1. ギャップトマッチ
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2024-12-20 25:06

#45 公開収録2「実は農業で生計を立てていた前原宿」

12月8日(日)、糸島市前原商店街で行われている「MAEBARU ART&BOOK STREET 2024 -遭遇-」の中で、ギャップトマッチ公開収録第2弾が実現!しかも、初のゲスト回。今回は有料イベントということで、全4回のうち前半の2回分を公開します。 ▼イベントタイトル 〜ギャップトマッチ公開収録〜 有田和樹さんの目に映る『文化商店街』 ▼会場 古材の森(旧西原邸) @kozainomori ゲストにお迎えしたのは油機エンジニアリングの社員で、学芸員の資格も持つ有田和樹さん。2回目は、旧唐津街道である前原商店街の歴史について。実は年に一度の参勤交代ではほとんど稼ぎにならず、農業で生計を立てていた。 年に一度の参勤交代/農業/神社/本来の地形 \お便り募集/ SpotifyのQ&A「このエピソードについてどう思いますか」、もしくは、運営Studio HICCHOのWEBサイト「番組へのお便りはこちらから!」へ、番組へのコメントやお手紙、ご相談などお気軽にお寄せください。いしだまと和音が喜びます。 https://studiohiccho.com/

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ギャップトマッチ、年齢も性格も趣味も異なる石玉と和音の二人が日常のあちこちからギャップや共通点を見つけ出す番組です。
生でやると出だしに、もうそこはかとないこの緊張感。
確かに、会場の皆さんもね、できるかなっていう気持ちについちゃってますけど、
公開収録、前原アート&ブックストリートというイベントの中で、今日はギャップトマッチの公開収録をしてますが、
ゲスト有田さんということで、2本目いきたいと思います。
建物の話、いつ頃できたとか、どういう使われ方をしているとかを聞きましたけど、
例えば吹き抜けあるじゃないですか、こういう作りとかって、当時多くある作りだったんですか?
一概に小民家って言っても、農家だったり武家らしきだったり、ここが松果ですけど、
秋内の家、松果。
町どこに建てるかによって使い方っていうか、間取りが若干変わってきますよね。
これは町屋なんで、道に対して必ず表がつく。
今は南側にさ、庭があって、サイコのためにあって、
ですけど、それは農家を基準にしている建て方なんですけど、
絶対道に対して玄関をつくんですよね。
入ったら広いドマがあって、ここは広いですけど、本当は縦長のドマですね。
吹き抜けは隣と隣の家が近いから、明かりが入らないので吹き抜けを作っている。
特にここはドマ入ってここ入ると、すごい漆のりの回廊が回って、
明かりが入って、すごいなって思うでしょ。あれはわざと見せてるんですよ。
わざと。
すごいなって言わせるような作りをしている。
見せびらかしている。
紹介あるある。
あるある。
ドマが広いのは何なんですか?
ここに荷物とかいっぱい置くから。
荷物置き用なんですね。馬とかも入ってたとかですか?
