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はい、どうもゆうとです。今回はですね、先日偶然ライブで知り合ったフリーランスの言語聴覚師さんですね。
自分のラジオだと、結構フリーランスのセラピストっていう活動の内容とか、いろいろ発信してるんですけど、ちょっと違った専門性を持たれた方で、
ちょっと今回は対談形式でお話聞けたらなと思うので、よろしくお願いします。
お願いします。
こんさんの、最初に簡単に自己紹介していただいてもいいでしょうか。
はい、改めまして、こんという名前でSNSとかやっております。言語聴覚師です。
私は資格を取ったのは、いつだろう、2006年だったと思うんですけど、
まあ年生だけ経ってて、子供を出産するタイミングで、ちょっと勤務先から離れてっていう形で、今もう8年ぐらい経つかな。
病院を辞めてからという感じです。北海道の札幌市で暮らしていまして、
まだ子供が、上の子が小学2年生で、下の子が幼稚園なので、まだちょっと仕事の方にフルスロットルで働くってことがちょっと難しいかなと。
やろうと思えばできるんですけど、まだちょっとその気持ちが自分の中では強くないのと、
病院勤務時代に、医療保険を使ってリハビリすることの制限の難しさみたいなのも感じていたっていう課題意識もあって、
自分で今できることを少しずつやっていこうかなと思ってフリーランスで、
言語聴覚師はコミュニケーションの難しさに対してアプローチする職種ではあるんですけど、その中でも私は音声障害っていう声に問題がある方の臨床経験があって、
そこにあまり活動してるSTがいないかなと思って、ショーには結構フリーランス多いんですけど、
今動画配信とか音声配信とかされる方が増えてきてるっていうのもあって、
声に注目される方が増えてくるかもしれないなっていう自分なりの算段で、
予防的な観点で声の望ましい出し方っていうのは、もし難しい方がいるのであればケアしていこうとか、
声に対してあまり自信が持てないという方に客観的な視点で評価をして、それをお伝えするっていうような活動を今やっている感じですね。
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なるほどね。
こんな感じです。
ありがとうございます。
自分は理学療法士っていう資格なんで、病院とかで言語聴覚師さんとか関わる機会もあったりするんですけど、
なかなか一般的には触れ合うというか関わる機会も少ないかなと思うんですけど、
以前の収録とかもちょっと聞かせてもらったら、言語聴覚師になったきっかけとしても、
言語に興味があったりとか、アメリカで学びというか大学で勉強されたりとか、
言語聴覚師になる前にもいろいろ勉強されてきたと思うんですけど、
そのあたりで言語聴覚師になるきっかけとか、またちょっと聞かせてもらえたらなと思うんですけど。
話すと長くなるんですけど、
私は19歳でアメリカに留学して、アメリカ大学に正規留学という形で行ったんですけれども、
そのときに専攻を決めようと思って、
当時まだインターネットのない時代で、私留学したのが1998年なので、
情報は紙というかね、本で得る時代があったので、留学雑誌を読んでいて、
専攻どうしようかなってぽんやり考えたときに、言語病理学ってアメリカでは、
聴覚と言語を分かれて職種があるので、
スピーチ・ランゲージ・パソロジーという風にアメリカでは表現しているんですけど、
そういう専攻があるというのをその雑誌を読んで初めて知ったんですよね。
まだ私が高校出たぐらいの頃って、言語聴覚師という資格も国家資格ではなかったですし、
社会には全く認知されていなくて、私も知らなかったので、そこで初めて知ったんですけれども、
そういう仕事があるというので、なんか面白そうだなって興味を持ったのが一番のスタートですね。
私、両親が医療系の仕事をしていたので、自分も国家資格の医療系の仕事をしたいという希望があって、
