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#014|ベルト・モリゾ|メアリー・カサット|印象派|マネのモデルから師の画風を変えた画家へ|ドガとの版画実験と潰れた共同雑誌|ゆりかご|子どもの沐浴|ケアの労働を大主題に変えた視線|フラゴナールの血縁説は最新調査で否定された|カサットがモリゾをアメリカへ運んだ理由|シカゴ万博で失われた壁画モダン・ウーマン|1890年の手紙と日本版画|アーティゾン美術館|国立西洋美術館|美術|学芸員の事件簿
2026-10-31 23:57

#014|ベルト・モリゾ|メアリー・カサット|印象派|マネのモデルから師の画風を変えた画家へ|ドガとの版画実験と潰れた共同雑誌|ゆりかご|子どもの沐浴|ケアの労働を大主題に変えた視線|フラゴナールの血縁説は最新調査で否定された|カサットがモリゾをアメリカへ運んだ理由|シカゴ万博で失われた壁画モダン・ウーマン|1890年の手紙と日本版画|アーティゾン美術館|国立西洋美術館|美術|学芸員の事件簿

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美術キュレーションプログラム、学芸員の事件簿。今回の事件は「偉大な男性画家の脇役」というレッテルの誤りです。ベルト・モリゾは「マネのモデル」、メアリー・カサットは「ドガの弟子」と語られてきました。けれど近年の研究が示すのは逆向きの影響です。モリゾは1869年の時点で、速いタッチで戸外の人物を描く独自の様式を持っていました。マネが戸外制作と緩い筆致へ寄っていく過程にはモリゾの作例が作用し、手すり越しの母子を描いたモリゾのモチーフはマネの《鉄道》へ受け継がれています。「モデル/ミューズ」という言葉で片付けると、この双方向性が見えなくなります。カサットとドガの関係も師弟ではありませんでした。版画誌『ル・ジュール・エ・ラ・ニュイ』の共同事業はドガ側の事情で頓挫しますが、カサットは諦めず一人で版画の実験を続け、試作を1880年の第5回印象派展に出品しました。2014年のワシントンの展覧会以降、二人の影響は双方向だったと検証されています。酒場やカフェ、劇場の舞台裏に入れなかった女性画家たちは、家庭という限られた場所を「ケアの労働そのものを描く大主題」へ変えました。モリゾ《ゆりかご》(1872)は母性主題の最初の作の一つで、第1回印象派展では売れ残り、1930年にルーヴルが取得しました。カサット《子どもの沐浴》(1893)は、沐浴させる・拭う・抱えるというケアの身体の動きそのものを描いた作品です。1890年のパリの日本版画展をきっかけにカサットがモリゾへ送った手紙と多色銅版画10点組、モリゾとフラゴナールの血縁説が最新の系譜学調査で否定された経緯、そしてクライマックス——カサットが友人ハヴマイヤー夫妻への収集助言を通じて、モリゾの絵をアメリカの大コレクション(その多くは後にメトロポリタン美術館へ)へ運んだ仕事までをたどります。描く人と運ぶ人。二人の仕事は大西洋の両側で一つの回路を作っていました。♪今日の1曲:ジャズ🎙 パーソナリティ:Hana × Kenta(+ノア)この番組を作っているチームの言語交換アプリ「Moshilin」は、番組内でも触れたとおり、プロフィール(母語・学習目標・趣味タグ)をもとに相性の合う相手と出会えるスマートマッチングが特徴です。カサットがパリの画家たちとアメリカの収集家を結んだように、人と人の出会いをつなぐ仕組みです。Android版:https://play.google.com/store/apps/details?id=com.moshiliniPhoneの方は、Webブラウザから https://safekids.win にアクセスすればそのまま試せます。💌 番組へのメッセージ募集中:感想や取り上げてほしい作家のリクエストを、Spotifyのコメント欄から送ってください■参照サイトNational Gallery of Art|Berthe Morisothttps://www.nga.gov/artists/1733-berthe-morisotNational Gallery of Art|Mary Cassatt, Daring Printmakerhttps://www.nga.gov/stories/articles/mary-cassatt-daring-printmakerNational Gallery of Art|Mary Cassatt Brings Girls and Women to the Museumhttps://www.nga.gov/stories/articles/mary-cassatt-brings-girls-and-women-museumPenn State University Libraries|Mary Cassatt(Literary & Cultural Heritage Map of Pennsylvania)https://pabook.libraries.psu.edu/literary-cultural-heritage-map-pa/bios/Cassatt__MaryEnfilade|Berthe Morisot and the Art of the 18th Centuryhttps://enfilade18thc.com/2023/11/28/exhibition-berthe-morisot-and-the-art-of-the-18th-century/Nineteenth-Century Art Worldwide|Manet and Morisot(展覧会レビュー)https://www.19thc-artworldwide.org/spring26/ambrosini-reviews-manet-and-morisotKCI(京都服飾文化研究財団)|メアリー・カサット回顧展への作品貸与についてhttps://www.kci.or.jp/information/2016/08/exhibition_loan_mary_cassatt_retrospective.html■声質変換:つくよみちゃん公式RVCモデル(CV.夢前黎) https://tyc.rei-yumesaki.net/work/software/rvc/■元の音声:本番組用に生成したDJナレーション音声

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じゃあ、モリゾのあのしゅわりした輝くなタッチって偉大な天才学のDNAを受け継いでいたからなんですか?