ここは馬が入ってたかどうかわからないんですけど、聞くところによると、
これ今壁になってますけど、トイタ全部外したら全部開くんですよね。
完全オープンになるんですよ。
ほんで、そのまま入ってこれてたっていうのは聞いてるので、馬とかも入れたんじゃないですか。
下のたたきってね、土を固めたやつなんで。
もうそれはそれは。荷物がいっぱいあったんじゃないかな、昔。
面白い。
だって、こういうショーカー、こういう街道沿いとかで、こんなに大きいから普通の家みたいな感じの間取りっぽく見えてますけど、
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普通はもっと窓も後ろの方にしかない縦長の間取りになるじゃないですか。
そうですよ。幅広く作ったら税金めちゃくちゃかかるので、なるべく間口狭くしないと税金かかるから。
細く作るんですよ。ウナギの寝床ってね。
通称ウナギの寝床っていう。
の超拡大版がこれ。
それだけお金があったってことなんですか。
そうですね。
間取りからわかる。
でも特筆すべきはね、表門と玄関がついているという。
どういうことですか。
普通こんなのないんですよ。表門と玄関。
別ってことですか。表門と玄関が別で。
だから普通の街跡とかドアがあって、座敷とかがあって、横に座敷とがドッキングしてるんです。しかも表門付きで。
この建て方はね、もう贅沢すぎて、他の空使い道通り多分ないと思います。
おもろ。
石澤さんね、よくおもろって言うんですよ。
本当に。
もうちょっとあります?質問しなくてもめちゃめちゃありますよね。
いや、そんなないです。
嘘だ。言っといてください。
本当ね、玄関、表門入ったことないですよね。
今度開けますね。
いいんですか。
表門から玄関敷台に行くまでのアプローチの距離が相当長いんですよね。
この長さもね、なかなか、本陣っていう殿様が泊まる専用の宿舎が東海道とかにあるんですよね。江戸時代の建物ですけど。
そういうところでは、ドマと玄関、座敷と表門、セットであるんですけど、それと同じぐらいの距離を持っていると。
すごい。
なんで長いんですか、その距離は。長いと。
敷地がめっちゃあって。
長いことがすごいだろうみたいな感じなんですか。
あのね、胸肩の赤間敷に玄関を持った家があるんですよ。玄関はそんなに大きくないし、入ったらすぐ玄関なんですよ。
2メートルあるかな、ないかなぐらい。ここ6、7メートルありますからね。
じゃあ本当にね、一時はものすごく商売がうまくいっていて、もう、なんだろう、うちはこんなにすごいんだよっていうのを人にそういうふうに見せれるレベルだったってことなんですよね。
たぶん糸島郡の中ではもう1、2くらいの評価だったと思います。
それを壊そうとしたんですよね。
まあね、それはね、時代なんでですね。
やっぱり管理しの大変なのか。
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じゃあストリートの通りの話も聞いていいですか。
はい。
いま商店街、前原商店街って呼んでますけど、当時唐津街道だったんですけど、どんな場所だったとか、どういう歴史がある通りなんですか。
一言で言うと、しょぼい道なんですよ。
何?
しょぼい道なんですよ。
しょぼい?
あんまり人通ってないんですよね、ここ。
え、当時から?
一般の中では長崎街道っていうのが有名なんですよね。
別にあるんですね、通りが。
シュガーロードって通常いま呼んだりしますけど、当時そんなこと呼んでもないけどね。
最近めちゃくちゃ推してるのよ、このシュガーロードを。めっちゃ推してる。
北九州から飯塚とか通って佐賀に抜けて長崎に行く。
これは本当に九州の幹線道路なので、長崎武行とか幕府役人とか、福岡藩市は通ったりもするけど、佐賀藩市とか、九州の初代名はだいたい通るんですよ、そこ。
ところがこの唐津街道というのは年に1回唐津藩市が通るぐらい。
年に1回?
年に1回上下で通るぐらい。江戸に行って帰ってきて。
その年に1回は何なんですか?
3均合体で強制的に通らなきゃいけない時だけ。
3均合体で強制的に通るために唐津藩市が通るぐらい。あとは福岡藩市が時々長崎に行くのに通るぐらい。
なので、ほとんど農家なんですね。宿場町とはいいましてもね。
はたごとかあるでしょ、よく。はたごって宿屋ね。宿屋がいっぱい並んでるのを想像するけど、半分以上は農家です、ここ。
そうなんですね。
要は泊まる場所じゃなくて。
泊まった時には農家を借り上げて泊まります。
家に泊まるってことですか。
農家さんの家に無理やりそれを宿にして泊まると。
3均合体の日とかは。
その時ってちゃんと対価っていうか。
対価払いますよ。1回計算したことあるんですよ。
え、なんで?
唐津藩市がここに泊まっていくら。
取り替えの儲けだったか?