最初は看護を考えてたんですけど、めちゃくちゃ理系の科目が苦手で、これは無理ではないかと挫折したんですよね。
アメリカでも看護やろうかなって思ったんですけど、言語病理学というものがあるっていうのがずっと頭の片隅にあって、
そして私が留学した大学がスピッチパソロジーのプログラム結構いいらしいっていうのを聞いて、
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じゃあやってみようかなって思ったんですよね、単純に面白そうっていう興味だけ。
そしたら、アメリカの大学って、専攻は自分が買いたいタイミングでいくらでも買えられるんですよ、お金取られるんですけど、
先生料みたいなの取られるけど、それさえ払えばいくらでも買えられて、入学の時に決めて、それで卒業しなきゃいけないってことはないので、
で、買えますって、スピッチパソロジーの学科の事務所があって、そこに言いに行ったら書類とかを出して、
そしたら、スピーチとヒアリング、話す方と聞く方のスクリーニングを受けてくれって言われたんですよね。
ヒアリングは問題なかったんですけど、話す方、しゃべるのって評価されて、
インターナショナルダイアリックとかあると言われて、日本人周りの英語を話してるってことですね。
アメリカの本来の多くの人が話してるような英語ではないということで、この職業には向かないから、スピーチセラピーを受けてくれって言われたんですね。
で、私の大学にはスピーチクリニックがあって、そこで学生たちが実習しているんですね。
学部の4年生、もしくは大学院の1、2年生がそこで実習して単位を得るっていうような仕組みになってて、
先生もちゃんと、臨床専門の先生がついているっていう形でクリニックがあって、そこで2年間かな、
発音を直すスピーチセラピーを学生さんの実習として受けさせてもらうっていう機会があって、
そこでこんなに大変なら、私がスピーチパソロジーやるのは無理だって思ったんですよ。
やっぱり外国人として関わるっていうのはかなり難しいだろうって思って、諦めて違う専攻にしたんですけど、
結局、ろう者研究っていう専攻がその時は私の大学でできて、その一期では最初の学生として専攻できるってことになったんで、なんか面白そうと思うんです。
アメリカの手話も勉強してて面白かったので、やってみようと思ってそっちに移って、
スピーチパソロジー諦めたんですけど、やっぱり資格が欲しいっていう気持ちが強くて、
アメリカで大学院に進んだんですけど、その時は特殊教育の特に小さいお子さん、幼児さん、
言葉を話し始めるかぐらいの小さい方に対する介入ということで、そこに興味があったので入ってみたんですけど、
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911のテロがちょうどあった後で、アメリカが大きく変わったり、要するに外国人への風当たりがちょっと強くなってきたっていう風潮がね、
私は直接は被害はないですけど、そういう空気があったりとか、年齢的にも就職のことを考えるとアメリカは厳しいっていうことで日本に帰国するってなって、
大学院途中で辞めて帰ってきちゃったんですけど、その時にどうするかって考えて、もういい加減仕事に就かなきゃいけないけど、
会社に入るとかちょっと無理そうだからと思って、で、医療系の資格と思って考えたのが、で、出てきたのが言語聴覚師だったっていう感じですね。
すいません、長くて。
いえいえ、だからそのスピーチパソロジーみたいなところは、なかなか本格的には勉強できなかったって感じなんですね、現地では。
そうですね、結局専攻にはしなかったので、言語発達とかちょっと入門みたいなクラスは取りましたけど、それぐらいですね。
なるほどですね、でもそれがこう今の活動につながってきてるっていうのがなんとなく見えるんですけど。
そうですね。
今言語聴覚師って、日本だと大学卒業してからじゃないと取れないとかっていうのがあるんでしたっけ?
