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おはようございます、こんにちは、こんばんは、マキレイカです。 私とあなたの世界を映すラジオ【チャコめがね】です。
前回は、スピーカーフォロワーかわからない不思議な話ということでですね、 今、北海道に1週間来てるんですけど、その時にあった出来事についてお話ししていたんですけども、
今日、9月15日は26年前に亡くなった弟の命日だということで、 この間もお話ししたんですけれども、
今日はですね、亡くなった弟に関連した不思議な話をいくつかしたいと思います。 でも、今日はそんなにホラーではないです。
怖い話でも悲しい話でもないので、 へえ、と思って聞いていただければと思います。
というかですね、もう丸26年前なので、 四半世紀以上前のことで、私にとっては前世ぐらい昔の話かっていうぐらい、
あまり思い出すこともなかったんですけれども、 前回お話ししたみたいに不思議なことがいくつか重なったので、
ここで改めて自分の中に落とし込むというか、 今、こうやってお話しして表現しておいてもいいんじゃないかなぁと思ったんですよね。
命日に実家に帰ることになったり、弟の事故現場になぜか足を運んでしまったっていう偶然というか必然がなければ、
ここまで深く考えなかったかもしれないなぁと思いますね。
弟、和人って言うんですけど、和人と私は2歳違いだったので、
どこから話そうかな。
私はですね、母親が20歳の時に生まれた子供だったので、
若くしてね、子供産んでるから母親も手一杯だったと思うんですけども、
2歳の時に弟が生まれて、すごく私は母親にあまり手をかけられなかったんです。
一人で何でもやっちゃうし、我慢してね、今と違ってすごく大人しい子だったんで、
お姉ちゃんは自分でできるしほっといて、弟はどっちかというととにかく今で言うADHDだと思うんですけど、
とにかく動き回るし、落ち着かないし、すごい手のかかる男の子だったと思うんで、
そっちに手がかかるのはしょうがないと思うんですけど、
だから根底に、その時自覚してなかったけど根底にはもう弟ばっかりっていう気持ちがあったと思うんですよね。
だからちっちゃい時はすごい仲が悪かったんですよ。
私がいじめるっていうか、あっち行ってよみたいな、ついてこないでみたいな感じで言ったりとか、
でも弟はお姉ちゃんお姉ちゃんって生きちゃうから、うっとうしいなみたいな感じだったりしたんですけど、
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中学校2年生に私がなる時に両親が離婚して、その時弟は小学校6年生なんですけども、
私たち2人は、その時青森でずっと生まれ育ってたんですけども、
父親と一緒に札幌に行くっていう決断を色々な事情ですることになったんですよね。
弟は中学校に上がると同時に父親と札幌に引っ越して、
私は中二だったんで、あと1年中学校を卒業するまでは母と2人で青森に行って、高校受験を札幌の高校を受けて、
1年遅れで父と弟がいる札幌に移住したんですよね。
弟はですね、すごい運動神経良くて、体力もあったから、いつもマラソン大会とかで1位取ったりとか色々していたような子なんだけど、
勉強はあまり得意じゃなかったので、中学校卒業した時に父親が、札幌の公立高校にこの学力では行けないから、
私立の高校とか行ったりしてヤンキーになるぐらいだったら、楽能家さんの家で働きながら高校に通うみたいな、
お前はそういうような人の家の釜の飯を食いながら、手伝いをしながら、働きながら学校に通えみたいなようなことを言って、
弟は札幌から一人で、北海道の東側というか上の方にある別海町という楽能の有名なところなんですけど、
別海町の高校に行って、楽能家さんのお家に住み込みで牛の世話をしながら高校に通うという3年間をしてたんですよね。
本当に弟は朝3時とか4時とかに搾乳をして、牛のお乳を絞って、牛の世話をして、
学校に行って、また帰ってきたらすぐ牛の世話をして、みたいなことをやってたみたいで、
