田中 愼一
これはイギリス人なんですけどね。
だから基本的にはアメリカ人、イギリス人、日本人、僕ってことで3人で議論になって、
そのときにいろいろ生成AIの話が出てきてですね、
特にいわゆるコンプライアンスっていう視点から言うと、
やっぱりサイバーセキュリティというか、そういう面というのは非常に大きくなってるし、
一方でその話をしていくとどんどんAIがどこまで行くのかって話になってきて、
これは脅威なのか、それとも人類にとっては幸福な世界への道しるべなのかっていう議論が始まっていて。
どっちかというとね、イギリス人の人と日本人である僕が、
どっちかというと批判論的な話をし、
アメリカ人の弁護士が、結構、楽観とは言わないけど、積極的にAI活用していかなきゃっていう話で。
そこからね、お酒もだいぶ回ってたんで、みんな言いたい放題言い始めて。
基本的にはですね、そこで出てきた議論というのが実は結構面白くて、
そこでバンバン話してたときに、好奇心っていう言葉が思い浮かんだんですよ。
で実は、AIがもし好奇心を持ったらどうなるのって話になって。
好奇心っていう言葉を詰めていくと、だんだんわかってくるのが、
好奇心を持つためには、いわゆる自我、自分自身というものを認識しないと、
好奇心って出てこないんじゃないかって話になってきて。
確かに好奇心っていうのは、一言で言うと自分以外のものに対する興味・関心ってことですよね。
だから当然自分というものを持って認識していないと、好奇心って生まれてこないんじゃないかっていう話になって。
これ、生成AIがもし好奇心を持ったら、これやばいんじゃないって話になって、
そこで議論がどんどん進んでって。
で実はその好奇心っていう言葉が一つ、そこでボンと出てきたんですけど、
実はその後議論が進む中でもう一つの言葉が出てきたんですね。
それは何かというと、チャレンジって言葉なんですよね。
日本語が見つからなかったんで、いわゆるチャレンジっていう言葉で、
しかも外人の人たちと話してたから、英語で議論してたから、チャレンジだっていう話になって。
AIがどんどん進んでいくと、AIってすごい便利なもんで、
人間にとってはそこに対する依存がどんどんかまってくる。
田中 愼一
もっと言うならば、今まで自分たちがやったことがどんどんやってくれるようになるから、
楽になる。
ところが楽になるっていうことは何が起こるかっていうと、
人間の能力が低下していくことじゃないのと。
まあ人によっては次のレベルにっていう人もいるんだけど、
でも人間のさがから考えたときに、楽になると人間は怠けるんですよ。
僕なんかもう怠けるんですね。楽になった瞬間に怠けるっていう。
なんか構造的にそれはできちゃってて。
そういう自分の価値観からすると、そこに共感してくれたのはイギリス人で。
アメリカ人は、楽になったら次は今までできなかったことができるようになるっていう、より積極派。
英国人と日本人は、やっぱり島国根性が出てきて島国で育ったから、
大陸国家のアメリカ人とはちょっと違って、
いやーっていう感じで、より消極的に、どっちかというと性善説じゃなくて性悪説、人間に対する。
人間は性善説とは絶えず積極的に生きていくって話だけど、
性悪説は、結局大変じゃなくなったら怠けるよって、そこの議論になったんだけども、
そのときに、人間っていうのはチャレンジがないと生きていけないんじゃないって話を僕はポッと言ってた。
自分を顧みるとですね、楽すると怠けるでしょ。
だから楽しちゃいけないんですよ、僕。
チャレンジを受けてないと、自分を前に進ませていくってことができないっていう。
自分自身の性格から弾き出した話なんだけど、それに英国のコンプライアンスオフィサーが乗ってきて、
そうなんだって言って、人間はチャレンジがないとダメなんだという話になってから、
そこの話になってから急激に好奇心からよりチャレンジのほうに話が行って、
だって人生チャレンジングだろうとね。一番チャレンジは家族との関係だろうとかね。
そういうとこがボンボンボン出てき始めて、
よう考えてみたらチャレンジがあるからこそ、きついけどチャレンジがあるってことは、
自分が怠けないで自分を前進させることができるんだなっていうことで、
基本的には日本・英国対アメリカっていう構図の中で、議論が続いたというか終わったというかね。
だからそのときに二つの言葉が飲み会で出てきて、僕自身として自覚して、
一つは好奇心。もう一つはチャレンジ。
好奇心っていうのは確かに、自我がなきゃ絶対好奇心は生まれてこない。
田中 愼一
好奇心っていうのは、たぶんまず自我が認識されてから、
それから自分以外の自我以外のものに対する好奇心が湧いてくる。
で、さらに自分以外のものに対する好奇心が湧いてくると、
再び自分って何かっていう自分自身に対する好奇心が湧いてくる。
たぶんね、そういう流れなんじゃないかなと。好奇心のメカニズムっていうのは。
これ結構深い話で面白い話で、好奇心って何かっていうのは一つの題材として、
特にコミュニケーションのことっていうね、このポッドキャスティングはコミュニケーションっていう視点でものを考えたときに、