えっとですね、これはちょっと複雑なんですよね、日本の言語聴覚師の資格の取り方っていうのが。
パターンとしては3つです。で、大きく分けると2つですね。
高卒の高等教育を得るか、もしくは大卒でさらに卒業の教育を受けるか、この2つのパターンがあって、高卒の方が2つに分かれて、3年もしくは4年の専門学校か大学っていうことになりますね。
で、大卒の人向けの専門学校もあって、そちらは2年間で。
なるほどですね。
授業と、ほぼ1年間座学で、2年目は臨床実習と国師対策という感じですね。
じゃあコンさんは大卒した形で2年間のカリキュラムで取られたっていう感じですかね。
そうです、はい。
なるほどですね。
で、そこで、どうなんでしょう。
言語聴覚士の勉強っていうのも自分もあんまり詳しくないんですけど、
その小児だったり、言語と園芸とか食べるところとか、いろいろあるかと思うんですけど、
学校で学ぶカリキュラムってどういう感じなんですか。
とても科目が多いのにびっくりしたんですけど、
PTさんもね、すごいたくさん学ばなくちゃいけないと思うんですけど、
私たちはPTさんと違って、解剖学がそれほど詳しくやらないっていうのと、
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運動学の授業はないんですよね。
はいはい。
あと運動学に関係あるような理系の科目とか、そういったものも全くないですね。
だから体の動きに関してはちょっと弱いという自覚はあります。
あとは心理学の科目が結構多かったり、
発達心理学もそうですし、学習心理学、認知心理学、言語心理学とか、いろいろと、認証心理学もあったかな。
基本的には国家試験に出る問題の科目が授業でもそのままあるっていうような形で、
私がいた大卒の過程だと特に国家試験に受かって、規定を満たすっていうことにフォーカスしてるようなカリキュラムになるので、
また大学とか高卒専門学校とはちょっと違うかもしれないんですけど、
とにかく授業がもうびっちりと詰め込まれているっていう感じで、
あとは音響学とか、あと聴覚のこともやるので聴覚の解剖だったりとか、
聴覚心理学って聞くっていうことの仕組みを学んだりとか、聴覚障がいについても学べますし、
あとは言語発達だったり、言語学もちょっとありますね。
あとなんだろう、すごいたくさんあったなっていうのが。
でも本当に自分の理学療法士とかテクトライダーっていうことと結構専門性が違うんで、
その辺はあんまり詳しくないですけど、
そういう言語と聴覚なんで、喉のまわりとか耳のまわりとか、
あと結構心理学とかっていうのも学んだのは結構びっくりでしたけど、
やっぱり喫音とかそういうところにも関われるっていうことで、
心理的なところのストレスとかでそういうことが起こることもあると思うんで、
あと小児とか子ども関わるとやっぱりメンタルのところとか影響も大きいでしょうし、
そういうところで結構重要な感じなんですね。
そうですね、臨床心理学はもうたくさんある科目のうちの一つで、
私の印象だと臨床心理学そのものは言語聴覚師に大きく関係するとは思わないんですけど、
疾患とかを知っておくとか、こういう症状があるっていうのを知るっていうのは大事かなと思うんですけど、
言葉と認知っていうところがすごく強く結びついていると思うので、
その意味での心理学の知識っていうのは本当に大事なところだなっていうのは思います。
なるほどですね、本当に機能としては喋るとか聞くですけど、
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そこで言葉を使うっていうことでその認知面とかも相当関わってくるでしょう。
そうですね。
そこで活動の幅が広がるんだなと思います。
そうですね。
で、資格取得してからだと3つ病院行かれてたんでしたっけ?
