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2020-05-30 12:56

#17 すべてはトレードオフ。だからこそ

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人生におけるすべての物事はトレードオフ。何かを得れば何かを失う。何かを失えば何かを得る。この原則からは逃れられない事実を説明する。なお、スピリチュアルの話ではない。


※サイコパスのラジオ初期エピソード1〜196は、noteマガジン『⁠サイコパスのラジオ<初期>⁠』で販売しています。よろしければぜひお聴きください。

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。この番組は、サイコパスである私がサイコパスならではの切り口で語ることによって、感情豊かな皆さんにとって斜め上の視点に触れたり、サイコパスについての理解を深めるきっかけになることを目的としています。
ぜひ最後までお付き合いください。 今日はトレードオフについてお話ししたいというふうに思っています。
トレードオフというのは、何かを得ると何かを失う、何かを得ると何かを失う、そういうことをトレードオフと言ったりしますけれども、
買い物をする時とかはわかりやすいですよね。何かのものやサービスを手に入れる代わりにお金を失う、みたいな。
ただ人生のトレードオフはもうちょっと複雑で、そういう何かものとお金を交換してますみたいな話ではなくて、機械と機械をですね、仮想させられるというか、
例を出した方が早いですね。朝、毎朝5時に起きたい、早起きしたいっていう欲しいものがある。欲しいというか、やりたいことがある。
でも毎朝5時に起きようと思ったら、夜遊びってもう捨てざるを得ないですよね。夜中の2時、3時まで遊ぶとか、4時まで遊ぶっていうのは、
5時に起きるのはあまり現実的ではないので、夜遊びを失ってしまうと。中にはですね、強者がいて、夜遊びも5時起きも欲しいからどっちもやりますって人いるんですよね。
どっちも実際やる人っていると思います。ただ結果、今度、睡眠時間を失ってますよね。どっちも取ろうと思ったら、今度また違う何かを失ってると。
まあ睡眠時間確かに失ったけども、睡眠時間を失って困るのは健康が損なわれるっていう意味で困るだけだから、なんかわかんないけども、
科学が進歩して、30分寝れば8時間相当寝たような回復できるテクノロジーが開発されたとしますよね。
そしたら朝5時に起きて、夜遊びして、もう健康が損なわれないから失わないじゃないかと思うんですけども、やっぱりそこでね、そのテクノロジーを使うために膨大なお金がかかるというところで、今度お金を失ってしまうと。
結局何かをしようとすると何かを失ってしまう。何かを得ようとすると何かを失ってしまうということが働いてしまうんですね。
チャレンジなんかは最多のものですね。チャレンジしないという方向に、選ばないという方向でいけば、今言ったみたいに何かを得る代わりに失うんだったら、何も得なければ何も失わないんじゃないかということでチャレンジしないと、選ばないということを選んでしまう人はいますけども、それはそれで何も解決していないと。
なぜなら選ばなかった、選ばなかった、選ばないということを選んだということは、じゃあもしも選ぶことを選んでいたら訪れたかもしれない結果というのを失っちゃってるんですよね。なので結局このトレードオフの原理からはですね、生きていく上で逃れられないんじゃないかというふうに思うんです。
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気づかないことができてもね、現実的には失ってるよねということなので、このトレードオフの原理は働くんだろうなというふうに思っています。これ面白いのが何かを得れば何かを失うというだけじゃなくて、何かを失えば何かを得るというのも成立するんですよ。面白いんですけども。
わかりやすい例としては、恋愛とかですね、元彼女とだらだらずるずる引きずってたんだけども、それがスパッと何かのきっかけで切れて、切れたとき、つまり亡くなったときに新しい何かがその隙間に入ってくると。
それが別に新しい彼女との出会いとか、新しい恋とは限らずですね、友人とまた違う関係性が芽生えたりとか、単純に時間が生まれないとか、趣味に今まで恋愛にばっかり出たけども、趣味に目覚めて新しい活動が楽しくなったりとかっていう感じで、失ったことによって得るものもあるんですね。
なので、よく断捨離でスッキリしますみたいなね、断捨離流行ってますけども、トレードオフで失った分入ってくるっていうトレードオフの観点からも断捨離って面白いんじゃないかなというふうに僕は思っています。
失った分何かが入ってくるってことですね。で、そのどっちも働くよという前提の上で、自分がどんなトレードオフを今感じているかっていうと、大きなものとしては自分はサイコパスであるということをこの3ヶ月前、3月ぐらいにですね、気づいたわけですけども、
サイコパスであることで失っているもの、得ているものっていうのがあるよねというふうに思ったりするんです。
一般的にはサイコパス、一般的にはというかサイコパスとはですね、共感能力が感情で共感する力がないっていうある種障害みたいなものを抱えているわけですが、
じゃあ気持ちで共感できないデメリットって何だろうと思うと、やっぱり人の気持ちが気持ちでわからないっていうのは確かに一つ息づらさになっているような気もするんですけども、
逆に言うと人の気持ちを気持ちで受け取らないから、よくわからない気持ちが爆発しているときにですね、それを変に受け取りすぎてこっちがストレスになったりということはないっていう意味ではすごくいいなと。
例えば、このウイルスでもうみなさんがパニックっているときに僕は何一つパニックらないと。
それは頭がいいとかそういうことではなくて、単純にそういうみなさんの感情を受け取らないから、パニックっているなみんなぐらいにしか思わないということなんですよね。
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それはサイコパスだからこそできることであって、別に世界の真理を自分が知っていてだからどうしないんだとかいうことではない。
単純に感情を受け取らないから自分はパニックらないだけなんだということなんですよね。
