年越しと初詣
2024年1月6日、藤原ヒロです。
年が明けて初めての恋日記です。
今年もよろしくお願いいたします。
前回が大晦日だったので、約1週間ぶりの収録になります。
ただ、さすがにこの1週間はお正月イベントで全然仕事をする余裕がなくて、報告できるほどの進捗状況ではないので、
年末年始1週間分の日常報告みたいな感じになります。
年越しは夫の坊主の実家で過ごして、神鴨神社で初詣をしました。
京都でカウントダウンの前後に行ったことある神社部閣は、平安神宮と八坂神社と下鴨神社と今回公明寺なんですけれども、
一番混雑するのはやっぱり八坂神社ですね。
平安神宮も結構人がいっぱいいてたんですけど、結構広い広場みたいな感じなので、お参りはしやすかったような感じです。
神鴨神社はそこら辺に比べると結構観光客の人はちょっと遠くて行きづらいっていう感じがあるので、
地元の人が多いのかなっていう感じの。
人出でした。
まあまあ結構人がいるんですけども、それでも本堂へのお参りは比較的スムーズで、
でもなんかお守りとおみくじの行列がすごかったですね。
結構いろんなおみくじがあって、八田ガラスとか鴨茄子とかそういうお人形おみくじみたいな感じのが多いので、
人気なのかなどうなのかなちょっとわからないんですけど、
ここでは私たちはおみくじとかは引かずに、そのまま出て、みたらし団子と甘酒をいただいて帰りました。
で、1日は夫の父方の本家で親族の集まりがあって、お酒を飲める人が少なくなってきたからなのか、
おじさんが私にすごいお酒を、日本酒をついてくださって、お酒を飲める人が少なくなってきたからなのか、
お酒をついてくださって、そのお酒をちゃんと私が飲み切るので、延々と継がれては飲み、継がれては飲みっていうことをしつつ、
おばさんが数日前から気合を入れてごちそうを用意されていたので、
あれもこれもお食べって出されたものを全部おいしいおいしいっていただいて、久々の飽飲飽食をしました。
そんな中で、野党半島の大地震が発生しました。
かなり大きな大地震が発生しました。
お酒が入った場ではあったんですけれども、それからはずっとみんなでニュースを気にしながら、地震速報が入るたびにテレビに視線が集まるっていう状況でした。
夕方に夫の実家へ移動して、義理の母と3人でおせちとお雑煮をいただきました。
実は京都の家庭の味である、家庭の味?家庭の味っていうわけでもないのかな?
お正月の定番、白味噌のお雑煮をいただくのは初めて。
もしかしたら、どっかお店で食べたことはあるかもしれないんですけど、家庭料理として一般家庭のお家でいただくのは初めてでした。
自分の実家はおすましのお雑煮だったんで、全然違うおいしさを味わえました。
かまぼこやみつばとかは、なじみ深い実家でもよく使ってた具なんですけれども、
義理の母のお雑煮は、はまぐりとか、おふとか、にんじんとか、いろんな具を入れてくださってて、
その辺もすごい実家と大きく違って、すごいなんかめでたさを感じるお雑煮でした。
お正月の食事と地震発生
2日は私の方の父が京都へ泊まりに来ました。
これは独身時代から恒例で、1日は実家でお祝いをして、
2日は両親ともに、
京都へ泊まりに来て、こっちで初詣をしていました。
母を亡くしてからも、父一人で来てくれるので、
メインの初詣はそれまでとっておこうということで、
1日の日にどっか行くっていうのはしてなかったです。
メインの初詣っていうのは平安神宮なんですけど、
その理由は夫と結婚式をあげたのが平安神宮だからです。
その神前式をしてから、
平安弥生会っていうのに入ってて、年会費を払うんですけど、
それで自動的にお札や役除けの人形が届いたりとか、
あと国の名称に指定されている神園っていうお庭があるんですけど、
それは一般的には有料なんですけど、そこを無料で年中配管できたりとか、
あとこういう年始の参拝で、
無料で本殿の一番のお庭があるんですけど、
一番近くへ入れたりします。
というわけで、父が泊まった翌日の3日に平安神宮へ初詣行きました。
ここでおみくじを引いて、全員3人とも基地でした。
基地でもやっぱり内容は違ってて、
私の基地は、これ大事な、おみくじって大事なんて、
体調不良とインフルエンザ
最初の短歌?歌?
って言われますよね。
今日はよく働きにけり、
かにかくに体疲れて、
たらうわれなり?
かな?
