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2020-08-07 24:14

第70回 一般社団法人スポーツリズムトレーニング協会 公認インストラクター 山本由枝さん【前編】

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表現者として、生きていきたい。

ダンスをきっかけにキャリアをスタート。
夢は、ダンサーなら誰もが憧れるテーマパークでのパフォーマー。その夢を叶えた後は、漲る想いから好きな事【スポーツ×ダンス】で表現する事に!?

そのキャリアは更に洗練された形で、
指導者という道に彼女を導く。





00:02
五代スポーツポッドキャスト、すぽきゃす。
この番組は、スポーツを通じて人々の健康生活の実現を目指す
五代グループの提供でお届けいたします。
はい、本日はすぽきゃす第70回目。もう70回目になります。
僕もですね、こんなに長くやれるというか、やろうとは思っていたんですが
早くも70回目と。記念すべき日になりましたが、
今日のゲストはですね、一般社団法人スポーツリズムトレーニング協会
協会公認インストラクターの山本由枝さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今、こんな感じでご紹介したらですね、すぽきゃすもとうとう全くの外部の方のゲストを
っていう感じになるような形なんですけど、半分そういったゲストという形で
半分、実はゴールデンキッズのですね、コーチも今、五代博楽でやっていただいております。
でも今日はですね、ゴールデンキッズのコーチということではなくてですね、
一般社団法人スポーツリズムトレーニング協会、公認インストラクターというところで
そういったお立場のところで今日来てもらいました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ポッドキャストなんですけど、これ皆さんに聞いてるんですが、
今まで出演されたことってあります?
ないです。
ないですか?
はい、初めてです。
初めて?
はい。
ポッドキャスト自体ってどうですか?なんか知ってました?存在。
聞いたことあります。
聞いたことあります?
はい。
僕からじゃなくて。
すいません、そこは。
そこはあまり触れないでほしいんで。
そこはちょっとあまり。
いや、ポッドキャストを僕は自分が惚れ込んでから、
これ面白いなと思ってから、今こういった形で続けさせてもらって、
みんなに協力してもらってるんですけど、
なかなかそういった番組ですとか、認知されない。
ポッドキャストっていうアプリがもともとiPhoneには内蔵されてるんですけど、
そんなのあった?みたいなところからあったりもするんですけど、
いや、これほとんど。
でも今、僕、啓蒙も含めて今、こぐ奮闘してるというところで。
というところで、今日は山本さんの今までの経歴ですとか、
どういったことをされてるのか。
まずは一般社団法人スポーツリズムトレーニング協会というところが、
どういったことをやってるのか、丸め、壮大なスペクタクルでお届けしたいと思ってますので、
よろしくお願いいたします。
まず山本さんの、いきなりなんですけど、
事前の情報で、かなり踊ってらしいと。
03:00
かなり体を動かすのが好きな人だということで、
そういった情報はかなり仕入れているんですが、
ちょっとどこからお話し聞こうかというところで、
今までの山本さんのスポーツ歴というか、
どういった形で、スポーツの世界って聞いたほうがいいのかな、
リズムトレーニングというところもあるんですけど、
まずはどういったキャリアを持ってらっしゃる人なのかなと思って。
はい。私はずっと、小学校低学年の時からダンスをやっていて、
それこそ本当にまだまだ、
巷ではダンスってなんだろうって、
クラシックバレーぐらいしかダンスって認知されていないような、
状況感の中の年代なので、
ダンスをやっていく中で、バトントワーリングと出会いまして。
バトントワーリング。
バトントワーリングも大会に出るレベルの教室に出会うことができまして、
選手として。
本当に選手として大会にたくさん年間を通して出してもらえるようなチームに出会いまして、
そのままダンスとバトントワーリングと、
バトンには体操も必要なので、
芸術に近いんだけれども体を動かすような、
だけれどザ・スポーツって言っていいんだろうかっていうところの狭間のことをずっとやってきました。
球技とかそういうのは正直やったことないです。
でもある意味、今の子たちが走りですよね。
スーパー走りですよね。
エグザイルのヒロさんとかは、本当に神様ぐらいの感じでしたね。
もうその世界で。
よくそれを職業として確立させてくださったなっていう。
もうちょっとダンスとかがたくさん認知されている時代に自分がダンスをやり始めてたら、
いいガールズぐらい狙ってたかなみたいな。
いいガールズまで。
狙ってたかなぐらい。
でも本当にダンス大好きでずっとやってました。
そうなんですね。
女性に年齢を聞こうと僕も横ではないのであれですけども、
聴き方としては、どんな音楽が一番流行ってた時代に踊ってたのかなって。
そうですよね。
思い出の曲とか。
思い出の曲とか。
やっぱりTRFとかすごいかっこいいなって思ってますし、
学校の廊下でスピードの踊りを真似したりとか、
そこら辺で大体年齢はお察ししていただけるかなと思います。
同じ匂いを感じるんですけど。
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やっぱりそのダンスをずっとやってた中で、
今のキーワードとしてバトントワーリングって出てきたんですけど、
バトントワーリングって聞いた時に、
僕パチンと自分が思い描いてるものとどうなのかなって微妙なラインなんですけど。
多分そういう方が多いと思うんですよね。
そういう方が多いと思うんですよ。
バトントワーリングって聞いてハテナマークが頭に浮かんでる方の方が
多分7割、8割方。
今これ聴いてくれてる人、ハテナがあると思うんで、
バトントワーリングってどんなところか触ってほしいんですけど。
バトントワーリングは主にコテキタイイコール、マーチングバンドって言うんですけど、
そのマーチングバンドと共に行進、パレードって言うんですけど、
パレードする中での鼻添えみたいな形で、
実は神奈川県がすごく強くてですね。
そうなの?
