2022-05-21 25:30

82. 漫画家・藤子不二雄史⑥ スタジオ・ゼロ設立と空前のオバQブーム

第82回はトキワ荘を離れた漫画家たちによる再集結・アニメ制作会社のスタジオ・ゼロについて。

昔からアニメというものに興味を持っていた面々は「トキワ荘時代をもう一度」ということで決起し、アニメの制作会社を立ち上げます。日本初のアニメシリーズ「鉄腕アトム」の放映も開始し、お茶の間に絶大な影響を与え始めたこの頃。会社の収益を上げるために立ち上げた雑誌部から、あの作品が生まれました。


【今回登場した作品】 小学館版学習まんが人物館 藤子・F・不二雄〜こどもの夢をえがき続けた「ドラえもん」の作者/オバケのQ太郎/パーマン/ウメ星デンカ


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00:02
はい、みなさんこんばんは、ゆうすけです。
さっぱです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
えっとですね、あ、そうそう、ごめんなさい、一周空いたことに、お気づきのみなさんに、すいませんでしたって言っときます。
しれっとね、一周空いたんですけどね。
はい。
あの、すごく単純な理由で、私、口にでっかい口内炎ができてしまって、
しゃべれないと。
うんうんうん。
ね、仕事とかで、ほら、しゃべらんなあかんのは、しゃべらんなあかんのですけど、
こうやって集中してね、いつもだいたい1時間とか1時間ちょっとぐらい、収録してるので、
うんうんうん。
きっと、きっと無理だろうっていうことで、一周飛ばさせてもらったんですよ。
はい。
みなさんも、季節の変わり目、環境の変わり目、いろいろね、お疲れのこともあると思いますけども、
たぶん、ぼくは、そういう疲れとかが出てしまったんだなっていうことを分析されたので、
うーん。
みなさまも、お気をつけください。
はい。
けっこう、こうやってしゃべるのをね、趣味にやってる、お友達のポッドキャストやってる人なんかも、
うんうん。
大敵というかさ、しゃべる人にとっては。
そうですね。
うーん。
みなさん、コンディションをどんなふうに整えてるのかとかのもね、聞けたらいいなと思うんですけども、
とりあえず、あの、回復しましたんで、いつも通りやっていこうと思います。
はーい。
はーい。
えっと、漫画家藤子藤代氏ということで続けてまして、
前回は、少年サンデー、
うんうん。
ね、創刊されましてと、1959年のことですね。
うん。
月刊で頑張ってきたぼくら、週刊でやれるでしょうかって不安もあったけども、
うん。
手塚先生のね、尊敬する手塚先生のアドバイスも受けつつ、
週刊連載についにチャレンジするというところで、
うんうんうんうん。
海の王子という作品の連載を始めましたっていうところで、お話が終わってたと思います。
で、この頃二人が住んでた時はそうっていうところなんですけども、
はい。
この頃にはですね、他に一緒にね、過ごした仲間の漫画家の皆さん、
石野森翔太郎さんとか、赤塚富士夫さんとか、
それぞれに名を挙げてというか、もう有名な漫画家さんにもなっててね、
はい。
赤塚さんとかやったら、家庭持って出て行ってはったりとかさ、
あと、鈴木新一さんはアニメの会社に就職したりとか、どんどん次のステージに行ってはったんですよ。
はい。
で、藤子富士夫漁師、藤本先生と安彦先生も同じくどんどんどんどん人気漫画家になっていってと。
うんうんうん。
彼らも時はそう離れる時がやってきますと。
おー。
1961年で、28歳の時かな。
03:04
うん。
まあ、毎回言ってますけども、こうやって振り返るとなかなか若いっちゃ若いですよね、成功されるのが。
そうですね。
28歳の時に、神奈川県川崎市に家を買いましたと。
はいはいはいはい。
ね。もうね、今川崎市に藤子富士夫ミュージアムとかできてます。
もうね、今となったら有名な川崎市ですよね。
はい。
そこに今、家を買って出て行くことになったわけですよ。
うんうんうん。
ちなみに藤本先生が川崎市にお住まいになるっていうのは、まあ皆さんね、ご存知かと思うんですけども、
はい。
あの、藤子先生もね、隣に家買ってるんですよ。
え、隣に?
