1. 黙れ!ヤドロク!!
  2. #181 「会食恐怖症」という..
2024-03-08 26:06

#181 「会食恐怖症」というものがあるらしいです!

色々考えなあきまへん!

00:06
毎度お黙れ、ヤドロクでございます。
元気?元気は耐えれねえんで。
まあまあまあ、そうかいなあ。
ちょっと元気出していこうか。
そんなわけでございます。
本日はですよ、ちょっとね、初めて耳にする言葉、ありますわなあ。
この年なってもね、あるんです、たくさん。
会食恐怖症という言葉をネットで見つけまして、
見た方もおられるかもわかりませんけども、
この原因というのが子供の頃からの間食指導にあるんじゃないかという記事を見まして、
なるほどなという部分もあるということでございます。
会食恐怖症というのはどんなもんかと言ったら、
人と食事をしたり、あるいはその場面を想像したりすると不安感に襲われて、
吐き気とか動機とかね、めまいなんかも出るというようなもんらしいんですね。
食事なんてね、誰らからしたら楽しいことでしかないんですけども、
その食事そのものがストレスになってしまうというようなね、
食に関して関心のないというようなお子さんもたくさん、
僕らの頃よりは増えてるような気がしますけども、
時代の流れというんですかね、
SNSを中心にそういう声が多く上がっているというようなことですね。
これが社交不安症、SADというような症例の中の一つと、
すごい名前ですな。
社交不安症。
人と社交的にコミュニケーションを取るのが不安の根源であるという、
誰にでも起こり得るというようなことらしいんですけどね。
まあ家族やったり、友人やったり、恋人やったりとかね、
影響はただ出るでしょうなというようなことでございます。
テレビ局が取材したところによりますと、
この原因の多くというんですかね、
これはもう子供の頃の給食の完食指導やと。
中にはやっぱり昼休みに残されて、
ずっと一人で机で食べさせられてる子がおったわね。
僕らのときもよく言ってましたね。
何人かおったら、それはそれで違うのかもわからないけど、
一人だけ残されて食べてる子っていうのは言ってましたね。
脅迫関連というのが生まれるんですね。
食べなあかん、食べきらなあかん、残したらあかんというね。
これは僕らの世代なんかしつけとして、
けっこうそうやったと思うんです。
いろいろ思い出したりとかね、
小さいときのことですから、
もう何十年も前の話ですからね、
なかなか思い出さないと。
僕にも一回だけね、
基本的にひまんじでしたから、
何でもよく食べて、一人よく食べるというようなことをやったんですけど、
03:00
幼稚園の年中3か年長3かのころに、
お弁当を家から持って行って、
これお弁当の内容もあるんですけどね、
蓋を開けたらご飯に卵焼きしか入ってへん弁当やったんですよ。
半分卵焼き半分ご飯というようなお弁当。
今でも忘れへんね、子供のころのことってね。
それを食べられへんかったよね。
卵焼きだけでは、子供のころやからどういうふうに思ったのかわからへんけど、
やっぱり食べきるまで、
ずっと先生がもうそこで食べてなさいっていうような感じやったよ。
これはしつけのひとつやと思うよ、悪気はないと思う。
で、結局部屋の中を掃除することになって、
廊下に出されて、それでも食べみたいな感じでやらされた記憶があって、
その後食べきったかどうか覚えてへんねんけど、
今でもそのたった一回のそれをよー覚えてんね。
っていうことはですね、
僕はトラウマにはなってないんでしょうけど、
記憶としてはきつく残ってるというようなことね。
なんかそれの取り組みに対して、
食べなくてもいいカフェみたいなね、
そういうお店をやられてる方もおるみたいですけど、
確かにね、この会食業障っていうのが、
まあ症例はいろいろあると思うんですよ。
どのレベルでダメやというのがね、
あれやけど、いろんな形の出方というんですかね、
結構大きくなってからも、大人になってからも、
このストレスで出るようになるみたいなことを言うてますね。
例えば社会人になってからでも上司からバッと頼んだものが、