神奈川県がすごく強くて、
マーチングとかの発祥も確か神奈川県だったのかな。
へー。
もしかしたら神奈川県の方だったら、
5月の連休に行われる国際仮想行列っていうのを耳にしたり、
TVKで見たりとかしたことがある方もいらっしゃるかと思うんですけど、
あそこにたくさんバトントワーリングの神奈川県のチームさんが出てます。
私もその中の一チームに所属させていただいていて、
日本はバトントワーリングの世界大会でも何度も1位を取ってます。
それぐらいすごい強いんです。
なんですけど、新体操でフープじゃなくて棒、
分かりますか?
2本の棒を振っているバトントワーリング。
言ったらあれとバトントワーリングはちょっと似てるんですよね。
なので未だにオリンピック競技にはなってないんですけど、
あとは若干言ったら、
本当に日本が一強だった時がすごい長かったので、
競技者人数はすごく増えてるんです、バトントワーリングの。
昔に比べても本当に本当にすごく増えてて、
チーム自体もすごい増えてるんですけど、
一歩ちょっとオリンピックに行かないのは新体操と似ているところと、
参加者が国数というんですか、国の数がちょっと少ないというところで、
なってないんですけど、
是非バトントワーリングで検索していただくと、
それこそ有名な野球とかでも聞いたことある学校さんが、
名立たる学校さんがバトンでも強かったりするので、
YouTubeとかでバトントワーリングって調べていただくと、
バトンってこんなんなんだっていう方がいっぱいいるかもしれないです。
ちょっとこの話を聞きながらね、YouTubeを見ていただきたいなというところで、
山本さんそういったダンスからバトントワーリングというところで、
同時並行でというところで、
そのやはり今神奈川県が強かったというところで、
09:02
出身は?
東京です。
東京?でも学校も東京?
学校もずっと東京なんですけど、
習い事とか仕事だったりとかはほとんど神奈川県という。
そうなんですね。
でもそういった中では神奈川県の学校とバトントワーリングが戦ってたことがある?
全然全然。
私は神奈川県のチームに所属だったので、
神奈川県大会だったんですけど、
今やっぱり関東大会になると東京さんとは一緒になるので、
あとは神奈川県の学校さんとも一緒に練習させていただいたりとか、
結構本当に神奈川県にはずっとお世話になってきてます。
そういったことをやってたんですね。
何年ぐらいですか?その選手としてっていうのは。
選手としては…
まずダンスに出会ったのって何歳の頃?
ダンスに出会ったのは小学校3年生の時に、
その前までピアノとおしゅうじをやってたんですけど、
ダンスに出会った瞬間に、
自分でピアノとおしゅうじを辞めてきまして、
もうダンスで行くと。
何かもうすごい自分に刺さっちゃったものがあったんですか?
何か刺さったものだと思います。
でも本当にありがたいことに、
母もいいよって本当に一言すんなりだったんですよね。
勝手に辞めてきたにもかかわらず、
怒られもせずにいいよって言ってくださったので、
そのまま本当にずっとダンスを続けてきて。
じゃあそのパチンとビビッと来たダンスを小学校3年生から。
で、バトントワリングが出会ったのが?
バトントワリングはダンスに出会ってからすぐに出会ったんですけど、
その時はまだまだ本当に遊び程度だったんですよね。
なんですけど、中学校に入った時に、
強いチームの先生に、
ダンスがきっかけではあると思うんですけど、
ちょっと声をかけていただいて、
チームに誘っていただいて、
そこから本当に、
じゃあもう高校受かったらチーム入ります、
みたいな感じに言ってたぐらい。
まだそんなにバトントワリング熱が強くはなかったんですけど。
でも、高校学校が決まったその合格をもらった日に、
そのチームの先生に連絡を入れて、
やらせてくださいってお願いをして、
ダンスをやめずにバトントワリングをやりだしたっていう感じですね。
なるほど。
まさにその、でもね、もともと今出てきたピアノをやってたっていうところで、
音楽が好きだったっていうのもあったんですか?
