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2023-07-09 11:54

#548 顔と名前と

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どうなるTwitter。僕たちの関係性は、顔と名前の連続性にかかっている。インターネットに限った話ではなく。


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▼上水優輝(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Twitter @y_uemizu⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ⁠⁠⁠⁠) 作務衣を着た悪魔。株式会社現象 代表取締役。 ・YouTubeチャンネル『⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠現象⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠』に各種Podcastをまとめています。毎曜日異なるPodcas番組を配信中!ぜひチャンネル登録お願いします!

サマリー

SNSプラットフォームに依存している人々の危機感とコミュニケーションの分散について考察。また、SNSの乱立による顔と名前の重要性についても話しています。

SNSの終了とコミュニケーションの分散
皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、顔と名前と、というお話をしたいと思います。
Twitterがやばいですね。
閲覧制限が入ったりとね、
もうTwitterサービス終わるんじゃん、みたいな噂が流れたりとかっていますけども、
Twitterに限らずですが、そういうSNS、何らかのプラットフォーム、
Instagramでもいいし、Facebookでもいいし、Twitterでも何でもいいんだけども、
そこに依存している人、そこに入り乱っている人っていうのは、
その自分が入り乱っているサービスが終わると結構ね、
やばいと、ある種インフラが破壊されるような感覚ですよね、
思っているんじゃないかなと思います。
僕なんかもですね、一番好きなSNSがTwitterで、
Instagramとかね、アカウントあるんですけども、
ほんとよくわからない運用をしているぐらいで、
基本的に自分が使っているなと思えるのはTwitterぐらいですかね。
人の投稿も見たりとかするっていうのは。
なのでTwitterが閲覧制限が入ってとかは、
もしかしてサービスが終わるかもしれないとかいうことを考えると、
ちょっと寂しい気持ちがあったりするし、
寂しいだけじゃなくて、
一つ、みんなが集う場所がなくなる感覚というか、
じゃあみんなどこにいるの?みたいな感じでバラバラになっちゃうような、
危機感みたいなものも持ったりしました。
で、そのInstagramとかをね、FacebookとかやっているMetaですね、
Meta社がスレ、Twitterのまるパクレリみたいなサービスをリリースしまして、
そこでアカウント作る人とかがボーっと出てきていると。
僕もアカウントを作成して触ってみたんですけども、
本当まんまTwitterという感じで、
どうなっていくのかなという風に見ているんですけれども、
新しいサービス、特にコミュニケーションツールに関しては、
もしもそれが盛り上がった場合、
リカバリみたいなのはすごい大変なんですよね。
だから最初のうちに始めておかないと、
後からついていきづらいみたいなのがあるなと思っているんですよね。
だから今回もスレッツで、
別に今作らなきゃいけないかと思いつつも、
早い段階で作って触ってみているという感じです。
ついていけなかった、僕がついていけなかった例で言うと、
新しいサービスの乱立とコミュニケーションのインフラ
TikTokとかはですね、完全に出遅れてしまったんで、
アカウントギリギリあるかなぐらいなんですけども、
スマホにも入ってないし、見てないですね。
一番最初の頃見て、何が楽しいかわからないと思って放置したせいで、
せいでというか放置していたので、