うん。
あ、そうなんだ、へー。
当時からそうなのか、最近あのほら、亡くなられたっていうニュースで、
はい。
ご自宅とかが映った時に、なんか3軒くらい離れてた気がするので、
うんうんうん。
まあ本当に真隣だったのか、後からね、こう間に家があったのかちょっとわかんないですけども、
うんうんうん。
まあこの辺りもね、こう2人で出て行ったっていうところが、もう君たちは本当に仲がいいなーってこうやって言われてるんですけど、漫画の中でも。
うんうんうん。
僕も本当にそう思いますね。
そうですよねー。
ついにね、時はそう離れて、それぞれのね、家庭を持って生活するっていう風になっても、こう隣に住むって、
うん。
なんか本当にいいな、この2人って思います。
うんうんうん。
で、時はそう離れてと、漫画の仕事をしてということをするんですけども、
はい。
この頃にですね、ある誘いを受けるわけです。
はい。
時はそうの時代をもう一度ということで、やっぱりこのね、みんなで一つのものに向かって取り組んでいった、この思い出っていうのは強く残ってたんですね。
うんうんうん。
鈴木真一さんね、先ほどアニメの会社に就職された鈴木真一さん。
はい。
それから石上聡太郎さんね。
うん。
この2人に誘われてですね、アニメの制作会社をやらないかという、
うんうんうん。
こういう話を持ちかけられるわけです。
はい。
うん。
これがですね、スタジオゼロというね、
うん。
アニメ制作スタジオになっていくわけです。
うんうんうん。
うん。
このアニメ会社設立が63年のことだったので、2年くらい経ってからもう一度最終決みたいな感じですよね。
はい。
で、この頃なんですけども、まさにこの同じ年ですね、1963年に、
うん。
日本で初めての1話30分の連続テレビアニメというものが放送されるんですよ。
うんうんうん。
知ってます? これ何のことか。
え、いや。
これね、鉄腕アトムなんですよ。
あー、はい。
あー、なるほど。
そうそうそう。
あの、鉄腕アトムのアニメっていうのが日本で初めて制作された、
うんうんうんうん。
まあ本格的なというか、連続アニメとしての作品だったんですね。
06:02
はい。
うん。
なんで、漫画がこうやって連続アニメになるっていうのがこの頃から始まるわけですね。
うんうんうん。
で、このスタジオゼロって本当にボロ屋の2階とかで始まったちっちゃなスタジオなんですけども、
はい。
あまりにボロボロすぎて、スタジオボロみたいな呼び方を自分たちでもしてたようなんですけども、
うんうんうん。
で、このアニメ化された鉄腕アトムのうちどれかのお話も手でかけたっていう実績があるようですね。
ほうほうほうほう。
うんうんうん。
で、これが東京の中野にあって、すごくなんか、時和荘時代のメンバーがもう1回集まってやってるっていうので、
こうわちゃわちゃしてたよなっていうのがすごい伝わってくるエピソードなんですけど、
はい。
例えば役員、会社ですからね、今回は。
うんうんうん。
役員とか社長とかがあるわけですよ。
それをね、毎回あみだくじで決めてたとかね。
で、藤本先生も、たしか第3代の社長になってあったんかな。
あ、えー、そんなに何代も何代も社長を変えてたってことですね。
たぶんね、人気に合わせてっていう。
はいはいはいはい。
なんか、やっぱりみんなで集まってやるっていうこの楽しさがね、この全体のエネルギーになってたんやなっていうのが、
時和荘の頃からね、引き継がれてるなっていう感じがしますよね。
そうですね。
うん。
ただ、アニメを作ってやっていくっていうのはなかなか簡単にできることではなかったので、
はい。
やっぱり苦戦してはったんですよ。
やっぱり経営っていうのが今度はくっついてくるじゃないですか、会社やから。
うんうんうん。
小さな仕事を受けて、ちょっとずつ稼ぎ出していったりとかっていうふうな時期が続くんやけど、
はい。