やっぱり好奇心っていうのは研究対象にあたるなと。
好奇心を持っているから、持つためには必ず自分自身の自我という認識が必要になる。
その認識が確立されると、自分自我以外のところに対する関心、周りへの関心が湧いてくる。
その周りへの関心が湧いて、そこに好奇心を働かせて、よりそこを知ることによって、
今度は自分って何者なんだっていう、自分に対する好奇心っていうのが出てくる。
この流れっていうのがたぶんね、人間の心の中でコミュニケーションの流れの一つだと僕は思ってるんですけど、
なぜかというと、相手との対話だけじゃなく、自分との対話っていうのはすごくコミュニケーション上重要で、
そういうことから考えると好奇心っていうのは非常に面白い。
それから、もう一つのチャレンジっていう言葉も面白くて、
やっぱり人間っていうのは、たとえばね、仏様が人生苦ですって言ったわけですよ。
人生はもう苦しかないんですって、これが一番初めの仏様の仏っていうかブッダの言葉なんですよね。
人生は苦だと。それを悟ったっていう。
これ昔からね、まあしかしこれはちょっとマゾヒスト的な表現だなと。
人生は苦だ、苦よありがとうって言ってるのかって思ってたんだけど、
人生が苦っていうのは、逆に言うと苦があるからこそチャレンジがあって、
そこを乗り越えようとすることができるようになるっていうふうに解釈すると、なるほどなと。
だからブッダは、自分の一生を懸けて苦をなくすってことはできないけども、
苦をどう乗り越えるんだってことを取り組んだ人なんだなっていうのが、
その焼き鳥屋の英国人とアメリカ人と日本人に交えた国際会議の中で出てきた感覚。
だからやっぱりね、人間にとっては好奇心っていうのもすごく大事だけど、
一方で苦を乗り越えるチャレンジって絶えずチャレンジされてるっていうことが、
田中 愼一
楽じゃないんだけどもきついよと。
AIの脅威っていうのは、島国の方々からするとAIの脅威っていうのは、人間を怠けさせるっていうね。
ところから人間がダメになるっていう脅威。
大陸国家のアメリカからは、いやそうじゃないんだと。
人間をダメにするんじゃなくて、人間をより助けることによって人間が次の次元に行けるんだと。
ここあたりの議論が非常に面白かったんで。
これが先週の金曜日の夜の話なんですよ。
いかがですか、そこあたり。好奇心とチャレンジ。
中川 浩孝
今私が聞いていて思ったこと二つあるんですけど、
一つは先週かな、東洋経済かなんかのウェブだったんですけど、
コラムみたいなものがあって、そこに怠惰っていうのは、
怠惰であることを恐れるっていうことは、そんな怠惰はそもそも存在しないみたいな話を書いている方がいらっしゃったんですよ。
要は道徳的にその怠惰であることはいけないっていうふうに、私たちはなんとなく意識を植え付けられているけれども、
それはそんなことはないと、そんなものは存在しないっていうふうに言ってるんですね。
私それはすごく面白いなと思ったのは、それでそれが一つ目なんですけど、もう一つ目が、
さっきおっしゃっていた人は何かを、今回だったらAIに任せることによって、
暇になるっていうか、やることが少なくなるような気がするんですけど、
今までは人類史の中でそんなことって多分一回も起こってないんだと私は思ってるんですよ。
で、例えばなんですけど、それこそスマホを使うようになって、例えば漢字を覚えなくなったなって最近思うでしょ。
漢字書けなくなっちゃったなって感じがするじゃないですか。
なので、その漢字という知識、なんとなく読むっていう知識はあるんだけど、書くっていう知識に関しては、
多分私たちかなり退化していると思うんですね。ここ10年くらいで。
でも、それでなんかすごい楽になったかっていうと、私たちの生活何にも楽になっていなくて、
むしろずっとデジタルの世界にがんじがらめになっている感じってないですか。
私は新しいものが入ってきて楽になると、その分違うことに脳の力とか自分の力、時間をすごいやっぱり割かれてるっていうのは感じてるんですよ。
で、それで多分変化が早くなっている世の中っていうのと同じで、
早くなっていくから、ある程度何か楽になっている部分はあるんですけど、
やっぱりその忙しくなっている、早くなっている部分を自分の力の中でどうにかカバーしてるんですよね。
なので、楽になってはいるような気がするんだけど、違うことで結局オキュパイされているというか、結局使われているって感じがするんですよ。
なので、怠惰っていうのもそうなんですけど、私たち多分機械が、例えば洗濯機を使えるようになって洗濯しなくなって楽になったはずだし、
水を例えば井戸に汲みに行くとかっていうのも水道ひねれば出るようになったから楽になったはずなんだけれど、
中川 浩孝
何にも楽になった感じってしなくないですか。
なんかそこって多分時代によってその考え方が変わっているだけで、
多分実際には何にも楽にならないんじゃないかって私は最近やっぱり思ってるんですよね。
その変化はあるんですけど、人間を何も楽にしないっていう気が最近私はしているっていうのは一つあります。
田中 愼一
なるほど。けいこさんどうですか?
