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中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポイントキャストです。
田中 愼一
皆さんこんにちは。 コミュニケーションを極めると、自分が見えてくる、世界が見えてくる。コミュニケーションの世界に立ち去って40年以上、コミュニケーション命でやってきました、シン・田中こと田中愼一です。よろしくお願いします。
高木 恵子
SEからPRコミュニケーション業界に転職してはや四半世紀以上、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住中川浩孝です。
田中 愼一
基本的には1周年を超えて、いよいよこれから先に進んでいくっていう形で、心新たにした感じですけれども、
実はここ数日間いろいろな人と出会って、いろいろな人と話をして、その中からいくつか頭に残っているキーワードが出てきたんですね。
生成AIがどんどん進む中で、人間の在り方がいろいろ問われている中で、
ひとつのヒントになるのかなっていうので、そこあたりを少し皆さんとシェアしたいなと思ってます。
事の始まりは先週の金曜日かな。銀座、っていうか日比谷かな。
有楽町かな。場所はそこあたりなんですけど、行きつけの焼き鳥屋があるんですよ。
長年、ずっと。しかもそこの焼き鳥屋って日本人じゃない方々が結構集まってるってことで、
日本に駐在している外資系の人たちとか、いろんな人が集まってきて、
日本人だけじゃなくて非常にインターナショナルな雰囲気であるんですね。安いしね、おいしいし。
そこで、僕の昔からの知り合いで、仕事の面でもパートナーを組んだことも何回もある弁護士の人。
アメリカ人なんですけどね、弁護士。
それから日本のグローバル企業で、いわゆるコンプライアンスオフィサーという形でコンプライアンスを担当している、
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田中 愼一
これはイギリス人なんですけどね。
だから基本的にはアメリカ人、イギリス人、日本人、僕ってことで3人で議論になって、
そのときにいろいろ生成AIの話が出てきてですね、
特にいわゆるコンプライアンスっていう視点から言うと、
やっぱりサイバーセキュリティというか、そういう面というのは非常に大きくなってるし、
一方でその話をしていくとどんどんAIがどこまで行くのかって話になってきて、
これは脅威なのか、それとも人類にとっては幸福な世界への道しるべなのかっていう議論が始まっていて。
どっちかというとね、イギリス人の人と日本人である僕が、
どっちかというと批判論的な話をし、
アメリカ人の弁護士が、結構、楽観とは言わないけど、積極的にAI活用していかなきゃっていう話で。
そこからね、お酒もだいぶ回ってたんで、みんな言いたい放題言い始めて。
基本的にはですね、そこで出てきた議論というのが実は結構面白くて、
そこでバンバン話してたときに、好奇心っていう言葉が思い浮かんだんですよ。
で実は、AIがもし好奇心を持ったらどうなるのって話になって。
好奇心っていう言葉を詰めていくと、だんだんわかってくるのが、
好奇心を持つためには、いわゆる自我、自分自身というものを認識しないと、
好奇心って出てこないんじゃないかって話になってきて。
確かに好奇心っていうのは、一言で言うと自分以外のものに対する興味・関心ってことですよね。
だから当然自分というものを持って認識していないと、好奇心って生まれてこないんじゃないかっていう話になって。
これ、生成AIがもし好奇心を持ったら、これやばいんじゃないって話になって、
そこで議論がどんどん進んでって。
で実はその好奇心っていう言葉が一つ、そこでボンと出てきたんですけど、
実はその後議論が進む中でもう一つの言葉が出てきたんですね。
それは何かというと、チャレンジって言葉なんですよね。
日本語が見つからなかったんで、いわゆるチャレンジっていう言葉で、
しかも外人の人たちと話してたから、英語で議論してたから、チャレンジだっていう話になって。
