環世界ユニットの活動報告です。科学者とアーティストが「環世界」「痕跡」「時間」をテーマに議論しました。科学者とアーティストの思考プロセスの類似点や評価者の違いに触れつつ、各々が独自の作品構想を発表しています。
▶︎ 発表資料
このエピソードについて
2026年3月28日・29日、山口情報芸術センター[YCAM]ホワイエで 開催された「ファンダメンタルズ フェスmini in 山口」での口頭 発表を、期間限定で公開しています(2026年6月21日まで)。
ファンダメンタルズ プログラムについて
科学者・アーティスト・人文学者が分野を越えて出会い、比較的長いスパンで対話を継続するプログラムです。プログラムは1年サイクルで動いていて、6月の バザールで新しい参加者が出会い、哲学研究者が媒介となってペアやユニットが生まれます。1年間それぞれのペースで対話を続けたあと、翌3月のフェスminiで研究・制作・思考の「途中」を 持ち寄ります。 完成した成果ではなく、進行中の探究の現在地を共有する場です。
この番組について
科学者とアーティストの長期交流プラットフォーム「ファンダメンタルズ プログラム」の音声配信番組です。
番組内では、プログラム参加者による自主企画「ラジオ部」と、運営による公式プログラム「フェス」と「バザール」(年に1回オンサイトで開催される)の記録配信をお届けします。科学とアートの完成した成果だけでなく、その手前にある世界の見え方、手の動き方、対話の途中を、さまざまな形で共有していきます。
https://fundamentalz.jp
お便り:contact@fundamentalz.jp
感想
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00:01
では、私たち環世界ユニットです。 ここ8人くらい。今7人かな。人数ちょっと多いんですけど。
環世界っていうのはちょっと紹介をして、 この後、我々が一体どういうことを感じたのか。
本取組で基本話を一言ずつ言ってみたいと思います。
環世界の名前を少し言います。
これはメンバーですね。
環世界っていうのは、日本に出てきたんですけど、 聖地と世界中はよく話されているはずで、
いちものって世界中から外側へ出るのを、 生物の感覚で捉える。
人間は目で見て、手で触って、匂いで匂って、 ということをするんですけども、
例えば他の生物だと感覚が違うので、
例に出されるのはまだ人間がいないので、 世界を目で捉えることはない。
だけど、熱は感じできるので、 本による余熱で感じる。
聖地によって世界が捉え方が違う。
それぞれの生物の世界を環世界と呼んでいます。
環世界の面白いところは、こういう実験もしていて、 環世界が違うと言いましたら、
聖地はそれぞれに独自の時間の流れを持っている。
空間の捉え方だけではなくて、 時空間の捉え方が違う。
時間の流れも違う。
これがカタツムリなんですけど、
カタツムリにティーボー玉に乗せて、 こっちから棒で落ちていくと、
棒がゆっくりのときは、 上ってこようとしないんです。
早くついてやると、カタツムリは 棒が止まっているようにした感じでなくて、
上ってこようとする。
なので、カタツムリが18分の1よりも早いと、 時間が止まっているようでしたかもしれない。
というようなことが言われています。
これまでの活動を私たちが、 この環世界っていうことを中心に、
テーマを考えようという話です。
ただ、環世界よりもうちょっと具体的に、 サブワードみたいなのを設定したらどうかという話が出てきて、
そういうサブワードも設定しながらやりました。
このメンバーで、
2ヶ月に1回ぐらいのオンラインミーティングをやりました。
毎月はちょっと忙しいかもねという話で、 2ヶ月に1回の割合でやってきました。
03:01
オンラインでのミーティングです。
昨日も他のユニットの方も言われていましたが、 ほぼ雑談です。
雑談をしながら。
最初の頃は、環世界ってどういうものなのかという、 ちょっとレクチャー的な説明も私からさせていただいたんですが、
基本的には雑談です。
その雑談の中で、さまざまなキーワード、 あれがいいんじゃないか、これがいいんじゃないかというのが出てきて、
最終的には、この痕跡と時間というキーワードを追加して、
環世界、痕跡、時間というようなテーマで、 作品作りをしてみようということになりました。
痕跡というのは、生物独自の痕跡がいろいろあって、 環世界が交わらなければ、痕跡すらわからないというようなことになるものです。
