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この放送は、ママモデルの音声配信コンサルタントで、スタイフの人気配信者アッコさんが主催する、期間限定コミュニティ・伴奏会でのチャレンジ配信です。
3月22日までの1ヶ月間、毎晩、私が知っている私をお話ししている放送です。
皆さん、こんばんは、フユコです。
普段は、認知科学と脳科学に基づく体験を基にした一時情報を、私のフィルターを通して発信しています。
今日から、0歳からの自分史をお話ししていこうかなと思っています。
自分という、無意識の判断の癖、この設計図を見に行くという作業になりますね。
人は、今の性格とか、今の選択を、現在の、今の意思で作っていると思いがちですが、実際は、かなりの割合が幼少期に形成されています。
心理学では、愛着形成と呼ぶらしいんですけど、脳科学的には、0歳から3歳で、ストレス反応とか、安全の判断のパターン、これが作られるということが分かっています。
この時期に作られるのって、記憶じゃなくて、反応のパターンなんですね。
感情の元になるところ、判断の元ね。
例えば、泣いたら誰かが来てくれたっていう経験から、世界は助けてくれる場所であると。
でも、泣いても誰も来ないという環境だと、世界は自分で何とかする場所である。
というように、言葉じゃなくて、体の身体のレベルで判断がインストールされるんですよね。
例えばさ、新入社員が初めてね、勤めた時、社会に出て初めての職場で、上司に聞いてもいいのかなとか、それとも自分で解決するべきなのかなとかっていう、
そういう空気みたいなのを覚えるのとちょっと似ていて、ルールとかではなく、何となくの振る舞い方みたいなのが身につくじゃない。
家庭とかでも、甘えると機嫌が悪くなる親だと、甘えることは危険なことだって覚えるし、
弱音を言った時に励ましてくれる親だと、弱音を言ってもいいっていう許可を出せるっていうこういう経験が後のね、
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パートナーへの距離感だったり、職場で上司への報告の仕方だったり、失敗した時の自己評価、ここにまで影響するって言われてるんですよね。
なので、ゼロ歳から私が振り返って語ることの意味っていうのは、
シンプルにただ過去を振り返るっていう配信ではなくて、
自分の今の判断の癖、これの出どころを特定するっていうこと、作業になるんですよね。
多くの経営者が数字は見てるけど、組織文化の起点、これを見ないまま改善しようとして苦戦するっていうのと同じ構造なんだけど、
売上が伸びない原因は営業力じゃなくて、評価制度の空気にあったっていうことってよくエグゼクティブの中では起きることなのね。
同じように、今の自己否定や比較の癖、これが現在の能力じゃなくて、初期の環境設定っていうのに由来している可能性はあります。
なので、ゼロ歳から語るっていうことで見えてくるのは、おそらく私はこういう人だということではなくて、私はこういう環境で反応するようになったんだなっていう構造、これです。
意図としては、性格を変えるとかではなくて、判断の起点、これを可視化することです。
これって家庭でいうと、夫婦喧嘩、これの原因がその日の出来事、何があったかではなくて、
例えば、怒られる前に先回りする癖だったとか、そういうことに気づくようなもので、
職場でいうと、部下に主体性がないんじゃなくて、失敗した時の評価が下がる空気、これで動いていたっていう、そういうことを見抜くっていう感覚、
ゼロ歳からの自分史は、物語ではなくて、意思決定のログ、これの起源、起源というのは始まりね、そこを辿るような作業になります。
で、そこから今の自分の反応を選び直せる余白というのが生まれるんですよね。
続けていく中でおそらく見えてくるのが、過去の出来事とかじゃなくて、現在の自分の行動パターンの設計思想みたいなものが見えてくるんじゃないかなって期待してます。
はい、じゃあゼロ歳から始めようかなとは思うんだけど、自分でね、まず生まれた場所、これはね、実は冬子は岩手県の森岡市で生まれています。
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私が生まれる前の話になるんですけど、私の父が岩手県でドライブインとか、パチンコ屋とか、ペットショップとか、そういうのを国道沿いで代々的にやっていた家族経営でね、やっていた人で、
出張だったか転勤だったか、そこはちょっとよくわからないんだけれども、母が住む函館に来ていたと。
で、函館でアパートを借りて、決められた期間の間だけ勤めていたらしいんだけれども、転勤か出張か何なのかちょっとわからないですけど、別の仕事をしていたのかわからないですけども。
で、その時父には男の子、お子さんがいて、なので単身風に、みたいな形で函館にいたと。
で、その時に夜のお店で働いていた私の母と出会ったと。
そして恋に落ち、父が岩手に帰る日が来たとのことで、初めから先のない恋、答えのない恋っていうのをわかっていて、母は父の元にいて。
で、その期限が来て、当時は新幹線は通ってないので、岩手に帰るフェリー、父が帰るフェリーに見送りに行き、自分の家庭に戻る父を見送るそのフェリーと港をつなぐ桟橋が離れる瞬間、
何にも持たずに走ってフェリーに飛び乗ったそうです。
別れたくなくて。
すべてを捨てて、父の元に行ったというね。
で、結局父は岩手で待っていた奥さんと男の子と離れて、マリコンして、私の母と再婚をし、私の兄と私が生まれたという、そういう始まり。
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そして私が生まれる前のことなんだけれども、今実際この世の中にいるのが、存在しているのは、私の一つ年上の兄と、そして私、年上の兄弟であるんですけど、
後に聞いたのが、実は兄の上に男の子、そして私の、私と、ん?私の前にかな?
