環境と個人の関係
みなさんこんばんは、上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、存在としての公園をコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今年は花粉がやばいですね。鼻水がやばい。
今日も結構鼻声、まあ元々鼻声ですけど、いつにも増してちょっと鼻声になってますが、
まあ、風邪とかではなくですね、花粉の影響ですね。ご心配なくという感じでございますが。
えっとね、まだ公開されてないんですけど、おそらく今度の日曜日に公開されるゴミラジオですね。
僕がゴミを拾いながらですね、Qさんという方と一緒におしゃべりしているポッドキャストがあるんですけども、
そのゴミラジオの中で話したことがちょっと印象に残っているので、その後から始めたいと思っているんですけども、
ゴミ拾い終わってですね、毎回缶コーヒーとかかってですね、ベンチに座って、
アフタートークじゃないですけど、ゴミ拾い後に30分くらいおしゃべりしているんですけど、
その中でですね、最近の20代前半の子とかが、例えばクリエイターを例にとると、
そうですね、めちゃくちゃ難解な曲を作るとか、難解な曲を演奏できる、歌えるとか、
ダンスがめちゃくちゃ上手いとか、そういうクリエイティブなところで、なんていうのかな、
めちゃくちゃレベルが高いんだと、技術的に上手いんだという話をQさんがしていて、
それはおそらく彼らが小さい頃からダンスが身近にあったりだとか、
音楽とかも、僕とかの時代だと、よほど周りに音楽好きみたいな人がいない限りは、
テレビとかラジオで入ってくる音楽だけ、多くの場合テレビから入ってくる音楽だけということで、
オリコンチャートで流れている曲とかしか知らないみたいなのが一般的だったと思うんですけど、
今だとアプリで世界中のいろんな曲が知れるみたいな感じで、そういう音楽的な幅も広いし、
とにかくインプット自体がまずすごく充実しているし、
SNSとかで、例えばTikTokで踊るみたいなのも、自分のダンスを動画で世界に流すみたいなこととか、
表現するっていうことのハードルも環境として低かった。
それだけじゃないですけれども、いろんな環境の要因があって、今の私は若い頃からある種のAI教育、
クリエイティブのAI教育、そこだけじゃないですけど、多様な自分がこれと決めた方面の情報だったり、
発信の場っていうのがあって、鍛えられて、すごく若くしてレベルが高いんだと、
技巧派の方々がたくさんいるんだという話があって、そうだなって思ったんですよね。
そういう子たちと同じ土俵で競ってもかなわんよねって思っていると、
それは単純に才能の生む個人だけではなくて、やっぱりその環境、長い間それをですね、
いい環境で育んできたみたいなところがあるかないかみたいなところで比較すると、どうしようもないことだと思うんですよね。
だから今の若い子たちがめちゃくちゃそうやって自分のフィールドで、僕たちの世代なんかよりも遥かに技術を持っているみたいなことは、
それはそれでリスペクトすべきことではあるけれども、時代の産物としてあるよなとも思ったりするんですね。
自身のバックグラウンド
だから自分たちは自分たちで、自分の時代の環境、時代だけじゃなくて自分が生まれた地域だとか家庭だとか、いろいろあると思うんですけど、
僕でいうと福岡県の田川郡というすごくね、北斗の県みたいな街で育ったということであったりだとか、
結構貧しい母子家庭で育って、かつ、そうですね、祖母、母、姉みたいな感じで女性家庭で育ってきたことだとか、
いろんなことを受けて僕は出来上がってるなと思うんで、ある意味僕が僕の人生をいろいろ選び取ってきたという一人の主体として見ることができるんだけども、
一方で、そうやって環境の産物としてこのような今の自分になっているっていうのもあるかなって、のもあるかなっていうか、結構な部分であるかなって思うんですよね。
その北斗の県的な、ある種の弱肉強食の世界みたいなものもリアリティを持っているし、
一方で全員女性の家庭の中であんまり過不調性的なものに触れてきてないので、外でしか、学校とかでは触れてきてるけど、家庭では触れてきてないので、あんまり自分の中で内面化されてない、
結構ホームソーシャル的なものにアレルギーというか、いまいち馴染めないのはそういったバックボーンみたいなのもあるのかなって思ったりするんですよね。
何でもかんでも環境を制するのも良くないとは思うけども、一方でそれはかなりの影響を受けているなと思いますね。
音楽を20代半ばまで必死こいてやってたのも、出発点はすごく貧しい家庭で、幼い頃から親からは、うちはお金がないから大学にも行けないよっていうことを小学校の時点ぐらいから言われてたんですよ。
だから、学業をどうにかするみたいな視点っていうのが全くなくて、しかもインターネットとかもないから、親が言うことのインパクトがでかかったんですよね、親とか先生が言うことの。
で、うちはお金がないからできない、お金がないとできないんだと思って、一発逆転できるものみたいなふうな思考を若い頃はしてたかなと思うんですね。
