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2020-10-04 10:01

#143 人生は意味づけのゲーム

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そういうわけで、私は今カメを飼わずに飼っている。所有権はないが、そもそも命を所有する責任なんて、こっちから願い下げである。ありがとう。


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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、人生は意味づけのゲームという話をしたいと思っています。
人生、人生とか生活というか、生きていること全般に当てはまるんですが、
どう自分が捉えるかで変わるよね、何を同じ経験をしても捉え方一つで変わるよね、というのはよくある話で、
それを今日は一つの事例を使ってお話ししていきたいなと思っています。
人生がいかに意味づけのゲームであるかということが、お分かりいただければいいかなと思っています。
僕はですね、職場に行く途中の道のりで、最近は歩いて行っているんですけども、
10分ほど自宅から歩いたところに、とある川がありまして、その川にカメがいます。
浅い川なんでね、その浅い川にカメが数十匹住みついているんですね。
天気がいい日なんかはですね、カメが川の端っこの方で日向ぼっこをしてみたりとか、川を泳いだりとかという感じで、
カメがね、戯れているわけですね。決して綺麗な川ではないんですけども、そういうカメが住みついていると。
僕はですね、カメが結構好きで、そこの川でですね、カメが泳いでいる姿とか、日向ぼっこしている姿を観察して癒されているわけでございます。
カメが好きなら、カメを飼えばいいじゃないかという考え方もあると思うんですが、カメをいざ飼うとなると、当然ですけども、
カメが住める環境を家に用意しないといけないと。当然ですけども、マンションの中で飼うんだとすると、水槽みたいなものを用意しないといけないし、
日光、彼らは必要ですから、紫外線ライトを用意したりとか、なんちゃらかんちゃらって感じで初期費用が当然かかりますし、
初期の設備を用意したところでですね、日々餌をやったりとか、水を交換したりとか、掃除してあげたいとかっていう感じで、手間がかかるわけですね。
しかもですよ、カメにとっても川で泳ぐほうが広々と泳げるわけだし、日向ぼっこもですね、人工的な紫外線ライトじゃなくて、太陽の光のほうが、それはなんか贅沢じゃないですか、
っていう感じでね、しかも僕自身も川で泳いでいるカメを見て癒されていたのに、泳げないカメを見てね、窮屈にしているカメを見てね、むしろなんか悲しい気持ちになると。
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となるとですね、カメを飼うことによって、カメも、カメの気持ちはちょっとわかんないんですけど、少なくとも自由に動けなくなったカメがいるし、僕自身も手間は増えるわ、不自由になったカメを間近で見ているという感じで、誰も幸せになっていないんじゃないかと思うわけですね。
僕はそういうふうにカメを飼うことに対して意味づけをしているんですが、もしかするとですね、カメの世話をするのが楽しくてしょうがないとか、カメの近くにいることで幸せなんだとか、毎日一緒にいたいんだとかっていうニーズであれば、そういう意味づけであれば、カメを飼うということは、カメ側のことはちょっと知りませんけども、人間的にはハッピーなわけですよね。
そういう人たちがおそらく家でカメを飼っているんだと思います。
なので、同じカメ好きでも、そうやって意味づけを変えることによって、カメを飼うほうがハッピーな人もいれば、カメを飼うことでむしろ僕のような、カメを飼うことで辛いことばかりだという人もいるわけですね。
ということで、今の話でいくと、カメを飼うことがデメリットがある人は、カメを飼えばいいし、カメを飼うことがデメリットな人は飼わなければいいよねというだけの話なんですが、話はここで終わりません。
例えば、僕はカメを飼わないという選択をしたんですが、カメを飼わないという選択をしたから、もうカメと私は無縁であると、無関係であるという、一般的にはそうなりますよね。
カメを飼うか、カメを飼わないかという二択なんだけども、僕はカメを飼わずしてカメを飼うという、そういった意味づけをやってみようかなと思っているんですね。
どういうことかというと、川にカメがいますよね、そこの川に行けば。いつもその川に行けばいるんですよ。いるときといないときがあるっていうことはない。
いないときがあるとすれば、雨がすごく降って、本当はいるんだろうけど見えないっていうことがあるだけであって、その川のエリアに必ずいるわけです、そのカメたちはね。
