1. ガサガサノコース
  2. 第2部#26 自己満足語り回(他..
2025-09-27 35:52

第2部#26 自己満足語り回(他者との距離感失敗体験?) 

2025年9月9日収録

迷宮回?/友達とご飯をシェアしますか?/いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう/僕らは自分からはシェアしない/シェアされたらどう思う?/覚悟の注文/受け取ると発生する負債/関係によって負債の多寡は変化するので常に距離感を測っている/距離感を測るのが苦手だから煩わしい/幼少期の思い出2つ/お兄ちゃんと僕のズレの体験(距離感の失敗)/あの泣きの感情は他者とのズレ体験だったのでは?/自己大満足語り/聴いてくれてありがとう!/気持ちよく喋るコウが許せない!/アムロ・レイ



毎週土曜日配信


💌お便りを願う

⁠⁠⁠お便りこちら(Googleフォーム)⁠⁠⁠


◆ SNSフォロ願う

⁠ ⁠⁠⁠⁠instagram⁠⁠⁠⁠⁠コニカド_ニカ

⁠公式X⁠⁠⁠⁠⁠⁠ ※喫茶店つくるつくるラジオアカウント

#さてつく #ガサコ #曲がり


📻関連ポッドキャスト番組(コチラの番組もよろしく)

⁠⁠喫茶店つくるつくるラジオ⁠⁠”[再開収録ALL没]

サマリー

このエピソードでは、食事のシェアに関する個々の考えや関係性の影響について話されています。友人との食事体験を通じて、シェアに対する抵抗感や、それによる距離感について深く掘り下げられています。子供時代の距離感の失敗についての昔話を通じて、心理的な影響や感情の混乱が語られています。記憶が改ざんされる可能性や、他者との意思の相違についても考察されています。自己満足と他者との距離感についての悩みが共有され、特に過去の経験が影響していることが強調されています。また、コミュニケーションにおけるずれや距離感の重要性についても議論されています。