AIがどんどん進んでいくと、AIってすごい便利なもんで、
人間にとってはそこに対する依存がどんどんかまってくる。
06:00
田中 愼一
もっと言うならば、今まで自分たちがやったことがどんどんやってくれるようになるから、
楽になる。
ところが楽になるっていうことは何が起こるかっていうと、
人間の能力が低下していくことじゃないのと。
まあ人によっては次のレベルにっていう人もいるんだけど、
でも人間のさがから考えたときに、楽になると人間は怠けるんですよ。
僕なんかもう怠けるんですね。楽になった瞬間に怠けるっていう。
なんか構造的にそれはできちゃってて。
そういう自分の価値観からすると、そこに共感してくれたのはイギリス人で。
アメリカ人は、楽になったら次は今までできなかったことができるようになるっていう、より積極派。
英国人と日本人は、やっぱり島国根性が出てきて島国で育ったから、
大陸国家のアメリカ人とはちょっと違って、
いやーっていう感じで、より消極的に、どっちかというと性善説じゃなくて性悪説、人間に対する。
人間は性善説とは絶えず積極的に生きていくって話だけど、
性悪説は、結局大変じゃなくなったら怠けるよって、そこの議論になったんだけども、
そのときに、人間っていうのはチャレンジがないと生きていけないんじゃないって話を僕はポッと言ってた。
自分を顧みるとですね、楽すると怠けるでしょ。
だから楽しちゃいけないんですよ、僕。
チャレンジを受けてないと、自分を前に進ませていくってことができないっていう。
自分自身の性格から弾き出した話なんだけど、それに英国のコンプライアンスオフィサーが乗ってきて、
そうなんだって言って、人間はチャレンジがないとダメなんだという話になってから、
そこの話になってから急激に好奇心からよりチャレンジのほうに話が行って、
だって人生チャレンジングだろうとね。一番チャレンジは家族との関係だろうとかね。
そういうとこがボンボンボン出てき始めて、
よう考えてみたらチャレンジがあるからこそ、きついけどチャレンジがあるってことは、
自分が怠けないで自分を前進させることができるんだなっていうことで、
基本的には日本・英国対アメリカっていう構図の中で、議論が続いたというか終わったというかね。
だからそのときに二つの言葉が飲み会で出てきて、僕自身として自覚して、
一つは好奇心。もう一つはチャレンジ。
好奇心っていうのは確かに、自我がなきゃ絶対好奇心は生まれてこない。
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田中 愼一
好奇心っていうのは、たぶんまず自我が認識されてから、
それから自分以外の自我以外のものに対する好奇心が湧いてくる。
で、さらに自分以外のものに対する好奇心が湧いてくると、
再び自分って何かっていう自分自身に対する好奇心が湧いてくる。
たぶんね、そういう流れなんじゃないかなと。好奇心のメカニズムっていうのは。
これ結構深い話で面白い話で、好奇心って何かっていうのは一つの題材として、
特にコミュニケーションのことっていうね、このポッドキャスティングはコミュニケーションっていう視点でものを考えたときに、
やっぱり好奇心っていうのは研究対象にあたるなと。
好奇心を持っているから、持つためには必ず自分自身の自我という認識が必要になる。
その認識が確立されると、自分自我以外のところに対する関心、周りへの関心が湧いてくる。
その周りへの関心が湧いて、そこに好奇心を働かせて、よりそこを知ることによって、
今度は自分って何者なんだっていう、自分に対する好奇心っていうのが出てくる。
この流れっていうのがたぶんね、人間の心の中でコミュニケーションの流れの一つだと僕は思ってるんですけど、
なぜかというと、相手との対話だけじゃなく、自分との対話っていうのはすごくコミュニケーション上重要で、
そういうことから考えると好奇心っていうのは非常に面白い。
それから、もう一つのチャレンジっていう言葉も面白くて、
やっぱり人間っていうのは、たとえばね、仏様が人生苦ですって言ったわけですよ。
人生はもう苦しかないんですって、これが一番初めの仏様の仏っていうかブッダの言葉なんですよね。
