1. 芸術・デザインをひもとく芸大ラジオmymy
  2. 【16-1】TV番組アナザースカ..
 【16-1】TV番組アナザースカイに3回も出た著名人・小山薫堂。学生時代、ラジオADから放送作家になるまで。「企画の種は好奇心」。薫堂さんの恋話もアリ。【放送作家、プロデューサー_Guest:小山薫堂(放送作家、プロデューサー)】
2026-06-30 36:38

【16-1】TV番組アナザースカイに3回も出た著名人・小山薫堂。学生時代、ラジオADから放送作家になるまで。「企画の種は好奇心」。薫堂さんの恋話もアリ。【放送作家、プロデューサー_Guest:小山薫堂(放送作家、プロデューサー)】

日本を代表する放送作家、脚本家、プロデューサー。人を喜ばせたい派の“勝手にテコ入れ”の仕事いろいろ。
“芸大ラジオmymy”は京都芸術大学の開学50th(2027)を記念して始まった、芸術・デザインをひもとくラジオです。

関連URL
小山薫堂
https://www.n35.co.jp/ (N35インターナショナル株式会社)
日本テレビ ZIP
https://www.ntv.co.jp/zip/
大阪・関西万博 EARTH MART
https://www.expo2025.or.jp/officialblog/blog-20250725-earthmart/
オレンジ・アンド・パートナーズ
https://orange-p.co.jp/
京都芸術大学
https://www.kyoto-art.ac.jp/
くまもん
https://kumamon-land.jp/ (くまモンランド)
料理の鉄人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%99%E7%90%86%E3%81%AE%E9%89%84%E4%BA%BA (Wikipedia)
「椿さんが、生まれたときのことから話していましたけど」
https://open.spotify.com/episode/26RFCHE5ZCtWPmVqLYjmMm?si=5e3de6b3f0c64a9c
芸大ラジオmymy 【10-1】会議して決めるとかムリなジーニー(ランプの魔人)。女子校バスケ部顧問時代のコーチングが今にも生きている。京都芸術大学マンデイプロジェクトの作り方の裏話も【mymy_アーティスト・椿昇_Guest:椿昇(美術家)】 より
11PM
https://ja.wikipedia.org/wiki/11PM (Wikipedia)
メリー・クリスマス・ショー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC (Wikipedia)
Kissin' Christmas(クリスマスだからじゃない)
https://southernallstars.jp/lyrics/detail/509/ (サザンオールスターズ)
「頼まれたことをやっているっておっしゃてたじゃないですか、椿さんが」
https://open.spotify.com/episode/26RFCHE5ZCtWPmVqLYjmMm?si=5e3de6b3f0c64a9c
芸大ラジオmymy 【10-1】会議して決めるとかムリなジーニー(ランプの魔人)。女子校バスケ部顧問時代のコーチングが今にも生きている。京都芸術大学マンデイプロジェクトの作り方の裏話も【mymy_アーティスト・椿昇_Guest:椿昇(美術家)】 より

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

