約1ヶ月の間、埼玉県狭山市へ茶摘みに行ったいしだま。狭山での暮らしを共にする中でじさまばさまが様々な嬉しいお誘いをしてくれた。みんなで一緒に花火を見上げた日、ぽつりぽつりと語られる話に胸を打たれ、いしだまは言葉を失った。\お便り募集/SpotifyのQ&A「このエピソードについてどう思いますか」、もしくは、運営Studio HICCHOのWEBサイト「番組へのお便りはこちらから!」へ、番組へのコメントやお手紙、ご相談などお気軽にお寄せください。いしだまと和音が喜びます。https://studiohiccho.com/
サマリー
このエピソードでは、石玉さんと和音さんが埼玉県の鞘山での茶摘み体験を振り返ります。彼らは地域の人々と過ごした時間を通じて感じた絆や自然の美しさ、5月の花火大会での感動的な体験について語ります。花火の見事さや地元の人々との交流を通じて、様々な世代のつながりが生まれる様子が描かれています。また、リスナーが毎年楽しみにしている花火や、土地の人々との交流を通じて感じる大地の歴史や人間関係の重要性についても語られています。特に、お茶摘みの体験や世代を超えたつながりが紹介されています。
茶摘みの体験
ギャップトマッチ。年齢も性格も趣味も異なる石玉と和音の2人が、日常のあちこちからギャップや共通点を見つけ出す番組です。
では、6月になりましたね。
6月ですよ。いつの間にか。もうあっという間。
そしてお帰りなさい。
はい。たった今まで農作業してたみたいな格好で今、スタジオに収録に来てますけども、私。
はい。はみ出したいの皆さんはみんなご存知でしょう。石玉さんが5月どこにいたのか。
はい。案の定、お茶摘みに行っておりました。そして思いのほか長く。ほぼまるっと1ヶ月。
行ってましたね。
こんなに長くなるとは思ってなかった。
今年はどちらへ?
今年の一番茶は、去年もご縁をいただいて行ってたんだけど、2週間弱くらいかな。
埼玉県にある鞘山という、東京からで行くと所沢の方から上の方だったり、東部東上線とかで川越えとかまで行って、左側、西の方かにビューッと行くとあるみたいなエリアなんですよ。
埼玉県の下の方の真ん中らへんって感じ。下の方の左右の真ん中らへんって感じかな。のエリアに行ってお茶摘みまくってました。日本三大名茶の一つと言われている。
そうなんですね。
狭い山って書いて鞘山。
鞘山。
もう本当に。
1ヶ月ってだいぶ暮らしてますもんね。
本当に1ヶ月いるとほとんど暮らしてる感覚に自分自身もなっちゃう。
今回は去年行った時にご縁をいただいた、一緒にお茶摘み作業してる人とかが自転車を貸してくださったりとか、ちょっとしばらく居っていいよみたいな感じで居らせてもらえたりとかする場所があって、それもあって1ヶ月がっぷり鞘山に居れたんですけど、
本当にお茶事、お茶関係のことをやるの、とにかく自分にめちゃくちゃいいっぽいんですよね。
改めて思いました。
本当に、以前から私死ぬんなら初夏がいいとか言ってたぐらい初夏が好きっていう話をしてるじゃないですか。
その中で農作業するっていうのが本当にメンタルヘルス的にすごくいい、自分にとってっていうのも感じるし、
あと今回、去年と違ってほぼ1ヶ月居たって、さっきかずねが言ってくれたじゃん、そういう暮らしてるみたいな感じで、本当に暮らしてるみたいな感じで、
向こうのお茶摘みとかをしてる時に気にかけてくれるおじいちゃんとかおばあちゃんとかもいて、声かけてくれたりとかするんだけど、
その時に何々しようよって言ってくれるアクティビティーが、むちゃくちゃにすごく普段ないことばっかりなの。
例えば、うちの庭のバラが咲いたから見においでよとか、
めっちゃいい!何それ!