時間も先ほど言ったように、 生物によって時間の流れが違うという話ですね。
なかなかうまく操作できないな。
いいです。
それで、そういうふうにやってきました。
それで、ここからはちょっと私の感想ですね、簡単に。
私の下心ですね、参加の下心。
我らが、つぼみ代表がですね、 アーティストの方々と科学者って似てるんだって言われたんですよね。
何が似てるのって私は思ったんです。
だから、何が似てて何が違うのかを確かめてやろうと思って参加を実はしました。
他にも、分野融合の研究というのを進めないといけない立場なんですね、私実は。
なので、分野融合の研究を進めるにはどうしたらいいのかなというヒントをもらいに来た。
あと最後に、後付けなんですが、 新しい研究のヒントが見つかればいいなと思って来たというものです。
一番最初のところが一番重要で、何が似てるのか似てないのかというので、私の発見2つです。
似てる点が2つあって、似てない点が2つあるなって思いました。
1点似てる点としては、成果を出すまでの手順がほぼ一緒という。
研究も、調査、共感、調査して課題を発見して、アイディエーションをして、プロトタイプして、実験して、最後に成果を出すという流れなんですけど、
アーティストの方々もほぼ同じような流れでされているなというのが実感です。
それから論理的な思考をされているなという感じですね。
これは私は驚きでした。
アートってもっと自分の感覚とかを、もちろん自分の感覚とか思いとかを込められるんですけど、
もっと感覚的にされるのかなと思っていたんですけど、すごく論理的に考えられているなという発見がありました。
それから違う点としては、捉え方ですね。
事象の捉え方が違うということで、我々科学者は科学的な背景をもとにして物事を捉えるんですけども、
アーティストの方々は自分の思いとか思想心情とか感情とかいうもので捉えられるという点が違うのかな。
06:00
唯一と一定ぐらいの違いかなというふうに思いました。
それからもう一つ、成果の評価者が違うのかなと。
科学者は基本的に自分でやった研究結果というのは他の人が評価をするんですよね。
だけどアーティストの方は他の人の評価ももちろんコンテストとかではあると思うんですけども、
自分が満足したかとかどう感じているかということをすごく大切にされているなという発見がありました。
なので同じ点はもっとたくさんあるんですけど、同じ点とそれから異なる点が2点という感じですね。
あとは分野融合ってやっぱり難しいなというものですね。
大学で今進めないといけないんですけど、このファンダメンタルズでは成果を求めないよということを言われてるんですけど、
大学では今は成果を出さないといけないという苦しい状態ですね。
あとはそうですね、1年間私はやってきてすごくいろんなアイデアをもらったので、
思考のブートキャンプって私は呼んでるんですけど、いろんな思考をしないといけなかったっていうのがあります。
そんな考え方があるんだとかですね、ということでブートキャンプというふうに私は呼んでます。
あと私の展示はこの階段の向こう側というか下にあるんで、後でまた見ていただけたらと思いますが、
新しい目が出始めたかなという感じです。
すみませんちょっと長くなりましたが、私の感想です。
あとちょっと長いですけど、それぞれが感想を持っていると思いますので、一言ずつですが紹介したいと思います。
岩泉です。
自分で説明していいかな。
僕も最初のユニットで集まった時に観世界ということについて杉井さんのほうからレクチャーがあって、
それぞれ考えていく時に、もうすでに何人かにお話ししちゃったってあれなんですけども、
ちょうどその話を受けた後ぐらいに東京の上野の科博に行って、
ちょうど氷河起点というのがあったので、たまたま面白そうだなとか言ってみただけなんですけども、
行った時に思ったのが、いわゆる環境によって見え方が違うんだみたいな、
生きている環境とか生物の持っている個体で捉え方が違うってなった時に、
氷河起点を見てた時に、氷河起点の人たちってもっと見え方違ったんだろうなと。
基本的に何でも凍ってるし、太陽ないしみたいな、でも真っ白な世界で、
その中で生きてた人たちの感覚とかを再現したら面白いかなっていうところで、
だいぶ飛躍したんですけども、飛躍して創世史まで行っちゃったんですけども、
スノーボールアースっていうのがあって、地球が全部凍結してた時代、
それは人間はいないんですけど当時は、でもその時の記憶がもし残っているんだとすれば、