それでちょうどテレビとかを見たら、ミュージシャンって小学校の僕から見たらですね、別にいい大学出なくてもできることだなと思ったんで、これだって思ったみたいなのがあったりもしたんですよ。
だから、環境の中で興味を持っていくところってあるから、僕個人のそういう生まれ持った遺伝子みたいなものと同じか、それ以上に環境っていうのがその人を作っていくなって思うんですよね。
で、今家庭の話とかしてるけど、もう僕はもうすぐ40歳になるんで、この40年間のいろんな家庭プロセスが、家庭と家庭で分かりづらくなっちゃったけど、この40年間という時間の中でいろんな経験をしてきたことが、その環境を環境で、すごくね、そこで作られた自分。
自分で自分を作ったというよりは、その環境に作り上げられた自分なんだろうなっていう、すごく当たり前のことなんですけどね。
公演活動の重要性
それをすごく最近の若い子のクリエイターですね、最近の若いクリエイターの技術がものすごく高いっていうことをリスペクトすると同時にですね、そんなに化け物と思う必要はないというか、そういう環境で育ったらそうなったりするよねみたいなこともあるかなと思いますね。
サッカーとかもそうですよね。僕が小学校ぐらいの時っていうのは、Jリーグが開幕したて、小学校1年生の時に開幕したのかなみたいな感じで、全然ワールドカップもね、出れるか出れないかみたいな、出れなかったのかな、同派の悲劇でどうだろうこうだろうみたいなのもあったし、やっとワールドカップ出れたねとか、だんだんだんだん徐々に徐々に強くなっていって。
最近はサッカーをそんなきちんと見てないですけども、パッと流れてくるニュースとかに出てもですね、かなりの日本の選手がヨーロッパのね、強豪のリーグで活躍したりとかするっていうのを見ると、やっぱりちっちゃい頃からよりレベルの高いものに触れてきた結果、そういった環境で訓練を積んだ結果、ものすごいことになってるっていう。
環境の力ってやっぱり大きいよねって改めて思いますね。
ついついそこが出てきたものすごい天才みたいな人を、全部個人のこの人が天才だからこうなったんだっていう、もちろん天才だからそうなってるんだとは思うんだけども、天才なだけではなくて、その時代というか、もしくは家庭だったりとかその身近な人たちだったりとかっていう環境がそれを作り上げてるんだなって思うと、
まあ、あんまり一人にフォーカスしてもしょうがないなと思ったりもするという感じですね。
で、効果不効果は僕は、今公演というコンセプトで活動しておりますけども、これもね、40年間のありとあらゆる経験みたいなものが、今僕をそうさせているんだと思うので、
なんかこう天命みたいな、そういう重たいものではなくて、かといって個人的にやりたいことみたいな強いその、何でしょうね、自分の意思みたいなものでもなくて、環境が自然とそのような風にさせてるよねみたいな、なんか肩の力が抜けた感じですね。
けれども自然体でエネルギーを、まあなんていうのかな、そのストッパーはかかってない状態っていうかね、ブレーキがかかってない状態でエネルギーが出せる、自然にエネルギーをしっかり出せる状態で今公演っていう活動ができている感覚があるので、
これはやっぱりしっかりやりきって、今度はその公演という、自ら作り出していく環境の中で、さらにまた、何ていうのかな、場ですので、いろんな方と触れ合う中で、またそこで影響を受けて自分自身変わっていくみたいな、なんかその環境の中で変わっていく自分みたいなものを、
なんかもっと自然体で受け入れていこうかなということをですね、なんか逆に思ったっていう、そのクリエイターの話がですね、思ったという感じですね。環境の力はやっぱり大きいなと思うんで、僕はその、
何でしょう、現代人、特に都市部の人とかの方が顕著だと思うんですけども、なんか仕事だとか家庭だとか、何でもいいんですが、自分が役割に埋没していく機能としてしか存在できていない。
例えばなんとか会社の部長であるということであったりとか、誰々の父であるとかっていう、その役割みたいなところで求められる態度を取っているうちに、なんかその役割を脱いで、なんか羽根を伸ばす時間みたいなのが失われてるんじゃないかなと思ったりもするんで、
何者でもなくてもね、ありのままで過ごせる時間、場みたいなものをですね、存在としての公演として提供できたらいいなというふうに、なんか思ったっていう話でした。難しいですけど、なんかその、
気合と根性でみたいなやつではなくて、自然に環境によって今ここにいるという感覚をなんとなく持てたので、すごいお話だったなと、そのQさんとの話がね、いい話だったなというふうに思ってます。
今度の日曜日のゴミラジオでその話はしてるんで、こんなふうな気づきは僕の中でその話してる最中ではなかったんですけどね、終わってみて思ったっていうやつなんで、よかったらその日曜日の配信も聞いてみてください。本日は以上です。
最後までお聞きいただきありがとうございます。幻祥の活動を応援してくださる方は、幻祥メンバーシップ、存在としての公演にご登録いただけると嬉しいです。概要欄にあるリンクから詳細をご確認ください。幻祥の公演活動を継続発展させていくために是非よろしくお願いします。それではまたお会いしましょう。さようなら。