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2024-09-06 11:22

067 言葉にしても大体違わない

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イデアガチガチなものでは社会との関係を築きづらい/そこでたどり着いた公園活動/他者が入り込む隙間/いかようにも言語化してもよい余白/たとえば/言葉にすると大体違わない/意味から自由になった/軽やかな言語活動/

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「存在としての公園」をコンセプトにさまざまな活動を行なっています。活動予定は⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠こちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠からご確認いただけます。ぜひ一緒に時を過ごしましょう。お問い合わせはお気軽に⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠現象LINE公式アカウント⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠までメッセージください。

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 完全招待制の晩餐会を開催したり、公園にレザーシートを敷くなど、
存在としての講演コンセプトに様々な活動をしています。 現象のラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
前回ですね、言葉にすると、
なんか違うなぁと思ってるっていう、違和感があるよっていう方が、15分のべしゃーりという、概要欄に貼っておきますので、ちょっと僕と個別にお話ししたいと思った方がいらっしゃったら、
お申し込みください。15分のべしゃーりでね、そういう言葉にするとなんか違うんですよね、みたいな話から考えた話っていうのをしました。
簡単にまとめると、言葉にすると、
やっぱり嘘になっちゃう。正確に言葉にしようとすると複雑になる。複雑になるから伝わらない。だから単純化してキャッチにする。
キャッチにすると嘘になる。嘘になるからなんか嫌だなと思う。 じゃあ嘘になるから言わないってなると、それはそれで伝わらない。
伝わらないから、広まらないというか、自分がやってることが
体験してもらえないとか、結果受け取ってもらえないということが起こると。やっぱりキャッチーな言葉が求められるのが、キャッチにすると嘘になる。
嘘が伝わってしまう。みたいなところのジレンマをお話ししました。それは自分自身の中でこだわりがありすぎるもの、
自分の中のそのイデアみたいなものがガチガチなものっていうのはどうしても言語化に耐えられず、今のこの社会との関係性というか接点みたいなものをかなり気づきづらいなあというふうに
思ったりするんですよね。今のって言ったのは、多分これがもう少し顔の見える関係性で、なんとなく人と人と繋がっていたら、
なんかわからんけど、あんたがやるんやったらちょっとやってみようかねっていうことがあったと思うんですよね。言葉じゃないみたいなことがあったと思うんですけども、今っていうのは、
じゃあそれをして何になるんですかとか、どういうコントですかみたいなことを言語化が求められてしまうみたいな時代になっていて、
なんか多少嘘っぽくなっても、嘘はダメだけども、嘘っぽくなっても言葉にする方がいいことだとなんかされているような気がしますね。
僕はその方針自体は好きじゃないんですけども、今の社会ではそうなっちゃってるなというふうに感じます。
で、僕自身それが音楽ですごく悩んできました。若い頃はですね、ちょっとイデアが強すぎて、そう言うと嘘になるしとか言いたくない。
聖地に複雑な説明しても聞くと伝わらない。気難しい奴と思われるみたいな感じで、全然伝えたいことが伝わらないし、
体験してほしいこと、受け取ってほしい音楽を受け取ってもらえないということが起こっていて、やっぱりこだわりが強すぎるのもなかなか難しいなと思ったんですが、
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それからですね、10年、十数年経って辿り着いたのが公演の活動なんですよね。
存在としての公演というコンセプトで、自分自身が何でしょうね、何者かになるというよりは場となるという感じで、
子としてかっこたる何者かではなくて、あの人、公演だよねというような、公演という意味では何者かになっているのかもしれないけれども、
ちょっと捉えどころのない場のようなもの、なんとなくイメージ中堅8構造みたいになりたいと、そこの待ち合わせ場所になることで、そこに人が集まるんだけれども、
毎回同じ人が集まっているわけでもないし、いろんな人がいろんな形で集まって、その時その時でいろんな表情を見せると。
ただの待ち合わせ場所になりたいという意味でですね、存在としての公演ということを言っていたりするんですけども、
確かに僕の中のイデアみたいなのがある、こういう公演でありたいっていうのはあるけれども、それはピンポイントでこうであるというよりは、
こうであってはならないっていう禁止事項がいくつかあるだけなんですよね。ネガティブリストがあると、これはNG、これはNG、これはNGみたいなのがあって、