そうです。9年ぐらい勤務先がある状態で働いている中で3つ所属先が変わってっていう感じです。
最初は言語発達に関わりたいっていう気持ちがあったので、
発達支援施設というか公立の施設に入ったんですよね。
県の発達支援の中心になるような施設。
かつ特別支援学校が併設されていて、
小学校入る前の元小さいお子さんが保育に通ってきたり入所してたりっていう施設でも、
規模としては、見た目はそんな大きくないんですけど、
発達支援施設としてはちょっと大きめのところにいましたね。
そこではどんな感じの活動をされてたんですかね。
仕事としては、
入所されている方に対する言語聴覚療法で言葉の発達を促すような訓練っていうのと、
あとは、外来で来られ、月1回とかで来られる方に対しての言語訓練っていうもの。
あと、柔道の障害を持たれている方が結構多かったので、
しっしが全く動かせなくて、かつ体型もしてない状態で体が大きくなっているという方が結構多かったので、
園芸障害があるんですよね。
そういった方への園芸のアプローチもしてましたし、
あとは、外来でドクターからオーダーが出る発達検査というか言語検査をするっていうような感じですね。
そういう発達の検査とかもされるんですね。
心理師さんがいるので、ウィスクとかそういう検査は心理師さんがしてたんですけど、
言語発達に関する検査は言語聴覚師がやるというような感じでした。
そこで、だから言語もあり園芸もあり、聴覚とかもそういう検査とかがちっちゃい時にあったりするんですかね。
聴覚も施設があって、自治体にもよると思うんですけど、
私が最初に就職したところは聴覚も聴覚の施設、お子さん用の施設があったので、
多くの方はそちらに行かれてましたね。
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私がいたところは言語発達科、小児の園芸科という感じでしたね。
なるほどですね。
そこで結構多くの子供関わったりとか、小児の分で活動されて、その次はまた別の領域に。
そうなんです。その次が、最初に就職したのが東海地方だったんです。
私東海地方の学校にいてたので、近いところで就職したんですけど、年齢的に家族の近くにいたくなってですね、
そのタイミングで札幌でお誘いがあって、それに乗っかって戻ってきたという感じで、
そこは地味科の外来だったんですけど、最初は言語発達をやってたんですけど、外来で。
だけど、言語発達すごい難しいんですよね。
お子さんだけのアプローチでは進まないので、やっぱりご家族に理解していただいたり、お伝えしていって、
コミュニケーションをうまくとっていかなきゃいけないとか、そこがすごく難しいと感じていて、
かつ、見えないものに対して考えなきゃいけないことがものすごく多すぎて、
結果というものがなかなか見えにくいと思うんですよね、言語発達。
お母さんが成長過程でもあるので、そのところも含めてどうなっていくか分からないけど、
ご家族の方はそれを一番知りたいところに、うまく答えられていない自分というところに、すごいジレンマを感じて、
ちょうどそのタイミングで、師匠に出会ったんですよね、私。
その師匠は言語聴覚師なんですけど、音声障害だったり、高音障害で発音の方だったりとか、
演技障害のスペシャリストで、かつ、アメリカで学位をとっている人だったので、私も留学してたということで、
よくしてもらって、英語の文献読めるでしょみたいなのにバサッと置いてかれたりとか、そういうのをしてて、
ちょっと勤務先が言語聴覚師の養成校だったんですよね、大学も併設してて、大学院があったので、
その師匠について大学院の修士に入ることにして、そのタイミングで音声障害もやり始めて、
あと成人の喫音も、外来で言語文献してたという感じですね。
音声障害っていうと、思ったように喋れないとか、そういう症状なんですか?