そう言われてきたんですが…違います。これは現代の知見として明確に否定しておかなければなりません。
え?違うんですか?
はい。
2023年から2024年にかけて、パリのマルモッタンマネ美術館で開催されたモリゾの展覧会において、
最新の系譜学調査、つまり徹底的な家系図の洗い出しが行われました。
その結果、二人に血縁関係は一切ないと。
ME-FM
美術キレーションプログラム学芸員の事件簿
美術を面白く学ぶME-FM学芸員の事件簿
新顔の花です。
解説のケンタです。
リスナー代表のノアです。
えーと、今回のテーマはですね、印象派を代表する二人の女性画家、ベルト・モリゾとメアリー・カサットについてじっくり紐解いていきたいと思います。
今これを聞いているあなたも、もしかしたら彼女たちのことを偉大な男性画家のミューズ、つまり美しいモデルとして、あるいは巨匠の教え子として認識しているかもしれません。
でもあの…
それって本当に正しいんでしょうか?
そうですね、実は近年の研究ではその関係性は全くの逆、あるいは対等な双方向だったってことが証明されているんですよ。
彼女たちは決して男性たちの脇役なんかではなくて、印象派という美術師の巨大なうねりを自ら作り出して動かしていくエンジンそのものだったんです。
え、ちょっと待ってください。
じゃああの有名なマニとかどこの方が…
逆に彼女たち女性画家の影響を受けていたってことですか?
はい、まさにそこなんです。
今回のプログラムで扱う事件はこの脇役というレッテルの誤りです。
作品と場所という決定的な証拠品をもとに、長年語り継がれてきたこの歴史的誤解を解き明かしていきましょう。
まず一人目のシーンから見ていきましょうか。
1841年に生まれたフランスの画家、ベルト・モリゾですね。
彼女は裕福なブジョージの家庭に生まれまして、当時の女性のたしなみとして史的な美術教育を受けました。
その後、ルーブル美術館での傍舎なんかを通じて驚異的なスピードで実力をつけていって、1874年に開催された第一回印象アディに参加した唯一の女性画家となるんです。
この印象派の歴史を学ぶ時って、モリゾといえば必ずと言っていいほどエドゥ・アルマネとの関係が語られますよね。
何と言っても、マネがモリゾをモデルにして描いた油彩の肖像画って実に12点にも及ぶんです。
黒い服を着て扇を持った彼女の姿は美術の教科書なんかでもおなじみじゃないですか。
あ、12点もですか。
それだけ一人の巨匠から頻繁に描かれていたら、まあ世間からただのミューズとか
インスピレーションの源泉だったんだなーって勘違いされちゃうのも無理ないですよね。
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ですよね。
でもそこで思考停止してはいけないんですよ。
大学の美術師の授業とかでも美しいモデルとして紹介されがちなんですけど、冷静に考えてみてください。
彼女がただ椅子に座って黙って描かれていただけのはずがないじゃないですか。
おー確かに。
彼女自身のアートはどうだったのかという視点がこれまでの歴史…
したが、すっぽり抜け落ちてしまっているんです。
まさにそこが長年の美術師の盲点だったわけです。
ここで証拠を提示しますね。
1869年の時点で森沢はすでに独自のスタイル、つまり
素早く軽やかなタッチで戸外の光や人物を描く独自の印象派様式を完全に確立していたんです。
へー
じゃあその頃マネはどうだったんですか?