ちょっと、その順番的には、あ、あれ、私の、ちょっと順番忘れちゃいましたけど、とにかく二人、えー、リュウザンとかではなく、妊娠したんだけど、もう、つわり、おそのレベルですよね。
本当に、物が食べれなくなって、気持ち悪くて、で、入院もして、点滴してたけれども、もうおーとおーと吐いて吐いて、入れられなくて、なんか30キロ切れそうになって、命が危なくなって、脱体したっていう話を聞いていて、
なので、もしも、その子が妊娠を継続できて、出産できていたら、あなたは生まれていないと言われてたんですよね。
そんなことを聞いたような記憶もありながらも、そして、冬子は誕生するわけですね。
これはね、結構衝撃で、母子手帳を見て気づいたんですけど、子供の頃とかは母子手帳の見方なんてよくわからないので、見たことあっても気づかなかったんですが、私自身、自分で実際に妊娠して、子供を出産してわかったことなんですけど、妊娠すると、届けると母子手帳が手に当たり、定期検診ってね、毎月。
お腹の大きさとか、へその下から、子宮の高さ、長さっていうんですかね、距離を測ったり、どのぐらい腹部が大きくなっているかとかね、血糖だったり、血圧だったり、全身状態の観察みたいなのを定期で検診、妊娠検診みたいなのに通ったりしてね、楽しみの一つなんですけど。
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そんなことをね、するんだけども、私、自宅で産まれてるんですね。
で、母子手帳を見ると、なんと初めて妊娠して、病院を受診したのが、産まれる3週間前だったんです。
なんと母、臨月まで一度も病院に行ってないんですよ。
で、私は産まれて、その時の母子手帳には、貸し算って書いてあって、実は私、産まれた時死んでるんですよね。貸し状態で産まれてるんですよね。
泣かなかったんですって、産まれた時。
で、いろいろやったけども、ちょっとあれで、母子手帳には貸しのところに丸が付けられてですね。
でも、最後に立ち会ってくれた産婆さんっていう方が、口の中に焼酎を含んで、私の顔にブーって吹きかけたら、本当に気だるそうに、かったるそうに、ほんやーって泣いたらしいです。
やる気ない。
それが、私の誕生日はです。
で、私の自分のね、いくら動画で記憶があるといっても、さすがにその0歳、1歳、2歳、3歳の記憶っていうのは、2つぐらいしかなくて、母に聞いたことがあるんですけれど、
まあ、シンプルに言うとネグレクトだったと。
言い方をね、綺麗に言うと、手のかからない子だったって言ってるんですけど、
0歳で手がかからないわけないんじゃないですか。
手をかけなかったって話なんですけど、
泣くと忙しいのに鬱陶しかったので、太ももをつねったそうです。
つねってぎゃーって泣いた後に抱いてよしよしってすると泣き止むので、なかなかのハードな子育てですよね。
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泣かして安心して泣き止ませるみたいな、そういう手法をとってたそうです。
夜泣きをするわけでもないし、ぐずって夕ぐずりをするとか、そういう苦労はした記憶がないけれども、
とにかく4000グラムで生まれてるんで、大きくて抱っこができないって言われていて、ずっとベビーベッドで寝かせていたそうです。
そんなに泣かないと。でも泣くと、つねって抱き上げて泣き止ませるっていう、それが一番早く泣き止む方法だったそうです。
これを聞いた時に私は家庭が言ったことがあって、自分の性格でね。
なるほどと、それだっていうのはね。
この後話していこうと思うんですが、今夜は長くなったので一旦ここまで。
これが0歳、冬子誕生の日和でございます。
それでは、アバウトミー!