1. ギャップトマッチ
  2. ♯89「体調を壊すと本が読める」
2025-09-24 26:14

♯89「体調を壊すと本が読める」

体調を崩した日は外にも出れないし仕事もできない。そんな動けない状況が読書に集中させてくれる。制限されたときにこそ体験できることがある。ちなみに、本を読む理由は、勧めてくれた人のことや作者のことを知りたいから。別に読書家ってわけじゃないのです。\お便り募集/SpotifyのQ&A「このエピソードについてどう思いますか」、もしくは、運営Studio HICCHOのWEBサイト「番組へのお便りはこちらから!」へ、番組へのコメントやお手紙、ご相談などお気軽にお寄せください。いしだまと和音が喜びます。https://studiohiccho.com/Instagram@gap.and.match

サマリー

体調を崩した日、普段は本を読まない話者が、動けなくなることで読書に没頭する経験を語っています。読書に対する考え方や、他者との関わりが本を読む動機につながるという洞察も交えられています。また、体調を壊すことで本を読む気持ちが戻ってきたことについても話が展開されています。在日韓国人に関する本を通じて、異文化理解の重要性や、出会った情報をどう活かすかが議論されています。さらに、読書へのアプローチや関連する感情についても触れられています。

動けない日と読書
ギャップトマッチ。年齢も性格も趣味も異なる石玉と和音の2人が、日常のあちこちからギャップや共通点を見つけ出す番組です。
今日はですね、最近本を読まなくなった私が、
あ、そうなの?
はい。本を読むことができた話しようかなと思って。
あー。なんで?
まず、なんで本を読まなくなったかからですか?
あ、そっちじゃなくて、なんで読めるかの話でもいいんだけど。
あー、なんで読めるかですよね。
ここ最近、私、本読まなくなったなって実は思ってて、
まあ、とはいえ結構本を手にしてる時もあるので、本の話しろって言われたら、まあできるんですよ。いつも。
だから本をたくさん読んでいるように見えるんですけど、実際そんな読んでなくて、
で、最近1日2冊読んだ日があったのかな。
1日1冊を2日連続で読んで、2日で2冊読み終わった日があったんですよ。
で、それはどんな日だったかというと、体調を崩した日だったんですね。
あー。
でも、体調悪いし、家から出れない。で、仕事もできない。それでいいと。
動けないと決まった瞬間に、めちゃめちゃ本が読めたっていう。
はいはいはいはいはい。
だからこの、動けないと確定すると、動けることってないですか?
あるあるあるある。めっちゃある。
あります?
わかる。
だからね、普段はね、選択肢多すぎるんですよ。
本読みたいけど読めない人は、あ、なんかカフェ行ってもいいな、何々してもいいな、あれもしていいな、でも仕事進めたほうがいいかな、あ、あれやっとかなきゃいけなかったみたいな。
やれることが多い時って、気が散るというか、惑わされちゃって、本を読むに限らず、やりたいことできないんだけど、全部もうできないって決まった瞬間に、できるっていう。あります?
あるあるある。わかる。めっちゃそれわかる。
あのさ、ちょっと前にさ、私、文章書いてて、一回文章書き上がったんだけど、なんかもうちょっと違うアプローチないかなと思ってた時に、雨がめっちゃ降った日があって、その雨降った日に、もう家出れないわって思って、
文章書いてたら、スッタカタッタッターンって書けちゃって、全然違う文章全部ゼロから書き直すみたいなことが起きたんですけど、あれも多分雨の力だと思うんですよね。
だからね、制限されることっていいですよね。
そうだよね。制限って、やっぱりその、ある意味選択だもんね。
本を読む動機
そう。
だからね、できない人はね、幸せってことですよ。本が読めない人は、他にやることがいっぱいあると、選べるということですよ。
そうだね。それは本当にそうだな。なんかさ、例えばさ、私がそういうことできてすごいねとか、そんなことできるんだみたいなこととかを言ってもらえることが、なんでできるようになってるのかなみたいなことをね、深掘りして考えてきた時に、できないことがあるが横たわってることっていうのが結構ある。
例えば?