取り替えの料金表があるんで、それ通りにちゃんと払っててるんですけど、これを人足が500人ぐらい集まるんですけど、みんなに割ったら1人500円ぐらいなんですよ、今、換算したら。
もらえるのが。
え、年に1回しか儲かる日、特に儲かる日ないけど、それでも1人500円ぐらい。
間隔で言ったら50問ぐらい。ぐらいもらってた。きれいに分配したらね。
じゃあ大した金額じゃない。
大した金額じゃないけど、この大通行はちゃんとやらないといけないから、1日だけじゃないですよ。結構前から掃除したりね。
お道の掃除したりね。
今みたいに携帯持ってないから、何キロごとに人を2人ずつ配置して、来たら走って知らせるとかね。
09:05
もうすぐ来るよとか。
もうすぐ来るよとかするんですけど、頑張った割には大して。
儲からない。
儲かるとは思ってないけどね、たぶんね。
じゃあその年に1回以外は何してたんですか、この道の人たちは。
農業です。
農業して野菜売ったりとかしてたってことですか。
もうしますけど、中心地なんでですね、いろいろ買い物に来る人もいますけど。
ただね、前原宿が通行あまりないし、大したあれでもないんですけど、なんとか生きながられたのは公共工事なんですよ。
公共工事を担ってたんですか。
いやあのね、官宅がずっとあってるんですよ、江戸時代の初期から大正ぐらいまで。
神殿って聞いたこと。
神殿って新しい。
あるその辺、地名が新しい田んぼっていう意味で、神殿って官宅をずっとやり続けるんですけど、その時に人たちが集まるじゃないですか、人足が。
この伊都郡島郡って言うんですけどね、領軍から集めた人たちが集まってくるし、そのためにやっぱこの町なんで、集まる場所としても機能するし、その公共工事で若干うるおっていると思います。
面白い。今の話聞いていて、やっぱり今と違ってお米作るっていうことが基準だったから、田んぼを作ってっていうのがやっぱり商業圏としての意味を持たせることになったりとかするっていうのが今と違くて面白いなって思うのが一つ。
基準が違うよね、お米とお金で違うからやっぱり。
もう一つ面白いなって今話聞いて思ったのは、官宅めっちゃしてるってことは、今回の公開収録で有田さんがちょっとしゃべってくれてた起水域だよね。思いっきり。
めっちゃつなげてきましたね。すごいなと思って。
起水域ですね。
さっき概念みたいに言ってましたけど、リアル起水域なんですよね、この近く。
そうです。埋め立てたとこがまさに起水域ですね。
ちょっともうちょっと教えてください。
起水域?
起水域っていうか、埋め立てる前が起水域だったんですか?
いやいやいや、起水域がめっちゃ広かったのが、今の川幅になっちゃった、起水域。それでも起水域はありますけどね。
すごい入江が深く入ってたんですよ、昔は。すぐこの真下、真下とは言わないけど、すぐその辺まで浅い浅瀬の起水域が来ていたと。
それをだんだん埋めていって、今みたいに細い川に。河口部はそんなに細くはないですけどね。
12:02
あんな感じになったと。
めちゃくちゃ面白い。これって当時、観宅が始まる前の起水、もともとの起水エリアがどれくらいあったかとかって資料残ってたりするんですか?
ある程度の復元は可能みたいで、あのね、島のイオンわかりますか?
島のイオン。これ絶対地元の人わかってるはずや。
島のイオンも海ですね。
海なんですか?あそこ。
海なんですよ。で、すぐここの前原の下、ここ崖になってるんで、下のね、グリーンコープとかあるあたり。あそこも海です。
めちゃめちゃ近くまで海なんですね。
そうなんですよ。
海のそばの通りだったんですね。
もうね、海に突き出た岬だったんです。
おもろ。
このエリアはどこまで入ってたかって言ったら、使徒神社という。
糸島の中でも。
知らない?演技式内社で一番古い神社なんですよ。
うなずいてる会場の方が。
式内社なんですよ、使徒神社は。
もうね、今うなずいてらっしゃる方が聞いてくださってる方でいらっしゃいますけど、そうですよね。
やっぱり時代を遡っていって、本当はこのエリアがどうだったかとかを知りたいときって、そういう自社仏閣をたどっていくのが一番手っ取り早いですよね。
あのね、こう西側ですね。
カフリ湾の西側は使徒神社までグーッとエリアが入り込んで。
東側も今津ね。今津の方もグーッとエリアが入り込んで、ちょうど使徒神社のところが立教なんですよ。
ここが糸と島を結んでいた橋。
すごい会場の方がうなずいている。
なんでここに神社があるんですか。
神社の鳥居とかって大事なところに針を刺すように建てられるっていますもんね。
だからちょうど入江がグッと狭まるところに使徒神社と演技式内社、一番古い神社があるんで。
それはずいぶん昔ですけど。
昔は糸島水道ってあそこ全部繋がってなかったとか言ってるのがあったんですけど、最近は繋がってたというのが定説になっています。
面白いなやっぱり。
今話を聞いてて、思ったイメージが浮かんできたイメージがあって。
今って言っちゃえば、いろいろなところから持ってきた化石燃料などの力で今の形にこのエリアになっているけど、
これもし文明があらこれもうダメじゃんみたいな感じになって風化してしまったら、
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今話してくれている時期の形にたぶん戻りますよね。時間の中で。
どういうこと?