それが神話とかにつながっていって、今に至るのかなっていうのがあって、
なんで神話かっていうと、結局世界の最初の神話の中の一番最初の作られていく過程の中では、
09:01
全部が一色端、何かが分けられているわけではなくて、全部が身分化の状態の中で、
ある時光とか火が出てきて、世界が分かれていくみたいな感覚があって、
感覚というか話があって、それとスノーボールアースのたまたま氷河期の調べてる時に見た時に、
もしかしてスノーボールアースの時に火山とか何かが起きて、海の氷が溶けて大陸が現れてとか、
それが海底火山の噴火で島が新しくできてみたいで世界ができていくっていうんだったら、
なんか納得いくなみたいな勝手に思いついて、それをちょっと再現してみようかなという形で今回やってみたっていうのがその次第です。
こんな感じでしょうか。
大端と申します。そこの小さいつぶつぶがいっぱい置いてあるものをやっております。
僕はですね、もともと人間の生活動作によって生み出される痕跡っていうのを使って制作をしていたんですけれども、
それはその時取り扱っているのは人間の他者を、水知らずの他者を取り扱ってたんですが、
その他者っていう感覚を人間以外の生き物にまで広げることができないかなと思いまして、
それで今回はヒメネズミという小さいハムスターぐらいの大きさのネズミが作り出したショッコンという食べた後のクルミ、
オニグルミという小さいクルミがあるんですけど、そのクルミを食べた後にできた穴と、
その食事をして中の実を食べたことによってできた空洞っていうものを写し取って取り出してくるっていう制作をしております。
ちょうどこのかんせかユニットがスタートしたときが去年の8月ぐらいがスタートだったと思うんですが、
そのときに兵庫県の山奥のアートプロジェクトに参加をしておりまして、
そこで野生動物の野生世界に残されたフィールドサインみたいな痕跡を作品として取り扱えないかなってちょうどリサーチをしていたタイミングだったので、
そこでいろんなクマとかシカとか出るような場所だったんですが、
フィールドサインとして結構残っているものっていうのは足跡だったりフンだったりとか、
なかなか別の場所に持ってきたりとかしにくいようなものが多かったんですが、
その中でこのクルミの殻っていうのは持ち運びができて作品化するのに素材として使えそうだというところで採用したというところです。
ネズミがかじって食事をするという行為によってできた空洞っていうのは、
その空洞こそが食事っていうかネズミが追い求めた結果によって生じた、生み出されていったものなので、
12:00
よく見るとその形に僕は美しさをすごく感じるんですけれども、
ただそのネズミの主観的世界をその時間経過、生きているという時間経過をすることによって生み出し続けていった中に、
そういう美しさが見出せるんじゃないのかなと思って取り組んでおります。
三亀玲奈です。
普段は画家で油彩画や水彩画を描いています。
今回は観世界ユニットを参加にあたり、瞬間と構造っていうテーマを一旦立てているんですけれども、
もともと油絵で色を見るというタイトルをつけた制作を2020年から行っていて、
それは赤い身を持ち歩きながら木漏れ日の中を歩いたときに、
暗い赤、明るい赤って赤い身を見ながら感じているときに、
それではその中立の赤、暗くも明るくもない赤っていうのはどこにあるのだろうとか、
それはどうしたら描くことができるのだろうっていうことを発想したことをきっかけに、
5、6年赤い身の絵を描いているんですけれども、
それでやっぱり赤っていう色に5、6年向き合い続けてきて、
ある哲学者が言っていることだと赤っていうのは連続性のある色、持続性のある色で点滅しているとか、
すごく時間を持った色であるっていう論説があったりだとか、
あとはさっき杉井さんのスライドで人は18分の1以上の分割をすると、
それは資格できないだとか、
瞬間の最初の単位が18分の1であるっていうような話を聞いたときに、
じゃあその点滅や持続の概念と赤色の概念と18分の1っていう概念を重ねることができないかっていうので、
プロトタイプ的なものを赤色について作るという段階で、
今はまだすごく難航しているという感じです。
家庭としては赤色についての論文を杉井先生にシェアしていただいたりとか、
そういったのを読みながらまだ試行錯誤しているという段階です。
ありがとうございます。
メラン・カオリと申します。
私は普段占いを用いた制作をしているのですが、
