ギャップトマッチ。年齢も性格も趣味も異なる石玉と和音の二人が、日常のあちこちからギャップや共通点を見つけ出す番組です。
だいぶ暖かくなりましたね。
本当。今日の日差しなんて完全に春だよね。
ね、もう冬終わってるんだなって。外に出ると思う。
気温だけじゃないところで、植物とかいろいろなものは判断してるんだろうなって思う時ありますよね。
何から判断してるんですか?
日照時間とか。
確かにね。
寒さ基準で動いてそうな人と、光基準で動いてそうな人がいるような気がなんとなくする。
でもね、本当に春だよ。
春ですよね。そんな3月ですが。石玉さん行くとこ行くとこ、大丈夫ですか?みたいな。忙しくないですか?疲れてないですか?みたいな言われてる印象ですが。
今日の放送が3月12日なので、いよいよ今週日曜。
今週日曜です。
触れときましょう。
それこそ春から始まって、春に戻っていくっていう1年間の巡りを宮沢賢治さんのお話で上演させていただく。
宮沢賢治とめぐる人と世という上演を週末日曜日に福岡市のお隣。
なんなら東区の橋や西区の橋よりは全然近い葛ヶ市で、葛ヶ市ふれあい文化センターという文化施設で上演させてもらいます。
11時からと14時半から。
はい、二部構成。これまだチケットあるんですか?
ございます。まだ準備できまして、午後ご一緒したいっていう感じですね。
なるほど。午後に申し込んでもらえるといい感じですね。
なお嬉しいって感じですね。
チケット購入される方は葛ヶ市ふれあい文化センターのウェブサイトで購入できるそうなので。
そうですね。ウェブサイトもできるんですけど、夜9時までお電話の受付もしてくださってて、電話が楽です。
なるほど。電話してもらってもOK。
そうです。
私的にはもちろん朗読もいいし劇もいいしですけど、ホールに来てほしいっていう。
ホールのステージの上に立てる観客の皆さんもっていう機会なので。
本当になかなかないですよね。
スポットライトがすぐそばにっていう。
なんなら。
当たる?
スポットライトはちょっと今回どうなんだろう。分かんないんだけど。
ライトはね。太陽はみんなに降り注ぎますから。
いいですよね。普通、観客席には起きないことが起きるんじゃないですか。
起きるんじゃないですか。
ぜひ遊びにいらしてください。
何か言っておきたいことありますか。直前。
本当に宮沢賢治のお話は素晴らしいなっていうことと、やっぱり物語って体験なんだなっていうことを改めてものづくりしていて感じていますので、ぜひ体験しに来ていただけるとなと。
そうですね。物語を体験するとはどういうことだと思っている皆さんぜひ。
本当ですね。
来てほしい。
すぐそこでね、同じ舞台上で今回は行われるので。
あとこの季節の話ですけど、やっぱりこの季節って体調壊したりとか花粉症の話とかよくなるじゃないですか。
季節の変わり目だもんねとかって言うけど、確かに季節の変わり目で体調壊すとか花粉症つらいけど、日本に生まれてるから体験できることであり、
みんなが生まれて死ぬまでずっとこの季節に対応して生きてるって、それはそれでいいことだなっていう感じもしてて。
四季がある国に生まれたってことを改めて感じる機会にもなるんじゃないかなとか思ってます。
確かに。本当に綺麗ですよね。結構本当に同じぐらいのシーズンなんだろう、長さで4つ明らかに変わっていくっていうのがね。
本当これなんか当たり前のように受け入れちゃってるけど、冬だから気持ちが沈んでもしょうがないよねとか、夏だし動きたいよねとか、季節によって後押しされてるものだったりするんじゃないかなと思って。
今日はこのイベントをどうしてやろうと思ったのかとか、どんな体験になるんじゃないかということをちょっとだけ話そうかなと思います。
めっちゃ聞きたい。
はい。何から話したらいいですか。
本当だよね。何から話せばいいのかになるよね。
なんでだろうね、自分で企画したイベントとかってさ、企画してもちろんめっちゃやってるんだからさ、
いっぱいあるじゃない、思いとか。
だからいっぱいあるから逆にあれなのか。
確かにね。
どこから本当に何を言ったらいいのかみたいになるのかもしれないね。
なんでそのイベントやったんですか、後付けだから。そこに至るまでは多分いろんなものから影響を受けてそのイベントをやることになってるんですけど、
質問してください、私に。
今回、哲学対話をやりますっていうのを聞いたときに、私のイベントに関しては、
まず哲学対話をイベントでやりますっていう段階ですごく和音っていう人のパーソナリティーが出てるなって思うのよ。
なんで?
だってさ、それってやっぱり人と対話しなきゃいけないというか、
すごい!あのね、まず哲学対話をイベントでやりますっていう段階ですごくカズネっていう人のパーソナリティが出てるなって思うのよ
なんで?
