イギリスのテイトに6メーター幅もある巨大な3連画《イヴァ》が寄贈されました。 驚くべきは、その展示場所です。
どこに飾られたんですか? なんと、マーク・ロスコのシーグラム壁画が展示されている部屋に隣接してかけられたんです。
うわぁ、それは鳥肌が立ちますね。 リスナーのあなたに説明すると、ロスコのシーグラム壁画の部屋って、
近代美術の聖地というか、苦悩する男性の天才を祀る神殿のような特別で神聖な空間なんですよ。
そうですね、あそこは別格の扱いです。
B.F.M.
美術キュレーションプログラム学芸員の事件簿。 美術を面白く学ぶB.F.M.学芸員の事件簿。
はい。 あの、リスナーのあなた、少しだけ想像してみてください。
2023年のオークション会場です。
熱気がありますね。
そうなんです。すごく熱気と緊張に包まれた部屋で、ある画家の一枚の絵に次々とバカネが叫ばれていくんです。
オークションは醍醐味ですね。
で、最終的に振り下ろされたハンマーの価格がなんと約2911万ドル。
2911万ドルですか。
はい。日本円にして数十億円という途方もない金額ですよ。
しかも、この2023年、彼女の作品の世界落札総額ランキングは、あの20世紀の巨匠マーク・ロスコーも超えて、12位にランクインしたんです。
ロスコーを超えたというのは歴史的な階級ですね。
ですよね。でもここで一番驚くべき事実があるんです。
彼女は長年、美術史のど真ん中から、まるで意図的に消されたような存在として扱われていたんですよ。
なるほど。美術史における巨大な見忘症ともいえる不可解な現象ですね。
なんかミステリーみたいですよね。
ね。今日私たちが証拠品として扱うのは、アメリカの画家ジョアン・ミッチェルです。
ジョアン・ミッチェル。
はい。1925年生まれの彼女は、戦後アメリカの美術界を席巻した抽象表現主義という運動の、まさに中心にいた人物です。
そういえば前回のプログラムでは、ビルヘルム・レイム・ブルックの事件をじっくり紐解きましたよね。
ナチスによって大廃芸術というレッテルを貼られた事件ですね。
彼は作品そのものを物理的に奪い取られてしまったわけですが、でも今回のミッチェルは全く違いますよね。
全く違います。彼女は生涯描き続けましたし、作品は物理的に残り続けたんです。
にも関わらず、記録と評価の中心から外されてしまったと。
そういうことです。見えない力による別種の埋没の事件と言えますね。
なるほど。じゃあ今回の私たちのミッションは、極端な男性中心主義だった抽象表現主義の運動の中で、一人の女性画家がいかにして終焉に追いやられたのか。
そして死後になってから、展覧会史の書き換えと史上画家の急登という劇的な反転を遂げたそのメカニズムと真相に深く迫ることですね。
はい、その通りです。では早速この複雑な事件を深く掘り下げていきましょう。物語の始まりは1951年です。
1951年、何があったんですか?
この年の春、ニューヨークで伝説的な展覧会が開かれました。それがレオ・キャステリラが組織したナインスストリートショーです。
ナインスストリートショー?
はい。ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングといった抽象表現主義、いわゆるニューヨークスクールの巨星たちが初めて一堂に会した歴史的な場でした。
巨大なキャンパスに絵の具を叩きつけるような、あの激しい表現の誕生ですね。
そうです。そこに当時26歳のミッチェルも、自身の巨大な大作を担いで参加していました。
26歳で、すごいエネルギーですね。
さらに彼女は、彼らの会員制の集まりだったザ・クラブの数少ない女性会員でもあったんです。
えーと、ちょっと待ってくださいね。
はい。
伝説の展覧会に作品を出品していて、しかもその中核である会員制クラブにも入っていたってことは、最初から除外されていたわけじゃないってことですよね?
そうなんです。そこがこの事件の非常に巧妙で絶妙なところなんですよ。
物理的には完全に同じ空間、同じ輪の中にいたんですよね?
ええ。彼女は完全に無名だったわけでも、現場にいなかったわけでもありません。
ただ、この歴史的な運動が世界に向けて本格的に指導する際、主催側にはある恐怖があったんです。
恐怖ですか?
はい。女性を多く入れると、この展覧会が真面目に受け取られないのではないかという危惧です。
そのような証言がはっきりと残っています。
ええ、それはちょっと…ひどいですね。
実際、あれほど熱気に満ちた展覧会に出品した女性は、わずか11人に留まりました。
つまり、女性の存在がモイズになるって考えたわけですか?
そういうことになりますね。
彼女が同じスケールの巨大なキャンバスを描いて、ポロックたちと同じ部屋に立っていたのに、批評家や主催者は彼女を意図的に視界から外した。
なんか、まるでスタメンで試合に出場して活躍しているのに…
活躍しているのに?
翌日の新聞の公式チーム写真からは見切れるようにトリーミングされちゃう、みたいなものですよね。
まさにその例えの通りです。
当時のアメリカのアートシーンは、長年アートの中心だったパリなどのヨーロッパに対して強いコンプレックスを抱えていました。
ああ、なるほど。アメリカ発の新しいアートだぞって見せつけたかったんですね。
ええ。だからこそ、新時代の抽象表現主義は、力強く、男らしく、英雄的でなければならない、という脅迫観念があったんです。
男らしさの証明ですか?
ええ。女性作家は、趣味で描いている、とか装飾的だ、という古い偏見の枠に押し込められてしまって、
運動のど真ん中にいながら、中心人物としてはカウントされないという絶妙な阻害を受けました。
恐ろしいほどのガラスの天井ですね、それ。
じゃあその、見切れさせられた評価って、その後の彼女のキャリアにどう影を落としていったんですか?
