「間」への興味と海外からの視点
はい、どうも、ゆうとです。今回はですね、間に関する話をいろいろしてみようかなと思うんですけども、
以前からですね、なんか日本の文化的なものには興味があって、間っていうのも考えていきたいなぁとは思ってたんですけど、
今週ですね、ちょっと知り合いが、ギリシャの方からですね、日本にちょっと来ていて、
実際にいろいろ話す中で、日本語の先生をしてるんですよね、その人が。
海外の方とかに日本語について教える中で、確かに文法とか言葉の意味とか、こういうのは伝えられるけど、
やっぱり間みたいなものを伝えるのが難しくって、これは無理だなみたいな話をされてたんですよね。
なかなか興味深いなというところで、なんとなく、間って言語化しきれないものもあるものの、
日本人間では通じるものもあるというかですね、この間っていうのは何だろうかみたいな感じで、
ちょっといろいろ調べていってるんですけど、最近AIでリサーチもしていったりして、
ちょっとですね、見えてきたものもあるんで、今回喋ってみようかなと思いますけど、
建築と人間関係における「間」
まずなんか間みたいなものは、今の話でいくと人間関係的なところで話ですけど、
まずは建築的な間みたいな、柱と柱の間っていうところから始まるみたいな文献もあったりしましたね。
なんで日本的な建物の中だと柱と柱の間、空間的な間の部分っていうのが柱間っていう言葉もありますけど、
そこの空間が空いてるっていうところが間の始まりなんじゃないかみたいなところがありましたね。
そこで何章また人が入ってくると座る位置とか向きとか身分とか、礼儀作法みたいなのも含めて、
うまく空間の中で距離を取るみたいなところから、なんとなくですね、
日本人的な間が生まれていったんじゃないかみたいなところが書いてありましたね。
芸能における「間」の表現
あと芸能の中で能とか歌舞伎とか寄せとか、こういうところの中でも間みたいなものが表現されていますけど、
これはもう人間的な距離感だけじゃなくて、時間的な止めたとか足を運ぶリズムとか、
こういうところから日本的な間の部分っていうのが出てきたりしてますし、
落語とか寄せとか、こういうのの中でも笑いを生むタイミングみたいなところで間が大事だよねみたいなところもあったりはするので、
やっぱり日本文化の中に根付くところはあるんじゃないかなみたいなところはありますね。
現代における「間」の育み
こういうのは歴史的な経緯というところですけど、古くそういう歴史的なところだけじゃなくて、
現代人の中でも間みたいなものってやっぱり身についてくるかなと思いますけど、
自分も子育てしてると、どういうところで日本人的な特徴があるのかなみたいなのが気になってたんで、
これもAIでリサーチしながら、なるほどなと思ったところではありますけど、
特に家庭内とかで言えば、今話してるからちょっと待ってねとか、ご飯食べるときはみんなでいただきますしよねとか、
相手の気持ちを考えなさいみたいなところって家とか学校とかでもあるかもしれないですけど、
こういうところが既に日本的であり、マーとかが養われるきっかけになるんじゃないかなみたいなのはありますよね。
なんとなく学校とかでもみんな一緒にいただきますっていうとか、合唱とかこういうのもありますけど、
なんとなく空気感の中で一緒に会わせるとか、相手を察しながら行動するみたいなところってあるかなと思いますけど、
おそらく海外、海外って言っても幅広いですけど、
例えば別の国の中だとそういうことをせずに過ごすみたいなところの文化も多いかなと思いますし、
やっぱりこの辺は日本人的なのかなみたいな感じですかね。
「間」を含む日本語の言葉
で、マーっていう言葉を入れた言葉っていうのも結構いっぱいあるっていうところで、
間に合うとか、間が悪いとか、間を取るとか、間抜け、間違い、間を読むみたいな、
こういうのっていうのはマーっていう言葉が入ってるんですけど、
やっぱりこれも空間とか場にうまくフィットしてるとか、
逆にその場から外れてるみたいなところっていうのが言葉として使われてるから、
こういう言葉使いの中でもだんだんマーっていうのは何なのかみたいなところっていうのが、
日本人の中では根付いていくところなんでしょうねっていう感じですかね。
セラピストの視点とホスピタリティ
特に自分はセラピストっていう立場で働いたりしてますけど、
ここでもクライアントの距離感みたいなところっていうのはもちろんありますし、
海外のセラピストとかスポーツトレーナーみたいな人と関わったり、
選手とかクライアントと対応してる様子みたいなのもたまに見たりすることもありますけど、
その辺の繊細さみたいなところっていうのがなかなか言語化しきれないんですけど、
やっぱり日本人の方が優れてそうだなみたいなところを感じる部分があったりして、
この辺が先ほどの日本語を教える中でもマーっていうのを伝えづらいみたいなところと同じように、
1対1のセラピストの臨床とかサービス業みたいなところも近いかなと思うんですけど、
ホスピタリティ的なところっていうのはなかなか海外ではないようなものが日本にはあるんじゃないかなと思いますし、
こういうところでマーっていうのを理解しておくと、
今後海外に輸出できるような文化にもなるんじゃないかなみたいなところをちょっと感じてますかね。
「間」の国際的な発信の可能性
最近円安とかも進んでますし、
今後日本もある程度経済成長していかないと社会保障に回すようなお金もなかったりとか、
競争力も減ってきてしまうと国際的に活動もしづらいっていうのもあると、
日本からいいものを輸出していくっていうのは今後より必要かなと思うんですよね。
個人的にはセラピストっていう立場でもあるので、
高齢化社会に対するサポートっていうか、
高齢化が進む中で必要な商品サービスとか制度とか、
こういうのを海外に対して輸出していけるみたいなことがしていけたらいいかなと思ってますし、
実際にそういう活動もできてきてはいますけど、
この中でも日本的なマーみたいなものっていうのを伝えることができれば、
海外の中でも介護とか福祉とか医療も含めて質が高まっていくとか、
より良いサポートができるみたいなきっかけにもしかしたらなるかもしれないなっていうのを感じていて、
「間」の体感的な理解とワークショップ
他にもこれまでも生き甲斐とか浴び錆びとか、
甘えとかっていうのもあったと思うんですけど、
日本的な言葉というか文化感だけど海外にはなくて、
ちょっと注目されるみたいなことってやっぱりこれまであったので、
その中でもマーみたいなものがすでに伝わっている部分もあるかもしれないですけど、
特に自分の身体とかそういうところに着目して活動しているので、
こういうマーみたいなものを、
さっきの日本語を教えるみたいな、
どっちかというと頭を使うみたいなところかもしれないけど、
体を通してマーを理解するみたいなものはワークショップだったりとか、
あってもいいかなと思いましたし、
日本の伝統芸能とか武道みたいなものから学ぶようなものもあれば、
例えばダンスとかですね、
どっちかというと海外から生まれたような中で、
でもこういうものを学ぶきっかけになるとか、
なんか新しい解釈みたいなもしかしたら作れるかもしれないので、
最近結構マーだったりそれも含めて、
日本の文化的な特徴で、
特に海外に向けて伝えられるものみたいなことは探していったりしてますし、
今後も探求していきたいなという感じですかね。
情報発信と今後の探求
改めて今スタイフでこう話してますけど、
今後結構情報発信は最近サブスタックっていうのに結構集約していってて、
短文のつぶやきみたいなこともXでやること多かったんですけど、
それも結構サブスタックの中に入れていってるっていうのもあるので、
よかったらそっちも見てもらえたらいいかなと思いますし、
最後にちょっと宣伝があったらそういう話もしつつ、
最近マーについて考えてるという話でした。
以上です。ありがとうございます。