フリーアナウンサーの失敗談
こんにちは、サチュアレコです。今日は私がお仕事で、ラジオ現場っていうたくさんの人が聴いている場所で、やらかしちゃった失敗談のお話で、
その失敗談を通して学んだ言葉を発する上で、SNS発信だったり、誰かとコミュニケーションを取ったりする上で、めっちゃ大事なある考え方についてシェアさせていただきます。
これはね、本当にSNS運用とかでもよくある問題かなと思うので、よかったら参考にされてみてください。
私がフリーアナウンサーとして仕事をしてた時の話なんですけど、ある番組の自分のコーナーで、私が小さい頃に自分で作った手作りの絵本を紹介する機会があったんですよね。
私、小学2年生ぐらいからコンスタントに絵本を自分で作っていて、本当にね、コピー用紙に自分で絵も文章も書いて、それをホッチキスで止めて、綺麗なセロハンテープで背拍子を補強してね、本当に本みたいにしてて。
小学4年生ぐらいからは家にあったワープロ使って、カタカタって文章を打ってね、本を作ってました。もう気分だけは最先端のベストセラー作家です、みたいな感じだったんですけど。
その大切な思い出の自作の絵本っていうのを番組の中でね、こんなの作ってたんですよってちょろっと紹介したことがあったんですよ。
そしたらスタジオにいた他の共演者の先輩方が面白くしようってしてくれて、私をいじってくださって
何それ手作りの絵本。あれ子ちゃんネクロだったの?みたいな感じで。もちろん当時の私にとってはそれはすごくありがたいいじりだったんですよね。
先輩方からしたら私の絵本なんて絶好のいじりネタでしかなくって、何かしらの展開がないと、ただ私が子供の頃絵本を作ってました、楽しんでました、楽しかったです、ちゃんちゃんみたいな感じで終わっちゃうので
コーナーをなんとか面白く盛り上げるために先輩方も良かれと思って、私をいじってくださってたはずなんですよ。
でもその放送が終わった後、一人の視聴者の方から番組でメッセージが届きまして
自分にとって絵本はすごく大切な宝物みたいな存在で、それを手作りの絵本なんて、みたいに侮辱してるように聞こえて非常に不愉快でしたっていう内容のメッセージだったんですよね。
もうこれ聞いた時私めちゃくちゃショックで、自分自身は誰かを元気にしたり楽しませたりしたくてフリーアナウンサーの仕事をしてるのに
自分のコーナーが原因で、そんな風に誰かを不愉快な気持ちにさせてしまったんだなっていう、それが本当に辛くて
もちろん私自身も本も絵本も大好きで侮辱しようとかね、1ミリも思ってなかったし
先輩方もきっとその絵本そのものをバカにしたとかは全くなくって、あくまで私をいじるっていう形だったはずなんですけど
でも結果的にその方には、そう受け取られてしまったんですよね
でその後ディレクターさんにもちょっと相談して、どうしたらいいんでしょうかっていう風に言ったんですけど
受け取り方って人それぞれだからねって、100人見てたら100通りの感じ方があるから
全員100%納得させるものを作るのは正直難しいよねってスパッと言われたんですよ
それも確かにそうで真理だとは思うんですよね
ディレクターさんにはもうある意味、たっかんしたメディア業界あるあるみたいなのを教えられて
確かになーって思ったんですけど、でも私めちゃくちゃ反省したんですよね
それがその絵本全体に向けられた言葉として受け取られてしまった部分
話している当事者である私たちがもっとフォローできたんじゃないかなって思わせられて
当時の私にもっと伝える側としてのスキルだったり人間的な深みっていうのがあれば
先輩方の愛やるいじりっていうのも笑いに変えつつ
例えば自分でも笑っちゃうぐらいヘントコな絵本なんですけど
でもこの一冊一冊に私の夢と希望がめっちゃ詰まってて
絵本って子供にとっても大人にとっても宝物みたいなものですよねみたいに
ちょっと笑いに変えつつも絵本へのリスペクトも示すっていうような一言が
当時の私にも言えてたら違ったんじゃないかなって思っていて
