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2022-04-30 10:02

株式会社を作ることにしたきっかけ


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はいどうもゆうとです。ゴールデンウィークに入ってですね、何かのきっかけを振り返るシリーズみたいな話をしてますけども、今回はですね
株式会社を作ったきっかけみたいな話をしてみようかなと思いますね。 一応自分はですね3年前の2019年の1月とかに株式会社
ヒルコっていう会社を作ったわけですけど、名前の由来とかねまた今後話していきますが、 一応そのきっかけになったのはですね、やっぱ大学院の博士課程の頃の活動かなと思いますね。
大学院の修士とか学部生とかまでは基本的なスポーツ一職みたいな感じで、自分も選手の活動を続けてたりとか、あとはこうですね日本代表のトレーナー活動もできるように
アスレティックトレーナーという資格も取ろうと動き始めた感じで、 修士でですねある程度その辺の目処はついてきたかなという感じですかね。
なので博士課程の間とかだとそのアスレティックトレーナーという資格の講習も受けて、試験も受けてみたいな感じで、
あとは着々とやっていけばできるだろうなぁみたいな感じになってきましたし、 研究としてもですね、やっぱ修士とはちょっと求められるレベルも変わってくるというか
本当に世の中のためになることとか、世の中にとって世界的にも新しいものみたいなことをやらないといけなくなってきて、
そういうことを考え始めましたね。 その中でスポーツ自分がやってたわけですけども、やっぱり医学療法士とボート競技やってたっていうので、
自然にですね障害者スポーツみたいなところにも興味を持ち出して、 滋賀県の方にNPOの団体があったんで、そこにちょっと関わり始めたわけですね。
最初はですね、普通に障害のある方がスポーツするためにはどういうことがサポートで必要かみたいなことを学ぶきっかけとしてやってたわけですけども、
なんかですね、やっぱりスポーツだけじゃなくて、なんか普通に大学生の子とか、
短大行ってるとか、その就職とかも近いような障害のある方がいてですね、そこでなんか就職の面接とか結構受けるみたいですけど、なかなか通らないみたいなね話を聞いて、
障害のある方でやっぱり働くって結構ハードル高いのかなみたいなことを思い出して、いろいろ調べ始めましたね。
それで知り合いが一応上場企業みたいなところを務めているところで、その障害のある方が働く特例子会社みたいなところとちょっと繋がりがあるというところで、
そこを紹介してもらってですね、訪問したりして、
だいぶ障害を持ちながら働く環境というのが見えてきて、実際にその特例子会社ではちょっと大学院の間に研究とかも関わったりして、
やっぱり障害のある方が働くとか、スポーツとか娯楽とかですね、あと生活の部分とかってやっぱサポートがまだ必要な状況がたくさんあるんだなっていうのを知って、
研究なり事業なり仕事なりで関われたらいいかなっていうのは思い始めましたかね。
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あとはですね、博士課程の時に障害者関係の研究とか、スポーツ関係の資格を取るとか、
あと実際に紅白志望を取る研究っていうのは、もともと腰痛の研究とかしてたんで、
腰痛の治療のための研究っていうのもやってたわけですけど、もうだいぶなんか自分のエネルギーというかですね、もうパンパンになってきた感じですね。
もう時間がやってもやっても足りないみたいな感じで、やっぱり自分一人でできることの限界とかっていうのも感じ始めて、
自分自身としては将来的にそうやって、もともと日本代表とかスポーツに関わる活動もしようと思ってたわけですけども、
それでもですね、世の中見ていくとその障害者支援だとか、そういうところも必要性を感じてきて、実際にその世の中の障害者とか調べていってもですね、
日本の国民の中でも10%弱ぐらいですね、人数としては1000万人弱ぐらいいるみたいなこともわかってきましたし、
結構そこは研究みたいな感じで広く、こういう障害のある人にはこういうサポートした方がいいみたいな、
統一したものが作りにくいっていうのもあって、人が必要っていうのも見えてきたわけですね。
そういう意味でやっぱり組織化が必要じゃないかな、みたいなことも思い始めて、そこからですね、結構株式会社っていうのも本格的に考え始めましたね。
その組織化みたいなことも考えた時に、どっちかというとですね、障害者支援みたいなことを見据えると、
NPOの団体とか一般社団法人とか、ちょっと事前事業的にやることが多かったかなと思いますけれども、今でも多いかなと思いますけどね。
でもその限界もなんか感じてて、やっぱりNPOという形だとなかなか利益を出せないというところで、