全くもうTikTokという世界の中に僕はいないという感じになっていますね。
別にいなくてもいいんでしょうけど、
その世界に今さら居場所がないという感じ。
インスタグラムをですね、写真を投稿していた頃というのは、
普通のタイムラインに投稿していた頃というのは、
普通に使っていたんですけども、
ストーリーとかね、24時間で消える投稿とか、
あとショート動画ですよね、リールとかが始まってからは、
なんかちょっと、その時ちょうど触らなくなっていたので、
その辺の新機能が搭載されたあたりから、
インスタグラムにもついていけなくなって、
インスタグラムやってない、やってないというか、
やれてないという感じですね。
今さらキャッチアップしていくというのも、
結構気合がいるというか、わざわざやるんだったら
結構コンテンツやらなきゃな、みたいな感覚があって、
インスタグラムをほとんど見てないという感じですね。
書道でついていった例で言うと、クラブハウスですね。
音声でおしゃべりするみたいな、今で言うとツイッターのスペースとかですね、
ああいう機能みたいなのが、クラブハウスというアプリとして最初ね、
一早くスタートしたんですけども、
あれはもう急激にかそりましたよね。
最初の3ヶ月、半年くらい、半年もちょっと怪しかったな。
3ヶ月くらいはすごい盛り上がって、半年くらいはどうかなってなって、
半年過ぎたあたりからもう完全にかそってしまって、
みんないなくなっちゃったと。
だからいつかツイッターとかもね、そうやってかそって
誰もいなくなったりもするのかもしれないなと思うと、
やっぱりちょっと寂しいような気持ちがありますね。
その機能みたいなものがやっぱりバクられていくと、
さっきツイッターのスペースって言いましたけども、
ツイッターの中に実装されたりとか、
LINEのオープンチャットでもクラブハウスみたいな機能がね、
今ちょうど実装されているみたいで、
どうせ死ぬ3人のオープンチャットとかでもね、
ライブトークみたいなのをやってみたいなと思ったりしてますが、
そんな感じで機能もバクられていくと、
まさにスレッズみたいなね、
ツイッターの丸バクりみたいなサービスが出てくる
みたいな感じで、すごい世界ですよね。
ある場所から似たようなものができてきて、
人を取り合ったり、どこかを誘っていったりみたいな感じで、
とにかくサービスが乱立して、
人が分散し続けるっていう感じで、
正しい競争といえば正しい競争だし、
コミュニケーションのインフラみたいな感覚でいると、
それがね、分散していくみたいなのが結構めんどくさいなと思ったりもすると。
そして同時にですね、アカウントを持つわけだから、
このアカウントがそこに残っていくんで、
そこでフォローしてた人たちとか、
フォローしてくれてた人たちみたいなものが数字上残って、
でも実際誰もいないみたいなことが起こっていくんで、
人がいなくなった後の建物みたいな感じですね。
人が住んだ痕跡はあるが、そこにはもう誰もいないみたいなものがなったみたいな感じが。
ただ、実際今人が住んだ後の建物みたいな言い方したけども、
実際生きていくってそんなもんかなと思いますね。
日常のシーンで例えるなら、
若い頃ライブハウスに毎日のように出入りしてて、
それがある種プラットフォームですよね。
ライブハウスというプラットフォームでユーザーがたくさんいて、
僕はいつしかそこに行かなくなるとか、
行きつけのバーとかでもいいですよね。
自分がとにかくいつも行っている場所、
そこを一つのプラットフォームと見たときに、
そこに行けばいつものメンバーがいて、
コミュニケーションが発生して、
別に待ち合わせしているわけでもないんだけども、
そこに行けばわたわたしているという感じで、
安心感とか、自分に居場所があるみたいな感覚になるんだけども、
SNSの疎遠感
やがていつの間にかそこに来ていた人が来なくなるとか、
自分が行かなくなるという感じで、
だんだんその人たちとは疎遠になっていくと。
別に仲が悪くなったわけではなくて、
単純に集まることがなくなって、
疎遠になっていくと。
そんなもんだよねと。
仲がいいとか悪いとかそんな話じゃなくて、
物理的に集まるか集まらないかということで、
距離というのが遠くなっていくよねというふうに思うので、
その意味でもね、実際の生活でもそうだし、
だからSNSとかそういうサービスが乱立したり、
