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毎度黙れヤドロクです。お疲れ様でございます。元気かいいなあ、どうですか。気温がもうコロコロ変わっておりますなあ。体に影響が出る自分でございますけども。
本日はもうほんまにね、通り過ぎていく秋というんですか、昨今ね、秋やなあというふうに思っている間に寒くなってね、季節というのはめくるめく早く過ぎ去っていくわけでございます。
まあ気がつけば10月も真ん中ということでございまして、えー、もう気づいたら11月になりますせえね、12月や。もう年のせいだっすわ。これはもう難儀だなあというようなことでございますけど、そうやって逃げていくような秋に読まれた有名な俳句言うてね、えー、もうそんなもう年も年は境に、これぐらいのことはやっとかなあかんのやないかなあと言うてね、まあどこぞの人もやってるというようなことでございますけども、まあ年秋になったらそれぐらいのことはやってもええんちゃうかおっさん言うてね、言われるわけでございます。
本日ね、まあそれはもうね、松尾芭蕉さんですか、秋深き隣は何をする人ぞというようなことでございます。秋がすっかり深まっていってね、この頃まあ寂しさをなんか感じて何を隣の人はするか気になっていますというようなことでございますなあ、まあわかるなあというふうにはございます。やっぱり寂しくなってきつつあるというようなことでね、その辺におるおっさんの動向が気になる。
私1年中気になるんですけどね、コンビニに泊まってる車も気になる人間ですから、えーあのいつでも、これ秋深のうても1年中隣は何をする人ぞというのが私の普段の生き方へということでございますなあ、えー、これも芭蕉の読んだものですね、この道や行く人なしに秋の暮れというね。
なんかこう、なんやろうね、なんとなくものがらしいな。
この道は通る人もなく遥かに続き、秋の夕暮れの寂しさが身にしみます。
言うてね。
あの、廃界への私の道もこのようなものでしょうか。言うてね。
なんやろう、この自分の生きているルート、道、生き方、言うのは、
なんとなく人がすれ違わへんかったりね、通る人も居てへんな自分だけが
ここを動いててこんな道でええんやろかというようなことをちょっと考えるというようなことでしょうね。
俺に言うてんのかな、言うてね、思いますけども。
なんやろうね、言われてる気がすると思ってね。
枯れ枝に鳥のとまりっけり秋の暮れ、言うてね。
これも馬匠さんの読んだものでございます。
気がついてみれば鳥がさむさむと枯れ枝にとまっています。
付近は日が暮れかかって秋の夕暮れの静けさが広がっていますというようなね、
情景を読んだものと言うんですか。
なんとなく寂しいなあ、これも。
当たり前と言えば当たり前ということですね。
荒波や砂土に横たう天の川、言うてね。
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これも馬匠さんの読んだものです。
天の川がキゴらしいですね。
そんなんもどっちでもええんですけども。
さまじく夜の暗い海が荒れていますと、
波音が腹渡をちぎるように響いています。
多くのルニンという流れ人、
悲しみを秘めた佐渡島が、
この夜の暗い海の彼方に鮮やかに手に取るように浮かんでいます。
空を仰ぎ見ると佐渡島の方に銀河がかかっていますということらしいですね。
思いを馳せるというようなことでしょうな。
なるほどね。
なかなかいいなという。
さすがに松尾馬匠というんですかね。
難しい歌が多いというか、
なんとなくその情景が分かるような分からないようなというね。
秋風や蒸したがりし赤い花。
これ小林一佐さんのね、読んだものでございますけど、
亡くなった子供の墓前に行けば、秋風の中に道端の赤い花が揺れています。
よく亡くなった子供が蒸したがっていた花です。
この赤さが目に染みて、悲しさがこみ上げてきますということらしいんですね。
こんだけの文章が入っとるんよね。
これを説明されるとね、もうグッと来てまうね。
秋風や蒸したがりし赤い花。
