2023-08-28 20:34

【##39】「都庁勤務→学校教員 小西慶子さん」前編

第21回目のキッカケインタビューは、新卒で都庁勤務からキャリアをスタートさせて環境局の仕事を経た後に、教員への道を志し大学に通いながら教員免許を取得。私立中高の非常勤講師から先生としてのキャリアもスタートして、私立・女子高・共学など様々な学校の違いを経験しながら働く。並行して、以前より興味があったアートの世界の染織の世界に足を踏み入れて通信課程で学び始めてコロナ禍には本格的に機織りを始めて今年の4月に作品展も実施。現在は学校教員と合わせて制作活動を続けている生き方は、行政側からキャリアをスタートして教育業界にキャリアを移しながら、自分がやりたい事にも向き合っており、様々なキッカケで生き方を変化させてきたインタビューは新しい事を踏み出したい方の参考になると思うのでぜひ聞いてください。


■本日のパーソナリティ

- こどもの未来株式会社:千葉祐大(https://twitter.com/Baccho1983)

■本日のインタビューゲスト

小西慶子さん

Instagram:https://instagram.com/iro_ito_katachi?igshid=OGQ5ZDc2ODk2ZA==


この番組「キッカケラジオ」は、20〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。

人はキッカケがあれば必ず変われる。人生を変化させてきた、内的キッカケや外的キッカケをご紹介していきます。

人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。

同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。

パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。

1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。

40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって

日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。

30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし

50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。


こどもの未来株式会社では

「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、

「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。


▼千葉祐大 個人のSNS

Twitter:https://twitter.com/Baccho1983

Instagram:https://www.instagram.com/yutachiba1983/

Facwbook:https://www.facebook.com/Chibayuta

note:https://note.com/babytech2020

mail:yuta.chiba@kodomono-mirai.co.jp


▼こどもの未来株式会社

HP:https://www.kodomono-mirai.co.jp/

note:https://note.com/kodomomirai

Meety:https://meety.net/matches/rOPStmnWeJfz

Yourust:https://youtrust.jp/users/yutachiba

E-mail:contact@kodomono-mirai.co.jp

サマリー

小西慶子さんはラジオ番組のゲストです。彼女は都庁で働いていたが、学校の教員に転職する経験をしました。彼女は都庁での仕事にストレスを感じ、美術館の展覧会をきっかけに美術系の大学に通い始め、テキスタイルに興味を持つようになりました。彼女の教員キャリアやテキスタイルへの出会いについて話しています。