そのスタッフの給与面だとか、待遇とかっていうのも結構気持ちによっちゃうみたいなところがあってですね、
そこもなんか物足りないなというか、やる側はやる側として、やっぱりちゃんと仕事をしてその対価を受け取りつつ、
世の中にとって必要な商品とかサービスを生み出していってみたいな方が、いい循環が生まれるんじゃないかなという感じがしたので、
その頃はですね、まだそんなにはっきりした事業アイデアとかも全然できてなかったですけども、
これはちょっと株式会社としてちゃんと作っていこうみたいなことを思い出したのが、本当博士課程の途中ぐらいで、
一応博士課程って3年あるんですけど、博士研究の論文自体はまだその3年で終わらなかったので、その後3年の猶予期間の間で終わらせるんですけど、
実際の研究活動だとか、資格の試験だとか、障害者支援の研究とかも含めて、一応3年で目処がついてですね、
落ち着いたのもあったので、その博士課程終わった次の年に株式会社というのを作ったわけですね。
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そんな感じで株式会社を作って、そこから今3年経つわけですけども、まだ全然試行錯誤の途中っていう感じですけどね。
株式会社っていうのの成り立ちというか、意味とかどういうことができるみたいなことは徐々に見えつつありますし、
会社として依頼をもらって仕事をするとか、会社自体の商品サービスを作っていくとか、その辺もですね、ちょっと見えてきているところはあるので、
そんなきっかけを持って会社を作ったという感じでした。
最後にちょっと長くなってきますけど、一応株式会社ヒルコっていう会社なので、その由来だけ話しておくとですね、今後の将来性というか方針も見えてくると思うのでちょっと話しておきますけど、
一応、日本の神話から取ってきたんですよね。日本の神話でいうと、一番最初の神様っていうのがイザナギとイザナミっていう神様がいてですね、日本を作ったというかそういう神様なんですけど、
その一番最初の子供がヒルコって言われてますね。そのヒルコはですね、生涯をもって生まれてきたと言われる伝説というか、そういう話になっていて、
そこから海に流されてしまって、流れ着いて流れ着いて、今偶然というか、自分が兵庫県の西宮に住んでますけど、そこの西宮神社っていうところに祀られるっていう風になってますね。
そこではですね、今では西宮神社っていうのはお正月にね、今ちょっとコロナで中止しちゃってますけど、福の神の福男選びですね。なんか門がガラッと開いて走って一番取るみたいな、ああいうレースみたいなありますよね。
あれがやられているところで、福の神の恵比寿さんが祀られているっていうところになるんですよね。
で、その福の神とこの実は最初に生まれたヒルコっていうのが同一だと考えられてて、チオスヒルっていう漢字ありますよね。虫変に至るっていう字で子供の子って書いて、まあそれヒルコって読むんですけど、
人の名前の苗字とかでも恵比寿さんっていると思いますけど、その恵比寿さんの恵比寿もこういう漢字で書きますよね。
そういうのもあって、このヒルコっていう神様と恵比寿さんですね、福の神の恵比寿さんは同一だと考えられてて、自分のビジョンとしてもこの生涯があったとしても満足いく生活を送れるようにとか、
福を得られるようにみたいなことも理念としてあったので、結構ですね、そのヒルコっていう神様が生涯をもって生まれるけど、将来的にはこの福の神の恵比寿さんになるみたいなね、
ストーリー的にも通じるところがあるので、そこからヒルコっていう会社にした感じですね。
あとはですね、世界的にも活躍するというか、日本だけじゃなくて、今後将来的には海外とかも見据えて活動もしていこうかなと思ってますので、
そういう意味でヒルコっていう会社もですね、日本語表記とかじゃなくてアルファベット表記にしましたね。
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HILUCOっていう漢字にしたんですけど、これもね、なんかLかRにするかとか迷いましたけどね、
読み方的に日本語読みのヒルコみたいな感じで読ませようかなと思ったんで、それを一応Lっていう漢字にしてHILUCOのヒルコっていう会社にしました。
現実的にはなんかその日本で法人を作るとなかなか海外で活動しにくいというか、法律的な問題だったりとかもあるかもしれないんで、
今後本当に将来的に海外での活動も増えてきたら、現地の法人とかも作らないといけないかなと思いますけども、
こういうきっかけで会社の名前も理念つけてやってるので、障害者支援っていうところにつながる活動はいろいろやっていこうかなと思ってるので、
こういうきっかけで作ったという話でした。長くなりましたね。以上です。ありがとうございます。
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