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2021-03-22 09:04

#312 なぜ私は対話を必要とするのか

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私は、対話と会話を明確に分ける。私は会話が苦手だ。心の底から、どうでもよいと思っている(サイコパス)。私にとって、会話とは天気の話、近況報告、身近な人や生活情報など。対話とは、話題問わず共通の話題で考え理解を深めようとすることである。対話は、有意義だ。私が対話を必要するのは、考えることに適しているからである。/うえみずゆうきの活動を応援していただける方は、noteマガジン【脳内議事録】をぜひご購読いただけると嬉しいです。 https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、なぜ私は対話を必要とするのか、という話をしたいと思っています。
まず前提としてですね、僕はコミュニティとか、まあ誰か、人とね、繋がるっていうことそのものに価値ってあんまり見出してないんですよね。
なんか人と繋がったからハッピーな感じになるって人結構いるなぁと思って、
まあだからコミュニティに参加することそのものに、誰かと繋がることそのものに価値を見出してコミュニティに参加しているみたいな人と繋がっているみたいな人っていると思うんですけども、
どうも僕はそれが苦手ですと。
それはおそらくサイコパスであることが関係していて、繋がっているというだけでなんか幸福な脳内物質が出るような感じにはどうもなっていないと。
繋がることによって生存率が高まるであるとか、繋がることによって何かプロジェクトを一緒にやることができるとか、
どうしてもその先の論理で説明可能な関係性の上で繋がるということが必要になるってことはあるんだけども、
繋がることそのものがハッピーであるみたいな、そういう考えにはどうしても行き着かないっていうところが私にはあります。
そんな僕がですね、他者との対話っていうのはとても大切にしているんですね。
全然矛盾するような感じがするかもしれないと思うんですけども、対話は別物だということで、今日はその辺のお話をしていきたいと思っています。
まず対話と会話っていうのは別物だと僕は思っているんですね。
会話っていうのは天気の話とか、近況報告とか、身近な人の噂話とか、身近な生活情報とかっていう、そういう感じのイメージを持ってもらえればいいかなと思うんですけども、
僕の対話って何かっていうと、話題問わずですね、そこにいる相手との共通の話題を共有してね、考え、理解を深めようとする、そういうプロセスが対話だと思っているんですね。
考える場としての対話とか、相手のことを理解しようとする、理解を深めようとする、そういう場っていうのはとても有意義だなぁと思うところがあって、対話を私は必要としています。
対話を考える場っていうような言い方をしたんですが、考えるにもいくつかあるなと思っていて、僕はその考えるをあるマトリックスで分けて認識しています。
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二つの軸ですね。一つは動的、静的という軸があって、もう一つは一人で、他者とっていう軸があると。そうすると四つの証言ができると思うんですけども、まずですね、一人でかつ静的に考える、静かにというかね、動きがなく考えるっていう意味では、一人で机に向かって考えるみたいなやつですね。
一般的に考えるっていうと、机に向かって考えるそのイメージっていうのが先に浮かぶと思うんですけども、一人で静的に考えるというカテゴリーとして僕は考えているんですけども、これは何か明確なアウトプットのためにじっくり論理的に考えたいときにやります。
設計図を書くみたいなイメージですよね。新規ビジネスを何か考えるとか、企画書のラフを書いていくとか、1年間の計画を立てるみたいなときとかっていうのは、結構机に向かって考えることが多いですね。
次に、一人で動的に考えると。一人で動きながら考えるみたいなわかりやすい例は、僕の場合は散歩とかサウナですね。
身体勢を伴う思考みたいな感じで、歩きながらとかサウナとかで自然と思考が活性化し、その中でアイディアが出てくるとかいうことがあると。
なので、今言ったみたいにアイディアを出したいときとか、既存の枠から外れて自然体で、体で考えるみたいなことをしたいときには、そういった散歩に出かけたいとか、サウナに行ったりするっていうところがあります。
次に、他者と静的に考える。他者と考えるんだけども、静かにというか動き気なく考える。これは僕にとっては読書ですね。
読書をすることで、他者が主張している、その活字で書かれている主張に触れながらじっくり考えることができるということで、論理的に対話をするイメージ。
対話ではないね。相手はもう言いっぱなしの状態だから、そういったことに対して自分なりに解釈をして批判的にそれを見たりとか、自分に納得できるとか取り込んでみたりとかということで、
言いっぱなしのことに対して勝手に対話した気分になるみたいな感じでやるのが、この他者と静的に考えるということで、読書とか。
ユーチューブとかヘタしたらじゃないや。動画とかを見てね。動画に対して感想を持つとかっていうのもこれに入るのかなと思いますね。
最後に他者と動的に考えるということで、これがまさに対話であると。何かの話題を共有して考えて理解しようとするということが対話だって言ったんですけども、
読書のように体系だったというか論理構造がしっかりした主張みたいなものにはたどり着きづらいですけども、ラリーをしながら発見していこうということで、直感的な発見っていうのは得られやすいなと思うし、
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その直感的な発見をさらにその場に投げてみることによって、そこでまたラリーが始まって直感的な発見を投げることによって、それをまた論理的に検証する中でまた直感的な発見が得られるみたいな、
直感と論理が連鎖していくみたいな、そういう面白さが対話にはあるなと思っています。これはどうしてもリアルタイムで他者と一緒に言葉を使ってやっていかないと難しいところだなと思うので、
これはかけがえのない一つの対話にしかなし得ない思考方法かなというふうに僕は思っているんですね。そんな理由から対話を僕は必要としています。
元を正すと僕は考えることが大好きで、机に向かって考えることも好きだし、散歩しながら考えることも好きだし、本を読みながら考えることも好きだし、対話をしながら考えることも好きです。
考えることが好きだから、この4つの考えるをそれぞれ楽しんでいると。そして対話にしか、対話にしかというか対話が特に有効に働く、動的に他者と考えるということ。
これは対話ならではのことだと思うので、だから対話が必要だと。逆に言うと、他者との会話、天気の話とか、そういうのはどうでもいいなと思っているし、他者がどこで買い物をしているかとかっていうのもどうでもいいなと思っていると。
情報収集として必要な場面があれば、それは確かに他者が言う、ここのスーパーがこうこうだからっていう情報も有益になることもあるんですけども、聞いてもないのにそういう話をしたいとは思っていないと。
つながっていることそのもので幸福な物質が出るのであれば、スーパーの話をしても何か楽しい気持ちになれるのかもしれないけども、僕の場合はスーパーの話をしても、むしろ何の話をしているんだろうということになってしまいがちです。
ぜひ、僕と関わる機会が何かあれば、もうそういう天気の話とかどうでもいいので、いきなり対話をしたいなと思います。
コミュニケーションを取りたがらないような人が嫌いな人だと思われがちなんですけども、決してそんなことはなくてですね、対話をしてくれればですね、僕は対話ができる関係性であれば、それはもうすごく大切な、僕にとっては大切な人間関係ですので、
ぜひね、僕と話す機会が関わる機会があれば対話をしたいなというふうに思います。ぜひ、いつか出会うことがありましたら対話をしましょう。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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