小西さんのキャリアの始まり
【キッカケラジオ】この番組は、20代・40代の生き方・働き方を応援する番組です。
人はキッカケがあれば必ず変われる。インタビューを通じて、人生を変えてきた内定キッカケや外定キッカケをご紹介していきます。
おはようございます。パーソナリティの子どもみなき株主会社の千葉です。
今日はですね、キッカケインタビューの早井さん、もう21人目の方にゲストに来ていただいておりまして、
今日はですね、僕もまたちゃんとしゃべるのは初めての方で、大学の友人が紹介をしてくれて、
ちょうど、ちょっと前に記事が上がったハグジードーナツというドーナツ屋さんをやっている方のインタビューを取ったんですけれども、
そういうインタビューを見てくれて、ちょっと話をしてみたいという話で連絡をいただいた小西さんに来ていただいておりますので、小西さん今日はよろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
ありがとうございます。いやー、なんかもう盛り上がる気しかしてないのかね。
楽しかったんですけれども、本当にだから顔を見てしゃべるのは僕らも初めてなんでね、いろいろ聞いてきればなと思うんですけれども。
そうですね、最初にちょっと簡単な自己紹介だけしていただいてもよろしいですか。
はい、自己紹介、今の仕事を言えばいいのかしら。
そうですね、今のご仕事ぐらいを簡単に入っていただければ。
今、神戸に住んでおり、近所の私立中学で社会を教えてます。中学1年生に教えながら、片手間というかそっちがやりたいことになりつつあるけど、
都庁勤務の経験
はたおりをちょっとしてまして、はたおりでちっちゃい布製品の製作をして、ちょっとなんかそっちで生きていけたらいいなみたいに思っている人間です。お願いします。
お願いします。ありがとうございます。
いや、いいですね。後ほど深掘りをさせていただくのは、教員というか教師という意味でいうと、はたおりというか何かを作っているみたいな話があるなと思いますので、
ちょっとここをインタビューで深掘っていければなと思っております。
はい、お願いします。
ちょっと多分懸念にもかかっているんですけど、実は共通の知人がいて紹介してくれたんですけれども、僕の大学の友人の三里という友人が、もともと都庁で働いている友人だったんですよね。
その人が小西さんを紹介してくれたと思って、後ほど聞いていくんですけど、小西さんも最初のほうの懸念は都庁みたいなところで働いていたのがあったので、
そうですね。
どこからそういうふうに今の状態になっているかを辿っていければなと思うんですけれども、毎回ベータで聞くんですけれども、
社会人になったみたいなところはどんどん伺っていくと、さっき言ったんですけど、大学はどちらでしたっけ、小西さんは?
大学は、もう過去の昔の話ですけど、早稲田を出ております。
早稲田大学、きちんと出られて、最初の就職がそれでいうと東京都庁になる感じですかね、おそらく。
そうですね。新卒で、胸いっぱいで都庁に頑張って勉強して入りました。
これもなかなか珍しいというか、民間の結構、僕の周りの方が多かったりするので、新卒都庁の方は初めて会ったなと思うんですけれども、さっきも聞いたんですけど。
確かに。
なぜ都庁に入ろうと思ったのかみたいなことを伺ってもよろしいですか。
そうですね。まずは、民間はあんまり考えなくて、それは自分が若かりし頃の青い考え方でした。
金儲け的なものにあんまり興味がなかったんですよ。
熱い心を持っており、青臭い心でした。社会を良くしたいみたいな、その情熱があって。
だから役所系かな、ぐらいに思っており、っていうので役所の都庁を選んだかなと。
国じゃなくて東京都を選んだのは、転勤がないからです。
そうなんですね。面白いですね。
あんまり、幼少期の頃とか、ビジネスとしてお金を稼ぐというよりかは、多分違うことに興味があったとか、そういう感じなんですか。
そうですね。環境問題に心を打たれておりました。
さっきも聞いて、珍しいというか、僕も今娘が小児とかいるんですけど、うちの子もやたら本読んだりとか図鑑読んだりするのが好きだなって思うんですけど、環境問題っていうのは、これ面白いですけど、だいぶ記憶が深まる話なんですけど、どの辺から興味持ってたんですか。
子供の頃って恥ずかしいけど、小学校の時にエネオスのCMで、ココロに満タンを?
エネオスじゃないわ、言っちゃった。名前数出してあげないといけないかな。
心を訴えかける、森林の写真が破られていくCMだったんです。
それを見て、森林を守らなければ!ぐらいに思った感じ。
面白い。いろんな幼少期のきっかけがあって、そこがきっかけになっているわけですもんね。
そうですね。かっこいいなと思って、そんな感じですかね。
ありがとうございます。すごいですよね、そこから。逆にその世代、最近の、僕ももう40なんであれですけど、Z世代の子達ってそういうところに価値観を持っている子も多いなっていう印象。