今回観世界ということで、最初は石の観世界ですとか、
そういうものをナチュラルに考えていたんですけれども、
その中であるときふとシャーマリズム的なものと観世界ってどういう関係にあるのだろうかというのを考えたときがありました。
占いではただ動物のイメージとかがシンボリックに使われることはあるんですけど、
それがどういった意味合いとか性意を持つのかっていうのはいっぱいよく言われているんですが、
それが動物の観世界とか生態系的な点からどういうふうに考えられるのかというのが個人的に気になっていました。
15:04
そこで私はある問いを立てまして、なぜ魔法使いの横には猫がいることが多いのだろうかということを、
猫の観世界について触れることでちょっと考えてみようかなと思っております。
そこで一つ魔法使いの観世界というのをどうやって考えようといったときに、
一番身近なロールモデルとして占いをする自分自身がおりましたので、
自分自身のルートを振り返ったときに義務教育を受ける以前に、
幼稚園はうさぎと一緒だったんですけど、小学校の頃よく猫と過ごしていたことを思い出しまして、
そこで猫の社会に触れた経験とかを思い出しながら、主に野良猫に独自取材をしまして、
観世界を考えています。
これがゆくゆくは目標として宝器の観世界というところまで行ってみたいと思いまして、
なぜ魔法使いは宝器に乗るのかということも、宝器の観世界を知ることによって考えていきたいと思っております。
長い旅路にはなりそうですが、観世界をきっかけにこの問いに向けて頑張っていきたいと思っております。
以上です。
ちょうど真ん中にいますし、浅瀬さんいかがですか。いきなり振りますけど。
浅瀬さんいかがでしょうか。聞こえてますか。
聞こえますか、浅瀬さん。
声が。
マイク、マイク。聞こえてますか。
聞こえてます。聞こえてますか。
はい、簡単な説明ですね。
私の、普段は現代美術の分野で活動してまして、
日常の中にある自然現象、風とか光の動きみたいなものに興味があって、
それをきっかけにして人の周りの環境とか自然の法則だったり、
そういうものを作品化したりする活動をしています。
今回参加するにあたって設けているテーマがコンパニオンプラーツというものなんですけど、
きっかけとしては、そちらで配布のやつは配られたりされてるんですけど。
画面共有します。
画面共有。できるようにならお願いします。
どうぞ、そちらで。
こちらは画面共有できる仕様が今、
ちょっとした動機というか興味で、
なぜコンパニオンプラーツみたいなものに興味を持ったかというところは、
コロナ禍でスティーホームの期間があったときに、
うちの中でちょっとした楽しめることということで、
18:01
家庭再現、昔からちょっと興味があったんですけど、
それを振り組み始めたのがきっかけで、
植物同士、人間以外の生き物で特に動かない、見えないんだけど、
何かしらコミュニケーション取ってたりで大きくなるっていうのに興味があって、
植物を中心にちょっと興味を持ち始めて、
育てていくといろいろ植物ならではの環境とか、
植物きっかけとして、昆虫とか微生物、土の中の、
そういうものにだんだん興味が広がっていったので、
今回観世界っていうテーマとつながるという、
それをきっかけにちょっと自分の中でも掘り下げるとか、
それを表現の方にどうやってつなげていくか、できたら面白いかなと思って、
今回こういうテーマで、コンパニオンプランチというもので、
参加させてもらっています。
ちょっと説明すると長くなるので、
もしかしたらそこにパネルで資料を貼ってもらっていると思うので、
そちらをちょっと踏んでもらえたらと思います。
こんな感じでどうでしょうか。
ありがとうございます。
22年度から参加しております。
Life is a Poemと申します。
私はアーティストワークで参加しているんですけれども、
実は大学は生物の方から行って、
普通に事務員やった後建築をやって、
そこで何を間違ったかアーティストの扱いを受けてアーティストになったような感じで、
大学の方は生物でした。
今興味を持っているのが主観と客観の共存というのに興味を持って、
それをテーマにファンダメンタルズは参加しています。
私が今回持ってきているのはひめくり日時計という、
地球儀のビーチボールとかが私の方の作品になっていますけれども、
これは私が住んでいる神奈川の郷の日時計、
それから郷の山口の日時計、
それから環世界の言葉を提唱したユクスキュリオさんがエストニア出身ということで、