これ前にもちょっとご紹介しましたけども、
この会社としての利益をやっぱりしっかり上げていかないといけないっていう問題にぶち当たったときに、
はい。
雑誌部を立ち上げるんですよね。
うんうんうんうん。
つまり、アニメ制作スタジオとしてのスタジオゼロなんですけども、
漫画も描きますよと。
うんうんうん。
もう漫画を描くとなれば、ほら、このメンバーはほんとにベテランばっかりやから。
そうですね。
ね。
だから、そっちの収益を回すというか、
はい。
そういうことを始めていくわけですね。
うんうんうん。
で、このスタジオゼロとともに生み出された作品というのが、
先ほど出てきた少年サンデーで、
1964年に連載が始まりました、おばけのキュウタロウなんですね。
うん。
おばけのキュウタロウをご紹介した過去回のほうに、
そのあたりのね、ほんとに2人の漫画家だけじゃなくて、
スタジオゼロのメンバー全員で作ったみたいな背景なんかもね、
出てきたと思うんですけども、こういう中であったんですよ。
うんうんうんうん。
09:00
おばけの主人公の名前が決まらないって悩んだりとかね。
うん。
あとは、主人公の名前がショウちゃんって言うんですけど、
これは石上翔太郎のショウちゃんとかね。
はい。
お兄ちゃんはシンちゃんやけど、これは鈴木真嗣さんとかね。
うん。
そんな感じで合作で、世に送り出したのがおばけのキュウタロウ。
はい。
で、このおばけのキュウタロウを連載するときのエピソードで登場するんですけどもね。
うん。
アビコ先生が言うわけですよ。
なあ藤本、僕らいっぱい漫画描いてきたけど、ちょっと不安になってると。
うんうん。
いきなりどうしたんだいって聞くんやけど、
はい。
僕たちの漫画って面白いんだろうかと。
あらぁ。
うん。
これはね、漫画に限らずね、何かを作って人前に出してる人にはつきものですよね、こういう悩みっていうのは。
うーん、まあ確かに。
だからファンレターとかをもらうから、読んでくれてる人がいるっていうのはよくわかってるんだよと。
うん。
それがめちゃくちゃ面白いのか、ちょっとだけ面白いのか、面白くないのかがわかんないよなみたいな話で、
ちょっと迷ってたらしいです、この頃。
へぇー。
このおばけのキュウタルっていうのは全7回の予定だったんですね。
はい。
で、一応それが全9回に伸びたそうなんですけども、
うんうん。
これに最中もそんなに反応がないと。
うん。
うん。
で、静かに最終回を迎えた後に、
うん。
どうですかねってこう、編集部の人に聞くわけですよね、反響の方はどうですかねって。
うん。
実はあんまりないんだと、あ、やっぱりそうですかと。
うーん。
ただ、終わってから読者からの問い合わせが殺到したんですって、この作品ね。
はい。
どうして辞めちゃったんですかみたいな。
うんうん。
続きが読みたいですみたいな、こう、問い合わせがもう鳴り止まなかったと。
うん。
えっと、さっきね、自分たちのこの作品っていうのがどんなふうに読者に受け入れられてるのかっていうのがわからないっていうような、
展開のおまえた答えみたいになるんですけども。
はい。
えっと、今までの藤子、藤代の作品って、この藤子藤代氏でも出てきたものをちょっとざっと振り返ると、例えば、こう、海の王子とかね。
うん。
あとは、新宝島にこうインスパイアされて作った、こう、少年少女を主人公にした、こう、冒険活劇みたいなものが多かったんですよ、今までの作品って。
うんうんうん。
でも、このおばけのきゅうたるっていうのはね、こう、みなさんご存じのように、こう、一般家庭、普通の家庭、平均的なね。
うん。
男の子がいて、兄弟がいて、友達がいて、お父さんがいて、お母さんがいて、お茶の間の風景におばけが現れるっていう、こういう家庭的な作品だったわけですよ。
はいはいはいはい。
で、これが、すごくなんていうんだろう、あの、読者と、こう、同じイーブンな感じというか。
12:05