分散したり、衰退したり、消滅したりということが
寂しくはあるが、そんなもんだよねというふうに
受け止めるしかないかなと思ってますね。
今日、顔と名前とというふうに言ってますけども、
何が言いたいか。
今日言いたいことは一個で、
じゃあTwitterのアカウントみたいな感じで、
Twitterにいる自分みたいなものにしがみついていると、
それがやっぱりツイッターしたときに同時に
ものすごい送付感みたいなものが生まれてしまうので、
もはや自分の顔と名前ぐらいしか
この人生で積み重ねて生きるものってないんじゃないか
ぐらいに思っておくといいんじゃないかなというふうに
思いました。
別に本名である必要はないんだけれども、
一時表記売れしない、固定した自分の名前。
別にジョニーならジョニーでいいわけですよ。
そのジョニーさんならね、それをずっとジョニーで生き続けると。
ある場所ではジェームズで、ある場所ではジョニーで、
ある場所ではタケシだったりとかすると、
何か積み重ならない感じがあるし、
顔もある場所では服面をかぶってるし、
ある場所では素顔だし、
ある場所ではめちゃくちゃメイクしまくって
別人のような顔をしてるとかになっちゃうと、
同一人物だと見なされにくいということでですね、
このサービスがいろいろ乱立し分散しっていう中では、
ずっとね、僕が植水有希という名前で、
名前と顔の連続性
そして自分の写真を出して活動していれば、
どこのプラットフォームに行ってもですね、
あの植水さんですねという風になれれば、
前のプラットフォームから次のプラットフォームに移ったとしてもですね、
変わらずに接していけるんじゃないかなという風に思っているので、
どっかのサービスが終わるとかいうことを
いちいち悲しんだりせずにですね、
もう顔と名前ぐらいしか積み重ねていけるものがないんだと、
割り切ってですね、そんな感じでやっていこうかなと思ってますね。
だからこの極端な話、このポッドキャストが終わっても、
YouTubeが終わっても、
その時なんかあるであろうプラットフォームで、
また植水有希として活動していれば、
どっかでね、ポッドキャスト聞いてましたよとかね、
YouTube見てましたよとか、
Twitterで見てましたよみたいな人と関わっていければ、
それは積み重ねていけるんじゃないかなという風にも思うんで、
そんな感じでね、
やっていけたらいいんじゃないかなという風に思って、
います。
やっぱりその連続性みたいなのがあると重要かなと思うんで、
名前と顔を引き継いでですね、
この激動の時代を渡り歩いていけたらいいかなと思ってます。
これは別になんか、
自分の名前で発信をしている人とかに限らずだと僕は思っていて、
今や皆さんね、
オンライン上になんかのSNSのアカウントとか持ってると思うんで、
その名前とその顔、顔じゃないならば、
何らかのシンボルですよね、
その人と特定できるようなシンボルみたいなものを、
ちゃんとどのSNSでもどのアカウントでも一貫しておくみたいなことが、
その人性みたいなものを担保するというか、
あの人だなって思ってもらえるものになると思うので、
人間関係をね、
ぶつ切りにではなくて続けていこうとすると、
そうした一貫性みたいなものをどっかで持っておかなければいけない。
それはわかりやすく顔と名前という意味で持っておくと、
不安になる必要もなくね、
引き継いでいけるんじゃないかなというふうに思いますので。
よくありますよね、
LINEの名前がなんか、
例えば僕だとゆうきとかになってて、
LINEの友達になった時に誰かよくわからんみたいなことありますよね。
しかもアイコンが顔とかじゃなくて、
急に僕が犬の写真でゆうきとか書いてたら、
誰やねんってなると思うんですよね。
でもLINEも僕の顔で植水ゆうきってなってたら、
あ、植水ゆうきかとなるというそんな感じです。
特定されたくない人とかもいるかなと思うんで、
その場は今言った逆で、
名前も顔も変えればいいと思うんですが、
一貫した自分であるというふうに見なされて、
連続性のある関係性を築いていくときには、
顔と名前というのを大事にすればいいんじゃないかなというふうに思いました。
というお話です。
本日は以上です。またお会いしましょう。さようなら。
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