お隣のキュウジさんもエストニアでレジデントされていたので、
エストニアの郷の日時計、
それから日本の裏側、どこかわかるでしょうか、
実はウルグワイの先1000メートルぐらいのところの海なんですけれども、
そこにもしどうなるかという日時計を今回作ってみています。
これはちょっと違うのが、自分が真ん中に立っているとして、
太陽が自分の周りを回っているように見える、
それで自分に落ちてくる影を見て時間を調べるというようなものを作っています。
21:05
これを見ると日本でも基準を見て東か西かで時間がずれていきますし、
ヨーロッパ、エストニアですとそもそも基準の時間がユニバーサルタイムプラス2時間、
日本だとプラス9時間。
日本の裏側だと南半球なので南中ではなくて、
北北中、正午は北に行くんですね。
東から登って北を通って西に沈むっていうのを今回知って、
おお、とか思ったりしています。
ただ海なので海の時間って何なんだろうかと、
その基準になる時間を決める人間がいないのにその時間は何なんだろうかとか、
そんなことを考えたりしています。
よかったら何枚か配れるものもあるので見に来てください。
以上です。
日野内と申します。
ゾンビの作品を作っています。
元々観世界には言葉だけはこのグループに参加させていただく前から興味はありまして、
その元になったものがゾンビへの興味と重なるのですが、
人間中心主義へのちょっとした批判というか、
本当にこれでいいのかなというところを追求したいということで参加させていただきました。
最初は割と人間以外の感覚のようなものをこうなんだというので、
知識として理解するというのはとても楽しく行っていたのですが、
それを通していくうちにだんだん自分自身がその中の、
人間自身がその中の一部である人間から周りを理解するということではなくて、
平等に存在できるというような感覚になってきまして、
そうしたら悪い意味ではなく人間目線のものを作ってもいいのかなというふうに考えまして、
結局自分の興味の対象であるゾンビの時間がテーマになったという次第です。
最初の杉井さんのレクチャーのときに伺った、
体の小さい動物については時間の流れが速くて、
体の大きな動物については時間の流れがゆっくりであるということからインスピレーションを得まして、
さらにそのレクチャーの中で子供の時間は長いけれども大人の時間は短いということをおっしゃっていたというところから、
そういえば楽しい時間はとても早く過ぎてしまうように感じるし、
しんどい時間は長く感じることがあるなということを作品ができないかなと思いました。
そこに考えが至った次第というのが、哲学的ゾンビという概念が心理学用語でありまして、
24:06
ハリウッド映画の体が腐ったゾンビとは区別される存在なんですけれども、
哲学的ゾンビは見た目は普通の人間と全く変わらなくて、振る舞いも会話をしていても全く普通の人間と同様なんですけれども、
ただその中身には感情とか認識に関する経験がないということらしいんです。
ないということを周りからそれをないんでしょって言って確認することもできないし、ないのかなと想像することしかできないので、
本当にそういう存在が世の中にあるのかどうかということもわからないし、
もしかしたら私が哲学的ゾンビかもしれなくて周りがそれに気づいていないだけかもしれないしというような、
それぐらい曖昧な存在なんですけれども、その哲学的ゾンビについては想像でしかないのですが、
感情がないのであれば楽しい時間であってもしんどい時間であっても特に早く過ぎるように感じたり、
ゆっくり過ぎるように感じたりということはないんじゃないかということで、
普通の人間の過変的な時間と哲学的ゾンビの全く変わらない淡々とした時間と比較できないかなという作品のアイデアです。
今時点で展示をしているのはまだちょっとプロトタイプの状態なんですけれども、
一応インタラクティブになっていまして、
人の動きをウェブカメラの前の動きをキャッチすると、その動きに対してゾンビの歩いているスピードが変わるという作品になっています。
将来的にはそれを感情に関するデータ、バイオメトリクスの数値を取得して、
それに合わせて周りのゾンビの歩いている速さが変わるという作品にできないかなと思っています。
以上でございます。
では今回の取りを飾らせていただきます。
まさかの2ヶ月に1回のミーティング、100%参加できなかったというのは多分私だけだと思うので、
大変心苦しい参加なんですけれども、
今皆さんのお話を伺えてとても初めてミーティングに参加できたような気持ちになったんですけれども、
