか。
中川 浩孝
そうですよね。
高木 恵子
その時に、そうだ1日でも3人と喋んなきゃなと思って、
12:00
高木 恵子
もうすぐ、当然リアルでは会えないから、なんか電話だったりこういったビデオチャット的な感じで、
私ずっとコロナの時も1日できる限り3人と、違う3人と。
なんか別に話してたら全然、全然っていうかストレスというか、家にいることあんまり苦じゃないんで、もともと。
でも3人と毎回なるだけ、同じ人だったりもするんですけど。
田中 愼一
同じ人でもね、やっぱり対話するしないで大きいと思いますね。
高木 恵子
なんかそれは昔からやってたような気がします。
田中 愼一
面白いですね。3人っていうか、確かに僕が普段の仕事、
僕は今の仕事、第一線から少し引いたんだとはいえ、
たぶんね、すごい人と話してるんでしょうね。
たぶんね、例えば会社に出てるときとか、
なんかあるっていうのは、周りにいる連中を捕まえて話し始めるんですよ、僕が。
高木 恵子
あ、おっしゃってましたよね。
田中 愼一
向こうも迷惑だと思うんだけど。
若手なんでもいい、目についた人間捕まえて、
今なんか面白いことやってるって聞いて、対話に持ち込んじゃうんですよ。
で、それをですね、出社して、会う人間初めの5人ぐらい捕まえてやるんですね。
そうすると元気になってる。
高木 恵子
あー、なるほどなるほど。
田中 愼一
だから、やっぱり1日最低でも3人と対話するっていうのは、
すごくね、重要なことだなって、今ちょっと感じましたね、その言葉に。
高木 恵子
なんで3人かっていうのは、私もよくわからないんですけど、
なんか昔から、なんだろう、結構大人になる前ぐらいから。
大人になる前っていうか、結構前から。
田中 愼一
コミュニケーションの世界では、3っていうのはマジックナンバーなんですよね。
高木 恵子
あー、そうですか。
田中 愼一
こっちのメッセージを出すときは必ず3つにまとめるっていう。
高木 恵子
おおー。
なるほど。
田中 愼一
4つでも2つでもない。
3つ。
これは、2つの意味があって、
1つは、まずメッセージを発信する前に、まず受信することが重要なわけですよね。
コミュニケーションでは。
受信するときに物事を3つで受信するっていう。
これがある意味言い方を変えると、物事現象、目の前に起こっている現象を3つの要点でまとめろっていう訓練になるわけです。
その3つでまとめるとですね、何がわかるかっていうと、腹落ち感が高くなるんです。
2つでまとめるよりも4つでまとめるよりも、3つでまとめたほうがね、
僕の場合腹落ち感がスポンと入ってくるんですよ。
それから次に今度はメッセージを出すときっていうのも、こっちのメッセージを3つにまとめて出すんですよ。
15:01
田中 愼一
そうするとこちらも3つでまとめて発信するから、まとまり感があるメッセージが出ると同時に、
3つだから相手への腹落ち感も高まるんですよ。
人間ってどうもその3つで物事を整理する、あるいはっていうことが多分ね、経験上、
だから今、昔なんてアメリカ人なんか特に3つでまとめるととか、
全部3つでまとめると、3ポイントとかね。
今は日本人の中でも政治家とか国会答弁やってる人間とか、いろいろ見てると、
経営者とか実業家もそうだけど、3つで物事をまとめるっていう人が増えてきてるね。
あれはね、3つってのはやっぱりなんか不思議な力を持っていて、
対話のときはメッセージは3つ。
これがパワポになったときは、メッセージ5つまで許せるって感じね。
理想は3つですよ。でも5つまで。
これが論文になったときは、ポイントを7つまで伸ばしてもいいかなと。
でも重要なのは3つ。一番望ましいのは3つなんですよ。
それがもう限界。5つになると多分ね、多すぎちゃって、
なかなか記憶にも残らないっていうか。
7つになるともうお手上げに近い状況になっちゃうんで。
ただ偶数は絶対ダメ。
中川 浩孝
そうなんですよね。奇数って言いますよね、よく確かに。
田中 愼一
偶数はダメなんです。
だから3というのは、もしかしたら1日3人と会うっていうのは、
1つ3のマジックっていう、コミュニケーションではよく使う原理原則なんですけどね。
中川 浩孝
だからこのポッドキャストも3人でやってるっていうのは。
田中 愼一
トライアングルが命なんですよ。
中川 浩孝
それのせいなんですよ。
実際前も話したと思いますが、ある脚本家の方が、
コミュニケーションっていうのは2人以上、つまり3人以上じゃないと成り立たないっていう。
田中 愼一
最低で3人いないとコミュニケーションって成り立たないっていう話をしてた人がいるんだけども。
確かに2人だけだと煮詰まっちゃうんですよ、コミュニケーションって。
田中 愼一
2人やりながら第3者に振ることによって、そこで違う視点が入ってくるんですよね。
中川 浩孝
そうですね。確かに2人が話してる間にちょっと考える時間もあるし、