食事のシェアについて
こんばんは、コウです。
スガハラです。
サノです。
ガサガサノコースやってまいりましたが、
最近ね、ガサガサノコースみたいなこと言ってませんけれども、
今週はですね、ちょっと聞く人を選ぶ回というか、僕がしゃべりたいことをしゃべる回なので、
ああ、またややこしい話に、もしかしたらコース入りしてくるかもしれない。
あの洞窟ですね、あの洞窟に。
洞窟に入ってくるパターンになるやもしれないと。
茂みね、茂みね。
一応それは頭に入れながら、これはもうこれ以上無理って思った人はもう停止ボタンをポチッとしてもらえれば。
すごい、スガスガシー。
スガスガシーですよ。
サムライですよ、最後のサムライ。
ありがとうございます。いきましょう。
まずはね、皆さんお二人に投げかけたい。
友達とかとご飯を食べに行った時に、
なんていうのかな、その店にもよりますけど、
シェアをしようよ、みたいな感じ。
ちょっと一口ちょうだい、私のも、僕のもあげるから、みたいな。
ああいうやり取りが展開されることがあるじゃないですか。
あれを皆さん、しますか?みたいな話。
もしくは、した時とかしなかった時、どういうことを思いますか?っていう。
元からね、メニューでいろいろ食べたいから、
じゃあ別々のを頼んで、少しずつシェアしようよっていう風に頼んだ場合は、これは別。
それは別ね。
最初からそういうつもりで頼んだのが別なんだけども、
チーズハンバーグと和風おろしハンバーグをそれぞれ頼んで、半分ずつ切って分け合うみたいな。
そういうのは別?
別ですね、はい。
ファミレスでね。
そうじゃなく、パーンとね、なんか自分で頼んだ、それぞれ頼んで、
パッと見て、ああ美味しそうとか、それにすればよかったなとか言いながらの時のパターン。
どうですか?お二人は。
はい。
僕は関係性に本当によるんですけど、あんまり好きじゃないです。
距離感の測り方
ああ。
なんか、はい、なんだろう、ああ美味しそうで、次それ頼もうとかだったら分かるけど、
ちょうだいは、もちろんあれですよ、あげますよ。
だけどそんなに、逆にじゃああげるよって向こうが言われても、ああ大丈夫って言ったりします。
うーん、なるほど。
ちょっと一旦置いておきましょう。
菅原さんどうですか?
俺も同じかな。
あの、くれって言われたらあげるけど、
基本だからあんまりシェアが生まれないかもしれない。
それはね、なんか結果から言うと、たぶん僕も近いというか、僕もちょっと苦手なのよ。
ああ。
そのやりとりみたいなのが。
今3人がね、一緒になったんだけど、その時何を思っているからそうなっていると思うかっていうことなんですけど、どうです?
ちょっと思ったのが、なんだろう、今これを、メニューだからAの料理を選んだ。
あなたはBの料理を選んだよ。
今日はそれでいけよって思います。
もしそっちの料理があって思っても、そういうことだよって思います。
今日は食べられないんだよ。
それおいしそうだねって言って、食べたの見てどう?って言って、そしたら次頼もうっていう話で終わります。
あんまり家族とかだったら、もちろんもらったりするけど、仲良くてもあれだな、あんまりそれを今頂戴はあんまりそういうアイデアが出てこない。
え、菅原は?
あまりね、そういうのがない。
ないっていうのは、
自分と相手が同じものを頼ぶっていうパターンが結構あるから、分ける必要がないっていうか。
そういうケースに、ちょっと変えようかな、そしたら。
ちょっと変えようかな、そしたら。もっと分かりやすいかもしれない。
3人で行った時に、他の2人がなんかそういうのをやり合い始めたみたいな。
例えば、おそらく相手はシェアしようとかじゃなく、これおいしい、これもう1回食べてみなよって言って、そこのやり取りの後に必ず佐野さんもほら、これ1回って言って来るわけよ、どっちか。
うわ、来るなーって思いますね。
来るなーって思うよね。
佐野さんもほらほらって言って、このこれ1個はい、とか渡されるわけよ。
渡されちゃう?
渡されちゃう感じ。
いや、もちろん。
なかなかね、食べてみなよって勇気いることよね。
