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皆さん、こんばんは。上水優輝でございます。
完全招待生の晩餐会を開催したり、公園にレジャーシートを敷くなど、存在としての公園をコンセプトに様々な活動をしています。
現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
前回、幼少期のお話をしましたが、今回はですね、小学校時代の話をしていきたいと思います。
先ほどの話題の中で、人格形成に影響を与えたかもな、というところはピックアップしていこうと思うんですけれども、
時代背景だとか、地域柄みたいなこともあったりとかして、今の時代から見るとというか、今の時代から見なくても結構ひどいな、みたいなことも話すかもしれないんですけれども、
あくまで自分の人格形成に影響を与えたかもしれないなと、印象に残っているなという意味で話す、あらかじめご了承いただきたいなと思っています。
保育園の間、とにかく病弱で、半分から半分以上は入院してたと。そんな調子ですから、あんまりクラスの中でもなじめずに、すごい大人しい性格でした。
その延長線上で、小学校に入学すると。規模が大きくなってくるというか、いくつかの保育園から集まって小学校に来るんで、本当に見たことのない人がいっぱいいるっていう、さらなる不安で小学校を迎えたわけですけれども、
前足の方はね、少し落ち着いてきてて、小児前足と言われるだけあって、年齢とともに落ち着いていったんですけれども、小学校1年生の時は寒くなると出るとか、体調が崩れると出やすいみたいな感じで、保育園の時ほどひどくありませんでした。
それでもね、月に1回ぐらい、1回、2回ぐらいは、調子が悪くて休むみたいな感じだったかなというふうに思うんですけども、割と序盤で50音の表みたいなのを書くみたいな、あいうえを書きかけこうみたいなのを書く授業があったっぽいんですけど、
それに行けなかったので、いきなり不安だったのを覚えてますね。
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あとは、家庭科の授業で、家族の1日のスケジュールみたいなのを書かされる課題があったんですけど、結構ね、小学校1年の時に、母からはですね、離婚してることを周りに言っちゃいけないって言われてたんですよ。
当時、離婚してると差別に遭うみたいな、なんかあったのかな。
とにかく、シングルマザーであることをあんまり表で言うなってことを言われてたんだけど、その宿題で書かないといけないからどうしようと思って、すごい不安になったのを覚えてますね。
みんな結構ね、お父さんお母さんとか、あとはおじいちゃんとも一緒に住んでますとかっていう感じで、そういう家族が多くてね、宿題が充実してるんですけど、僕だけ、僕だけってことはないけどね、もう1人くらいいたかな。
母のスケジュールを書いて終わりみたいになっちゃって、なんか変な空気になったのを覚えてますね。
小学校1年生の時は、友達はね、比較的大人しいグループの友達だったかなと思います。
ただ結構印象に残ってる出来事として、昼休みのサッカーですね。2クラスあったんですけど、1組と2組でクラス対抗でサッカーをするっていうのはなんとなくね、小学校1年生なのに、誰がどうしたのか分かんないけどなんかやってたんですよね、みんなで。
全員ではないと思うけど、大部分の男子が参加して、クラス対抗でサッカーをしてたんですが、なんかね、うちのクラスが勝ったんですよね、ある日。
で、それも結構判定が微妙みたいなやつで勝った、点数が入ったということにしたので、それで勝ったので、相手クラスのね、すごい目立ってる人、スクールカースの頂点みたいな2トップがいたんですけども、木村くんと沢木くんっていう。
木村くんと沢木くんがすごい不満そうだったんですよね。で、それに対してうちのクラスの田中くんがすごい挑発して、うちのクラスが勝ったんだよっていうことをすごい挑発したせいで、木村くんと沢木くんから追いかけ回されるっていうことになったんですね。
で、このままだと木村くんと沢木くんに田中くんがボコボコにされると思って、当時ね、正義感の塊ですから、警察官になりたいと思ってたぐらいですからね、僕は。止めに入ったんですよ。あの、やめろ!みたいな感じで言ったら、もう一瞬でね、ぶん殴られて、吹き飛ばされて、保健室送りにされましたね。