そこでまた新しい発想が生まれたりするんですね、確かに。
田中 愼一
だからさっき話してた第3者との対話っていうのもそこに関係してて、
自分と相手だけじゃダメなんですよね。
自分と相手、プラスなんか箸休めじゃないですけどね、食事したときの。
口直しじゃないんだけど、この第3者という存在、その存在が、実は人間じゃなくてもいいんですよ。
18:07
高木 恵子
犬とかペットみたいな。
田中 愼一
犬、ペットもいいし、物でもいいんです。
これは後でお茶会の話の中で、第3者との対話っていうのが実は非常に多いっていうのが分かったんで。
これはちょっと後で披露したいなと思いますけどね。
中川 浩孝
はい。待ってます。
まだ入院の話いっぱいあるんですよね、きっと話したいことが。
田中 愼一
入院中の話は待ってます。
基本的にはやはり、自分との対話だけ、あるいは相手との対話だけに偏っちゃうと、
まず人間って物事の考え方がだんだん妄想的になってきちゃって、だんだん元気がなくなってくる。
逆にそれがバランスとれてると元気が出てきて、かつ、やっぱり考え方が変わってくる。
これが現体験だったってことと。
あともう一つあるのが、絶食。食べないっていう。
高木 恵子
はいはいはい。
田中 愼一
ずっと点滴だったんですよ。
そうですね。
高木 恵子
だから固形物一切とってないんです。
田中 愼一
そうするとですね、はじめだんだんお腹空いてくるんですよ。
二日ぐらい、三日ぐらい経ってくるとですね、
なんて言うんだろう、成りきっちゃうのかな、絶食に。
一体になってくるんですよ。
胃も小さくなりますよね。
そうかそうか。
結局そうなんですよ。
で、こう入ってっちゃうんですね、中に。
そうですよね。
で、入ってって、それがずっとしばらく慣れてくると、徐々に考え方がすっきりしてくるんですね。
ある意味絶食があったから、さっき言った妄想にとらわれすぎずに、
つまり自分との対話をしながら、
なんとかバランスを取ってたのかなっていうふうに解釈もできるんですけど、
いずれにしても、絶食したことがなりきっていくと、物事が明らかになってくるの。
そうなんですね。
そうですよね。
そうなんです。
はい、どういうふうに考えできるかと、
っていうふうに解釈もできるんですけど
いずれにしても
絶食したことがなりきっていくと
物事がよりすっきり見えてくるっていうのは
これ間違いないです
まあある意味
絶食と対話してたのかもしれないですね
高木 恵子
あのよく何だろう
断食じゃないですけどね
やっぱりあるじゃないですか
こうそのもちろん宗教でもあるし
あとなんか健康のために
デトックスでね
そういったリトリートプレイスに行って
なんかやるとか
いいんでしょうねきっとね
21:00
田中 愼一
たぶん健康法の中としてありますよね
デトックスってまさに
でまさに今
けいこさんが言った
デトックスっていう感覚
あ体からどんどんね
こう悪いものが抜けて出ていって
なんかこう
だんだん純真にこうなりきってきたっていうね
でそれがある意味
えっとお腹が空くっていう
煩悩を抑え込んじゃうんですよね
中川 浩孝
おお
田中 愼一
おこれ悟りの境地かとね
一瞬喜んだんだけど
あの固形物食べ始めてから
あ食べ始めのね
一食目はね素晴らしい
一食って何だったかというとですね
あの十割とか言ってたかな
要するにお粥なんですけど
柔らかいやつで
そうですよね
お米は10%しかないんですよ
中川 浩孝
はいはいはい
田中 愼一
あとお湯なんですよ
高木 恵子
はいはいはい
田中 愼一
味はない全然
それからもう一つはですね
具無しのおつゆ
具がないんです
で味噌汁でもなくて
あくまで出汁ですね
高木 恵子
そうですよね
田中 愼一
でその二つだけなんですよ
でそれを食べた時の感激
中川 浩孝
よく言いますよね確かに
敏感になってるから
なんか味覚がって言いますよね
田中 愼一
あの時食べた食事の美味しさ
あのねちょうどその入院する前に
お茶会やってて
お茶会ですごい点心って言って
すごい高級って解析みたいな
素晴らしい食事が出るんですけど
それ美味しかったんだけども
あの病院で最初に食べた
あの固形食のがもっと美味しくて
いやー感謝感謝って言ってね
なんて言うんですか
バラ色じゃなくてね光ですね
高木 恵子
後光が差したんですか
田中 愼一
後光が差して
俺これやばいのかなと思うぐらいに
あの感謝の念で
これが五光が差したというか
五光が降りてきたというか
なんかねそういう感覚でした
一食目だけね
二食目からは美味しいんだけど
あの煩悩が出てきて
これうまいぞうまいぞって
中川 浩孝
なるほどね
田中 愼一
だからやっぱりデトックスっていう
つまりある意味僕は
コミュニケーションの対話の
絶食をやってたわけですよね
中川 浩孝
そっかそうですね
田中 愼一
人と対話できなかったから
でもそこからの学びもあったんだけど