とか、5月に花火大会があるっていうのを去年知って、ちょうど今週末あるから行かないかとか、
ちょまど それ、じいさまばあさまが声かけてくれるんでしょ?最高だな。
向井 そう、じいさまばあさまの娘さんとかともちょっとご縁ができて、花火大会はじいさまばあさま4人と娘さんと私っていう同世代組が、2グループ同世代組があるみたいな感じで行ったりとか、
もうそんな感じ、本当に暮らしてるっていう言葉が本当に当てはまるような生活をさせてもらって、
これ本当にお茶のことはもちろん本当にすごい素晴らしいから、お茶の話ももちろんしたいんだけど、
暮らしてるっていうことの中で起こった事柄っていうか、自分がこんなことをあんまり考えたことなかったなとか、ここまで実感したことなかったなみたいなことが本当にたくさんあったの。
さっき花火大会があるからって言って誘ってくださったっていう、花火大会は本当にむちゃくちゃ早い。5月のこんな早い時期に花火大会なんて。
花火大会の思い出
向井 確かに早めですね。
見たことも聞いたこともないっていう状態の花火に行ってみたら、地元の人みんな来てんじゃないのみたいな感じの。
埼玉って本当に東側の方の都市、東京の延長線上みたいになってる東側の埼玉と、山とか緑とか川とかがバリバリある西側とで思いっきり分かれてるっていうことが今回私初めて分かりまして、
でその西側の方なわけですよ花火大会があるのは、あの半能っていうご飯に脳みその脳違うっていうエリアなんですけど、半能っていうエリアの辺で花火大会があってて、で言ったら田舎なわけですよ。
でそこの道歩いてたら子供たちがこんにちはとか言ってくれるみたいな子たちが。
向井 なんかあるあるやん。
ギッシリ、子供から大人からおじいちゃんおばあちゃんまでギッシリその花火が見れますっていう、小学校なのかなあれ。
公共の施設の駐車場とかエリアみたいなところに集まって屋台も出まくってて、なんかすごいことになってて。
向井 一体感ありますね。
すごかった。でこれ花火が上がり始めてみたら、もう人生で初めてのレベルで、花火って普通こうポーンって上がってバーンって開くじゃないですか。
でその後開いた映像の後に音が遅れてドンってくるでしょ。今回の花火違かったんですよ。
ポーンって上がってパンドン。
向井 近い。
むっちゃ近い。光と音がほぼ同時っていう。
向井 めちゃめちゃ近くで見たんですね。
すっごい花火大会で。でその花火見ながら、初めてのシチュエーションだったわけですよ。
私そのいつも花火見る時って同世代の人たちと一緒に行って花火見るとかのことが多いわけ。繁忙祭りみたいなもんだから。
なんだけど今回その人生初だいぶ先輩の人たち。
向井 確かに。
来年もまた来ますよははははとか言ってたら、来年いるかどうかわかんないからねって普通にさらっと言われるような感じの大先輩方と同じ場所で花火を見上げて、わーすごいね綺麗だねっていうのを人生で初めて私やったわけですよ。
向井 儚すぎますねその瞬間。
そうでしょやっぱりあの花火っていうものが持ってるすごい儚い美しさ開いて散っていくまでその光音消えた後にまたどんどん新しい花火が上がってきたり煙が風で流されていって消えていったり。
でもそれまでは連発で花火が上がった後とかってやっぱり煙がモワモワしたりとか、なんかそういうことをそのおじいちゃんズおばあちゃんズと見てるときになんかもうすごいわー人が生まれて死んでいくっていうことはみたいなのがもう花火見ながら自分の中でビシバシ起こってしまってなんかすごかったんですよ。
向井 めちゃめちゃいい時間ですね。
そうでもこれも多分クラスぐらいのレベルでそっちにいてでそのおじいちゃんおばあちゃんたちと関わったりその土地のエリアがどんな感じのエリアなのかっていうのがわかってきてる状態じゃないとここまで感じてないんですよね多分。
言っちゃえば西部線に乗ったら西部新宿線っていうのに乗ったら大体40分とかぐらいで新宿に着けちゃうような都内からもうそれぐらいのエリアなんだけど子どもたちがこんにちはとかって言ってくれちゃうようなこともあるようなエリアでしょ。
