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2020-02-26 16:03

#27 二人はどんな学生時代だったのか?

二人の学生時代について話しました。


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メルカリでグロースを務めてきたヒカルと株式会社10Xの創業者&代表であるYamottyがビジネスやテクノロジー、スタートアップなどをトピックに話すYouTube/Podcast「FREE AGENDA」の公式アカウントです。


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フリーアジェンダです。
今のは、DA PUMPのパーティーという曲なんですけど。
話していきましょう。
今回のテーマは、
どんな学生だったのか、学生時代何してたのか。
確かに。気になりますね、これは。
気になるのは気になるね。
いつぐらいの学生の話をしますか。
僕、高校まではやばいからな。
何もない。
無ですね、いうことが。
そうなんだ。
めっちゃ意外。
自立性みたいなのもないし。
めちゃくちゃ意外。
高校の後半ぐらいからかな。
なんかすごいさ、
嫌というか、
被るなと思って。
俺もそれだなと思って。
小中、めっちゃいい子ちゃんというか、優等生だった。
そっち?逆だわ。
全然面白くない。
何もない。
僕、中ぐらいの悪だったんで。
微妙。
そう、微妙なんですよ。
言うことはそんなないみたいな。
高校で何がありましたんや。
高校で何かか。
難しいな。
僕、高校1年生までずっとバスケ部だったっていう。
てか、親が小学校の教師でバスケ部のコーチ。
母親がね。
親父が高校の教師で、
教師界のエリートみたいな感じだったんですよ。
すごい固いコンサバの教育を受けつて。
母親の影響でずっとバスケットボールをやってて。
高校1年生までバスケやってて。
高校2年生の夏ぐらいで辞めたのかな。
高校2年生のチームはインター入ってるんですけど。
すごい強いチームでバスケやってて。
一応初めは結構試合にも出れるなりもの入りで入ってたんですけど。
2年生の時に入ってきた新人に追い抜かされて腐ったんですよね。
面白い。
俺ここにいても意味ない。
っていうのが結構いいきっかけだったんだと思って。
自分が得意だとか好きだったもので、
価値が発揮できないっていうのに立たされたのがそれが初めてで。
その時にどういう意思決定したかというと、
今までやってきたことをある程度活かせて、
ラグビー部に移るっていうのを高校2年生にやって、
結構ラグビー楽しくて、
あんまりチョイワルだったから、
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いわゆるタックルしてとか、
人にぶつかることへの恐怖心みたいなのがあんまりなかったので。
でも結構それがでかいハードルなんですよ、コンタクトスポーツにおける。
だから結構活躍ができたり、選抜に選ばれたりとか、
たったの1年とかでしたっていうのが、
なんだかんだ自分で勝てる場所を見つけて、
アドレスする場所を変えるみたいな、
っていう経験をその高校の時にして、
それが割と成功体験になって、
勉強とかしなかったけど、
ちょっと受験してみるかっていうので、
自分にとっては結構高い目標だったんですよね、東北大学。
国立大で東北の中では一応一番賢いIQが高いみたいな大学ですけど、
それも一発で入れて、
自分で決めて自分でやるのが一番楽しいなっていうのを、
そういう経験を積み重ねて、
高校までは、大学入るぐらいまではやってたっていう感じです。
大学以降もあるんですけど、
とりあえずヒカルさんの高校ぐらいまで聞きましょうか。
ヤモティは小学生の時はこのヤモティなんだと思ってた?
違う違う、全然違うんですよ。
柔道的な男でした。
僕も小学生はそんなに何話すってことなかったから、
優等生気取りだったし、
小学生とかも6年間学級委員長とかやらされてて、
自分も結構率先してやってて、
すごいリーダーシップに責任感あって、
今その反動でそういうのはあんまりないんだけど、
結構勉強とかはできて、
高校も地元にあんまり高校なかったから、
地元っていうかその時の家は茨城だったんですけど、
越境して埼玉の高校に行ったんですよね。
埼玉の高校入って結構勉強できたんですよ。
入ってすぐの試験とかで、
かなり上位オブ上位で、
結構そこに対して慢心はあって、
あんまり勉強とかしなかったんですね、高校入ってから。
音楽にドハマって、
ずっとロックとか聴いてバンドやったりとかしてて、
それも別に死ぬほど入り込むってことでもなくて、
結構ぬるっとやってたって今は思うんですけど、
放課後とかみんなでギター弾いたり、
友達の家に行ってロック聴いたりとかして、
それはそれって楽しかったんですけど、
ぬるっとしてたんですよね。
そんなに強い自我もなく、
朝方の成功体験みたいなのも別になく、
なんとなく成績はいいみたいになったんですけど、
勉強してないってすごくて、
入った時とか1位とか2位だったのに、
2年目なんも勉強してなかったら、
ある一つ年、授業が分かんないってことに気づいたんですよ。