なにそのニコニコ、微笑まれてる今。
いや、なんだろうね。でもこれは本当にさ、例えば私は、字を書いたりするのとか、そんな早くないんだよね。
へー。
そうそう。早くないっていうよりは、なんだろう、字を書く、字をきれいに書こうとすると、なんていうんだろう、きれいに書こうとする速度と、自分の頭の中の速度が合わなくなっちゃって、書くの嫌になっちゃって、やめちゃうんだよね。
追いつかないからってことですね。
たぶんすごいストレスなんだと思う。だから、全然字を書いたりするのとか、昔本当にそんなに好きじゃなくて、だから学校の授業とかも、全然ノートを取らない人みたいになってたんだけど。
書きたいことがありすぎて、もう書かないみたいな?
書きたいことがありすぎて、っていうか、版書書かれてるものをパーッと見て、全部書く必要がそもそもないって思ってたし、
強気だ。
なんて言ったらいいのかな。
たぶん単純に、字書くのがあんまり早くないんだと思う。
だから、そんなにいっぱい情報書かれても、私ノートに書けんわ、みたいなところはあったんじゃないかなって思うんだけど。
だから、そういうところがあるから、ひょっとすると、なんか今書かれてることってどういうこと?みたいな要約をする能力が高まった可能性もあるなと思うし、なんかね、そういうことってある気がするんですよ。
確かに。だから、それがやっててすごいねじゃなくて、いやいや、それしかできないんですって話ですね。
そうそうそう。そうなんですよ。
そういうことって、かなりある気がする。なんかいっぱいあるできるの中から選んで、このできるを伸ばしましたっていう人生の人もいるだろうし、いろいろブレンドしてると思うよ。
なんかその、それしかできないからこれっていうのと、これもこれもできる中でこれ選ぶみたいなのって、一人の人生の中でもいっぱいそういうの共存してるんだろうと思うけど、共存してるんだと思うんだよ。
なるほどね。なんかちょっと話変わるんですけど、最近、本にまつわるイベントに行ったときに、本を読むことと食事が似てるって言った人がいたんですよ。
要は、本の読み方を食事に例えることができるんですけど、本をどんなふうに読みますか?って聞かれたんですね。
どういうことですか?って聞き返したら、例えば僕は本を食べるとき、せんべいを食べる感覚ですって言ったんですね。
要は、本を読むこと、例えば特別なことですごく大事なことで、ケーキを食べるように味わって食べるみたいな人もいるかもしれないけど、僕はボリボリ食べる感じ。もっと気軽に。
で、文庫本しか読まないと。実際、サイズもちっちゃくて持ち運べて、気軽に開ける本しか読まないって言ってたんですね。
それ聞いたときに、私全然違うわと思って。せんべいを食べる感覚とは、まあ程遠いなって。
どうなの?
私はですね、ぶっちゃけ本読んでるわけじゃないんですよ。
ちょっと待って、これひょっとするとマッチかもよ。
マッチ?
どうぞどうぞ。
その人を知りたいだけなんですよね。
人っていうのはいくつかあって、例えば誰か私にその本を勧めてくれた。
勧めてくれたってことは、その人がまずその本を読んでいて、かつ私としゃべったときに、あなたこの本好きそうって思ってくれた。
その本は一体何なんだ?が知りたいんですよ。
その本を読むことで、相手が私をどう見てるとか、相手がどんなことを考えてるかがわかるじゃないですか。
だからそれが強烈な本を読む動機づけになるんですね。
で、あとは作者自身。この人どんな作品を書くんだろうって言って、その人の本をいっぱい読む。
中身じゃなくて、人を知りたくて読んでるんで。
だから本を読まなくなるときっていうのは、そういう本を勧めてくる人が少ないときは読まないし、
人に会って、その人が本の話したら、なんか本をたくさん読むっていう。
私が人とどう関わってるか、どういう風にあってるかが、私が本を読む冊数と関係しているんですね。
なるほど。面白い。
これを食事に例えると何かって話なんですけど、
これって食事に例えると何になります?って言ったら、料理研究家の読み方ですねって。
ご飯を食べるときに、この料理ってどんな調味料が使われてるのかなとか、
この料理ってどういう国の、どういう文化の食べ物なのかなって。
料理を研究している感じの読み方ですねって例えられて、
それがしっくりくるかわかんないけど、せんべいを食べるようには読んでない。
読書と人との関係
どうですか?例えれます?自分の読み方。
さっきマッチって言ったけどさ、だいぶ違ったかも。
違った?
