2022-04-16 20:48

78. 漫画家・藤子不二雄史② 天使の玉ちゃん

第78回は漫画家・藤子不二雄の歩みについてのお話その②です。


手塚治虫先生の漫画に出会い、本格的に漫画家への夢を追いかけ出した藤本少年と我孫子少年。地元の新聞へ漫画を送ったり、この頃に初めて発行された漫画専門誌の読者コーナーに投稿したり。地道な活動を続ける中で、少しずつ成果が出始めます。

今回は二人が自作した漫画雑誌『少太陽』と初めての連載作品『天使の玉ちゃん』が登場しますよ!


【今回登場した作品】 小学館版学習まんが人物館 藤子・F・不二雄〜こどもの夢をえがき続けた「ドラえもん」の作者/ロスト・ワールド/少太陽/天使の玉ちゃん


☆番組ではお聞き頂いた皆様からの感想をお待ちしています

藤子不二雄先生のファンの方々、より詳しい方々など一緒に番組を盛り上げて下さる皆様からの補足情報、ご指摘、アドバイスも有難く頂戴します! こんなテーマで話してほしい!等のテーマリクエストも頂ければ、とても嬉しいです


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00:02
みなさん、こんばんは。ゆうすけです。
さっぱです。
よろしくお願いします。
お願いします。
前のエピソードの冒頭にね、急遽音声差し込む形で、ちょっと触れたんですけども、
藤子不二雄っていうペンネームで、
F先生とA先生といらっしゃいましたけども、
1996年にね、F先生はもう亡くなってて、
先日ね、A先生がお亡くなりになられたっていうことで、ちょっとね、お知らせを受けまして、
なんかね、計らずと思っちゃった編ですけどもね、今回、藤子不二雄という漫画家についてね、
話してみようみたいなことをやり始めたときに、ちょっとなくなったので、
ちょっとね、胸に来るものが個人的にはあったなという感じではあります。
重ねてご冥福をお祈りいたします。
で、すごく変な言い方にはなるんですけども、
お亡くなりになったということで、いわゆるツイートの企画とか番組とかも、いろいろテレビとかでされるようです。
時和荘のお話であったりとか、藤本先生と安彦先生がずっとね、日本の漫画っていうものを牽引してきたよっていう話とかっていうのが、
メディアとかでもね、触れられる機会っていうのが増えると思うんですよね。
なのでね、なくなったからっていう言い方になるのはすごく変なんですけども、
こういう人だったんだとか、資料映像とかね、もしご興味を持たれた方とかは、触れてみてもいいかなっていうふうな感じに思いましたと。
で、じゃあ続きをやっていくんですけども、前回は藤子、藤代物語的な感じでね、歴史的な話をしてたんですけど、
2人が出会って、手塚治虫先生の漫画に出会う。自分たちもこんな漫画家になりたいんだっていうふうに夢を抱くっていうところまでお話ができたと思います。
はい。
じゃあその後、1949年のお話です。2人が手紙を書いています。藤本少年と阿備子少年。
全略。いや、背景で始めたほうがいいかなみたいなことで、書き慣れない手紙を書いてるわけですね。
で、この2人が手紙を出てる相手っていうのは、手塚治虫先生。
はいはいはいはい。
この頃、前回新宝島っていうね、漫画の歴史を大きく変えた作品っていうのが出てきたんですけども、
さらにロストワールドという大きな大作が出まして、手塚先生の影響というかね、日本中で漫画のブームっていうのが起こってたわけですよ。
おー。
03:00
すごいですね、やっぱりね。
そうですね。
で、このロストワールドという作品は、先生の作品の中でも最高傑作じゃないかと言われていたようです。
なるほど。
なんで、きっときっとね、たくさんのファンレターが届いてるんじゃないかなと。
うんうんうんうん。
そんな中、この2人も先生に向けてね、手紙を書こうとしてるわけですよ。
はい。
