田中 愼一
あ、赤い。そう、郵便ポストは赤いとか。
で、ヒロちゃんからイレギュラーの時代でしたっけ。
あれはすごい良い表現だったんですよね。
中川 浩孝
でも宗教は確かに、私この間また違う友達とお話していたのは、
宗教って、昔の世界では死後の世界みたいなものが信じられていて、
それこそ科学よりもそういうものが信じられていて、
やっぱりその次の人生の時に、
いかにこう、良い生活とかよく楽しく生けるかとか、
その幸せになれるかっていうのを考えて、
やっぱりそのためには現世でちゃんと良いことしなくてはいけないよねとか、
そういう考え方が例えばあって、
それもあって、そういうものを信じて、
次の来世に向けて得を積んでいくみたいな考え方があったと思うんですけれど、
やっぱり科学が全盛の世界になってしまって、
死後の世界なんてあるはずがないって、
みんながやっぱりちょっと思ってしまう。
サンタクロースいないと同じですけど、
そういう感じになってしまうと、
宗教というもののそのうさんくささみたいなことばかりが、
どちらかというとクローズアップされてしまって、
でも宗教のやっぱりしていることって、
人の善悪の考え方と基準とか、
倫理観みたいなものを与えるっていうところがすごい大切で、
その人に親切にしましょうとか、
親とか先祖を大事にしましょうとか、
それって別に、
それが何ですか、だから何っていうわけじゃなくて、
その方がいいに決まってるよねって、
ちょっと考えればわかるようなことを、
そういうふうに悟しているっていう意味で考えると、
全然宗教を云々、誰が神様か、誰が仏様か、
誰が一人しかいない神なのか、
誰が創造主なのかってことを考えなくても、
自然とやった方がいいよね、
世界その方が滑らかに回るよねっていうことばかりを言っていることが、
基本的には多いと思うので、
それを宗教という皮ではなくて、
違うもので説明して、
だから道徳観とかと多分ちょっと似てるんですけど、
そう言ってしまうとまたそれはそれでなんかこうちょっとね、
うさんくさくはないんですけど、
なんかこう決められたことを守らなくてはいけないみたいな、
ちょっと恩着せがましいじゃないけど、
なんか逆のそういう感じがするんで、
でもなんかやっぱり自然派生的にやっぱりこうなった方が、
人間、世界、社会がみんな楽しくいいよね、
優しく生きられるよねっていう方向に持っていく考え方なので、
それは本当宗教じゃない何か形で、
なんかみんなが納得する形でなんか広まるといいなと、
私ももちろん思ってるんですけどね。
田中 愼一
宗教、それすごくいい話で、
宗教の言葉で信じれば救われるっていうような言葉あるじゃないですか。
あれね、実はコミュニケーション化するとまさに真実なんですよ。
人間っていうのは所詮思い込みの動物ですから、
何を思い込むかっていうことがね、
で今ヒロちゃんが言ったように、
昔は信じるってことが容易かったんですね。
だって科学がないんだもん。
だから信じるっていうことが重要で、
仏教がなぜ来世から始まったかって言うと、
来世というものは見えない世界で、
そこがこうなんだよっていうふうに信じればね、
人救われたわけですよ、信じれば。
ところがだんだん世の中が、まだ科学が来る前でも、
やっぱり経済がどんどん発達してきたり、
そうなると、来世かよって話になってくるわけですよ。
そうすると、基本的にだんだん信じるっていうことを担保するためには、
何が起こったかって、これ実際仏教の思考の中で進化してるんですけども、
現世を大切にしようって話になるわけですよ。
特にその気が強いのが、基本的には密教からかな。
密教っていう、後期密教、中期密教、初期密教ってあるんだけど。
密教が出てきてから、より現実的に現世っていうものをより重要視し、
その中で即身成仏っていう。
今までの仏教は、来世で成仏する。
しかも来世って何回も何回も気の遠くなるような時間をかけて、
生まれ変わって、それでやるんだっていうね。
信じられればそれで救われるわけですよ。
でも基本的には今みたいに経済がどんどん発達してきて、
合理主義っていうのが出てくるし、
それからその中でまだ科学が来る前の段階でもですね、
やっぱり来世を信じるっていうのはなかなかですね、
当時のエリート層の人たちでは納得いかずに、
そこで現世重視の、いわゆる成仏は生きているうちにしましょうと。
即身成仏っていう言葉を密教が考えて、
これは空海が全面的に言ってるんですけど、即身成仏っていう発想を生むわけですね。
