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2024-08-25 19:14

タイムライン民藝運動

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こんにちは。このニュースレターは、サブスタックというプラットフォームでやっているわけなんですけど、気がついたらですね、8月10日で4年が経っていました。
2020年の8月10日に始めてるんですね。正確に言うと、ダッシュボードに行って、7月30日、2020年の7月30日で始めますよというちょっとしたポストだけ書いて
で、最初の記事を投稿したのが8月10日でした。そのタイトルが、静かなるパーソナルメディアっていうタイトルで、何でサブスタックでやるのっていう言い訳、理由をつらつらつらと、そんな長くないんですけど、書いてるんですけど、その中でですね、最後に書いてるんですけど、
なぜネットで書くのか、なぜネットで発信するのか、その前提に沿ってプラットフォームを選べば、当たり前だと思っていた作法が変わってきたかも。
1、メッセージはめっちゃ長くてもいいかもしれない。2、メッセージは語り音声の方がいいかもしれない。3、PVやアウトリーチのKPIは無視していいかもしれない。
サブスタックはクロコにてして静かなパーソナルメディアを実現してくれるところが、今のところ気に入っています。
なんて言ってるんですか、4年前に。4年って結構長いのに、今全然変わってないなって思いまして、今言った3つですね、長くても長いとか短いとか気にしなくていいじゃないかとか、
テキストより肉性でね、今まさにやってるように声で言った方言ってもいいんじゃないかとか、あとPVとかどれぐらいインプレッションですよね、アウトリーチって言っても書いてますけど、
そんなのあんま気にしなくていいんじゃないかとか、まさに今それができているなって思って、なんで4年前にサブスタックを始めたのは良かったなっていうのと、
4年経ったけどそんなにサブスタック自体がメジャーになっていないのも、逆にそれがね、愛くるしいというか、なんかサブスタックに愛着があるなと思っていて、
このニュースレター、購読してくださっている方はサブスタックのアカウントはね、皆さん読者としては持っているので書いている方も多いと思うんですけど、いいですよねサブスタックね、
今更ながらしみじみと思っていますということで、これからもですね、気分よく使ってサブスタックでマイペースで配信していこうかなと思ってるんですけど、
それに対して今日ですね、お話ししたいのはフェイスブックのことでして、サブスタックが静かな心地よいパーソナルメディアだとすればですね、
フェイスブックはもうどんどんどんどんというか、心地よくないプラットフォームになってきているなって思うんですけど、とはいえ僕も含めてなんですけど、みんなフェイスブックは完全にはやめないですよね。
その見るペースとか書くペースはかなり落ちていると思うんですけど、なんだかんだみんな見てますよねっていうのは、たまに投稿につくいいねで、あ、みんな結構見てるんだなって思うことがあるんですね。
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で、僕の場合は結構その割と普通にツイッターみたいに、今日何食べたとか、どこ旅行行ったみたいなのもフェイスブックに投稿するタイプなので、
たまにねラーメンの投稿にすごい懐かしい昔の同僚とか、過去に一緒にお仕事した人とかからいいねがついたりするのは、なんかいいねする人からすると、なんか気まずいかなとかって思われてる方もいるかもしれないですけど、僕はすごい嬉しいですね。
なんかちょっと不思議な、昔の一番元気があった時のフェイスブックとは違う、なんか奥ゆかしいやりとりがその久しぶりのいいねとかでついてるなっていう気がして、それはそれでね、僕は結構好きなんですけど、とはいえフェイスブックどんどんひどくなっているっていうのはもう周知の事実でして、
個人的に僕がフェイスブックでそんなに見たくない投稿、たまに出てくるのはいいんですけど、こんなのばっかしになったフェイスブックは嫌だな、昔フェイスブック好きだった人間としてはっていう思う投稿をですね、いくつか上げさせてもらおうと思うんですけど、
まず一つは誕生日のメッセージ。なんか誕生日っていうきっかけでコミュニケーション盛り上げようということで、今日は誰々の誕生日ですっていうのが出てくるっていう機能はもうフェイスブックの最初の最初からあって、その時その機能を開発した企画したザカバーグさんかもしれないですけど、
全然悪気がなくて、誕生日きっかけにおめでとうってやってコミュニケーションが膨らめればいいよねって話なんですけど、今の皆さん誕生日メッセージって付けに行く人いたらちょっとごめんなさいって感じなんですけど、あの人たちはなんでそれをやってるんだろうって言うともうなんかビジネスのためでしょうどうせぐらいな風に思っていて、あんま付けられるの好きじゃないんです。