でそういうようなところからもう一歩田舎の方に行ってってなるとやっぱりもうその人口自体がだいぶ減ってってるとかそんなのとかもすごいわかるしでそういったところの中ででも今の時代でもそうやってもう本当にその地域に住む人たちみんなが集まって花火をみんなで見上げてみたいなことが起きてる
そういうのの温度感であったりそのすっごいちっちゃい子たちがそこでギャーギャーわーわー言っていながらいろんな世代の人たちと見上げる花火を
ヒカリを浴びている時のみんなの顔が本当にみんな子どもの時と何にも変わらないねっていう顔なんだよね。
いいですね。
本当になんかですねこれ一言で言えないんだけど思い出すと今もうやっぱりちょっと鳥肌が立ってきてるんだけどそういうような経験を今年本当にしてすごいとんでもないってなったんですよね本当。
声が小さくなっちゃう。
声小さくなっちゃう。
泣いちゃいますね。
泣いちゃう。
泣いちゃうわ。
なんて言ったらいいんだろう。
その時にやっぱりいろいろ花火を見てる間って普通は黙るじゃん。
花火がすごい有名にずっと喋ってるからなんだけどそこの花火大会ポンポンポンポンポンってちっちゃい感じの花火とどんどんパンパンパンって大きい花火が上がるっていう構成になってて。
しかも提供が一個一個あるの。
かつてあった福岡の大振花火大会もそんな感じだったんだけど。
提供が花火がパンパンパンって上がったと言われて準備の間があってどんどんパンパンって上がってみたいな感じで今回のこのちっちゃい花火のやつの提供はどこどこ。
今回のこのちょっと大きいやつの提供はどこどこ。
今回のラストフィナーレのめっちゃすごいのの提供はどこどこみたいなのを言うの。
間がすごいあるんだよね。
その間の間にやっぱりみんな花火とか見て高揚したりとか心開いちゃってるから、すっごいいろんな話をするわけ。
その話を聞いてると本当に今ここの目の前にいるおじいちゃんおばあちゃんたちが若かった頃、ちっちゃかった頃、歳をとっていく中であったこと、
そして今に至って今の感覚で喋ることみたいなのがもうすごい多重レイヤーみたいになって、
本当に私オーケストラってそういう感じだと思うんだけど、音がレイヤーになってワーッてくることでしか感じられないものとかあるじゃない。
なんかそういうのが一気にドワーッときちゃった感じで。
人が生まれて、そして死んでいって、でもその時にはこういうふうに若い世代たちが育っていて、
この若い世代たちに見えてないことをおじいちゃんおばあちゃんたちは同じ花火を見上げながらそこに見てたりとかして、
でも伝えられないけど伝わるものもあってみたいなこととか、
こうやってやっぱり昔をずっとちっちゃい頃からの自分を体の中に蓄えて蓄えてきたから見えることできることと、
だからもうできなくなっていることっていうのがあって、
だから私たちは新しい命にバトンを渡していくみたいな形で、
やっていくことを選んでるんだなみたいなこととかがすごくね、
クワーッときちゃって。なんか私も花火を見ながらちょっと途中わけわかんなくなって。
すごいな。
地域との繋がり
なんかこの気持ち私、なんだろうどうしたらいいんだろうと思って。
最後のフィナーレの時とかもうちょっと、わーってなっちゃって。
なんかもうちょっとしばらく喋れなかったもん。
それだけいろんなものを受け取ったんですね。
そう、すっごい花火大会だった。
確かに毎年毎年同じ場所で花火大会があって、それには子供時代があり、大人になった時代があり、おじいちゃんおばあちゃんになった時代があり、
でも毎年同じ時期に花火が同じ場所で行われるって、確かに谷川しゅんたらバーム空編感がすごい感じられそう。
そしてやっぱり一緒にお茶摘みしているおじいちゃんおばあちゃんたちって、本当に多種多様で、
やっぱり結婚してこっちの土地に来てっていう人とか、世代的に女の人が多いんだけど、とか仕事でこっちに集団就職の時期とかに上京してきて、
