方言の魅力
毎度、黙れ!ヤドロクです。お疲れさんでございます。
元気?元気やったらええねんで言うとおりますけども。
ツンチャンから来ておりますね。ミンチガのツンチャンからありがとうございます。
お気に入りお題でございます。
好きな方言ありますか?やっぱり標準語はムズムズする?
てやんでべらぼうめえと言ってみてくださいというね、ありがたいことですな。
好きな方言と言いますと、まあ自分はやっぱり関西の生まれですから、
関西弁中なんで違和感はないですわな。好きかと問われると、
まあ別に使ってるだけで好き嫌いというような感じはあんまりないということですね。
私が黙れヤドロクで使っている千葉言葉に近いものは、
これはどっちかというと業界用語に近いような感じというんですかな。
まあ京都に行きますと京言にゃんちなありますけど、あれも今となっては、
京都市内の一部、そして沖谷とかね、
舞妓さん芸妓さんの間のお言葉になっているようなことありますわな。
だからこれは地方によっていろいろあるんじゃないですか。
芸妓さんも京都だけじゃないですからね、いろんな町、花町というとこありますから。
そういうところの中で使われている言葉っていうのはあるかもわかりませんね。
下町の言葉、てやんでべらぼうめえというような言葉、言ってみてくださいと言いますか。
てやんでべらぼうめえ、これだけ聞くと意味がわからへんねんけど、
何をしているんだ、あのべらぼうなやつめというようなことやと思うんですよね。
だいたいがですよ、わかりませんよ、これ調べてませんから。
だからてやんでっていうのはてやんでから始まらないんでしょうね。
何やってやんでとか何言ってやんで、何をやっているんだというようなことなんちゃうかなと思うんで、
だいたいそんな多いような気がするんですけど、
べらぼうなやつめえと、むちゃくちゃやな、むちゃくちゃなやつやなというようなことですから、
てやんでべらぼうめえを言うときっていうのは何言ってを言わない。
てやんでべらぼうめえ、詰まっちゃうというような、
下町の方が何かこう相手に対して何やってるんだというのの最初が、
感情の方が先に出て言葉が詰まらん。
てやんでべらぼうめえっていう感じっていうのが自然なのではないかなと。
これは難しいですよね。
こういうのを方言では、これ覚えてるかどうかわかりませんよ。
これは勝手に私が想像して言うだけですよ。
てやんでやと思うんです。
何言ってやんでのてやんでやと思うんですよね。
その何言ってが消えるという感情が先に出て消えると思っているっていう感覚で言うということですね。
で、標準語ムズムズするっていうのは私ないんですよ。
何でかと言いますと幼少の頃東京行ったんですよ。
標準語というのは東京弁というんですか。
子供の頃よーつれていても出てね。
子供の頃か。
親戚ですね。
いとこのお兄ちゃんが普通に関東弁やったり三重県の方やったりとかするので方言がバラバラなんですよね。
いとこが。
標準語と方言の違和感
だからあの関東弁で話しかけられてもいわゆる三河弁というんですか。
この名古屋の方の言葉で話しかけられてもあんまり違和感がないというようなことで。
方言に対してあんまり違和感がないというんですかね。
元々うちの家は大分ですから九州。
九州の言葉もやっぱり聞いてて違和感がないっていう。
どこの言葉を聞いても。
やっぱり憧れがあるのは東北弁なんですよ。
身内がいてないんですよ。
だから聞いたことがないわけですよね。
沖縄の言葉もそうですな。
沖縄弁なんかもうちょっと外国語やもんね。
だから気になると言うならば東北の言葉と中四国の言葉もそうですね。
徳島なんかはどっちか言うとね。
テレビの方が関西圏なんで関西弁よりやと思うんですけど。
もっと南国高知県とか愛媛の方行くと雰囲気が違うのかなと思ったりとか。
中国地方の島根、鳥取当たりっていうのは関わりがないので
あの辺の方言はどうなのかなとか。
そういうのはちょっと気になりますよね。
住んでみないとやっぱり身につかないから
方言の面白さっていうのはやっぱり住んで初めてなのかなというふうに思いますな。
どうですか。
まっつんちゃんもたくさん本を読まれたりとか
いろんなポッドキャスターさんと絡んでありますから
非常に気になるところっていうのはあるのかなと思いますけど
むずむずするのはね
やっぱり関西人がおかしく感動弁を言うときとか
真面目なんですけどできてないときっていうのは
ちょっとむずむずするかもわかりませんね。
私は元からそうやってやろうとしたんです。
昔ゲーム実況の頃ね。