喋れないって私たち言語聴覚師が聞くと、どっちかというと、もっと発音の方だったり、言語的な脳の問題だったりという風に考えるんですけど、
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音声障害の場合は声なので、声帯に何らかの異常があったりとか、声帯が正常に機能しないことによって、
声の質が変わったりとか、声が出しにくいとかっていうことが起きるっていう感じですね。
なるほど。高い声とか低い声とか、あんまり詳しく分類もわかんないですけど、
そういう種類があるんですかね。
かすれ声ってありますよね。大きな声出し続けて。
例えば、こないだ選挙がありましたけど、選挙の後の政治家ってすごい声ガラガラじゃないですか。
あれは声帯が傷んでいる状態で、声帯振動がうまくいってないので、声がきれいに出ないという状態なんですよね。
で、あれはそのうち声を出さないようにしたりとか、場合によっては治療を受ける方もいるかもしれないですけど、
落ち着いていくと正常の声に戻って、本来の声に戻っていくんですけど、それは治らないという場合があって、
その場合はもう声帯建設って言ってちょっと固くなったりとか、もしくは声帯にポリプができたりとかして、声がうまく出せない状態になっているとか。
そういうのがあったりとか、あと機能性音声障害って言って、声帯自体には物理的な問題は何もないんだけれども、
うまく声帯を動かせないっていう人がいて、多くは過緊張性発生って言って力を入れ過ぎてしまうために声が自分でコントロールできないという声の出し方。
生きたような声になるって言ったらお分かりするかなと思うんですけど、そういう方もいます。それが癖になっちゃって声が出せない。
そういう一家性のものじゃなくて慢性的にそういう症状があるとか、だからさっきのお子さんのところと比べるともうちょっと原因がちょっとはっきりして、治療とかリハビリみたいなことがしやすい病院とか。
トレーニングに近いと捉えていて私は、音声障害だけじゃなくて発音の高音障害とかもそうなんですけど、
トレーニングなので問題がどこにあるかをちゃんとしっかりと絞って見つけて、それに対してどう練習を重ねていくかということを考えるっていう感じですね。
なるほどですね。それで研究活動とかもしながら現場での仕事もしてたっていうのが。
そうですね。はい、そうです。
もう一つあるんですか、病院が。
で、その後ですね。音声障害の臨床と成人が起きそうな臨床っていうのはすごく興味深くて勉強になること多かったんですけど、もうちょっと違うことも知りたいと思って、その時にたまたま声がかかって神経内科の病院に移ったんですよね、その次に。
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そこではパーキンソン病の方が多いんですけど、入院されて大体の人は2ヶ月くらいかなとか、一定期間いてまたお家に帰ってしばらくするとまた入院してっていうのを繰り返す方が多いような病院だったので、
なんかちょっと家庭的な雰囲気というかそういうのもあって、こじ回りした病院だったので。
そこで神経難病の方への音声障害の訓練と、あと縁起障害の方も多かったので、縁起について考えるっていうことも結構やってましたね。
それだと結構年齢的には上になるんですかね。
そうです。高齢の方が大体60代から上っていう感じですかね。
なるほどですね。そうなると本当に子どもから高齢者というか中高年まで関わって、プロフェッショナルですね。
いやいや、たまたまスタートは言語発達だったんですけど、小児の園芸もあまり言語聴覚師でやってる人多くないし、音声障害もやってる人あまり多くないし、神経難病もリハビリ全体、PTさん多いかもしれないですけど、言語聴覚師やっぱり少ないんですよね。
なのでなんか自分はスキマ産業だと思って、あまりメジャーじゃない。多くの人はやっぱり回復期で、園芸だったり、質語だったりとか根障害だったりとかっていうのをやる人が多い中で、私は本当に王道を行ってないっていうのは思いますね。
そうなんですかね。その辺また後で自分の話もできたらと思いますけど、自分もスキマ産業なんで。
そうですか。
そこから一旦病院は、お子さんのタイミングでやめられたんでしたっけ?
そうなんです。長男を出産したのが7年前になるんですけど、ちょっと先天性疾患があって、それが妊娠中にわかったので、今は全然健康に生きてるんですけど、何の問題もなく普通に生活はしてるんですけど、
やっぱり、そういう条件で生まれてくる人を育てるっていうことで、復職は少し難しいんじゃないかなというのを考えて、病院を離れることにしたんですよね。
なるほどですね。そこからしばらくちょっと仕事から離れて、今はフリーランスっていう形でいろいろやられてると思うんですけど、いつ頃からそういう活動、再開とかはされたんですかね。
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えっとですね、いつから、去年からかな。でも全然まだフリーランスとしての活動は本当に細々でやってるって言えるほどではないんですけど、そんな感じですね。
なるほどですね。お子さん生まれてからとかは大変だったこととか順調にいったこととか、その間はどういう感じだったんですかね。
生活っていうことですか。そうですね、長男が風邪をひきやすい体質っていうか、それが先天性疾患によるものなのかもちょっとわからなくて、私は大石の子育てだったので、すごく自分では大変だなと思うことが多くて、
かつ自分の頭の中では復職するつもりで言語聴覚者になってたので、それが全然三段が狂ってしまったっていうのと、ものすごい葛藤が強くて。
私、夫が作業療法士なんですけど、夫の前職が介護職員だったんですね。介護福祉士っていうんですけど、そこから30世紀ってか学校入って作業療法士になったのが長男が生まれたタイミングだったんですよね。
なので夫はどんどんキャリアを超えていくところを見ながら、自分で選んだことなんですけど、そういう内面の難しさみたいなのをずっと抱えたままっていう感じ。
実際にその中で次男も授かって、このままだとフルタイムで戻るっていうのはちょっと難しいなっていうのを思ったまま何年も過ごしてるって感じですね。
最初はどういう形でやり始めたんですか?