そうでなければOKみたいな感じで、比較的いろんなパターンが想定されると、イメージが広いと、他者が入り込む隙間があるということですね。
これによってですね、いかようにも言語化していい余白があるという感じですね。
例えば、減少の晩餐会っていうレンタルキッチンに住人が集まってですね、料理を何を作るかから考えて、買い出しして、作って食べて、片付けてということをする晩餐会をやってるんですが、
それを言葉にするときに、しっかり緩やかにつながれるコミュニティ形成の場なんですというような言い方もできるし、
立体的な情報、飲み会で喋るだけじゃなくて、もっと広く立体的な情報を取得しあって、個人間の関係性を構築する場なんですという言い方もできるし、
コミュニケーション多元性を楽しむとかなんですとか、何が起こるかわからんけど、面白そうなんでまず見ましたみたいなことも言えると。
今言ったやつって、どれも本当というか、どれも正しい、ある程度正しいという感じで、
ただ何を推しているかっていうと、コミュニケーション多元性を楽しむ場ですよということで、晩餐会の参加者の皆さんにはお伝えしてますけれども、
実際問題ですね、この住人が集まったらどうなるかなっていう実験的要素もあるし、結果コミュニティのような囲い込みとは違ってですね、
本当に緩やかに、この人会いそうだなみたいな感じで繋がっていくみたいなネットワークが自然と出来上がっていけば、
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緩やかなコミュニティみたいになっていくんじゃないかみたいな狙いもあるし、飲み会にうんざりしてですね、
会話じゃないコミュニケーションできたらいいなとも思ってるとかっていろんなやっぱりあるんで、どの言語かもある程度正しいっていうことが起こると、
いかようにも説明できてしまうと、これが正しい定義ですとかはないわけですよね。
これを体験した人が晩餐会はこうだったというふうに言語化しても、それはそれでまたある程度正しい、体験した人の声なのでそうだったんだなっていうことでいいわけですよね。
この余白を持つ、ある程度他者が入り込める隙間、いかにも言語化していい余白みたいなのを作ることでですね、
ある程度どれも正しいということが起こってくると。
浄水公園にしてもそうですよね。結構難しい言い方をするなら、何者でもなくいられる場所と、存在としていられる場所なんだと。
肩書きも必要ないし、経歴も関係ないと。何者でもなくありのままの存在としていられる場所を作ってますみたいなすごい言い方もできれば、
ただピクニックしてますっていうことも言えるし、厳密にはレジャーシートを敷いてただそこにいるだけですとも言えると。
どれもこれも正しいんですよね。やってることはレジャーシートを敷いているだけなんで、いるだけだからこそ機能が求められないし、みたいな。
結局これもいろんな説明の仕方ができると。これをアートに例える人もいるし、どれも正しいというふうに思いますね。
論理的に考えてこうなったわけではないけども、ぼんやりいろいろ長い時間かけて試行錯誤をしてきた結果として辿り着いたところかなというふうに思います。
まだ活動としては大きくなっていないというか、軌道に乗っていないので何に辿り着いたんだって感じだけども、このような活動に辿り着いたという意味でね。
辿り着いたと言いましたけども。何でしょうね。言葉の意味から自由になったという感覚がすごくあるんですよね。
そのように表現されると何か違うんですよね、みたいな。音楽の時にはすごくあった。
けれども、この講演についてはどのように表現されても、なるほどそのように見えるのかというふうに素直に受け取れるし、
そのような表現の仕方もあるな、みたいな感じで僕自身学ぶこともあるし、という感じでですね、素直に受け止めることができるんですよね。
今ようやくですね、言葉にすることのこれじゃないかみたいなから抜けつつあると。
その重苦しさからですね、意味みたいなものから抜け出しつつあるという感覚がありますね。
だからこそ、あれこれ軽やかに言葉にしてみる。この幻想のラジオもそうですね。
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自分の活動をいろんな形で言語化してみようとする。これじゃないな、みたいな感じにあんまならない。
かといってこれだ!という感じにもならない。その時にこうかもなって思ったことを無限に言い続けて、
そこの共通項を見出したり、変化を見出したりしていくと。
で、結局何なんだと言われたらよくわかんないけれども、何かどれもある程度正しい気がするなと。
実際はそこで体験されるものが全てで、どの言葉が正しいかというよりは、何かどれもある程度正しい感じがするな、みたいなやつですね。
イデアが強すぎるとどれも間違ってる気がする。けれども、そこら辺のもう少し曖昧さというか、イメージの広さみたいなのを持つことによって、
どれもある程度正しい。どの言語化もある程度正しいということが起こるなって思ったんで、
ある程度の広さというか、曖昧さというか、ぼんやりさみたいなものは必要かなと、持つといいんじゃないかなというふうに思いました。
特に表現される方ですね。何かを表現して、表現をするといろんなリアクションとして言語化で返されたり、言語化してくださいっていう要求があったりするんで、
どれもある程度正しいなと思って、言語化できれば気楽に言葉にできますから、
活動を考えるときに、そこのイメージの持ち方っていうのは一つあるかなというふうに思いました。
ぜひ参考にしてみてください。本日は以上です。
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