人生は苦だと。それを悟ったっていう。
これ昔からね、まあしかしこれはちょっとマゾヒスト的な表現だなと。
人生は苦だ、苦よありがとうって言ってるのかって思ってたんだけど、
人生が苦っていうのは、逆に言うと苦があるからこそチャレンジがあって、
そこを乗り越えようとすることができるようになるっていうふうに解釈すると、なるほどなと。
だからブッダは、自分の一生を懸けて苦をなくすってことはできないけども、
苦をどう乗り越えるんだってことを取り組んだ人なんだなっていうのが、
その焼き鳥屋の英国人とアメリカ人と日本人に交えた国際会議の中で出てきた感覚。
だからやっぱりね、人間にとっては好奇心っていうのもすごく大事だけど、
一方で苦を乗り越えるチャレンジって絶えずチャレンジされてるっていうことが、
12:00
田中 愼一
楽じゃないんだけどもきついよと。
AIの脅威っていうのは、島国の方々からするとAIの脅威っていうのは、人間を怠けさせるっていうね。
ところから人間がダメになるっていう脅威。
大陸国家のアメリカからは、いやそうじゃないんだと。
人間をダメにするんじゃなくて、人間をより助けることによって人間が次の次元に行けるんだと。
ここあたりの議論が非常に面白かったんで。
これが先週の金曜日の夜の話なんですよ。
いかがですか、そこあたり。好奇心とチャレンジ。
中川 浩孝
今私が聞いていて思ったこと二つあるんですけど、
一つは先週かな、東洋経済かなんかのウェブだったんですけど、
コラムみたいなものがあって、そこに怠惰っていうのは、
怠惰であることを恐れるっていうことは、そんな怠惰はそもそも存在しないみたいな話を書いている方がいらっしゃったんですよ。
要は道徳的にその怠惰であることはいけないっていうふうに、私たちはなんとなく意識を植え付けられているけれども、
それはそんなことはないと、そんなものは存在しないっていうふうに言ってるんですね。
私それはすごく面白いなと思ったのは、それでそれが一つ目なんですけど、もう一つ目が、
さっきおっしゃっていた人は何かを、今回だったらAIに任せることによって、
暇になるっていうか、やることが少なくなるような気がするんですけど、
今までは人類史の中でそんなことって多分一回も起こってないんだと私は思ってるんですよ。
で、例えばなんですけど、それこそスマホを使うようになって、例えば漢字を覚えなくなったなって最近思うでしょ。
漢字書けなくなっちゃったなって感じがするじゃないですか。
なので、その漢字という知識、なんとなく読むっていう知識はあるんだけど、書くっていう知識に関しては、
多分私たちかなり退化していると思うんですね。ここ10年くらいで。
でも、それでなんかすごい楽になったかっていうと、私たちの生活何にも楽になっていなくて、
むしろずっとデジタルの世界にがんじがらめになっている感じってないですか。
私は新しいものが入ってきて楽になると、その分違うことに脳の力とか自分の力、時間をすごいやっぱり割かれてるっていうのは感じてるんですよ。
で、それで多分変化が早くなっている世の中っていうのと同じで、
早くなっていくから、ある程度何か楽になっている部分はあるんですけど、
やっぱりその忙しくなっている、早くなっている部分を自分の力の中でどうにかカバーしてるんですよね。
なので、楽になってはいるような気がするんだけど、違うことで結局オキュパイされているというか、結局使われているって感じがするんですよ。
なので、怠惰っていうのもそうなんですけど、私たち多分機械が、例えば洗濯機を使えるようになって洗濯しなくなって楽になったはずだし、
水を例えば井戸に汲みに行くとかっていうのも水道ひねれば出るようになったから楽になったはずなんだけれど、
15:00
中川 浩孝
何にも楽になった感じってしなくないですか。
なんかそこって多分時代によってその考え方が変わっているだけで、
多分実際には何にも楽にならないんじゃないかって私は最近やっぱり思ってるんですよね。
その変化はあるんですけど、人間を何も楽にしないっていう気が最近私はしているっていうのは一つあります。
田中 愼一
なるほど。けいこさんどうですか?