一方のマネは当時、まだスタジオの中にこもって重厚で伝統的な暗い絵を描いていたんですよ。
えー?
じゃあマネが外に出て、あの明るくて緩やかなタッチで描くようになったのって?
そう、実は森沢の影響なんです。
まーじですか?
ええ、マネがスタジオでの重苦しい制作から飛び出して
戸外制作の魅力に目覚めたのは森沢の描き方を間近で見て吸収したからなんですね。
さらに決定的な証拠品としてモチーフの連鎖を見てみましょうか。
モチーフの連鎖ですね。はい。
森沢が先に手すり腰の母子という構図で絵を描いているんです。
マネはこれに強くインスピレーションを受けて、彼自身の代表作である
1873年の作品
鉄道という絵で、その手すりと親子のモチーフをはっきりと受け継いでいるんですよ。
つまり、巨匠が新人を教えていたんじゃなくて、森沢が明確に死を変える側だったってことですよね。
歴史家たちは7年ミューズっていうロマンチックな言葉を使ってきましたけど、
なんか都合良い言葉ですよね。そうなんですよ。
結局それは、女性が巨匠に対して持っていた
対等で双方向な芸術的対話を見えなくしてしまう、非常に厄介なレッテルだったわけです。その通りです。
そして1874年、森沢はマネの弟であるウジェーヌマネと結婚します。
でも2人は単なる義理の兄と妹になったわけじゃないんです。
マネの島で、2人は芸術において最も厳しい批評者同士であり続けました。
家族であり、ライバルであり、お互いのスタイルをアップデートし合う関係ってことですが、
偉大な男とそれに寄り添う女みたいな一言じゃ絶対に片付けられない。
すごくスリリングな関係性ですね。本当にそうですよね。
では、もう一人の主役についても掘り下げていきましょうか。
アメリカ出身のメアリー・カサットです。
彼女はモリズより少し年下で、1844年生まれですね。
彼女が印象派と交わるきっかけになったのは1875年です。
パリのガローのショーウィンドウで、ある画家のパステル画を見て、まるで雷に撃たれたような衝撃を受けるんです。
雷に撃たれたような、誰の絵だったんですか?
それが、エドガー・ドガーの作品でした。
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そして1877年、彼女はドガーから直々に印象派のグループへ招待されることになります。
うーん、でもそのエピソードだけ聞くと、才能ある若い女性が巨匠に見出されてグループに引き上げられたって構図に見えちゃいますよね。
やっぱりそれは、師匠と弟子の関係だったんじゃないですか?
多くの人は7年層を誤解してきたんですよ。
でもここで、ハンナ氏の共同事業で何が起きたかを見てみましょう。
ルージュ・ルエラ・ニミ、日本語で昼と夜というプロジェクトなんですが、
昼と夜、どんなプロジェクトだったんですか?
これはですね、ドガとカサット、それからカミン・ユピサロラで進められた、
新しいハンナ技法を実験して出版しようっていう、すごく野心的な共同事業でした。
異なる才能が集まって新しいメディアを作るなんて、すごく現代的でワクワクする企画ですよね。
そうなんです。
ただ、なんとこの計画、言い出しっぺであるドガ側の個人的な事情とか資金不足で、
途中で完全にとんざしてしまうんですよ。
えっ、ちょっと待ってください。
それって完全に、大学のグループワークとかで、一番最初に
これやろうぜって盛り上がったリーダーが途中で投げ出して、残されたメンバーが絶望するやつじゃないですか?
まさにその通りです。
普通なれそこで、リーダーは辞めたから解散ってなりますよね。
でも、カサットの本当の凄さはここからだったんです。
プロジェクトが潰れても、彼女は一人でスタジオに籠って、ひたすら版画の実験を続けたんですよ。
版画の実験って具体的にどういう作業になるんですか?
パステルや油絵と全然違いますよね?