一つの手作りの絵本っていうのをとっても
私にとっては懐かしくてちょっと恥ずかしいような大切な思いで
でも共演者の先輩方にとってはコーナーを盛り上げるためのものだったり
視聴者の方にとっては人生に欠かせない神聖な宝物だったり
みんな見てるものは同じ絵本なんだけど全然違うものに見えてるっていう
受け取り方の多様性
見る人の立場とか心の状態によって全く違うものになるっていうのってよくありますよね
このしくじりというかこの気づきの一見から
私実はしばらくあらゆる人のあらゆる角度からの気持ちっていうのを考えすぎちゃって
うまく話せなくなった時期があったんですよ
これ言ったらこういう人は喜ぶかもしれないけど
いや待てよこういう人は傷つくかもしれないなとか
こっちの表現だとこういう人には伝わるけどこっちの人には誤解されるかなみたいな感じで
頭の中でいろんな立場の人が住みついちゃって
私はこう思う、いや待てよ私はこう感じるかもってなって
発言しようと思えば思うほど脳の中でうわーって大統論会が始まっちゃってね
何も決められない問題が勃発したんですよ
結局全ての人のためにっていうのを考え始めると本当に何にも言えなくなったんですよね
しかも当たり障りのない、誰の心にも響かない空っぽの言葉しか出てこなくなるというか
当時ディレクターとかにもなんか最近言葉がずっと出てこなくない?どうしたん?って結構言われるようになって
これがねすんごいしんどくって
喋る仕事をしてたからこそこれ仕事にならなくってどうしようってなった時に
やっぱりこれは全員を100%満足させるのは不可能ってことに気づいたんですよね
だからって何でもかんでも自分の言いたいことだけ言っていいっていうわけでもないし
そこで私がちょっとしばらくハマってたあらゆる人のことを考えすぎて
発言できなくなる問題からちょっと導き出した結論っていうのがあって
それがすごくシンプルで
人によって物事の見え方、感じ方っていうのはそれぞれ違うっていう考え方を
いつも自分の心の片隅に置いておくこと
あと、だからこそこれが絶対に正しいんだっていう
自分の考えだけを相手に押し付けないこと
これがめちゃくちゃ大事だったなって実感しています
今フリーアナウンサーの時の話をしてるんですけど、これってSNSも全く同じなんですよね
自分が良かれと思って投稿したものを撮っても
ある人にはすごく役立つ情報に見えるかもしれないけど
別の人には自慢話に見えるかもしれない
また別の人には何言ってるかよくわかんねえみたいなものに見えるかもしれなくて
時には誰かのコンプレックスを刺激して不愉快な投稿に見えてしまうことだってあるかもしれなくって
どれが正解とかどれが間違いとかじゃなくって
これ全部その人にとっては事実なんですよね
だから私たちが発信する時にできることっていうのは
完璧な言葉を選ぶとかじゃないけど
自分の言葉はもしかしたら違う立場の人にとっては全然違う意味に聞こえるかもしれないなーっていう
そういうちょっとした想像力を持つことなんじゃないかなと思ってます
もちろんね自分の意見を持って発信する、発言するってすごく大切なことなんですけど
でも配慮する想像力っていうのがあれば
言葉の選び方が自然とちょっとだけ丁寧になると思うし
それが結果的に多くの人に誤解されたりすれ違ったりするようなことから
自分と相手を守ってくれることにつながります
発信に必要な配慮
少なくとも私自身はフリーアナウンサーの時とSNS運用どっちでもですけど
これを学んで視聴者とか受け手の反応が変わったなーっていうのは実感してるので
よかったら今回の内容ちょっと分も参考になっていれば嬉しいなと思います
今回はもう一つ今回の内容と合わせて
SNSで逆に嫌われる気をつけたいNGな褒め方参戦というテーマで話している回
チャプターに貼ってます
Androidの方は是非SpotifyでSNSで逆にと検索していただくか
概要欄のリンクからよかったら飛んでみてください