そのまんまこっちに住んでて、自分で事業展開してるとか、
ご縁があって、一旦自分の仕事を大きくなった後、ある程度中年とかになった後にハンドル切るみたいな感じでこっちに移住したとか、いろんな人がいて、
もちろんその中に子供の時からずっとここに暮らして、ここで年取って、ここで子供も育てて、育てていくために働いて農作業もしてとか、みたいなことをして今に至ってるおばあちゃんとか、
そういうおばあちゃんたちとかがカリスマみたいに心惹かれて、いまだにもう亡くなられて2年以上も経ってるのに、その人の名前がお茶摘みの時には生きてる人みたいに出てくるみたいなこととかもあったりとかで、なんかね本当にすごいのよ。
確かに言葉にならない、これは。 そう、本当にお茶を摘むっていうこと自体が私にとってはもちろん喜びですごくそれは楽しくて心躍る。だから行くっていうところはある。それはでも半分だなって思う。
こうやってその土地に生きて暮らして、お茶を作ってみたいに命を重ねてきた人たちであったりとか、今生まれているものとか、これから消えていくものとか、なんかそういうもののことをね、なんかやっぱり大地に触れて暮らして、1年のサイクルっていうのをずっと繰り返していって、
で、その中でやっぱりいつか自然に当たり前のように死んでいくまでは生きるっていう。だからねやっぱすごい、その話をしている時とかに出てきたフレーズで、
花火と土地の人々
いやでもね、私たちのこと大ベテランだってあなた言ってくれるけど、そんなこと言ってもね、私がこういうのをやり始めたのは20歳も越えて嫁に来てから以降だからって言って、死ぬまでやっても多分60回とかぐらいしかやってないのよって。
おー。
うわー、その俯瞰の距離。うわ、そうか、でもそうですよねと思って。
年に1回だからね。
そう、巡り巡るっていうのがもう当たり前に入ってるの、体の中に。それ前提なんだよね。
すごいことだなと思って。
やばいこれ。
もう私本当に、なんて言うんだろう、その土地のお茶を子供の時から当たり前に飲んできて、好きとか嫌いとか、以前にここのお茶じゃないとっていう人たちがお茶を買いに来てる人たちとお話しする機会もある。
お茶摘みしてる人の中にもここのお茶を父がずっと子供の時から買ってて、父が、うちは結構早く亡くなったんだけど、父がずっと買ってたお茶を父が亡くなった後もみんな飲んでて、
自分は自分の仕事が定年退職で終わったから、時間があるなって時に何しようかなと思ったら、お茶摘みができるよっていうご縁があったから来たのっていう人とお話ししたりね。なんかもうすごいんだよ。
泣けてきました。
泣けてきましたって本当に泣いてんじゃん。
泣けてきた。
でも本当にそうなんだよ。なんかもうすごいんだよね。なんか私ももう、何て言っていいかわかんない。こういう気持ちを。
そういうことがね、本当に1ヶ月も住んでるとやっぱりいろいろあって、でもそれはね、本当にその土地にずっといらして、その暮らしをしてきた方たちがいいよおいでって言って受け入れてくださって、
なんかね、身を寄せさせていただけるから感じることで、なんか本当に私すごいことをさせてもらってるなってね、思うんですよ。
今年は1ヶ月もいたからもう本当に去年のこともあって、なお感じています。
なんかね、美しい。
すごいですね。なんか、おじいちゃんおばあちゃんって私からしたらすごい長く生きてると思うけど、確かに回数で言ったら60回って。
人間が生きてる時間って結構短いんだなみたいな。
でもお茶の歴史ってそんなもんじゃなくて、言ったら大地の歴史なんてそんなもんじゃなくて、そのなんかスケールのでかさを感じてる。
すごい。
その儚さも感じてるっていう。やっぱなんかそれって教えられたとかじゃなくて、感じるものなんでしょうね。
そうなんだと思う。なんかすごいよね。やっぱりだからその、おじいちゃんおばあちゃんたちと話してると、自分はこのように世界と触れ合って世界を見てきたっていう話をすごく聞いてるって気にすごくなるの。