そうすると、より現世にフォーカスが当たって、
じゃあ現世でどう生き抜いていけばいいのかっていったときに、
いろいろな仏教思想っていう、自分の心をどうマネージするか、
どういうふうに自分の感じ方、思い込みをマネージするか、
そういうところに行く。
で、今度はいよいよ科学がやってきたわけですよね。
そうすると、なおさらのほどですね、そこをどうやって信じるかっていう。
原理原則からすると、思い込みの世界である限り信じれば救われる。
でも、今人間は信じられないんですよ。
そこをどう信じるっていうことを可能にするのかどうか、
っていうのはたぶんこれからの一つの、人間が通っていかなきゃいけない苦しみの一つでしょうね。
信じられる世界だったら楽なんですよ。
信じられるなら本当に。でも信じられないからこそ苦しむわけですよね。
ここをどうソリューションを提供していくのかってのは非常に重要で、
そこに多分、宗教という衣で説明してもダメなんですよ。
中川 浩孝
でも簡単にフェイクニュースみたいなものは信じちゃうのにね。不思議ですよね。
田中 愼一
簡単にね。でもそれはやっぱり原理原則にのっとってるんですよ。
人間は思い込んだらもうそれなんですよ。
そういうことですよね。
だから今、信じちゃいけないものを信じてしまうという現象がどんどん起こってるわけで、
そこに対する何を信じるのかっていうところの道しるべというもののガイドラインってのは今ないんですよ。
そこのレベルはもう道徳のレベルじゃないんですよね。
田中 愼一
例えば、コボダシ空海の十重心論っていう、
人間の心は十の段階を経て進化するっていう、この分厚い本があるんですけど。
それを読んでいくと、やっぱり一番初めはもう完全に煩悩で、
人のことは考えずにわーってやってる。
で、二つ目の段階でやっと道徳っていう儒教的な発想が生まれて、
でもそれからさらに今度は3つ、4つ、5つ、6つ、どんどんどんどん10個まで上がっていくっていう、
それを全部体系化している。
これ結構ね、すごい本だなと思うんですけども、
心のイノベーションの段階説をちゃんと平安時代に考えた空海っていうのはすごいなと思うんですけども。
それは彼が持ち込んだ平安仏教っていうものを、奈良仏教の人たちに理解させるために書いた本なんですね。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
つまり、今までの仏教じゃないんだよと。
もっとこういう形で人間の心の進化っていうものがあって、
しかも奈良仏教のすべての宗派をですね、その10段階説で整理しちゃうんですよ。
例えば、法曹宗はどこかとかね、奈良六宗っていうのがあって、それぞれをその10段階のところにちゃんとポジショニングしちゃうんです。
中川 浩孝
なるほど。
田中 愼一
で、もちろん当然、空海の真言宗が一番トップなんです。
中川 浩孝
一番上にあるんですね。
田中 愼一
でも、2番目が天台宗かな。
こうやって入れていく。でもそれはですね、一つの今までの仏教の体系化なんですよ。
いろいろな思考がどのレベルの心のイノベーションを解いているのかっていうのが、宗派別で綺麗に整理されている。
実によくできた本だなと僕は思うんですけど。
それは何のためにやったかっていうと、極端に言うと奈良仏教の人たち、つまり奈良の聖徳太子から始めて、
ずっと永遠と奈良で育ってきた当時の日本の仏教の人たちに対してもっと違う視点で仏教を捉えろっていう訴えですね、一種のね。
それに最澄も同調する感じで、空海と最澄が平安仏教を作ったっていう形なんだけど、
それをさらに進化させた連中が鎌倉仏教の人たち。
ただ鎌倉仏教の場合は、全体的には体系化をしなかったんですね。
どっちかと言うと個別ブランドが立ち上がったわけですよ。
ある意味奈良仏教に戻っちゃった感じはあるんだけども、
つまり個別主義だった奈良仏教を体系化して、大きな一つの仏教の体系の中で奈良仏教を位置づけたんだけど、
さらに今度は鎌倉仏教の時代に一挙に個別化で各個別ブランドが立ち上がってきちゃう。
でもその個別ブランドが立ち上がったおかげで、より広く多くの人の心にアプローチすることができた。
だから今度は多分体系化が必要になってくると思う。
それを体系化するのが、実は科学を使って体系化するっていう方法論は間違いなくあるんですよ。
あとこっちからすると僕はコミュニケーションだと思っていて、
人間の基本的な行為であるコミュニケーションから解いていくっていうのが、僕はすごく重要かなと思いますよね。