影響は大きかったですね。
絵を描くこと自体、嫌になっちゃったりしなかったんですか?
いいえ、彼女は生涯を通じて圧倒的なエネルギーで描き続けましたよ。
ニューヨークで定期的に個展を開き、後にフランスのベトゥーリューに移り住んでからも制作を続けています。
フランスに行っちゃったんですね。でも、描くのはやめなかったと?
ええ、決して誰も知らない存在になったわけではないんです。
しかし、1972年、エバーソン美術館で、彼女にとって初の本格的な美術館個展が開かれた際のことです。
1972年、はい。
ニューヨークタイムズの第一線の非評価、ピーター・セルダールがつけた評論の見出しが衝撃的でした。
何て書いたんですか?
ジョアン・ミッチェル。
To Obscurity and Back. つまり、ジョアン・ミッチェル、忘却へそして帰還というものです。
忘却へそして帰還。帰還したって書くためには、一度完全に忘れ去られたっていう前提が必要ですよね。
その指摘は確信をついています。
一流の非評価でさえ、彼女の存在を称賛するためには、一度歴史から忘れられ、
そこから奇跡的に戻ってきたアウトサイダーという物語の枠組みを使わなければならなかったんです。
なんかそれ、ピカソやポロックに対して、帰還したなんて絶対に使わない言葉ですよね。
ええ、絶対に使いません。
それほどまでに、彼女に対する評価の谷は深かったんです。
1982年には、パリ私立近代美術館で、アメリカ人女性画家として初の個展が開かれるなど、ヨーロッパでは確かな評価を得ていました。
ヨーロッパでは認められていたんですね。
ええ、でも本国アメリカでの大開庫展は、なんと彼女の死後、2002年のホイットニー美術館まで待たねばなりませんでした。
2002年?1951年のナイスストリートショーから50年以上も経ってるじゃないですか。
本国アメリカの美術師がどれほど彼女を無視し続けていたかがよくわかります。
本当にその通りですね。
アメリカでの正当な評価が遅れて、彼女がパリで独自の評価を築いていったという話を聞くと、
なんか、アートの文脈って国境を越えて語り合うことで初めて見えてくるものがあると感じますね。
確かにそうですね。多角的な視点が必要です。
リスナーのあなたも、もしパリやアメリカの美術館でミッチェルの作品を見つけたら、
私たちが作っている言語交換アプリ、モシリンの写真投稿機能を使ってみてほしいです。
現地の美術館で写真を撮ってシェアするんですね?
そうなんです。現地の写真と一緒に感想を投稿すれば、世界中のアート好きと22以上の言語で語り合えますからね。
アプリのダウンロードリンクは概要欄にありますし、iPhoneの方はブラウザからsafkids.winにアクセスすればそのまま試せますよ。
パリでの展開もすごかったんですよね。
パリのフォンダシオン・ルイビトンでは、モネとの対話展と彼女の開庫展が同時開催されました。
彼女は晩年、かつてモネが住んだウェテュユの近くに住んでいましたからね。
ウェテュユでモネの気配を感じながら描いていたわけですね。
さらに、2023年には、アメリカ初となるモネとミッチェルの展覧会が開かれました。
印象派の頂点に君臨する巨匠と堂々と肩を並べて対話しているわけですね。すごい出世虚みたい。
そして、極めつけは2025年です。
イギリスのテイトに6メーター幅もある巨大な三連画、イヴァが寄贈されました。
驚くべきはその展示場所です。
どこに飾られたんですか?
なんと、マーク・ロスコのシーグラム壁画が展示されている部屋に隣接してかけられたんです。
うわー、それが鳥肌が立ちますね。
リスナーのあなたに説明すると、ロスコのシーグラム壁画の部屋って、
近代美術の聖地というか、苦悩する男性の天才を祀る神殿のような特別で神聖な空間なんですよ。
そうですね、あそこは別格の扱いです。
そこに並ぶってことは、ただ女性作家の枠として別室で紹介されるんじゃなくて、
歴史に名を残す男性巨匠たちと物理的に同じ部屋へ引っ越したってことですよね?
ええ、まさに物理的な引っ越しです。
空間の配置が変化したこと自体が、再評価の最も明確な証拠ですね。
ちなみに、日本の私たちが彼女の作品を見る機会はあるんでしょうか?
日本で彼女の全体像を見る大規模な開庫展の予定は未定ですが、
接点は確実にあります。
例えば大阪の国立国際美術館には所蔵作品がありまして、
常設のコレクション展で展示されることがあります。
国立国際美術館に?
また、静岡県立美術館も水海という素晴らしい作品を所蔵しています。
どちらも展示台があるので事前の確認は必要ですが、日本における重要な入り口ですね。
身近なところにあるんですね。
古くは1958年に大阪で開かれた国際展に出品されていますし、
2021年にエスパス・ルイビトン大阪が開館した際も
オープニングの展覧会で彼女の作品が展示されました。
なるほど。死後になってようやく正当な評価を得て美術館の壁の配置も変わった。
でも、彼女はただ歴史の運命を委ねて誰かが評価してくれるのを
黙って待っていたわけではないんですよね。
はい。せいぜいにある仕掛けを残していました。
この事件の最も美しい結末がそこです。
何をしたんですか?
彼女は遺言により
遺産の一部を使って資格芸術家を直接支援するための
ジョワンミッチル財団を設立するよう指示しました。
具体的にどんな仕組みを作ったんでしょうか?