量が多かったんかお前若いから食えも含めてね、
食べ昼までお前あれや言うてね、やられたりしたんか、
もう苦痛で、ストレスでというようなことが、
その会食業障につながっていくとか、
いうようなことみたいですわな。
ちゃんと日本会食業障克服支援協会という協会があったりとか、
するみたいなんですよね。
人間は弱くなってる、今どきの子は弱いなんて関係ないかもわからへんね。
僕も子供のときの記憶、ものすごく残ってるということはね。
ただまあ、私はそんなきつい、それが残らへんかったんやというような感じとか、
やっぱり出されたものは残さなあかんというのは、
しつけの一環としてやってきたんやけど、
考え直さなあかんのかなと、
一人一人感じ方が違うというんですが、
まあうちでも家でもね。
やっぱり僕が食事を作って子供に出して、
口に合わんかったんか、もういらんみたいなときに、
最後まで食べなさいっていうような指導をすることっていうのはやっぱあるもんなと思って、
これ考え直さんなんなというようなことも思うわけですが、
一方ね、やっぱり世代世代間、上の世代の人らからしたら、
アレルギーのお子さんとか、自分もアレルギーがあったりとかというのは、
多く出てきてるというんですか。
そんな考えたら、やっぱり食品の中にそれが含まれてるのを気づかへんかったら、
06:03
あれやっぱり人としてはね、
アレルギーのあるものを食べるとピリピリしたりとか、
感じる人もおるんやと思うんですよ。
それを感じたときにはもう食べんのやめなさいという指導も、
していかへんかったらあかんねやなというふうに思うんです。
もちろんね、今の給食なんていうのはアレルギーありませんかとか、
いろいろ聞いて作ってはるんですよ、一生懸命ね。
やっぱり料理作った人、その材料を作った人、
特にもともと農業も従事してましたから、
作ったもの残さず食べていただきたいという気持ちっていうのは、
本当に農業をやってる人間からしたらあるし、
ましてや調理してる人からしてもあるんですけどね。
この、給食恐怖症みたいなものに、
トラウマになるぐらいの強要というんですかね。
こういうのを与えるっていうのは良くないなと確かに僕も思いますわ。
これ簡単だね。難しいとこですね。
遊んでてお腹いっぱいやとかね、
お菓子食べすぎてお腹いっぱいやからいらないみたいに残すっていうのを指導できへん。
でも無理やり食べさせるのはどうやと。
難しいこっちゃなというふうに思うんですよ。
それを限度を超えるのか超えへんのかということもあるんですけど、
個人個人、自分のお家やったらね、
自分の子供のことを把握してよそったりしますから、
量も調節できるんですけど、
なかなか団体行動の中では難しいですな。
だから給食のあり方っていうのも、
戦後なんていうのはね、
みんな一律に栄養を取らせようというようなね、
ことも含まってたので、
分かるんですけど、今っていうのはもう本当に、
自分の食べれる量をよそうというような、
食育というね、今ね、
お弁当の時間とか給食の時間えらい短いね。
僕らの頃より短くなってるような気がするんですよ。
なんかね、時間の感じ聞いてたら、
10分15分で食べなあかんというような、
タイムスケジュールに学校がなってるような気がするんですよね。
その辺のこととかも考えたら、
個人個人がよそったりしてたら、
時間ものすごくかかりますわな。
嫌いなもんはいれへんかったりとか、
っていうのが出てくるんやろうけど、
この辺の指導のやり方っていうのは難しいけど、
自分が食べきれる量をきちっと食べて、
達成感というんですかね。
1回の食事を済ましたというようなこと。
なんで少なく取れば食欲がそんなにないんかとか、
そういうことも踏まえて見ていける感じっていうのは、
難しいんですよ。
ものすごく時間かかると思うね。
でも、言うたら学校の終わる時間が、
大体6時間目まであって、
3時45分とか40分とか、
そのあたりだったら4時40分くらいまでかかって、
かまへん境にお昼、
みんなで自分の食べきれる量ってどんなんやろうって、
1回その話し合いをしたりとかして、
小さい時からね。
なんでこれが食べられへんやろうとか、