高木 恵子
うーん、なんか私そんなに難しく考えたことがないかもしれない。
田中 愼一
霊感の霊性の霊を持って生まれた方のお言葉ですね。今のは素晴らしい。
高木 恵子
難しくそうなんですよ。考えたことがないんですけど、
やっぱり好奇心が生まれるってまず、
自分の基準があって、そこから好奇心になるかって人それぞれだから、
好奇心をどう持つかって、もちろんそれこそ生まれつきの何か、
やっぱり感覚っていうのは人間だからそれぞれに持ってると思うけど、
私は大半は何かやっぱり経験だと思うんですよ。
いろんな経験で、この人の好奇心の種類というか発生度合いとか種類って変わるような気がしてて、
だから本当ちょっと割と底辺な話になるけど、
いろんなものを食べ歩きしてる人ってやっぱり、
自分がおいしいと思うものの味を知ってるから、そこの探求心が生まれるとかね。
それって好奇心になるじゃん。でもそれってやっぱり自分、その人がいろんなところを食べ歩きしてた結果で、
その好奇心がさらに、あ、これおいしかったよな。
じゃあこれに似た味を探そうかなっていうのも好奇心として生まれるし、
おいしいものが分かったら自分がおいしいという感覚と、
違う食材、違う料理法でも、あ、これもおいしいってまた、
おいしさが一回分かると自分のまたおいしい発見をしますよね。
みたいな経験によって、私は好奇心で生まれるような気がする。
だからテクノロジーも同じで、
全部のテクノロジーがいいとか悪いとかっていうよりも、やっぱり自分が経験したテクノロジーで、
自分がうわーこれ便利とか、うわーこれ楽になったと思うと、やっぱりそれ使い続けて、
そうかそうかこの時こうだったから、なんかこれ新しいテクノロジーだけど、またこれやってみたら、
なんかまた便利になるかなって、なんか自分視点でそのテクノロジーの使い方を試してみて、
あ、また楽になったと思うとまた使うみたいな、なんか経験、私が思うのはなんか経験で、
18:02
高木 恵子
さらに興味をやるかやらないかとは興味が湧くか湧かないかってなんか生まれるような気がする。
だからあんまり深く考えてなくて、なんか自分の本当毎日の生活の中で、
それは私がいろいろ、もしかしたら人よりもいろんなものに見たり行動してるから、
もしかしたら好奇心がたくさん他の人よりもあるのかもしれないけど、なんかあんま深く考えないで
中川 浩孝
あともう一つ思ってたことがあるんですけど、好奇心って多分目的がないんじゃないかなと私は思うんですけど、
結局別に何かこの人、この人というか何でもいいんですけど、何かに興味を持つっていうのは別にその先に何か目的がってやってるわけじゃなくて、
本当に単純に自分の中から何なんだろうこれっていう疑問というか、そういうものが生まれてくることなので、
それってまさに自我とかと関係してくると思うんですけど、もしAIに好奇心があるように見えるのであれば、
多分それはAIは何かを目的としてるんだと私は思うんですね、今の段階では。
高木 恵子
そうだね、今そうだね、AIはね。
中川 浩孝
例えば今AIにパスワードとかを解かせるやつで、例えばコンピューターだと思われちゃいけないからコンピューターだと思われないようにするっていう、
今最近変な画面とかのやつを自転車選んでくださいとか信号選んでくださいみたいなのあるじゃないですか、
ああいう感じのコンピューターじゃないよっていうコンピューターがやってる、ちゃんと人がやってるよっていうふうに見せるために、
AIに学習させててそれを突破するっていう実験ってやってると思うんですけど、
それってその人の、AIのその人ってもう言った時点でちょっと自我があるっぽいんですけど、
AIの自意識でやってるわけじゃなくて、AIにそういうことを解かそうっていう目的があってそれをやらせているので、
それは好奇心でやってるわけじゃなくて何かを解くためにやっているっていうことなので、
そこの人間の内から発する好奇心っていうものと、AIの場合は与えられている目的があるっていうところが今は違うんだけれど、