自分の好みの押し付けみたいになっちゃうから、そういうの考えると、まずしないなって思ってて。
それはまず菅原からはしないってことでしょ?
そうそう、しない。
クレート焼いたらあげるってさっきも言ったけど。
逆にだから、あげるみたいな感じで、相手はちょうだいっても言ってないわけよ。
菅さんの食べたいからこれあげるからではなく、これ美味しそうだからどう?って言って。
嫌だって言われたらもちろん引っ込めるんだけど、相手も。
でも声をかける。
かけるという事かね。
そうか、これね。
行為を受け取る。
そうですね。
うわー難しいこれ。
で、受け取っちゃったらどうするかってことだよね。
そうです。
そういうことになっていくわけよ。
必ずボールが来たら打ち返してみてもらいますもんね。
そこはね、確かに迷うことはある。
今、菅さんに言われたらわかった。
自然にやってるけど、もし食べるって言って、その人が声を受け取ろうと思ったら、もうあげる覚悟でもらいます。
もし、貰って食べた、その後キラキラした目で僕のスパゲティを見てたら、あ、ちょっと食べるって言ったら多分きっとあげますね。
フォークひと巻き取ってね。
それはそこを覚悟してもらいます、僕は。
ただその時、2人は今の聞いてると、全面的に前向きじゃないじゃない。
本意ではないよね。
そこはでも一緒か。
僕としてはメニューを、これ頼んだらこれしか食べれないっていう覚悟を持って厨房してるじゃないですか。
迷って迷って、今日こっちだってしたのに、それ全然飛び越えて、2人が交換してたな。
えー、初めてこんな考えたな。
例えば、唐揚げ定食、唐揚げ4個しかないのに、そのうちの2個が持ってかれるとかだったら、それはちょっとおかしいというか。
わかりやすく、俺は唐揚げ定食頼んだのに、みたいになるんだけれども。
そうじゃないとしても、例えばカレーライスみたいな、さっきのスパゲティでもいいんだけど、ひと巻きとかスプーンひとすくいだとすると、別にそれがもったいないわけではないじゃん。
持ってかれるのが惜しい。俺はカレーライス200グラムのご飯に150グラムのカレーのルーがかかったカレーライス、トータルで350グラムを食べたかったのにじゃないわけじゃん。
じゃないじゃない。
じゃないやん。じゃないけど、だからもったいないっていう気持ちはないわけだよ。
そうじゃないじゃない。
そうなんだよね。
僕はね、そんなことをよく考えるというか、今日は話さないけども、最近あったことでもね、そんなことを考えてたんだけども。
まず今の現象としてはさ、例えばもらっちゃうみたいなことをちょっと嫌がるっていうのは、佐野も菅原も言ってた通り、もうもらった時点で返さなきゃいけないが生まれるわけよ。
相手が望んでなくても。
個々の心理プロセス
だからもう男3人でラーメン食いに行って、誰か1人が餃子頼んで、もう1個食っていいよみたいな感じすら、ちょっと俺返せるもんないしみたいなことをふっと考えてしまうみたいな。
まあ要は負債を得たっていうことになるんだよね。
お金を借りたと同じ意味の負債ね。
何かを受け取ってしまったっていう、僕は返さなきゃいけないっていう。
ただこの負債に関しては、ある人が言ってた健全な負債みたいなのがあって、そういうのがあってこそ人間関係は続いていくみたいなこともあるので、
決して全てがそういうことが悪いことではないんだけども、やっぱり何か受け取ってしまった瞬間、
何かお返ししなきゃみたいなのがやっぱり浮かんでしまうっていうのは多分誰しもがあると。
そっかそっかそっか。受け取ったね。
あー語り出してるようになったね。
あー語り出しましたね。はいこう三節が。
で、その時何を考えるかっていうと、その相手とのやっぱり距離感になってくると思う。
だからこれがその場でたとえ返さないとしても別に何にも関係性が崩れないものなのか、
なんかもうこれは今とにかく生産しときたいみたいな関係性だからとにかく返しておこうと。
この人に借りを作ってなるものかみたいな関係性なのかとか、いろんなパターンがそれはある。
だから佐野がさっき一個例に出した家族の場合はまたちょっと違うねっていうのはすごくいいたとえで、
