1. 黙れ!ヤドロク!!
  2. #187 卒業シーズンですな・..
2024-03-14 14:13

#187 卒業シーズンですな・・・

三男の卒業に・・・

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毎度黙れ、ヤドロクでございます。お元気ですか?ということで、元気になっていただきたいと思っておりますけども、どうですやろう。本日3月の真ん中あたりなんですけども、私ごとでございますが、産男が小学校を卒業いたしましてね、この間、次男が高校を卒業いたして、産男が小学校を卒業するということでね、
これでちょっと何か一区切りというんですか、やっぱりちょっと考えてしまうというんですか、あんまりその場でどうこうということはなかったんですけども、見てましたらやっぱりいろんなことを思い出すというんですかね、上の校から。
じゅんぐりにじゅんぐりにと言って、もう3回目なわけでございますけども、何やろうね、親であるというようなことの認識ということで、なかなか男をやってしまうのはないときが多いんですけども、子どもの成長というんですか、わかりやすくこういう区切りがありますと、いろいろ考えることはあるわけでございます。
この後、あとどれぐらい何がしてやれるというようなこととかね、考えてしまうわけでございます。町南のときはもう町南はね、結婚して生活しておりますから、次男も就職が決まりましてね、これもバダバダしておりますけどもね、産男が小学校卒業と中学校に上がるとあっちうまいなというふうに思うわけでございますが、私も今年50になります。
あとどれぐらい子どもらの成長を見てやれるんやろうというふうに考えたら、不接生しておりますからね、どれぐらい生きれるかなと考えたときには、多く見積もって20年ぐらいかなというふうに思うわけですよね。約ね、まともな感じで見てやれるというかね。
あと20年も経ちますと、一番下の子で32、3と言ったら、まだまだこれからというような年齢ですわな。その後どんなになっていくんやろうなというのは気になるわけでございます。もちろんこの番組っていうのは、基本的には小山子、ひま子とかに残すデジタルタトゥーとしてね、やっているわけでございますが、その後にこれを聞くことになるのか、聞いて果たして何か感じることがあるのかというようなことでございましてね。
何か残していきたい話ってあるんか言われたら、まあ大してないわけですよ。大してなかったとしても、人間ちは生きてるだけで価値があるなというふうに思わせてもらえたというのが僕の感想なんですよね。
子供が居るということを一つ、自分がこの世におったというようなことの証にもうすでになっていると。これは居らなくても自分でそう思えるものを見つけるだけのことだと思うんですけど、居ることで僕は何の自分の実力や能手もこの世におったというようなことの証になっているわけでございますね。
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子供から嫌われようとも、親は親なわけでございますけども、いろんなことをそんなふうに考えながら卒業式を見てたというんですか。
ちょっと今通ってる小学校は人数があんまり要件いてない小学校でしてね。田舎の卒業式は人数が少ない分一人一人に渡すやつがあったりね。
高校のほうまで行きますとやっぱり人数いてるんで、代表の人が卒業証書をもらったあとはみんな名前だけ呼んでみたいな感じなんですけど、
小学校は少ないもんでね、一人一人受け取りに行く。あれやっぱりいいよね。
ああいうのを見せてもらうっていうのはありがたいなと思う。考え深い。
いろんな小学校、僕も一度転校したりしてますけども、卒業証書を取りに行く前に一言ね、
自分の親とか兄弟に向かって一言言うシーンがあるんですよ。こんなのあったかなと思いながらね。
まあでもない、こうでもないといろんな子がね、お父さんお母さんありがとうございますそうなんでね。
あんなもん泣かしにきとるがないってね。泣いてる人見ようかなっていうのは余裕もなかったんですよ。
自分の息子のことで手いっぱいでね、そりゃその子なんかでも上手に言う子もおるな、
ええ声で言う子もおるなと思いながらね。歌がね、4回ぐらいありますね。
なにこれ、ライブ?って思いながらね、送る歌であったり、旅立ちますとすたちの歌であったり、
なんかそういうので4回ぐらい歌うんだけど、在校生の割り台詞なんかもあったんですよ。
まあ人数少ないからやろうね。在校生の割り台詞もね、1年生ぐらいの子とかちっちゃい子が言うの可愛らしいね。
覚えたな、頑張ったなとありがたいなというふうに思いながら見させてもらっててね。