でも私も、文章の先にある世界をただ吸ってるって感じなんだよね。
吸ってんだ。
吸い込んでるっていうか、なんだろう。
空気?
そうそう。だからね、呼吸と近い。どっちかっていうともう。文章を読むのは。
匂い嗅いでるみたいな?食べ物の。
なんだろう。食べ物じゃない。だから。
食事に例えれない。
なんか食事だとか思ったこともない。本を。
なんかね、本当になんかもう、私あれなんですよ。
子供のとこから、机の上にあるふりかけの成分表示とか読んじゃう子だったんですよ。
だから、そもそも多分読むこと自体が好き。
文字を。
おそらく。だからもう本当。
なるほどな。
今でも、なんだろうな。暇があったら、文章読んでる気がする。
どんなのでもいいんですか?
でもね、だから、空気とかと似てるから、合う合わないがある。
ありますよね。
ここの空気には長く入れないなとかあるじゃん。
それと似たことが本でもいつも起きて。
だから、何回折に触れ、こんだけ有名なんだから、ちょっとやっぱ読んでみたいなとか思って。
何度もトライするんだけど毎回ダメみたいな作家さんもいるし。
なんだろうね。だから本当に、私にとっては本は呼吸するものとかとすごい似てるから、
食べ物ってさっき結構衝撃を受けてた。全然違うわーと思って。
私も考えたことなかったけど、石玉さん的には誰かの家に行ったり、お店に行ったり、街に行った時に、
あ、ちょっとこの空気は合わないから早く出たいなとか、この空気、息吸いやすいなみたいな、その感覚と文字読むことの感覚が似てるってこと?
そうそう。
ほぼ一緒。
へー、考えたことない。
そっか。
あ、そうね。なんか私この感覚いろんなのに例えれるんですけど、私やったことないけど、カルテを書く感覚に近いかも。
へー。もうちょっと間に石何個か置いてもらっていい?
実際カルテ書いたことないから、書いたら違うわって思う可能性はあるんだけど、情報収集してるみたいな感じかも。
情報収集。
カルテに必要事項を書いていくじゃないですか。で、コレクションしてる。コレクションじゃないんだけど、カルテは。その感覚に似てるかも。
本を読んで、あ、この作家さんってこういう感じかって、その人のカルテ埋めて、で、本を勧めてくれた人の本、その本読んで、あ、この人こういうのが好きなんだ、あ、こういう視点が合うわけねって、カルテ埋めてる感覚に近いかも。
どう?
すごいね。へー、そんなこと考えてんだ。
だから、好きかどうかとか、ジャンルあんま関係ないんですよ。
へー。
もちろん本読んで読めない時はあるんですけど、歴史の本ですとか、生物学の本ですとか、小説ですとか、恋愛ですとか、あんま関係ない。
それはそうだな、私もジャンルとかは全然関係ない。
カルテ埋めたいだけだからみたいな。
へー、そう。
へー、斬新、自分にとっては。
こういうのってさ、ほんとみんな違うんだろうね、きっと。
違うと思う。
面白。だって、ご飯って思ったこともないし、カルテって思ったこともないもん。
なんか、その世界にお邪魔したアドモみたいな。
こんな感じですか?みたいな。
今、本を読む話したけど、人と会う時とか、イベントに出る時も、私は常にカルテを埋めてる感じ。
へー。
だから、じゃあ芸術とか全然わかんないけど、行ってみようって思える。
で、カルテちょっと埋まると、もういいかなってなっちゃうっていう。
へー。
それ以上あんまり深入りできないっていうのはあるんですけど。
面白いね。
ざっくり知りたいとか、1回自分の目で見ときたい、体験したいだけだから、あんまりそっから深入りしないこと多くて。
だから、1回イベントとか行くじゃないですか。で、行ってみて、興味持てたり持てなかったり、しんどかったり楽だったりすると、
あ、ちょっともう2回目無理だなってなっちゃって、2回目3回目誘われた時に、いけないみたいなことは結構多いかも。
うんうん。
あー、なるほど。ちょっと表現の仕方がユニークだけど、似たようなことは私もあるかも。
かずねの表現の仕方すごいユニークで面白いと思うけど。
私はカルテは多分描いてないんだけど、これ何なんだろうって、それをすっごい見ようとするっていう点では多分似ていて。
すっごい見てるか分かんない。
すっごい見てないかも。え、どういうこと?でも見ないと描けないじゃん。
チラッと。
何それ。
チラッと。
チラッと。
チラッとしか見てないとは思いますよ。
でもチラッとしか見てないかったら描けなくない?