家族はやっぱり別物なので、いろいろな自由度があったりする可能性が高いよね。
だからね僕はねそのね、距離感を一瞬で測ってるはずなのよそれは。
だからね距離感を測るのが僕はね苦手なんだよすごく。
苦手イコール距離感を測る作業みたいなのがちょっと嫌なの。
その作業がね。
その一瞬の作業からちょっとね逃げたくなるっていう。
この不採がどのぐらいか、今こうこれ一個食べてって言って、
こう来た時にその受け取った後の自分のところに来て、
多分初めて重さがわかるような感じするんですよ。
そこのだからこれを断るべきか。
確かに考えてるんだ。一瞬で考えてるんだその距離感を。
距離感を測るのが苦手という自覚もあるから、
多分ねその作業をしたくないので。
多分そんな距離感を華麗に乗り越えてくるというか、
そんなタイプの人もいるわけよ。
そういう人こそ軽い感じでやれる人もいて、
それはそれで羨ましいというか。
やっぱりそっちの方がある種社交的だったりとか、
場を盛り上げるというか明るくする感じもあるから、
そこも羨ましいところではあるんだけれども。
僕はそこの距離感が苦手でね。
だからそういうのを当たり前にやってる人は本当に、
今コウさんが言ってるような心理プロセスみたいのはないんだろうね。
そうですね。
分けて当たり前みたいな。
そうそう。意識なんかはしてないし、
そんなことすら意味で感じない。
でもそれコウさんは面白いですね。
そんなこと考えもしないでいろいろしてたんですよ、今まで。
いや、そんでね、もう一個そこにつながっていく話をしようと思ってるんだけど。
まだあるんだ。
いや、そんでね、もう一個そこにつながっていく話をしようと思ってるんだけど。
まだあるんだ。
もうこれを解決してやったと思って今、してやったで。
じゃあそのね、これはもう勝手な僕の思い込みかもしれないんだけど、
これ僕の話を、完全に僕だけの話なんで、
子供時代の記憶
僕の昔話を今からさせていただきます。
なぜ僕は距離感が苦手なんだろうかみたいな。
っていうことを考えて、昔の記憶をたどってみた。
心理カウンセラーみたいな。
そうしたらね、小さい頃の記憶ってね、ほとんど覚えてないのよ。
小学生の低学年以前ぐらいの話になってくると。
で、割と何か、前も何かの回で話したけど、
写真を見たら何か思い出すみたいな時とか、
覚えてると思ったら実は写真の記憶だったみたいなことはたくさんあるんだけど、
何かいくつか本当の記憶として残ってる。
もちろんこれも思い出すたびに記憶って改ざんされてるっていうので、
正確な記憶かどうかはもちろん今では変わってきてるんだけども、
でもね、よく思い出すことがあって、
それを最近もう1回ふっと考えた時に、
これかなと思ったのが2つあって、
一個はね、僕はまだね、
たぶん小学校上がる前ぐらいの時に、
隣の家に6歳上のお兄さんが住んでたのよ。
で、すごい仲良くしてくれてて、僕もすごくそのお兄さん慕ってて、
で、よく家に隣の家のお兄さんの家に行って、
萌えよドラゴンのビデオを見せてもらったりとか、
して遊んでもらってたの。
そしたら、えっと、何ていうのかな、
プラモデル?何かね、ウルトラ警備隊か何かの飛行機の
プラモデルみたいなのを見せられたの。
で、すげえかっこいいと思って、
すごいかっこいい、うわーかっこいいかっこいいって言って、
それを見てたのね。
で、僕はね、何にも言われてないんだけど、
それを見せてくれたお兄さんに対して、
勝手にくれるもんだと思ってたの。
くれるもんだと思ってたら、何か帰り際にくれなかったから、
泣いてしまったの。
で、それで何か言ったかどうかは分かんないけど、
何か結果的にお兄さんすごい困って、
くれたのよ。
その昔話?
昔話。もう一個言うね。
同じような年齢の子で、もしかしたらもっと若い頃かもしれないけど、
いとこの家に行って、
いとこが折り紙を折ってて、何かそれがすげえ楽しそうだった。
で、2個上か3個上ぐらいの、そんなに年が違わないいとこで、
もう本当に小学生、低学年の幼稚園児が一緒に遊んでるみたいな感じなんだけども、
そしたら、連れてってやるよ、折り紙が売ってるところって言って、
そのいとこの家の周り、僕は全然知らないから、