おいしく感じひんやろうとか。
作ってる人の姿を見せるということとかね。
給食やったら土地のものを仕入れたりとか、
09:01
そうしますからね。
このキャベツは何々さんが作ったもんですよって、
これは食育ですわな。
こういうのをして、
一生懸命こうやって作ってねんで、
おいしく食べてなって言われたら、
やっぱり人間でね、
あの人、おっちゃんが作ったんや、
おいしそうやな、
言うてね、
食べれたらええなという、
この気持ちというんですかね。
給食のおばちゃん、
給食のセンターのお兄ちゃんが来てね、
一生懸命こうやって考えて作ってんのよ、
という話したら、
おいしく人間って感じるようになってくるというかね。
アレルギーあるものは省いて、
何々ちゃんアレルギーあるから、
これは省いてあるからねって安心感とか。
やっぱり食事を楽しくとってほしい子どもらには、
うちの子どもらなんていうのは、
食べるの嫌いじゃないですからね。
米の醤油量も多いですから、
あんまりそんなこと考えたことないんですけど、
やっぱりボスも僕もおいしいもの食べるの好きやし、
なんか子どもらにもおいしいもの、
これでおいしいやろ、
うちの産卵なんかは好みきついから、
なんかもういらんもんはいらんよって言うんですけど、
それももう無理矢理して、
食べさせるというようなことはやっぱりしてないですね。
人間の好みというのはありますからね。
なんかね、
過保護なんやとかね、
考え方いろいろあるとは思うんですよ。
せやけども、
食べきれる量を食べるというようなやり方のほうが、
悪いような気がしますね。
無駄に持って、
無駄に廃棄するというようなことも減らすためには、
そういうのやり方っていうのがあるかなとか。
これがね、
言うたら周りの人と一緒に食べてるということを、
できへんくしてしまう症状があるんやとしたらね、
やっぱり食事ってみんなでわいわい楽しくやるもんやで、
というような教え方。
例えばイングルエンザやったりとか、
流行性の風邪が流行ったりとかしたら、
黙食というんですか、コロナの時もありましたね。
黙って食べるというようなことの指導も、
なんでそれをするんか、
ちゃんと理解するように、
ただただ、
今日は黙って食べるとか言うのはあかん、
というようなことですね。
こんなん考えたら、
子どもの教育やったりしつけっていうのは、
複雑化してますはない。
僕らが育った時よりも、
もっともっと細やかな、
なんか補助をしていかなあかんのやないかと。
今PTAの問題やったりとか、
いろんなこと言われておりますけども、
親がやっぱり結構先生に、
問題をモンスターベアレンスみたいなね、
そんなん言われて文句ばっかり学校に言うていくと、
しつけすんのも学校やないんかというような、
親が結構おるというようなことを言いますけども、
それを言うなら先生に権限を与えなあかん、
ってなってくるわけですね。
昔はあったんですよ。
権限というか権威があったというふうに思うんですよ。
先生という名前がつくわけですから、
尊敬の対象やったわけでございますね。
12:01
それがもう昨今そういうことやないというふうにするならば、
親がもっと学校に介入しなあかんような時代というんですかね、
文句言うだけじゃないんですよ。
こういう取り組みにできませんかとかっていう提案とか提示、
そして具体的な例、
全国のどこどこの学校ではこういう教育職域をやってますよとか、
こういうの取り入れることはできないですかって試験的に、
協力していくというようなことは大事なことですね。
少子高齢化してますから、
子どもの数は極端に減ってきてるわけでございますから、
できれば少ない子どもを大事に育てるというしか、
もう今はできないわけですよ。
もうそういう時代になって、
運命を増やせよがもう国の施策としてできへんわけでしょ。
3人以降は大学費全部無料とか言うてますけどね。
そんな大学生になるまでに、
あと18年、20年近くかかるわけだ。
それまでの補助が大事なわけですよね。
子どもを増やすというようなことって、
住みよい国にせな、子どもっちゅうな、
お金かかりすぎることとかね、