もちろんね、高校の友達とか大学の友達とかが純粋に付けてくれる人もいるんですけど、なんかわかるじゃないですか、共通の知り合いがたくさんいると、いつもこの人は誕生日メッセージを付けているな、その1年間1回も会ったこともないし話もしたことのないような人に誕生日メッセージだけは付けて、なんかこれからもよろしくお願いしますとか健やかにお過ごしくださいとかって言ってるなっていうのが見えちゃうじゃないですか。
あれに僕はですね、いつも、いつもというか見るたびに興ざめしているっていう感じで、なんかもうFacebookは単にお仕事で機会があったらよろしくっていうのをリマインドするツールに落ちているなっていうか、なってるなっていうのをまざまざと見せられる瞬間、誕生日メッセージ。
あれ付けられたときに返事してます。まあ悪気はないから返事しなきゃ悪いなと思うけど、なんか興ざめなんですよね。みんなに一律に付けているBotのような誕生日メッセージに対して真面目に受け取って、ちゃんとその人向けのメッセージを考えて返事するとかっていうのが馬鹿らしくなるときがあって、Facebookの嫌いなところですね。もう誕生日メッセージやめたら、なくしてくれたらいいのにって思います。
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本当に思い出したというか、記憶の中、記憶じゃないな。自分の意識の中でピュアにつながっている人とだけコミュニケーションすればいいんですよって思ってます。
その2、憲法の報告。これ気になるのはみんなじゃないと思うんですけど、僕のFacebookのつながっている人ってやっぱり皆さん、いろんな業界とかで、あとメディアとかで活躍されている方が多くて、まあそれはね、すごい誇らしいというかいいことなんですけど、そういう人たちの間では憲法っていうのがされるらしくて、何か本を書いて出したときには、その本を読んでもらえると嬉しいとか、
よりその本を宣伝してくれそうなビジネス知り合いに送って読んでもらうという憲法なんで無料なわけなんですよね。
憲法にされた側からしたら、もちろんね、嫌いな人じゃないというか好意のある人から本を送っていただいたし、もちろんその方が書いていることとかに関心がもちろんあるので、もらったら読みますし、読んだらその感想を、基本的にはね、悪いことは書かないと思うんですよね。
だからもうPR広告みたいなもんなので、憲法にされて書きましたっていう人はPR表示をしている人なので、広告で言ったらね、両親的な方ですよね。
だから別にそんなルール世の中にないので、普通に知り合いの誰ださんが書いた本を背読しました、すごく面白かったですとかみたいなことを書いて、それ憲法じゃないのって思ったりとか、真面目に憲法って書いてくれてる人からしたら、それ憲法してくれてるから書いてるんでしょっていつも思う一人生で憲法されたことが一回だけあるか、まあでもほとんどないですね、僕が言っています。
2つ目、憲法の報告があんまり好きじゃないです。
まあそんな感じで、ビジネスシェアというかお仕事の付き合いだからシェアしますよ、拡散って言い方も好きじゃないけど、みたいなこと結構あって、たまにシェアしてくれませんかって言われることも、僕みたいな全然影響力のない人にもたまにね、相談されたりするんですけど、
あれはあんまり好きじゃなくて、自分がいいなと思ったらシェアするし、よくないなと思ったらシェアしないし、それは別に人に頼まれたとかじゃなくて、自分の身の回りとか自分の会社がやってることでも、僕の場合はね、本当に個人として面白くないとシェア絶対しないので、まあ固くないシェアしないので、
ビジネスシェアが悪いわけじゃなくて、ビジネスシェアしかしない人を憎むわけじゃないけど、ビジネスシェアしかしないFacebookとかSNSの使い方が好きじゃない、正しく言うとそういうことですね。
だからもうそれは道具じゃないですか、使えるものは全部使ってやろうみたいな、そのビジネスシェアしかしないことで自分の評判、評判って言うとちょっと大げさですけど、まあなんかその社会的な信頼性とかブランド力とかが別に落ちても構わない、本当は落ちるのは嫌だけど、もうFacebookってそんなもんでしょって思ってビジネスシェアだけをしているみたいな使い方が好きじゃない。
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3つ目か、3つ目ですね、まあちょっと小ネタですけど、上場しました報告におめでとうございますってつくやつが嫌いです。まあ嫌いってひねくれてるなって感じなんですけど、まあまあでもね、人生のそれにかけてお仕事されている方が一つの達成ね、アチーブメントをしてそれを嬉しくて報告してみんなで称え合ってるんで、その現象自体、コミュニケーション自体に何も、あ違うな、報告はいいんだ、報告にたくさんのおめでとうございますが、
どんどんどんどんついていくのを見るのがあんまり好きじゃない。あ、思い出しました。で、まあ上場とかもあるんですけど、例えば転職退職転職みたいなのも報告するじゃないですか、それに対しておめでとうございますってつくのも見るのがあんまり好きじゃない。いや、あのごめんなさいね、自分も転職した時そういうのされたんですけど、なんかね、あのおめでとうございますコメントツリーの列に並びたくないっていうのが正しいですかね。