そんな私ですので、お題としてあった丸々の感世界であったり痕跡であったり、
そのようなものを参加していないのにいきなりそれを作るのはおこがましいなというような思いが大変ありまして、
なので感世界そのものに対する考察をちょっと深めようというアイデアシートが掲示してあるんですけれども、
もともと減少学の方に興味があったので、
感世界という言葉は私は正直知らなかったんですけれども、
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初めて知ったときに肉体由来で常に肉体があってその肉体が知覚を作り、
知覚によって世界が認識されその認識された世界が構築されているというような概念として理解したんですが、
非常に減少学と似ているなというか重なるところが大きいなという感覚があったので、
ちょっと調べてみたら間にゲスタルトクライスがあるんですけれども、
ひとつらなりの学問の進化の系譜になっているのがわかりまして、
なるほどじゃあ減少学よりももう少し肉体ベースの概念なんだなと思いまして、
減少学が好きだからといってそこから減少学の方向に行ってしまってはもともともないので、
じゃあ別の方向に枝を伸ばせないかなと思ったときに肉体といえば魂の牢獄というプラトン哲学の方と
うまいこと接続できないかなというところを直眼点として肉体の牢獄からの脱獄を考えてみるというときに、
サイエンスの目に見えないものあるいは知覚できないものを知覚できるようにするという科学の発達がまさしく脱獄なのではないだろうか、
というような視点からどんどんこの知覚の拡張つまり肉体の折りが拡張されて、
拡張されるとこれは脱獄ではないのではないかと思ったときに最終的に向かうべきプラトン哲学的には
イデアに行かなければいけないんですけど、イデアそのものももしかしてこれ折りなのではないかというような結論が現在の考察というもので図になっているので
見ていただければと思います。ありがとうございます。
はい、ということでこのメンバー非常に緩くつながりながら、それが目的だったんですけれども、
緩くつながりながらそれぞれで今は作品を作ってきたというメンバーです。
もう一言私から言わせていただくと、最初感世界って言ったときにこの世界は今人間が捉えている感世界ですよねって言われて、
じゃあ真の世界ってどんなんですかって聞かれたんですよね。
うって私はなって、もうまさにブートキャンプですね、思考のブートキャンプです。
もう頭の中をいろいろ思考を巡らせ、だんだん影響されていったって言ったら語弊がありますが、
だんだん勉強させていただいてしまいにはゾンビ、ゾンビの感世界ってどうなっているんだろうっていう思いに至ってですね、
今ゾンビの感世界をちょっと考えているところです。
一旦死んでまた動き始めて、彼らはもう死なないかもしれない。
そうすると時間の流れって感世界の定義からいくとすごく長くなるはずなんですよね。
どうなっているんだろうみたいな、もう完全に影響されていますね。
はい、ということで私は非常に楽しく過ごしました。
30:04
じゃあ皆さんから質問とかを司会にお返ししますが。
次はお問い合わせに移らせていただきます。何か質問とある方、お願いいたします。
思考のブートキャンプすごい刺さりました、僕にも。
これだけ素晴らしいアーティストの皆さんが来ているっていう中で、
大学の中で学生の皆さんと交流するみたいなところっていうのは、
今後の展開として考えているのかっていうところ、ちょっとずれた質問かもしれないです。
ぜひですね、学生にも広げたいと思ってまして、もちろん他の教員にっていうのもあるんですね。
私実はこの取り組みを始めたときに、山口大学国際総合科学部の学部長をやってまして、
今は大学院の研究課長をやってるんですが、なので教員同士のコラボレーションっていうところを作りたいんですが、
ぜひ学生にも最初の問いを作るところまでのアイディエーションみたいなところで、
この動きって学生に広められないかなと思っていて、実はそこに二人、私のゼミの方が来てるんですけど、
彼らは何かを感じ取っていて、私の動きを見ていてですね、ヒントを見つけに来たんだと思うんですね。
なのでもうちょっと広げられたらなというふうには考えてます。
すみません、次先生についでに聞きたいなと思ったのが、教員の方にお誘いするとか説明するファンダメンタルだったりとか、
アーティストとの連携みたいなときに、何て説明しますか?何てくどきます?