てくてくついてったら、たぶん数分のところに、
いわゆる雑貨屋、文房具屋みたいなのがあって、町の駄菓子屋みたいなところで、
折り紙が売っているようなお店があって、
ここここーって言って、で、僕は何にも言われてないんだけど、
買ってもらえるもんだと思って、ついて行ってるの。
そしたら、三つ上ぐらいのお兄さんが、
ここに売ってるよ、50円って言われて、
で、僕はお金なんか1円も持ってないから、
あっ!ってなって、それで泣いたの。
泣いた!泣く話。
それはすごい覚えてる。
そしたら、お兄さん困って、買ってくれたの。
困らせて。泣き落とし。
困らしたくて泣いたわけではなくて、
なんかね、あの気持ちは何なんだろうね。
そうなると思っていたのにならなかったことが悲しかったのか、
今の感覚で言うと、そう思っていた自分みたいなものが、
感情と距離感の探求
恥ずかしいというより、
嘘でしょ。
いやいや、恥ずかしいとは思って、その時は思ってないよ。
思ってないけど、なんていうか、
表せない感情みたいなものであったような気がしてならないっていうね。
それはわかんないですね。
三つぐらい浮かびますね、可能性が。
可能性が。
どれかわかんないですね、実際には。
実際にはね。今三つ言ってくれるんじゃない?
うまく言えたそうな気がするね。
泣いちゃうよ、言わないと。
泣かない泣かない、買ってあげる買ってあげるから。
買ってない。
もちろん一番が買ってもらえると思ったら、
買えなくて悔しいのかな。
買えない、わかんない、やっぱり無理です。
三つ一応。
いや、これをね、僕今、ごめんね、もう終わりますけどこの話も。
ごめんなさいね、皆さん。本当にお二人もすみません。
だがね、僕はね、今を考えると、
これは人との距離感を失敗してるんだっていうことだと思うんで。
そうか。
要は多分、僕は何の契約もなく、何の約束もなく、
おそらくね、頭の中ではっきりね、買ってもらえるんだみたいな、
多分そこまで強い思いもなく、ただ自然とついていって、
ただ実際お店の前に立った時、50円だよって言われた瞬間であるとか、
プラモデルをもらえない状態で、じゃあねっていう別れを告げられた瞬間に、
あれ、その時多分初めて、あれ、僕はもらえると、買ってもらえると思ってたんだみたいなことに気づいてるんじゃないかなと思ってるんだよ。
泣いちゃったのか。
で、それが泣くという行為に表に現れてきたっていう。
だからこれはやっぱり、お兄さん、その二人のお兄さんたちとの距離感を失敗してる。
簡単に言うと、当時こんなことは思ってないよ、何度も言うけど。
当時こんなまとまった形では思ってないけども、あえて今まとまった形で言うと、
要は僕はこういう距離感でこうなると思ってこの人と接している。
でもお兄さんは違った。
僕の思ってた距離感は違ったんだっていう。間違えちゃってたんだ僕はっていう。
それに直面したみたいなので、
泣くという、当時は泣くという感覚しかできなかったっていう。
その記憶が残っている。
だってコウさんが今言ってるので、コウさんの今持ってる人との距離感の基準で子供の時の判断をしてるんでしょ?
子供の時から今の距離感があったとは限らないでしょ?
子供の時にそんな明確に人との距離感とかを持ってて、それが今になっても変わらないってことを言ってるの?
ちょっと多分そうじゃないかな。
だから子供の時の人との距離感なんて今わからないよね。
もっと無邪気な可能性もあったわけでしょ?
もちろん無邪気な可能性はあったんだけど、多分無邪気ながらも何らかの社会と付き合っていく。
どんどん大きくなっていく社会と付き合っていくわけで、そこを学んでいって距離感ってどんどん洗練されていくと思うんだよ。
小さい頃って子供って大人の人にも本気で殴ったりとか帰り見ないところがあるじゃない?
大きくなってくるとそういうのがどんどん洗練されていって霊説をわきまえるとかそういうのができていくんじゃない?
子供の頃はそんな自分で距離感間違えとかっていうのが判断つかないから失敗も何もないんじゃない?そういうものだったんじゃない?
もちろん。だからその当時は距離感間違えたなんていうのは思ってないよ。
