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毎度、黙れヤドロクです。
こんにちは、お疲れさまでございます。
えーとですね、いろいろありますなということでございましてね、
ここんとこちょっと本当に前回の短編の朗読とか、気になる短編が多いやん。
それはもういろいろ読ませて持ってるんだ。
短編っていうのがええわ。長いのはもうようやまんねん。
今まだね。
で、やっぱりちょっとおさむちゃん。
ここで言うおさむちゃんって太宰治のことね。
おさむちゃんのね、やっぱちょっとピンとくんねんなこれ。
ただ言うてそれ絵描くつけてんじゃんかと。
言われる人の気持ちはよくわかります。
せやけどね、感覚に似たような人やったらこれ読んだらちょっとピンと
くるんちゃうかなあ言うてね。
思います。どうですか?
あの青空文庫ってね、なんか検索すると
OK、短編僕がどこから引用して読んでるかっていうのはわかると思うんですよね。
なんかね、やっぱり引っかかる。いろいろ読んでみてるんですよ。
順繰りにね、短編やからすぐ読めますやんか。
何分ぐらいで読めるもんやから。
いろいろ読んでいってるんですよ、中には。
そのうちやろうかな思ってるけど、北大寺三人ですか。
食通で有名なね、あんな方が納豆お茶漬けの食べ方みたいな。
美味しい食べ方みたいなね。そういうのやっとはったり。
面白いですよね。レシピ的な。どうやって作るかみたいなことを書いてはるやつがあったりとかね。
いつかそれもやろうと思うんですけど、納豆好きがおるかっていうそのね。
僕はもう大好きなんですよ。
お金の許す限りのあとご飯食べたいぐらいの好きですね。
嫌いではないです。それもね、大人になってから子供の時なんだよ。
くさり豆言うてたやん。
くさり豆誰食うねん言うてたわ。言うんだけど。
大人になったら急に好きになったよね。何やあれ。
あの年いってからの味覚の変化怖いね。
もうちょい前までもいいな。
好き嫌いはあんまり言いたないけどもさ。
食べれんことはないよ。
食べれんことはないけどな。好かんなあ。
言う思ってたんが心の中は人には言わん。子供がおるからね。
言わへんけど。
何これ。
何でこんなに美味しいのこれ。
そんなによぼけ出てくんねん。試してみて。
まあやっぱり人間年をとってきたら食わず嫌いになってるからね。
短編小説の話からだんだん離れていきますけども。
そんなこと言うてやんと。
次に何個かピンと来てるんですけどね。
明るいってことは前回のトトについては
なるほどなあという部分もあるんですけども。
今回のやつに関しても
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自分とは考えはちゃうんやで。
ちゃうんやけどこの人やったらこう感じるのかという
あれがよくわかるというのかなあ。
おさむちゃん言うて。
言うてるかもしれん。
読んだらね。おさむちゃん言うてるかもわからんけども。
さあ怒られるで。
ダザイファンにね。
何度も言うんやけどダザイファンがダザイを愛するのは
なんとなくわかんねや。
なるほどなあと思う。文学の素養なんか一切ないよ僕。
何もわからへん。作者の気持ちは
どうですかいう答えなんで。
いつもそんなん個人の考えから知らんって書いといた人やからね。
そんなんもわかるかいなあ言うて。
誰か聞いたんか言うてね答え。
作者は何を伝えようとしてますか。知らんがなあ言うて思ってたタイプ。
本人に聞いたらええんがなあ言うて。
そんなんもそれが一番早いがなあ言うて。
だから本人に大体聞いたら
そんなん伝えは思ってへん言うてる可能性あると思ってたんよね。
まあでも国語大好きですよ。
でもあくまで国語のレベルやね。文学とか
純文学とかややこしいこと言われたら何もわからへん。
みなさん同じだと思うけど
こうやって短編とかで
小説書くような人がパパッと書いてるような
読んだときにこの人となりてわかって
自分らと違えないなあと言うようなことが
わかるような気するんですよね。
意味はちょっと明るないねん。明るないねんけど
なんかねえ
おさむちゃんって言いたくなる感じある。
聞いてください。
織田くんの詩
織田くんは死ぬ気でいたのである。
私は織田くんの短編小説を
二つ通読したことがあるきりで
また会ったのも二度。
それもつい一か月ほど前に初めて会ったばかりで
特別深い付き合いがあったわけではない。
しかし織田くんの悲しさを
私は大抵の人よりも
遥かに深く感知していたつもりであった。
初めて彼と銀座で会い
なんてまあ悲しい男だろうと思い
私も辛くてかなわなかった。
彼の行く手には死の壁以外に
何もないのがありありと見える心地がしたからだ。
こいつは死ぬ気だ。
しかし俺にはどうしようもない。
先輩らしい忠告なんて