本放送回では、放送作家、脚本家、プロデューサーとして多岐にわたり活躍する小山薫堂氏をゲストに迎え、そのキャリアの軌跡と仕事への哲学が語られました。小山氏は、学生時代に詩人を目指すも、後に放送作家という「ずるい」とも言える多様な関わり方ができる職業に魅力を感じ、ディレクター志望から放送作家へと転身した経緯を明かします。特に、大学時代に偶然出会った女性に惹かれて受験した日本大学芸術学部放送学科が、後のキャリアの大きな分岐点となったエピソードは興味深いものでした。 また、小山氏はテレビとラジオの制作の違いについても言及し、少人数で家族のように作るラジオの魅力を語りました。放送作家の仕事は「種を作る」ことに例えられ、企画立案から構成、脚本まで幅広く関わるものの、映像制作自体には直接関わらないという特性を説明しました。さらに、自身のキャリアを振り返り、「料理の鉄人」や「アナザースカイ」への出演、そして「くまモンの産みの親」といった肩書きを持つ一方で、その根底には「人を喜ばせたい」という純粋な気持ちと、「企画の種は好奇心」という信条があることを語りました。 自身の成功の秘訣として、「自分を必要としてくれる人がいるから」と謙遜しつつ、頼まれた以上の仕事をする姿勢や、常に「面白いことないかな」と探求する好奇心を挙げました。また、「勝手にテコ入れ」という、頼まれていないことでも改善点を見つけて提案する姿勢が、新たな仕事につながっていくと分析しました。アイデアは決して無駄にならず、いつか芽を出す「種」として大切に育てることの重要性を説き、学生たちへのメッセージとしても語られました。番組の最後には、小山氏の継続的な活躍の秘密が「風呂」にあるというヒントが示唆され、次回の放送への期待感を高めました。

オープニングとゲスト紹介
皆さんこんにちは。芸大ラジオまいまいです。 芸大ラジオまいまいは、京都芸術大学の人気先生)先生と、舞台芸術を学ぶ学生の谷口菜穂葉がお送りする芸術デザインのラジオです。
様々な領域で活躍する人たちや先生をお招きしておしゃべりをします。
いまだに芸術デザインは絵がうまいこととか、あるいは自分とは関係ない遠い物事と感じておられる方が多いと思うのですが、すごく身近で生活のそばにあるものなので、その辺の誤解も解いていけたらと思います。
改めまして菜の葉です。よろしくお願いします。そしてデザイナーの坂井先生です。
はい、よろしくお願いします。
お願いします。本日もこの2人でゲストをお招きしたいと思います。
はい。
今日、入学式ですね。
大学がね。
大学が。
はい、そうでしたね。
賑やかな声が聞こえてる。
すごいね。みんな3センチぐらい浮いてるもん、人。
春ってそうですよね。
そう、春もそうだし、入学式とか4月は基本この学内はね、みんなちょっと足が浮いてる感じの雰囲気ですよ。
ドラえもんみたいな。
ドラえもん足浮いてる。
らしいですよ。
知らなかったです。
坂井さんもいつもと違う装いで。
でも俺、入学式とか出てないよ。
え、そうなんですか。
今日のゲストの方はドーンと出てましたけど。
はい、そうですね。
今日緊張してるでしょ。
緊張してます。
緊張してますよね。
菜の葉もだって、なんか結構ドンピシャじゃないかもしれないけど、ほぼ同じような領域の偉大な方ですよね。
はい、そうです。
前回の振り返りなんかせずに、とっとと。
いきますか。
いきましょうか。
はい、今回のゲストはこの大学の副学長をお呼びしています。
では早速お招きしますね。
小山くんどうさんどうぞよろしくお願いします。
ラジオとテレビ制作の違い、放送作家の仕事
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いやぁ、菜の葉さんに会うのを楽しみにしてました。
本当ですか。
声だけほら。
やっぱりラジオって何が面白いかっていうと、その声からいろんなことを想像させるのが面白いんですよね。
僕はよく言うんですけど、テレビはどちらかというと流動色みたいなもので、口を開けとくと何でも入ってきて、あんまり噛まずに飲み込むような情報を。
ラジオはやっぱり、ただ口に開けといて入ってきても想像できないから、ちゃんと頭で聞いて理解しようという咀嚼するんですよ。
確かに。
そこがねラジオのいいとこで、声を聞いててどんな人なんだろうとか、坂井先生って人気先生って言われてるけど、それを全く自分で謙遜することもなく、この人どういう人なんだろうとかね。
そういう風にこう想像するじゃないですか。そこがねラジオの面白いとこですね。
で会った時のギャップ。
どうした菜の葉?菜の葉ちゃんどうしたギャップ?