本市さんも、とあるきっかけから環境問題というのが、小、中、高とあって、実際に就職の選択肢にも大きく影響しているというのは、すごく通じているなと思ったりするんですけど。
そうですね。
都庁では環境に関わるところで、配属をされたという感じですか?
そうですね。配属は環境局だったので、晴れて環境に携わる部署にはいたんですけど、ただ環境局って技術系の人が環境に関わることをやるので、私事務職だったので、やってたのは結構内部管理が多かったです。
この辺とかで聞いている人とか、都庁の具体的な商道ってなかなかイメージが湧かない方もいて、興味ある方もいると思うけど、環境局の事務局で配置されて、先ほども言ったとおり、人事とかそういうことにも関わるような。
そうですね。2年間、4年しかいなかったんですが、4年のうち2年は人事にいました。
環境局って、局がいくつかあって、環境局は小さい方の局なんですけど、700人ぐらいの人間の配置とか給料とか保険料とか、細かいことを管理する人。そういうお仕事でした。
ありがとうございます。700人というと、民間の会社と比べると、結構大きい会社。1000人と超えてくると一つ大きな会社かなと思ったりするので、十分、もちろん都庁全体でいうともっともっと働いてらっしゃるかなと思うんですけど。
そうです。都庁全体1万人かなって言ってたから。
会社で含めると、大企業の日本を代表する会社にしたという感覚だったりするので。
なるほどですね。面白いな。少し深掘っていくと、都庁の仕事イメージとか、都庁とか子育て文明学で伺ったこととか、外から関わったことあるんですけど、中の方の話を聞くと結構珍しいなって。
4年間都庁で勤務されたという話だったと思うんですけど、2年人事であって、もう2年は何をやってらっしゃったんですか?また違うことをやったんですか?
1年目が、だいたい新人は新宿にあるじゃないですか、大きいのが。あそこに1年目から行ける人は少ないんですよ。
そうなんだ。
あっちの方は少なくて、あっちは精鋭が集まっており、いわゆる税務署みたいなところがあるじゃないですか、転在してるじゃない。
はいはい。
ああいうところに配属されるんです、最初は。1年目がそっちだったんですよ、私は。
はいはい。
高尾さんとか環境局の管轄なんですけど、そういう東京都内の自然公園を多摩部23区より外側を管轄する事務所っていうのがあって、そっちの管轄で、そっちの人事の事務所の人事みたいなのをやってました、1年目は。
なるほどなるほど。
はい。で、その後人事に行って、最後の1年は、これは変な仕事でしたけど、校庭芝生かがかりっていう。
そうだね、ふかぼてぃさんだよ。
もうね、名前が変でしょ。
面白いですね、校庭芝生かがかりですよね、はい。
そのままです、やることは、都内の小中学校の校庭を芝生にしようっていう部署。
はいはいはい。いやー、めっちゃ分かりやすいですよ。松本教師のすぐやるかじゃないんですけど、分かりやすいです。
そうそうそう、そういう感じ。
なるほど、面白い。まだ確かにそうですよね、環境に関わるところですよね。環境庁の中の校庭芝生かがかりっていうのがあったんですね。
そうです。
いや面白いですね。具体的にあまりそこだけフォローすることは珍しいんですけど、興味があって聞いちゃうんですけど。
学校教員への転職
どういうお仕事をするんですか?学校とコミュニケーションをして、土のところを芝生にしていくみたいなことをどんどん。
そうそうそうなんですけど、お子さんいらっしゃると多分なんとなく分かると思うんですけど、小中学校って都の管理じゃないんですよ。
はいはいはい。
高校は都立高校って書いてあるじゃないですか。小学校って私立中学じゃないですか。
ああ、確かに。
そうです。だから、小中学校って基本私徳の管轄なので、私徳の教育委員会になんか、それこそ営業に回る感じです。
ああ、なるほどね、そういうこと。
補助金をあげるので、お宅の小学校の校庭を芝生にしませんかっていう。
へー。
で、私たちは工事はしないので、補助金をあげた後にちゃんと芝生になってるか、いわゆる官僚件数で見に行くみたいな。
はいはいはい。
それを、都内全部の小中学校の管轄を一部署、4人だったかな、4人くらいでやるっていう。
はいはいはい。
うわー、確かに。
こんな感じです。
人数に対して学校の数が多いから大変ですね。
まあでもね、いわゆる知事案件だったんですよ。
あんまりしゃべっちゃいけないのかな、わかんないけど。
もう違う知事だからいいと思いますが。
はい。
はい。で、ヒートアイランド対策で始めたって感じです。
ああ、なるほどね、はいはい。そういうことですね。
まあでも、もちろんそうですよね。そういうことが全部重なって、具体的に下げに落ちてきてるってことですもんね。
そうですね、はい。