スカスカのカルテめっちゃ集めてるかもしれないじゃん。
そんなことはないよ。
ないですか?
だってあんなハイライトできないよ私。
今聞いてくれてる人は、ハイライトあれねって思ってる勢と、ハイライトなんだっけっていう新しい勢がいるかもしれないんで説明しますけど、
かずねさんはですね、私から見るといつも、え、それ何魔法?みたいな感じなんですけども、
体調と読書
1時間ぐらいの尺とかでバーって起こったこととかをちゃんと自分の中にスコッと入れて、時系列でこういう時にこういうことが起こって、こういう感じでしたみたいなこととかをサラッと言えるんですね、恐ろしいことに。
言えてる風であるんですけどね。
あれね、やれてるからそんなこと言うでしょ。もうね、風とか言ってるけど、私から見るともう魔法だよあれ。
例えばなんですけど、最近私がその、ちょっと本読む気がまた戻ってきて、今読んでる本が、なんだったっけ、ガラスと雪のように溶ける。
ちゃんと、ユンウンデさんが書いてる、往復書館、要は2人の人がずっとこう手紙のやり取りしてるみたいな本なんですけど、なんでそれを手に取ったかっていうのも、ユンウンデさんって在日韓国人3世かな、なんですね。
で、これもたまたま石玉さんと一緒になったイベントで、在日韓国人の方が人を作って、その人について話しますっていうトークイベントがあって、なんかもうちょい知りたいなと思って読むわけですよ。
で、そっから在日韓国人について詳しく調べるかっていうと、たぶん調べないんですけど、トークイベント出る。
じゃあちょっと本も一冊読んでみる。ただ次どっかで在日韓国人の話になったら、ちょっと喋って、この人在日韓国人に詳しい人なのかなって見えるかもしんないけど、それぐらいみたいなことは起こると。ちょっと喋れるみたいな。
まあでもそうだよね。世の中にはさ、もううぞうむぞうに無数のさ、もう項目だけ全部触るだけでも、一生の命なんかじゃ終わんないくらいの項目数がもういっぱいあるじゃない、世の中に世界は。
だから全部を知って全部を深くわかるみたいなことって、もうそもそも成り立ち上無理だからね。なんかそのたまたまご縁があって、なんかそういうふうに出会ったもののことしかやっぱり自分の中には入ってこないし話せないよね。
そう、次から次にね入ってきますんでね。
やっぱりその国籍の問題だったりとかさ、どこにどういう流れで住むことになったかっていう、体がどこにあるかの問題だったりとかもいろいろするんだと思うんだけどこういうことって。なんかそういうなんだろうな、自分の目がさ世界をバーッと見たときにさ、自分の頭の中にないものは世界の上にももう見つけ出せないじゃん。
たとえばその世界をバーッと見たときに、そこにタンポポが咲いてるって知ってる人はさ、野原をバーッと見たときにあそこに白っぽいタンポポと黄色っぽいタンポポが混ざって生えてる場所があるねっていうのを見つけ出せるんだけど、そういうの知らない状態で野原をバーッと見たときにはタンポポは見つけられなかったりとかよくするじゃん。
なんかそういうこととかばっかりだと思うんだけど、なんか本とかでさ出会ってると、あーそういえばそういうタンポポが咲いてるって話聞いたことあるなみたいな感じで意識が焦点結びやすくなるみたいなことってあるよね。
あとはそういう話題になったときに、ちょっとだけ合図違うてるわけですよ。たとえばユンウンデさんも在日韓国人の方でしたよねとかでもいいから、ちょっとこう合図違うてる。具体的な。
そうすると相手がもっと喋ってくれやすいっていうのがあって、そこはラッキーだけど、もう100%ですみたいな。私から出せるのこの100%ですって感じにはなる。
でも石澤さんってそうじゃないですよね。
どういうことだろう?何話?