イメージ通りでした。
声相当いいですよね。菜の葉ちゃんの声って。
声はいいと思いますね。ただね、受け答えがうんうんうんっていう、あれはやめた方がいいかもしれない。
先生に対し、うんうんって言うと、はいはいとかの方が、今すでにうんうんって。
だから今日はうんうんって言わない練習をしましょうか。
はい、分かりました。勉強になります。
いやいいね、くんどうさんのラジオ指導。
シャキッとなります。
しかもそのなんか、ほんまにそうだなって今思いました。
はい、本当にそうです。
テレビは流動職で、ラジオは1回こう自分の頭で考える余白があるっていうか、自分が加わってやっと情報になって、体に入っていく感じが僕も好きです。
だからラジオの方が、ラジオのリスナーの方がすごく深く刺さってる人が多いんですよね。
テレビは、例えばスタッフもそうなんですけど、ラジオって少ないじゃないですか。
だから家族みたいな感じで番組って作っていくんですよ。
テレビは本当にたくさん人がいますんで、僕がやってる今日テレの朝の番組ジップって番組があるんですけど。
くんどうさんまだやってるんですか。
アドバイザーという形で関わってて、それは400人ですよスタッフ。
テレビってそんなにいるんですか。
めちゃくちゃいます。
でもそのスタジオの中に400人いるわけじゃないですよね。
じゃなく月間水木金あるんで、それをみんなわくてくとって。
そういうことですか。月曜担当とかがいるんですか。
月曜担当とか、もっと言うなら月曜のどのコーナーとか。
もうすごく細かく分かれてて、でもそれでもフル稼働、みんなフル稼働を皆さんしてて。
400人で。
ラジオの方は、例えば僕がもう28年近くやってる生放送の番組があるんですけど、それはもうディレクターADミキサー3人ですよ。
とくんどうさん。
僕ともう一人の相方のパーソナリティ。
で、うちの作家1人。6人ぐらい。
あとプロデューサー、曲のプロデューサー7人ですね。最大7人。
だからすごくファミリーな感じがあって、もうラジオって終わるときにみんな涙涙で別れていくんですよね。
一番一つの番組が。
番組、もう家族が別れるみたいな感じ。
じゃくんどうさん、芸大ラジオマイマイにも入ってください。
プロデューサーとして、毎回協力させてもらいますよ。
今日それでね、心よく来ていただきましたんで。
忙しいので。
最初に少し触れておくと、本当に多岐にわたってご活躍されてる方なので。
ご活躍されてる方なんですよ。
でもいまだに知らない人もまあまあいるんですよ。
いっぱいいると思いますよ。
くんどうさん。
なのでどうぞ。
こちらから説明させていただきます。
最近では万博のパビリオンを手掛けられていたり、放送作家、脚本家、企画会社オレンジ&パートナーズの代表、京都芸術大学副学長、くまモンの産みの親などなどなどなど。
いや、そんなことより俺は料理の鉄人とか。
多分料理の鉄人知らないですよね。
世帯的には知らないです。
めっちゃ、いやもうあれは名作ですよね。
自分で言うのもあれですか。
自分で言うのもなんですけど、あれを見て料理人になった若い人ってすごい多くて。
よく言われますね。
すごく最近行ったいい店でシェフに、いやめちゃくちゃいいですねって言ったら、いや僕料理の鉄人を見て料理人に憧れたんですって言われたときはすごい嬉しいです。
そうですね、その人の人生の起点になる。
分岐点に関われたっていうのは嬉しいですよね。
あと、みんなさんが知ってるやつで言うと何でしょうか。
送り人、映画の脚本とか、アナザースカイは。
アナザースカイはうちの事務所でやってて、僕は直接やってないです。
ただ僕は3回出ましたね。
アナザースカイ。
だから3回。
3回も出たんですか。
ナババレー、ここが僕のアナザースカイ。
ニューヨーク、ここが僕のアナザースカイ。
京都、ここが僕のアナザースカイ。
お前どこがアナザースカイ。
基本1人ですよね。1人1個。
1人1個ですからね。
でもだから人が急に足りなくなったり、ゲストに困ってるときは僕に声がかかるっていう、そういう。
すげー。
すごい。
くんどさんのN35っていう事務所の中に脚本家の方が。