いや、結構面白いなと思いました。
でもなんかそうですよね、教育委員会とか、僕もあれも教育系のサービスやってるスタートアップの人とかもいるので、
なんかやっぱ企業に営業するというか、学校に営業するときとかってやっぱり全然違うよねっていうのはあるのかなと思って。
だいぶ違うじゃないですか。なんか温度感がね、温度感とかなんかきっと。
そうですね、なんかそういう話とかっていうのも。でも逆に何だろうな、面白いですね。
都庁の方が教育委員会の方に逆に連絡をするとかっていうのも、
なんかそれ、都庁側からそういうふうにアプローチをするケースもあるんだなっていうのが。
そうですね、珍しいかな。
なるほど。
まあでも、どうだろう。
党全体に何かプロジェクトをしたいときは、そっち方面じゃないとできないから、こっちが多いかな。
なるほど、なるほどですね。ありがとうございます。
結構ね、その辺の官民連携みたいなのもね、興味ある人が聞いてくれたりするので、すごい参考になると思ったりしました。ありがとうございます。
いえいえいえ。
最初のファーストキャリアが元々環境に興味あって、本当にでも夢というかね、それが叶って都庁で働いていたのが4年やってたと思うんですけども、
そこから多分、まあキャリアを少しずつ変えていっていると思うんですけれども、
次はどういうことをやろうと思ったんですか?何かきっかけとして動き出したの?
そうですね、とりあえず、きっかけとして、
私の特徴とは、行かせる職場じゃないなって思って、
っていうのは早めに思って、やっぱり大きい組織なので、
組織の一員として働く、循環に働く、何ていうのかな、調整役を上手にやることが求めるところはちょっと違うかなと思って、
学校を回ったのもあって、
学校を回ったのもあって、こっちの方が私には向いてるよねと、小さな規模だけど、人に対面する方が私にはやっぱり向いてるよなと、
大学時代から個別指導のバイトとかあるじゃないですか。
それをやるときから、これは向いてるなとは思ってたんだけど、
世界が狭そうだから嫌だったんです。
だけど、でも向いてることの方がいいなと思って、スパッと。
それもあって、普通にあんまり毎日が輝いていなかったのでって感じですかね。
これも面白いなと思うのが、もちろん当時僕らは出会ってないのでわからないんですけど、
もともと受講師みたいなところで、学校教員っていうことは、ちょっと私も似てるかもしれないみたいなことがあったけれども、
やっぱりそのときにはいきなりそこに入ってしまうと、ちょっとわかんないですけどね、
社会の中でいうとやっぱりすごく限られた空間だったりするので、
逆に校長みたいな大きいところに行ったからこそ、
都庁勤務から転職のきっかけ
じゃあ自分の特性がわかって、改めて教員免許を取ろうと思ってアクションしたっていうことですよね、おそらく。
そうですね、はい。その通りです。
行動したからこそわかるっていうのは、結構大事なことだなっていろんな人の話を聞いてて思ったりするので、
それはありますね。
なんかやっぱり憧れ、かっこいいなっていうのとやってみたいなっていうのをやってみて、
全力でやった結果、違うなって思うと未練はない。
それは大きいし、やってよかったなとも思います。
あとは仕組みを知れたのはすごいよかったですね。
大きいところの、しかも人事院にいたので結構局の中心に入れたんですよ。
関わらないけど、いろんな事案が局同士でこうやって調整して決まってとか、
新聞に載ってる記事はこの経過のところで新聞に載るんだなとか、
そういうのが全然わかってなかったから、
その辺の仕組みはわかったので、私としては満足かなっていう感じですかね。
そうですね、やらせに後悔すると何かしらを引いちゃったりすることですね。
いつまでもね、うだうだ言うよりは。
素晴らしいなと思います。
そうですね、スパッと。
そこから教員免許を取るために、また2年間ぐらい大学に行かれてる時代があったってことですよね。
そうですね、はい。
そこから免許を取られて、次のキャリアみたいな働き方でいうと、
学校の先生になられたってことですか。
そうですね、あんまり次のビジョンが思い浮かばないまま辞めてるんですよ、私は。
報道力が大事だよね。
その時はやっぱ、辞めたのが26ぐらいかな、1個目。
途中で辞めたのが26ぐらいで、
その時にまだ守りに入る年齢じゃないなって思ったのがすごく覚えてます。
なるほど。
これからあと30年働くとして、
嫌だっていう、なら早い方がいいよねっていう感じかな。
で、パッと辞めて、
先生は向いてるから免許、周りの人に勧められました。
何にも肩書きがないよりは、お前辞めるんだったら肩書き持っとけって。
直続の上司に勧められて、しょうがねえなって感じで免許を取り始めたって感じですかね。
いやでもそれもいいですよね。
教員なんだろうな、僕も話してる印象ですけど、