うん。
自分たちの生活に似たようなものが描かれてるっていうところの受け入れがすごく、なんかスッと入ったっていうふうに、あの、後にね、分析されてるんですよね。
うんうんうん。
なので、いや、これ面白いです、これすごいですって、こう、バンバン、こう、返答がくるような反応ではなく。
うん。
こう、なくなったときに、えー、終わっちゃうんですかって、こういう、まあ、受け方をしたっていうふうに、えー、語られてましたね。
はい。
うん。
で、こっから、えーっと、まあ、先ほども言ったみたいに、この、冒険活劇ものを描く藤子不二雄から、不条理な生活ギャグ漫画としての、こう、藤子不二雄という漫画家が、こう、知り渡っていくわけですね。
うーん。
うーん。
もうね、えっと、藤子不二雄って、こう、思い浮かべて、藤子不二雄っていう、この、名前を聞いて思い浮かべる作品って言ったらね、ドラえもんとか、おばきゅうとか、パーマンとか、
A先生のやったら、怪物くんとか、忍者ハットリくんとかね。
うんうんうん。
そういうものが、いまって思い浮かべられるじゃないですか。
そうですね。
こっからね、ブームが始まっていくんですね。
うーん。
で、9回に、えー、回数が伸ばされて、最終回を迎え、で、大反響を受けて、もう一度、えー、連載が再開されるわけですけども、おばきゅうっていうのが。
うん。
少年サンデーだけで、連載されてたものがですね、小学校のほかの雑誌にもどんどん拡大していくんですよ。
うんうんうんうん。
あの、幼稚園っていう雑誌とか、あとは、小学1年生から6年生までの6誌。
はい。
なんで、こう、同時連載っていう形で、連載再開とともに、こう、活躍の場を広げていくわけですね。
うんうんうん。
でも、こっからも、おばきゅうフィーバーですよ。
はいはいはいはい。
連載誌が広がったわけやから、それを読む読者の年齢層も広がるじゃないですか。
うん。
世の中は、もうブーム、グッズであふれる。そして、えー、2人のところに取材が来る、取材が来る、次の日も取材が来るとかね。
はい。
うん。
で、さらに後押ししたのが、1965年に、これがテレビアニメになるんですよ。
はいはいはいはい。
また、もう、追い風ですよね。
うーん、そうですよね。
僕らでもね、漫画までは読んでないけど、テレビで、アニメでやってたから知ってるみたいな作品多いじゃないですか。
うんうんうんうん。
だから、よりこの一般的な知名度を得て、
はい。
まあ、お茶の間のね、友達に、きゅうちゃんをなっていったわけですね。
うーん。
先生、今週も視聴率30%超えましたとかね。
うんうんうん。
30%ってえぐいけどね、今の基準で考えると。
うーん、確かにそうでしょうね。
仕事場のね、見学希望者が殺到したりとか、先生、サインください、サインくださいってなったりとか。
15:01
うーん。
で、そのあと、1967年にパーマ。
はい。
1969年に梅干し殿下。
うん。
きゅうちゃんが終わった後も、どんどんどんどん藤子作品が、テレビアニメに、次はこれ、次はこれって言ってつながっていくわけですね。
はいはいはいはい。
ほんとにこれがもう、第一次藤子藤男ブームですよ。
うーん、そうですね。
だから、オバキューっていう作品が、このスタジオゼロを救ったっていうふうな言い方をしてる書籍なんかもありますね。
うーん、なるほど。
パーマンのアニメ家からは、実際にこのスタジオゼロ自身が、自分でアニメを手掛けたりとかもしてたみたいですね。
うんうんうんうん。
なんで、この頃に発行された漫画とか雑誌とかに、藤子藤男とスタジオゼロみたいな表記になってるやつも結構ありますね。
おー。
うん。
で、東京の中野のぼろ屋で始まったこのスタジオゼロっていうのが、西新宿の方に移転しまして、でっかいビルになりますと。
おー、すごい。
だってほら、別の話になるけど、小学館のほら、建て替えでオバキュービルが建ったみたいなこともあったじゃないですか。