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で、その日の5時間目の時間は保健室でですね、結局田中くんと僕と、で、もう一人止めに入った石崎くんとっていうね、3人並んで、それぞれね、治療されてました。石崎くんと田中くんは口から血が出てて、僕は目の上が腫れてね、目のあたりを殴られたんで目の上が腫れてましたね。正義とは、みたいなことを考えた生一でした。
2年生になると、担任の先生がですね、変わって、凪野先生っていう、当時30代ぐらいの男性だったと思うんですけども、これが最悪でしたね。
今だと相当問題になるレベルの、こう、感触持ちで、ちょっと気に触ることがあると激行するんですよね。
で、すごい暴言を大声で言うし、暴言だけじゃなくて、結構暴力もあったりとか、あと、何でしょうね、生徒のランドセルをぶん投げるとか、机を倒すとか、結構ね、地獄絵図でした。
この凪野先生で覚えているエピソードが2つあって、1つは体育の授業ですね。サッカーの授業だったと思うんですけど、キックの仕方を教えると、インサイドキックはこういう時に使ってとか、アウトサイドキックはこうだよとか、インステップキックはこうだよとかって言って、
インステップキックは強くボールを蹴る時にやるんですよってことで、ゴール前に一人キーパーみたいな感じで小学校2年生の男子を立たせて、もう大人が思いっきし蹴るっていう、もう授業を使った虐待だったなって今思いますね。
帰りのホームルームで松本くんっていう同級生がいたんですけど、ホームルーム中にね、水筒からお茶を飲むと、別にダメなのかって言ったらちょっとわかんないけど、当時はそういうね、お茶を飲んじゃダメだと話を聞かないといけない。ピシャッと姿勢を正して。
でも松本くんは先生が話してるのに、お茶を飲み始めると。で先生がブチ切れてですね、松本くんのランドセルをぶん投げたりとか、机を倒したりとかね、本当にひどかったんだけど松本くんはね、またやるんですよね。
だからちょっともう、すさまじい状況だったなっていう感じで、2年生の記憶がほとんどない、毎日ビクビクしてました。というのも小学校の授業って全部担任がやりますよね。
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だから1日中なぎの先生の管理下に置かれていて、とにかく大人の男性に対する恐怖感みたいなものを感じていましたね、2年生の頃は。
3年生、結構僕の中で転機なんですけども、大きく2つあって、1つは担任の先生が大学卒業したばかりぐらいの若い男性の先生で、この先生がね、すごいお友達みたいな感じで、すごいフラットに接してくれたのを覚えてますね。
だから大人の男性は、そのなぎの先生みたいな人ばっかりじゃないんだ、みたいなことをね、いい人もいるんだ、みたいなことを知ったのはすごい良かったなと思ってます。
あと、1年生の時にぶん殴られた、木村君と在希君。僕は在希君にぶん殴られたんですけども、木村君と在希君はですね、クラスのスクールカーストの頂点みたいな感じで、1,2年生の時はクラス違ったんですけど、3年生で木村君と一緒のクラスになったと。
だからちょっと怖いなーって思ってたんだけど、ある日の昼休みのサッカーで、僕は結構ね、ほんと偶然、別にサッカーが上手かったか上手いんですけども、いいプレーをしたことで、その時から木村君からよくしてもらって、仲良くなったと。
木村君と仲良くなった途端ですね、スクールカーストの上位層に食い込むことになって、これまでね、ずっと、保育園時代からずっとですけど、集団の端っこの方でビクビクしながら過ごしてたんですけど、木村君と仲良くなったことによって、市民権が得られたというか、安心して学校内を歩けるようになったみたいな感じで、
結果自信がついたというか、性格もね、3年生ぐらいから明るくなって、今みたいな感じになってきましたね。
担任の先生と木村君の影響もあって、奥畑先生という担任の先生だったんですけども、奥畑先生の授業中とかは、結構ね、大斬りですよね。授業中はもう大斬りみたいな感じで、先生が、これ分かる人いますか?とかいうときに、ずっとふざけるっていうことをやって、このふざけるみたいな癖が高校生まで、今でも抜けてないけども、高校生までずっと、