まさにそれをでも何も目的与えてないのに勝手に目的を自分で考えなくて好奇心を持ち始めたら、
それがまさに自我があるってことになるんだろうなっていう感じはしますよね。
田中 愼一
そうでしょうね。たぶんね目的ってすごく重要で、
だからたぶん、いわゆる好奇心っていうのは目的がないっていうのは言い得て妙で、
目的があったらはっきり言ってイノベーションって起こらないと思うんですね。
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
何の目的もなく好奇心を沸き立てられて動いているうちに結果として一つの目標が見えてきて、
それでこう出るっていう感じだから、間違いなくそうだと思いますね。
もし目的がなくても好奇心を抱けるようになったらAIは一つの脅威になる可能性はある。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
という話でしょうね、たぶんね。
怠惰の定義面白かったんですけど、いわゆる肯定論ですよ、怠惰肯定論。
21:00
田中 愼一
あるんだけど十分はね、半端じゃないんですよ怠惰になると。
怠惰を極め尽くすんですよ。
変な方のベクトルが来てですね、どんどん怠惰になっちゃうんですね。
これどうストップさせればいいんだったら、自分に苦しみを与えるしかなくて。
でもいずれにしてもね、怠惰肯定論は面白いですね。
やっぱり道徳的に教育を受けて怠惰はダメだっていうふうに思い込まされてるから。
特に日本人はその傾向が強いかもしれないですね。
中川 浩孝
だってそれこそ昔は電気のなかった時代はね、日が落ちたらみんな家に帰って、
やることもそんなないから早く寝てたと思うので。
それって怠惰じゃないですよ。単純にそれはそういう限界があったというか。
田中 愼一
だからやっぱりある程度怠惰についても一見意識持った方がいいですね、我々としてね。
怠惰とは何だと。
中川 浩孝
怠惰とは何だですよ、本当に。
田中 愼一
怠惰とは何だって感じで。
恵子さん流で言うと、食べ歩き哲学みたいな感じで、
いわゆる経験をあちこちで経験しながらも、その経験絶対主義に基づいて深く考えない。
高木 恵子
でも怠惰で誰かに迷惑かけたり、自分が苦しまなければ別に怠惰って言ってもいいと思うんですよ。
私はもう別に。怠惰自体って別に良いとか悪いとかじゃなくて、本人の経験と一緒だから別に。
怠惰してて他人に迷惑かけたり、自分が何かもうそれでお金がなくなってね、
もう本当に路頭に迷ってて苦しんだら怠惰やめますよね、きっとね。
だから別にそうじゃなかったら。
田中 愼一
怠惰をずっとやって苦しみが出てきたら改めればいいって話ですか。
高木 恵子
怠惰で他人に対して害を与えたり、何かしちゃうんだったらそこって良くないことだから、
そこは何か考えなきゃいけないけど、別に怠惰をしてることで何も別に不じゃなければいいんじゃないの。
中川 浩孝
私もそう思います。
田中 愼一
負じゃなければタイダーを追求してもいいって話ですよね。
高木 恵子
別に全然。それで誰にも何も迷惑かかってなければ。
自分がその時ハッピーだったら別に怠惰をずっとやっててもいいんじゃないですか。
だって自分がハッピーなんだもん。
田中 愼一
なるほど。それは人に迷惑かけない限りは確かにそれは言えってなるよね。
中川 浩孝
そうだと思いますよ。
例えば私よりいくつか年がちょっと上くらいの人たちが、
50代後半で最近はもうなんかこう引退しましたみたいな知り合いもいたりとかして、
私はもう全然羨ましいし、それで生活できるんだったらその方がいいと思っているんですけど、
一部の人はなんかもったいないとか、
その力を他のことに使った方がいいんじゃないかとかそういうことを言う人もいるんですけど、
その人の人生だし、その人がハッピーならば何もそれに対していう権利も何もないと思うので、
24:04
中川 浩孝