高木 恵子
私たちが子供の頃ってかもっと若い頃って、
宗教を信じる信じないってよりも、わりと身近に自分が悩んだ時に話せる人っていましたよね。
それが例えば親だったり、兄弟とか、友達、学校の先生みたいな、
なんかちょっとのことでも、こうなんか一人で考えたりもしてたと思うんだけど、
でもなんか話すことでソリューションを、なんとなくヒントをもらうっていう、
そのやっぱこれもコミュニケーションだと思うんだけど、そういう人がいたんですよ、周りに。
でも多分今の特に若い人たちって、それが親とか兄弟、それか友達、学校の先生っていう人たちが、
多分そういう存在がもう実はあんまりいなくなっちゃってる。
で、かつその例えば宗教もね、ほらすごい問題になった宗教もあるわけじゃないですか。
ああやって報道されちゃうと、今の人たちって、じゃあ周りのどこに助けを求めればいいんだろうっていう、
私たちの、なんかこう育ってきた時って、周りを振り向いたら、別にその凄さは関係なく、
誰か、この人に話したらちょっと気が楽になるとか、なんかいつもヒントをくれるみたいな人っていたじゃないですか。
それが多分、それがいない状況。
だからみんなこう、その宗教とか、その周りの大人とか友達とかっていないから、
だから結局フェイクニュースみたいな、自分で調べられることで情報をゲットして、自分で判断しちゃうみたいな。
田中 愼一
たぶんね、それすごく重要なことで、そのインフラが今なくなっちゃったんですよ。
相談するっていうね。
よく思うんだけど、僕たとえば修善寺なんかによく行くんですけども、静岡県とか、
あちこち行くんだけど、僕いつも痛感するのが、なんでこんなにお寺が多いのと。
あのね、特に伊豆ってすごいんですよ。他のところもみんなそうだけど。
たとえば変な話で、僕が住んでる今ここあたりの雰囲気なんかも、東京都の中にもお寺の数めっちゃめっちゃ多いんですよ。
で、これはね、やっぱり一つの、実は昔インフラとして機能してたんですよ。
人の、いわゆる救いというか相談相手になる。
ものすごい数の寺があって、
そこが一つの機能としてたんだけど、それが今どんどん希薄化しちゃってるんですよね。
檀家制度っていうのがある意味そんなに崩壊してるって言ってもいいと思うし、
コビットのおかげで法事が行われなくなったり。
法事があると必ずそこのお師匠さんが講和するわけじゃない。
そういう機会があると、ちょっとお師匠さん相談に乗ってくれますかねとかね。
田中 愼一
それから日々、今そういうたくさんあるお寺っていうのは入りにくくなってるんですよね。
勝手に入る分にはいいんだけど、わざわざお師匠さんと会って話すとかいうようなユーザーフレンドリーな設計になってない。
中川 浩孝
確かに。
田中 愼一
だからお寺はたくさんあるんだけどユーザーフレンドリーじゃ全然ないんですよ。
だからちょっと立ち寄って相談するっていう機能が全然ないから。
問題はそういうふうな状況でなると、まさに指摘した、さっきも話した間違ったことを信じるんですよ。
高木 恵子
そうなっちゃいますよね。
田中 愼一
相談する相手がいないと。
そうか。じゃあこのポッドキャスティングは相談するためのインフラになりますかね。
高木 恵子
そうなんですよね。そういう場所だから作りたいですよね。
田中 愼一
僕思うのは今恵子さんが言った、コミュニケーションという基本的な行為っていうのを人間が見つめ直すと、
人間はですね、進化できるんですよ。
特に自分の心も進化させられることができる。
だからやっぱりコミュニケーションという人間の基本的な行為っていうところから紐解いて、
心のイノベーションをどう起こしていくのかっていうのを探求するのは面白いかもしれない。
高木 恵子
そうですね。
中川 浩孝
なんかでもさっきから話を聞いていたときに、やっぱり私たちが関わる人というか、
それこそコミュニケーションする人がやっぱり格段に増えてるんだと思うんですよね、昔と比べると。
それこそ昔だったら交通の便がないとか、単純に。
で、そこから電話が生まれて、交通手段が生まれちゃって、今度は電話が生まれちゃって、インターネットができてしまってということで、
1回も顔を合わせたことがない人と喋ったりとかする機会ももちろんあったりするっていう。
田中 愼一
めちゃくちゃすごいんですよ、相手が。
中川 浩孝
昔はね、自分の家族であったりとか村の人であったりとかっていう人しか付き合う範囲自体がなかったんですよね。