高木 恵子
うーん、なんか私そんなに難しく考えたことがないかもしれない。
田中 愼一
霊感の霊性の霊を持って生まれた方のお言葉ですね。今のは素晴らしい。
高木 恵子
難しくそうなんですよ。考えたことがないんですけど、
やっぱり好奇心が生まれるってまず、
自分の基準があって、そこから好奇心になるかって人それぞれだから、
好奇心をどう持つかって、もちろんそれこそ生まれつきの何か、
やっぱり感覚っていうのは人間だからそれぞれに持ってると思うけど、
私は大半は何かやっぱり経験だと思うんですよ。
いろんな経験で、この人の好奇心の種類というか発生度合いとか種類って変わるような気がしてて、
だから本当ちょっと割と底辺な話になるけど、
いろんなものを食べ歩きしてる人ってやっぱり、
自分がおいしいと思うものの味を知ってるから、そこの探求心が生まれるとかね。
それって好奇心になるじゃん。でもそれってやっぱり自分、その人がいろんなところを食べ歩きしてた結果で、
その好奇心がさらに、あ、これおいしかったよな。
じゃあこれに似た味を探そうかなっていうのも好奇心として生まれるし、
おいしいものが分かったら自分がおいしいという感覚と、
違う食材、違う料理法でも、あ、これもおいしいってまた、
おいしさが一回分かると自分のまたおいしい発見をしますよね。
みたいな経験によって、私は好奇心で生まれるような気がする。
だからテクノロジーも同じで、
全部のテクノロジーがいいとか悪いとかっていうよりも、やっぱり自分が経験したテクノロジーで、
自分がうわーこれ便利とか、うわーこれ楽になったと思うと、やっぱりそれ使い続けて、
そうかそうかこの時こうだったから、なんかこれ新しいテクノロジーだけど、またこれやってみたら、
なんかまた便利になるかなって、なんか自分視点でそのテクノロジーの使い方を試してみて、
あ、また楽になったと思うとまた使うみたいな、なんか経験、私が思うのはなんか経験で、
高木 恵子
さらに興味をやるかやらないかとは興味が湧くか湧かないかってなんか生まれるような気がする。
だからあんまり深く考えてなくて、なんか自分の本当毎日の生活の中で、
それは私がいろいろ、もしかしたら人よりもいろんなものに見たり行動してるから、
もしかしたら好奇心がたくさん他の人よりもあるのかもしれないけど、なんかあんま深く考えないで
中川 浩孝
あともう一つ思ってたことがあるんですけど、好奇心って多分目的がないんじゃないかなと私は思うんですけど、
結局別に何かこの人、この人というか何でもいいんですけど、何かに興味を持つっていうのは別にその先に何か目的がってやってるわけじゃなくて、
本当に単純に自分の中から何なんだろうこれっていう疑問というか、そういうものが生まれてくることなので、
それってまさに自我とかと関係してくると思うんですけど、もしAIに好奇心があるように見えるのであれば、
多分それはAIは何かを目的としてるんだと私は思うんですね、今の段階では。
高木 恵子
そうだね、今そうだね、AIはね。
中川 浩孝
例えば今AIにパスワードとかを解かせるやつで、例えばコンピューターだと思われちゃいけないからコンピューターだと思われないようにするっていう、
今最近変な画面とかのやつを自転車選んでくださいとか信号選んでくださいみたいなのあるじゃないですか、
ああいう感じのコンピューターじゃないよっていうコンピューターがやってる、ちゃんと人がやってるよっていうふうに見せるために、
AIに学習させててそれを突破するっていう実験ってやってると思うんですけど、
それってその人の、AIのその人ってもう言った時点でちょっと自我があるっぽいんですけど、
AIの自意識でやってるわけじゃなくて、AIにそういうことを解かそうっていう目的があってそれをやらせているので、
それは好奇心でやってるわけじゃなくて何かを解くためにやっているっていうことなので、