そうです。放送作家がいまして。
放送作家の方。
事務所がやった仕事。
がやってるアナザースカイとか、その作家は思うまい店もやってますね。
分かる。
分かります。
あと人生最高レストラン。
食関係が意外と多いんですよね。
今回第1話では放送作家、脚本家、そしてのこやまくんどさんに絞ってお話を聞いていけたらなと思います。
放送作家って先ほどからあったんですけど、放送作家って何ですか。
放送作家って。
いい質問やな。聞いてみたい。
放送作家って一番ずるい仕事かもしれない。
いろんな関わり方ができるんですよね。
例えば番組の企画を考えるのも放送作家だし、その中の脚本、構成を書いたり台本を書くのも放送作家。
ただし映像は撮りに行かないんですよ。
映像はディレクターが撮りに行って。
それによって撮ってきた素材をまた編集するのもディレクターの仕事で。
その最後のナレーションを書くのはまた放送作家の仕事で。
言ってみれば種を作って投げて、それをディレクターが形にしてまた戻ってきたものを仕上げるっていう感じが放送作家なんですけど。
いろんなタイプの仕事があって。
種は作らないけど番組に作家として会議に参加し、その番組のアイデアをいろいろと出して出すだけの人もいるし。
会議を盛り上げなきゃいけないということが上手な人もいるし。
台本は書かないけど喋りが面白くて上手くて。
これいいじゃないですか、それいいですね、ファファファみたいな。
回すのが。
回すのが上手い。あるいはその雰囲気がいいっていう人も。
それだけで放送作家っていう人もいるし。
そうなんですね。
でも喋りはめちゃくちゃ下手で、あまり社交性もなく。
でも文章はものすごく上手いとか。
だから重宝されてるっていう人もいるし。
いろんなタイプの放送作家がいるんですね。
だからそういう意味で、その場に合わせたスタイルでやっていけるという点でずるい職業かなと思います。
決まってないんで。
小山薫堂の学生時代と放送作家への道
もともと放送作家になろうと思っていたんですか?
もともとはディレクターになりたかったんですよ。
テレビの?
テレビというか映像ドキュメンタリーのディレクター。
もっとその前は詩人になりたかったんですよ、中高は。
中高の頃は詩人。
中原中也に憧れてて。
でも中学卒業し高校ぐらいでだんだん大学に近くなったときに、詩人という職業では食っていけないということが分かり、大学に入学するわけですよね。
高校までは天草。
高校までは、中学までは天草。
天草。
で、高校が熊本。
で、大学が東京。
で、椿さんが生まれたときの話から知ってましたけど。
知ってました。
僕はそこを飛ばして。
飛ばして。
大学に入学するときの話からすると、京都が大好きでとにかく京都の大学に行きたかったんです。
それで立命官と同社を受けました。
で、立命官落ちまして同社を借りました。
で、同社に行こうと思ったんですけど、一時期は。
本当は国立に行きたかったんですよ。国立の大学。
で、当時は共通一次試験というのがあって。
今もありますよね。
今はセンター試験。
名前が違う。
名前が違う。そういうのがあって。
で、その点数がめちゃくちゃ自己採点で悪くて、落ち込んでたら隣のやつがもう一個受けといた方がいいんじゃないって言って。
どっかあるって聞いたら、自分は将来映画監督になりたいんで、日大の芸術学部ってところに行くんだと。
で、映画学科の願書は自分が使うからないけど、他の学科の願書が全部余ってるから、これあげるよって言われたんですよ。
で、これもらえば願書買うって言って親に言うと2000円もらえるなとかと思って。
それで学科見てて、音楽学科は楽器できないしなとか、演劇学科、いやお芝居恥ずかしいなとかって見てたときに放送学科ってのがあって。
で、これ何する学科なのって聞いたら、彼がテレビとかラジオの番組を作る仕事とかを目指す人がいくらしいよって言われて。
それは楽ちんそうだなと思って。で、それを受けたんですよ。
で、受けたら1次試験受かって、2次試験のとき面接を受けるんですけど、その隣にめちゃくちゃ可愛い子がいたんですよ。
面接はグループ面接なんですか?