何でも何でもお金やというようなことになっとるわけで、
これしかならないことだと思うんですよ。
思うんやけどね。
田舎には田舎に行ってゆっくり子ども育てたいと言うてよ、
そういう人らが普通のことやねんけど、
急にテレビで取り上げられて、
こういうライフスタイルとか、
かっこええとかかっこ悪いとかちゃうねんと。
食べ物大事にするとかね、
そういう職域をしたいと思ってやったる人もおるわけですから。
案外普通のことやねんと。
だけど、じゃあ都会に住む人らはそれができへんのか。
そんなことないでと。
でも親はお金を稼がない。
都会の中では物価も高いし、
暮らしていくのに困るから両親一生懸命働いて、
子どもに教育委員会誘わもってお金かけてと。
やるわけですわな。
なんかどっかでずれとると言うんですか。
これ僕が言うたとて何にも変わりまへんで、
僕もそういうふうに思うと、
子どもの環境というふうに考えました。
僕らももう今、農業従事者から離れましたから、
別に四国徳島に住んでる意味っていうのはあんまりないんですよ。
僕とボスだけで言うたら。
だけどやっぱり子どもの環境を見たときに、
二男がこっちで就職するというようなことであったり、
三男があんまりストレスなく学校に通えてたという状況を考えますと、
子どもにとってはいいんですよね。
二男なんかも、ほんまに勉強せんかったよね。
びっくりするぐらい。
宿題やってきてないんですよって中学校のときに京都で聞いたら、
宿題なんかないって言ってましたけど、
やりますよって言って。
全然やってへん。
大丈夫かと。
お前めっちゃ嘘ついてるやんと。
いうふうなことが分かったりとかね、学年末に。
へへーって言って。
大丈夫?って思うことあったんですけど、
それがこっち来て、
クラブ活動とかも途中でパチンと切ってこっち来て、
クラブまたやるか言ったら、もうクラブいらんって言ったんですよね。
15:03
お前クラブぐらいはやらなあかんのちゃうかって。
クラブやらへんやったら気が楽やというようなことらしいんで、
中3の途中コロナもありましたから、
もうほとんど時期のないとこにやってきたからやる必要性もないかなと思って、
そのままもう行けと。
いうようなことをしたらね、
その間になったらテストの点が上がってくる。
お前どういうことやろこれはと。
目抜いとったんかと言うたらね、
いやもう剣道やっておったら何も考えて嫌になるって言うからね。
剣道部やったんですけど。
そうかなと思うんやけどね、
これ本人の中のことやから。
うん、しゃあないわと。
それで高校そのまま行ってお前クラブ活動せえへんのか言うたら、
美術部かなんかに一回入ったんですけど、
もう途中でええわ言うてやめたらテストの点が上がってくる。
やることないから勉強してるみたいな感じやなと思ったんですけど、
それはそれで成績良いことを文句言おうやっていうのはおかしなもんですから、
いやなんやなというふうに思いながらも、
ずっと成績良くてね。
最終的にこの間卒業のときの通信簿ですか、
今何て言うんですかわかりません。
励みの記録と言うんですか。
高校生やから通信簿でええんかな。
通信簿見たらね、ほぼオール5なんですよ。
5段階でね。
1個だけタイク4。
なんでやねん。
こんだけ自転車で山道通ってきてタイク4ってどういうことやねんって思いましたけど、
ほぼオール5。
タイクだけ4って言うね。
逆に気になるわと。
お前タイクの時間何しとったんじゃと。
いうふうに思ったんですけど、
これはもう親の自慢ですよ。
こんなことありえへんと思ったからね僕も。
真面目にやっとって。
クラブやらへんかった全然。
他にやることないから勉強やってたみたいな。
変わったやつやな思いながらね、次男がね。
本当に田舎ですから小クラス、一クラスしかないんですよ。
一学年。
みんな周りが、うちは成長がゆっくりですから、
周りがものすごく助けてくれるし優しいんですよ。
それは田舎のいいとこやと思うんですね。
子供の頃から一緒に育ってきてる子らばっかりですから、
その中の子がポンと入ってきたら、
それをみんな仲良くやってくれると言うんですかね。
なんかそんな感じでやってるんです。