なんとか標準語に近い喋り方。
これはね関西弁がゲーム実況で怖いと言われてる時期があったんですよ。
それもありましたからできるだけ標準語に近い感じで喋りたいなと思ってやったらね
やっぱ気持ち悪いと言われるんですよね。
だからもう普通のいつも喋ってる言葉で喋らなかった方がいいですよ言ってね
配信者の方に、他の配信者の方に言われて
地域の言葉への愛着
そうかなーって。
でもそれでやると怖いと言われるんよなーという
ジレンマみたいなものがあったような覚えがありますね。
好きな方言ですね。
やっぱ沖縄なんて昨今ね
インターネットやテレビやYouTubeやあんな色んなものがありますから
よく聞くじゃないですか。
可愛らしいですよねなんとなくね。
東北弁もねやっぱり東北弁を隠さなく喋るタレントさんなんかが
出てくることによって可愛らしさというか
まあこれは人の差というのもあるんでしょうね。
誰が言うかというところも多く絡んでると思いますよね。
ツンチャンのない方に考えてるんやろうなと気になるところありますが
好きな方言、東北、そして沖縄
面白いと思う方言もそれに準ずるというようなところもありますね。
北関東の方言なんかもちょっと、栃木とかね
群馬あたりの方言もよくお笑い芸人さんなんかで聞いたりするのも
悪くないですよね。
地元に住んでなくとも地元を大事にしてる感じが出るというかね。
今もね、なおいろんな番組、ラジオにゃんにゃんにゃんであったりとか
うっかり双子のついついラジオで方言を大事にしてる番組なんかと
僕は仲良くさせて持ってんのはその辺のことあるかなという風に思うんです。
やっぱり地元であったりとかふるさとを大事に思う言葉と
やっぱり願望の中に忘れたくないというような願望が見えたりすることの
その心の部分ですよね。
なんかそれが方言ににじみ出るような気がするというのかな。
そういうのが僕は好きやなと思うとこありますね。
もちろん現在も住んでるということは大事なことでもありますけど
離れてもなお九州の言葉でしゃべる、北関東の言葉でしゃべる
東北の言葉でしゃべるということの愛着であったりとか
忘れたくないことであったりとか
タレントさんが地元のお母さんとしゃべるシーンなんかね
密着なんかであった時に方言がふっと出る
ああいうシーンは好きですよね。
ええなと思ってしまいますね。
うまいことこの人は標準語を取り入れて
もうイメージとしては標準語でしゃべってあるように見えるなという
違和感なかってもちょっと出る方言なんかが出ると
わーっと本和化するというんですかね。
地元がわかるということはいいことやなと思うわけです。
逆に東京出身、東京弁、関東出身、関東弁というような感じで
ある人はこれは道に行ってるわけです。
生まれ育ってその言葉でしゃべってるので
まあ違和感という違和感が全くないわけですからね。
かといって関東一円、全部が全部同じイントネーション
同じ言葉というわけではないじゃないですか。
東京は東京弁というものがあるし東京も横に長いですから
端っこの方行くとちょっと方言混ざるというのもありますね。
時代の流れで言いますと高度経済成長の時の
集団就職というので大阪や東京に九州やったり地方の方が
多く流れ込んだことで東京といっても親がどこどこ出身
東京生まれ東京育ちやけども親が九州の出ですとか
親が東北の出でちょっとイントネーションニュアンスが
違う時がある。これも執事が分かるという意味では
面白いなと思う時があるんですよ。お父ちゃんお母ちゃん
これはうちは三来東京ですとなってくるとまたこれは
喫水の江戸弁というのが出てきたりとかね。江戸弁というのが
なってくるとまたちょっと雰囲気が違うとか下町の言葉やったり
とかすると標準語とまたちょっと違うというんですかね。
こういうのがいいんじゃないかなと思うんですよね。
これはもう標準語と東京弁の違いです江戸弁の違いですというようなことですね。
だからてやんでべらぼめなんてのはもう東京の下町の
江戸弁の一つの流れということだと思うんですけど
標準語では使わないですよねもちろん。そんな風に考えますと
方言の魅力と家族のルーツ
やっぱり執事が分かる。親がどこ。母親がどこ。
父親がどこ。父親の父親がどこ。父親の母親がどこって
たどると地方のイントネーションが家族の中で
未だに残ってるとかっていうことがあったりするんですよね。
僕なんかも父親は幼少期九州大井田やったり
宮崎で過ごしたからどこだらしにものの単語のイントネーションが
そっちの方のイントネーションやったりすることがあるんですね。そういうのは