グループじゃなくて一人ずつ待ってるときに隣にめちゃくちゃ可愛い子がいて、でも熊本から出てきた高校生が都会の匂いのする女の子がいて。
で、方言をなるべく隠さなきゃと思って。
で、君受かったらどうするの?とかって聞いたら、私他に助詞題しか受けてないんで、ここに受かったらここに来ますとかって。
じゃあ俺も受かったらここに来ようかなとかって言って受けたんですよ。
笹井千恵子さんという名前でしたけど。
で、合格発表見に行ったらあったんですよ。自分の番号がね。
で、よしと思ってその次もすぐ笹井さんの番号を探したら。
番号まで聞いてるんですか?
聞いた聞いた。笹井さんの番号もあった。
もうその瞬間に京都はどっか飛んでって、もうこっちしかない。
で、日大芸術学部ってものすごい受験者数多くて、僕の時で42点何倍だった。
だからもうすごい数の人が合格発表見に来るわけですよ。
で、人並みにこう流されながら駅に向かってたら、今から合格発表を見る笹井さんが駅の方から白いコートと白いベレー帽をかぶり、ものすごい不安そうな顔で歩いて来たんです、向こうから道の反対側ね。
で、僕は心の中で、大丈夫、君は受かってるからねって言ってあげて。
心の中で。
心の中で。
おもろいとかって言うだけの勇気がなかったんで、心の中でもう天使になった気分で、君はもう受かってるんだよっていう。
それは会わずにですか?
会わずに。すれ違うだけ。
すれ違うだけ。
で、もうやっぱりここしかない。
日大芸術学部しかないと思い入学したんですよ。
で、もう入学式の時から彼女の姿を探し、どこにもあれ来てないとかと思って。
来てない?
見当たらない。見当たらなくて、それですごい不安になり、大学のキャンパスに行き、日大の入学式って武道館で。
やるんですよ。
で、江古田のキャンパスに行き、探してたら、その彼女が男と一緒に歩いてて、それでもすでに男と一緒に受験してたっていうのが分かり、その瞬間に俺何のためここ来たんだろうっていう気分になりました。
でもそれが本当に自分の人生の分岐点の一つですね。
で、同じクラスなんですか?笹井さんは。
120名くらいしかいないんで、学科一つ。だから班に分けるんですけどね。班は違ったんですが、でも比較的そばにいつもいる感じ。
で、その人とは結局ちゃんと付き合って。
何にもない。
他にも可愛い子はいるし。
そうですね。
勲童さんっていうのはやっぱりモテたんですか?高校の時とか中学の時とか。
まあ、モテました。
すごい。
背高いですもんね、勲童さん。
モテましたね。
もっと痩せてたんですよ。今より15キロくらい痩せてたんですよ。
もっと痩せたか。
15キロくらい。
高校生の頃の勲童さんの顔っていうのはあんまり思い浮かばないですよね。
だからそうか。自信があったってことですね、笹井さん。
だって笹井さん可愛いなって思っただけでね。
そうですね。
付き合えるかどうかもわかんないのに、目の前にバーンとそれしか見えなくなるっていうのは不思議やなと思って。
でも人生ってそういうもんですよね。
それで入るわけですよ、西田芸術学院に。
その時はうちの親父の家の仕事を告げばいいやと。
九州の田舎の不動産屋と歌詞衣装と美容室みたいなそういうちっちゃな仕事いくつかやってるんで、それを告げばいいやと思って。
別にどこに入りたいっていうのもないし、将来になりたい夢も。
だからポピーライターという職業がちょうど人気になり始めた頃。伊藤重里さんとか。
コピーライターもいいな。
詩人では食っていけないけど、コピーライターだったらすごいみんな儲かってそうだなっていうのがあり、コピーライターとかいいなと思ってたときに、
大学の先輩からラジオのADのアルバイトを募集してて、その番組のADは歴代のこの大学の1年生がまず先輩からバトンを受け取ることになってるから、
君やらないって言われて、じゃあやってみますと言ってラジオのADの仕事を始めたのがこの世界に入るきっかけ。
そこからディレクター。
そこからADって言っても雑用係ですよ。
放送作家としてのデビューと初期の仕事