はいはいはい。ありましたね。
規模がすごいですよ、そのブームの規模が。
で、西新宿って一等地に今日移して、で、そのビルのスタジオゼロが入ってる他の会のテナントのところには、藤子藤男の藤子スタジオとかね、赤塚藤男の藤男プロとかね、
そんなんが、漫画家個人としての事務所も入居してると。
うんうんうんうん。
漫画家ビルですよね、これはほんとに。
うーん、はい。
でね、あの有名な写真があるんですよ。
はい。
あの屋上に社員全員がこの並んで、この何、引きで集合写真撮るみたいなよくあるやつ。
はいはいはいはい。
会社とかで。
この頃ね、80人もの社員を抱える大きな会社になってたんですね。
うわ、すごい。
すごいすごい。
藤本先生が多分社長やってた時期っていうのが、この一番前世紀っぽいです。
うーん、あの3期でしたっけ。
そうそうそうそう。
はい。
でも、見る見るうちにこうやってね、会社も大きくなっていくわけですね。
うーん、そうですね。
はい。
しかし。
はい。
しかしが来るのが早いんですけど、今回も。
はい。
作品人気、そしてアニメ人気っていうことでね、支えられてきたこのスタジオゼロ時代の人気なんですけども。
はい。
大人気だったアニメもいつかは終わります。
まあまあまあまあまあ。
もちろんね。
はい。
先あげた中で言うところの梅干し殿下ですね。
はい。
このアニメがもう終了するわけですよね。
うんうんうん。
すると、同じようにこう連動するようにどんどんどんどん人気も下がっていくわけですよ。
18:05
ああ。
ね、もちろんこの時期にブームになってる作品って、僕らはこの時期で話してるからこの話ばっかりしてるけど、いっぱいあるわけですから、アニメもあるし、特撮もあるし。
そうですよね。
なんなら大人向けの作品なんかも描かれて、大人がアニメや漫画を親しむみたいな文化も育ってきてるわけですね。
うんうんうんうん。
なので、徐々に人気を失っていったスタジオゼロは、80人いた社員の給料を払うことでも精一杯になってくるわけですね。
うーん。
それでね、
はい。
締めちゃうんですよ、最終的には。
まあ、そういうことになりますよね。
ね。
この時に出てきた、まあ、笑い話として書かれてるんですけども、
はい。
はい、じゃあ今月も経費集めますって、こう来るわけですね、経理の人が先生たちのところに。
うん。
こんなに毎日仕事してるのに、経費集めるんですか?みたいな。
いやいや、もらってね、社員の給料払うだけでもね、大変なんですからって言って、それもそうですね、いうことで払うんですね。
うーん。
締めるときに、こう、備品を売ったお金を全部、みなさんに配分したら、
うん。
残金がちょうどゼロになりましたと。
うん。
なので、我々はゼロから始まって、終わるときもまたゼロになったねっていうね。
うーん。
これがスタジオゼロ物語ということで。
あー、なるほどね。
うん。
割とあの、時話層とかの話とかすごくね、人気だったりとか、語り継がれたりとかするんですけども、
このスタジオゼロでも、またこのね、メンバーたちがこう、青春というかね、成功と挫折をこう、たどっていくっていうところもすごくドラマチックだなと思って。
うんうんうんうん。
漫画家さん同士がね、こう仲良く一緒に活動してるっていうのが、僕はすごくいいなと思うんですよね。
そうですね。
うーん。
まあ、えっとね、おばきゅうぱうまの梅干し殿下、この辺りの作品っていうのは、このスタジオゼロという存在が一緒にくっついてきてたっていうのも、
うんうん。
で、頭にこう入れると、今後そういう作品を手に取ったときにね、こう深みが増すんじゃないかなっていうふうに思いますね。
うーん。
ちなみに、えっと、藤子藤代っていう漫画家が、こう生活ギャグとしての有名なね、作家さんになったって話をさっきやったんですけど、
はい。
この頃ですね、えっとね、1969年ですね、藤本先生はあの、ミノタウロスの皿を描いてありますね。