中学校見に行ったりとか見学行ったんですけど、
中学校はちょっと南高科が終わった土地が違うとこが集まってくる境。
なかなかちょっと雰囲気がね、また変わるでしょ。
そのときに支援学校も見に行ったんですけど、
支援学校のほうがちょっと本人にはストレスなくいけそうやなということで、
三段支援学校のほうに行くってことになったんですけども。
やっぱり本人に追うた環境を見つけるっていうのって、
簡単やないなと。
親が足でやっぱり見に行かなあかんなっていうのもよくわかりましたし、
親の都合で住むとこっていうのはもちろんこれは大事なことですよ。
サラリーを受け取るというようなことがないと生活できないわけですから。
でもそれだけで見てはいけないなというふうなことで選んでるわけでございますよね。
18:04
もう何も言う必要ない個人的な情報を言うとおりますけども、
ほんまにちょっとしたこういう会食恐怖症とかを、
ちょっとしたきっかけで発症してしまう。
こういうことにならないようにというふうな考え方もありますし、
それをストレスを強く感じたときに説明していく時間を取る。
この時間を取ろうと思ったら、
友場だらけじゃないと生活できないから子供としゃべる時間っていうのは取れんというのは、
現実問題でお金かかりすぎるというようなこと。
だからなんとか税金避けたり、補助を手厚くするということをするしか持てないんでしょうけど、国としては。
今回でもいろいろ政治的なこと言われてるんですが、
僕はもう政治なことは何にもわからへんので、
もう言う口は何ひとつ持ってないわけですよ。
だけど僕らは行政のやって持てるサービスに対して何も文句ないというかね、
それがそういうもんやからという中でやってますわ。
何やら文句ないと言ったらまたそれはそれで語弊あるのかもわかりませんが、
もうちょっと俺がこうやったらええなという改善は持ってるんですよね。
それが聞かれたときにはアンケートとかね、
こういうふうに改善できたらいいと思いますって書いて出したりとか結構ありますよ。
やっぱり現場にいる子どもらが一番大事だなと思ってやっておりますけども、
本当にこの記事を見たときに、
子どもに教養するのをもうちょっと言い方を考えなあかんなというふうに思ったわけでございます。
最近はアレルギーがありますから、なかなかそんなにきつく言うことはなかったですけどね。
で、よそのお子さん見ててもそれを感じることがあるというんですかね。
あんまり無理して食べなやー言って。
やっぱり言うようには昔に比べたらなってると思いますね。
野子さんと食べやーというような指導はなんかしてないんじゃないかなって、
学校の先生らもたぶんそこまでのことはしてないんじゃないかなというふうに思うわけでございますけど、
いかがなもんでしょうね。
どういうふうに小学校、中学校でも給食のところもありますから、
中学校ぐらいになったら、いちいち人に何も言われんでも勝手にあるでしょうけど、
小学校低学年なんていうのはもう大事な時期、保育所とかでもそうでしょうな。
僕なんかも幼稚園のころにきつく残ってる記憶が、
今この51こなっても残ってるということは、
それだけのインパクトがあったということだと思うんですよ。
だからぜひぜひ、お子さんお持ちの方も含め大人も言えることで、
この会食協賞というのにならないように自分の中で心を整理するというんですか、
これはこういうことじゃないというふうにやっていくということは大事ですな。
ましてやですよ、この章例というのは、いわゆる社会…社会票…社会…
21:01
なんていうんやったっけ。
どこに書いてあんのやったっけ。
なんか書いてあんね。
サッドみたいな。
SADという章例というんですか。
社交不安証。そうそう。社交不安証やで。
人とも社交的にならねえ。無理や。
でも少なからずこれっていうのは、
SNSの時代、社交ではないと。
みんな自分の名前赤さんとやったり、
今どこの誰かわからんという状況で人とやりとりしてますけど、
これは本当の社交的な動きではないと考えますと、
ほとんどの人間が、この社交不安証の軽度重度あるにしろ、
一つなんか持つようになってしまったというのは、