一方で本当の絶食っていうのが
心をどんどんどんどんこう
なんていうか煩悩を取り除いていくっていう
だからあの体の中からが
綺麗になるというデトックスだけじゃなくて
心のデトックスもできる感じでしょうね
だから多分あの絶食っていうのは
一つそういう健康っていうのは
メンタルの部分でも
かなり影響があるんだろうな
っていうのはちょっと実感しましたけどね
中川 浩孝
なるほど
24:01
田中 愼一
だからまあ物事
何事も経験ですね
経験大事にしなきゃいけないですよね
入院するって言われた時に
えーと思いましたけどね
中川 浩孝
なるべく経験したくはないですけど
田中 愼一
したくないですよね
だからもうしょうがないから
もうそっから自分の対話が
どんどん増えてきちゃうわけですよ
いやまたまた違うぞ
これはチャンスなんだ
日頃からピンチをチャンスって言ってるじゃないかとね
ヒロちゃん恵子さんの顔を見ながら
思い出しながらですね
自分にこれはチャンスなんだ
チャンスなんだって言い聞かせながら
なかなかそっちに行かない
自分の心にやきもきしながらですね
どんどん自分との対話が増えると
またどんどんやきもきしてって
なんかね
なかなか上手い回転がなかった
あの時に人と話したら違ったんでしょうね
中川 浩孝
もう面会もできなかったんですか
田中 愼一
面会もほぼない
高木 恵子
病気で隔離されちゃうのって
たぶんその自ら自分でデトックスでね
ちょっとこう一人になるっていうのと
また違うその不安感もあるじゃないですか
だからそこはね
あのちょっとやっぱり
あまり好ましい環境ではないですよね
田中 愼一
もうはっきり言って言われた瞬間に
もうクライシスマネジメントですよ
もうしょうがないですね
二人の自分が出てきちゃって
一人はクライシスマネジメントのプロがね
これはチャンスだと言うわけですよ
こっち側で
こっち側にいるもう一人はですね
いやこれでも嫌だよ俺っていう感じで
ピンチはチャンスって考えられるかよバカっていう感じで
もう二人の自分が戦っていって
だんだん心のほうも憂鬱になってくるわけですよね
だからやっぱりね
人間ってそう修羅場に直面すると
なかなかね
往生際が悪いんだなっていうのはよくわかります
中川 浩孝
でも一週間で良かった一週間ですね
高木 恵子
でもねあの気をつけて
田中 愼一
はいそうですね
高木 恵子
これからも行かないとね
ヒロさん私たちも
本当健康はいつなんだかどうなるか分からない
中川 浩孝
本当ですよね
本当本当
私は今年はジムに久しぶりに復帰しようと思って
田中 愼一
いいじゃないですか
中川 浩孝
もうちょっと本当にヤバい
田中 愼一
本当にね体動かすって言う
動け動け動け動け動く
動くっていうのは基本ですね
やっぱりね動けなくなって
入院してるとまああまり動けなくなって
ずっと点滴やってるから動きにくいんですよ
動くっていうのはどんなにか
素晴らしいことなのかっていうのを実感しますね
でもそうだな
昔ね実感したことあったんですよね
小学生の時に
中川 浩孝
小学生ずいぶん前じゃないですか
田中 愼一
そうそうあのねなんだっけな
僕ねまあこれは病名言ってもいいと思うんだけど
リウマチ熱に小学校の時にかかったんですよ
でね6ヶ月入院したの
でリウマチ熱っていうのは
27:01
田中 愼一
熱が高熱が出てですね
関節が痛み始めて
で正直歩けなくなっちゃうんです
中川 浩孝
そうなんですね
田中 愼一
だから半年間歩けなかったんですよ
ベッドから歩けない一歩もできない
あの痛くてしょうがない
それで6ヶ月入院した時
まあ10歳の時だったんですけど
えっと6ヶ月後に初めてね立ったんですよ
立ってね本当とぼとぼこ歩き始めたんですよ
その時の感動ってのはね忘れられなくて
今でもそういう経験してたのになぁ
なんと思うんだけども
あのいずれにしても人間ってやっぱり動物なんで
動いてなんぼの世界だと思うんで
やっぱり動くことによって喜びが生まれてくるっていうのは
あの小学校の時実感しましたね
だからその後いろいろな本読んでるとね
やっぱりあの考えるよりも動くですね
動くと動くと人間は考え始めるんですよ
中川 浩孝
それは確かにそうかも
田中 愼一
あのね考えるとろくなこと考えなくなる
中川 浩孝
そうですね
田中 愼一
動いた方がいいと思いますよ
中川 浩孝
はい動きます今年は
田中 愼一
そういうのがで一度皆さんとお茶会するのもいいかななんてちょっと
中川 浩孝
いいですね
田中 愼一
まあちょっとね
あの僕がお世話になってる家元さんにもちょっと相談してみて
できないかってちょっと考えてるんですけども
今お名前を出してもいいかなとは思ってるんですけども
僕がお世話になっているお茶の家元っていうのはですね
総編流っていう
中川 浩孝
はいはいはい
田中 愼一
あの宗徧流、鎌倉にあるですね
まあ侍の茶って言われてるんですけども