そこはやっぱり人の人生とかに対してやっぱり他の人がどうこういうのは、
何かおかしいというか大きなお世話だなって思うことがやっぱり多いかなっていう、
最近やっぱりそういう多いですよね。人の何かやることに対して。
田中 愼一
そこの視点はやっぱりでしょうね、鍵は人に迷惑かけないってところだと思うんですよ。
中川 浩孝
そうなんですよね。
田中 愼一
例えば家族からのプレッシャーっていうのは年を取ったともにですね
ちょっとあんたボケるんじゃないのってこう言われるわけですよ。
中川 浩孝
ボーッとしてるとね。
田中 愼一
それは決してこっちの身になって考えてるんじゃなくて、
相手視点というかね、ボケたらこっちに迷惑かかるんだっていう、こういう話。
なかなかこれはですね、迷惑をかけないっていうところがやっぱりキーポイントで、
そこをどう判断するかって感じはちょっとしますね。
わかんないです。これは結構、今後ともこの怠惰研究っていうのをやっていったほうがいいと思いますね。
やっぱり一番いいのは深く考えないって実は。
中川 浩孝
恵子さん流生き方ってことですね。
田中 愼一
やっぱりね、深く考えないことが人生幸せなのかもしれないですよね。
高木 恵子
考えても考えても、結論が出ないものって絶対あるじゃないですか。
結論が、例えば年によって若い時と今と違ったりとか。
だからそういうものって、あんまり考えないかな、私。
中川 浩孝
そうですね。確かに。すごいわかります。
田中 愼一
だからそうか、あんまり深く考えないという風に。
高木 恵子
考えるのはいいと思うんですよ。
田中 愼一
いいんですけどね。
高木 恵子
同じ気を持って、こんなことが今起きてる、こうかって考えるのはいいと思うんですけど、
考えすぎちゃったら疲れますもんね、自分がね。
田中 愼一
確かに疲れますよね。
そこの見極めっていうのが、感度が大事なんだろうけども。
今言った有楽町での焼き鳥屋の一件があった後ですね。
高木 恵子
まだあるんですね。
中川 浩孝
まだ続くんですね。
田中 愼一
2発目の事象が、実は昨日、おととい月曜日、今週の月曜日の夜に起こったわけですね。
これはですね、ちょっと郊外に出たところの天ぷら屋さんに行ったんですね。
そこで誰と会ったかっていうと、テレビのプロデューサー、ディレクター、両方やってるから彼は。
この10年ぐらいはマネジメントの世界やってて、その前はいろいろな特集番組とか、ほぼメージャーな特集番組をディレクター及びプロデューサーとして活躍した人で、
27:08
田中 愼一
彼自身としては、やっぱりコンテンツの現場っていうのが一番いいって言うんで、
基本的には今年からまたコンテンツの現場に戻るんですよ。
定期的に彼と会ってて、もう何年くらいの付き合いかな。
15、6年以上の付き合いだと思うんだけども。
定期的にね、年に1回か2回、多分これからもっと頻度が高まると思うけど、飲みながらいろいろ話をしてた。
そのときに彼が、AIに限らないんですけども、いわゆる人の心が荒んできてると。
彼の今までやってきた中で、いろんなところに取材を入れて、いろんな社会的問題を取り上げてきてるわけですよね。
その中で、心が荒んでるっていうことで、
彼の言葉で言うと、好き嫌いとか対立っていうものを受け入れる度量がなくなってきてる。
さっきね、今話した人に迷惑をかけないっていうのが一つの基準だよねって言ったのを、
怠惰肯定論のところで話をしてましたけど、
実は今、人への迷惑をかえり見ない意識っていうか、感覚っていうのがはびこり始めてきてる。
一言で言うと、自分の嫌いなものは拒否する。自分と対立するものは避ける。
つまり、ある意味で言うと、社会的動物である人間が直面せざるを得ない現実。
さっきブッダが人生苦って言いましたけど、
所詮社会的生活ってのは苦が伴うわけですよ。
だからそういうところを逆に避けるっていう。
それが結果的には相手の視点に立てない発想っていうんですかね。
これが非常に多くなってきて、