フェスブックでつながってるから基本知人とか友人とかだし、たまには同僚の時にはすごい仲良くしてた人とかもいるから、お祝いはしたいしコメントしたいけど、あのコメントツリーに並ぶのはなんか自分として許せないみたいなのがあって、で、この間は結局その人がやってるサブスタックのコメント欄に書いたんですけど、みたいなまあサブスタック好きみたいなオチがあるんですけど、まあまあごめんなさい、皆さんもねそれぞれ。
では、なぜ私たちはですね、ほとんど投稿もしなくなったのに、そして流れてる投稿もどんどん、まあなんかビジネスライクなものか広告だけ面白くなくなってきたのに、なぜ私たちはですね、フェイスブックを離れられないのかっていう話なんですけど、ちょうどですね、ちょうどって言っても4月なんですけど、面白い記事があって、なぜミレミニアム世代はTikTokを離れられないのか。
あるいは、なぜおじさんおばさんはフェイスブックを離れられないのかっていうタイトルの、これ英語のライターの方が書いたやつの日本語訳の記事なんですけど、貼っておきますがありまして、この記事ではもう明快痛快にですね、フェイスブックだけじゃないですね、SNSっていうものはもう宿命的に時間が経つとメタクソ化していくっていう、ひどくなっていくっていうものをですね、身も蓋もないというか、ビシバシこう切っているみたいな、そんな記事なんですけど、
なぜ離れられないのかっていう話なんですけど、まずスイッチングコストっていう話があって、ソーシャルグラフができるように、それをやめて違うSNSとかに行くっていうのは、スイッチングコストがどうしたって必要になるので、それが億劫だし大変だからおじさんおばさんは離れられないと、それに対して若い人はそもそもそんなにソーシャルグラフとか人の付き合いとかを大事にしようとしない。
若いからこれからね、その交友関係を作っていくから、別にその新しいものに行ってゼロから始めること自体、その行為自体が別に悪いことではないと、むしろ自分の親世代とかが入ってきたら、もうそこから出ていくみたいなことがあるので、なのでそのスイッチングコストの問題でまずおじさんおばさんはSNSから離れられないよねっていう話をしてるんですけど、そうなるとこれはSNS運営側の思う壺でちょっとやそっとですね、使いづらくなっても広告が増えても、
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離れていかないなっていうことで味を占めてどんどんですね、ノブをひねるっていうこの記事では表現をしてるんですけど、チューニングですよね。広告が出る加減とか、あとはそのちょっといかがわしい広告とかね、内容が出る加減とか、そのノブをどんどんどんどん調子に乗ってひねっていくと。
あまりひねりすぎると流石にユーザーは逃げていくけど、ギリギリのところをいつもチューニングする。それがソーシャルネットワークプラットフォームのやってる仕事だみたいな。
いやまあ、そうですよ。夢も何もない、へったくれもないですけど、インターネットの仕事とか新しいプラットフォームがすごい夢のあるですね、人類にとって有益なものだって思ってた、十何年前の自分からするともう悲しい限りですけど、現実そうだなっていう、まあそういう身も蓋もない記事がありましたっていうことです。
みなさんもね、それぞれSNS、ここが好き、こういう投稿が好き嫌いってあるとは思うんですけど、まあ僕はそんな感じですと。で、でもそんなFacebookでも見てるんですよ。だから僕も一日に見る回数は減ったけど見るし、投稿も人よりはまだしている方だと思うんですね。
で、僕ね、もう一年ぐらい前に、そんなFacebookの状況に憂いて、みんなFacebook一応見てるんだから、もっと日常のこと、当たり障りないことを投稿したらいいじゃないか、全然それはノイズじゃないよ、むしろ僕はみんなの何食べたとか、どこ行ったとか、そういうものが見たいんだって訴えてみたんですね。
そしたら、まあまあ見てくださっている方はちょっといいねしてもらって、何人かの人はそれ見た後しばらく、もりちんさんが言ってるから今日食べた昼ご飯アップしますみたいな感じで、とか今日行った旅行で撮った写真をあげますみたいな感じであげてくれた人がいて、ちょっと嬉しかったんですけど、何が言いたいかというと、もともとソーシャルネットワークってそういうものじゃなかったのかっていう話ですね。
もっとさりげない日常を、そんなに会えないわけなんでね、もうみんな、特にもうFacebookでみんな千人とか数百人とか、もう友達繋がっちゃってるわけでしょ。そんなに会えない分、ちょっとした近況とかをシェアしあって、距離を縮めてほっこりしようじゃないかと。昔のFacebookはそうだったじゃないか、まあFacebookだけじゃないか、まあTwitterとかもそうだと思うんだけど。