地球の復元力によって。
そうそう結局風化して作って固めてるセメントとかがボロボロになって砕けていって。
自然の形が本当はもっと海が近い。
そうそう今木水池だったもともとのエリアが町になっているところとか、戻るんじゃないかなと思った。
今より水面高かったし縄文時代縄文改新でもっと水面高かったですし。
そうなんですか。
かなり水面が高かったというか、今よりずいぶん奥まで海が入ってきてたということだったので、
もしかしたら気候の変動というか、気候変動もこんなもの繰り返しなんで、
元に戻るかもしれないですね。ちょっとワクワクしますよね。
ちょっと面白い。
元に戻ってほしい。
変な意味じゃないんだけど、だってそんな前提がめっちゃひっくり返って全然変わる。
私たちが当たり前と思い込んでいるものが、でも大きな目で見たら全然今の方が当たり前じゃなくて、
特殊な状況みたいなのとかみたいなのを。
人工的に一生懸命土地にしてるけど、もっと緩めたら海ですっていう自然な状態を見れる。
ごめん、興奮しすぎてメガネがマイクにコンって当たっちゃったけど。
今すごい不自然なことを保ってると。
そう、でもそういうのを自分の命の長さだとあんまり実感として感じられないじゃない。
だって私たちの命が始まって終わるぐらいまでの間って、多分よっぽどのことがない限りこの感じだから。
けど今みたいな昔からの視点をポイって投げてもらうと、
えーちょっと待って待って待って、全然違うものが見えてきたけど怖みたいな。
おもろみたいな感じになる。
この感じって歴史って最高だなみたいな。
えー、怖の後におもろが来るんですね。
面白い。
もう一回通りのことに戻ってもいいですか。
この通りだから年に一回しか潤う日はなく、それから農業をしてて、
今その現代、2024年、私たちアート&ブックストリートっていう名前でイベントやってるわけじゃないですか。
他にも農家として生きてるけど、こういうふうにこの通り楽しいことやってたとか、そういうこともあるんですか。
あんまないか。
ないんだ。本当に日々最低限の。
いや相当貧乏だったらしいですよ、前原村は。あんま田んぼもないし。
楽しむ余裕もなく日々仕事をして、農業をして。
ちなみにこの西原ってすごい立派な建物じゃないですか。
この通りにはもともとこういう建物そんなにいっぱいあったわけじゃないんですか。
いや、そのね、それまで博物館があったんですけど、
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江戸時代の初期から中ぐらいまで。
その後、後期になってくると、天城とか、
村形の赤間とか、三重の浜とか、地方のこういう都市、都市じゃないけど、町が力を持ってくるんですよね。
周りの農家からの、さっき言った派生のみの人たちからの力を持ってくるんですよね。
そういう集荷業とかをね、扱い始めて、その地域で豪商みたいなのが現れ始めるんですよ。
めっちゃ面白い。
どう面白いか?