ずっと聴いてなかったから、
ついていけなかったのに気づかなかったんですよ。
すごい勉強できなくて、
試験も確かに全然分かんないみたいな感じになって、
あれ?って思って、なんか不思議やなって思ったんですよ。
でもいきなりそこに突き落とされて、
2年生とか3年生にもそのままなって、
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あれでもなんか受験ってあれらしいぞみたいな。
勉強して自分の人生を決める年らしいぞみたいな。
でも自分は何もしてないみたいになって、
そこからすごい変わりましたね。
高校3年の時に受験ちゃんとしようって決めてから変わって、
そこまでそういう意識も一切なかったし、
自分の人生に対してどうアドレスするかとかも考えてなかったんですよね。
でもなんかちょっといろんな事情があって、
早稲田大学にすごい行きたいっていう気持ちがあったんですよ。
その先生に教えてもらった話とか、
見せてもらったワセダの中で発行した雑誌とかがすごい面白くて、
こんな面白い学校あるんだと思って、
行ってみたいなと思ったんですよね。
ただ僕の行ってた学校って中途半端な新学校で、
僕は理系だったんでワセダの理工学部行きたかったんですけど、
ワセダの理工学部行きたいって言ったら、
お前何言ってんの?みたいな。
バカなの?みたいな感じに、
先生も周りの人も言うような学校だったんですよね。
でもそこに対して、そうなのかなって思えたのが自分の中ではすごく良くて、
自分なりに勉強してみて、
自分なりに受けてみて、頑張ればなんとかなるんじゃないかって思えたんですよね。
そこがすごい自分の中の一つの初期の自分ができた時だったかなと思って、
今と全くその時やったアプローチ、今でも同じじゃんって思うんですけど、
まずワセダ大学っていうものに対して死ぬほど調べるんですよ。
勉強とかは一切せずに、ワセダ大学っていうものの成り立ちとか、
ワセダ大学のこれまでの試験の傾向、ここは出る、ここは出ないとか、
自分もそんなにめちゃくちゃその時成績良くなかったんで、
すごい集中して勉強しないと、たぶん後が浮かんないだろうなっていう感じがあったんですね。
だから出る出ないみたいなものをすごい調べて、何が必要かとか、
あと数学、理科、英語みたいなのどこで関係取るかとか、
戦略を自分の中ですっごいタッチで決めて、そこに結構自転機のヘッダーゲームさんが突入してますよね。
笑うくらい同じだもんね。
ひたすらワセダの対策本みたいなやつを、そこの人は全く勉強してないんですよ。
次に、ワセダの受かった人が使ってた教科書みたいなやつっていうのの情報をしこたわし入れてきて、
それをひたすら本屋、埼玉の大宮にある本屋で一個一個立ち読みしていって、
どれが一番自分に合いそうかっていって、各科目ごとに3つくらいまでしか絶対に自分はできない。
たくさん教科書やるよりは、決めたやつを100%完成するっていうのが一番何となく合ってるなと思って、
教科書代わりにまたいっぱい使い方もかけたんですね。
この時点で、たぶん3年の夏、7月とかで一切勉強はしなかったけど、ただひたすら頭でガチになってる。
でも、そこを決めると自分は楽だなと思って、今でもそうなんですけど、まずやることがっつり決めないとフワフワするんですよね。
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決めるとそういう楽になって、ひたすら自分はこの参考書を100%理解すれば受かるんだっていう謎の、
ある程度自信がある中でそういう風にして、あとひたすらどっかで勉強していくみたいな感じになる。
めちゃくちゃ同じ。
っていうのが自分の中で芽生えた前に進む方法だったんですね。
あともう一個あって、周りの人が応援してくれなかったんですよ。
母が本当によくしてくれたんですけど、先生とかって全然応援してくれなくて、
英語の授業とかやってても、英語の授業中とかに、いやでも俺は今月は数学めっちゃ決めてるかもしれない感じで、
別の勉強してると普通に机とか蹴られて、自分の参考書とか取り上げられて捨てられるみたいな感じの学校だったんですよ。
母がいびつないじめを受けてますね。
なんか真面目なんですよね。
そこに対してもやっぱり参考書が生まれたけど、結局でも自分が思ったのが、
いや、確かに自分がやってることは良くないと。
ただこの先生の英語の授業を聞いてて、わすらの英語で点数取れるか、たぶんノーなんですよね。
この人別に自分、僕の将来に対して敵に思ってくれるわけじゃないのに、僕の行動を左右しているんだと思って、
これすごい不思議だし、人の言うこと聞いてもしょうがないなって明確に思ったんですよ。
だから僕は授業2回になったんですよ。
文室とか図書館とかこもって勉強して、結構単位とかもギリギリだったりとかして、
国語とかも単位落としたから、作文めっちゃ書いて許してもらって、体験もサボってたから、
1日で30キロ走って許してもらってとか、そういうのをしてて、ひたすら自分のやることにフォーカス。
周りから入ってくる雑念みたいのは一切ノイズキャンセルして、何なら結構先生と敵対するような感じで、ずっとやってたんですよね。
最初は忘れられない、もしとかも本当にいい判定とか。