これがある意味で言うと、いろいろ理由があるんだけども、
技術進歩の急激な進化、生成AIに代表される。
それから、ある意味グローバライゼーションということで、
今まで日本が持っていた文化そのものが揺り動かされて、
違う価値観がどんどん入ってくる。
それからやっぱりSNSですよね。
自分の言いたい放題のことを一方的に話せばいいっていう世界。
30:01
田中 愼一
これが、今まではSNSがなかったときってのは、
いやこれあんまり言っちゃダメだろっていうのが、
素直にもっと自分で自分の気持ちを出す。
いい面はあるんですよ、自分の気持ちを。
一方で、人の迷惑っていうことを帰り見ずにどんどん発信してしまう。
それがある意味、例えばいじめみたいなね。
つまり相手の痛みを理解できない、わからない、あるいはあえてしようとしない、
なんていうんですかね、人たちが増えてきてるっていうのにも出てきてるし、
だからそういうものに対して彼自身はものすごい危機感を持ってるんですね。
なんでそういう危機感を持ったかっていうと、
今年からまた現場復帰したんで、
やっぱりそこあたりでずっと現場に戻って見ていると、
やっぱりそこあたりが非常に痛感するっていう話になったんですよね。
だからそういう意味で、たぶん我々はちょっとそういうことで言うと、
そこっていうのが一番実は大きな脅威になってきてるっていうことで。
さっきある意味で言った、肯定感って言いましたっけ。
どんどん楽になることがネガじゃなくて、
やっぱり物理的に楽になるっていうのは、
いろんな他のことをできるチャンスをどんどん与えてくれるっていう意味ではいいんですけども、
問題は楽になるっていうところは、一つの議論として重要だと思うんだけども、
もう一つは苦しみ方が変わってくる。
苦が変わってくる。
つまり、肉体的な苦とか、時間的に拘束されてしまった苦とか、
そういうのは逆にこれからどんどん解放されていくから、
いわゆる苦じゃなくなって楽なんですよ。
ただ一方で違った苦が発生してて、
いわゆる対立とか好き嫌いというものを乗り越えられないがために苦しむ人たちとか、
それから逆にそういうものを排除することによって、
周りで苦しむ人が増える。
一言で言うと、人間の心の苦っていうんですか。
肉体的な苦とかそういうもんじゃなくて、楽とはちょっと違うわけですね。
楽っていうのを与えるっていうのは非常に重要なことだと思うんですけども、
苦が逆にもっと増えてくるっていう。心のほうの苦がね。
ここをマネージできない人がどんどん増えてくる。
っていうのが彼と話をしててね。
33:00
田中 愼一
これもかなり飲みながらの話なんだよね。
ちょっとそこがですね、前も議論してた人間の心っていうのが、
やっぱり絶えずもっと進化させていかなきゃいけないっていう、
心のイノベーションって言葉を使ったと思うんですけども、
それが今こそ求められ始めてきてて、
基本的にそこで議論がですね、
僕は仏教思考が非常に好きなんで、
仏教っていうのは実は2500年以上、3000年近くにわたって、
そういう人間の心の苦というものを取り上げてきて、
そこをどうリカバー、そこをどう向き合えるのかっていう。
そのためにはそういう苦を、少なくとも拒否するんではなくて、
しっかりと受け止めて、そこから乗り越えていくようなね、
そういうことをどうすればできるようになるのかっていうのを、
3000年近く考えてきた思考なんですね。
宗教というよりも思考体系だと思ってるんですけども。
その話をしたら、
彼もですね、実は結構、
昔からいろいろ、仏教関係の思考は彼とも議論してたんで、
我々二人で一致したのがですね、
やっぱり今、宗教だと出すと誰も耳を貸さないと。
そうじゃなくて、宗教という衣を剥がして、
宗教とは別の衣で、
仏教思考っていうか、発想っていうか、
そういうものを伝えることって重要になってきてるんじゃないかなと、
いう議論になってきて、
そういう議論になってきた一つの背景として、