あとは感情的にならないから合理性というか論理的に物事を考える、安い感情に邪魔されずに論理的に物事を考えるということが比較的得意だなということで、
結果その特徴によって得ているものがあるなと思うんですよね。
ただやっぱり人から冷たいとか厳しいとか人手なしとかいうふうに罵られたりするという意味では失っているものもあると。
だから一長一短だなと思いますので、サイコパスだからまずいとかいうふうには思ったりは、今のところしたことがないというか、どっちもどっちだよねというふうに思ったりします。
サイコパスといえば100人に1人というふうに言われていますからマイノリティなわけですけれども、
マイノリティであることで得たもの失ったものというのもやっぱりあるなというふうに思っているんです。
マイノリティだから周りから理解されないとか、サイコパスなんか調べてみればもうひどいものですよね。
本当になんか気が狂った人みたいな扱いをされていたりとか殺人鬼扱いされていてですね。
片目が狭いという意味ではやっぱりつらいですよね。
最近はだいぶ違うんでしょうけど、LGBTというか性的マイノリティという方々もかなり差別というか片目が狭い思いをしていたんだと思うんですけども、
マイノリティの人たちは多くの人たちから理解されないから悪いことばっかりなのかということを言うと、そうじゃないんじゃないかというふうに僕は思ったりするんですね。
マイノリティであるからこそ仲間に気づきやすいみたいなですね。
どういうことかというと、一般的には否定されたり、一般的には理解されないことが基本だから、理解されたり受け入れられたときというのが例外的に起こるわけですから、
そういった人はこの人たちには心を開いていいんだなとか、この人たちには本当に思っていることを言ってもいいんだなという見分けがつきやすいという意味で、
マイノリティの人たちは確かに理解者の数には恵まれないかもしれないけれども、深く自分のことを理解してくれる人には意外と出会いやすかったりするんじゃないかなというふうに思います。
逆にね、99%側にもし自分が立てたとすれば、みんな似たような状態ですから、どれくらい深く信用していいかというのは難しいですよね。
似ているというのは確かなのかもしれないけれども、どこまでお互いを理解し合っていて、どこが違ってみたいなことを詮索しないといけませんから、すごく大変ですよね。
よりは最初から、もう違うよね、怪物だよねというゾーンにいながら、それを怪物だと返せずに人として扱ってくれる人が現れたときに、その人と人間関係を結ぶみたいなレベルでやっていけば、
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仲間に効率よく気づけるという意味では、マイノリティとして生きていくというのはすごくいいなと思ったりもするところがあります。
幸いですね、僕は人生の中でそういった自分のことを理解してくれる方々に恵まれて、社会的な行動には出ていない犯罪者にはなっていなくて、
理解してくれている方々に恵まれているからというのもあったりするんですが、本当にこのマイノリティというのは仲間に気づきやすいというのはメリットかなと思っています。
ちょっと脱線しましたけども、必ず悪いことばかりじゃなくて、悪いことの裏側には良いこともある。つまり失っているものの裏側には得ているものもあるよねということだし、
逆に自分が得ているもの、例えば自分たちは多数派だからねと思ったときに、多数派だからこそ失っているものもあるよねとか、
自分はお金持ちだからと言っても、お金持ちだからこそ失っていることがある。都会に住んでいるからねと言っても、都会に住んでいるからこそ失っているものがあるし、
何だろうな、彼女がいますと、まだ彼女はいないだろうと、じゃあ彼女がいるからこそ失っているものもあるじゃないかと、
そんな風に考えていけばですね、みんな大差ないというか、得ている分だけ失っていると思えばですね、
大してね、差ってないんだろうなという風に思ったりするんです。どっちかというと、自分が今持っているものに目を向けて、
捨てれば入ってくるし、何かやれば何かが出ていくしという感じで考えていけば、
物を減らすべきなのか増やすべきなのかということもおのずと見えてくるんじゃないかなという風に思います。
これは完全に好みですので、何かを得て何かを失っていく苦しさを感じる人というのは、捨てる方向に走っていった方が、
何て言うんだろう、いらないものを捨てれば何かが入ってくるわけですから、不幸が最小化されていくという感じになりますよね。
逆に欲しいものを得て何かを失っていくというのは、最も欲しいピンポイントの幸福があって、
それは手に入れるけれども、他の何かを失ってしまうという可能性があると。
どっちが自分に合っているかというのは、本当は人それぞれだと思いますので、よくよく考えてですね、
捨てに走るか、物を得る方向に走るのかというのは、よく考えればいいんじゃないかなという風に思います。
私はですね、どうしても何かを得て何かを失うということにハムスター感を感じてしまうので、
歯車をカタカタ回しているハムスターみたいな感じを受けてしまうので、
どれだけ物とかこととか責任とかいろんなものを捨てて、何者でもないただの生き物として生きていける状態になるかということをですね、
割と真剣に考えながら、今すぐにはできないんですけども、割と真剣に考えながらですね、
どれだけいろんなものを手放して生きていけるのかということを、結構考えながら生きているところでございます。
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全てはね、やっぱりトレードオフになっていますので、捨てるだけ何かね、その隙間に入ってくるものがあるし、
得れば得るだけその分失っているものがあるしということはですね、常に自覚しながら人生の一つ一つの選択をしていけたらいいのかなというふうに思っているところでございます。
ちょっとね、抽象的で難しい話だったかもしれませんけども、これはですね、訓練次第でかなり認識できるようになってくるところかなと思いますので、
日々意識してみるといいんじゃないかなというふうに思います。本日は以上になります。
ありがとうございました。またお会いしましょう。さよなら。
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