全く違います。彼女が挑んだのは、銅板に酸をかけて腐食させるアクアチントや、
金属の板を直接鋭い針で力強く引っ掻くドライポイントといった、極めて複雑な技法なんです。
うわぁ、チップだけで大変そう。
酸の入った危険な薬品のツボを扱ったり、金属を削るための物理的な握力とか体力も削れるわけです。
これは決して当時の社会が女性に求めていたような、優雅で繊細な手仕事なんかじゃありません。
確かに薬品とか金属とかってすごく工業的というか。
で、火傷や怪我のリスクを伴う過酷な労働ですよ。
でも彼女はそれを一人で極めて、その試作品を1880年の第5回印象和伝に堂々と出品したんです。
師匠が投げ出した課題を、弟子が勝手に一人で徹夜して、
ラボに籠って、教授も驚くような完璧なソロプロジェクトとして完成させちゃったんだ。
かっこいいすいません?本当にそうですよね。
誰かに教えをこうだけの弟子にこんな執念はありません。
近年の美術史学でもこの見方は完全に裏付けられているんです。
2014年にワシントンで開催された展覧会での綿密な調査以降、
2人の影響は完全に双方向だったと再評価されています。
師匠から襲われだけじゃなかったんですね。
カサットが土画から構造を学んだように、土画もまたカサットの大胆な色使いや線の引き方から多くを吸収していたんです。
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なるほど。
ミューズや弟子っていうレッテルを丁寧に剥がしていくと驚くほどフラットで
バチバチ火花を散らすようなプロフェッショナル同士の関係が見えてきますね。
でも、あの2人の作品を並べてみていると
ある素朴な疑問が湧いてきませんか?
疑問ですか?何ですか?
同時代の男性の印象派画家たち、例えばクロード・モネや土画たちは
酒場とか夜のカフェ、劇場の舞台裏なんかをたくさん描いていますよね。
近代化するパリの騒がしい日常というか、
でも、モリゾやカサットの絵にもそういう街の喧騒がほとんど出てこないんです。
2人はなぜそういった場所を描かなかったんでしょうか?
非常に鋭い視点ですね。
なぜ描かなかったのか。結論からいたしまと、描けなかったんですよ。
描けなかった、どういうことですか?
そこには19世紀パリの社会規範という
分厚くて透明な見えない壁があったんです。
今、これを聞いているあなたも、当時のパリのブルジョア人の女性になったつもりで想像してみてください。
あなたは、画家として街角のカフェの様子をスケッチしたいとします。
でも、一人でカフェに入ろうものなら、
勝負と間違われて社会的に抹殺されてしまうんです。
男性画家たちのように、街を当てもなく歩き回って観察するフラヌール、つまりUFO者ですね。
その権利が女性には全く与えられていなかったんですよ。
えー、物理的に立ち入り禁止だったってことですか?
それじゃあ、絵の題材のバリエーションという点で、
最初から男性画家に圧倒的な判定を負わされてるじゃないですか。
描ける世界が家の中か公園くらいしかないなんて。
そうなんです。
普通ならその制約を嘆いて、男性画家の真似事をして終わるでしょうね。
でも、彼女たちは違いました。
その圧倒的な制約を身元に逆手にとって、
近代美術における巨大な発明へと昇華させたんです。
証拠品を見てみましょう。
まず、モリゾが1872年に描いた「ゆりかご」という作品です。
はい、実はこれ、近代美術において、
母性という極めて個人的なテーマを真正面から芸術の主題にした、最初の作品の一つなんですよ。
ただ、当時の第一回印象破綻では、
家庭内の些細なスケッチだと軽く見られてしまって、全く書いてがつかずに売れ残ってしまったんです。
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その革新性は後に評価が完全に逆転して、
1930年に、あのドゥーブル美術館が取得するに至るんです。
その通りです。
絵の中の女性は、たらいの水で子供の足を洗って、ずっしりとした子供の体を支えています。
沐浴させる、拭う、抱えるという、人間の命を維持するためのケアの労働そのものを描き出しているんです。
子供の体重による重力、水に濡れた肌の質感、それに耐える大人の手の動き、
極めて客観的で、かつ解剖学的な正確さを持って描かれているんですよ。
それまでのリアルな人間の営みに、極限までズームロースしたんですね。
そうなんですよ。
これは、カフェに入り浸る男性画家には、絶対に近づけなかった距離感であり、当事者からしか見えない光景なんです。
彼女たちは、家庭やケアという社会から見下されていた領域を、
近代美術の巨大な大主題へと押し上げました。
描ける場所が制限されていたからこそ、新しいジャンルそのものを発明したわけです。
さらに、二人の芸術を進化させた出来事があるんです。
海を越えた1890年の出来事に注目しましょうか。
この年、パリの国立美術学校で大規模な日本版画の展覧会が行われました。