なんかね、この歌は、
一日中心置きなく働いたが、
とにかく体に心よい疲れがあり、
そのことに満足し、手足を伸ばしている私だ、ということで、
どんなことでも、力の限り行った後は、
体の疲れも心よいものとなり、
何にも変えがたい心の満足が得られるものである。
力や技の出し惜しみをしていては、
決して心の平安を得られるものではない。
ということらしくて、
今年は全力で頑張れよっていう感じの内容なんですかね、これは。
全力で頑張ったら、たぶん心よい疲れがあって、
満足するということだと思います。
頑張ります。
この後、下鴨神社にもはしごしようっていうことやったんですけども、
私も夫もなんだか体調が悪くなってきていて、
これはもしかしたらどこかで風邪をもらってしまったかも、
っていう感じになってきたので、ちょっと中止をして、
本当はもう一泊するつもりでいた父親も、
ちょっと移してはよくないということで、
もうそこで帰ってもらうことになりました。
で、父が帰ってから、
ママと夫が発熱をして、
で、二人ともぐったりとお休みモードでその後過ごしました。
私は1日の日に四股玉飲んだので、
2日の時点で2日酔いだろうなって思いながら、
頭痛があったんですけど、
それを抑えるために、
リソニンを飲み、ごまかしっていう感じで過ごしてたんですけど、
3日になっても頭痛が残っててしつこいなって思ってたんですけども、
なんかこう、体調の波が普段の二日酔いとはちょっと違うなっていう気もしてました。
で、まあしっかり休んだはずなんですけど、
4日になっても二人ともぐったりしてて、
で、夫は咳と発熱があったんで、
まあ確実に、
風邪だろうなっていう感じで、
で、私も一緒にもらったのかなって思いつつ、
疲労からの頭痛や肩こりっていうだけかもしれないって思いつつ、
たまに37度前後の微熱があるなっていう状態でした。
で、洗い物をしたり洗濯とか掃除機をかける程度の家事だけで、
もうちょっと午後はダウンしてしまうっていうぐらい、
まああまり良くない状態で、
で、5日の日は起きた時から背中から上がちょっと全体的に重くて痛いなっていう感じがあって、
で、夫もその5日の朝の方がちょっとひどくなってるっていうことで、
もうさすがに病院に行きましょうっていうことになりました。
で、近所の内科に発熱があったんで電話してから予約の時間に行って、
で、まず夫が診察されて、
で、続いて私も診察されたけど、
とりあえず夫が、まあ症状が重いので、
インフルエンザの検査をしていて、
もしそれで陽性だったら、私の不調もインフルエンザかもねとのことで、
まあ夫に比べたら私軽症やったんで、
結果がわかる前にとりあえず今回はカコン糖とロキソニンでいいのではって先生に言われて、
ところ、夫の検査結果が出て、
で、インフルエンザA型だって判明しました。
で、夫だけイナビルを処方されてました。
まあ私はそんなにいらないかなっていう。
まあ私は発熱も何もなかったので、
で、自分でもまあカコン糖とロキソニンで大丈夫なのかなっていう感じだったんで、
追加で検査してもらうとかは、
しませんでした。
多分インフルエンザ一緒にかかっているのかな。
私は人生で一度もインフルエンザにかかったことのない人間だったんで、
インフルエンザって問答無用で高熱が出て、
普通の風邪とは大違いの辛さを味わうもんだと思っていました。
実際夫は結構辛そうで、熱は最高でも38度台までだったんですけど、
薬を飲んでも、
全然楽になってなさそうなので、ちょっとかわいそうです。
6日時点の今現在は、
頭痛がひどいみたいですね。
熱は結構下がったんですけど、
ちょっとなんか頭痛で暑かったり寒かったりで、
油汗をかいているみたいな感じです。
一方私はちょっと風邪っぽい気がするなー程度で終わっていきそうな感じです。
割とこうしんどかったです。
割とこうしんどかったです。
割とこうしんどかったです。
私、日常生活に少し支障をきたしてたんですけど、
カッコンとトロキソニンで普通にやり過ごせたので、
インフルエンザだとしたら、
まあまあちょっと肩すかし感はあるぐらいの軽症でした。
6日の今日は頭痛はほぼ治まってて、
肩こりというか背中の痛みが結構広がっているんですけど、
風邪の時特有の、
背中の痛みみたいなのがあるなーって私は思ってて、
普段の仕事をしすぎて痛いとかっていう感じじゃないちょっと痛みがあるんですけど、
まあまあそれはありつつ家事は普通にできる程度になってます。
なのでやっと年賀状に着手をしました。
全然書いてませんでした。
昨日の夜からイラストを書き始めてて、
今日のお昼に完成させて、
住所などは手書きで書いて、昼過ぎに投函しました。
年賀状は普通末のうち、
明日の7日までに届けないといけないものなんですけど、
まあちょっと遠方は厳しいかな。
少しぐらいは遅れてもちょっと許してくださいっていう気持ちで出しました。
というわけで、
新年明けてもう1週間経とうとしているのがちょっと信じられないです。
もう少し早く、
大会しなければと思っていたのに、
全然できていませんでした。
震災からの経験と情報リテラシー
ぼちぼち頑張っていこうと思います。
最後に、改めて震災から始まったちょっと辛いニュースについて、
もうこれらの情報に疲れているっていう方は、
