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皆さん、こんばんは。上水優輝でございます。
完全招待生の晩餐会を開催したり、講演にレジャーシートを敷くなど、存在としての講演のコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
仕事が始まりましたね。
結構多くの方が、今週の月曜日、昨日ぐらいからですね、仕事始めだった人も多いんじゃないかなと思うんですけど、僕もですね、厳密にというか、厳密に言うと、日曜日にですね、所属しているビッグトリーという会社でですね、
あの、決起大会みたいなものがあったんですけども、
業務はですね、昨日から、昨日月曜日から始まってます。
昨日の夕方、居酒屋に行ったら、店の方からですね、「今日は仕事帰りですか?」とか言って、声をかけられたりしたんですけど、
まあ確かに今日から仕事始まっている人多いよなと思いながら、
でも僕は寒いを着ていて、社交事例とはいえですね、
あの、よく聞いたなと思いましたね。
ちょっと仕事帰りだったんで、「仕事帰りです。」って答えたんですけど、なんか全体的に違和感のあるコミュニケーション。
3名の人に、「仕事帰りですか?」って聞いて、3名の人が、「はい、仕事帰りです。」って答えるっていうね、
なんかよくわからん感じでしたけれども、仕事が始まりまして、
仕事が始まるとですね、具体的に今年どうしようかなっていう仕事の部分でですね、具体的に考え始めるってことが自然と起こってますね。
年始にですね、減少をどうしていくのかみたいな、大枠の話はしました。
今年からですね、講演事業ですね、講演活動から講演事業としてはできるように、サポートプログラムみたいな形で支援していただけるようなモデルを作りたいと思っているってことと、
今、活動に関してはですね、むやみやたらに増やすわけではなく、例えば今浄水講演を週1回やってますけども、週4回講演しますとかいうことではなくて、
活動量っていうのは、需要に合わせてですね、バランスを見ながら供給していくということをしたいと思っているし、
あとはサポートみたいなものとの兼ね合いも含めてですね、活動量を増やしていかないと、結果が持続できないみたいなことが起こるんで、
ちゃんとですね、安定供給できる、質的にも無料的にも安定して供給できるっていうラインでですね、
着実にですね、少しずつ少しずつ増やしていきたいというふうに思っているっていうのが、大枠のところだったりしたんですけども、
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その年末年始、そういう大枠のことを考えつつぼんやりいろいろ考えていた時間っていうのはすごく良かったですね。
いざ具体的に考え始めるようになると、すごいね、イメージが湧いてくると。
で、思いつきレベルなんですけれども、状況によっては東京に移住するのもありかなってちょっと今考えてますね。
去年、まだ1年間、4月からだったんで、まる1年も活動していないんですけれども、9ヶ月くらいかな、活動してみて、
福岡がどんなもんかな、2ヶ月に1回くらい東京に行って、東京に滞在したのは大体1週間くらいだったんで、
2ヶ月で仮に8週間あるとして、ちょっと少なめに見積もってですね、
7週間は福岡で、1週間東京みたいな活動の仕方をしてたんですが、
なんでしょうね、手応えとしてやっぱり東京の方があったっていうのがありますね。
それは福岡からわざわざ来ているみたいなゲスト扱いとか、その1週間、そのタイミングしかないからみたいな、今しかないみたいなのがあってのこととも考えられるし、
単純に人口がものすごく多い東京の方がですね、っていうのもあるだろうし、
あとは、東京という街の多様性ですよね。
いろんな文化が受け入れられるような道場があったりとか、
はたまた、なんでしょうね、街が大きすぎるから、
なんでしょう、一個一個の街が独立していたりとか、
自分が所属している場所以外からは断絶されているその分断みたいなものとかも、
結構福岡に比べるとね、起こっているのかなと思ったりもするし、
なんでしょうね、僕が持っているこの公演活動との相性で見ても、東京の方が合ってるのかもなと思ったりはする現状ですね。
特に僕は、公演活動を考えるときに便利上ですね、4つの側面から考えています。
1つは、公演活動をアートとして考えてみるということ。
1つは、公演活動を福祉として考えてみるということ。
1つは、公演活動をエンタメとして考えてみるということ。
そしてもう1つは、ビジネスとして考えてみるということ。
こういった4つの軸で、自分の公演活動というのを考えるようにしています。
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例えば、アート的に考えるというのは、晩餐会だったりとか、偶然集まったというかね、