あの僕とはお世話になってもう十何年経つんですけども
えっと十数年前にお茶会にご縁があって呼ばれて
でその時の体験っていうかがものすごい強烈なものがあって
でだいたい4時間ぐらいのコースだったんですけども
そこから鎌倉行ってそこに4時間のコースをやって
でその後帰り
まあ車で来てたんで車で帰ったんですけども
東京に帰る途中の景色がやっぱり全然違う景色に見えて
えぇ
あのさっきのあのね
あのなんだ
えっと絶食から固形物の一番初めに食べた
お粥とおつゆみたいに
後光が指してるんでしょ風景が
これすげー俺もう悟りの境地かなと思い
えっと喜んで帰って翌日朝元に戻ったんですね
でしょうがないから
やっぱり通わなきゃいけないのかなと思ったんだけど
そこから非常に興味があって
でえっとその後侍の茶っていうのをリーダーの茶っていうことで
30:03
田中 愼一
もともとそのお茶っていうのは千利休とか織田信長とか
まあ織田信長と千利休がこううまく企んでですね
まあある意味
武士の間でお茶っていうのをですね
まあ広めたってか
まあその前から鎌倉時代からお茶っていうのは
ずいぶん広まってたと思うんですけども
信長はそこをうまく利用してですね
一つのリーダーの茶っていう流れを作って
で要はリーダーとして
茶会っていうものをどう活用するのか
で信長は非常に先進性のある人だったんで
あの茶会っていうものを記者会見っていうふうに置き換えたんですね
中川 浩孝
おー
田中 愼一
で茶会っていうのは
あの基本的にはその当時は
公家とか商人とか武士もいましたけど
茶会に呼んでいわゆるその茶会
まあ京都で大体行う場合が多いんだけども
でそこでいろいろ話すわけです
こういうことがあったこういうことがあったって信長が
そこで話したことが
その頃の情報の流通網っていうのは
マスコミがないですから
結局誰が情報を流すかって
口コミで流されるんですね
でその口コミっていうのは
じゃあ誰がインターネットないですから
誰が広げていくかっていうと
商人あちこち商売で回りますよね
それから公家っていうのがですね
実は公家ネットワークっていうのがあって
当時の中央にいた公家っていうのは
まだ裕福な公家なんだけど
食いっぱぐれた久家ってみんな地方に行って
であの地方に行って
俺は公家だーっつってエバって
散らばってるんですよ
だから商人のネットワークと久下のネットワークっていうのは
ものすごいスピードで口コミを広げるんですね
だから信長はお茶会っていうのは
そういう記者会見の場っていうことで
具体的にはあの柴田じゃない
武田勝頼
信玄の息子ですよね
滅ぼした時の戦いのきっかけになった
長篠の戦いっていうのがあるんですけども
長篠の戦いはもう絶対勝たなきゃいけないっていう戦いで
非常に慎重に仕掛けをして
当時日本一番強かった騎馬軍団と呼ばれる
武田軍を殲滅するんですね
その殲滅した話をですね
京都に戻って信長は今そういった茶会をたくさん開いて
多くの商人や公家集を呼んでその話をするんですよ
そうすると何が起こるかというと
そういう人たちが一斉にその情報を
全国津々浦々まで流すんですね
その当時信長は毛利氏を叩こうと思ってたから
中国のだからどっちかというと
西の方に伝播力のある公家とか商人の人たちを中心に集めて
記者会見するとお茶会を開くっていうね
33:01
田中 愼一
そういうような使い方を信長はしたんだけど
一方で信長は茶器に価値を追加して
千利休と組んでっていうイメージなんですけども
そこらに転がってる茶器をですね
これは素晴らしい
侘び寂びじゃーって千利休に宣伝させて
世間的にもう価値が
価値というかもう全然コストがかかってない
茶器をですねこれは素晴らしいっていう形でですね
あの新たな価値手段
それまでの価値っていうのは何になったかというと
土地が一つの価値だったんです
土地本位制だったからその当時
だからあの褒美をあげるときってのは
土地をあげなきゃいけなかったんですよ
でその中で信長は土地をあげるのが嫌いで
なくなっちゃいますからね
あげてったら
そこで彼が目つけたのは金なんですよ
銭で永楽銭という金をですね
普及させてで商業によって稼いで
だから再生産が可能なんですよ
銭の場合はね
で銭本位制を導入してやったと
3番目の価値手段として彼は茶器を使ったんです
つまりお茶会に出ることが素晴らしいステータスなんだっていう
もっと言い方を変えると土地を上げるよりも
銭をあげるよりも
茶会に出席する資格をあげるだけで
もうなんか一国をもらったようなね
に感じさせるってことで
第3の価値を創造したんですね
それに付随していくのがその茶器なんかそうですね
あとお道具
ほとんどコストがかからないんだけども
それをいや素晴らしいんだって
そこにはインフルエンサーである千利休が宣伝するわけですね
それによってこう信長は茶器を使って
あるいは茶会への資格っていうのを使って
大名を動かす土地はあげない
銭もあげない