授業で先生が問いかける問いは大斬りだと思ってやってきたという、その最初のきっかけがこの3年生のときにあったかなというふうに思います。やりすぎて怒られたりすることもあるんですけども、ちょうどいい、うまいことを言ったときっていうのは、先生も思わず笑うし、クラスのみんなも笑うし、みたいな。
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それはなんか、いい回答できたなみたいな感じで、なんかその、面白いことが好きだなって思いました。答えを問うのつまんないなって思ったんで、なんか答え以上の答えを出してやろうみたいな気持ちがなんかありましたね。
4年生のときに、そうだな、クラスメイトのある女の子が机に落書きをされまくるっていう事件があったんですよね。死ねーとかバカとかね、すごい書かれてて。
で、クラスで問題になったんですよ。これ書いたのは誰なんだみたいな。誰なんだみたいな、そういう圧の書き方ではないけど、優しい感じではあるけれども、犯人は名乗り出てきてくれというような感じで、もうね、連日ホームルームが、帰りのホームルームが長引いて、うちのクラスは帰るのが遅くなってたんですよね。
でも、ずっとその落書きはなくならないから、この事件を誰が起こしてるんだろうと思って、木村君とね、探偵ごっこではないけど探偵をしてたんですよね。推理してたんですよね。
で、事件が起こっているタイミングとか頻度とか色々分析して、どうやらこの人怪しいぞと思って張ってたら、現行犯をね、見てしまったんですよね。見てしまったんで、それを木村君に共有して、多分そうだと思うからちょっと見てみてって言って、注意して木村君に向いてもらったら、木村君も現行犯を見て、で、先生に犯人分かりましたって言って、
伝えたんですね。本人ですって言って。で、落書きを自分で書いている子でした。あれは割となんだろうな、そういうことってあるんだなっていうことを学んだ事件だったし、
しっかりとね、調査してですね、真実を突き止めるみたいな、明らかにしたいみたいな気持ちが結構その時にはあって、それがちゃんと行動に起こせて事件を解決したみたいなところは、すごい自信にもなったなって思ってますね。
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あと、小学校の頃にあった、最後思い出せることとしては、外泊禁止だったんですよ、うちの家がですね。それは、まあ母がね、例えば僕が友達の家にお世話になると、向こうの親に借りを作るから借りを返さないといけなくなるとか、保護者との付き合いが発生するとか、迷惑かけると謝罪しないといけないとか、
とにかくね、母としてはもう生活で一杯一杯だから、そういう面倒なことをやめてくれっていうのが多分本音だったと思うんですが、とにかくね、人様に迷惑をかけるのはダメだということを、人に迷惑をかけるなというね、この一点が割と教育として、家庭教育として行われてきたことかなと思ってるんですけど、迷惑をかけるなということをずっと言われてきて、
その最たるものとして、外泊っていうのがあったのかなと思うんですが、ダメだって言われてたんで、でもね、木村君とか崎君とかとも、5年生6年生になってくると仲良くなって、うちに泊まりにおいでよとか言われるわけですよね。で、何人かでお泊まりするみたいなのを聞くと、やっぱり行きたいんですよね。
なんで、家に置き手紙をして、今日は崎君の家に泊まりますって手紙を書いて泊まろうとしたら、夜、母が仕事から帰ってきた時間、何時だったんでしょうね、10時とかもう11時だったかもしれないですけども、崎君の家に電話がかかってきて、お母さんからですと、帰ってきなさいと言ってますということで、
夜道を帰っていったのを覚えてますね。
なんで、外泊できないなーって思ってましたね。
とにかくでもね、3年生以降は、クラスの中でも割と目立つポジションというかね、いわゆる陽キャみたいな感じで、明るく元気に楽しく過ごしてきたかなと。
幼少期からあった前足も年齢とともに緩和していって、心身ともにいい状態になっていって、中学校に入学するという流れですね。
中学校の話は次回またやっていきたいなと思います。
本日は以上です。