親が大好きでした。
親が本当に音楽が大好きで、
姉もいまして、姉がピアノをやりだして、
12:03
すごいその姿がかっこよかったんですよね。
今はちょっと便乗。
便乗したけれど、結果ちょっと、
たぶん刺さらなかったですね。
でもその、
先ほどのマーチングバンドとっていうところがあって、
それって結局ね、
さっきコテキタイって出てきましたけど、
音楽にもちろん合わせてっていうところになってくるってなると、
なんかいろいろとつながってくるところがあるなっていうところが感じがしてきて、
インタビュアーとしてはだんだん面白くなってきたんですけど。
でもその高校の時に、
チームに入ってバトントワーリングをやりだして、
それはやはり高校3年間っていうところになってくるんですかね、
集中してやったっていうのは。
いやもう全然、
私が行ってた高校の中では、
そういう進路を選ぶ子はいないっていう風に先生に言われたんですけど、
どうしても私はバトントワーリングも含めダンスでご飯も食べてたりとか、
っていう思いがすごく強くなってきてたので、
もうちょっと高校の時の進路には、
フリーでやっていくと先生に単価を切り、
そのまま次の自分のステップを組むまでバトンは続けてましたね。
ああ、そうなんですね。
それフリーでやるって、
自分のステップを組むまでバトンは続けてましたね。
ああ、そうなんですね。
それフリーでやるって、
要は指導者もされることながら、
いろんな自分で感じたことを自分で練習して、
個人でっていうところになってきました。
バトントワーリングの先生が持っていた教室と、
プラスカルチャースクールとかそういったものを、
本当にありがたいことなんですけど、
高校を卒業する前から、
一緒に指導するところに行くときに、
一緒に本当に帯同させてくれて、
いろんなことを見させてくれて、
そして教えるっていうことも経験させていただいて、
その中でやっぱり、
自分にはもしかしたら選手っていうものもあるし、
踊る表現者っていうのもあると思うんだけれども、
指導者っていうのも自分の中ですごい面白い、
何だろうこれ、ちょっと続けてやっていきたいなっていう思いに変わってきたので、
もうとにかく高校の先生にそれを、
とにかく伝えたっていう感じでした。
もちろん理解はしてもらえなかったですよ。
その時代でそういったことを選ぶっていうのが少なかったので、
少ないと思う。
ダンサーって今では確立されてきたというか、
パフォーマーって言葉ですよね。
パフォーマー。
それが今でこそそういう言葉が生まれてますけど、
私が高校生の時なんてそんなのなかったので、
じゃあ言ってダンスでご飯食べていくってどうやるの?
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お教室でも開くの?もちろん聞かれましたし、
でもそうじゃない、
違う場で輝ける場所っていうのがあるんだよっていうのを
私自身はちょっと知っていたので、
そこをめがけて、ちょっとつもうしんでいってた感じでしたね。
本当に先ほど言いましたけど、
時代の走りというか、
みんなが同じようなところに行きがちじゃないですか。
特に僕らって言っちゃったけど、
やっぱりこっちの方に行きたがるっていうか、
みんな右に行ってるよっていうところってあったりすると、
特に僕ら日本人でね。
でもここの隙間っていうか、
バトントワーリングとそういったダンスっていうところで
生きていくっていうのって、
まさに誰もいなかったですよね。
いないですよね。
だから全力で先生には止められましたけど。
先生はね、
先生は誰一人としてね、
なかなかいないですよね。
なかなかいいよって言ってくれた先生一人もいなかったんですけど、
でもやっぱり良心ですよね。
その時にね、理解がやっぱりあったんですね。
本当に反対しないで、
やれるだけやってみなさいって言ってくれたのが
本当に大きかったなって思いますね。
そういった中で、
高校をね、生活を終えて
自立っていうところになるのかな、そういった中で。
どうやってやるんですかね。
どうやって稼いでいく。
例えばバトントワーリングを続けていく。
今またキーワードで出てきた表現者としてっていうところで
指導者も面白いなっていうところが
その時、
10代の時に感じて、
その後どうやって自分の道を立てていくようになったんですかね。
バトンももちろんずっとやってきてる中で
小学校3年生からダンスをやった時に
一つ大きな夢があったんです、自分の中で。
その大きな夢を叶えるために
いろんなダンスとかバトントワーリングをやっていたって
最終的には思われても
いたしかたない部分はあるんですけど
私はもうどうしても
なりたい夢があったので。
なるほど、それは
それ叶ったんですか?