で、さっぱさんはこういう作家さんとかにファンレターみたいなって書いたことありますか?
作家さんですか?いやー、ないかな。
ねー、なんか手紙をね、送るっていうのって、僕のちっちゃい時なんかはまだあったんですけども、
あ、なんかこのファンレター、いわゆるほら、何々先生に励ましのお便りを送ろうみたいな、書いてたんですよね、昔はよく。
僕はこのエピソードを見て、なんかそういうのを思い出したりとかしてましたね。
なるほど。
あの、書いたことはないんですけど。
あー、そうなんですか?
うん。
うんうんうん。
で、さっきほど言ったようにきっとね、もう大ブームが起こってる中、たくさんのファンレターが届いてるんじゃないか。
うん。
その中で、じゃあ自分たちの手紙に目を止めてもらうためにはどうしたらいいかっていう話になるわけですよ。
確かに確かに。
ね。で、「藤本、何やってんの?」って、おとどけ込むわけですね。
うん。
たくさんある手紙の中で目立とうと思って、この手紙にね、付録をつけてるんだよって付録を作ってるんです。
付録?え?
うん。
手紙に?
そうそうそう。
はい。
で、あのー、先生、先生ってこの手塚先生ね。
はい。
先生の漫画に登場するいろんなキャラクターを、映画雑誌風にまとめて、キャラクターアルバムみたいなのを作ったんですって。
おー、すごい。
ね、なんかいいね。気合い入ってるね。
気合いめちゃくちゃ入ってますね。ほんとに。
ね。これは目を引くよね。
うんうんうん。
で、ほら前回もね、無聴になって手塚先生の絵を模写しまくったって話が出てきたじゃないですか。
はいはいはいはい。
だからね、藤本少年も阿彦少年も、ほんとにね、もうコピーできるぐらいめちゃくちゃ描いてたんですよ、この頃。
うんうんうんうん。
で、事実、まあこの後登場するんですけども、ほんとにほんとに初期の時の作品。
はい。
2人がもう学生の時に描いたような漫画って、ほんとにね、手塚治先生のテイストがそっくり気移しなんですよね。
ああ、そうなのですね。
まあ、きっとこのね、2人だけじゃなくて、日本中の漫画家を志す少年少女が、この手塚治先生の絵柄っていうのをお手本に育っていったんだなっていうのがお伺いしれるようなエピソードですよね。
うんうんうん。
で、ファンレターというかお手紙が先生の目に留まるようにっていうことで付録を作る藤本少年と。
いいじゃないかそれってなって、藤子少年も、じゃあ僕は先生の肖像画をね、こう想像で描いておくるよって。
おおー。
きっとこんな先生なんだろうなっていう、何?似顔絵じゃないけどさ。
06:02
うんうんうんうん。
このエピソードから察するに、写真とかはついてなかったんだろうなとは思うんですよ。
そうでしょうね。
で、新聞連載のまーちゃんの日記帳とかね。
はい。
あとは単行本でロストワールドとか、シンタガラジマとか、そんな頃なので、たぶん作家さんの顔ってまだわかんなかったんだろうなっていうふうなことがわかりますね。
はいはいはい。
そして、5ヶ月の月が流れまして。
はい。
ようやくね、ファンレターの返事が来たんですよ。
え、返事来るんすか?
ね、なんか、わー来んねーやーって感じよねこれ。
そうですね。
いやーもう信じられないって、先生から返事が来るなんて。
いやいや、もう絶対来るって思ってたよみたいなね、こう2人でもう歓喜あまって喜んでるシーンが書かれてて、なんかこう自分のことのように喜んじゃったね。
うーん。
ねー、5ヶ月っていうぐらいやからね、やっぱほんとに山本届いてたんでしょうね。
そうでしょうね。
うん。で、えっと、2人は漫画家をね、目指すっていう話があったじゃないですか。
はい。
この後の活動ですよ、まだだから2人とも学生ですよ。
はいはいはい、そうですね。
今で言う高校生か。
うんうんうん。
手塚先生、今僕たちは自分たちだけの月刊雑誌を作っています。
漫画はもちろん予告から読者ページまですべて僕たち2人で書いています。