いやらしい偽善だ。
ただ見ているより他はない。
死ぬ気で物をかき飛ばしている男
それは今この時代にもっともっとたくさんあって
当然のように私には感じられるのだが
しかし案外見当たらない。
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いよいよくだらない世の中である。
世の大人たちは小田くんの死について
事情が足りなかったとかなんとか
下り顔の批判を与えるかもしれないが
そんな恥知らずのことはもう言うな。
昨日読んだ辰野氏のセナンクルーの紹介文の中に
次のようなセナンクルーの言葉が記されてあった。
生を捨てて逃げ去るのは
罪悪だと人は言う。
しかし僕に死を禁ずるその同じ気弁家が
時には僕を死の前に晒したり
死に赴かせたりするのだ。
彼らの考え出すいろいろな確信は
僕の周囲に死の機会を増し
彼らの解くところは僕を死に導き
または彼らの定める法律は僕に死を与えるのだ。
小田くんを殺したのはお前じゃないか。
彼のこの旅の救世は
彼の悲しい最後の抗議の歌であった。
小田くん、君はよくやった。
どないですやろか。
明るいことじゃないんですよね。
二度ほどその人の書いたものを見て
その人の心に持つ人となりに気づく
その彼の死に関して
自分の思うところというのかな
これ今と何にも変わらへんね
この人がつい先月書いたと言われても
色褪せへんって言い方おかしいかもわからへんけど
なんかもうつい最近書いて
言うてるよりも聞こえてしまうというか
人間のやることっていうのは
いつの時代も変わらんねえなというのが
この文を読んだ時に思ったよね
こんなことあるやん全然って
グッとピンとくるという言い方を
出るかどうかわからへんよ
だけど起きません?
グッと来てもうたなと思って
褒められることはないとは思うけど
最後のおさむちゃんがね
おさむちゃん言うてええもんやろ
まあええけど
織田君よくやったっていう言葉
すごいなあと思うんですよ
自分でそこに結末幕を引く
そこへ向かっていってる人間
自分にはもう何か軽いこと言うたっても
これは偽善にしかならん
何の解決にもならん
最後の最後にできることは
その人の生きざまを認めること
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そしてその人の死に対して
よくやったと褒めたたえること
これは弔いやなと思うんですよ
葬式に出たとかね
出やんとかそういうことじゃなく
この文の中に弔いがあると
何となく思うんですよね
そんな知らんねんで
知らんねんけど
2回しか追ってない中で
彼の何かを読み取る能力
人を見る書き物を見て
人を見る力というんですか
やっぱりたけてるからこそ
小説家なりなんなりはできるんやなと
自分には全くない能力やねん
人を見る能力もないねん
人が喋ってる中で
素直にそのまま受け取ったらええな
その人の奥にある
しんどさとか読み取る力なんか
全くないからこそ
これにピンとくるんやと思う
自分にある能力やったら当たり前やがなと
通り過ぎてまうような気がする
自分にはないからこそ
おさみちゃん言うてんねん
なんとなくね
今の時代でも
この言葉もし自分が小田くんやった場合
この最後の
よくやったという言葉に
救われる気がしてしまうねん
幽霊みたいなものになってたとして
これを言われたときに
これこそ弔いやなと
思ったわけでございます
読み物としてというよりは
おさみちゃんの話聞いてるような感じ
たまらんなというふうに
思うわけでございます
世の出題ファンはもっと深いところで
入っていっていろいろ考えたりして
読んでるんやと思うんですけど
僕なんかは文学に興味なく
短編なんかを読ませていただいて
この人の魅力にくっと惹かれちゃう
やっぱりこれすごいもんやなというふうに
思うわけでございます
どうぞね
ただいおさみおさみちゃんに
興味が湧いた方がおられたら
僕みたいに文学のそよなんかなかったって
この人の文章なんかちょっと心惹かれるな
書くやなしにそんな思っていただいて
読んでいただいたらいいなと
お前読むんか言われたらね
もうちょっと時間いりそうやけどね
影響は受けそうな気するんですよね
これあんまりもうしんどいやんか
影響を受けたらやっぱり
この人のほうが影響を受けそうやなと
だから短編ぐらいに止めといたほうが
いいんちゃうかなと思う作家さん
そんなふうに思うわけでございます
もちろん私なんちな額のないもんでね
あんまり額をつけてくれて
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朗読なんかしてなさそうですね
そろそろですよ
いろんな方からね
最近ちょっと調子乗っとられないや
ええ?言うて
もっとアホな話して
黙れや朗読
言って怒られそうですね