でも茶器をあげる
で大名は喜ぶ
こういう構造を作ったわけですね
だから茶会っていうのは非常にあの戦略的な意味で作ってきたと
でそれがまあ表向きの場合なんですけど
やっぱり信長の内面的な部分っていうのは
やっぱり自分のリーダーシップっていうものにどう
あの茶器あのお茶の会っていうのが
自分自身のメンタル的な
あるいは発想とかね受信力とか発信力とか
そういうものを絶えず鍛えられる
一つのプロセスとしても考えていて
でそのプロセスが非常にあの僕とっては面白くて
でえっとでその家元と一緒にで侍の茶を
もう少しコミュニケーションの視点からね
分析してみようってんで
いくつかそのスタートアップのリーダーなんか集めて
茶会をその後ずっと何回かやってたんですね
36:00
田中 愼一
コロナが始まるまでは
でコロナが始まってから
それがまあちょっとしばらく終わっちゃったんで
で今回初めて行ったときに
もう一回ねえっとその侍の茶
その中でリーダーにとって侍の茶って
どういう意味があるのか
お茶そのものっていうのは
コミュニケーションの視点から見た時に
どう考えられるのかなっていうのを
いろいろあの考えながら
あのその茶会に参加したんですよね
そしたらいろいろ学びが随分あってですね
だからそこあたりの話で
まあちょっとバックグラウンド背景が
ちょっと長くなっちゃいましたけども
あのちょっとねどういう学びがあったのか
っていうのをちょっとお話したいなというふうに思います
で何かご質問ありますコメント
高木 恵子
いや先を聞きたいです
田中 愼一
先聞きたい
実はねあの先と言った時にですね
あのやっぱり今回
茶会じゃあ茶会どういう流れか
流れから説明しましょう
はいで流れはですね
まずえーっと着替えるんですね
あのある個室に行って
そこで着替えるって言っても
羽織袴とかそういうのがあればいいんだけど
まあ僕は普通のスーツで行ったんですね
ただあの靴下だけ靴下というか
えーっとなんだっけあの
えー足袋、白い足袋か
白い靴下がどっちかに履き替えなきゃいけないんですね
でそれを履き替えることによって
こうまず精神が少し整う
まあさっきのデトックスじゃないですけど
あの真っ白な足袋とか真っ白な靴下を
履くことによって精神を少し落ち着かせる
でさらには携帯を全部置いていくね
あの昔の武士が茶会やる時ってのは
必ず刀をみんな置いたんですよ
でそれを象徴するっていうね
まあ今のビジネスマンだったら
多分携帯なんで携帯を置くっていう
でそこからいよいよちょっと薄暗いですね
部屋に案内されるんですね
で一人一人だんだん参加してくるんですね
で僕が一番初めに行ったんだけども
その薄暗い部屋ってのは畳で8畳ぐらいかな
10畳ぐらいかな
でまずあのいわゆる掛け軸がこう掛かっていて
なんとなくこう墨絵みたいな感じになっていて
それから棚のところにはですね
あのいろいろな茶器とか道具が
少しずつこう置いてあるんですね
うるさくなんない程度に
で真っ暗で真っ暗っていうか少し薄暗くて
でずっとそこでお相手していただける
その家元の配下の人たちが
まあ2人か3人座っていて
でそこと対話が始まって
でその対話をしながら
ここにある道具の説明をね
その方々がやって
でそれに対して僕もコメントを出しながら
そう対話していくうちに
徐々に人が集まってきて
大体7人ぐらいでしたかね
僕の場合はみんな集まってくるんですね
39:00
田中 愼一
でそういう中で
えーと対話がある中で
何を素材にして対話してるかって
そこの部屋にあるいろいろな道具
掛け軸とかそれから
花を刺してある入れ物とか
様々なものをこうやりながら話をしていくって
である程度そこで
その7人が和んだ感じで
だって今度は家元の奥様が入ってこられて
で今度はですね
あのヨガをヨガっていうかね
詫びヨガって言って
侘び寂びから取った詫びとヨガですね
ヨガの詫びヨガっていう
実は一つの体を動かす運動があるんですよ
でその詫びヨガをその家元の奥様から
指導していただいて
そこでいくつかの動きをするんですね
さっきあの動きから入るって
重要だって言ったんですけども
やっぱりその詫びヨガ
例えばまず体を安定させる
立ってどう安定するかっていうのは
左と右の足の重心を移動させながらしばらくね
だんだんバランスが整っていくんですよ
でその後後ろの肩をこう回して
何回も回していくとか
それから座ってすぐ立つっていう垂直に立つ
足の一つのトレーニングみたいな
こういうつまり体の
まあラジオ体操で見てみればラジオ体操なんだけど
ある程度ヨガ的な発想でやっていくと
でそのやっていくとですね
精神が落ち着いていくんですよ
で暗いある程度薄暗い部屋の中で
黙々とみんながその一つの動きを
こうやっているっていう
でそれが終わると
えっと次にですね
あの濃茶っていうところで
別の部屋に入って
でえっと別の部屋から状況に応じては
ですね庭に出るんですね
で庭をこう立派な庭があるんですけど