そうなんですよ、それが坪井代表といつも議論になるところで、このファンダメンタルの課題だねって言ってるところなんですけど、
私も最初、坪井さんから話を聞いたときに、何その動き、何この団体は?しかなかったんですよね。
似てるよって言われたんだけど、何が似てるのかさっぱりわからない。
だけど入って一緒に話をしてみて初めてわかるっていう驚きなんですよね。
確かにまさにおっしゃる通りで、これをどうやって伝えようかっていうのは、
もう今のところ強制的に参加させてみるぐらいしか思いついてなくて、でもそれはそれでもいいのかなっていう気はしてます。
ただ一方で大学は今非常に厳しい状態で、先ほどもちょっと言いましたけど成果を求められていて、
成果出さなくてもいいよなんて口が裂けても言えない、そうしてほしいんだけど言えないっていう現状があるんですよね。
そういったところで、さらに成果を求めない活動に負担を強いるっていうのは、管理職としてはなかなか難しいなっていうジレンマがあるところですね。
33:01
でもやっぱりぜひ参加してもらいたいなという気持ちではいます。
はい、ありがとうございます。他にある方いらっしゃいますか。
大変面白く聞かせていただきありがとうございました。
環世界っていうのを考えたときに、多分人間は他の生物の環世界を理解しようっていう努力ができて、かつ分かった感じがするじゃないですか。
でもその分かった感じって、頭で分かっただけで実際には分かってない気がするんですけど、それを体験できたらいいなといつも思います。
まだにだったら温度しか感じられないみたいな状態に自分がなって、木の上で何か待ってるみたいな体験ができたらいいなと思うんですけれど、
この動物だったら簡単に体験できるみたいなのってありますか。
ありがとうございます。
そういう展示もできたらいいなとは思ってるんですけど、実は過去の展覧会でそういうことされてるのは見つけてます。
どこで行われたのかちょっと忘れてしまったんですが、生物の環世界を体験してみようみたいなかぶり物したりとかして展示をされてるっていうのは見てます。
ありがとうございました。新しいヒントになるかなと。
今日も実はちょっと紹介したかったのはコミヤさんの回転してるやつですよね。
回転してるんだけど止まっているのにしか見えない。
あれってまさに人間の環世界の限界というか、人間の環世界ではあれが動いてるのか止まっているのかを判断できないっていうことなんですよね。
だけど例えば物理の現象で見れば一方はすごいエネルギー状態高くて回転していて一方は止まっている。
人間には分からないけど分からない、人間の環世界では知りできないけど実は全然違うものなんだっていうことをすごく象徴してるなと思って私は非常に興味を持ちました。
他に今メンバーの皆さんなんかどうですか。
コメント。私ばっかり喋ってる。
ちょっと話を戻しちゃいますけど、大学でどういうふうに展開することができるかで成果を求めないのは難しい。
そういえば確かに難しいんですけど、実際的にこういうふうに外に場を開くっていうのは成果になってると思うんですよね。
だから成果を求めないものをこういうふうに提示するっていうのは多分成果として今の時代認められるようになってくるんじゃないかなと思うんですよ。
なのでぜひ頑張ってください。
36:03
他にどなたか。
環世界についてちゃんと理解してるわけじゃないんですけど、逆に僕人間同士の違いというか見えてるものの差とかそこにおける環世界の差みたいなものが
昨日ちょうどそのアーティストの方たち、そこにいらっしゃる方の見えてるここに実は映像が見えてるんですとか
光が浮いて見えるんですっていうのってすごく面白いなと思って、僕は多分見えてないんじゃないかと思って、
でもそれが共有、実はアーティスト同士でももしくは人間同士でも意外とそういう部分と話さないと分からなかったりするときに
全てそれが見えてるものは事実だとしたときに、もっとそういった部分共有していくとデータとして立ち上がるものってあるのかなと思ったりして、そういう研究とかもあるのかっていうのもちょっと聞いてみたいなと思ったんですけど。
昨日お話、質問があって、赤を見たときにその人が見ている赤と隣の人が見ている赤は同じかっていう議論ですね。
これ実は三上さんといろいろ議論、それも議論中なんですけど、論文は出ていてですね、私の赤はあなたの赤かっていう論文が東大とそれからオーストラリアの研究チームが出したもので、
どうやら私の赤と隣の人の赤は大体同じだっていう実験結果が出始めてるんですね。