本当に高校を卒業するぐらいには牛乳も飲んでるだろうし、そういう体力仕事もしてたろうし、
部活とか全然できる状況じゃなかった、スポーツも何もやってなかったんだけど、そういう牛のお世話をしたので、
すごい身体がムキムキっていうか、身長も伸びてたし、がっちりしてて、日焼けして、本当に肉体労働で鍛えてるっていう感じだったんですよね。
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見違えるぐらい成長してましたね。
私が札幌にいて、弟が別海に住んでたので、別々に暮らすようになって初めてめちゃめちゃ仲良くなったんですよね。
たまに電話で話したりとかしたり、あと札幌に弟が帰ってきた時には、その時私結構古着屋さんで洋服買ったりとか色々、
高校が私服の高校だったんで、おしゃれをする年代だったんで、弟と一緒に古着屋を巡りして、色々買ってあげたりとかね。
そういうような、一緒に住んでた頃は、とにかく顔を合わせれば喧嘩してたし、そういった家族組合とかもしてたことがあるんですけど、離れ離れになってから仲良くなったりしてたんですよね。
で、弟は3年生で高校卒業して、もう1年、別海町でお世話になった農家さんのお家でお礼傍行というか、別にその農家さんに言われたわけじゃないんですけど、
父親が3年間高校卒業したから、はい、さよならじゃなくて、1年間お礼のために、いきなり人手が足りなくなっても困るから手伝ったらどうかみたいなことを言って、高校卒業しても1年間牛のお世話してたんですよね。
で、その年に夏休みっていうのを楽農家さんからもらって、夏の間、8月ぐらいから札幌に帰ってきたんですよ。
それで、その時に何をしたいって言ったら、一番最初にとにかくバイトしたいって言ったんですよね。
で、楽農家さんのお家ではお手伝い、ご飯とか住む場所提供してもらっている代わりにお手伝いしているので、お給料ってもらってなかったらしいんですね。
で、とにかく自分で働いてお金を作りたいって言ってて、運送会社のバイトに行ってたんですよ。
それでバイトしてお金を貯めて、友達と休みの日は遊びに行って、ナンパして彼女を作ってとか、青春を謳歌してたみたいなんですけど。
前回もお話ししたように、9月の11日に原付のバイクを乗ってて、ガードレールにぶつかって自損事故を起こしたんですよね。
で、その時は別にガードレールにぶつかっただけなんで、亡くなるような事故とは誰も思ってなかったんですよね、私たち家族もね。
でも救急車で運ばれたっていうことで、急いで家族みんな集まって行ったんですけど。
青森に母がいたので、母に、かずひと事故ってさ、でも今意識ないから、意識戻ったらお見舞いにおいでよ、ぐらいに言ってたんですけど。
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やっぱり母親ってそういう野生の感があるのか、いても立ってもいられなくても、次の日の朝には札幌に来てましたね、仕事とか休んで。
あとその頃って携帯持ってる人が限られてたんで、メインは家電でやりとりしてたんですけど、2日目か3日目くらいに知らない女の子から電話がかかってきて、
もう名前も忘れちゃったんだけど、かずひと君と待ち合わせしてたんですけど来なかったので心配になって電話したんですけどって電話がかかってきて、
ほんでこれこれ近々でちょっとバイクで事故っちゃって、今入院してまだ意識がないから、意識戻った頃にまた連絡するから連絡先教えてとか言って、
心配だからお見舞いに来たいとかって言ってくれたんですけど、もうちょっと今バタバタなんで来られてもちょっと困るから、また元気になったら連絡するねぐらいに言ってたんですよ。
そしたら女の子のご両親が輸血の血液を病院に運ぶ施設、何だろう、医療施設で働いてる方だったかな、なんかちょっと忘れちゃったんだけど、
とにかくその輸血の中に相馬和人っていううちの弟の名前があったと。
どこどこ病院にその血液運んだから、そこに入院してるんじゃないかってその女の子の親がその女の子に教えて、
だからなんか病院とか教えてないのに、この間電話した何とかですとかって来てて病室のとこに、なんでわかったのとか言ったら、ちょっと親がそういう仕事をしててみたいなこと言って、
