自我と環境の相互作用
皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
完全招待生の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、存在としての公園のコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
環境によってですね、人は形成されているという話をですね、
何回か前にしましたけれども、自我がどのように現れるか、みたいなことに極めて強く影響しているというふうに思うんですね。
確固たる自我なんてものはなくて、その時々の相互作用による、時々だけじゃなくてその文脈を含めてね、
ありとあらゆる環境との過去、現在、未来、周囲の環境含めての相互作用として、
結果として現れる現象でしかないというふうに思っているんですが、環境とつながっている私ということですよね。
そしてこれまた何回か前に、前提と態度の話をして、前提としてこの世界には意味がない。
雨が降ることには意味がない。波が打ち寄せることには意味がない。
そこにどういう物語を見出すかっていうのは、人間が勝手に意味づけして物語にするだけだよねっていう前提。
それを意味がないから意味がないではなくて、意味がないんだから面白い物語作っていきましょうよって話もしたりしました。
そしてその物語が大きすぎると、その物語に賛同する人たちにとってはいいかもしれないけれども、
その物語がフィットしない人にとっては大迷惑であると。
大いなる物語っていうのは厄介だって話もしました。
大いなる物語の一つに資本主義みたいなものもあるかなと思いますし、
それをより最適な形でというか最もインパクトのある形でやっていくために会社組織みたいなもの、
そういう物語もあったりするかなと思っています。
資本主義モードの影響
生きていくために僕はそのような仕事もやっているんですけども、講演活動とは別にですね。
まだ講演活動で生計を立てるわけではないので、いかにもビジネスみたいな案件っていうのもいくつかやってたりするんですけども、
先日ですね、その仕事の準備でファミレスでですね、作業していたら、
僕様はその資本主義モードですよね。そういう仕事をしているのに別のモードでやるとブレーキかかっちゃうんで、
資本主義に最適化されたマインドでその時間、資料作成だったんですけども、その資料を作っていたんですね。
資料ができたと思って、次のアポイントに間に合う時間にそのファミレスを後にしようと思ってレジに行ったら、
そのレジはセレフレジが2台あったんですけども、1台は故障してて1台しかなくて、
レッツができていると。何があっているのかなと思ったら、先頭にいるスーツを着た、おそらくお昼休みなんでしょうね、12時台だったんで、
スーツを着た男性2人が会計で、割り勘なのか何か知らんけど、現金の置き渡しとか出て、
セレフレジで会計するってもう分かっているんだから、テーブルでその辺段取りして出てこいよとかって思っちゃったんですよね。
それが何かわかんないですけど、おじいちゃんとかおばあちゃんとか、物理的に5日機能が衰えてきているとか、
体の動きが衰えてきている人にはそんなことは思わないと思うんですけど、
僕と同じかもっと若いぐらいの、まだピンピンしているのに、そんな感じかよっていう、絶対仕事できるんだろうな、みたいなことを思ってしまったんですよね。
いかんいかんと。なんか今資本主義モードで見ていたから、このレジで会計を済ますという行為も仕事的に見てしまう。
生産性とか効率性みたいな観点で見てしまって、無駄な動きとかもたもたしてるとか、そこで2人で話し合うんじゃなくてもっと前にやっとけばいいとか、
領収書いらないんだったらテーブルで会計するシステムあるしとか、いろいろ思ってしまったのは、やっぱり資本主義で戦うためにあるべき姿を投影してしまっていたから思ってしまったんだと思うんですよね。
あとは自分が自分の中の最適な時間配分で動いていたのに、それが妨害されているという感覚を得たのもあると思うんですが、
とにかく自分自身がそうやって資本主義モードの頭になると、そこに最適化された思考をし始める。
サイコパスモード、無慈悲になってしまう。目的に対して最も合理的なアクション、無駄のないアクション、それ以外のものはノイズとみなす、みたいな思考が働いてしまって、
別にレジでもたもたしたっていいじゃないと、友達は喧嘩するわけじゃない、仲良く会計してるんだから、おごやましいじゃないっていう心の余裕を持ちたかったなって思ったんですね。
それはモードがそうじゃないふうにしないと、講演モードにならないと無理だなって思いました。
僕なんかは、いろんな活動してるんで、ポッドキャストを友人と遊びの延長というか、楽しく趣味の延長みたいな感じでやってたりするし、
思いっきしビジネスっぽい案件もあったりするし、講演活動っていう、海のものとも山のものともわからない、アートなのか福祉なのかエンタメなのか何なのかわからないみたいな活動もやってたりするということで、幅があるのでまだマシな方かなとも思ったりするんですけど、
週5、8時間、下手した残業あって1日10時間とか10何時間とか働いてる人、これはもう資本主義能になって仕方ないよなとも思ったりしました。
そういう環境にいるんだから、そういうふうにものを見てしまって、そういうふうな感性になるみたいなのは、やむを得ないなって思ったりしました。
僕自身多分、ビジネスっぽい案件を増やせば増やすほど、どんどん人に対して不寛容な人になっていく。
寛容な自分を目指して
それ無駄ですよね、みたいな。もっとこうした方が良くないですかっていうような思考が全面的に出てきてしまって、どんどん自分が思う嫌な自分になっていくなって思ったりしました。
それを自精神だけでコントロールするっていうのは、やっぱりなかなか難しい。環境によって作られる部分が大きいって話を最近よくしてますけども、
結局それを無理矢理意識でそうじゃないってことしても、全力でブレーキ踏んでるみたいな、アクセルベタ踏みしながらブレーキ踏んでるみたいなエネルギー効率がものすごく悪いんですよね。
疲れる。だからね、やっぱり僕は何としてもありたい自分という意味でも、講演活動を仕事にして、他者に対して寛容な自分でありたいなって思いました。
だからやっぱり環境をどう構築できるかっていうのはすごい重要かなって思ってるんで、講演活動をますます頑張っていきたいですね。
そしてそういうモードに染まりきっている方なんかがたまに講演に来て、そうじゃない時間を過ごすみたいな、そういう場をたくさん提供できたらいいなと思いました。
本日は以上です。最後までお聞きいただきありがとうございます。
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それではまたお会いしましょう。さようなら。