それこそ今になってあの泣いたという状態でしかもその記憶を今まで僕は保持しているっていうことを考えると、僕にとってはすごく重要な思い出だった可能性があるってことなんだよね。
そういう感覚で今を見るとあれはもしかしたら若い時の本当に幼い時の人との距離感の失敗の体験だったのではないのかっていう推測がある。
シンプルに手に入らなくて悲しかったってこともあり得るでしょ?
いやもちろんあり得るよそれは。あるならば忘れてるんじゃないかなとも思えるわけよ。そんなシンプルな出来事、何か買ってもらえなくて悲しかったみたいなこととか。
そういう記憶は多分消えちゃってるのになんか妙にその2つが残ってて、しかもすごく共通点があるような思い出なわけで。
で最近、人との距離のことを今の僕の距離感、人と距離を測るのが得意じゃないなみたいなことを自分で考えてる時にそれがもう1回思い出されてきて、
あの失敗がもしかしたらルーツだったのかもしれないみたいなことを考えたわけ。
なんかあの、僕聞いてて、僕はその距離感っていう言葉がどうしてもしっくりこなくて、なんか全部料理のこのシェアの話もその2つの話も、
2人3人人間がいた時の、これから起きることへの可能性とかそれぞれ思って、意思とかの相違の話だと思う。
過去の再評価
その意思の相違が、今現在こういうことが起きるで、僕はこういう可能性的なシェアないかなと思って、あ、この人ある、ここで起きることの可能性みたいな。
それを思った時に遡っていったら、それに一番近い話がその2つだったから、たまたまくっつけて、こうさんがこれすげー覚えてるから、あそこから失敗したって言ってるけど、たぶんこっちの話から向こうの記憶をたぶんこうさんが引っ張ってきて、
で、すげー何回も思い出すから、すごいこれ覚えてるんだよってなってるんじゃないかなって思いました。
まあそう可能性はまず距離感の話で行くと、サノンの言い方だと相違ってことだよね。よくわかる。つまりはずれってことでしょ。ずれピンとくるでしょ。まさにずれがその人と僕の距離感って、これは全くずれと相違でも一緒で。
で、実はこっちの話があって、つじつじ回せるために過去の話を持ってきてるんでしょっていうのも、もちろん否定はできない。わかんないからそれは。僕もわかんないからそれは。
だけども僕は単純にこれ話したいなと思ったのは、もちろん全てが推測の話なんだけど、やっぱりあの2つの記憶は今回距離感、ずれの話を考えてる時にちょいちょい出てきたわけでも全くなくて、
今回ちょっとずれみたいなのを感じる出来事があって、それは今回は話さないけども、それをムームムーム考えているのとは、別で記憶としてはもう前から1つの小さい頃の思い出として、その2つはすごくあるわけよ。
で、確かにあって思って、強引につなげているのかもしれないけれども、捉え方すればあれは確かに人と人とのずれを感じたけども、その時はこれはずれだとは思わずに、
もう泣くという行為でしか自分のこの気持ちの表現というか、あの気持ちなんだろうなーみたいなことをこんな真剣に考えたことはなかったんだけど、間違いなく何とも言い難い、気持ち良くない感情の発度だったのは間違いないと思ってるんだよね。
それはぜひお兄さんに聞いてみたいね。
お兄さん側からどう見えているかは、実はこれ関係ない話なんだよ。
そうか。
いや、これだって僕の内発的な話なんで。
いや、お兄さんからすれば、ああって思って、なんか泣いてる、欲しかったんだこいつ、じゃあもうあげるしかない、買ってやろうみたいな、なんかそういうことなんだよね。
だけど、ごめん、今語ってるのは、それは外から見てどう見えたかの話ではなく、僕のあの時のあの感情の話。
自己満足と距離感の悩み
それですよ、僕の今日話したかったことは。
ちょっとカッコつけてるなー。
ちゃうちゃうちゃう。
まあね、ガサガサ的に言うとそういう結末もありだもん。
ちょっと厄介ですね、昔の話だから、何言ってもわからないですもんね、僕らね。
答え別に今欲しくなくて、僕は喋りたいだけで喋ってるから。
一回ちょっと言葉に虫ときたいっていうのもあって、何度も、これはここでは話さないし、たぶん今後ガサガサで話す可能性も低いけど、あることがあって、