雑誌の名前は小太陽ということで、作品紹介に移ります、こっから。
おーはい。
えっとね、小太陽って、太陽はあれね。
はい。
空に浮かんでるサン、サンですよ、太陽。
うんうん。
で、ショーっていうのは少年とかのショー。
はいはいはいはい。
これね、1回って言ってもずいぶん前だけど、不思議なでも初めの頃に喋ったかな。
うーん。
2人が作った、自作自演っていうか、全部もう表紙から、中身から、広告から全部自分が作ってる雑誌なんですよ。
はいはいはい。その話は聞きましたね、確かに。
そうそうそうそう。
はい。
で、近所の子供たちに配ったりとかね。
うん。
雑誌作りをやろうみたいなね。
うーん。
これだからね、本当に、言ったら個人的な今で言う、同人活動にも及ばないような自主制作じゃないですか。
はいはいはい。
で、この自主制作のものなので、本当に数が少ないんですって。
まあ、そりゃそうですね。
残ってないって、出版物ではないからね。
うんうんうん。
だから、誰かが個人的に持ってたものみたいなのが、ようやく残ってるみたいなレベルみたいでさ。
うわ、すごい。
そう。で、確かね、本人たちもそんなに大事なものって思ってなかったから、引っ越したときに処分したとかそうなんなんですよ。
えー。大事ですよ。
そうそうそうそう。
まあね、こんなに化けると思ってなかったからね。
09:01
まあまあまあまあ、そうでしょうね。
そう。でね、何年か前にね、藤子F藤代店みたいなのがあったんですね。
はい。
大阪に行きはったんですね。
うんうん。
でまあ、各地回ってると思うので、他の街でもね、行かれた方はいらっしゃると思うんですけども、
ちょうど本当に歴史をたどる形で順番に展示がある中の冒頭ですよね。
はい。
はじめの入ってすぐのところ。
うん。
この正太陽がね、展示されてたんですよ。僕見ましたこれ。
えーすごい。
そう。なんか、うわーこれ本物みたいなさ。
うんうんうん。
ねえ。
いや、なんか本当にこの心から漫画が大好きな少年たちだったんだなーっていうのが伝わってきましたよね。
うんうんうん。
なんか後に、
はい。
F先生ね、A先生ご存命の時に、
はい。
まあこの正太陽をもって何かの番組にね、出会ったりとかね、出て思い出語ったりとかっていうのもあるみたいですね。
映像を探せば時々出てきます、そういうのは。
うんうんうん。
いや、なんかその本当にこう趣味の活動っていうかさ、
はい。
そういうエピソードが残ってるっていうのがいいじゃないですか。
うん。すごいですね、本当に。
それから活動っていうのはこれだけじゃなくて、
はい。
今みたいにこの漫画雑誌ってそんなになかったんですよね、この当時って。
うんうんうん。
まあ時代も時代ですからね。
うん。
で、主に掲載されてるのって新聞の4コマとかそんなんなんですよ。
はいはいはいはい。
うんうんうん。とか、漫画が載ってるにしても雑誌全体の数ページとかね。
うん。
漫画の地位ってそんなもんですわ、この頃はね。
はいはいはい。
手塚治虫先生のまーちゃんの日記帳っていうのに出会ったのも、
新聞に載ってた4コマ漫画みたいなそんな感じだったんで。
はい。
で、この二人は地元の新聞に自分の漫画をこの投稿し始めるんですよね。
うんうんうん。
で、そこに投稿したりとか、
はい。
漫画ブームが訪れたことによってようやく登場した漫画少年という雑誌があるんですけども、
はい。
そちらに自分の作品を投稿したりとかっていう活動を続けていくんです。
あー、なるほど。
うん。
で、地元の新聞ではもうどんどんどんどん常連になってきたりとか、
うん。
で、漫画少年とかもこれね、調べてみて知ったんですけど、
はい。
採用されなかった人の名前も載るんですって、応募してきた人の。
あ、ほうほうほう、はい。
そうそう。だから、漫画が好きでそこにこの投稿してる人たちの、
うん。
なんていうか、ちょっとしたコミュニティみたいな。