そっから比べたらやっぱり卒業生、6年生っていうのは立派にしゃべりますよ。
また自分の息子も声代わりしてて、大きい声出したら太い声なんですよ。
なんかね、そこでまた成長を感じるというんですかね。そういうようなことが今日ありましたというようなことでございまして、いろいろ考えますな。
みなさんもね、今まだ赤ちゃんでね、お育てになっている方おられますけども、
もうそういう楽しみっていうのはこれからじゅんぐりじゅんぐりやっていきますよ。
保育所、幼稚園の入園卒園があったりね、小学校の入学がある、小学校の卒業、中学校の入学を見よーくやりますし、
その都度子どもの成長というんですか、こういうのを見て感慨深くなるというようなこと、このときもそうでしたわ。
親の思うようになんて本当におこがましいなと感じるようなことがありますね。
小学校でその子の人生があって、どんなにしていっきよんねやというようなこと、今でも長男のことでも心配で考えることありますな。
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僕なんかに心配されても、あんたなんかに心配されても、あんたよりまともに生きるでと言われたらそれまでなんですけどね。
人生経験というのは人それぞれありましてですね、心配するところも人それぞれあるわけですよね。
自分はうまいこといかへんかったけど、なんとかお前はうまいこと言ってくれというようなとこで、ちょっとこういうものを言いたくなるというようなことでございます。
子供は子供の人生ですから、そこはスッと通り抜けるというようなことだと思うんですけど、えも言えぬところで引っかかったりね。
結構ね、自分のお家族の話じゃないですが、よそさんのお話なんか聞いててもね、
こんなんこんなんうちの息子にあって、生体マッサージなんかやってた時期もありますからね、お客さんのお話たくさん聞くというのもあったんですけど、
なんかうちの子、こんなん言うてやってこんなん言うてやって、心の中ではね、それはあんまり言わないな、あんまりそういうのにあかんでって思ってても、
やっぱりお客さんのお子さんがね、チョイスしてることに口出されへんから、ああそうですか、ああそうですかというようなことを言うしかないときっていうのはあるわけですよね、お知り合いの息子さんとかでも。
でまぁ後でやっぱり失敗したっていうのを聞いたりしたら、ほらーほらー言うたったほうがよかったかなというね、まぁ本当は口出したらダメなんですよ、ダメやけど、あれぐらい言うたってもよかったんかなとちょっと後悔したりすることもあったりしてね、
いやーほんまにね、人の人生っていうのはちょっとしたことで変わるんやと思うんですよ、だから声かけて声かけてね、なんとかその失敗せんようにあんまり変な失敗せんようにというふうにやってあげたいなと思うときあるけど、
なかなかんな、うまいことできませんな、運命っていうのがあるんかなと思ってまいますね、人間それぞれ運命があります、関わる関わらんがあります、やっぱり自分もねいろんな人の人生に関わっていこうとするタイプなんですよね、せやからろくなことないと言われるんですよ、
やっぱりね、その人が本来行くべきだった道というものがあるのかもしれんよと、あんたが関わることによってその人の道を歪めてしもてるときはあるかもしれんと言われたら、まぁなるほどなというふうに思いますね、良いこと悪いこと別として結果はどうあれ、人の人生に関わるというのは本当にそれぐらいのことなのかもわかりませんな、
今でも、もともと僕は後悔のない生き方をしてくる人間だったんですよ、後悔はしたくないというような生き方でやってきて身勝手に生きてきたわけでございますけども、
やっぱり関わっといてよかったなと思ってほしいと思ってる願望が強いんでしょうな、
ほんまは関わるべきでないことのほうが多いというようなことだと思います。
よくそれでいろんな人に怒られるというんですかね、叱られるというんですかね、そういうことがあった人生だったなというふうに思います。
あの子もいらんこと言わんと失敗するときは失敗させたったほうがええねんって言うようなことも多々あるんやけど、僕はね、知ってる人が失敗するのを見てるの嫌なんですよ、やっぱりね。
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それはよくないと、よっぽど人生がおかしくなるような失敗でない限りは、声かけたらあかんねやでというように言われたらなるほどなというときありますね。
それは向こうから助けてくれと、何かいいアイディアないかというふうに言われたときには何か答えてあげるべきかもわかりませんけど、