面白いですよ。なんかそういうのがね
出てくる番組なんていうのはなかなかかわいらしいなと思ってね。
私も結構都市行ってますからあの若い方がちょっと地方の方言で
色濃く喋ってる番組を見るとやっぱりいいなと
思ってしまうというんですかね。うらやましいなとはまたちょっと違いますね。
距離、共同、愛している、大事にしているというのが
意識して出てるわけじゃないという
ところが面白さなのではないかなと。
意識して喋りゃね、なんだと嘘もつけるわけですけど
無意識に出てくるものこそそこに本音が出てるんではないかなと
いうふうに思うわけでございますな。
つんちゃんもね、この後の質問また違うものを
聞いておりますけども、まあなるほどな、そういうそこの出身
なんかなとかね、つんちゃんの親はどこの出身なんやろうなとか
三大そこですというのになってくると、ほんま
三大おりゃそこの地元やと言ってというような流れも昔から
ありますよってな。だから
そういうのを調べてみるのの面白さと言うんですか。お父さんお母さんは
地元やけど、お父さんのお父さんは実はどこどこから出てきたんや
とかね、お母さんのおじいちゃんは実はどこどこの生まれや
とかね、そういうのを知る一つのきっかけになると言うんですかね。
方言一つ取っても自分たちの
土地の大事さやったり、自分の家族、家族の
質字やったりを調べる一つのきっかけになると言うんですかね。
あると思います。僕なんかは大阪の市内下町から
京都の南部、京都と言えない京都に
引っ越したわけですけど、ほんとに同じ関西でも
その中で使ってる方言の流れが違う。面白いんですよ。
これは大阪の市内の下の方を言うたら
川内弁の流れもあれば千秋弁の流れもあるというような
大阪弁のところから京都の
南部行きますと、これは奈良弁。これは川内弁が変化した
奈良弁があって、奈良弁から来るのの影響を受けた
京都南部辺りっていうのはね、京都市内とは全く
言葉使い違うんですよ、実はね。こういう面白さ、土地の違いの
面白さもありますね。当時の交流流通
経路をたどると、実はこういう地方の人が多い
とかね、そういうのも分かったりするので
方言の流れが分かるというのは、これはどこの地方にもある言葉だと思います。
九州なんかも大きく、九州福岡あたりの
菊地県、熊本あたりですね、菊地県が
対岸北九州の方はほとんどその菊地県が占めてたと
これは方言の交流があるんですよね。大分県から南とか
また違うとこが占めてるとかなってくると、ほんの少し
大分、いわゆる東と西で九州弁の流れってちょっと違うんですよね。
近年に至っては関西弁の流れとかの勢い強いですから
影響を受けたような、あんまりしゃべり方に違和感のない
東側、西側に行きますともう全く九州
というような感じでちょっと分かれたりするという面白さありますね。
方言の変遷と地域の影響
方言の話も月に元言語学者の方やったりとか
方言学者の方の話聞いたらこれは面白いと思います。
専門の方知り合いいてまへんけども、つんちゃんなんかたくさん本
読みますからそういう本も中にはあるのかも分かりませんね。
ぜひね、そういう本も調べて読んでいただいたら、いろんな方言の
成り立ちやったりとかね、そんなんも興味がわけばですけど
調べてみるのも悪ないなと。僕も本屋行ったときに
ちょっと方言の本なんかあったら見てみたいなと。でも大体が
何々県の方言というような辞書のようなもの
というのが多いんですよ。大分県なんか行きましてもね、
岡井さんを大分で歌うととかね、そういうちょっと軽い立ちのものも
あるんですけど、今はもう使われなくなった大分
なんていうのもあったりとか、この徳島でもそうですな。
阿波弁、ほとんどもう年寄りしか使わないらしいですね。若い頃は
テレビの影響もありますが関西圏のテレビが映るので
ほとんど関西弁に近い言葉をしゃべっておりますな、若い人は。
ちょっと時折出てくる阿波弁の単語というのが
あるぐらいに感じますね。これはもう今の
流通・移動の
できやすいことで方言が
入り混じるというような出来事につながっているんでしょうね。
この方言面白いですよね。習ってみたい方言なら
本当にたくさんありますね。なかなかうまいこといきません。
この方言に慣れ親しんでいくことがすぐできる方、すぐ染まることができる方
というのは能力の高い方だと言われています。
これは大事なことですね。そうやと思います。できれば
きつい方言でしゃべっているポッドキャストがもっともっと増えれば
楽しいなと思う次第でございます。つんちゃん、これぐらいでよろしいですか?