だってさ、それってやっぱり人と対話をするっていうこととか、誰かと深く話すっていうことが人生の中である程度自分にとって当たり前のことになってるっていう人しかこの企画やろうと思わないと思うの
なるほどね
そう、だからこの企画をやるっていう段階でまずやっぱこの人はすごいなって私は思ってて
でも確かにね、これ実は段階があって、私最初コーチングをして1対1のかつクローズドな場でしゃべるっていうことをまず経験してるわけですよね
それでちょっと飽きたらず、1対1でしゃべりたいって言ってイベントのファシリテーター、まずステージに何人か登壇者がいて観客もいるっていう場でなんかやりたいなってやって
それで飽きたらず、深く話したいって言って読書会すると、読書会も1対1なんだけど、哲学対話そのさらに先で
読書会って言ったら本があって、本を中心に据えて本が時間がテーマだったら時間に関してしゃべるし、本が愛がテーマの本だったら愛についてしゃべるんだけど
もう本取っ払っていきなりあなた何考えてますかってしゃべりたいってやっと哲学対話にたどり着いたっていう段階がありますね
やっぱ段階踏んでんだねこういうのって
面白い、でもそうだよね今の話聞いてるとさ多分聞いてる人もああそういう段階を踏んでなのねってめっちゃわかりやすいなって思うんだけど
いやそのなんだろうね哲学って言う言葉がさそもそもなんだろう私はその高校の時に授業で初めて哲学っていうものと出会った気がするんだけど
おー早い早くないですか
えでも授業なんか倫理の授業とかそういうのとかで出てきてた気がするんだけどね
でその時はでもあのなんだろうどうもこんにちは初めましてっていう挨拶をしただけぐらいの感覚だったんだよね
でその後哲学さんはずっとあのあちこちにいらっしゃるちょっと離れたとこにっていうのをお見かけするんだけど
しっかりお話しする機会はないミステリアスなそしてちょっとなんか私なんかが話しかけても大丈夫なのかなみたいな方っていう印象だったのね哲学が
なんか哲学とか倫理とかわかんないんでって思っちゃいますよね
なのになぜ哲学対話どうしても入れたかったっていう
サブタイトルに哲学対話って入れててメインのタイトルは芽吹くこのつの問いって風にしてるんですけど
なんか私も全然哲学詳しくない詳しくないって言うとそもそもそれも語弊があるんですけど
哲学者の名前すごい知ってその哲学者が提言した考え方とか全然わかってないんですよね
なのにどうして哲学対話ってこうタイトルに入れてるかっていうと
大元になってるのが永井玲さんっていう方が書いた水中の哲学者たちっていう本があるんですけど
永井玲さんも哲学対話をいっぱいやってる方なんですけど
その哲学対話ってもうみんな持ってる問いの話なんですよね
例えばなんか私がかずねちゃんって怒るのって聞かれたときに
いや怒んないのみたいな言うんだけど
その後にふと私怒らないのかなそれとも怒っちゃいけないと思ってるのかなとか
それとも怒ること諦めてるのかなとか思うわけですよ
どうして怒れないんだろうみたいな問いってあるわけですよね
こういうのを考えていくとなんかだんだん哲学っぽい話になっていくっていう
永井玲さんもそんな感じとらえてて
だからこう普段例えば私がなんで私怒れないんだろうっていうことを考えなくても
日常は順調に流れていくわけですよ
普通に起きてご飯食べて仕事して寝て
何の問題もないわけですよこの問いについて考えなくても
だけどあるっていうこういうのをみんなそれぞれあるから聞いてみたいっていう
そういうイベントなんですよね
この話さなくても日常は流れていくんだけど
それをあえて話してる時間ってすごい贅沢だなって思ってて
そんな贅沢な時間を過ごしたいっていう
本当にそうだね話さなくてもつつがなく流れるっていう感じだと
確かに話す機会ないもんな
確定申告とかねみんな今してると思うけど
確定申告に関係ないじゃないですかなんで怒れないんだろうとか
そっち優先されちゃいますよね確定申告しなきゃとか
今の夜ご飯の具材買わなきゃとかゴミ捨てしなきゃとか
なんか靴下破れたから買わなきゃとか
そんなしてたら日常は過ぎていくじゃないですか
過ぎていくんだけど話さずに過ぎてしまってる問いを
問いって言うとまた難しいんですけど
なんでこうなんだろうとかこれこれって何みたいなのを話したい
話したいっていう気持ちはとっても分かるっていうか
なんか私そういう話を人からしてもらうのがすごい好きなんだよね
なんだろうそういうさ何でだろうってその人が思ってることってさ
なんか結構まんまその人じゃない
私その人が怒っちゃうことと
そのやれって言われてないのにやっちゃうことって
その人がむちゃくちゃ出ると思ってるんだけど
なんでだろうって思えって言われてないのに思うってことは
本当に
なんだよねなんかね
私この前車運転しててその間に助手席に乗ってる人がいて
なんだったかな運転してていろんな景色が入ってくるじゃないですか
これってなんだと思いますみたいな