その日集まった10人で、人以外の条件はほとんど同じ中で、
人が変わるとどういったコミュニケーションで、どういった料理、どういった成果物が作られていくのかという、
そのプロセス自体が、僕はアートだと思っているし、
公演にレジャーシートを敷くことについてもですね、
僕がただ公演にレジャーシートを敷いているだけなので、そこで何が起こるかというのは分からないんだけども、
その日偶然、偶然じゃないかもしれないけど、その日来た方とタイミングもありますよね。
最初から来るもあれば、途中から来るとかもあって、それによってですね、
誰が来たかによってその雰囲気とか会話とか、
その来たタイミングによって会話が一回途切れて新しい会話が始まったりとかっていう、
人が織りなす現象としてのアートみたいな見方があるかなと1つ思っていますと。
福祉的に見るというのは、
この孤立の時代だと、どんどん孤立していく時代だというふうに、
別に僕が言っているというよりは、
どう考えてもこの分断の時代、人は孤立していくよねというふうに思っていて、
それは結構僕の危機感があると。
特に僕は、前も何度も話していますが、
自分自身がコミュニティに所属するのは苦手。
無理して会わせることはできるけれども、
無理していて息が詰まるような思いをしてしまうので、
あまりコミュニティに飛び込むことが難しいなと思っていて、
馴染むことが難しいなと思っていて、
僕ほどではないにしても、
コミュニティ苦手だなと思っている人がたくさんいるかなという時に、
じゃあ1人でいいのかというとそうではないという、
その絶妙なバランスの方々が居やすいコミュニティというのがあったらいいなと思っていて、
それが一つ公演だと思っている。
それは僕がやっている公演という意味をもうちょっと超えて、
普通に公演ですね。
公演という場所は、
家族や小人たちや、
少年少女、老人、
いろんな方がいろんな目的で共存しているみたいな、
すごく多様な人たちを包摂している場だと思っています。
それを僕の存在としての公演という形で、
僕自身が公演的なるシンボルとして機能することで、
僕が作る場が公演のようになったらいいなと思って活動しているんですけれども、
それがある種の孤立防止にもなるだろうというところで、
福祉的な側面で見ることもできるかなと思っています。
結構価値軸みたいなものが限定されている世の中ですから、
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その軸でしか測れない。
お金を持っているか持っていないかとか、
どこの大学を出たかとか、
どこに住んでいるかとか、
どういう経験を積んだかとか、
どういう知り合いがいるかとか、
フォロワーが何人いるかとか、
そういう単純な軸でしか人を判断できない、
もしくはそれによって序列をつけるみたいな世界ではない形で、
存在としてそこに、機能関係なく、
存在としてそこで交われる場所があるといいなと思って、
さっき言った公演のような、
何かの軸で測った序列がついてしまうようなことも、
公演にいるおじいさんと子供と、
子連れのお父さんお母さんと、
みたいな人たちに別に序列はないですよね、
みたいな感じで共存できる場があったら面白いなと思って、
ある種福祉的な側面でも見ていると。
またまた、
公演にレジャーシート敷いていると、
もう1ヶ月の仕事もしてて、
それなりにスケジュール忙しいけど、
スケジュール割いてレジャーシート敷いているって、
もう意味わからんよねっていう、
そういう面白さみたいなものを感じる方も、
中にはいるかもしれないと。
エンタメとして捉えるということもできるかなと。
レジャーシート何が起こってるんだろう、楽しいかもしれない、
行ってみようみたいな興味本位で来てみる、
みたいなこともあるかと思うんで、
あとは晩餐会もそうですよね、
みんなで料理作ったら楽しそうみたいな、
そういうエンタメ的側面で捉えることもできるかなと思うので、
楽しいというのは1つあるよねと。
ビジネス的な側面で言うと、
1対1のサービス、1対1対応のサービスですね。
例えば肩を揉むみたいな、
肩が凝っている、肩を揉みます、肩を揉みました、いくらです、
分かりやすいサービスだと全然それはそれでいいのかなと思うんですけど、
結構それによって、
お金がないと何もできない世界になっている気もするというか、
肩揉みだったら労力かかってるから分かりやすいですけど、
会話するとかがサービスになっちゃうと、
お金もらわないと喋らないみたいなことが起こっちゃう。
分かりやすく言うと、
僕今、朝礼とか15分のべしゃりとかって言って、
申し込みいただいた方とワンオンでお話しするっていうのを無料でやってるんですけども、
例えばこれが15分だからちょっと微妙だけど、
例えば1時間とかで、
1時間いくらですとかって言って枠を販売して、