すごいな、すごい偶然だなと思ったんですけど、それでいくつか手術したりいろいろして、結局9月15日病院に運ばれて5日後に亡くなることになったんですけど、
で、まあだからその時は母親もいましたし、なんかねすごい覚えてるのが、弟が寝てる時の足先が布団から出てたんですけど、足の親指の爪がめっちゃ形が私と全く同じだったんですよね。
なんかすごい同じ兄弟なんだみたいな、あんまりねその性格も全然違うし、あのなんていうかな、真逆ぐらい弟と違うなって思ってたけど、足の指の爪が全く同じだなって思ったのをすごい覚えてましたね。
で、結局弟が亡くなって、亡くなった瞬間とかも父と母と私といて、なんかこの家族4人が同じ場所にいるって一生ないだろうなと思ったんですよ。離婚してるしね、場所も青森と北海道に分かれてるしね。
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でもなんか最後に家族4人でこうやって一緒にいる場になったんだなみたいな、それもすごい不思議に思ったんですけど。で亡くなって、本当に親しい身内がなくなるっていう体験がその時私は初めてだったので、もう
ただただ絶望っていうか重い空気が全身に覆いかぶさるみたいな。
胃の中にも重い石が入ってるし、空気もすごい重いみたいな感じでしたね。でもなんか夜中に亡くなって、明け方すごい日の出がもう眩しいぐらいオレンジ色で、なんか重い空気とその朝日のすごいオレンジ色の眩しい
っていう光もすごい覚えてますね。
で私は葬式、葬儀会社とか、あと市役所の手続きとか、あと病院の支払いとか、なんかそういうの対応して忙しさで紛らわせてたっていう感じですね。
なんか父親はまだおじいちゃんとおばあちゃんが生きてたんで、おじいちゃんとおばあちゃんのケアっていうか、説明したり、いろいろ泣いたり喚いたりしてるのをそっちは父親に任せて、私は事務手続きとかそういうの
にあちこち行ってたのが気が紛らわせられてすごい楽でしたね。
そういうのって助かるなぁと思ったんですよ。そういうことで忙しくしてると。
でなんかね、弟が原付きのバイクに乗った時にリュックサックを背負っていたんですね。
でそのリュックサックの中に買ったばかりのトレーナーが入ってたんですよ。
実はそれがすごい意味があって、弟って高校の時とかも牛の世話と学校の往復みたいなことをずっとしてたんで、夏休みとかに札幌にたまに帰ってくる時に、友達といろいろ悪さをしてたんですよね。
で高校に通っている時も隠れて煙草吸って、もう2回も3回も低学になったりしているんだけど、すごい、うちの弟ってお調子者で人がいいんですよね。
だから何回も低学になったりして校長室に呼ばれるんだけど、校長先生にすごい可愛がられてて気に入られて、大学にまではならなかったんだけど、そういう悪さをいろいろしてるんですよ。
それで札幌に夏休みとかで帰ってきた時に、あるジーンズショップで万引きをしたんですね。
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でそれ見つかって捕まったんですよ。お小遣いももらってないし働いてるのにそういうお金がないから欲しいもの万引きしたと思うんですけど。
で見つかってめちゃめちゃ怒られて警察行ったりいろいろして、で親と一緒にそのジーンズショップに謝りに行った時にそこの店長さんが今度は自分で働いたお金で買いに来てくださいって言ってくれたらしいんですよね。
で原付に乗って事故った時のリュックサックの中に入ってたのがその万引きをしたジーンズショップで買ったトレーナーだったんですよ。
しかもその日にバイト先からもらったお給料が出てて多分彼にとっては初めてもらったバイト代というかお給料だったと思うんですよね。
その初めてもらったお給料を引き出したしてそのすぐジーンズショップで何の変哲もないトレーナーを買って事故ったんですよ。
なんかすごいなと思って事故って結果的に死んじゃって本人が一番びっくりしてるかもしれないし別に自分で死を選んだわけじゃないんで偶然というか必然だと思うんですけど
