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2025-03-21 13:32

虚無と無数の意味

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[第208話] 前提と態度。世界は虚無であるが、そこは終着点ではなく出発点である。意味がないからこそ、誰もが意味を作り出せる。そのことを忘れないようにしたい。

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サマリー

このエピソードでは、虚無の概念とそれに基づく前提や態度について語られています。特に、意味のない世界の中で自ら意味を創造する自由について考察し、物語を共有することの重要性が強調されています。

虚無の前提と態度
皆さん、こんばんは、上水優輝でございます。
完全招待制の晩餐会を開催したい、
公園にレジャーシートを敷くなど、
存在としての公園をコンセプトに、様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
サイコパスのラジオという番組をですね、
この現象のラジオ以前、2024年の5月までですね、
2020年3月から2024年の5月までか、やってたんですけど、
現象もね、いよいよメンバーシップを始めたというようなところもあってですね、
サイコパスのラジオは役割を終えたということで、
過去のですね、現象のラジオ以前のやつがまだ残ってるんですけど、番組上にですね、
それを段階的に消していきますよ、みたいなことをですね、
いつかアナウンスしたんですよね、12月か1月ぐらいに。
1月だったかな。
で、2月いっぱいには全部消去をして、
ノートの方でですね、限定の公開というか、
有料販売しますと。
聞きたい人だけ聞いてくださいと。
ポッドキャスト上にはもう残しません、みたいなアナウンスをしたんですが、
まだその作業が進んでなくてですね、
残ったままだってます。
そのうち消えると思うんで、
もしね、サイコパスのラジオを聞きたい、聞き直したいみたいな方がいらっしゃればですね、
そういう方がいらっしゃれば、今のうちに、無料のうちにですね、聞いていただければと思います。
サイコパスのラジオから順番にもし聞いてる方とかがいらっしゃったら、
今この話を多分聞いてないと思うんで、
突然消えてしまうということになりそうだから、
ちょっとその辺がね、心苦しいですが、
人生そういうこともあるよね。
それとは別に、アップグレード配信みたいな感じですね。
過去話したサイコパスのラジオの消す、
ここのポッドキャストから移動していくっていうのに当たってですね、
サイコパスのラジオの中でも、
もう一回今考えてみたらどうなるかなみたいな話をしてみるみたいなやつ。
アップグレード配信みたいな感じでやったら、
やってみようかなみたいなことも言ってたんですが、
全然やれてないですね。
やれてないね。
やりたいなと思っています。
アップグレード配信というほどではないんですが、
サイコパスのラジオの第590何話みたいな、
もうほんと後半の時に、
前提と態度っていう回を、
があるんですけども、そういうエピソードが。
その話はね、僕の結構生きる態度、
この世界をどのように生きているかっていう態度として、
とても重要な話としてですね、
自分の中で位置づけているんですけども、
簡単に言うと、その前提と態度、
僕がどのような前提でこの世界を認識しているのか、
そしてどのような態度で生きていこうとしているのかってお話をしたんですね。
前提っていうのは、この世界にそもそも意味なんかないよねっていう前提であると。
いわば虚無であるというところですね。
すべてが虚無だから意味がないという世界を前提とするというやつですね。
世界には意味がないから何したって意味がないんだみたいな、
そういう、いわゆるニヒリズムみたいな。
ネガティブな意味のニヒリズムではなくて、
ただの前提、世界ってそうだよね、ぐらいの出発点として捉えてみようというのが前提ですと。
物語と共有の重要性
態度としては、それとは打って変わってというか、
イメージね、虚無って言うとすごいネガティブに思う人いると思うんですが、
すごく前向きに捉えて、
だったら意味づけは自分でしていけるじゃん。
どの意味を選ぶかって自分で採用できるじゃんっていう自由度が生まれるよねと。
今この世界にはいろんな人たちがいろんな意味をつけている。
いろんな物語の延長線上に物語を紡いでいっているから、
あたかも世界はそうであるかのように思っているけれども、
その前のその前のその前のその前を辿っていった時には、
物語が何もない自然な状態。
雨が降る、雪が降る、空が晴れる、雷が落ちる。
でもそれは別に意味はないよねっていう世界。
猫が横切る、犬が吠える、意味はないよねっていう。
犬や猫が何か意図していることはあるかもしれないけれども、
それが何を意味しているのかみたいなことは、
何でしょうね。
それを読み解こうとした瞬間に結局、
自分自身がそれを意味付けるということが発生してくるわけで、
その意味付けがない状態というのは、
意味がない状態、何もない状態ですね。
そこに僕たちはいろんな意味をつけて、
何ならそういう言葉で作った、
憲法なんか書いてあるもんですよね。
憲法があって、法律があって、