弁当を何頼むとか、送られてきたはがきを、まだそのときファックスでもなくはがきだったんで、はがきの投稿を仕分けするとか、
あとは作家が書いた原稿をコピーに行くとか、いつも放送作家の人が書いた原稿を見ながらコピーするわけですよね。
そのときに読んでて、これぐらいだったら俺だって書けんじゃないかなとかっていう気分で、こんなんでいいんだとか思いながらコピーしてたんですよね。
弁当の頼み方とか、やっぱ気が利いてるなと思うんですよ。自分で言うのもなんですけど。
自分の頼み方が。
だから言われたまんまをやるか、今日はこんな気分だからこういう弁当どうですかねって提案するかとかってあるじゃないですか。
やっぱり今日ここに目の前にお菓子が並んでますけど、こういうどんなお菓子を会議のときあるいはこういう収録のときに置いとくかってものすごいセンスが問われるし、
その人の感覚がわかる。
今日僕が入ってきたときに4種類のアサイーもあるしジャスミンもあるし、無糖のチャイがあって無糖ティーがあってねっていう。
普通だったら水とお茶ぐらいにしとけばいいのに。
なんかちょっと。
これはだから僕はすごくゲストに対するおもんばかる力がある人が準備したんだろうなと思うわけです。
ただ水は絶対置いといたほうがいい。水とノーマルなやつは置いといたほうがいいですね。
ノーマルがないのにこのチャイラテとかベビーハンダーアサイーを置いとくってのはちょっとやりすぎかもしれないですけど。
でもこのラインナップ見て意外とちゃんとしてるなとか思うわけですよね。
確かにそこに意思はなくはない。
意思を感じる。それはすごい大切なことで。
多分僕もそういうところがあったからだと思うんですけど、あるときラジオ局のプロデューサーから君なんか書いてみたらつって。
なんか面白いもん書きそうな気がするって言われたんですよ。
それで何書くんですかって聞いたら、何でもいいから書いてきてごらん。来週から週に1本。
それは台本とかじゃなくていいからエッセイのようなもの、詩でもいいし漫画でもいいし好きなもの書いてきなさいと。
書いてきたらギャランティーをもらって書く。
ギャランティーをもらった以上はちゃんとしたものを書かなきゃいけないという責任感が生まれるんでそれが大切だから。
1本あたり3000円払ってあげるよって言われたんですよ。
で月1万2000円、言ってみればバイト代みたいな。
でもそれはそのディレクター、プロデューサーが番組の制作費として切ってくれるんですよね。
でもそれを使うことは目的にしてなくて、言ってみれば悪く言うと応料というか。
でもよく言うと投資、未来への投資みたいなもんで。
でその人のそういう、言ってみれば若者への投資によって僕は毎回何か書いてってその人に見せたら面白いんじゃないとか言われてそれで終わるだけ。
である時、今このまま君行ったら3000円ぐらい稼げるかもねって言われて。
3000円って何ですかって言ったら3000万だよって言われて。
え、年収3000万ってことですか。
お、そうだよ。
そんな稼げますかねって言ったら、君みたいな感じでセンスのある子がいたんだけど今彼が確か3000万ぐらいって言ってたんで秋元君って言うんだけどそれぐらいいくんじゃないかなと言われた。
それが秋元康さんだったんだけど。
それで僕そんなの稼げますかねとかって。
でそれがきっかけで当時のその番組の放送作家をやっていた人が、じゃあ俺テレビもやってるからテレビお前やってみるって言われて。
それでテレビの番組、ラジオで放送作家デビューじゃなくてテレビの番組でそのまま放送作家としてデビューしたっていうのが最初ですね。
で大学3年の時。
大学3年の時。
すごい。そうやったんですね。
だからもう本当に笹井さんがいなければ多分違うことしてたと思います。
そうですね。それでその番組は。
11PM。
11PMって絶対今の人は誰も知らないと思いますけど。
僕なんか聞いたことあるっていうかすっげえ有名な番組ですよね。
もう今の時代ではありえないような深夜の11PMっていうから11時からの番組ですよ。
当時の情報番組だけど超エッチな番組。
そうなんですね。