なんかちゃんと最後に落とし前つけていったんだなーっていうことがすごい不思議でしたね。
あとですね、弟が亡くなってお葬式とか一連のいろいろが済んだ後にお世話になってた楽能家さんの別回のお家に行って弟の荷物を引き取ろうと思った時に
部屋がめっちゃ片付いてて、段ボール箱とかいろんなタンスとかそのまんまその中身を持っていけばそのまま運ぶだけでいい状態になっててすごい片付けてあったんですよ。
でそのお世話になってたお家の人曰くもうこのね高校の高校生の時から何年もお世話になっててずっと部屋片付けろ片付けろって言ってたらしいんですよ。
でも全然片付けられなくて私もそうなんですけど片付け苦手なんですけど私も弟もそうでもういくら言っても片付けなかったけどこうやって片付けてあったんだよねって言って
いやーなんか本当に事前にそうやってそういうつもりはなかったかもしれないけど
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なんていうかなそれ見た時に本人は意識してなかったかもしれないけど寿命としてこういうことになってたんじゃないかっていう感じがしたんですよね。
それも不思議なことでした。
でもう一個不思議なことがあって私たちには母方のその当時ひいおばあちゃんが生きてたんですよ明治生まれで
90いくつだったのかなあの時もう全然90越え100までは言ってなかったと思うんですけど腰が曲がってて
それで常に着物を着てるようなおばあちゃんひいおばあちゃんでねでもうめちゃめちゃ弟のことを可愛がってたんですね
だけどその時にもうそのひいおばあちゃんが寝たきりだったんかなうん寝たきりだったんですよ
でも別にボケてはなくてもうベッドにほとんどずっと寝てるような状態だったんで
親戚一同みんなそのかわいいかわいい暇子が亡くなったっていうことは内緒にしようって言ってたんですね
誰も言わなければバレることはないから何もねこんな晩年になってね暇子が亡くなるとかそうそんな事実知らせるのかわいそうでしょっていうことになって
もうみんな内緒にしてたんですよだけどあの時々あのこの数人いつ帰ってくるんだとか
でなんかちょくちょくたまに届いてた手紙とかこの絵紙数人はどうしてるんだってこうすごい言い始めて
なんかおばあちゃんの中でなんかおかしいおかしいって思ってたけどでも誰もそんな亡くなったことなんか言ってないから
バレてはなかったはずなんですけどでえっとある日ひおばあちゃんの嫁が私のにとってのおばあちゃんなんだけど
おばあちゃんがお世話しててある日そのひおばあちゃんが寝てるベッドのそばに行ったら手をね布団から出してこう
宙をこう呼ぶみたいな感じの仕草天に向かって呼ぶみたいな仕草してたらしいんですね
で何したのって聞いたらもうすでに亡くなってた自分の息子も私にとってはおじいちゃんとその私の弟
まあすでに亡くなってるんだけどひおばあちゃんには亡くなってるとは伝えてないその死んだ自分をひおばあちゃんにとっては息子とひまごが
ベッドの上にいたからこうやってこっちおいでって呼んでるんだって半分夢を見てるのかな
なんか別にボケてはなかったんだけどそういうことしてたんだよねって言ってた数日後にひおばあちゃんが亡くなったんですよ
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しかもそのひおばあちゃんが亡くなった日は弟が亡くなった1年後の9月15日だったんですよ
だからそれはよく聞くそのお迎え現象とかって亡くなる前に先に亡くなってる親しい人が呼びに来るみたいな
でもひおばあちゃんは弟が亡くなってることを知らないはずなのにそうやって見えるって言ってたから
すごいなと思って妄想とかそういうことよりも本当にそういうのがあったのかなみたいなこともあったりとかして
いくつか付き合ってた女の子がたまたま親の仕事の関係で弟が入院してた場所を分かっちゃったこととか
弟が事故る直前に買ってたトレーラーの話とか
お世話になったうちに片付けてあったとかひおばあちゃんが1年後の同じ日に亡くなったとか
そういうのが本当にいっぱいあって他にも多分忘れてるけどいろいろあったんですよ