非常に広いね
でそこには借景
まあいわゆる背後にあるその山があって
それでちょうどその山と
こちらの庭の間に川が流れてるんですよね
でこれ全てもうなんていうんだろう
もう自然がそのまま表現されてるような感じで
でそこを歩きながら
でどっかちょっと座る場所があって
でそこで今度自然山川草木って
まあ仏教用語なんだけども
えっと自然そのものっていうのが
その庭に現れていて
そこをじっと見ながら
ちょっとした対話を皆さんとやりながら
でその後さらにそこから歩いて
道が少しあって
で門がいくつかあるんですね
その門をくぐるときっていうのは
体を前にこう倒しながらこう入っていく
でその門をくぐるときに
えっとそこから違う世界に入ったことを意識する
42:01
田中 愼一
っていうふうに言われるわけですね
でその門をくぐりながら
でそうこうしてるうちに今度
あの水が流れているところで手と口を洗って
でそっからいよいよあの茶室に入るっていうか
でえっと茶室に入って
でそこで基本的にはあの濃茶
っていうことで回し飲みですね
いわゆる家元がそこから出てきて
でも小さい茶室なんですよ
4畳半なんですね
で4畳半に7人入るんですよ
でそこにさらに家元と
その家元サポートする人が入って
非常に狭い中なんですね
だから人の動きっていうのを
自分の動きと人の動きっていうのを
合わせなきゃいけないっていう意識をしながら
家元も入ってくる
家元が入ってくると
目の前のところにお湯が沸いている
でそこにいろんな道具が置いてあって
そっからここで濃茶をこう作るんですね
で一つの入れ物茶器から
お椀からですね
これ大体3人ぐらい回し飲みするのかな
だから7人だと2つから3つぐらいの
これをこうやるわけですね
その間ね静かで
あの火が炊かれてるんでね
その火のパチパチする音がずっとしてて
シーンとしてて
でもちろん4畳半の中は薄暗い中でね
非常に心がすごく落ち着いていく
でその中でお茶を出されて
でやっぱり
家元の権威っていうのを感じるんですよ
あそうか信長って
このポジションを取りたかったんだなと
要するに受けている人たちと家元っていうのが
そこで完全に区別されるんですね
意識的にもう違う存在なんですよ
家元は
でその中で他の人たちがいて
家元もいて家元からの権威の
なんとんだろうオーラみたいなのが来て
その中で
なんとんだろう静かな対話を行われながら
火のね薪が燃える音がパチパチしてるっていうね
でそこで水が沸騰してお湯になって
それぐつぐつ言い始める音とか
そういうのがこう一緒くたになってで
あの一応お腕をいただいて
まぁちょっと作法があるんですけど
飲み方にはね
でそれをこう飲んで
あの次に回すんですよ
でそのお作法の中っていうのは必ず
あの茶器の正面っていうのが
こちら側に向いてるんですね
お客様側にでお客様側に向いて
それを受けてその正面を見ながら
えっとその評価をして
茶器は素晴らしいですねっていう話をして
でその正面に口つけるってことは
あの次の人も正面を見なきゃいけないんで
45:01
田中 愼一
少しずらすわけですね
で正面がこっちがあの左側にずれる
でそうするとそこのずれたところは
別に正面じゃないからそこで飲む
で飲んだ後そこを拭くんです
もう一回自分のあのえ
まあなんていうのかな
高木 恵子
紙っていうのを拭くものですよね
田中 愼一
あの紙ですね
まさに紙でこう拭いて
で今度は正面にまた戻して
で隣にまた渡すっていうね
こういうなんていうのかな
まあやり方ですね
でその3人は3人で飲むと
で後の3人はまた3人っていうことで
回し飲みをすることによって
あの連帯感というか
なんかもうねその段階で
7人の中のつながりっていうのが
もうだいぶ違うんですよ
このプロセスを通じて
でそこで一応茶会が終わると
えっと今度はまた庭に出て
みんなこう一人一列ずつ
こう動いていくんですけども
もう一つの大きなちょっと部屋に入って
でそっから点心が始まって
転身っていうのは
あのいわゆる懐石料理っていうか
それが一つ一つこう出てくるんですね
一つのあのお椀というか
このなんていうんだろう
テーブルというか
高木 恵子
お膳ですよね
田中 愼一
お膳ですね
さすがお膳
お膳が一人一人出て
でそこでお酒も少し
ほんと少しですよ
もう一杯ちょっと飲むぐらいのレベルですけどもね
でそこであの食事が出て
でそれが非常に実はすごくおいしい
これがさっき僕があの絶食した後の
固形物と同じように
あのね今いったプロセスを通じて
あの五感がすごい研ぎ澄まされてるんですね
だから僕も前に飲んだことのあるお酒でも
そこのお酒が一番うまいんですよ
飲むとすごいクワッてこう
で食事もものすごくおいしい
だからここで五感が
今いったプロセスを通じて
五感がね徐々に磨かれて
でそれがこう味に出てくる
それを味わいながら
会話をしながら
いろんな会話をしていくわけですね
他の方々と一緒に