人が好きそうですし、向いてらっしゃるような印象ありますけどね。
いや、そうだと思います。
教員、今8年ぐらいだったのかな。
途中の時はね、やり始めた時からなんか違うなって思ってたけど、
教員は辞めようって気づいたらやってるから。
向いてることってね、嫌なことあっても続くんですよねって思います。実感として。
めっちゃわかりますね。
何だろう。
やりたいことと得意なこと、向いてることみたいな話かもしれないですけど、
そこが重なるっていうケースももちろんあると思うんですけど、
向いてることって結構自然体でやれたりしますもんね。
そうそうそう。頑張らなくていいから、コスパがいいっていうか、
無理しないでいいのよ。自然にしてればできることだから、
じゃあやっとくみたいな感じになるかというかね。
いいですね。素晴らしいなと思って。
結構早い段階で、僕も結構人で話すのが好きで、
今の人に関わる仕事とか人材商売業とか、
多分比較的向いてるので、それだけやるって言って楽しいなと思ってるんですけど、
こいつの場合は、教員めっくりだって、ある種のだから、
それ以外にもやってらっしゃるんですけど、
転職みたいなのが見つかったのは、最初の学校の先生で働き始めた時の非常勤講習がスタートだったと思うんですけど、
この時で何歳ぐらいだったか覚えてます?
29だと思います。
30歳の手前になるときに。
そうですね。
そういうのを見つけられたってことですね。
そうですね。ただ向いてるんだけど、それこそ教員に対するイメージがあんまり良くなくて、
それでそんなに前向きに、今楽しんでるのにあれですけど、
そんな感じで、そうですね、という感じですね。始める時は。
面白いですね。教員の経歴がたくさんあるので、いろいろ聞いていければなと思うんですけど、
そこで教員としてずっと集中してやっていくっていうのも前にあったかなと思うんですけど、
多分もう一つのキーワードである、今あれですよね、転職というか、
そこに出会ったみたいな話があると思うんですけど、
それって聞きたいですね。どういうきっかけでやろうと思われたのか。
そうですね。分かりやすいのはないんですよ、あんまり。
美術館での感動とテキスタイルへの興味
いいですよ。長いストーリーでも。
いいですか。それこそ遡ること、都庁自体になるんですけど、
多分都庁の仕事があんまり向いてなかったので、結構ストレスが溜まってたんですね、最後の4年目とか。
最後学校回ってたから楽しかったけど、ストレスが溜まってた時に、
六本木にある国立新美術館ってあるんですけど、あそこの展覧会に何で行ったのか忘れてたんですよ。
で、やばいと思って、なんて素敵な世界だ、こっちがいいと思ったんですよ。
こっちの方が楽しそうだと思って、っていう強烈な印象を抱えながらやめたんですけど、都庁。
ただ、私、美術、高校時代とかすごい悪くて、成績とか、コンプレックスだったんです、割と。
私は絵が下手だと。だけどやりたい、どうしようっていうところから始まり、
ぐちゃぐちゃしてたんです、教員免許取りながら。そっち系に行きたいけど、教員にはできないよね、みたいな。
で、展覧会のミュージアムショップってあるじゃないですか。
一番最後にお土産屋さん。お土産屋さんのバイトをしたんですよ。
もう教員やること決まった後に、まだ教員に納得できなくて。
で、その辺からアート系の人に関わるようになって、その辺からかな、なんかちょっとやってみたいなと思って、
最後の最後に、結局通うことになる、美術系の大学の通信課程を見つけるんですね。
大人用の学びができますよ、みたいな。それを見つけて、やってみる。
初めはね、洋画とか日本画をやろうと思ったんですけど、説明会に行った時の印象で、テキスタイル、染色、染めたり、おったりする。
それがなんとなく、もう本当それは直感です。やりたいなと思って、そのコースに、とりあえず飛び込んでみたっていう感じですね。
いやー、面白いです。いやでも、なんかありますね、ストーリーがやっぱり、そのね、美術館に行った時っていうのがあって、
教員キャリアとテキスタイルへの出会い
この世界が良かったというふうにどこかで思ったとか、多分好きだったんでしょうね。
そうですね。なんかこう、頭の理屈で考えない世界が良かったです。
なんかそんな感じだったから、そうじゃなくて、感性で行こうよっていう。
なるほどですね。いやー、素晴らしいです。ちょっと前半をですね、このぐらいにさせていただいて、後半ですね、出会ったそのテキスタイルですね。
もちろん、教員の方もキャリアとしては続けていくので、その辺をまた深掘りいければなと思います。
ちょっと前半はですね、いやでもすごいですね、小西さんの行動力とか聞いたので、すごい楽しいなと思っていたので、後半につながる具体的なキャリアを伺っていければなと思いますので。
はい、お願いします。ありがとうございました。
20:34

コメント

スクロール