うんうんうん。
あ、だれだれさん今回も送ってるわみたいな。
なるほど。
っていうことで、この漫画家を志す人たちの一つの居場所みたいな存在になったみたいですね、この漫画少年っていう雑誌が。
うん。
うん。
で、そこに手塚先生も連載を持てたりとかして、
はい。
で、後に投稿された漫画の好評とかを書いたりもしてたんですってね。
うんうんうん。
あの、コメントをね、つけたりとかね、この漫画はこうだねみたいなんとか。
うん。
で、のちのちこの漫画のね、投稿欄に応募してた人たちっていうのが、
12:02
うん。
すごく有名な人たちになっていくわけですよ。
おー。
読者が投稿してきて、新しい漫画がどんどん載るっていうこのコーナーがものすごく人気あったみたいです。
うーん。
うん。
石野森翔太郎さんとかね。
はいはい。
鈴木新一さん。
うん。
赤塚不二雄さん。
おー。
寺田博雄さんってこれ、また後のエピソードに出てきますけども、
はい。
ときわ草に集うメンバーですよね、将来。
そうですよね。
うん。
はい。
とかも、ここに投稿してたんですって。
あ、そうなんだ。
そうそうそう。
だから、ほんとにこのね、漫画家の、なに、東流門的な感じの雑誌やったらしいです。
はい、なるほど。
うん。
で、地元の新聞には、だんだん載るようになってきたりとか、
うんうんうん。
漫画を描いてる人たちっていうことで、ちょっとずつ流し入れてきた2人ですけども、
はい。
1951年のお話になります。
はい。
おーい、こんなものが届いたぞと。
うん。
郵便かわせっていうのがあってですね、
はい。
郵便局に持っていくと現金と交換してくれる紙なんですよ。
あーはいはいはい。
うん。で、それをまあ、届いたぞーって言って、2人で騒いでるわけですね。
うん。
で、なんだなんだって言ったら、初めての2人のね、原稿料だったんです。
ね。
そう。大阪の毎日新聞社というところから初めての原稿料が届いたんですね。
おーすごい。
で、これがちょっとあの、特集なエピソードで、
はい。
原稿料届いたぞってなって、あ、載ってるらしいっていうことで、後から気づくんですよね、この2人。
え?そうなんだ。
なんかね、載ることになりましたみたいな連絡って実際ありそうなもんなんだけど、
ですよね。
うん。で、慌ててその毎日新聞を確認したらですね、すでに7話載ってたという。
え?結構載ってるじゃないですか。
そうそうそうそう。で、これが2人にとって初めての、この公やけな出版物としてのデビュー作になりますね。
天使の玉ちゃんという作品ですね。
なるほど。
この2人が有名になったことで、この天使の玉ちゃんっていうのがデビュー作ですよっていうことも、
だんだん知られていくようになったんですけどね。
うんうんうん。
で、当時の名義は、浴び子元を藤本博作というね、まだペンネームは出来上がってないんです。
はい。
えっとね、1951年の12月16日から翌年の4月4日まで、毎日小学生新聞っていうね、小学生向けの新聞って今でもありますよね。
はい。
そこにも掲載されたっていうことですね。
後に藤子不二雄となるコンビ漫画家として、初めてマスメディアに掲載されたプロデビュー作であるとともに、初めて打ち切りを経験した作品ということです。
なるほど。
15:02
これね、10作送ったらしいんですよ。
はい。
2人は。で、確認したところ、もう7作載ってたってことじゃないですか。
そうでしたね。
やばい、あと3作しかないっていうことで急いで続きを書いたみたいですね。
あー。
で、ちなみに、えっとですね、この時に送った時の辞泉の文章のところにですね、今は新聞に手塚先生の漫画が載っていませんと。
僕たちは手塚先生の作品が大好きで、代わりに自分たちの作品を連載してくださいっていう手紙を添えたそうですね。
情熱的。いいね。
いいですね。