浮世絵ですね。
当時のパリを接近したジャポニスノの波ですよね。
で、この展覧会を訪れたカサットは、浮世絵の鮮やかな多色摺りと平面的な構図に信じられないほどの衝撃を受けます。
彼女は、すぐさま森沿い当てで、こんな熱狂的な手紙を書いているんですよ。
もう、銅版に色のことしか考えられないと。
日本のポップカルチャーを見て、私も版画でフルカラーをやりたいって完全に火がついちゃったんですね。
その通りです。
そしてカサットは、この刺激から驚異的な周知力で、多色銅版画の10点組を制作して1891年に発表します。
先ほど版画の過酷さを話しましたけど、多色摺りはさらに別次元の難易度なんですよ。
色を重ねるってことですよね。
色ごとに別の銅版を彫って、紙の上でコンマ数ミリのずれも許されずに、複数の版を完璧に重ね合わせなければならないんです。
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職人の分業じゃなくて、一人でこれをやり遂げた彼女の技術力に、あの神井ゆぴさろすらも、日本作品のように美しい、見事だと絶賛したんです。
カサットが技術の限界を突破していく一方で、モリスの方には、彼女の才能を説明する際に長年まとわりついていたある神話がありましたよね。
私が大学で美術史を学んだ時も、
必ずそのエピソードがついてまいりました。
はい、モリソといえば、18世紀の有名なロココ画家、ジャン・オーノレ・フラフォノラルの名医の孫であるという血縁関係のエピソードですね。
これがまるで彼女の才能の裏付けであるかのように、長く語られてきました。
へー、じゃあ、モリゾのあのしゅわりした輝くなタッチって偉大な天才学のDNAを受け継いでいたからなんですか?
そう言われてきたんですが、違います。これは現代の知見として明確に否定しておかなければなりません。
え、違うんですか?
はい、2023年から2024年にかけて、パリのマルモッタンマネ美術館で開催されたモリゾの展覧会において、
最新の系譜学調査、つまり徹底的な家系図の洗い出しが行われました。
その結果、二人に血縁関係は一切ないと結論づけられたんです。
うーし、いいろったんですか。
じゃあ、彼女の才能をフラフォノラルの血筋だからと説明しようとしていたこれまでの美術史の言説は?
根底から覆されたことになります。
もちろん、彼女の作品にある18世紀美術への親近性とか優美なスタイルは本物ですよ。
でも、彼女を育てたのは天才の血ではなく、彼女自身を取り巻く環境であり、
ルーブルでの絶えばぬ模写と学びだった。これが最新の研究が示す事実です。
なんだかすごく不利落ちました。
当時の男性批評家たちは、女性が地力でこんな素晴らしい絵を描けるはずがない。
きっと偉大な男性画家の血が流れているからだって、実力を認めるための都合のいい言い訳として、血筋の嘘を信じたかったのかもしれませんね。
ええ、そういうジェンダー的なバイアスは間違いなくあったでしょうね。
さて、物語はいよいよクライマックスに入ります。
カザットのもう一つの偉大な仕事、それは大西洋をまたいだキュレーター的存在としての活動でした。
絵を描くだけに留まらなかったんですね。
はい、彼女はアメリカの裕福な友人である、VGのハグマイヤー夫妻に対して、
美術品の収支を強烈にプッシュして、的確なアドバイスを与えました。
動画やマネの作品と並んで、モリゾの作品も絶対に買うべきだと、アメリカの富裕層に買わせたんです。
すごい影響力ですね。
この左肩の銘が、後に現在のメトロポリタン美術館が誇る巨大な印象派コレクションの一種となったんですよ。
すごい、カサットってただの画家じゃなくて、
パリの最先端のアートとアメリカの巨大な資本をつなぐ最高の、なんていうか、マッチング機能を持った人だったんですね。
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今のマッチングっていう例え、すごく的確ですよね。
相性の良い2つの世界を見抜いて、国境を越えて繋ぎ合わせるっていう。
国境を越えて人と人を繋ぐといえば、
ちょっとここで私たちが作っている原稿効果アプリのモシリンについても少しお話しさせてください。
確かに、カサットがパリの画家とアメリカの収集家を結びつけたみたいに、
モシリンも全く違う国の人たちを繋ぐスマートマッチングが特徴ですよね。
そうなんですよ。
モシリンでは、自分の母語や学びたい言語、それにアートな好きといった趣味のタグなんかのプロフィールをもとに、
相性ぴったりの言語交換パートナーと出会える仕組みになっています。
iPhoneを使っている方は、ブラウザからsafekids.winと打ち込むだけで、今すぐ試せますし、
ダウンロードリンクは番組の説明文にあるので、ぜひあなただけのマッチングを見つけてみてください。
はい、ぜひチェックしてみてくださいね。
さて話を戻しましょうか。
カサットのコネクターとしての活動は、その後どんなスケールになっていくんですか?