もちろんほらね、その時々の社会の常識とか、その人間関係コミュニティを作っていく上でどういうことが大事とか、そういう社会的なつながりの部分のところっていうのもお話の中にはたくさんあるんだけど、
その先にね、この人がこういうふうに生きてきたからこうなんだなっていうのがね、なんか転がっててね、そういうのに触れるたびに私は本当に何とも言えない気持ちになるんだよね。
こういうのもひっくるめて、私はたぶん今のこの新茶の季節にお茶を摘みに行くってことを今すごく愛してるんだと思う。
世代を超えたつながり
ヤバい。
もうこれ収録じゃなかったら号泣。
号泣している。
めっちゃ。
もう言葉が出ない。
めっちゃ泣いてる。
なんかちょっと今日ね、また今日1日4本収録してるんですけど、後で話そうかなと思ってるんですけど、
カンタティモールっていうインドネシアのあたりにある東ティモールっていう国の独立に関して映画になっている映画、カンタティモールってタイトルの映画があるんですよね。
石玉さんが茶摘みに行ってる間に私はその上映会と監督を呼びしたお話会があったんですけど、そこのキーワードが大地の子なんですよね。
戦争はしちゃいけないよ、の次に続くのが大地が起こるよなんですよ。
すげえなと思って。
で、みんな大地の子であると。大地の子。だから国、国籍が違うとかも関係なくて、大地の子なんだからって言ってて、
なんかすごい感覚だなとか思ってたけど、茶摘みに関わってる人とか、その感覚、言葉にするかしないか置いといて、すごいわかってるんじゃないかなと思って。
泣けました。
いやー、ね。
そうでなんか、すごい人間のことばっか考えてると、その微妙な違い、差が気になってギクシャクするけど、
大地の子とか、言って私が生きてる間にできる茶摘みなんて何十回だからねっていう、
この大きなスケールで命を捉えられてると、全然世界の見え方違うなと思って。
とてもわかる。そして私、もう10年以上前だけどカンタッティモール見てて、だから後で話聞くのめっちゃ楽しみにしてる。
いやーでもほんと、そうなんだよね。なんかいっぱいいろんなことあったけど、もう本当にこの花火からのこの話するだけでももう、
私、今回の暮らしの話は、大事なとこは話したって気がする。
いつも収録の後にカフェとか行ってまたいい話するんですよ石澤さんが。収録中にそれ言ってくださいみたいになるんですけど。
よかった。というわけで、皆さんはどうでしたか?
私は泣いてますが。
本当だよ。もうびっくりするぐらい泣いてる。なんかね、でも和音のそういうとこ私すごい好き。あなたのさ、なんだろうその、
どうやったって柔らかくてうるんでて産むなところみたいなのを、世界の上に置いとくことを、
なんて言うんだろう、恐れない、それをすることをできるっていうところが私にとってはものすごい素晴らしいとこだなっていつも思います。なんか。
なんか全部奇跡じゃんみたいな見えません?その視点が入ると。
ちょっとグッと来てますけど、リスナーの皆さんどうですか?みたいな。
長い。今日長い。
もう本当ね。
話は続きないのですけれど。
誰かのすごい大事なことだったりとか、当たり前すぎる当たり前の話みたいなものって、実は本当にすごい宝石みたいな感じだよね。
本当ですよ。だってたぶんその人、私とついてきてそこから説明してて、60回だからねって誰かの感動させようなんて思って言ってないじゃないですか。ただただそう感じてることを言ってるだけじゃないですか。
本当やばいです、その威力が。
ね、本当。ということで。
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ギャップとマッチ。お届けしたのは石玉と和音でした。
聞くほどに心がほぐれ、何かとの境界線が解けて、ちょっと豊かな気持ちになりますように。
26:20
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