でもなんかね、小学校で友達の似顔絵を描いてた2人が出会った時のことを思い起こすとね、ここまでやってきた活動っていうのが身を結んでるっていうのはすごいなって本当に思いますよね。
きっと漫画とかね、書籍とかでこうやって簡単に紹介されてる以上の頑張りをずっとしてきたんじゃないかなっていうふうには思います。
まあ、そりゃあそうでしょうね。
というわけで、1951年が藤子藤男氏として遡るとすれば、正式なデビューした年っていうことになりますね。
2人はまだ高校生です、これ。
すごい。
ついにデビューしました、2人。
早いデビューでしたね。
しかし、この2人まだ学生の身分であるっていうことを私言いました。
だんだん近づいてくるわけですよ、卒業が。
進路どうするんだいという話になっていくわけです。
なるほど。
藤本少年はね、漫画家になりたいっていうのを母親に打ち明けたっていうのは話に出てきたんですけども、じゃあ実際問題どうするのかですよね。
藤本少年はですね、就職することに決めるんです。
働きながらでも漫画を描けるからと。
家計のこともやっぱりあるしさ。
そうですよね。
この頃には打ち切りも経験してるので、デビューしたとはいえね、先立つものってついてくるじゃないですか。
やりたいこともあるけれども。
ちなみに安彦少年こちらの方は、おじさんの紹介で新聞社の方に勤めることになったと。
漫画家になりたいと言いながらもやっぱり現実的な問題ですよね、どうやって食っていくねんと。
そうですよね。
話が突き戻ってくるわけですよ。
さあこの2人はこのまま会社になってしまうのかと。
そんな未来なわけじゃないってことは知ってます。
今回の話はここまでにして、次の話では最後の春休みに2人はある場所に行くことを決心します。
18:02
というので次の話につなごうと思います。
今回はここまでです。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
エンディングでございます。
ついにね、2人がまだ藤子藤男という名前は名乗っておりませんが、公式にね、ちゃんと公の出版物として漫画家が乗るというところまで飛躍していきましたね。
なんかその子供やと思うんですよきっと言ってもね。
まあまあまあまあそうでしょうね。
好きなことに全力で立ち向かうエネルギーを感じるよね、こういう話を聞いてると。
そうですね。
このファンレターに目立ってもらうためにちょっと一工夫超えるとかさ。
若さというか本当にこれぐらいの情熱がね、あったからこそこの後の活躍っていうのの足がかりができたんじゃないかなというふうに思うエピソードでございました。
なんかね、自分もやりたいこと今できてるかなみたいなことをこう思ったり。
それでもね、今回のエピソードの最後にありましたけども、先立つものも必要ですから。
安定と楽しい活動と目指すものというところで、いつの時代の人たちも苦しんだんだなというふうに思いましたね。
次回の方も続きをやっていくわけですけども、一旦ここで終わるということで、いつものやつやっていきます。
少し不思議ないと、この番組では皆様からの感想、反応、それからフジコフジオ作品への愛、募集しております。
さっぱさん、宛先の方よろしくお願いいたします。
メールアドレスはfushigi710 at gmail.com。
ツイッターのアカウント名は少し不思議ないと。
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それからお名前だけで送っていただけますメールフォームの方もご利用しております。
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というわけで、皆さん次のお話でお会いしましょう。
さよなら。
またね。
20:48

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