叶いました。
大きな夢っていうのは
その小学生の時から持ち続けてた?
はい。
今ちょっとなかなか
はにかんでらっしゃいますけど
それはいわゆる
どういった職業だったんですか。
職業というか立場というものだったんですか。
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エンターテイメントをプレゼントして
プレゼントする側ですよね。
指導者でもなく
とにかくエンターテイメントというものを
体現できる場所っていうんですかね。
はい。
まさにそれは
エンターテイメントっていうことは
見せる側、表現者だったっていうことですよね。
そこにとにかく最終的には行き着きたくて
そこを
その出会いも本当に自分の中で
小学校3年生の時に
わっ!って思ったきらめきがあったんですよね。
なるほど。
その夢がずっと忘れられなくて
そこに行き着くまでは
バトントワーリングの自分を引っ張って行ってくれた
引き抜いてくれた先生と何回も喧嘩しましたし
本当にそこが夢だけど
そこに行きたいのかって
自分で自問自答した時期もありましたけど
やっぱり最終的にその夢が勝って
自分の中で
ちょうど22の時ですかね。
22歳。
22、23の時ですね。
チャレンジしました。
なるほど。それは今聞いていると
かなり狭き道だったのかな
という感じがしますけど
そういったオーディション的なことがあったり
というところになってくるんですか。
そうですね。年に1回のオーディションに全てをかける。
年に1回しかないの?
はい。もう年に1回しかないです。
皆さん聞いていてお気づきかどうかは分からないんですけど
なかなかおそらく言いにくい部分もあるでしょうが
いわゆる某テーマパークの
ポジションを
ダンサーとしてのポジションをゲットしたと。
そうですね。そこで表現することを
本当に大きな意外でしたね。
これはよく聞きますけど
そういった世界でやってた方は
何年でもやっぱり
しかもそこが好きな人
このコロナで救援とかいう形も取られてましたけど
今ようやくまたオープンされてやってますが
そこでの
でも結構今でも憧れる人たちって
今でもっていうかずっと憧れる人っているんですよね。やっぱりね。
たぶん私とかの年代だと余計にそうだと思うんですけど
今見たとき
エグザイルさんが持っているLDH
あとはAVEXさんだったりとかの
が開催してくださっているダンスの大会とかなんて
その他諸々ですけど
なかったですし
21:01
ダンスイコール
誰かのバックダンサーっていう頭ももちろんありましたけど
それプラス
元を倒せば今結構振付師で有名な方とか
バックダンサーやってましたとかっていう方も
結構元々ではそっちだったりするんですよ。
なるほど
やっぱり人の前で踊って
表現できてとかっていうのだと
それこそミュージカルだったりとか
あとプラスアルファできっと
エンターテイナー
テーマパーク系だったのかなって思ってます。
だからきっと自分ももしかしたらそこに結構
行っちゃったのかな夢は
でも確かに今は
表現する場所ってすごい増えたっていうか
それこそYouTubeだったりとか
TikTokでも表現できるじゃないですか
でも申し訳ないですけどなかったので
全然なかったし
今の子たちはすごいある意味
幸せかもしれない
人数がいればいるほどもしかしたら名が
潰されてしまうっていうのもあるのかもしれないですけど
でも表現できる数はすごくあるので
上手いことやればそれこそバンって爆発しますし
そこら辺はだから本当に
そういったものがあんまりない時代での
チャレンジではあったので
本当にその年に1回に全てをかけてましたね
いやーでもなかなかそこは
本当すごい確率で
そういった経験をね
していたっていうところが非常に
今にまた生きてきてるんじゃないかなと
いい経験させていただきました
なんかその中で
でもまあ22から
22、23歳っていう話
今聞いたんですけど
そこのところっていうのは
1年間とかどれくらいの間
やってた状況なんですか
一応あの
一応契約もろもろあるので
自分で契約期間を決めて
決めてというか
あとはもう
そこで終わりにはもちろん
自分の中で終わりにしようと思ってなかったので
そこを経験してからの
じゃあ次違う世界へっていうところで
自分の中である程度こう
年数を見据えるわけじゃないですけど
この年齢までには
こういう風にしたいっていうプランが
ちょっとあったので
理想像が
その中でいろんなものに出会えたら
そこでその出会いきっかけで
それが若干変わってもいいから
だけどここの年齢まで
言ったら30までにとか
30までにここまで経験したい
という風に結構自分の中で
決めていた部分があったので
なのでこう
よしじゃあ次のステップへ
っていう感じで
っていう感じですね
この番組は提供
24:01
五大グループ
プロデュースキクタスでお送りいたしました
24:14

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