でもその時はもう家元は当然いません
あくまでも濃茶のとこだけで
でその後
まあ今度は薄茶と行って
違うまた部屋に入って薄茶をいただいて
終わったら薄茶の場で
いろいろ対話が起こった
まとめとかいう
まあ僕の場合は
だいたい今回の経験で
何を学んだかって話をするんですけどね
これはこういう感じでとかね
でそこもやっぱりコミュニケーションで
全部僕が語ってるんで
結構まとめの場としては
すごく便利なんですけど
それが一つの茶会なんですよ
でこれがだいたい3時間半ぐらい
48:01
田中 愼一
で何がここであのすごいかというと
先ほどあのコミュニケーションっていうのは
あのやっぱり3人からっていう風に
あのある僕が尊敬する
脚本家から言われたんですけども
2人じゃダメだと
2人だと煮詰まってしまったから
2人プラスもう第三者が必要だって
でこれはまあよく言うように
あの対話自分との対話
相手との対話っていうのは大事だよって
僕はよく言うんですけども
でも第三者との対話っていうのは重要だと
つまり相手と自分との対話っていうのを
バランスさせながら
でもそこにやっぱり
それをバランスさせると
第三者との対話っていうのも
必要になってくるっていう
この第三者ってのは
必ずしも人じゃなくていいと思うんですね
で今回初画面を見たときに
今言ったように実は
あらゆるものとの対話が仕組まれてるんですよ
まず一つは
相手は人間じゃないけど
茶器を手にしながら
それを評価しながら
これも実は茶器とか
それからあと道具
それから例えば庭
それからあと焚き火
あとそれからその全体のプロセスそのもの
それからまあ作法
それからあの言葉もあるんだけど
言葉数は少ないんですね
茶器あの茶会の場合
全体的にベラベラ喋るっていう話じゃなくて
おとなしく喋るっていうことなんだけども
やっぱりすごいのは非言語なんですよ
それぞれのその四畳半の中に
7人がプラス家元とサポートの人が
あるいは9人入ってるわけですよね
そうすると自分の身動き一つも
相手に影響を与えるわけですよ
お互いの非言語がものすごく感じ取るんですよ
中川 浩孝
なるほどね
田中 愼一
相手とその中である意味連帯が生まれてくる
つまり言葉っていうのはなかなかね
あの人間嘘つけるから
言葉では何でも言えるんだけども
あの非言語という表情とか動きとか
そういうものって嘘つけないんですよね
だからその非言語っていうものとの対話が
ものすごいレベルが高まってくると
今言ったように様々なものとの対話っていうのが
あのお茶会っていうのは可能なんですね
中川 浩孝
面白い
田中 愼一
これはね
あのその第三者っていう以上に
様々なものとの対話っていう
これが終わった後帰るときに同じような
僕は繰り返しその体験をしてるんだけども
あの周りの見え方が変わってくるっていうのに繋がってるんですね
だから周りいろいろなものとの対話をしかければしかけるほど
51:00
田中 愼一
あの感受性というか感性というか
受信するもののものが変わってくるって言ったほうがいいですかね
だからあの庭で何の気なくこの庭を見てると
そっから感じ取ってくるものが入ってくるんですね
これなんて感性が磨かれるって感じ
高木 恵子
なるほど
田中 愼一
だからそれが結構人為的に作られた装置
つまり人為的に作られた感度
僕の言葉で言うと感度を高めるって言うんですけど
感性を高めるでもいいんだと思うんだけども
ある意味受信力を高めるっていう意味でのプロセスが
あるいは装置がお茶会
少なくとも僕がお世話になってる家元のお茶会の中にはあるんだなと
だから非常に感度が良くなるんですね
そうすると見えるものが見えなくなるっていうか
イメージ見えないものがイメージできるようになるって言ったほうがいいかな
あ、ひろちゃんどうぞ今なんか
中川 浩孝
今ねちょっと僕が言おうと思ったのは
今はやっぱり現代の世界が情報が多すぎるし
それこそスマホ
今無意識のうちに何度も一分間のうちに何度も見ちゃうみたいな感じのことをやっている世界なので
それを例えば制限することによって
あるいはその場所とかいろんなものをそぎ落としてそぎ落としていくことによって
その目の前のものであるとか
そういったことにもっと集中できて
こうなんていうんですかね
敏感になるっていうのはすごくそうだろうなって思ったんですよ
でもそれって今だからそう思ったんですけど
じゃあ例えば400年前それこそ信長とかの時代で
私たちの世界と全く情報量も多分違っただろうし
暗かっただろうし
その中でもそのお茶の世界っていうのが
その研ぎ澄まされた感覚が研ぎ澄まされるっていうことを体験できた場なんだとしたら
それは本当にすごいことだなって思ったんですよね
田中 愼一
まあ昔の人にはなれないんでわかんないけど
情報量はね確かにもう圧倒的に違うと思うし
ただ逆に言うと情報量が多いがために
情報に対する感度が下がってるってことは言えるんですよね