あー、なるほど。
で、これで、えっと、まあ、子供向けとしてね、こうずっと認知されてたけども、大人に向けての作品も描きますというか、
21:02
うーん。
まあ、そういう実力を世に示してと。
うーん。
で、この頃に言ってあります、僕の描く作品っていうのは、SF、サイエンスフィクションですけども、
うん。
少し不思議、SF。
うん。
これが僕の作品の中のコンセプトというかね。
はい。
日常の中に現れた非日常が生み出す、ちょっと不条理な笑いであったりとか、おかしさであったり、不気味さであったりとか。
うーん。
まあ、そういうものなんですっていうふうに、この頃おっしゃってますと。
うんうんうん。
というわけで、今回は、スタジオゼロという会社と、おばけのQ太郎が巻き起こしたブーム、そして騒動ですかね。
うんうんうん。
この辺りについて、ちょっとご紹介をさせていただきました。
はーい。
はい、ありがとうございます。
はい。
はい、エンディングでございます。
はい。
えーと、スタジオゼロとおばけのQ太郎以降のね、いくつかの作品について喋ったんですけども。
うんうんうん。
この頃になってくるとね、まあ時代が近いので。
はい。
こう、残ってる写真が多かったりとかね。
うんうんうん。
実際に漫画描いてるし、アニメ作ってるしっていうことで、作品として残ってるものも多いんですよ。
うーん、そうですね。
そうなってくるとね、このちょっと知りたいなーって思ったときに、遡れる素材が多いっていうのはありがたいことですよね。
うーん、確かに。
本当にね、藤代、藤代研究家みたいな人たちいっぱいいるんですよ。
うんうんうんうん。
そのあたりのね、方がこう残した本とか見ると、この頃のエピソードもっともっと詳しく出てくるんで。
うーん。
ぜひね、深掘っていけたらなというふうには思っておりますと。
うんうんうんうん。
今回のお話はどうでした、さっぱさんは。
いやーでもやっぱ、あの前にそのオバキューのやつやってたときとかにも、ちょっと話が上がってた内容とかにたどり着いてきたっていうか、
あ、なるほど、ここまで来たかみたいな、まあそんな感じで思ってるんで、
あ、ここからはちょっと私の知ってる内容になってきたんかなーみたいな、そんなふうに思ったりしてましたね。
そうだよね、人物誌ということでね、ここがこのエピソードに当たるんかっていうふうになっている人も、聞いてる方でも多いかもね。
はい。
うーん、そうなんですよ。
ようやくね、藤代、藤代、本当に苦節何年って感じじゃないけど、
日本中にね、名前が知れ渡っていって、っていう時期に入りましたと。
24:01
うーん。
ここから先はね、たぶん、ここまで来ると、改めて紹介するほどでもないぐらいな部分にはなってきてるんですけども、
うんうんうんうん。
あともうちょっとだけ続くのでね、
はい。
またお付き合いいただけたらと思っておりますです。
はい。
はい。
じゃあ今回は終わっていきましょうかね。
はい。
少し不思議ないと、この番組では皆様からの感想、反応、藤子不条作品への愛、とうとうお送りいただけたらと思います。
やつ先の方よろしくお願いいたします。
はい。メールアドレスはfushigi7110 at gmail.com。
ツイッターのアカウント名は少し不思議ないと。
ハッシュタグはハッシュタグ不思議な、不思議はひらがな、なはカタカナで検索してみてください。
はい、それからお名前だけで送っていただけますメールフォームの方もご用意しております。
エピソードの概要欄、もしくはツイッターの少し不思議ないとアカウントのプロフィールのところにリンクがありますので、ぜひご活用ください。
はい。
というわけで、皆さん次のお話でお会いしましょう。
さよなら。
またね。
25:30

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