それは色々色の組み合わせをパターンを並べてみたときに同じパターンになってるっていうことで、どうやら人間の観世界は何となく同じ、
ただ違うように見える人もたくさんおられて、色弱と言われる方々は少しそのパターンが違うようだということも分かってきている。
なので、大体同じなんだけど、でもやっぱり違うっていうのもあるというのが今の定説と言いますか、そういう考え方みたいですね。
そこはもうちょっとこの観世界チームでも掘り下げていけると面白いかなとは思ってます。
ありがとうございます。
昨日の見える見えない話の爆心地が多分私だと思うんですけれども、何の話をされているのかを他の方にぜひ一斉に聞いてみたいと思うんですけれど、
目を開けている状態で、例えば地図を想像してそこをまっすぐ行って右に曲がってみたいなことを思い浮かべたときに、
図像が目で見えているのにその図像がかぶさるように視覚化されるものを見ることができるかというような話をしたところ、
今のところ女性が見えている率が高かったというような統計が取れているんですが、将棋の騎士の方は将棋の駒が実際に見えて動かすことができるというようなのが別に男女差はないらしいんですが、
39:13
見えている方、何人いらっしゃいますか。少ない。そして男女差はない。ありがとうございます。ありがとうございます。
さっきの話で三菱電機さんが目の見えない人をインタビューして、その見えていない人はどのように時間を捉えているかや、どのように遠近法を捉えるか、遠近法ってすごく難しいんですよね。
目の見えない、もともと見えない方。今それをもとにAIが作られているから、目が見えない方に対するAIってそこの観点がボコンと抜けちゃってるんですよというふうに言われていて、
観世界の今の話の中でも結構目が見える前提で話されているなと思ったんですけど、人同士って話が出た時に目が見えない人と目が見えるっていうところでの観世界はどのようにあり得るのかっていうのはすごく一つ、すごくそこには可能性をすごく感じてますってことを伝えたかったです。
完全にかぶせですけど、私も観世界のことが興味あってできればユニット、体力があれば入りたかったんですけど、でも観世界のこと勉強、ちょっと読んだ時にちょうど伊藤阿佐さんの目の見えない人は世界をどう捉えているかって読んで、それが本当に目の見えない人の部屋の中の状態とか、街でどうやって歩くかみたいな時に空間の捉え方が全然見える人と違ってて、生活の仕方も違ってて、
そんな人間同士でも明確に分かりやすく観世界が違うんだっていうのがすごく面白かったです。
かぶせていいんですか?
かぶせないです。
マイク、マイク。
時間いいんですか?
ちょっとだけ。
何の番組だったか忘れたんですけど、人体のやつやってた時に目の見えない人の話になって、目の見えない人は温度を感じるか色を感じれるかみたいな時に、
そこの解説であったのが、要は肌の中にも色彩を感じるセンサーとか温度を感じるセンサーがあるらしくて、目の見えない人に赤い部屋と青い部屋とそれぞれついつい、こっちはどうですかとか聞いたら結局合ってるみたいな、
それを調べていったら、肌の中にも皮膚の中にもそういうのがあるっていうのは聞きましたけど、そこで解説されてた番組の中では、人体の不思議なかなんかのところでは、だから感じてはいるけど、でもその感じ方もまさにちょっと違うのかもしれない。
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もしかしたらその感覚がすごい大きいのかなみたいな、そういう人たちほどみたいなのは思ったりもしましたけどねって言ったらそういう話なんですけど。
私がよく行く喫茶店に盲導犬ユーザーさんの方がいらっしゃるんですよ、その方もすごいんですよ、スキーするし、見えないんですけど完全に、盲膜色素変遷症で、泳ぐだけなんかもいろいろする方なんですけど、その方がスマホをやるんですね。
聞いたことありますか、目の見えない方のスマホ。もうすごい勢いでしゃべるんですよ。聞き取れないんです私は。
でもそれでやるんですよね。だから聴覚が多分視覚的な役割を果たしているのかなっていうのと、盲導犬を使わずに自分で歩くときがある、白状で歩くんですけど、そうすると手がめちゃくちゃ疲れるんですって。
手で視覚を何か保管するようなことも多分されているんじゃないかなみたいなことを思いました。以上カブセです。
時間も押してしまっているので、もし気になる方がいればこの後個人的にお願いします。ありがとうございました。
ありがとうございました。
43:19
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