中川 浩孝
そうですね
田中 愼一
であの昔は情報量が少ないだけに
最小限なんていうのかなのものから
最大限の理解を得るっていうことに
もっとエネルギーを費やしたと
中川 浩孝
そうなんでしょうね確かに
田中 愼一
だから多分イマジネーション力ってのは
今以上にみんな強かったんじゃないかと思いますよ
だって見えてるもんが少ないんですから
我々もインターネットを通じて
ありとあらゆるものが見えてきて
中川 浩孝
本当ですね確かに
田中 愼一
無感症になってると思ってもいいぐらいで
ところがあの当時っていうのは見えるものが少ないから
54:02
田中 愼一
そうするとそのいかに見えないものをイメージするかっていうのが
多分先進性
つまりだから信長みたいにものすごく先進性のある人間っていうのは
限られた見えないものからどれだけイメージ
見える形でイメージできるかどうかっていうところが
勝負だったんじゃないかなと思うし
多分今でも多分見えすぎる今の時代の中で
いかにポイントを絞って
見えるものを絞り込む逆のことですよね
絞り込んでそこからどれだけのものをイメージできるのか
っていうのが多分今求められてるんだと思うんですね
そこあたりで言うと
僕は少なくとももう十何年この宗徧流の家元のお茶に影響を受けてますけども
あのお茶会は少なくとも自分にとっては感度を上げる
つまり限られた見えてるものからどれだけ見えないものをイメージできるのか
これがイコール感度だと僕は思ってるわけですね
それを上げる意味では非常に役に立つプロセスから
だから一度皆さんにもそれ体験してもらうと面白いんじゃないかなと
中川 浩孝
そうですね体験しないとちょっとわからない
田中 愼一
家元とそういう場ができないかどうかちょっと考えていますけどね
高木 恵子
ぜひぜひ
中川 浩孝
興味深いです
田中 愼一
だからそういうのはね面白そういうことですかね
で侍の茶って本当に僕が一番初めに気がついたのは
その第三者との対話っていうのは
まあいろんなものとの対話っていうのは確かにまあ気づいてはいたんだけど
一番初めに気づいたのがですね
実はその作法の中につまり動きの中にね
あの特に宗徧流の動きの中に実はね
筋トレとメントレが入ったんですよ
これに一番僕は初めにね気づいたんですね
何が出ると終わった後筋肉痛がある
それはそれは普段使わない筋肉使ってるんでしょうね
それであとねメンタルもね落ち着いてくるんですよ
これ何が出ると人間あの一つはじゃあ筋肉痛から言いますね
筋肉痛の場合は昔の武士ってね
ジムに通ったりヨガ教室に通ったりできないわけですよ
中川 浩孝
そうですね
田中 愼一
つまり鍛えるために特別なんかやるってこと余裕がないんですよ
彼らは想像するに
ってことは日常生活の基本的な行為の中で
動きの中で筋肉を鍛えるっていう
57:01
田中 愼一
工夫が必要
そうすると日常の動きをどう筋トレにするかっていうと結構やり方あって
中川 浩孝
なるほどなるほど
田中 愼一
立ち上がり方一つとっても
例えば宗徧流の場合はですね
垂直に立ち上がるんですよ
これね結構難しいやってみてわかるけど
中川 浩孝
できないと思います、たぶん
田中 愼一
あのねすごいね使わない筋肉をめちゃくちゃ使うんですよ
そういう動作があっちこっちにあるんです
全部仕込まれてる
ビルトインされてるんです間違いなく
それからあともう一つはメンタル
メンタルは人間って面白くて
例えば姿勢を正すだけで心が落ち着いていくんです
つまり人間の姿勢っていうもそのものがですね
あるいはもっと極端に動きそのものが心を落ち着かせるっていう
あの道元禅師
永平寺を作った道元禅師が
身心一如っていう漢字で言うと
身は身体の身
心は心
身心ですね
それが一如一つだっていう
身心一如って言葉があるんですが
この身体の身が先に来るのがミソなんですよ
心が先に来ちゃダメなんです
高木 恵子
なるほど
田中 愼一
心はいい加減なもんで
もうあちこちこう行くから
動いてるから
この心を捕まえるにはまず身体から入らなきゃダメだ
だからさっきもちょっと動きから入れっていうのは
人間は考えるとこから入ったらダメ
人間は動くとこから入ると考えるんですよ
中川 浩孝
なるほどね
田中 愼一
人間考えるとこから入ると
そう身体が先
考えることから入ると
どんどん悪い悪循環に入ってきます
理屈っぽくなる
動きから入るといろんな発想が生まれてくるんで
それが一つの考えるための
エネルギーを供給してくれるんですよね
だからそういう意味では
このお茶っていうプロセスは非常に面白いなと思って
ぜひとも皆さんにお勧めしますね
高木 恵子
ぜひぜひ
田中 愼一
ぜひともそういう機会作ってみましょうよ
高木 恵子
いいですね
中川 浩孝
と思います
59:34

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