そこの人間の内から発する好奇心っていうものと、AIの場合は与えられている目的があるっていうところが今は違うんだけれど、
まさにそれをでも何も目的与えてないのに勝手に目的を自分で考えなくて好奇心を持ち始めたら、
それがまさに自我があるってことになるんだろうなっていう感じはしますよね。
田中 愼一
そうでしょうね。たぶんね目的ってすごく重要で、
だからたぶん、いわゆる好奇心っていうのは目的がないっていうのは言い得て妙で、
目的があったらはっきり言ってイノベーションって起こらないと思うんですね。
高木 恵子
そうですよね。
田中 愼一
何の目的もなく好奇心を沸き立てられて動いているうちに結果として一つの目標が見えてきて、
それでこう出るっていう感じだから、間違いなくそうだと思いますね。
もし目的がなくても好奇心を抱けるようになったらAIは一つの脅威になる可能性はある。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
という話でしょうね、たぶんね。
怠惰の定義面白かったんですけど、いわゆる肯定論ですよ、怠惰肯定論。
田中 愼一
あるんだけど十分はね、半端じゃないんですよ怠惰になると。
怠惰を極め尽くすんですよ。
変な方のベクトルが来てですね、どんどん怠惰になっちゃうんですね。
これどうストップさせればいいんだったら、自分に苦しみを与えるしかなくて。
でもいずれにしてもね、怠惰肯定論は面白いですね。
やっぱり道徳的に教育を受けて怠惰はダメだっていうふうに思い込まされてるから。
特に日本人はその傾向が強いかもしれないですね。
中川 浩孝
だってそれこそ昔は電気のなかった時代はね、日が落ちたらみんな家に帰って、
やることもそんなないから早く寝てたと思うので。
それって怠惰じゃないですよ。単純にそれはそういう限界があったというか。
田中 愼一
だからやっぱりある程度怠惰についても一見意識持った方がいいですね、我々としてね。
怠惰とは何だと。
中川 浩孝
怠惰とは何だですよ、本当に。
田中 愼一
怠惰とは何だって感じで。
恵子さん流で言うと、食べ歩き哲学みたいな感じで、
いわゆる経験をあちこちで経験しながらも、その経験絶対主義に基づいて深く考えない。
高木 恵子
でも怠惰で誰かに迷惑かけたり、自分が苦しまなければ別に怠惰って言ってもいいと思うんですよ。
私はもう別に。怠惰自体って別に良いとか悪いとかじゃなくて、本人の経験と一緒だから別に。
怠惰してて他人に迷惑かけたり、自分が何かもうそれでお金がなくなってね、
もう本当に路頭に迷ってて苦しんだら怠惰やめますよね、きっとね。
だから別にそうじゃなかったら。
田中 愼一
怠惰をずっとやって苦しみが出てきたら改めればいいって話ですか。
高木 恵子
怠惰で他人に対して害を与えたり、何かしちゃうんだったらそこって良くないことだから、
そこは何か考えなきゃいけないけど、別に怠惰をしてることで何も別に不じゃなければいいんじゃないの。
中川 浩孝
私もそう思います。
田中 愼一
負じゃなければタイダーを追求してもいいって話ですよね。
高木 恵子
別に全然。それで誰にも何も迷惑かかってなければ。
自分がその時ハッピーだったら別に怠惰をずっとやっててもいいんじゃないですか。
だって自分がハッピーなんだもん。
田中 愼一
なるほど。それは人に迷惑かけない限りは確かにそれは言えってなるよね。
中川 浩孝
そうだと思いますよ。
例えば私よりいくつか年がちょっと上くらいの人たちが、
50代後半で最近はもうなんかこう引退しましたみたいな知り合いもいたりとかして、
私はもう全然羨ましいし、それで生活できるんだったらその方がいいと思っているんですけど、
一部の人はなんかもったいないとか、
その力を他のことに使った方がいいんじゃないかとかそういうことを言う人もいるんですけど、
その人の人生だし、その人がハッピーならば何もそれに対していう権利も何もないと思うので、