月木金を東京の日本テレビ。火曜日木曜日を大阪の読売テレビで制作をしていて。
毎日MCが違うんですよ。
やっぱり読売テレビはそれこそ上岡龍太郎さんとかそういうお笑い系の人が吉本系であったりとかお笑い系の人がやって。
どちらかというと月木金の日本テレビの方は大橋巨船さんという人がやったりとか。
ちょっと文化っぽい感じではあったんですけど。
でも僕が入った時ちょうどその。
葉坂行きでMCが全部変わってそれで新しくスタートする。
それがちょっと情報職を強くするという時だったんで。
君大学生の関西でいろんな情報を持ってきてその関西を番組に入れたいんだみたいな感じで呼ばれたんですよね。
すごい。それがデビュー。
それがデビュー。
「メリークリスマスショー」と企画の原点
そこからダンタンタンタンと言ってください。
君道さんの書いたやつ。
書いたやつ。
思い出話とともに。
僕がまず一番印象に残ってるのが大学4年の時にやったメリークリスマスショーという番組がありまして。
クリスマスの夜に東京青山のスパイラルホールから生放送で2時間ぐらいの音楽特番なんですよ。
音楽特番でその中心にいるのがサザンの桑田さんと松桃屋雄民。
この2人が桑田さんが作曲して雄民が作詞をしたキスインクリスマスという曲を作って、
これをクライマックスで2人で生で、2人だけじゃないけど生で発表すると。
これが軸になってて、いろんなアーティストがそこに参加するんですよね。
その人たちがその1夜のためだけにみんなに見せるVTRを持ってくるという体で、
例えば司会はアカシアさん、当時人気だった菊川浩二、今野清代、チェッカーズ、ミスチル。
ミスチルはまだデビューもしてません。
当時の人気アーティストが勢ぞろいして、クリスマスにちなむような曲のPVを1夜だけのためにそれぞれ作ってっていう。
その番組は構成が6人ぐらいいたんですけど、それの下から3番目ぐらいのポジションで入ったんですかね。
それは本当に生放送だったし、曲も素晴らしかったし、アーティストの力によって世の中を動かせるんだっていう実感を実感した最初の番組だったかもしれないですね。
あとは一つのメディアがいろんなものを集めるだけのパワーを秘めてるんだっていう。
そこに一つのコンテンツにいろんな人が集まってきて、これが増幅して世の中に広がっていき、それで時代のうねりができていくんだっていうのを目の当たりにしたような仕事でした。
だからくんどうさんはアーティストじゃないけど、そのうねりの種を作れるんだっていう。
裏方としてこういうものを企画するって面白いな。それが最初の企画で幸福感を得る原点ですね。
ありがとうございます。
継続する活躍の秘訣と「企画の種」
たくさんお話を伺ってきて、この回での最後に聞きたいんですけど、何十年も大きなタイトルやプロジェクトに携わられていらっしゃって、その一つだけでもやっぱりすごいのにそれが継続されてるって、なんでそれが可能なのかっていうのが気になります。
それは自分を必要としてくれる人がいるからじゃないですかね。
つばきさんが言ってて、僕もそうだなと思ったんですが、その頼まれたことをやってるっておっしゃってたじゃないですか、つばきさん。
僕も同じタイプで、自分の中にこういう魂が燃えてるからこれを何とかしたいんだっていうタイプではなく、頼まれたときにどう頼まれたこと以上の答えを出すかとか、
どうやってこの頼んでくれた人に、この人に頼んでよかったなと思ってもらえるかっていうことを繰り返してきただけなのかなと思います。
その気力とか、みなぎっているように私には見えるんですけど、どこからそういうものが湧いてくるんですか。
一つは好奇心。いつも企画の種は好奇心なんだと言ってるんですけど、あとはやっぱり人間の本能って、誰かを喜ばせるとか、誰かを幸せにしたら自分も幸せになるじゃないですか。
それは本能だと思うんですよね。
とにかく喜ばせたい派なんで、いかに人を喜ばせるかっていうことを考えていると、それが元気が活力みなぎってるかわかんないけど、
でもなんかこう、なんか面白いことないかなと考えながら、どうやって人を喜ばせようかと思ってるっていうことぐらいしかないですね。