何も尋ねられてへんのに自分から教えていくというのはおかしな話だというふうによく言われますな。
本当にかまってほしい代わりにかまっていきたいタイプなんですね。ろくなことはないというふうに言われますな。
そんな人生で生きてきて50年、自分の息子が育ってくるにつれ何かに関わりたいと思ってしまうのは、これは自分の性格の悪いところなんでしょうな。
この子らが一生懸命生きていくのに、見えないところで手助けすることができれば一番いいんでしょうが、その見えないところっていうのがわからへんんだよね。
見えててほしいと思っても思わないよね。お父ちゃんが俺を追いかけて助かったわと言われたんやろうな、これ。
ここがよくないなというふうに改めて思うわけでございます。
皆さんもね、今こういう卒業シーズンであったりとかですよ。
もうそろそろしますと転勤やったりね、部署が変わる、転職、年度が変わるということっていうのは何かしらいろいろ変わりますわな。
そんな時期に入ってきております。
皆さんの周りでも生活が変わっていく人がおられるかもわかりませんからね。
区切り不死命というようなものがありますが、何かそういう時期にきてるんやな、日本の場合はこれが年度末から年度明けにかけて起こるわけでございます。
総正月もありますが、またそれは違う。
節分もあります。
この3月4月中のもありますね、いろんなことが起こるなというふうに、そこから変えていこうというふうにね、なんとなく思うのも、
これはまあ子供の頃から年度年度で生きてきたというようなこともあるんでしょうね。
外国の人からしたらわけわからんのでしょうな、なんでそんな4月やねんというようなことなんでしょうけど、日本の場合はそういうふうにやってきてますから。
僕ら4月になったらなんとなく新たな気持ちでまた年度が始まるなというような感覚があるもんでございますからね。
ぜひ皆さんも人生の区切り、いろいろあると思います。
国の周りに大人になったら、自分はもう学校なんか出てしもてるから、区切りは年度ぐらいやというふうに思われる方もおられるでしょうけども、
だんだん子供できたり、結婚なされて子供できたり、できあんでも夫婦で過ごしていく中で、
年度の始まりというようなことっていうのはまた何かしら変わっていくんじゃないかなと思うわけでございますね。
政治やったり制度、法律というのも4月一筆飛行とかいろいろありますからそういうのもあるんですよね。
だから皆さんもこの4月からまた新たに何か変わる人がおられたら楽しくやっていただきたいなと思うわけでございます。
1年に何度もそういう節目がやってくる国でございますね。
細かく分かれたらもっと分かれるんでしょうけども、4月がもう近づいてきておりますな。
12:05
4月になれば僕も50歳になるわけでございますね。
半世紀生きてきていろんな経験しておりますが、
面白いことに人間というのは人の経験、いろんな経験してるはずなんですよ。
10人いれば10職10人トイロといいますな、経験して、
この人はこういうとこに長けてるというようなことあるはずなんですけど、
自分の思ってる特定のとこに長けてる人にだけ興味が示す、
これは当たり前のことだと思うんですけども、
その以外の人間も自分の知らんいろんなことを経験してるよというのは、
なかなか認めへんもんですね。
そういうふうに思います。この人はこの人なりの生き方があるんやと。
僕も類に漏れず、自分の強い人のところに興味がいくのはあるんですよ。
あるんやけど、要考えたら自分の身の回りにいる人みんなそれぞれの人生を生きてるので、
自分の知らんことを知ってる人のほうがほとんどやと。
当たり前にというようなことやなというふうにやっと思えるようになってきた、
50歳手前のおっさんでございますな。
そんなわけでね、何かこう節目中な考え深くなると言うんですが、
いろんなことを考えさせられるようなときですね。
3月、そんな時期なんかな。
これは日本人だけなんかもわかりませんけどね。
やっぱり日本に生まれて育つとそういうふうになるわけでございますね。
皆さんも何かしら考えていって、生きていただきたい、
元気でやっていただきたいと、何にもまとまってませんけども、
なんとなく今日はそんな気分でお話しさせていただいたというようなことでございます。
これは怒られるというような類の話ではないですよね。
そう思います?
どう?
なんかこういろいろ言葉を選んでいるような感じしますけど、
たたたた何にも思いついていないだけでございますけどね。
それでは皆さんね、年度末でございますよ。
切り替えましょうな。
そろそろね、いろんなこと。
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