このSNSが取り巻く環境というんですか、
そういうのが影響してるやろうなと、
裏で何言われてるかわからへんというのが表に出てくるのがSNSやと言い出しますと、
もうこの社交不安証に拍車をかけるというんですかね。
目の前で大手喋ってやってる人でも裏で何言ってるかわからんという不安に駆られるというのは、
なんとなくわかりますわ。
僕もやっぱり一時はね、一時だけですよ、
社交不安証的なものの考えになりましたわ、当たり前に。
ただ僕も人と喋るの好きやから、
まあ3日ぐらい経ったら忘れんねん、だいたいね。
逆に言うと、表面上のやりとりができるんやったら、
社交不安証でもかまえんわってぐらいのことを思いながら、
わずらわしいなというふうに思うぐらいでいいんやと思うんですよ。
不安になってしまうというのは、
これから誰かと会わなあかんねんにものすごい緊張したりとかというのは、
やっぱり精神的に良くないと思うんですね。
人を探すしかないんですよ。
この人とお互い気楽やねん、ほっとするわというようなね、
人らと楽しく会食するというのを重ねていくしかないでしょうね。
でもその輪の中の違う人が一人入るだけでもう緊張してしまうというのはあるけど、
最低限家族とかお友達何人かと楽しく食事するという時間を持つことで、
ちょっと和らぐというような時間も持ってほしいなと思うんです。
もうなってしまったもんはね、
明日言うて、お前そんなもん直せって直るもんちゃうし、
そんなもん飯食って寝とったら直るはちなもんじゃないわけですよね。
だから徐々に徐々に自分の心を整理する。
こういう省略があるんやなということで理解する。
人間というのは理解していくと心の中が整理できますからね。
そうなればもうわかったと。
そんならこういうふうにしていこうというような対処もまた生まれてくるというふうに思うわけですよね。
だから研究されてる方がおるわけですから、
そういう研究された方の結果を見たりして、
今ここに当てはまるなと思ったら、
それはどうやって対処していこうかと不安にならずに、
不安になるってことはわからんから不安になるわけですからね。
24:02
わかってしまえばちょっと気が楽になる。
これは他の症例でも言われてますよね。
病院に行って検査したら、
自分がそういうADHDやってわかったからちょっとほっとした。
このほっとしたというのが大事だと思うんですよ。
何かわからんかったもんがわかったという状況。
これは大事なことやなと思います。
僕も何かそうなんだろうという漠然とした何かあるんですけども、
これを調べてみればそうだったとなれば、
なるほどな、ほっとしたわとなるような気がしますよね。
常に子どもたちにもそれを説明することは多いですよ。
こうちゃうか?
これやったらこれで何かやりようあるわいな、
やっていくしかないわな、
一緒にやっててええやんけ、家族やねんしというような。
この気軽さというのはちょっと大事かなと思う。
だけど捉えれば何も。
でも心重たくなってし、
お母ちゃんが自分の症状のせいでずっと暗く落ち込んどる、
こんなの見たら子どもたちは不安になりますわな。
無理しますわな。
お母ちゃんに不安を与えたらあかんなと思って無理して、
その無理がたたって、ストレスでまた違う症状が出てくる。
これはもう本当に悪い不能な線というんですか。
繋がるんですよ。
だからもう個性やと思って肯定していく、
理解していくということを続けるしかない。
人間は死ぬまで勉強やと言うわけですから、
対処していくというふうに関わっていくというような、
覚悟を決めりゃ明らかにとしたもんだっすね。
そんなふうに思うわけでございます。
おっさんは自分の生活の周りでしか物を見ることできまえんけど、
これで自分をまた考えようか、
明日も考えようかというようなことでやっていってます。
あんまり適当なこと言ってますと誰にでも当てはまることやないでお前、
黙れやどろく言うてまた怒られるかもわかりませんが、
皆さん一緒にゆっくり考えましや。
人生長いだっせ。
26:06

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