でも口癖は、なんか面白いことないかな、なんか面白いことないかなってのが、若い時からの口癖です。
あとね、勝手にテコ入れ。勝手にテコ入れ。勝手にテコ入れは、これは頼まれてないんだけど、これをもっとこうすればいいのになとか、だからさっきここに水1本置くだけで印象変わるよなとか、
なんか、ここ俺だったらもうちょっとこうしたらよくなるのになっていうのを勝手に自分の中でテコ入れして、
よっぽど言ったほうがいいなと思った時は言いますけど、これ言って相手が不快になるかなと思った時には言わない。
でも、おせっかいですよね。おせっかいだけどよく、これおいしいから食べなさいっていう親戚のおばさんいるじゃないですか。
あの感覚に似てて、うわ、これこうだったら、もっとこうしたらよくなりますよねっていうことをやってる感じです。
勝手にテコ入れは、俺すげえ感じるくんどうさんと一緒にいて。
で、そのお弁当をちょっとでもなんかちょっと面白くしてあげようかなとかっていうこととかをずっとやってるから多分上の人も、
なんかこいつ面白いなって、なんかこう思ってくれて、その3000円で買ってこいよみたいなことにも必ずつながっていくような気がします。
思うんですよね。
とりあえずこの人に話してみると、なんかいいかもしれないっていう漠然とした期待みたいなものがあるのかもしれないですね。
発注される、続けてるっていうのは。
だけどめっちゃいろんな仕事がね、同時進行で。
ありますよ。
本当にいろんなのあって、今日も実はここ来る前、朝一である場所に、京都のある場所に行ったんですけど、
自分のご先祖様から継いだ土地、物件があるんだけど、これどう使ったらいいですかねっていう相談でそこの物件を見に行って、
まだ閃いてないんですけど、ここ確かにもったいないなっていう場所だったんですけどね。
でもそれがこう、頭の中の一つの発芽しない種として、自分の中に埋めるわけですよ。
で、これが、そういう種がいっぱいイメージ的には埋まってて、
で、外から何か経験することが、言ってみれば雨、水を与えてるみたいなもんで、
で、時々雷が落ちてくるみたいになって、目がポンって出てくるみたいな。
そういうイメージで、いろんな木が増えてって森になってきたっていう感じですかね。
森になってきた。
そっか、ずっと世話し続けてるアイディアの種もある。
そうですね。
ありますもんね。
そう。だからいつも、ボツになったアイディアが死んだと思わないでほしいっていつも言ってるんですね。
学生さんにも言ってたし。
それはこの魅力をわからなかった人にプレゼンしてしまったがゆえに、目が出ないだけかもしれないし、
きっとその、この種に水をもっと与えたいと思う人もいるはずなんで、
一回ひらめいたことは捨てずに、一応自分の心のどっかにキープし続ける。
それが大切だと思います。
どれだけ種をたくさん持てるか。
ありがとうございます。
エンディングと次回へのヒント
さてたくさんお伺いしたのですが、そろそろエンディングのお時間となりました。
もう頭がいっぱいになってるね。
はい。ストーリーとか名言の嵐でちょっと情報の洪水が今起きてるんですけど、私の中に。
はい。ちょっともっと頑張っていただきたい。
でもあれじゃない。たぶん、何だっけ。
俺も確かにくんどうさんずっと本当にモテモテで、女にもモテて、仕事にもモテて、ずっと来てるじゃないですか。
なんでそんなこれからずっと維持されるのか。あんまりこういうのないじゃん。浮き沈みみたいなのが来てるの。
やっぱり俺はね、やっぱり風呂やろうなと勝手に思ってました。
風呂。
はい。風呂。
瀬戸。
で、この話は第2話にたぶんあるんやと思います。
ヒントが。はい。ありがとうございます。
番組が面白かったという方はスポティファイやアップルポッドキャストなどお聞きのアプリでのフォロー、高評価をお願いします。
それではまた次回。どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
36:38

コメント

スクロール