お金をいただいておしゃべりをするみたいになると、
2つの意味で歪むなと思って言うと、
1つは、さっきも言ったように、お金がないと喋りませんよっていうことになるし、
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もう1つは、お金をもらっているから、
その対価分を喜んでもらう喋り方をしようと、
喜ばせる喋りをするっていうことで、
なんでしょうね、
キャバクラみたいになってしまうということなんですよね。
それは人間と人間の付き合いとしては違うよねと思うという、
ワンダーランドを売るみたいなことであればそうなのかもしれないですけども、
別に僕がやりたいことはそういうことではないので、
ある意味嘘の偽りのコミュニケーションを取っているということだと思うので、
それがダメだって言いたいわけではないんだけども、
お金を払えばワンダーランドに入れますみたいな、
この世界に対する違和感みたいなのがあって、
もうちょっと人間と人間でコミュニケーションをしたらいいんじゃないかなっていうのがあるし、
それがコミュニケーションにお金があるし払われることによって、
ワンダーランド化が起こっちゃうっていうのに対する、
要は人間と人間のコミュニケーションを阻害している、
人間を人間でなくしているような気がして、
なのであんまり一対一対応の報酬をもらうと歪んじゃうことに対する懸念みたいなのがあって、
それもあとサポートモデルみたいな形で、
広く薄く集まったお金で活動をして、
目の前の人にはいくらですとかせずに、
目の前ではある種、現実的には別で集めちゃってるんで無償ではないのかもしれないけども、
目の前の人からはその場で対価をいただかずに、
フラットに接するっていうことがしやすくなると、
不特定多数の方から支援いただいて、
不特定多数の方に還元するというようなモデルになった方が、
より人間的に振る舞える可能性があるなと思って、
モデルとしてあえて寄付モデルというか、
広く集めていくというモデルを考えているというところなんですね。
ちょっと難しい話になりましたけども。
とにかく自分の講演活動みたいなものを、
アート、福祉、エンタメ、ビジネスみたいな切り口でいつも考えているんですが、
その4つの側面で見ても、やっぱり福岡よりも東京の方が、
2025年、現在ではマッチするようなと思うんですよね。
福岡に住んで20年は言い過ぎか、
85年以上経ちますが、
アートといっても、その多様性がない感じがしますね。
すごいポップな、分かりやすいものじゃないと受け入れられないような感じがするし、
福祉といっても、僕の言う分断孤立みたいなところで言ったら、
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福岡って結構街がギュッてコンパクトにまとまっているので、
都心部もかなりですね、
いろんな階層の、いろんな属性の人が自然と混ざり合うような規模感の街なんですよね。
見た目の割には、地方の村っぽさみたいなのもあるというか。
なので、そんなに孤立している人って、極端な意味ではいますけども、
東京みたいな寂しさみたいなのがあんまり感じられないっていうのはあるので、
僕の言う福祉的な側面でも、そこまで現状にイーズがなさそうだし、
エンタメの部分で言っても、やはりさっきのアートと一緒で、分かりやすいもの。
かなりですね、福岡の県民性みたいなところでディスるわけではなくて、
本当にいろんな人が言っていて、僕もそうだなと思っているレベル感なんですが、
民派な街だなと思っていて、流行りものが好きなので、まだ何でもないものを見出すみたいな、
そういう文化の街ではないかなと思っていて、
僕みたいなものすごくニッチな、わけのわからないことが評価されづらい街でもあるかなと思っています。
ビジネスにしてもそうかもしれないですね。
新しい活動みたいなのに興味を持って、じゃあちょっと一回やってみてよみたいなのは、
東京だと割と一回ぐらいチャンスを与えられるみたいなイメージがありますけど、
福岡だとすごいその辺補修的というか、あんまり新しいものにチャンスが与えられるというよりは、
全体的にそんなに都会じゃないんだと思うんですよね。悪い意味じゃなくて。
人間同士のつながりみたいなものがしっかりとまだ機能している段階なのかなと思ったりするので、
僕が持っている公園みたいなものがあんまりそんなに必要とされていない感じはすると。
それで言うと東京に行った時の方が手応えとしては結構あるなと思っていて、
ちょっとね、状況によっては状況するかっていう、そういう状況です。
それをどう検討していくのかみたいなところについてはまた次回お話ししようかなと思います。
本日は以上です。
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それではまたお会いしましょう。さよなら。