だからコミュニケーションという本当に言葉が、コミュニケーションの回数というか人数が、回数は変わらないのかもしれないけど、人数が多分めちゃめちゃ増えてるんですよね、だからね。
田中 愼一
それも間違いなくて、それがね顕著に現れたのが明治維新というか、近代化に入ってたんですよ。
それまでは士農工商といっていわゆる封建制度だったから、自分は生まれた時からどの職業、どの人と付き合う、どの人とっていうのは全部決められてたわけですよね。
で、移動自由がなかったから、生まれたところでほぼ生きて死ぬまでいて、出会う人ってすごい限定的だった。
近代社会になって職業選択の自由になった途端に、突然多くの人と出会うハメになっちゃった。
学問のすすめっていう本がありますよね、福沢諭吉が書いた。
あれベストセラーになったんですよ、あの当時。
偶然のベストセラーで、何版も増刷して
で、あれがなんでそんなに売れたかっていうと、基本的には立ち位置の書で、
いわゆる多くの今まで出会ったことのないような人たちと接する中で、どうやって自分の立ち位置を作ればいいのか。
どうやって付き合えばいいのか、もっと平たく言うと。
それにものすごい悩んだ人が増えちゃったんですよ。
その悩みを吐露している本に、草枕。
草まくらのですね、今目の前にその本ないんだけども、一番冒頭の章を読めばわかるんですよ。
夏目漱石の悩みが。
中川 浩孝
智に働けば角が立つってやつですね。
高木 恵子
それそれそれそれだ。
田中 愼一
そうそう。
高木 恵子
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
田中 愼一
だから言うとですね、智に働けば角が立つ
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。
高木 恵子
やっぱり今自分に起きることってやっぱり起こらざるしてべくして起きてるわけだから、
たぶんそれはとりあえずちゃんと向き合わなきゃいけないんですよね。
だから良いことも悪いこともね。
田中 愼一
向き合うっていう、覚悟がないとダメなんですね。
その覚悟っていうのはすぐできるもんじゃないんですよ。
日々のコミュニケーションをどう回していくかによって、
その覚悟っていうのがストックとしてだんだん出来上がってくるんですよ。
そうするとすぐ覚悟を決めろって言ったって無理で、
基本的にはやっぱりどんな目の前で起きてることを受け入れる覚悟っていうのができるためには、
より日々時間がかかるんですね、ストックだから積み上がってるために。
だからこそ、今自分が行っているコミュニケーションっていう行為をですね、
あの綿密に見て、どういうふうにそのコミュニケーションの流れっていうものを作っていかなきゃいけないのかっていうのを知るべきなんですね。
そこを教えるとこがないんですよ、いま。
高木 恵子
そうなんですよ、そうなんですよ。
なんかこういうことが起きちゃったって言って、たぶんあたしたちだったら、
それは今ね、それこそあなたのチャンスだからまず向き合いなよって、
その一言を言ってあげる人たちがたぶん周りにいないんですよね、そうそうそうそう。
中川 浩孝
だから好き嫌いを受け入れる度量がないというさっきの話じゃないんですけど、
そうしたらそこの人たちはもうコミュニケーションを止めてしまえばいい、
ブロックしてしまえばいいみたいな世界になっちゃってるんですよね。
田中 愼一
だからそこを、まあもともとこのポッドキャスティングを始めたっていうのは、
そこをやっぱりやるっていうことだったんじゃないかなって、いまね、改めて。
高木 恵子
いやーもう1年経って素晴らしいまとめですよ。
中川 浩孝
いいですね、確かに。
高木 恵子
私たちも成長してますね。
田中 愼一
我々が成長しないとね、そんな周りも成長してくれないですよ。
周りが成長してくれると我々も成長するわけですから。
だからなんかね、そういういまの世界っていうのはやっぱり、
信じることができない世界っていうのがやっぱりダメで、
どう信じるか、信じて初めて救われるわけですから、人間っていうのは。
何を正しく信じるかっていう、そこの基準っていうか、あるいは覚悟ですよね。
高木 恵子
まあそうですね。
田中 愼一
覚悟をどう培うかっていうのが多分重要なんでしょうね。
やっぱりそういう方向でこのポッドキャスティングもやっていったほうがいいですよね。
ポッドキャスティングも絶えずイノベーションを起こしていかないと。