ちょっと待って今急に話が飛びすぎて全然聞こえない。
石澤さんは、この話題も拾えるんだって思ったら、そっから今日深く知識が出てくる。
へー。
だって今日も実は収録前にあるお店に行ったんですけど、そのお店でたまたま知り合ったお客さんとなんか音楽の話しましたよね。
あー。雨晒しさんのね。
そう。雨晒しさんって知ってますかってその相手のお客さんが言って、石澤さんが知ってますよって言って、知ってるって人あまり出会わないので出会えて光栄ですって。
そっからの雨晒しさん情報がすごいかった。
いや、全然私雨晒しそんなに深く知らないんですよ。
ほんと?
全然知らないんだけど、少ない触れた中で自分なりに感じた感覚があるでしょ。
だからその感覚はすごく覚えてて、だからその感覚を元にその時にその人とやりとりしてるってだけなの。
じゃあ私とあんま変わんないってこと?
変わんないと思う。
そうなんだ。
だって曲雨晒しで聞いたことがあるのとか、具体的にたぶん10曲も聞いたことないし。
10曲も聞いてるかもしれないんですか。まあまあ聞いてません?それ。
でもYouTubeとかでたまたまそのいろいろな流れで聞いたりとか、雨晒しなんか面白いイベントに関わってんなみたいな時とかにちょっと聞いてみたりとか、
なんかそんな感じをやってる時に、なんかやっぱほら、3曲ぐらい最低聞くとさ、なんとなくその少ないサンプルだけど、なんかこう得意点があるんだよね。
この人の眼差しにこういうことが映るとか、こういうことを歌詞で言う時にもこういう音を使うとか、なんかその自分なりに。
そういう感覚のことは思い出せるから、それをもとに今目の前にいる人がすごく好きだって言ってるんだとしたら、それはなんかあくまで材料として置いて、相手からまた新たに話が聞けるでしょ。
でもこれめっちゃ共通点かもしれないです。そのさらっと何か出会ったものに対してちょこちょこって調査するじゃないですか。
で、このちょこちょこって調査するのが、多くもないけど少なくもない。なんとなく自分の中で感覚がつかめたり、人と会った時に喋れる程度に調査して、
だから誰かと出会った時にちょっと舞台的な合図違うてて、ただ相手が嬉しくていっぱい喋ってくれて、ラッキーみたいな。これは共通点かも。
あーそうかそうか。でもそうだね。何でもそうだけどさ、すごくそれを好きだよとか、それに愛があるよっていう人たちはさ、私なんかよりよっぽどそれについて詳しいわけ。
だからその話を聞きたいって思う。
そのための合図違うてるだけの知識を持ってると、なお聞きやすいよと。
聞きやすいは聞きやすいかもね。なんかやっぱ知ってる人には相手も話したくなるみたいなとこあるじゃん。自分もそうだから。
喋っていいんだって思いますもんね。
そうそう。
あー確かに。
でも知らなくてもいいんだよ。
うん。本当はね。
知らなくても同じことは起きる。
というわけで今日は、私が本読んでるのは、本好きなんじゃなくて、その人を知りたいか、本しか読めないだけに読んでるだけで、本当に読書家じゃないっていう話しましたけど。
でもそれをさ、どういう名前で呼ぶかは相手の自由だから。
そうですね。まあ読書家と思われてたら、そういうことにしておきます。最近マジで読んでない。
あとね、本当思うんですけど、みんなもう頑張るのやめようっていうのを思ってて、最近本読めてないなっていう反省の声よく聞くけど、好きな本だけ読んだらいいし、読みたい時だけ読んだらいいし。
あーそういうことか。
在日韓国人と異文化理解
そう。マジで楽しいよって思う。
あ、あのね、かずねのその意見も本当にそうだと思う。
もう一個だけ視点を入れると、最近本読めてないなぁは、本に対する愛の表明ですから。
その話、次回やりましょう。
え、どういうこと?これ続くの?
続く。というわけで、この番組でお便りも募集しておりまして、
続くんだ。
この番組を運営しているスタジオヒッチョのウェブサイト、番組へのお便りはこちらからお寄せください。
はい、えー、SNSやってます。
ギャップとマッチ。お届けしたのは石玉とかずねでした。
聞くほどに心がほぐれ、何かとの境界線が解けて、ちょっと豊かな気持ちになりますように。
26:14

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