っていうようなことを訴えまして、これを僕はですね、SNSの民芸運動とですね、勝手に思ってましてですね、そんなにこうソーシャルネットワーク、FacebookやTwitterのタイムラインに投稿することはそんなに重たいことじゃないんだよと。いやいやここね、何年かもうちょっと変なこと言ったらすぐ炎上したりとか、心が漁られてなんかしたりとか、まあそういうことを恐れてみんなですね、暗黒森林の中に、ダークホレストの中にですね、隠れてしまって、でも隠れてそこから目を光らして見ているみたいな気持ち悪いことを言ってました。
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見ているみたいな気持ち悪い状況になってしまったわけです。インターネットというか、まあちょっと主語でかいな、ソーシャルネットワークはですね、そんな気持ち悪い暗黒森林な状態でですね、ソーシャルネットワーク使ってても何も楽しくないですよね。だからみんなもっとどうでもいい投稿しようじゃないかと、まあどうでもいいというか日常のね、さりげないことをですね、普通にシェアし合ったらいいじゃないか。
そっちの方が楽しいインターネット、ソーシャルネットワークじゃないかということで、まあかの民芸運動になぞられてですね、ソーシャルネットワークの民芸運動というか日常回帰運動というのをですね、まあ提唱1年前にしてたんですけど、どうだろう。でもやっぱりみんなそんなに投稿しないけど、まあたまにしてくれますよね。それがね、嬉しいんですよね。
結構僕とか旅行するときに国内の田舎地方を車で回ったりすることが多いので、結構そういう本当にもう10年ぐらい会ったことない人が今日ここ行きましたとか、こんなん食べましたみたいな投稿とかお店の名前とかを見て、それがきっかけで旅行の行き先決めたりとか意外と僕してるんですよ。まあそういうときはさりげなくインでつけたりしてるんですけど、それってなんか人生が豊かにならないですか。
これだけ今まで仕事だけじゃないけど関わった人たちがいて、その人たちの日常をおそ分けしてもらって自分の旅行先、家族と楽しみがちょっと増えたりとか、知らないことを知ってちょっと出会いがあったりとかね。
でも今それがなくなっちゃって、誕生日のメッセージと憲法の報告と上場と転職のおめでとうございますと、あとどんどん再現もなく湧いてくるよくわかんないFacebook広告。いやもう焼き旗ですたれていく運命なんていうのは承知なんだけど、でも見なくなるならいいんですけど、それでもみんな見てるわけですよね。
それはやっぱりソーシャルグラフの強制力が切れない、切っても切れないね、力が強いからなんですけど。どうせ見るんだったらもうちょっとみんな楽しい投稿の割合を自分ができる範囲で増やしてFacebookなりTwitterのタイムラインを楽しくしていきませんかっていうのがSNS民芸運動です。日常使いの回帰運動です。
ということでですね、今サブスタックはそういうことが今起こってないんですね。本当に静かな居心地のいい、ソーシャルネットワークじゃないからっていうのは前提としてあるんですけどもちろんフォローフォロワーの関係はあるけど、単発的にノートとかポスト記事とかあとはエピソードですよね音声で流れていくものを散発的に見ているっていう本当に依存力とかが少ないですねメディアなのでそれがいいっていうのはあるんでしょうけど、
サブスタックはSNSのようになってほしくない、今のままでいてほしいなっていう話とどうせ見てるんだったらSNSがもうちょっとマシになってほしいなっていう話を今日はしました。
はい、今回のこのエピソードはニュースレターとしても配信しようかなと思っています。
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普段はですね、この音声でのポッドキャスト形式での投稿はニュースレター、メールでは皆さんに配信しなくて、ポッドキャストエピソードとして静かにですねサブスタックに公開しています。
なので聞いてくれている人は聞いてくれているけどいると思うんですが、多分メールで来たときしか見てない方はほとんど皆さん知らないところで僕はポッドキャストを配信していますので、もし興味がある方はですね、この正攻読のトップページに来ていただければポッドキャストっていうタブからポッドキャストの一覧が見れます。
そこにあるRSSからですね、ポッドキャストとして購読することもできますし、あとですね、リッスンっていうポッドキャストのプラットフォームにも配信していますので、そちらの方でこの僕のポッドキャスト正攻読のエピソードをフォローしていただくこともできますので、よろしくお願いします。
はい、ではまたお会いしましょう。さようなら。
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コメント

自分個人としては、他のプラットフォーム見始めてFacebookは全然見なくなりました。どうしても人が多く情報が速いところに目が行くから、今はTwitter、TikTokなどに時間を割きがちです。TikTokは見てるだけでお金もらえるから貧しい若者ホイホイな側面があると思います

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