よく私がなんかこれって何って言ってたら
本当に問いが多いねって言われたんですよね
同じものを見て同じものを体験してても
違うこれ何でとかこれって何とか
同じご飯食べてもねこれ味付け何とか
これ何みたいな思う人もいれば思わない人もいるし
お皿見てこの皿何みたいな人もいるかもしれないし
あの店員さんのあれ何みたいな
やっぱ注目することって違ってて
それ聞いてるとねその人らしさみたいな出ますよね
出るしそれが好きなのって
その人らしさが出てることの先に
知らない自分が映るからなんじゃないかなって思う時がある私
知らない自分自身ってことですか
そう自分自身がその人の何でを聞くことで
本当だみたいな何でだろうみたいなのを考える時に
初めて自分の中でもそこに光を当てるみたいな
そうってめっちゃ食い気味に言ったけど
私が哲学対話で面白いなと思ってるのは
他人の話聞いてると聞き手なんだけど
実は自分のまだ言葉になってなかった何かに
アクセスすることになるなと思うんですよね
そういえば私にもそれあるわとか
考えたことなかったけど考えてみるとか
例えば私休日になると何か外に出なきゃって思うんですよね
おもろ
それで何か出なきゃ家にいちゃいけないって思っちゃうんですよ
その問いを出したら全くわからんって言った人がいて
ちょっと練習してみたんですけど哲学対話
一人一人じゃあ普段何でって思ってることとか
これこれって何って思ってること言ってみてって一人ずつ出したときに
じゃあみんなで今から何話すって言ったら
その栗原さんが言った
休日になると外に出なきゃって思う感覚を聞きたい
それは自分の中にあまりにもない感覚だから知りたい
そういうこと起きたりするんですよね
そうすると逆になんで私は家にいることが好きなんだろうみたいな
自分の中に新たな問いがたったりもするし
多少の話に耳傾けてるんだけど自分に耳を傾けることになるのもすごい好きなんですよね
たしかに受動と能動をさ
全力でやるとどっちも似たことになるなってよく思ってるんだけど
そういうことだね
そう
そっか面白い
一旦素直に聞いてみよう最後まで聞いてみようやってると
意外とそれが能動的な何かに変わってたりね
そうかだから哲学っていうと
なんかさっき言ったちょっとよく見かける
チラチラ見かけるけどちょっと難しそうとか
ちょっと離れたところにいる人みたいなイメージでいるけど
実は哲学さんになる前のなんでちゃんがいるんだね近くにね
哲学対話の場では自分の体験と自分の言葉で話すっていうのを大事にしようと思ってて
誰々さんがこう言っててとか哲学者の誰々がこういう言葉を残しててみたいな
その一切なしで昨日みたいな
昨日の夜私がみたいな
そういう話をすごいしてほしいと思ってます
そうかじゃあもう全然身構えないで言っていいんだ
そう知識全くなく来てほしい
そうかなんかそのさだからだと思うんだけど哲学サブタイトルに入ってるの
9つの問いっていうことでメインタイトルがついてるわけじゃないですか
ってことは現場に行くと急に
ちょっとねこれ変わりまして方針が
大元のイベントが植物にまつわる9つの物語っていうイベントで
9人の方が寄稿するんですね植物にまつわるしか決まってないので
小説でもいいしポエムでもいいし
なんでもいいから文章を寄せてくれっていうイベントなんですよね
なのでその9つに合わせて9人の人に集まってもらって
その9人は主に文章を寄稿した皆さんを中心に集めて
やっぱ文章を書くってことはいろんなことを思ってると思うんですよね
その文章を書く中で考えたこととかそれにまつわる問いとか
私子供の頃からなんでこうなんだろうって思っててみたいな
そういうのを直接本人の口から聞いてみたいなっていうので始めたんですけど
9人で1時間半短すぎるんで
当日は6人ぐらいになるかも
遠方の方もその9人の中にいらっしゃるので
現地当日来れないって方は来れないってことで
今までやったことないことをやるのを初めてにこれがなる人がいるかもね
そうですね私にとっても初めてだし
もしかしたら喋る人あと聞きに来てくれる皆さんも
初めての体験もしかしたらあるかもしれないですね
実際そうだと思う
ですかね
よくセミナーとかで具体的な問いが決まっているところに行って
その問いについてある程度正解と言われているものに近いっていう人から
それより遠い人に何かを言うみたいな場所結構あるじゃない
でもこれある意味そういうものがないからみんな全く一緒なんだよねきっと
その答えに近いとか遠いもないし
その正解不正解とかみたいな感じとも違うみたいな
そうだから問いがあってそこから始まって喋るんですけど
喋ってたらもっとわかんなくなった
じゃあ時間が来ましたんで終わる可能性もあるしそれでオッケーっていう
喋ったことによって余計わかんなくなったとか
最初みんなこうだと思ってたけどみんな違ったんだみたいな
問いから連想するものは結構みんな違ったで終わってもいいなと思ってて
そういう答えが出ない結論がないまとまらずに終わるみたいな