自分で新しい表現を発明する人であるモリゾ、そしてその価値を見抜いて海を越えて世界へ運ぶ人であるカサット。
二人は、大西洋の両側で印象派というムーブメントを定着させる一つの巨大な回路を作ったといいます。
さらにカサットは1893年のシカゴ万博で、女性感のために幅約18メートルにも及ぶ巨大な壁画を描き上げるんです。
モダンウーマンという作品ですね。
18メートル?さっきの家の中でお風呂に入れている親密なスケール感から、一気に建物を覆うような巨大なパブリックアートに飛躍したんですね。
残念ながらその壁画は現在は消失してしまっているんですが、彼女の野心の大きさが伺いますよね。
しかしそんな彼女にも晩年残酷な試練が訪れます。
1910年代に視力を失ってしまって、画家として最もつらい絵が描けなくなるという状況に陥ってしまうんです。
それでも彼女の歩みは止まりませんでした。
自ら筆を取れなくなっても、1915年にはアメリカでも女性賛成権運動を支援するために友人のコレクションを集めた展覧会を開くんです。
彼女は生涯の最後まで繋ぐ縄、見せる縄として社会と関わり、戦い続けたんですよ。
この二人の圧倒的なエネルギー、今の日本に住む私達でも実感できる場所ってあるんでしょうか?
ありますよ。
東京のアーティゾン美術館では、森澤が1872年に描いた「バルコニーの女と子供」という作品と、
カサットの1901年や1910年の実物作品を同じ館の中で見ることができます。
二人の視点の違いや響きを感じるには絶好の場所ですね。
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わー、ミニ自体です。
また、国立西洋美術館にも森澤の1875年の名作「黒いドレスの女性」という作品が所蔵されています。
日本にいながら彼女たちの生きた筆調を見られるのは本当に嬉しいですね。
そしてさらに象徴的だった出来事があるんです。
2016年に、京都国立近来美術館などで、日本で35年ぶりとなる大規模なカサットの開庫展が開催されました。
35年ぶりですか?
はい。約110点ものの作品が集結したんですが、ここで素晴らしいキュレーションが行われたんです。
カサットの作品と対になる形で、北川宇多丸や葛飾北斎、宇多川広重の浮世絵も同時にペンシングされたんですよ。
それって1990年のパリの展覧会で、カサットの人生を変えたあの日本のアンナたちが並んだってことですか?
その通りです。
19世紀のパリでカサットと森澤を熱狂させて新しいアートへと借り立てた日本版画が、
100年以上の時を越えて、日本の観客の前で彼女の作品と再会を果たす形になったんです。
まるで壮大な伏線回収のような歴史のロマンを感じますね。
今日は偉大な男たちの巻役とか、ただのミューズといった長年のレッテルを丁寧に剥がして、
森澤とカサットの真実の姿をじっくり紐解いてきました。
彼女たちは社会から押し付けられた限られた空間という制約を逆手に取って、
ケアの労働という独自の主題を発明しました。
たまに、そして同世代の男性画家たちとも対等に影響を与えあって、
さらには海を越えて美術史の土台そのものを構築した、
間違いなく印象派の中心人物だったんです。
今これを聞いているあなたも、
仕事とか生活の中でどうしようもない制限とか見えない壁にぶつかった経験あるんじゃないでしょうか。
カサットや森澤みたいに、その不利な状況を逆手に取って、
自分だけの新しいルールを発明できたら最高ですよね。
皆さんはどう思いましたか。
今日の番組の感想や、次はあのアーティストの真実を知りたいといったリクエストがあれば、
ぜひSpotifyのコメント欄から教えてくださいね。
私たちが想像もしていないような、あなたからの熱いメッセージをお待ちしています。
信仰の花と定説だけに立った、リスナー代表ののわでした。
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