これが今深く考えるようになったみたいな、あること面があるわけよ。
それはもう全然大人になってからの話。
今最近の話、あること再度の話があって、まあでもこの今の話は昔の話だし、ガサガサで話してもいいから、一回にちょっと言葉にしてしたかった話。
いい話をさせていただきましたよ。
僕はね、割とちゃんと話せた感じがあるので。
これでも聞くしかないんだな。
あとでやっぱりコメントをね。
コメントして、だからこうじゃないって言われると、しかも僕のやつだって根拠があるわけじゃないから、こう思ったっていう話だけどね。
こうじゃないという話よりも、できるのであれば、ずれとか距離感の話を、僕のエピソードに直接それを言及するのではなく、
なんか違う形でこういう感じ方をしたことがあるみたいな話をしてくれると、それはすごく僕は嬉しいんだけども。
それはね、ごめんごめん、こんなやりこし話に付き合ってもらうだけで僕は大丈夫。
このエピソードをこうじゃない、ああじゃないって言われても、僕も答え持ってないし。
ここはいいですね。
結論出すあれではないので、僕はもうここまでで大満足なんですよ。
やっぱ、僕らがアーダ・コウダー言うじゃないですか。
はいはい。
コウさん気持ちよく喋ってたんで。
気持ちよく喋ったよ。
もうそれをどうにかね、したいんですよ。
気持ち悪くしたいってこと?
こんな気持ちよく終わらせたくなる。
なるほどね。
ちょっとね、清々しいですよ今。
いやいや、もう今、なかなかちゃんと喋れてたなと思って。
ちょっとね、悔しいなあ。ギャフンと言わせたい。
その悔しさは何だろうかって話だったら、あと1時間ぐらいしても楽しいかもしれないよね。
なぜ佐野は悔しく思ってしまうのだろうかみたいな。
なぜコウさんに噛みつくのか。
その記憶、その厳選をたどると、佐野の8歳の時のあの出来事に繋がるみたいな。
いとこのお兄さんに。
気持ちよく喋ってるのを見てみたいな。
あるかもしれないですね。
あるかもしれない。
ごめん、何度も言うけど、これね、別にね、2人になんだろう。
一応前置きたくさんしたよね、僕。
こういう感じになるよっていうのをしましたよね。
でもね、これは本気というか正直な気持ちなんだけど、この距離感、ズレ。
僕はこう思ってるけど、分かりやすく言うと、僕はこう思ってるけど相手はこう思ってないのではないかとか。
僕のこの思い描いてる感覚とか雰囲気とか関係性みたいなものは、もしかしたら相手は全然違うふうに思っているのではないのかとか。
そうすると僕のこの発言とかこの行動とかこのお願いとかっていうのは、もしかしたらちょっと踏み込みすぎなのではないのかとか。
もうちょっと踏み込んでもいいものではないのかとか。
そういうことをね、やっぱ考えちゃう。
これ悩みっちゃ悩むっていうか。
コミュニケーションの重要性
今最後、きれいに収まりました。
終わりましょう、終わりましょう、このまま終わりましょう。
はーい、ではね、ここまで最後までたどり着いてくれた方は何人いるのでしょうか。
分かりませんけれども、僕は大満足の回になりました。
今週もありがとうございます。
ありがとうございます。
ご飯はシェアしなくても、この番組エピソード良かったらぜひシェアをお願いします。
番組フォローと通知オンよろしくお願いします。
お願いします。
あとコメントも、ちょっとコメントしづらい回かもしれませんが、何かコメントいただけば。
笑ってる。笑ってるよ。
はい、簡単なコメントでもいいのでお願いします。
はーい。では今週はここまでです。
はい、プラモということでガンプラ、ガンダム、アムロレイドお願いします。
あー。
コウさん。
コウさん、行きまーす。
えー、なんだここ。
誰だ。
教官。
バチン。
痛い。お父さんにも戦えたことないのに。
お、出た出た。
だけど。
アムロ。アムロかも分かりません。
うっうっう。
そうか。
行きまーす。
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
すげー。ガンダム世代なのに。
35:52

コメント

スクロール