ということは、そこに行けばカメに会えると。ここで意味づけというか、認識をちょっと自分を騙します、錯覚を起こします。
どういうことかというと、とあるカメの飼育サービスがあるとしましょうと。その飼育サービスは、無料プランでは飼育場、川とカメの世話を提供してくれると。
上位プランで金額を払えば、そのカメを家に連れて帰って、自分で世話をしてもいいですよというサービスですと。
僕は全然無料プランで十分だな、以上です。
そうすると、自分はサービスなんか存在しないんだけども、そのサービスがあると仮定して、自分はその無料プランに登録していると。
そこの飼育場のカメたちは自分が飼っているカメ、でもサービス側が飼育場とかカメの世話をしてくれているという状況だと。
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なので自分はカメに触れることもできないし、遠くから見ることしかできないんだけども、自分のカメですという状態になっているという認識を作ったわけですね。
そうなると、僕はただ川にカメを見に行っているだけなんですが、あたかも自分の飼育場で自分のカメがそこを泳いでいるという状態になるわけです。
これはあくまで思考実験じゃないですけど、思考をいじっているだけなので、僕はその川に行くことによって、ただカメが可愛いなぁじゃなくて、自分のカメは可愛い。
自分のカメたちがそこに住んでいて可愛いという、ちょっと身近になりますよね。
という意味付け一つでですね、カメを飼うか飼わないかだけじゃなくて、カメを飼わずしてカメを飼うことができるんだというお話でした。
ちょっと頭おかしいと思われるかもしれませんけども、そうすることでですね、リアルの実際の関係性が変わるわけじゃなくて、認識の上での関係性をいじるだけでちょっとハッピーになれるという話でした。
ここから重要なんですが、今回はカメを例にとりましたので、これでハッピーエンドですと。
なぜならですね、別に僕はカメに触れるわけでもないし、その川をなんか僕が改造するわけでもなくて、ただ観察するという、
現実の自分の行動は何も変わってないけども、認識だけが変わっていて、心地よい状態になっているということなんですよね。
つまり錯覚を起こすだけで満足感を生み出したということなんですが、これをね、じゃあやってみようというときに、
これをできない人がやっちゃうと何が起こるかというと、錯覚したまま行動しちゃうということが起こるわけですね。
なので、例えばそのカメをね、自分のカメだと本当に、現実的にも自分のカメだと思い込んでしまって、
例えばそのカメを誰かが触ってたりすると、私のカメに触らないでくださいということになっちゃうとおかしいですよね。
カメだとちょっと分かりづらいかもしれないですけども、これ対人関係に用いるときには結構気を付けたいですよね。
例えば、ジャニーズファンの方がね、すごいジャニーズ側の方はね、
あなたのことを全く認識してないんだけども、あなたは例えばその人に対してものすごく親近感が湧いて、
例えば恋人とまでは行かないけれども、すごくとても尊い存在だという関係性なんだと思い込むことは自由ですよね。
実際それでビジネス回ってますよね、アイドルビジネスなんかは。
けれども、実際錯覚を起こしてアイドルが暴行を受けたりとかっていうような事件とかあったりしますよね。
あれはその錯覚を楽しむところで終わっておけばいいものを、錯覚と現実を混同してしまって、
実際に現実のギャップに耐えられずに何か行動を起こしてしまうというような問題も起こりますので、
実は忌みづけでハッピーにもなれるんだけども、忌みづけで錯覚だというメタで認知ができないと、
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それを現実と錯覚してですね、現実側が間違っているということで現実に作用を起こしてしまうと、それは結構危険ですよね。
なので僕はあくまで錯覚を楽しむという、かなりメタでいろんなものを認知する力を持つことが人生を攻略する、
人生は忌みづけのゲームだという今回のタイトルで言うと、忌みづけを楽しんでいただければ人生で結構楽しめるんじゃないかなと思います。
そこはあくまで錯覚であると、フィクションであると、虚構であるということをしっかりとメタで認知しないと、
現実に作用してしまって大変なことになってしまうと犯罪者になってしまう可能性もありますので、そこはお気をつけいただきながら、
あくまで忌みづけを自由にできるようになってくると、かなり人生は心地よく過ごせるんじゃないかなと思いますので、
そこの難しいですけどね、ちょっと意識してみてもらえるといいかなと思います。
本日は以上でございます。またお会いしましょう。さよなら。
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