蒸したがった赤い花というのがこの亡くなった子供がというようなことなんです。
説明してくれるのは一切わからへんわ。
でもなんとなくその説明を見ますと、グッと来るというようなことで。
小林一佐さんというのはこういうのが多いですね。
明月をとってくれると泣く子かなとね。
子供があのお月様が欲しいのでとってよと言いながら泣いていますというようなことらしいんですけども。
なんとなくさっきの歌と、グッと来てまうね小林一佐さんの歌というのは。
これちょっと好きかもしれんね。
ちょっとなんかその想像、裏のドラマを想像さすというんですか。
これはちょっとあれやね。
美しや生地の穴の天の川と書いてあるんです。
これは天の川が記号ですけども。
生地の穴から見える天の川は非常に美しいですということで。
この生地に穴を開けたのは誰やったらさっきの子供なんやろうね。
この人はこう一連のドラマがあると言うんですか。
なんとなくこうグッと来てまうな。
せやはな。
これは有名だっせ。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺。
正岡敷が読んだものでございます。柿が記号やということでね。
柿を食べていると法隆寺の鐘が急に鳴り出しました。
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そのままやがなという話ですけど。
そこにこう秋の風景、空気の感じが表現できるというのは素晴らしいなとやっぱり思うわけでございます。
世に残っていく歌というのはこういう一言で残っていく。
音楽の歌も一緒でしょうね。
一言で残ってくる歌詞というんですか。
そういうものは耳に残る、つく。
同じ言葉を使っても違う曲に当たったらそれが残らん。
こういうのは現代の歌でも同じようなものがありますね。
俳句単歌に限らず今も伝わるものというのは日本の言葉にはあるんだろうなというふうに思ってしまうというかね。
秋風の吹き抜け行くや人の中。
坂本満太郎さんが、この満太郎という名前がいいなと思って読んだんですけども。
都会の秋風は人の群れを吹くが、人の心の中は秋風が吹いているのかもしれないよ。
というね。
ええ歌だなこれね。
満太郎やのにね。
満太郎やのに言うと怒られるやろうけど。
有名な人なんですやろ。
知らないからそんなもんね。
満太郎という名前に惹かれただけですが。
ごめんなさい。
でもええ歌やね。
秋風の吹き抜け行くや人の中。
秋風というのがね。
都会の街をこう吹いとんやけど。
人の心の中も吹いとんちゃうか。
吹いてます。
いうようなことですな。
まあええね。
まあ悪ない。
悪ないよね。
僕が評価するもんやないけども。
ええからこういうとこに出てくるわけやからな。
わかる。
わかるよ。
ええ感じ。
ええ感じ。
そりゃもうええ感じやな。
なかなかそういうわけでございます。
あんまり歌ばかり読んでてもね。
まあしゃあないなというようなことでございますが。
やっぱりでも秋というのを感じる間もなく冬に来てしまうというようなことでございましてね。
去年なんかもそうやってやんちゃうかなあ思って。
ちょっと涼しいなったなあ思ったら急に寒くなりますね。
これはまあ体調おかしになりますわな。
皆さんもねどうぞこの時期一番皆さん体調崩す時期やないですか。
どうぞご自愛くださいということでございますが。
まあそんなわけで秋の歌というようなことでね。
まあ馬翔さんのものやったり小林一佐さんですかのものを読ませていただいたりとか。
マンタロウさんのもね読ませていただきましたけども。
まあまあいいんだねとねちょちょっとこう叩いたらいろんなの出てきますわな。
なんとなくそれを聞いた時に昔ではわからなかったものがなんとなく雰囲気でわかるようになってくるというのはありがたいことやなと。
年もいくもんやなというふうに思うわけでございます。
皆さんもぜひぜひね。
自分で読んでみようかというところまでいくにはもうちょっと時間かかるような気がしますけども。
ぜひぜひ読んでいただきたいなというふうに思うわけでございます。
お疲れさんでした。