めちゃめちゃいっぱいあってそんなこんな出来事を20代の私前半の21とか22とかでいくつか体験してるので
なんかやっぱり人より特殊な姿勢感を持ってるかもしれないなと
なんか今話しててそう思いましたね
なんかよくこのラジオでも命がどうとか魂がどうとか生きるとはとか
なんかついそういう話に持って行っちゃうんですけど
なんかやっぱりこういうこと別に霊感があるわけじゃないんだけど
客観的事実としてこういうことがあってこういう体験をしてるので
死んだらどうなるのかなとか魂はあるのかなとかあの世はあるのかなとか
そういうことを20代の初めの頃から常に日常的に考えたりやってきたりしてるので
まあね47年ぐらいの人生の中で常にそういうことが通定してるんじゃないかなと思うんですよね
で私弟が亡くなる半年ぐらい前同じ年の2月に初めてインドに行ってるんですよ
でインドで絶対私はバラナシっていう都市のガンジス川の木浴
木浴はしたいと思わなかったんですよ
水怖いから川に入るとか嫌だなと思ったんですけど
その木浴の光景を見たいなってことと
そこのすぐ近くにある火葬場に行ってみたいっていうのがあって
火葬場は誰でもこう上からその人を焼いてる様子とか見れるようになってるんですけど
そこでこう薪の上で人が遺体が焼かれていく姿を見てた時に
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普通に薪の上で普通にオープンな場所川の近くの何か河川敷みたいなところで
本当にこう布に巻かれた人が焼けていくのが普通に見えるんですよね
私たち旅行者でも誰でも
でその焼くかかりの人は棒でつっついてこうよく焼けるようにみたいなこうやったりとか
骨が焼けてポロって落ちたらそれを犬が食わえて持ってって
なんかどっかでガチガチ食べてるみたいな光景とか普通にあるんですけど
その光景を見てた時に
ああなんか肉体ってただの乗り物で
魂は別のところにあるんだなって感じたんですよ
何気ななんとなく別にその時は純粋にまだ二十歳ぐらいだったんで
なんか読んでそう思ったとか誰かに言われてそう思ったというよりは
純粋にその遺体が焼かれているインドのガンジス川での光景を見て
そう思ったんですよ体は乗り物で魂はまた別の場所にあるみたいな
でそのそれが1997年の3月とかだったんですけど
その年の9月15日に弟が亡くなって
でお葬式は9月18日それは母親の私の母弟の母でもあるんだけど
母の誕生日にお葬式だったんですけど
そのお葬式の日にまだこの看護家の中に入っている
肉体の弟があるときって本当に何でこんな悲しいことがあるんだろうと思って
もう引っかいてよみたいな感じでね
やっぱり悲しみがどんどん出てくる感じだったんですけど
その後仮葬場に行って骨になって戻ってきて
真っ白になったその骨を見たときに
しかも弟は楽能のところで働いてたじゃないですか
だからたぶんいっぱい牛乳とか飲んでたと思うんですけど
めっちゃ骨がしっかり残ってたんですよ
外骨ってよくある理科室とかにあるような
外骨の模型ぐらいはっきり骨が丸ごと形に残ってて
よく糖病生活してたりとか老人の方の骨って脆くなってたりすると思うんですけど
生焼けじゃねっていうぐらいはっきり残ってたのもすごい印象的だったんですけど
その仮葬を終えて戻ってきた白い骨を見たときに
その数ヶ月前にインドで思った
肉体は魂の乗り物なんだなっていうことを
その白い骨見てまたはって思い出したんですよ
なんかすごいそれが私の中で癒しになって
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弟は肉体はこうやって焼かれたし骨になったけど
魂はどこかにまたいるんだなーみたいな
だからそこで数ヶ月前に行ったインドの旅と
弟の死っていうのが繋がった瞬間だったんですよね
この話前にしたっけちょっと忘れちゃって
もう何回かいろんな人にしたりとかねしてるんですけど
そういうこともあったりとかなんかして
私の魂の旅っていうのは弟から始まってんだろうなー
多分っていうことはすごい思いますね
なんかねその大学生だったんで