じゃあ彼のほうから、
今までそういう心のイノベーションみたいな事象ってのがあったのかと。
ということで、その質問はいい質問だなと思って考え始めて、
田中 愼一
例えば日本における心のイノベーションっていう意味で言うとですね、
たぶん一番初めに聖徳太子が仏教を日本に入れたときなんでしょうね。
あのときに、それまでは神様っていう神ですね、
いわゆる神道の流れがあったんだけど、
そこと一つ、聖徳太子は融合させるんですね。
これが日本人の非常にフレキシビリティが高いところだと思うんだけども、
仏教というものと、いわゆる神道という、
この二つのまるっきり違った一つの宗教って言ってもいいんだと思うんですけど、
それを融合させるっていうイノベーションが一つ。
人々がそれを受け入れる、両方受け入れる。
つまり、神道が仏教を攻撃するとか、
仏教が神道を攻撃するっていう構図じゃなくて、
両方とも受け入れてしまうっていう。
これは一つのイノベーションだと思うんですね。
で、次に起こったのが、多分空海と最澄が現れて、
36:05
田中 愼一
日本に真言、密教ですね。密教的な仏教。
その当時最先端の仏教だったんですけど、
それを日本に入れたっていうところが、
実は二つ目のイノベーションが起こっていて。
で、三つ目がですね、やっぱり鎌倉仏教。
つまり、空海と最澄がある意味平安仏教っていうものを構築して、
しっかりしたものにしたんですけども、
その中でも最澄が作った比叡山なんかっていうのは、
そこに学んだいろいろな人たちが、
実は鎌倉仏教を立ち上げてったんですね。
例えば禅宗の道元とか、日蓮の日蓮宗とか、
それからやっぱり一番大きな影響力で広まったのは浄土宗・浄土真宗。
浄土宗の法然とか浄土真宗の親鸞とか。
こういう人たちが鎌倉時代に一斉に起こってきて、
一挙にそういう仏教的な考え方を知る人口がわーっと広がったんですよ。
なぜかというと、平安仏教までは難しかったんですね。
だからある程度一定の人の心っていうところしか抑えてなかったんだけど、
浄土真宗、浄土宗や浄土真宗、特に浄土真宗なんかが起こってから、
南無阿弥陀仏っていうね、これだけで成仏できるっていう世界ができたわけですよ。
ひとつはイノベーションじゃないですか。
それが一挙に日本ほぼ全国に広まるわけですよ。
で、これはいろんな人の心のイノベーションを発生させたと思うんですね。
だからこういうのがあって、じゃあ今あるの?って話になって、
今ってなかなか難しいなって話で議論してたら、
そこでポツッと思い出したのが、
例えば、実は仏教って結構外から評価されてるんですね。日本以外のところから。
だからプロデューサーが言うには、今観光客がどんどん海外から来るんだけど、
一番人気はお寺だそうです。
で、高野山なんてものすごい人気スポットで、どんどん集まってきてるんですよ。
それは彼いわくですよ。さすが報道から来た人間だけあって。
今のガザの問題から解き始めて、結局一神教のところでは相手を認めないっていう偏見さがあるために、
それがガザみたいな問題とか、ウクライナみたいな問題とか、いろいろな問題を出していく。
基本的にはそういうところが問題になってきてて、
世界としてはそうじゃない、対立っていうものを受け入れていくっていうかね。
39:03
田中 愼一
排除するんではなくて受け入れていくような発想っていうのが重要なんじゃないのと。
そこに仏教っていうのが当てはまってるんじゃないかなという話。
僕の方からは逆に、ここでも話した量子力学とか、
いわゆる現在の物理学学者、アインシュタインをはじめとする人たちが、
仏教に対する思考体系はものすごく評価してるんですね。
だからそういう意味で、仏教ってのはやっぱり面白いんじゃないのって話がまた再びあって、
結局ある意味、仏教、宗教というコロモじゃない方法で、
仏教の考え方を伝える方法ってないのかねっていう話で、結構湧いたんですね。
実はそのあと三つ目があって。
中川 浩孝
この続きはまた来週お送りします。