面白いか あーいやあの要するにやっぱりその時代が進んでいって人類が培っていった英知
例えばその栽培をするとかそのロウソクを作るとかの技術だって多分出だしの頃 はどっかの誰かが絶対に独占してるじゃん
でもそれがだんだんコモディティ化というか一般化していって作ることができる人たちが 増えていくということと同時にそういうものをじゃあ植えてみてやってみっぺうちのみ
うちの村どうも育つっぽいぞハゼの木がみたいな感じになっていくことで その何独占されていたものとか
いろんなエリアに広がっていくことでやっぱりそういうなんていうのかな 状況が変わっていくが力を持っていったと
まあまあね集荷業とかもわざわざこう博多で住むの遠いから 自分たちでできたらいいなーって中心と中心地結構あるじゃないですか
地域にはここでは前原だったりとかね 赤間アマギとかそういうとこがやっぱり
街として担うようになってくるっていうのが江戸後期になって だんだんだんだんそれが面白い今日に県庁になってくる
そういうところでこう波を捉えたのがこの西原木なんですね 波を捉えた
羽瀬の海の集荷業がいけるみたいな
あ〜そっかそっか
いける
この通りは私がもう知ってるこの通りだと こんな立派な建物ってこの小沢の森だけじゃないですか
本当はあったけど建て壊されたのですか
そうなんですね
どうなんですか
建て壊されてるんですよ
そうなんです他にもこういう建物あったはず
そうその何件かね今でも残ってますけどね
一つは農地改革もあるし農地改革ってもう小作人とかじゃなくて大きな農家が解体されるんですよ
それでそのここ町屋ですけど農村の大きなゴーノーと言われるところも
運営できなくなるんですよねそういう建物維持できなくなるんですよね
そういうのも関係してるしあと
昭和4,50年ぐらいにここめちゃくちゃ儲かったんですよこの通りは
昭和4,50年なんでですか
前原の中心地なんで昭和3,4,50年か
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めっちゃね儲かって博多の山形買うくらいですからね
なんで儲かったんですか
やっぱもう商権としての流星がそこで極まったんです
その時にねこの古臭い建物全部壊したんですよ
ビル建てたのビルじゃないけど今はコンクリート作りの建物がいいみたいな感じで
いい建物建てちゃったんですよ
なるほど価値を感じてなかったわけですね
むしろこんな古臭いので今流行らんし
壊してお金になるもの建てようって
もっとかっこいい近代的な建てようって
その時儲かった家はもうビルっていうか近代的な建物になってて
ここね商売やってなかったからその時だから残ってるんです
声がちっちゃい
あんまりこう儲かってなかった通りだったらもっといっぱい残ってたかもしれない
ところが板島郡の中心地だったもんですから
買っちゃったんですね
でも儲かっちゃってたけどここはもう動いてなかったから
言ったら放置っていうか保留みたいな感じで
人の住まいとしてしかなかったから商売じゃなかったので
この土地をお金にしてやろうの対象にたまたまその時期になってなかったから
放置されて残ったってことなんですね
面白い
ただここの階層の時もおばあちゃん一人で住まわれてたんですね
この広い家に
そうですよ
おばあちゃんが一人
小さな部屋の一角だけで住んでたと
要はそういうことなんですよこういう大きな家って
やっぱり昔使用人さんとかいてのここの建物に維持管理があったのに
今みたいな一人住まいとか二人三人住まいじゃこの家とても運営できないでしょ
掃除が大変すぎます
だからそういう風にしてこの大きな規模の建物っていうのはどんどんなくなっている
何年までその方住まれてたんですか
ここもう20年になるので40年前かな
1980数年
ここが僕が見たとき住んでたのかな
ここ僕が階層前知ってるんで
ここがもう20年そろそろなるんですよね
80とか40年前か
だから10年くらい前あったかなここ階層する前までは
だから2000年から90何年か90年で終わりくらいまで住まれたと思います
24:05
面白いね
住居だったんですね割と最近まで
そうです
というわけではい
いい時間ですね
いい時間なんですけど
次はですね
有田さん何者なんですかっていうのを暇解きたいということで
聞いていきたいねぜひ聞きたい
続きます
ギャップとマッチお届けしたのは石玉と和音でした
聞くほどに心がほぐれ何かとの境界線が解けてちょっと豊かな気持ちになりますように
25:06

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