そして僕たちはそのフレームの中で生きていると。
だから憲法に違反したらダメだよねって、
それはその檻の中にいるんだから、
檻の中で暮らす以上は守っていかないと、
同じ檻の中にいる人たちからバッシングには合うよねっていう、
そういうことがあったりなかったりするわけですよね。
それはその物語の中にいるからだっていう話で、
この世がそうであるっていうこととは違うんですよね。
そのような物語の中にいるだけ。
だけなんだけど、
みんなが信じればそれは現実になるっていうのはね、
ジョン・レノンじゃないですけどもね、
みんながイメージすればね、
平和をみんながイメージすれば平和になるよねみたいなのと一緒で、
みんなが人権あるよねって思えば人権はあるし、
みんなが人権ないよねって思えば人権がないと、
みんなが殺したらダメだよねって思うから殺したらダメなのではって、
みんながこの1万円札って1万円だよねって思ってるから、
1万円の価値があるよねって思ってるから価値があるみたいな、
そういう物語を共有してるから、
そこに共有してる意味みたいなのがそうだよねって言えるだけで、
何もなかったらですね、
僕たちは別々の物語を生きて、
自分は自分、人は人の究極体ですね、
別の宇宙を生きているみたいなことになるんだろうなって思ったりしますね。
というか、そもそもは内面に広がる宇宙みたいなものは、
一人一人みんな別の世界を生きていて、
ただこの物理空間をシェアしてるから、
講演活動の意義
宇宙と宇宙が重なる部分とか、
愛入れない部分とかで宇宙戦争が起こってるっていう、
そういうことなんだと僕は認識しておりますけども、
昨今のSNSですかね、特に、
物語を物語として見れない、
メタで見れない人っていうのが物語の中に入り込みすぎちゃってて、
それが世界だと思い込んでいるから、
別の物語に対するアレルギー反応がものすごいですよね。
会話にならないというか、
宗教も一つ物語だと思いますけども、
ある宗教とある宗教が愛入れないのと一緒で、
ある思想とある思想が愛入れないとか、
このニュースをこっちの方向から見ると、
あっちの方向から見るみたいなので、
愛入れないみたいなので、
殺し合うんじゃないかなぐらいの歪み合いが散見されますね。
今日なんでこの話をしたかというと、
やっぱり前提と態度、
僕が話す前提と態度を、
もう少し多くの人も持てたら、
そんなに揉めないんじゃないかなと思ったりはしますね。
世界に意味がないから、
確かにそのように見たら、
そういう物語ってあり得るよね。
そしてその物語に最も共感できるとか、
しっくりきてその物語を自分は採用してます。
ぐらいの距離感で物語を利用できれば、
物語に乗っかることができれば、
入り込むことができればいいと思うんですけど、
完全に物語の中に閉じ込められてしまって、
そこから出れない人っていうのは、
その舞台設定みたいなものを忠実に守ってしまうから、
違う設定の人が来たときに、
もう対応しきれないんですよね。
インターネット以前みたいに、
マスメディアがすごく力を持っていて、
チャンネルも限られていて、
例えば学校に行けば、
大体前日にあったドラマだとか、
バラエティ番組だとかニュースだとかを見ていて、
その話題を共有している、
その物語を共有しているから、
その物語をシェアする中で、
コミュニケーションみたいなものが取れていたんだけども、
今ってもうみんながみんな、
なんていうのかな、
このアルゴリズムの中でですね、
自分に近いものですよね。
フィルターバブルの中で生きているから、
どんどん自分の物語の中に閉じていき、
ガチな環境であるという自覚を持たないと、
どんどんどんどん物語の中に入っていって、
ちょっとでも違う人というのと、
もう交われないみたいなことになっちゃうよねっていう、
ものすごい時代に生きているなと思いますね。
そういう前提と態度を持ったらいいじゃんと言いつつ、
自力で持つのもなかなか難しかったりするよねと、
そう言われて、なるほど、そうします、できる人はそうすればいいと思うんですけど、
なかなかそうはいかないよねっていうところもあると思うんで、
やっぱりね、今既存の物語から外れる時間みたいなのって重要かなと思っていて、
そういった意味でもですね、
僕がやっている講演活動というのは、
一つ、今この社会にある一般的な物語とはまた別の物語だと思いますので、
役割を抜いて、機能ではない存在としての自分、
何者でもない自分として過ごせる時間、
そこで感じることから立ち上がる物語みたいなのもあるかなというふうに思ったりするんで、
ちょっと視点を変えて、物語に埋没しちゃってるな、
なんか世界ってこんなもんだろうって思ってる人こそですね、
ぜひ僕の講演活動に一番来やすい場でいいと思うので、
参加していただいてですね、別角度からこの世界を見るみたいなこともね、
一緒にやれたらいいなというふうに思っています。
本日は以上です。
最後までお聞きいただきありがとうございます。
幻想の活動を応援してくださる方は、幻想メンバーシップ、
存在としての講演にご登録いただけると嬉しいです。
概要欄にあるリンクから詳細をご確認ください。
幻想の講演活動を継続、発展させていくためにぜひよろしくお願いします。
それではまたお会いしましょう。さようなら。
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