オンラインコミュニティに入っていて、そこがワーキングマザーが多いコミュニティなんですね。それは何のコミュニティかというと、ボイシーっていう音声メディアの人気パーソナリティさんのファンが集まるコミュニティで、
そのパーソナリティさんはワーキングマザーとしての発信をすごくされていて、そこの共感して集まってくる人が多くて、その方は会社を辞められてご自分で授業を始められてっていうところで、そこに触発されてみんな何かしたいっていうのがそのコミュニティの中でも出てきたんですよね。
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私はずっと働いてたわけじゃないけど、そろそろ自分も何かしなきゃいけないっていうので、影響を受けてですね。
最初はそのコミュニティの中でもし声のことを悩んでたりとか、もっと何とかしたいと思っている人がいたら、よかったらモニターとして評価だったりトレーニングを提供しますという形でアナウンスしたら、何人か10人ぐらいだったかな?応募してくださって。
なんかもの珍しさみたいな感じで。そこでもやっぱり言語聴覚師知ってる人いないわけですよ。私しかいなくて。そもそもその仕事何?みたいな感じから始まって、何ができるの?っていうような感じで集まってくださって、そこを起点にして、そこからポロポロお話をいただいたりっていう感じでやって。
で、もう一個、喫音のお子さんのレッスンの委託を受けてやるようになったのも去年かな。
なるほどです。さっきのあれ、わーままはるさんっていう方。
そうです。
なんか今、ポッドキャストの番組みたいなの編集とかされてる。
そうです。よくご存知。そうなんですよ。ご縁があって、私がずっと細々やってるポッドキャストが役に立ったっていうことで。
それまでにポッドキャストはやられてたんですか?
はい。2020年の年末から始めて、本当に細々とずっとやり続けてたんですけど。
そこは最初自分一人で?
そうですね。最初は一人でやってました。
去年の1月ぐらいに喫音の仕事の委託を下さる方と、YouTubeでラジオ形式でやるっていう対談のやつを始めて、
今年の3月末から、もう一人の言語聴覚師の人と2人で、私に似たような、出産で仕事離れだけど、SDの未来について考えたいっていう方がいて、
その方と一緒にやってるという。対談が2本今あるって感じですね。
喫音の方の委託っていうのは、今までのつながりのあるところから仕事をいただいたって感じなんですか?