結局めちゃくちゃ勉強して、自分の1日のルーティンとかも決めて、朝9時に予備校の部屋に行って、
30分昼寝するとか決めるんです。
それ一気に浮かったんですよね。
でもすごい同じで、僕もラグビー部の活動が終わったのが、花園予選ってのが終わるのが10月とか。
甲子園的なやつですよね。
そうそう、9月か10月。そこからちゃんと勉強して、それまで僕は全然勉強してないってわけではないけど、
300人の学年のうち250位とか、そういうラインですよ。だから絶対浮かんないって言われて。
ショボショボだよね。
ショボショボのショボで、残り半年ぐらいかってなった時に、同じようなゴールシークから始めて、
東北大学って何で何点取らなきゃいけないのか。
センター試験は何点で、だけどこれに何かけされて持ち点が決まって、その後に二次試験があって、
二次試験の割合が8割ぐらいですっていう。
だったら僕はセンター試験ほとんど捨ててもいいなって。
二次試験で半分取ればいいなっていう話だったんで、センター試験の勉強しないって決めたんですよ。
リソース配分プランニングから始めた。
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代わりに得意だったのは、科学と物理と数学。明確にこの3つだった。
英語が中傭ぐらいだったんで、この4科目だけ勉強するって決めて、
二次試験で取るべきスコアを定めたんですね。
数学が200万点、物理が何点、科学が何点。
だとすると、テストって設計が決まってるじゃないですか。
決まってる。
行列とか。
決まってる。大門一大門に。
物理とかも電磁波とか力学とか、科学もなんとかかみたいな。
決まってるんで、その決まってるうち、自分がパッと見て分かるやつがその当時何だったか分かってるから、
それをひたすら勉強するってやったんですよ。
120%同じ。笑える。
笑える。
それやると、別にセンターの試験そこの部分は一定取れるから、
それでセンター7割ぐらい取って、センター7割って遠くらいだと足切りかかるかレベルぐらいなんですけど、
ギリギリ突破して、二次試験の数学とかで圧勝するみたいな。
面白い。全く同じすぎて面白い。
でもすごい面白かったのが、僕もそれでブロックごとに取る取らない決めて、何点ごと取るかって感じで決めたんですよ。
数学が明確な戦略があって、バスラーの理工学部の試験では行列は出ない。
そうなんだ。
過去の傾向が明らかだったんですよ。
フェクトレでないんだ。
出なくて、物理は波動があんまり出ない。
波動はあんまり得意じゃなかったから、捨てて電磁器とか力学とかにめっちゃ注力したんですよ。
でも僕が受けた年、行列も出たし波動も出たんですよ。
しくってんじゃん。
いきなり方向転換で、バスラーは過去10年とか一切行列が出たことがなかったくらいだったんだけど、突然出てきて。
傾向と対策が。
死んだなと思って。
死んだなと思ったんだよね。
でも結局、ふた上げてみたら自分が想定した点数はほぼ同じくらいだった。
僕はスコアは知らされないんですけど、東北大学の二次試験って。
僕も同じような感じで、物理が電磁器は苦手だったんですけど、配分が小さかったはずなんですよ。
だけど、大門1で出ちゃったんですよ。
一番でかいみたいな。
物理、力学しか解けなくて、たぶん3割くらいの得点だったんですけど、
逆で化学がほぼ満点だった。化学と数学がほぼ満点だったので、
これやると全体の半分はこの2つでクリアしてて、あと加点みたいな状態になってるんで、
もうこれ勝ったなっていうので入学した、だと思います。
山本君の専攻は化学系?
僕、化学、バイオ、工学がっていう専攻で。
別にね、プリファレンスなかったんで、工学部だったらどこでもよかったんですよ。
で、東北大学ってどこが強いんだったっけな。
飛行機、航空系がすごい強くて、あと素材系みたいなのが強くて。
マテリアル工学。
そう、化学、バイオって新しかったんですよ、できたのが。
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そこは明らかに倍率が低いっていうのが分かってて、
必要な得点も低かったんで、もうそこでしょっていう。
確かに。
同じですね。
いや、全く同じ。
何だろうね。
多分そこまで何かがあって、そういう風にアドレスした方がいいっていうのは、
できたところが初めて発現したんじゃないですか。
そうですね。一番自立性を発揮しやすい機械ですよね。
でもなんか、全くMOTは思いつかなかった。
受験とかそういう感じだとは全く思わなかったし、
小学生の時からこれだと。
全然違うんですよ。
そういう多分種はあったと思うんですけど、もっともっと受動的だし、
青森で生まれてるんで閉鎖的だったんですね。
なんか触れるものも少ないし。
なるほどね。
だから発現する前にすごい時間かかってると思います。
これ面白いね。
まだね、高校時代の話した段階なんですけど、16分くらい言ってるんで。
一旦聞きましょうか。
そうですね。フリア人材でした。
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またねー。
バイバイ。
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