北大探検部っていうのに所属してたって
前回お話ししたと思うんですけど
でなんか私も誰にも教えてなかったのかな
いやでもなんか弟が事故ったときに
車で病院まで送ってくれたりしてたから
お世話になったりとかしたが
一応弟が亡くなったってことは先輩に伝えたんかな
そしたらお葬式にバーって先輩たちがいっぱい来てくれたりとか
数日後に何日かした後に
確か郵便物が家に届いたんですよね
その郵便物が探検部の人たち
後輩も同期の人も先輩たちも
みんなが私を励ますために
いろいろ書いたりいろんなものを送ってくれたんですよ
探検部の人たちそういうようなことする人じゃないんですよ
病の集団なんで基本的に
自分のことは自分でするしみたいな
優しい言葉をかけるとか
気を使って何かするっていう集団じゃないにもかかわらず
一人一人のお手紙がね
今でも覚えてますけど
泣きたくなったらこれを見ろって
なんか変なイラストとか書いた絵とかも
ついそれを見るとくだらなすぎて笑っちゃう
っていうようなイラストを書いてくれてたりとか
一言とにかく飲もうって書いてる人とか
あとは自分は今の相馬
私は旧姓相馬って言うんですけど
今の相馬のような悲しみを
今までの人生でそこまでの深い悲しみを経験したことがない
だから何て言葉をかけていいかわからないから
今自分が抱えている悩みについて書きますとか
なんだそれ笑
でもなんかその書いてくれた先輩にとっての
精いっぱいの私に対する励ましだったんだなって
すごい受け取れたりとか
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あと自分が何か文章を書くよりも
この本を読んでって言って本を送ってくれたりとか
なんかすごい一人一人の通り一遍の
こうやって書いておいたらいいみたいな
経験の励ましではないものを
すごいいっぱいもらって
しかもそういうことするような人たちじゃないのに送ってくれて
めちゃめちゃそれは嬉しかったなって思いますね
それを取りまとめてくれたのが
鈴木春彦さんっていう先輩だったんですけど
すごい心から感謝しています
この気持ちが届くといいなと思ってるんですけど
そんなこんなでね
語ってしまいましたけれども
なんかあんまり今までの明日でも特別思い出すこともなかったし
どこかに記録しておくっていうこともしてなかったんですけど
まあでもねなんか人の死とか命っていうことを語る上で
その時その時で思いついたら
いろんな人に話してきたことだったんですけど
なんかまとめてこうやって自分で
ゆっくり思い出しながら話してみるっていうのは
それを公開するっていうことが初めてだったので
今日は27回記っていうことだったんでね
ちょうど自分にとっても節目として
お話ししたいなと思いました
なんか長々と
ホラーでも悲しい話でもないって言ったけど結構
暗いですかね分かんない
別にでもそんな私今泣いてないし大丈夫です
結構前向きに生きてるんで
こう見えててかこう見えてると思いますけど
そんなにね暗い話でもなかったんですけど
もしかして重い話に受け取っていただいてるかもしれないんですけど
そんなこんなで私にとっての姿勢感とか
人生観みたいなものにすごく大きく影響していることだったので
今日の一つの節目の日ということで
お話しさせていただきました
本当にもし最後まで聞いていただいている方がいたら
本当にありがとうございます聞いていただいて
毎週火曜日と金曜日の朝7時にスタンドFMで配信とか決めてたんですけど
もうねやめようと思って話したい時にいつでも話せるようにしようと思って
その曜日と何時配信というのを取っ払うことにしまして
今日はたまたま金曜日だったんで
こうやって配信してますけど
気まぐれで毎日話したいときは毎日話すし
一週間空くときは空くかもしれないんですけど
こうやって本当に話したいっていう思いで話していきたいなと思っているので
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今後もお付き合いいただけたら嬉しいです
ということで本当にお聞きいただきましてありがとうございました