これも音声配信を聞いててくれたみたいで。
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うっそらつながってた。どっかのオンラインの小さいセミナーみたいので会ったことがあって、お互いなんとなく知ってて。
で、向こうは私が音声配信やってるSDだっていう認識を持ってたみたいで。
たまたま自分で、彼は自分自身でフリーランス3年か4年間もっとやってるから、やってる人で喫音でずっとやってるんですけど、
自分では手一杯だから手伝ってほしいということで、声をかけてくれて。
委託の仕事だけじゃなくて、ポッドキャストもやってみたいなって思って。
なるほど。すごいですね。言語聴覚師で音声配信して、音声の仕事にもつながるみたいな。
たまたまですね。
それでポッドキャストだったりとか、一つ声の場っていうサービスになるんですかね。
それは一つ形としてやられてるんですかね。
声のことのご相談を受けたりトレーニングをする場合は声の場っていう名前でやるっていう。
まだ野語としては出してはないですけど、一応そういう看板みたいな名前として声の場っていうものを使ってます。
そこはワーママコミュニティとかの中で受けてた仕事とかも、どっちかというとそっちカテゴリーになるんですか。
あと声のことってことですか。
それはまた違うんですか。
そっちで声の相談を受けたりというのは、浮かんだり消えたりみたいな感じなので、そんなにはないですけど。
そこもビジネス目的で活動することは好まれていないので、あまりその辺は強く出さないようにはしているんですよね。
なるほど、なるほどですね。
今の活動で言うとポッドキャスト関係とか、声のボイストレーニングみたいな。
はい、そうですね。
これが中心の仕事になっているという感じですね。
そうですね。そんな感じですね。
なんとなく過去の流れから現在やっているところとか見えてきたかなと思うんですけど。
今後どんな感じでやっていきたいとかあれば聞いてみたいなと思うんですけど。
2つありますね。2つ、3つかな。
まずは言語聴覚師としての仕事をもうちょっと膨らませたいというのがありますね。
どこかに所属するのか、フリーランスとしての仕事を大きくしていくのか、まだちょっと見えてはいないですけど、
できればフリーランスの形をつくっていきたいなと思いますね。
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ちょっと拝ましいですけど、後に続く方のことを考えて、
ただ病院とかどこかに所属するっていうだけじゃない形もあるっていうのをできたらいいなっていう。
ロールモデルみたいな感じで。
そこまではいかないですけど、今なんていうかタケノコ状態だと思うんですよね。言語聴覚。
PTさんもそうかもしれないんですけど、フリーランスというか医療機関とか福祉施設とかじゃない、既存のものでないところでやるっていうので、
いろんな人がいると思うんですけど、ちょっと信頼性が下がっちゃうと思うんですよね。
そのあたりを確立させたいっていうか、一定のクオリティっていうか、自分がどこまでできるかわからないですけど、
なんとなくっていうんではないものを形にできたらいいなとは思っていますね。
はいはい、わかります。その感じ。
多分お分かりになるかと思うんですけど、それを考えてるっていうところと、
あとビジネスとしてどう発展させていただいたらいいのかっていうのもちょっと見えるようになりたいなっていうのが2つ目ですかね。
なるほどですね。確かに両方大事なところで、そこビジネス的にもちゃんとうまくいくっていうのもわかりつつ、
言語聴覚っていうのを専門性にちょっと切れちゃったんですけど、
フリーランスで両方両立するのが大事かなと思うんで、
専門性も活かしてビジネス的にも自立していける働き方っていうのができれば、
そういうのに興味があったりとか、また言語聴覚者の中でもいろいろ分野が違うところもあると思うんで、
そういう形ができたらいいですよね。
そうですね、本当そう思います。
なるほどですね。
あとはポッドキャストの方をもうちょっと身になるものにしたいっていうのがありますね。
音声でできれば教育的なコンテンツを作れるようになればいいなっていう淡い夢があります。
相性良さそうですけどね、そういうの。
PTさんよりは多分いけるんじゃないかなと思う。
PT運動シリーズはなかなかしづらかったりするので。
なるほどですね。ありがとうございます。
すいません、長くなりました。
いえいえ、思ったより長くなりましたけど、これは10分15分かなと思って、
いろいろ聞きたいこともあったんで長くなりましたが、
一旦じゃあこのぐらいで自分からの質問っていうのは締めたいかなと思うんで、
また本当に多分聞き始めたらいろいろ深くなってくると思うので、また機会があるのでぜひよろしくお願いします。
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ぜひよろしくお願いします。
はい、じゃあ一旦ありがとうございました。
はい、ありがとうございます。