ここで聞き終わってもらえたらと思います。
私は自分が揺れを感じたほどの震災っていうのは、
中学生の頃にあった、
阪神大震災、
阪神青路大震災と3.11、
そして今回、
多分どれも自分の地域は震度4程度の揺れで、
それ以上揺れた経験はありません。
で、身近な人が犠牲になったこともなくて、
ひたすら運良く生きてこれたなと思います。
中学生で経験した阪神青路大震災の時は、
正直何も分かってなかったなと、
3.11、
3.11の時に感じました。
多分ニュースの中の情報量も、
スマホがある時代になったからこそ、
阪神青路大震災の時とは比較にならないレベルで、
被害状況が国民に分かるようになったからかもしれません。
見るのが辛いけど、見なければいけない、
目を背けてはいけない、
何かしなければならないっていう気持ちが働いて、
ずっとニュースを見てしまう日々でした。
寄付をしたり、支援のオークションへ出品参加したり、
エールとしてイラストを描いたりと、
自分のできることを見つけてやってはいました。
原発や政府に関しての議論が気になって、
いろいろ見てしまって、
あらゆる情報に振り回されてたなっていう記憶があります。
それは決して無駄なことではなかったし、
経験したからこそ、
情報リテラシーが少しは増えてきて、
少しは身についたんじゃないかなと思ってはいます。
もうそんなふうに振り回されたくないな、
無駄な情報を入れずに、
娯楽の重要性と漫画家人生
必要な情報だけを知りたいなって思うに至って、
こういう混乱しているときは、
SNSをあまり見ないようにしています。
全員の一言が無知なゆえに、
誰かを傷つけるかもしれないっていう怖さも覚えてしまって、
歳を重ねるごとに言葉を、
見つけられなくなっていて、
何を言ったらいいのか分からず、
沈黙状態になってました。
いろいろ考えすぎて、
3.11が発生した2011年の夏に書いてた、
読み切り作品のことを思い出したりもしてました。
白線車ララの特別増刊、
黒ララっていうものが発売されるっていうことで、
表紙と感動カラーを書かせてもらうことになってました。
当時、白ララも企画されていて、
色のイメージから想像できるように、
白ララは優しい感動作、
黒ララは黒をテーマに、
ダーグだったり、
ホラーな作品の読み切りが集められた雑誌でした。
で、それを書くっていうのは、
震災前に決まってて、
締め切りはあるけど、
作品はまだ形になってない状態でした。
これあの、
メイド様の連載中だったんで、
ちょっといろいろギリギリ進行だったんですよね。
震災が起こって、
震災が起こってから、
黒ララのネームを書かなければならなくなったんですけども、
あの時期に、
ダークなものを書くっていうのが、
かなり難しかったんですよね。
作中で、
人の死を扱うっていうことに、
すごく抵抗があったんですけど、
雑誌のテーマとして、
黒っていう大前提があって、
で、
大元、
構想していたものが、
どうしても、
人の死を扱って、
人の死を扱うお話だったので、
それで、
内容は、
定まってはないけれども、
予告カットを書いたりとか、
もうすでに、
表に出しているものもあったので、
それを嫌でも、
書かねばならないっていう状況になってて、
しかもそれを、
ちゃんと面白く読めるものを、
書かないといけないわけで、
結局、
漫画家人生で一番、
ネームがギリギリまでできなくて、
作画にかけられる時間が、
多分、
最短だったんじゃないかな。
自分の中では、
とても完成とは言えない出来での、
原稿を、
提出する羽目になりました。
背景や小物を、
アシスタントさんに任せることは、
よくあったんですけども、
メインの人物のペン入れをお願いしたのは、
多分、
後にも先にも、
この経験で、
漫画家として、
どうメンタルを守っていくか、
っていうのが、
すごく重要だなって、
改めて認識をしました。
漫画っていうのは、
娯楽で、
辛い時ほど、
必要性が高まるっていうのが、
娯楽だと思っています。
その、
娯楽を生み出すっていうのが、
自分ができる一番有益なことで、
他のことに気をもんで、
仕掛けない状態にするっていうのが、
一番後悔するなと思いました。
なので、
今回も被災地の現状や、
翌日の衝突事故などで、
結構いろいろ、
議論されていること、
あると思うんですけども、
SNSで、
ちょっとこう、
チラッと見かけてしまうみたいなこと、
いっぱいあるんですけど、
そういうのを知りたい、
追いかけなければっていう気持ちは、
ありつつ、
どうしても気持ちが、
引っ張られてしまうっていうことが、
確実って思うので、
最低限のニュースを見るだけに、
とどめています。
微力ながらに寄付をして、
あとは、
冷静にニュースを追いながら、
自分は、
いつも通りに仕事をするっていうことが、
一番いいと思いながら、
過ごしています。
今はまだ、
個人ができることは限られているんですけれども、
今回になったら、
新しく何かできることを、
探っていけたらと思っています。
年明けから、
不安な毎日を過ごされている方々が、
多くいらっしゃるかと思います。
どうか少しでも、
楽しくて幸せなことを、
感じられますように。
暖かい夜を迎えられますように。
インフルエンザが蔓延している、
我が家から、
皆様へ、
どうぞご自愛ください。